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16 風神の如く
大海魔を料理して数日が経過した。
泳げるようになりたかったが、二度も溺れ死に掛けて心が折れる。
魔力コントロールを更に練習してから挑もうと決め、海辺を後にした。
あれから港町ラグラを大きく迂回して、王国中部の平野を旅している。
昼間、堂々と動き回ると目立つので移動は夜にし、日中は手近な森や谷間などで休息や狩りに当てている。
お前に休息など要らないだろうと思うかもしれないが、これは必要な事だと主張したい。
なぜなら、旅の合間に食糧を現地調達したり、一休みするのは楽しみのうちだからだ。
目的地まで一直線とか、味気ないにも程がある。
一応、食糧は十分ある。背負い袋は魚の干物でいまだにパンパンだ。
しかし私は元来、魚より肉が好きなのである。
兎は小さいが美味いし、鹿も大好き、猪は食いでがあって最高だ。
などと理由を付けてみたが……本当は心のどこかに旅を遅らせたいという気持ちがあるのかもしれない。
現在、私は故郷を目指して歩いている。
本気で駆ければ、たどり着くまで一昼夜もかかるまい。
だというのに、それをしない……いや、できないのは私が怖れを抱いているからだろう。
縄張りから外に出た時は、故郷を遠くから眺めるだけで良いと考えていた。
しかし私はそれで満足できるだろうか。
懐かしい故郷の風景を見て、両親や兄弟、幼馴染や故郷の友を見て何もせずに立ち去れるだろうか。
仮に我慢しきれず姿を曝したとしたら、彼らはどんな反応をするのか。
そう……私は故郷に着いた時、自分の感情を抑えきれるかどうか自信がないのだ。
……やれやれ、我ながら情けない事だな。
この体になり、人との接点が絶えて随分と時間が経った。
狼獣人の冒険者を助けはしたが、会話が出来たわけじゃない。
海辺ではレグナム軍船の撤退を手伝い、兵士達の奮闘する姿を眺めたが、それも遠くから見ただけだ。
人との遣り取りに焦がれ、飢えている。
中途半端に近付いたせいで、その気持ちが強まってしまったのを感じている。
私は戯れに神に祈った。
神よ、もしも在るなら、我が願いを聞き届けたまえ。
人と触れ合えるなら、この際どんな形でも文句は言わないぞ。
彼女が私の前に現れたのは、その三日後だった。
※※※
おい、神よ。
確かに望みは叶ったが、いくらなんでもコレはないんじゃないか?
戯れでも二度と祈るまいと私は決意した。
「ついに、ついに見つけた……っ!」
その日その時、私は森で捕まえた大量の獲物を食らう事に集中していた。
だから多少、注意力が散漫になっていたと思う。
それでも声を掛けられる瞬間まで気が付かなかった、というのは驚きだ。
どうやったのかは知らないが、獅子鬼の超感覚を潜り抜けて彼女は目の前に立っている。
私はその姿を見て、驚きの余り顎を落とし、口にくわえていた鹿の腿を地面に落としてしまった。
「あの日から、ずっと探していたんだ……」
私は思考停止したまま、呆然とその姿を眺める。
懐かしい人物だった。
ある意味、故郷の家族や幼馴染達よりも濃い時間を共に過ごした人だ。
リアナ……?
真っ直ぐに伸びたままの赤毛が記憶にあるよりもくすんでいるようで、痛んでいるのかなと感じる。
女性としてはかなりの高長身で、それをネタにからかった事もある程なのに、目に映る姿はとても小さい。
いつも凛と澄ました表情を保っていた貌は、酷く歪んで見える。
怒りが、憎しみが、悲しみが……そして暗い悦びが美しいはずの彼女を狂わせていた。
リアナ・バーンスタイン……。
5年程前の話だ。
私が冒険者組合で真鋼級に相応しいと認められた頃、桁外れに腕が立つ新人が現れた。
その戦闘能力は組合に入った時点でベテラン勢の大半を上回っていた。
幼い頃から英才教育を受けたのだろう。
剣と魔法の両方を高水準で操るリアナだったが、彼女には貴族という出自ゆえの欠点が幾つもあった。
他人に傅かれて育った者特有の高慢さ、協調性の無さ、世間知らずが過ぎる事など。
必要な事を教えようにも、自分より弱い者の言葉など聞く耳を持たないという調子で組合も指導に困った。
で、色々とあって私が彼女の指導を引き受けることになった。
「お前が、お前が師匠を……」
そう、彼女は私の弟子なのだ。
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
その彼女は怒号を発し、抜刀すると私に向かって走り寄る。
「グルゥァ!」
ちょ、ちょっと待て!
問答無用とばかりに斬りかかって来るリアナに慌てる。
当然の話だが、彼女と戦うわけにはいかない。
彼女は大事な身内の一人、この手で傷付けたくない。
「あああああああああっ!!」
なっ、なんだその踏み込みの速さは!?
私はリアナの動きに驚いた。
なんと彼女は途中から急加速し、距離を取ろうと下がった私の動きに、人外たる獅子鬼の動きに追い付いて見せたのである。
リアナの速度は私が知るそれとは全く別物になっていた。
「喰らえぇぇぇぇぇぇぇ!」
剣を構え、裂帛の気合いを放ち、体ごと突っ込んでくる。
私はその一撃を払おうと手を伸ばし、二度目の驚愕を覚える。
痛みを感じたのだ。
リアナの斬撃は我が腕に傷を刻んだ。
この身を得てから他者に傷付けられ血を流したのは、これが初めてである。
「グルルゥ……」
よくぞ、よくぞここまで鍛え上げたものだ。
少し見ぬ間に凄まじい進化を果たした弟子に感嘆する。
もしも人のままだったとしたら、今の彼女に勝てるだろうか?
「うおぉぉぉぉぉぉ!!」
不可思議な急加速を繰り返し、リアナが迫る。
私はリアナ攻撃を爪で捌きつつ、どうしたものかと悩む。
もう少し本気で逃げる、あるいは攻撃に転ずれば戦いは直ぐ終わる。
だが、リアナの速さの秘密に興味が湧いた。
瞬間的なものとはいえ、あれは人間の限界を超えている気がする。
一体、どうやっているんだ?
私は攻撃を控え、防御に徹して観察する。
「舐めるなぁぁぁぁぁぁ!!」
そして、私は後悔した。
こちらは一切攻撃していないのに、リアナは見る間にボロボロになっていったのである。
神速の正体は直ぐに分かった。
風の攻撃呪文だ。
要所要所で自分の体に風を叩き込み、急加速、急旋回、更には跳躍後の空中機動すらやってのける。
それは艦船操作で見た風術師の技を人間の体単位で行っているようなものだ。
本来は自分を傷付けない程度の風で、動きを補正する技だと思う。
リアナは自身の負傷を無視して強烈な風を打ち込み、神速を得ているのだ。
自分の命を度外視し、相手さえ倒せたらそれで良いと命を燃やす捨身の戦法……その様、風神の如し。
「死ねぇっ死ね死ね死ねぇぇぇぇぇぇ!!」
不味い、これ以上行動させたら自滅する。
そう判断した私は細心の注意を払い、限界まで手加減して攻撃を加えた。
「ちくしょう……」
リアナは意識を失い、その場に崩れ落ちた。
私は小さく安堵の息を吐いた。
「ししょー、ごめんな、さ……。いや、だ。いか、ないで……」
一先ずなんとかなったが、これは困ったぞ。
今までの人生最大級の難問間違い無し……本当にどうすれば良いんだろうか?
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