大阪は晴れ後、夕立。
今日も夕立。うっかり、その激しい雷雨の中、多田から帰宅。短パンが濡れた。涼しいから、まぁいいや。
悲惨な戦争は、本当の戦争ではない
戦後70年。テレビから聞こえてくるのは、「戦争は悲惨」という言葉のみ。敗戦の空襲で日本は焼け野原。原爆も落とされた。実に凄惨な光景だ。
しかし、哲学者になって考える。そもそも「戦争が悲惨である」ことは、本質的に正しいことなのだろうか?
左派が「戦争は殺戮だから、破壊だから悲惨。」というのは特定のケースである。確かに、戦地は砲撃の飛び交う地で、その戦闘はすさまじい破壊を伴う。第二次大戦における日本はそうだった。だが、日清戦争や日露戦争というケースもある。
日清戦争は、朝鮮半島と黄海と中国東部を戦場とする。中国も首都までは破壊されずに、1895年に下関条約を結ぶ。賠償金と台湾などを日本は確保した。この戦争では、中国の北洋艦隊を撃破して、日本の海軍力をみせつけた。この時は、多くの国土は日本と清國ともに守られた。戦争は外地での出来事だった。この戦争では、戦地は日本以外であり、そこで勝敗が決すると、講和した。
日露戦争は、ロシアの南下、朝鮮半島進出を阻止するために、行われたものだ。ロシアが朝鮮半島を支配すると、次は日本を直接攻めこむことができるためだ。朝鮮半島を日本の防波堤にするための戦いだった。
戦場は、朝鮮半島から黄海、満州、旅順、日本海あたりとなる。バルチック艦隊が敗北して、ロシアはポーツマス条約を結ぶ。旅順の攻防戦は、軍が愚かだとどんどん死者が増えることを感じさせた。戦地は確かに、破壊が行われたが、日本国土は安泰だった。
このように戦争は、戦闘結果で、国土で戦いが始まらないうちに、片方が負け、講和するのが近代の戦争である。戦争の悲惨なのは、戦場のみである。国土まで悲惨だとすぐに思い込むのは、そんなケースは少ないから、間違いである。
第二次大戦のように国土で戦うこと(本土決戦)は、よほど講和が下手な国がするものだ。敗勢が決定づいても、いまだに戦いを継続するような、そんな無能な政府首脳は、それまではいなかった、といえる。
敗戦が濃厚になると、早期に講和するのが、主流。戦争=国土の破壊、お大勢の市民の市、都市や町の破壊→ 悲惨というのは、一般的なものとはいえない。むしろ、第二次大戦でのみ生じた特殊な例外ケースとえる。
敗戦の講和を遅らせるという政府が愚かな事例以外にも、内戦(ベトナム、朝鮮戦争、シリア、ウクライナ)もそうなる。が、内戦は外国との戦争ではない。
現代の戦争は、アメリカ、ドイツ、イタリア、イギリス、ロシアなど先進国は1945年以後もしている。が、彼らは国土が戦場になっていない。現代の戦争とはそういうものである。
朝鮮戦争、ベトナム戦争、シリア内戦、ウクライナ内戦はどうか? これらは一国内で2つの勢力が戦う内戦である。日本が分裂したら、そうなるかもしれない。が、それは沖縄独立戦争の場合のみ、今は危険性はある。
が、その他、フォークランド紛争なども諸島で決着した。イラクの戦争もアフガンも国がつぶれる戦争だった。これもまた西欧は自国に爆弾一つ落とされていない。
現代に、日本が参戦しても、日本が戦場となることはない。日本が空襲で都市爆撃を受けることはないだろう。唯一の例外は北朝鮮の核ミサイルが日本を襲うことだが。それはないのである。
現代では、戦争になっても、市民が巻き添えになることは、日本の場合は特にそれはないのである。日本は内戦のリスクが極めて低いためだ。沖縄独立戦争が始まっても、米軍がすぐに鎮圧するから、沖縄県内にとどまり、そこで武装蜂起した沖縄独立軍を粉砕するにとどまるだろう。
では、なぜ第二次大戦では、日本が空襲にあい焼け野原となったか? 戦争は日本を焦土としたか? 日本は敗戦を沖縄や硫黄島の占領時など適切なタイミングでできなかったのか?
一つは、陸軍が強情で愚かだったからだ。またメディアも戦争高揚で、日本はアメリカに連戦連勝していると国民に呼びかけた。それで、政府は敗戦へと進められなかった。
が、負け時を間違えた最大の理由は、第二次大戦で航空戦に変わったからだ。海軍戦は、明治維新の頃から、外国の軍艦が大砲を日本近海で放ったから、要領はわかっていた。戦えば負ける。江戸が火の海になるからペリーとは戦わない、と江戸幕府は決めていた。江戸か日本近海に敵国の戦艦が現れた時に、その数日後には、江戸をやけ野原にされる前に、勝敗勝敗が決して、講和にした。それが戦争を負けと決断する状況である。
艦隊戦では、そのように首都の目前に艦隊が現れる。大砲を撃てる距離に敵艦が侵入したら、敗北だった。その状況で講和しなくてはいけない。とそんな要領だった。国民もそれは納得した。
おそらく帝国も本土決戦を考えた愚か者たちは、旧来の戦争の習慣で、アメリカ軍艦が江戸湾近傍に現れたら、少し抵抗して、彼らの砲撃で日本国内の砦が壊れ、東京湾に敵艦が入り込んだら、敗戦を国民に通知する予定だったのだろう。
しかし、第二次大戦はもう航空戦の時代だった。日本上空の制空権が奪われた時点で、負けだった。つまり、グアム、サイパン、テニアンあたりにB29が大挙して現れた時だった。この後、小都市が爆撃にあう。それが、敗戦の決め時だったのである。
この時点で、敗戦をしていれば、日本は本土空襲を受けることなく、原爆も落とされることもなく、そんなに民間人まで悲惨な目にあうこともなかったのである。賢明な帝国ならば、そうしていただろう。
第二次大戦はしかし、それら本土が危機に陥る地点をとられても継続した。これが決定的な帝国の失敗である。それで、いつまでも敗けを認めないで粘る国のように、国土が爆撃され、ひどい目にあわされてしまった。
というわけで、戦争は負け時を見極め、講和に持ち込む。それが通常の戦争である。そもそも、開戦理由は、アメリカからの石油輸入の停止である。それにより資源不足の窮地に追い込まれるよりも悪い状態へと日本を追い込むようなことは、戦中でも、選択肢にあってはならない。
が、負けたから賠償金は払わなくてはならないだろう。本土は残るような形にして、負けさせるべきだった。それを、帝国は間違えて、いつまでも戦争を継続した。
これは多くの戦争のうちでは、特殊なケースといえるだろう。日本においては一般的なものではない。日本は、第二次大戦までは負け時は知っていた。帝国は、航空戦という新しい戦争スタイルとルールに対応できなかったのである。
よって、戦争は市民まで悲惨な状況に陥る、と考えるのは、第二次大戦はそうだったとしても、それは普遍的なものではない。現代では違う。戦場は日本からは遠くなる。
戦闘は、両軍が衝突する地点だけで起きる。市民などは巻き添えは食わないものである。関ヶ原の戦いにしてもそうだった。そう考えるのが現代である。
戦争は兵士だけの戦いである。市民の被害は避けるのが現在の戦争である。戦争すると市民が必ず死ぬと叫ぶのは、時代錯誤も甚だしいのである。世界各国が市民をできるだけ巻き込まれないようにしている努力すら、知らない者の言い草である。
戦争は、このままでは国家が悲惨なことになる、と確実に予測できる重大危機時に、決断することだ。戦争を起こして、しない時に予想される状態よりも、した結果、より悲惨な状態に陥ってしまっては、もともこもない。
戦争は、最悪を回避するために行われる。そして、負けてしまえば、その最悪を享受するはめに陥る。しかし、戦闘でそれ以上に不幸になってはいけないのである。
戦争で、空襲を受けて、石油不足のエネルギー危機よりもひどい国土になった帝国は、よほど新しい航空戦に対応できなかった、といえる。グアムが占領され、制空権が奪われたことは、浦賀にペリーがくるのと同じ意味があった。その重大性に気づけなかったのが、愚かである。
だから、第二次大戦は特殊なケースといえる。戦争は都市が破壊されて、悲惨とは一概にいえない。戦争は、戦闘地域だけで生じるからだ。市街戦などするのはかなり愚かな選択なのである。戦争は悲惨(市民の犠牲の上に成り立つ)と、一般的に言うのは、戦争に無知な者の考えである。
本日の被害
腰のあたりが痛む。またすぐに疲れるから、電波被害がある。朝、目に黒い線が一瞬見えた。
以上