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『出口政策』巡り激論~10年前の日銀議事録~

8月11日 16時38分

菅澤佳子記者

歴史は繰り返すと言いますが、10年前の議論が今、意味深なものに見えたりします。日銀が7月に公表した10年前の金融政策決定会合の詳細な議事録。全部で888ページにも上る議事録には、量的金融緩和を通常の政策に戻そうとする、いわゆる「出口政策」の議論が本格化したことが示されていました。
将来、異次元の金融緩和の「出口」に向かうのか、それとも追加的な金融緩和を迫られるのか。日銀の今の状況と照らし合わせると重い意味合いを帯びてきます。経済部・日銀担当の菅澤佳子記者が解説します。

「危機対応」か「デフレ脱却」か

平成17年4月6日の金融政策決定会合。

出口政策の議論の口火を切ったのは、かつて三井物産の為替ディーラーとして辣腕を振るい、積極的なポジションをとることで「タイガー」の異名をとった福間年勝委員(当時・故人)でした。

「ペイオフの全面解禁が実施され、金融システムの健全化が確認された今、金融政策の正常化に向けた第一歩を踏み出すことが重要だ。このまま巨額の資金供給の目標値を据え置けば、金融の規律が低下し、中央銀行に対する信認が低下するリスクも考えらる」

市場が本来必要としている資金需要を独自に試算。日銀が市場に供給する資金の量を縮小すべきだと初めて提案しました。

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これに対し、ほかの委員からは反対意見が相次ぎます。

武藤敏郎副総裁(当時)「量的緩和を実施した背景には金融システム不安だけがあったわけではなく、最終目的はデフレ脱却のはずだ」

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植田和男委員(当時)「デフレ・スパイラルの回避ではなく、デフレからの脱却が目標ということでやってきたのだと思う。しかし、はっきりとしたデフレ脱却のメドが立っていない」

結局、この会合では、福間委員の提案は反対8、賛成1で否決されました。この頃の日本経済は平成14年から続いていた戦後最長の景気拡大期、いわゆる「いざなみ景気」の中にありましたが、当時、景気は踊り場にあるという見方が大勢でした。また、消費者物価は依然マイナス圏内にあり、デフレからの脱却が課題となっていました。

この日の会合では、量的緩和の縮小を巡って激論が繰り広げられましたが、そもそも量的緩和の最終的な目的が「危機対応」、「デフレ脱却」のどちらにあったのかを巡って委員の間で見解に違いがあったことが明らかになったともいえます。

量的緩和の縮小は「破滅的」

「危機対応の時期は終わった」と主張する立場は少数でしたが、4月28日に開かれた次の会合では、量的緩和を縮小する福間委員の提案に同調する委員が現れました。

エコノミスト出身の水野温氏委員です。その理由を次のように説明しました。

「金融システムの安定的な状況が確保されており、金融市場が必要としている以上に資金を供給する場合、今後さまざまな弊害や副作用が出てくる可能性がある」

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この日の会合で日銀は、経済と物価の見通しを示す「展望レポート」をまとめています。ここで翌・平成18年度の消費者物価の上昇率が0.3%と9年ぶりのプラスに転じる見通しを示しています。

デフレからの脱却が視野に入ってきたように見えましたが、量的緩和の縮小に対しては引き続き反論が相次ぎます。

このうち岩田一政副総裁(当時)は「破滅的なシナリオ」という強烈なことばを使い、次のように主張しました。

「経済が強くなっていることを利用しながらデフレ脱却の展望を開くことが重要な局面になっているが、そのタイミングを間違えると破滅的なシナリオになる可能性がある。今の時点で量的緩和を縮小することは、パイプに一生懸命水を込めて、さあ、水をひと押しで出そうかという瞬間にパイプの横に穴を空けてしまって全部水を流してしまうというようなことだ。それをあえてやるのか」

資金需要の減少にどう対応するか

しかし、金融システムへの不安が後退し、金融機関の資金需要が減ったことで、この頃は日銀が大量の資金供給を続けることが難しくなっていました。資金供給が予定額に満たない、いわゆる「札割れ」が頻繁に起こっていたのです。

5月20日の会合では、福間委員と水野委員が引き続き、「資金供給の目標額を引き下げることによって対応すべきだ」と主張。
一方、大学教授出身の須田美矢子委員は「目標額の引き下げは『引き締め』と受け止められる可能性は排除できない。多数の納得が得られず、批判にさらされる可能性がある」と主張。東京電力出身の春英彦委員も「現時点で目標額を引き下げることは量的緩和の枠組み堅持の姿勢に対する疑問を招くなど、リスクの方が大きいのではないか」と述べ、量的緩和の縮小に反対しました。
これに対して、水野委員が「目標額の引き下げが金融の引き締めではないという考えは市場関係者の間では受け入れられている」と反論する場面もありました。

結局、福井俊彦総裁(当時)が、この日の議論を引き取りました。

「今後の対応について意見が分かれているが、私自身は、きめ細かな金融市場調節の運営によって目標額の維持はなお可能だと思っている。ただ、資金需要が弱いと判断される場合には一時的に目標額を下回ることもありえるという対応をすることが現実的だ」

こう述べて多数の賛成をとりつけ、会合では量的緩和の枠組みを変えずに、一時的に目標額を下回ることを認めることになりました。

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議事録が示すのは、量的緩和の縮小を始めることが市場にどのようなメッセージとなるのか委員たちが強い懸念を持ちながら会合で激しくやり合っていた様子でした。

日銀が量的緩和の解除を決めたのは、その10か月後、平成18年3月の会合。消費者物価指数が安定的に0%以上になることなど解除の条件が整ったと判断してからのことでした。

今の緩和策への教訓は

今回公表された10年前の議事録からはどのような教訓がくみ取れるのでしょうか。長年にわたって日銀の金融政策をみてきた日銀ウォッチャーたちは「出口政策の難しさ」は今も共通の課題だと話します。

みずほ証券の上野泰也チーフマーケットエコノミストは、次のように話しています。

「日銀は今、大規模な金融緩和によって安定的に2%の物価上昇目標を達成することを目指しており、10年前と比べても、『出口』のハードルははるかに高い。日銀の緩和策によって円安が進み、株価も上昇するなど、マーケットでの日銀の存在感が大きくなっており、日銀の次の政策への関心も当時とは比較にならないほど大きい。それだけに市場とのコミュニケーションにミスがあれば大きな波紋を及ぼすことになる」

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また、東短リサーチの加藤出チーフエコノミストは、別の問題を指摘します。

「アベノミクスの第1の矢である金融緩和策は、依然として日本の経済運営の4番バッターだ。景気対策という大きな役割も背負わされている。日銀の独立性は、制度上は10年前と変わっていないものの、当時と比べて日銀だけで出口の判断をすることは難しくなっている」

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日銀は、現在の大規模な金融緩和策の出口政策について議論を始めるのは「時期尚早だ」としています。情勢によっては追加の金融緩和を迫られる可能性さえあります。日銀は10年前と比べてもはるかに難しい事態に直面することが予想されます。

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