463.2015年8月12日、御巣鷹山事変30年目の新たなクーデターが起きるのか?

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↑画像:日本航空123便墜落事故<御巣鷹山事変>の犠牲者・吉田由美子<北原遥子>さん

(1)NHKスペシャルで紹介された吉田由美子さん

前回の記事で日本航空123便墜落事故をテーマにしたNHKスペシャルが2015年08月01日に放送された事を紹介した。

 番組の中で犠牲者の吉田由美子さんのお母様からいまだに娘の部屋に手をつけられないことが語られその部屋が紹介された。

(2)宝塚随一の美女・北原遥子<本名:吉田由美子>
 
冒頭の写真は、宝塚随一の美女と謳われた北原遥子こと、吉田由美子さんである。

吉田由美子さんは、幼少時よりバレエと器械体操を習い、特に体操競技では多くの大会で優勝し国際大会にも出場するなど活躍。神奈川県立横浜平沼高等学校在学中は次世代のオリンピック代表といわれたほど将来を嘱望されていたが、度重なる怪我や体格の変化で競技生活から遠ざかっていた時に、花組の『ベルサイユのばら』を観劇し宝塚を志した。私がTBSで仕事を始めた1979年に吉田由美子さんは宝塚に入団した。私が大学を卒業してある民間会社の正社員となっても引き続きTBSの仕事もしていた1981年、彼女は67期生として花組公演『宝塚春の踊り/ファースト・ラブ』で初舞台を踏んだ。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E5%8E%9F%E9%81%A5%E5%AD%90

(3)吉田由美子さんの人生を狂わせた「愛企画」の吉川愛美社長

私が千葉県習志野市の習志野市立習志野高等学校の教諭となった1983年の9月、吉田由美子さんが知人を通して知り合いになった東京の芸能プロダクション「愛企画」の吉川愛美プロデューサー<社長>から、「テレビドラマのカメラテストを受けてみないか」と言われ、吉田由美子さんはあまり深く考えずにスタジオへ出かけていった。

http://blog.goo.ne.jp/mccreary/e/8b5172c168f5018f0aed6a7a647e0102

カメラテストのつもりで行ったところが、現場では本番を収録していて、吉川愛美プロデューサーから、ほかの人は用意していなかったからと、無理やり出演を頼まれる。それでも断ろうとする彼女を、「セリフはないし、顔は花瓶の花で隠れるように撮ってもらうから、大丈夫」と吉川愛美プロデューサーが説得、押し切られる形で撮影されてしまった。だが、画面には花とともに若い女性の姿がくっきりと映り込み、彼女を知る者ならだれでもそれと分かる形で編集されてしまった。(『由美子へ』取材ノート―レクイエム北原遥子 榊原和子著p.135~p.137)

http://www.amazon.co.jp/%E3%80%8E%E7%94%B1%E7%BE%8E%E5%AD%90%E3%81%B8%E3%80%8F%E5%8F%96%E6%9D%90%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88%E2%80%95%E3%83%AC%E3%82%AF%E3%82%A4%E3%82%A8%E3%83%A0%E5%8C%97%E5%8E%9F%E9%81%A5%E5%AD%90-%E6%A6%8A%E5%8E%9F-%E5%92%8C%E5%AD%90/dp/4787272470

吉田由美子さんが無理矢理出演させられた番組は、読売テレビ系ゴールデンドラマ「密会」であった。北原遥子こと吉田由美子さんは宅間伸のお見合い相手として2,3シーン登場しセリフはなかった。

ウィキペディアにも記載されている通り、吉川愛美プロデューサーより本番の撮影の被写体として無理やり出演を頼まれ、何度も断ったものの「台詞はない、顔も映さない」と言われ渋々応じたのに、その約束は守られず結果的に出演という形になってしまった。劇団を通して事前の出演依頼がなかったことで宝塚歌劇団の規定に違反する事態となり、1984年、吉田由美子さんは、事実上、宝塚歌劇団を懲戒免職となってしまった。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E5%8E%9F%E9%81%A5%E5%AD%90

(4)吉田由美子さんの人生を終わらせた日本航空123便墜落事故<御巣鷹山事変>

宝塚歌劇団退団後の吉田由美子さんは、当時石立鉄男、市毛良枝、夏目雅子らが所属していた其田事務所に所属し、夏目雅子の妹分として多方面で活躍した。また、吉田由美子さんは、私が都立高校の教諭になった1985年の11月に放送される予定だった東芝日曜劇場1500回記念ドラマ「星の旅人たち」の主演も決定し将来を嘱望されていた。

そのような吉田由美子さんの人生を終わらせたのが1985年8月12日に起きた日本航空123便墜落<墜落というより「撃墜」と表現した方が良いかも>事故<御巣鷹山事変>だった。わずか24年の短い生涯を閉じた。死因は脳挫傷と内臓破裂とされている。横浜の実家にお盆で帰省した後、在阪の友人に会いに行くための搭乗だったという。

1985年8月12日、黒木瞳は東京宝塚劇場で舞台に立っていた。楽屋に北原<吉田由美子さん>から電話がかかった。「これから大阪に行くの」「明日、会おうね」

その夜、黒木はニュースで日航ジャンボ機墜落を知る。もしかして……。北原の実家に電話した。ずっと、話し中。何度も何度もかけ直す。やっと親類の人が出た。不安は的中していた。

http://www.asahi.com/jinmyakuki/TKY200901290176.html

黒木瞳
↑画像:黒木瞳

(5)123便撃墜後に殺害された多数の人々

 ウィキペディアによれば、吉田由美子さんの遺体は奇跡的に目立った損傷を免れ、綺麗な姿だったという。

「(新) 日本の黒い霧」が主張するように、123便墜落時には多数の生存者がいて、その生存者は後から殺されているのです。

http://blog.goo.ne.jp/adoi/e/8f0535dacd62324833eefa3358ad503d

吉田由美子さんの死因は脳挫傷と内臓破裂とされていて遺体は綺麗な状態だったとの事ですから、下記のリンク先の記事が事実だとすれば、123便墜落後、吉田由美子さんはシートベルトに巻かれて動けなくなっている状態であり、そこに殺人鬼がやってきて元気な吉田由美子さんをアーミーナイフで、「大丈夫ですか」と楽しそうに笑いながら声をかけシートベルトに沿いながら腹部を裂き死に至らしめた可能性が高い。

http://www.asyura2.com/10/lunchbreak41/msg/845.html

 多数の生存者が殺害された理由は。「口封じ」です!

(6)2015年8月10日放送 報道ステーション

さて、2015年8月1日に放送された「NHKスペシャル▽日航ジャンボ機事故 空白の16時間~墜落の夜30年目の真実」に続いて、2015年8月10日に放送されたテレビ朝日系の「報道ステーション」で、「新証言 日航機墜落から30年」と言うタイトルで、新たな証言を加え、当時の事故について迫った。

元航空自衛隊のパイロットの池田さんは、もっと早く証言すればよかったと後悔を口にした。池田さんは123便が事故にあったとき、上空で機体を目撃していた。当時の事故の様子を残されたボイスレコーダや飛行進路とともに振り返った。

 池田さんは30年間沈黙してきた事故の目撃証言をなぜ今になって話すのかを忘れてはいけないことだと思ったからと話した。池田さんの証言を元に当時の飛行状況をCGで再現。池田さんは「目撃情報を管制に伝えていれば」「123便を追尾していれば」と当時を振り返った。

 123便の生存者の証言によれば、事故直後にはまだ数名<この表現は正しくないが、番組ではこのように表現された。>の生存者の声が確認できていたという。迅速な救助が遅れた背景には墜落現場の特定が原因だった。30年前には現在のようなGPSの設備等はなく、警察への誤った目撃情報などで、検索をより困難にさせていた。

 事故の1か月後に空自で開かれた検討会の議事録を紹介。TACANと呼ばれる測定方法での報告が蔑ろにされた背景には、3つの違った報告があったからだという。当時の幕僚長は「判断ミス」「慙愧に耐えない」と話した。

 30年経ってからの新証言にスタジオで討論。今回の事例のように、過去の事実と教訓に真剣に向き合うことが非常に重要なことと感じたと話し、非日常的な出来事に対し、こころがけておくことの重要性を述べた。

要するに、NHKスペシャルと同じ切り込みです。

(7)NHKスペシャルで紹介された御巣鷹山事変のきのこ雲

前回の記事で御巣鷹山事変のきのこ雲をNHKスペシャルが取り上げた事を紹介した。きのこ雲が生じたと言う事は、御巣鷹山事変は核物質が絡んでいると言う事になる。

2011-01-06 付けの「(新) 日本の黒い霧」には次のように書いてあります。

これまで何度も書いてきましたが、123便が墜落する直前・直後に、米軍、旧ソ連軍、そして自衛隊による、空と地上における激しい軍事衝突が発生した可能性があります。また、上記の戦闘規模から見て、実際に使用されたかどうかは別にして、核弾頭または、放射性物質を含むそれらの破片が現地に散乱している可能性を指摘してきました。

http://blog.goo.ne.jp/adoi/e/8f0535dacd62324833eefa3358ad503d

(8)上野村きのこセンター

http://www.vill.ueno.gunma.jp/tokusan/report/index.html

普段、自民党の方々が123便が墜落した群馬県多野郡上野村を訪れる事はほとんどない。それなのに、次期総理候補とも言われていた石破茂氏は、2015年3月、上野村を訪れた。更に、2015年4月、首相の妻である安倍昭恵氏も上野村を訪れた。二人とも、上野村きのこセンターを訪れたと言う。

 冗談のような話ですが、この二人の行動が、日本航空123便墜落事故<御巣鷹山事変>できのこ雲が見られたと言う事実を公開する布石だと言われている。

 とは言え、前の記事で綴ったように、せっかくNHKスペシャルがそれを公開しても、「キノコ雲」と言うコメントが番組内で一切無かったので、知識のある視聴者しかその公開に気づかなかった。事実、ウェブ上でも、放送終了後、日本航空123便墜落事故<御巣鷹山事変>でのきのこ雲をNHKが公開した事についてふれたのは私以外にほとんど見られなかった。

(9)2015年8月12日、御巣鷹山事変30年目の新たなクーデターが起きるのか?

前の記事で、「NHKスペシャル▽日航ジャンボ機事故 空白の16時間~墜落の夜30年目の真実」は、なぜ2015年8月12日の放送ではなくて、2015年8月1日に放送されたのかという疑問を提示した。

 2015年8月12日迄に何か大きな出来事が起きる可能性があるからではないかと考えた。嬉しい事に、その部分を安保氏がツイートしてくれた。

 実は何か大きな出来事が起きる可能性が高いのが2015年8月12日なのです。

2010-01-12 付けの「(新) 日本の黒い霧」に、国営テロ集団や自衛隊の一部に平和ボケした日本に再び軍政を敷こうと画策する一派が存在しクーデターを起こす可能性があると言う記事が出ています。

http://blog.goo.ne.jp/adoi/e/db05cced5531708541635df7fd18d101

もし起こすとすれば、2015年8月12日が最適な日なのです。詳述する余裕がないのですが、8月12日はある意味で日本を象徴する日であり、そのような意味に加え、御巣鷹山事変からちょうど30年目に当たる2015年8月12日と言う事で最適な日なのです。日本に対するクーデターを起こそうとする側にとって、2015年8月12日は実に意味深い日なのです。

(10)近日中に南関東に巨大地震が発生するかも!

★MEGA地震予測創設以来初 南関東警戒レベルを最大に引き上げ NEWS ポストセブン 8月10日(月)16時6分配信

http://www.news-postseven.com/archives/20150810_341402.html

異例の出来事だ。震度5以上の地震を本誌で幾度も的中させてきた村井俊治・東大名誉教授の「MEGA地震予測」を主宰する民間会社JESEA(地震科学探査機構)の幹部から「週刊ポスト」編集部の担当者に連絡が入った。

「南関東の警戒レベルを最大に引き上げた。これは我々が東日本大震災後にメルマガを開始してから初めてのこと。村井は国民に警告を発しなければならないと考えている」──村井氏がこれほどまでに危機感を募らせているのはなぜか。

 村井氏の「MEGA地震予測」の分析に用いているのは、主に日本全国の電子基準点の1週間の上下動による「異常変動」、地表の長期的な「隆起・沈降」(上下動)、地表が東西南北のどの方向に動いているかの「水平方向の動き」の3つである。今回、南関東ではそのすべてにおいて大地震の前兆現象と考えられる動きが確認された。まず「異常変動」について見ていこう。

「昨年7~8月に全国で一斉変動が見られた後、静謐期間(大きな変動のない期間)が続いていたが、6月28日~7月4日の週に神奈川の山北で4.2cm、箱根で4cm、湯河原で4.3cm、静岡の宇佐美で5cm、伊豆諸島の三宅で5.5cm、八丈で4.4cmと、一斉異常変動が見られた。経験則として、長い静謐後に異常が見られたら、近いうちに大地震が起きる可能性が高いと考えられます」(村井氏)

 長期の「隆起・沈降」傾向についてはどうか。静岡の伊豆半島西部の戸田、駿河湾に面した榛原、御前崎は沈降し、静岡の函南と戸田の高低差は、今年に入ってから6.8cmに拡大している。伊豆諸島では、八丈島以南の父島、母島、青ヶ島は沈降し、以北の神津島、大島、三宅島は隆起しており、青ヶ島と三宅島の高低差は、今年に入ってから7cmに拡大した。

「いずれも隆起と沈降の境目に大きなゆがみが溜まっていると考えられる。特に伊豆諸島は小笠原諸島西方沖地震以降も隆起・沈降が続いているので、エネルギーは放出されきっていないと思われます」(村井氏)

不安に拍車をかけるのが、「水平方向の動き」だ。千葉の房総半島南部、神奈川の三浦半島、静岡の伊豆半島南部に周囲と違った動きが見られる。

「特に注意すべきは房総半島です。北東部にある銚子と南部にある館山で水平方向の動きが真逆になっており、そのゆがみが拡大している」(村井氏)

 村井氏は予測精度を高めるため、今年4月から神奈川県大井町と小田原市に「自前の電子基準点」を導入した。

「導入間もないので軽々に判断することはできませんが、小田原の基準点で7月に異常が見られています。特に13~14日に大きな異常が確認されました。過去に関東地方を襲った巨大地震の例が示しているように、危険な兆候が表われている地域のどこで地震が起きても首都圏は甚大な被害が予想される」(村井氏)

 最新の研究では、江戸時代の元禄地震の震源は千葉県、大正時代の関東大震災の震源は神奈川県であったと判明している。しかし、いずれも江戸=東京の被害が最も大きかった。これは関東のどこが震源でも、地盤の緩い首都圏が一番揺れる可能性が高いことを示している。現実に、昨年5月5日の伊豆大島近海地震で震源に近い大島では震度2だったが、東京の千代田区では震度5弱を記録している。

■村井氏の予測は毎週水曜日発行のメルマガ『週刊MEGA地震予測』(月額216円)で確認できる。詳しくはhttp://www.jesea.co.jp/

※週刊ポスト2015年8月21・28日号

(11)2015年8月11日巨大地震説

 週刊ポスト2015年8月21・28日号の村井氏の予測がネットで配信されると、配信された翌日が11日なので、「2015年8月11日巨大地震説」が主張されるようになった。

EX:激やばなう 近日大地震がくる!?地震科学探査機構が南関東警戒レベルを最大に引き上げ 2015年8月11日大震災の予言
http://www.gekiyabanews.com/1602

(12)もう1度、「NHKスペシャル▽日航ジャンボ機事故 空白の16時間~墜落の夜30年目の真実」が2015年8月1日に放送された意味を考える。

 例えば、.NHKスペシャル「きのこ雲の下で何が起きていたのか」は、8月6日(木)午後7時30分から放送されました。 

http://www.nhk.or.jp/special/detail/2015/0806/

御幸橋
↑画像:広島市御幸橋 2015年

御幸橋 1945
↑画像:広島市御幸橋 1945年8月6日

広島電鉄社員と少女たちの実話をもとにドラマNHK広島放送局制作ドラマ「被爆70年 一番電車が走った」は、2015/08/10(月)に放送されました。

http://www.nhk.or.jp/hiroshima/ichiban/

このドラマは、そのタイトルから明らかなように、被爆当日よりも、生き残った広島電鉄の人々の努力により何と1945年8月9日、一台の路面電車が焦土の街・広島を走り始めたシーンが1番の見せ場なので、8月6日に放送するよりは8月9日が最適なのですが、何しろ、8月9日は日曜日でして、表の権力者・愚鈍の宰相一押しの大河ドラマ<低視聴率に喘いでいます>の放送日なので、NHKの地方局制作の良心的なドラマは入り込めなかったんですね。ですから、次善の策としてはBESTの日に放送されているんです。

 それと比較すると、やはり、「NHKスペシャル▽日航ジャンボ機事故 空白の16時間~墜落の夜30年目の真実」が8月1日に放送されたのは不自然です。8月12日に何か起きるのではないかとついつい考えてしまいます。

(13)夏の戦争番組の意義

 ネット上では、NHKは年中行事のようにこの時期に戦争の番組を放送するけど、昭和天皇の戦争責任を追及するとか、死の商人の存在をきちんと伝えてなぜ戦争が起きるのかを究明する番組を作らないと意味がないといった意見も散見されます。

 ごもっともなご意見なのです。私もそれを望みます。ですが、なかなかそうならない現状の中では、「きのこ雲の下で何が起きていたのか」や「被爆70年 一番電車が走った」や再び原発が再稼働してしまった2015年8月11日に放送された「アニメドキュメント あの日、僕らは戦場で ~少年兵の告白~」などは、良心的な番組であり十分に放送する価値があると思います。

(14)「アニメドキュメント あの日、僕らは戦場で ~少年兵の告白~」
http://www.nhk.or.jp/special/detail/2015/0811/

沖縄少年兵
↑画像:NHK2015年8月11日放送「アニメドキュメント あの日、僕らは戦場で ~少年兵の告白~」から

「目の前で幼なじみが撃たれ、倒れた。ぼくは彼を見捨てて前進し、戦闘を続けた。あの時、ぼくの心は異常だった・・・」(当時16才)

 沖縄北部の山岳地帯で米軍と戦った少年兵がいる。戦後70年経った今、30人余りの元少年兵が戦争の秘められた事実を語り始めた。

 証言や未公開の資料から、少年たちは、陸軍中野学校の将校たちからゲリラ戦の訓練を受け、凄惨な戦闘を繰り広げていたことが分かった。

 さらに、「本土決戦」に向け、全国各地で少年たちによるゲリラ部隊が計画され、訓練が進められていたことも明らかとなった。

 彼らが、どのように身も心もゲリラ兵に変容させられていったのか。証言をもとに、少年たちの戦闘体験をアニメにして、幅広い世代に伝えた。

 また、日本やアメリカで新たに発掘された資料を分析。「一億総特攻」に向けて、子どもが戦争に利用されていった知られざる歴史を伝えた。

(15)「被爆70年 一番電車が走った」

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広電
↑画像:NHK2015年8月10日放送「被爆70年 一番電車が走った」から 阿部寛&黒島結菜

「宇宙への旅立ち」の影響で、こうした涙なしには見られない作品も、原爆投下直後に倒れた黒島結菜さん、指長い、シェイプシフトしているのではないか? などとついつい考えてしまいます。

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↑画像:2015年 カルピスウォーター新CMに、黒島結菜さん!

http://blogs.yahoo.co.jp/fugufugu2003jp/67842260.html

★上のリンク先より「これまでの、『カルピスウォーター』イメージキャラクターの歴史」1993年 -後藤久美子 1994年 - 奥山佳恵 1995~1997年 - 内田有紀 1998~1999年 - Coming Century  2000年 - 酒井彩名 2001年 - 平山綾 2002年 - 土屋アンナ 2003~2004年 - BoA  2005~2009年 - 長澤まさみ 2009~2011年 - 川島海荷 2012年~2014年 - 能年玲奈 2015年 -黒島結菜

沖縄平和祈念公園やひめゆりの塔がある沖縄県糸満市出身の黒島結菜さんもやはりレプでしたか。

 実はこの作品はすでにアニメになっているんです。アニメの宣伝文は次の通りです。

300通を越える手記を元に制作されたアニメ。原爆で母も友達も失い呆然とする春川弥生が、復旧した電車に乗務するまでを描き、死と絶望の中で生き抜いた「ヒロシマの家族」の姿を浮き彫りにする。電車の鐘を鳴らす弥生の姿は、人間の可能性と強さを感じさせてくれる。

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↑画像:「ヒロシマに一番電車が走った~広島の原爆から~」DVD

(16)鉄道業務からの女性追放・復帰

 「被爆70年 一番電車が走った」で、黒島結菜が演じた雨田豊子は、広島電鉄家政女学校1期生として、広島電鉄<広電>の少女運転士となった。1945年8月6日の朝、豊子は早番で電車を運転していた時に被爆。車外に放り出されるが奇跡的に命が助かった。地獄のような状況の中、1945年8月9日の「一番電車」を運転することになった。

 やがて、番組の最後の方で、モロ師岡が演じた広島電鉄家政女学校教諭が、1945年9月30日、広島電鉄家政女学校の解散を告げた。解散の理由は、戦地から帰ってくる男性がこれからは運転業務に就くからだという。

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↑画像:モロ師岡が演じた広島電鉄家政女学校教諭

そう、1984年の吉田由美子さんと同様に、生き残って広電を支えた少女達は懲戒免職となってしまったのだ。鉄道業務は再びマンダム男の世界に戻った。

 日本航空123便墜落事故<御巣鷹山事変>が起きた1985年、男女雇用機会均等法が制定された。

 それからかなりの歳月が流れた現在、多くの鉄道会社で女性が鉄道業務に就いている。

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共著数冊あり、単著「口封じの歴史」を出版したい。

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