電波犯罪と超科学

世評の歪みを正す。左派リベラリズムを斥ける。社会問題の解決を示す。世界の先端思想がここに。私は電波犯罪の被害者。

戦後70年談話 「おわび」は不要。日本の社会保障費がかかっている

2015-08-11 10:10:53 | 社会思想の終焉

大阪は曇り

 戦争をテーマにするものが多い。私は飽き飽きしている。

 戦後70年談話。有識者懇談会の報告書を読んだ。PDF  http://www.kantei.go.jp/jp/singi/21c_koso/pdf/report.pdf
 まずは、ダメダメ、65点といっておく。戦後20年後に書けるような報告書だ。70年経過して、日本の何が変わったのか、それがまったく抜け落ちている。冷戦に勝ったことだ。これにまるまる2ページは比率的に必要だった。反共意識の低さが、世界の戦後70年の歴史を見えなくしている。ソ連との戦いは、核戦争の危機で人類存続の危機だった。すっかり忘れているのは、論外。こういう戦後の安全保障の感慨なくしては語れない。それが第二の要であるのに。大戦について、見なおしているのみ。

 大きな流れとして、1900年代はイギリスと仲良くやっていたが、1930年頃からは孤立。1945年の敗戦で、また米英と同じくする。戦後賠償は解消していることはよく強調されている。このあたりは基本的な要件なので、あって当たり前。

 次に、左派メディアは「植民地支配」、「侵略」、「反省」、「おわび」を求めるが、安倍首相は「おわび」以外はする予定という観測がある。これは、安倍首相の考えは、よい。

 一般論して韓国も中国も台湾も「植民地支配」だ。日本語の難しい言いようで、「併合」だとか、そんな区別は細かすぎる。一般的な表現で「植民地」だったのだ。次に、「侵略」も、およそ東南アジアは侵略した。中国もそうだ。韓国も侵略でよい。中国が韓国に軍を進めるのも侵略というのだ。戦争を「反省」するのは当然。敗戦したのだから。勝っても日本人は反省するくらいだ。
 「おわび」はいらない。日本国内では、日本人へのおわびとなる。しかし、安倍談話なので、彼が謝罪することではない。戦前の政治家のやったことを、かわりに彼が謝罪するのはおかしい。ナチスの犯行をメルケルが自身の話として、謝罪はしない。

 「おわび」はもっと深刻な問題があり、それで、日本の税金が中韓にとられてしまう。日本人は律儀だから、「おわび」したから、金を払わなくてはいけない、と考える。「おわび」一言の代金はいくらか? 正直、ケーキ一箱というものではない。1-2万円の加算でもない。日本政府の場合は、年額500-1000億となる。直接、戦争被害者に支払いしないから、ODAに組み込んで払う。日本の税金が日本国内の貧しい人たちにわたらずに、無駄に海外にとられてしまうのだ。年額1000億円くらいが妥当だ。10年間で1兆円だ。貧困対策に使え、と言いたい。
 このあたりの金銭感覚がしっかりしているならば、「おわび」みたいな損なことはしない。

 「おわび」しろ、と声を大にして、首相に強制する左派メディアは、とんでもなく浅はかである。左翼はこう考えている。中韓に操られているのだろう。「向こうがお金をほしがっているから、ここは我々左翼が頑張って、日本政府に圧力かけてやる。」 そんな心根が見え見えである。まるで、詐欺である。日本政府と日本国民を騙して、お金をとりあげる詐欺である。

 というわけで、借金大国の日本でも、政府は詐欺様の手口にひっかかるほど間抜けではないから、そこは言葉を選び、財布のひもを引き締めてゆくだろう。こういうことを書いていると、ヨーロッパで、アフリカ移民に対し国家の金、社会保障費を使いたくない、と考える人達の気持ちが、少し推測できる気分だ。大事な税金が、せっかく国立での損をなくした時に、さらなる何倍もとられるような事態にしたくないから。もったいないからな。

 「おわび」は不要。そこは死守しなくてはいけない。日本の社会保障費がかかっている。 

   本日の被害
  腰のあたりが痛む。またすぐに疲れるから、電波被害がある。
 
 以上

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市民が戦争に巻き込まれない時代 (悲惨な戦争は、本当の戦争ではない)

2015-08-08 21:06:49 | 社会思想の終焉

大阪は晴れ後、夕立。
 今日も夕立。うっかり、その激しい雷雨の中、多田から帰宅。短パンが濡れた。涼しいから、まぁいいや。

 悲惨な戦争は、本当の戦争ではない
 戦後70年。テレビから聞こえてくるのは、「戦争は悲惨」という言葉のみ。敗戦の空襲で日本は焼け野原。原爆も落とされた。実に凄惨な光景だ。

 しかし、哲学者になって考える。そもそも「戦争が悲惨である」ことは、本質的に正しいことなのだろうか?

 左派が「戦争は殺戮だから、破壊だから悲惨。」というのは特定のケースである。確かに、戦地は砲撃の飛び交う地で、その戦闘はすさまじい破壊を伴う。第二次大戦における日本はそうだった。だが、日清戦争や日露戦争というケースもある。

 日清戦争は、朝鮮半島と黄海と中国東部を戦場とする。中国も首都までは破壊されずに、1895年に下関条約を結ぶ。賠償金と台湾などを日本は確保した。この戦争では、中国の北洋艦隊を撃破して、日本の海軍力をみせつけた。この時は、多くの国土は日本と清國ともに守られた。戦争は外地での出来事だった。この戦争では、戦地は日本以外であり、そこで勝敗が決すると、講和した。

 日露戦争は、ロシアの南下、朝鮮半島進出を阻止するために、行われたものだ。ロシアが朝鮮半島を支配すると、次は日本を直接攻めこむことができるためだ。朝鮮半島を日本の防波堤にするための戦いだった。
 戦場は、朝鮮半島から黄海、満州、旅順、日本海あたりとなる。バルチック艦隊が敗北して、ロシアはポーツマス条約を結ぶ。旅順の攻防戦は、軍が愚かだとどんどん死者が増えることを感じさせた。戦地は確かに、破壊が行われたが、日本国土は安泰だった。

 このように戦争は、戦闘結果で、国土で戦いが始まらないうちに、片方が負け、講和するのが近代の戦争である。戦争の悲惨なのは、戦場のみである。国土まで悲惨だとすぐに思い込むのは、そんなケースは少ないから、間違いである。

 第二次大戦のように国土で戦うこと(本土決戦)は、よほど講和が下手な国がするものだ。敗勢が決定づいても、いまだに戦いを継続するような、そんな無能な政府首脳は、それまではいなかった、といえる。

 敗戦が濃厚になると、早期に講和するのが、主流。戦争=国土の破壊、お大勢の市民の市、都市や町の破壊→ 悲惨というのは、一般的なものとはいえない。むしろ、第二次大戦でのみ生じた特殊な例外ケースとえる。

 敗戦の講和を遅らせるという政府が愚かな事例以外にも、内戦(ベトナム、朝鮮戦争、シリア、ウクライナ)もそうなる。が、内戦は外国との戦争ではない。

 現代の戦争は、アメリカ、ドイツ、イタリア、イギリス、ロシアなど先進国は1945年以後もしている。が、彼らは国土が戦場になっていない。現代の戦争とはそういうものである。

 朝鮮戦争、ベトナム戦争、シリア内戦、ウクライナ内戦はどうか? これらは一国内で2つの勢力が戦う内戦である。日本が分裂したら、そうなるかもしれない。が、それは沖縄独立戦争の場合のみ、今は危険性はある。

 が、その他、フォークランド紛争なども諸島で決着した。イラクの戦争もアフガンも国がつぶれる戦争だった。これもまた西欧は自国に爆弾一つ落とされていない。

現代に、日本が参戦しても、日本が戦場となることはない。日本が空襲で都市爆撃を受けることはないだろう。唯一の例外は北朝鮮の核ミサイルが日本を襲うことだが。それはないのである。

現代では、戦争になっても、市民が巻き添えになることは、日本の場合は特にそれはないのである。日本は内戦のリスクが極めて低いためだ。沖縄独立戦争が始まっても、米軍がすぐに鎮圧するから、沖縄県内にとどまり、そこで武装蜂起した沖縄独立軍を粉砕するにとどまるだろう。

 では、なぜ第二次大戦では、日本が空襲にあい焼け野原となったか? 戦争は日本を焦土としたか? 日本は敗戦を沖縄や硫黄島の占領時など適切なタイミングでできなかったのか?

 一つは、陸軍が強情で愚かだったからだ。またメディアも戦争高揚で、日本はアメリカに連戦連勝していると国民に呼びかけた。それで、政府は敗戦へと進められなかった。

 が、負け時を間違えた最大の理由は、第二次大戦で航空戦に変わったからだ。海軍戦は、明治維新の頃から、外国の軍艦が大砲を日本近海で放ったから、要領はわかっていた。戦えば負ける。江戸が火の海になるからペリーとは戦わない、と江戸幕府は決めていた。江戸か日本近海に敵国の戦艦が現れた時に、その数日後には、江戸をやけ野原にされる前に、勝敗勝敗が決して、講和にした。それが戦争を負けと決断する状況である。

 艦隊戦では、そのように首都の目前に艦隊が現れる。大砲を撃てる距離に敵艦が侵入したら、敗北だった。その状況で講和しなくてはいけない。とそんな要領だった。国民もそれは納得した。

 おそらく帝国も本土決戦を考えた愚か者たちは、旧来の戦争の習慣で、アメリカ軍艦が江戸湾近傍に現れたら、少し抵抗して、彼らの砲撃で日本国内の砦が壊れ、東京湾に敵艦が入り込んだら、敗戦を国民に通知する予定だったのだろう。

 しかし、第二次大戦はもう航空戦の時代だった。日本上空の制空権が奪われた時点で、負けだった。つまり、グアム、サイパン、テニアンあたりにB29が大挙して現れた時だった。この後、小都市が爆撃にあう。それが、敗戦の決め時だったのである。

 この時点で、敗戦をしていれば、日本は本土空襲を受けることなく、原爆も落とされることもなく、そんなに民間人まで悲惨な目にあうこともなかったのである。賢明な帝国ならば、そうしていただろう。

 第二次大戦はしかし、それら本土が危機に陥る地点をとられても継続した。これが決定的な帝国の失敗である。それで、いつまでも敗けを認めないで粘る国のように、国土が爆撃され、ひどい目にあわされてしまった。

 というわけで、戦争は負け時を見極め、講和に持ち込む。それが通常の戦争である。そもそも、開戦理由は、アメリカからの石油輸入の停止である。それにより資源不足の窮地に追い込まれるよりも悪い状態へと日本を追い込むようなことは、戦中でも、選択肢にあってはならない。

 が、負けたから賠償金は払わなくてはならないだろう。本土は残るような形にして、負けさせるべきだった。それを、帝国は間違えて、いつまでも戦争を継続した。

 これは多くの戦争のうちでは、特殊なケースといえるだろう。日本においては一般的なものではない。日本は、第二次大戦までは負け時は知っていた。帝国は、航空戦という新しい戦争スタイルとルールに対応できなかったのである。

 よって、戦争は市民まで悲惨な状況に陥る、と考えるのは、第二次大戦はそうだったとしても、それは普遍的なものではない。現代では違う。戦場は日本からは遠くなる。

 戦闘は、両軍が衝突する地点だけで起きる。市民などは巻き添えは食わないものである。関ヶ原の戦いにしてもそうだった。そう考えるのが現代である。

 戦争は兵士だけの戦いである。市民の被害は避けるのが現在の戦争である。戦争すると市民が必ず死ぬと叫ぶのは、時代錯誤も甚だしいのである。世界各国が市民をできるだけ巻き込まれないようにしている努力すら、知らない者の言い草である。

  戦争は、このままでは国家が悲惨なことになる、と確実に予測できる重大危機時に、決断することだ。戦争を起こして、しない時に予想される状態よりも、した結果、より悲惨な状態に陥ってしまっては、もともこもない。

 戦争は、最悪を回避するために行われる。そして、負けてしまえば、その最悪を享受するはめに陥る。しかし、戦闘でそれ以上に不幸になってはいけないのである。

 戦争で、空襲を受けて、石油不足のエネルギー危機よりもひどい国土になった帝国は、よほど新しい航空戦に対応できなかった、といえる。グアムが占領され、制空権が奪われたことは、浦賀にペリーがくるのと同じ意味があった。その重大性に気づけなかったのが、愚かである。

 だから、第二次大戦は特殊なケースといえる。戦争は都市が破壊されて、悲惨とは一概にいえない。戦争は、戦闘地域だけで生じるからだ。市街戦などするのはかなり愚かな選択なのである。戦争は悲惨(市民の犠牲の上に成り立つ)と、一般的に言うのは、戦争に無知な者の考えである。

 
   本日の被害
  腰のあたりが痛む。またすぐに疲れるから、電波被害がある。朝、目に黒い線が一瞬見えた。
 
 以上

 

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日本国憲法は、仏教・キリスト教に劣る

2015-08-07 21:53:27 | 社会思想の終焉

大阪は曇り。やっと風呂のリフォームが完成。茶色から白くなった。2日ぶりに入れる。私は極貧が長いせいか、特に風呂に入れなくても、平気だった。それが新感覚。

 今日は変わった詩を一つ。日本国憲法を精神論にしてしまう。日本の安易な精神論を批判したもの。

 日本国憲法は、仏教・キリスト教に劣る
 なぜなら空虚である。
 心に日本国憲法を掲げても、キリスト教のように愛を行うわけでもなく、神によって満たされるわけでもなく、罪が消えるわけでもない。
 心に日本国憲法をもっても、仏教のように心が平安になるわけでもなく、苦しみが消えることもなく、悟ることもなく、叡智に満ちあふれることもない。
 心に日本国憲法があっても、裁判所と警察がなければ、犯罪はなくならず、平和はこない。
 民主主義は国事であって、私事でない。
 人権は国の約束であって、私の心は法律に縛られない。
 多数決は人数で選ぶ。私は善悪で選ぶ。
 三権分立は国の三機関であって、私の心は3つに分裂しない。
 日本国憲法に、心の理想はない。

   本日の被害
 トマトの苗は弱る。徒長苗。直し方がわからない。動物の他にも、人間という害虫がいるようだ。2日前には、アゲハの大きな幼虫が二匹も、わたしのレモンの木についていた。昨日まで小さいのすらいなかったレモンの木に。擬似腰痛はベランダの隙間をアルミシートで塞ぐと、だいぶなくなった。
 唇のできものが痛む。これも、注射による症状。

 ではでは

 

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「最後の証言記録 太平洋戦争」別冊宝島の感想、元共産党議員の新本について

2015-08-06 22:25:21 | 社会思想の終焉

大阪は暑い。夕立にあう。私は大店で雨宿りした。今夜は、30度ジャスト。涼しく感じられる。

 雑誌「世界」はあまり興味ないようで、アクセス数は減った。アカ話題ならアクセスは増加するのに。ここの多数の読者はこてこてのアカのようだ。

 「最後の証言記録 太平洋戦争」別冊宝島
 戦後70年ということで、戦争を見なおしている。が、戦争報道は、敗戦間近の日本の空襲に限られる。戦争末期の敗戦国の惨状は知る。しかし、彼ら被災者は戦争をしなかった国民が大半だ。国は戦争したが、市民生活をしており、それで戦争したとはいってよいのだろうか。被災者は、戦争の実態を聞きづてする。その話があればよいのだが、ほとんどそれもなく、空襲を逃げ惑ったという話ばかり。それだけで戦争の全体像は見えてこない。

 この本は、海軍兵、戦闘機乗り、整備士、参謀などがそれぞれの立場で戦争を語る。それで、戦争がどういうものだったか。本当に戦争した者達の証言から、それを具体的に知ることができる。

 なぜ戦争を始めるに至ったのか。その説明はない。そろそろ七十年も経過したのだから、当時の開戦までの様相をわかりやすくしたものが、出てきてよい頃だ。が、そういうものはいまだにお目にかかれていない。

 空襲被害者の逃げ惑うだけの体験よりは、戦争をわかりやすく理解できる。戦争を考える上でこの本は含蓄に富む。

 例えば、ミッドウェー海戦について、これは参謀の戦略ミス(飛行機に積む爆弾の取り替えさせていたら、アメリカの爆撃を受けたこと)が指摘されていた。

 また、真珠湾攻撃の後、間髪入れずに南仏に侵攻して、石油を奪ったとある。これは、日米開戦の理由が、物資の不足。特に石油の不足だったことから、この日本の方針は納得がゆく。ここをもっと国民は知らなくてはいけない。

 しかし、日本軍の作戦はそこまで。そうやって石油を確保したまで。それ以後がなかったように書かれている。アメリカが日本への石油の輸出停止を受けての開戦だから、それが主目的だ。そこまでの流れはこの本でないと、理解できない。つまり、日本の戦争の本質が、この手の本でないと理解できないのである。

 ただ、日本の戦争計画がそこまでだったとするのは、なんとなく、不十分な気はした。ともかく、当事の兵士の言葉を読み、戦争の前半戦を知ることが出来たのはよかった。

『日本共産党と中韓 〜左から右へ大転換してわかったこと〜』
筆坂秀世〜』(2015年6月8日、ワニブックス、ISBN 978-4-8470-6562-0)

 ついでにこれも立ち読みする。書店に積み重なっていた。彼が右になったとはとうてい言えない。彼はもっとたくさん党内のことを知っているだろう。それを暴露してほしいものだ。まだまだ彼は何も語っていない。日本共産党の問題点や弱点をいくつか突いていた。あまり覚えてない。

 
   本日の被害
 トマトの苗は弱る。徒長苗で、葉は次々と枯れる。擬似腰痛はまだ続く。ベランダの隙間30cmにアルミシート貼ると、痛みがかなり止まる。そのわずかな隙間から電波が侵入していたとわかる。そのすの隙間から室内に電波が入るには、南東方角から電波を飛ばさないといけない。そこに犯人が隠れているだろう。


 以上

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雑誌「世界8月号」(岩波書店)を批判

2015-08-05 21:59:19 | 社会思想の終焉

大阪は暑い。涼しい夕食を作ったのが午後8時。もう9時だ。

 雑誌「世界8月号」(岩波書店)の目指す「世界」とは
 『「違憲」安保法案を廃案に』とある。共産党がこれをぱくって、よく国会で言う。共産党のボスはこちらのようだ。
 「違憲」なら廃案。「合憲」なら成立という意味なのだろうか。この雑誌は、扇動とデマとプロバガンダばかりで、実のある話がない。

 この雑誌の扇動をすべて国がやると、どうなるか?
 1,安保は現状維持、もしくは自衛隊を違憲にして、日本は軍隊を放棄すると、中国が尖閣に突入。
 2,唯物史観を修正する正しい歴史教育を否定すると、自虐史観の蔓延。生徒は日本に誇りをもてなくなる。
 3, 道徳の否定は、学生と大人の規律低下で、自殺と卒業生の大人犯罪の増加。
 4, アベノミクス反対で円高推進、失業率は増加。電機など輸出産業の壊滅。そこの労連もリストラにより消える。平成不況の再来。
 5, 消費税の引き上げなしでは、社会補償費が払えない。借金で払うと、国債が増加する。と結局、高齢者の負担率をあげて対処する。社会保障の破綻へとカウントダウンが始まる。
 6,原発停止で、火力発電所の増加で、燃料代で四苦八苦。倒産しかけの企業も出る。
 7, 尖閣は主権を放棄して、日中台の共同統治。2対1でやがて、中国にもっていかれてしまう。
 8, 子供の貧困をなくすのは、生活保護の増大につながる。財政負担が増す。
 9, 外国人に参政権を与えると、日本国憲法違反と最高裁で法律は無効に。
 10, 沖縄の米軍基地をなくすと、中国が尖閣にさらに寄ってくる。
 11, 反米にして、親中に偏ると、そんな親中政治家は次々とスキャンダルで失脚する。日米関係が不安定になり、日本は孤立化する。

 このようにして、日本は全共闘の嫉妬と野蛮性の箱庭「世界」の戦略に従うと、左傾化する。財政破綻へとまっしぐら。年金も老後保障も何もかも失う道へと進む。日本の産業は円高により大打撃を食らう。原発停止で貿易は赤字転落。電気を使う会社はどんどん苦しくなる。大失業時代の再来だ。外国人が日本人の政権を操り始め、次々に特権を享受する。アジアに中国に近づく危険な共産シンパ国が一つ増えてしまう。極東が左派政権に支配された南米のように泥沼に。

 また日本文化と歴史をこきおろす教師が威張り、中国の反日教育のようなものが日本国内で公然と行われる。生徒の規律は失われ、いじめがより深刻化する。最後に、日米の同盟が失われ、日本は守られなくなる。すると、ロシアや中国が近よってきて、また第二次大戦以来、英米を敵に回す。日本企業が国内から海外に逃げてゆく。日本は、繁栄を失う。中国の後塵を拝する。日本は雑誌「世界」のように、独立性がなくなり、中国に経済も政治も指令を受ける立場に転落する。

 すなわち、日本が先進国から離れ、中露の仲間入り。二等国に落ちたことを意味する。そして、最後には中国の属国となる。
 つまり、日本を中国の配下にすることが「世界」のシナリオの結末である。それは平和への闘いとはとうてい呼べない。

 こんな薄汚い雑誌にひっかかるのは、いないと思うが。日本の左派メディアはこの程度の代物(中国が日本を撹乱するための宣伝センター)を権威と仰いでいるところが情けない。
 

  
   本日の被害
 トマトの苗は弱る。擬似腰痛はまだ続く。唇も何かできものがある。それは注射されるとできる代物らしい。唇の下にも同じように痛むできものがある。なかなかとれない。

 被害者のような方へ
 氏名と住所(市町村までは必須)のない方には、返事しません。アカは全員を監視しているため、匿名にしても無意味です。なお、私は西多田の連中がネット上で悪意なことをする犯人だと知っています。

 以上

 

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安倍首相の7割成就辞任は10-12月か?

2015-08-04 20:59:42 | 社会思想の終焉

大阪は猛暑。昼は大店の冷房を受けに行く。

 東京オリンピックをオールジャパンで?
  私は自由人。勝手に、オールジャパンと言われても、私が興味ないことに賛同しない。ましてや、やってはいけないことに反対する。日本はすぐ、個人主義をないがしろにして、同調圧力をかける。
 
 はっ? 大阪オリンピックを冷たく突き放した東京勢が、大阪の協力をほしいのか? 私は東京オリンピックに反対だ。協力はしない。東京五輪がつぶれると信じて疑わない。東京は2020年まで大地震が二度襲う。
 
 国立施設は、建設は遅らせてよかった。その立案プランができる来年の冬から春に、東京オリンピックは中止にするかどうかもめている頃だろうからだ。
 
 オリンピック施設は作らず、さっさと中止したほうが税金の無駄にならずにすむ。中止してしまえ。それが東京のためだ。建設中に、地震などきたら全部が無駄になるから。
 
 私は2020年、外国でオリンピックをすること。それについていろいろ協力はする。選手応援は特に。その一つとして、私は早くトルコに開催を譲ることを提案する。そうしないと、本当に2020年のオリンピックはなくなってしまう。
 
 安倍首相は年末の大地震をこなす?
 私は政治の予定をよく知らないから迷う。知っている者は興味ない話。が、地震予知はだいたいわかる。
 
 今後の予定。2015年12月に東京大地震がある。安倍内閣は、それまでに集団安保法制を成立させる。TPPはのらりくらりとやるから、来年以降に伸びる。
 
 党内で招く憲法学者を間違え、違憲と言わせた。反対派を強め、無理やり支持率を落とした感がある。私は安倍首相が東京大地震の指揮をとると思っていた。が、強運男が、まさかの失態。これは交代の始まりだと予感した。支持率をあげる方法がいくらでもあるが、世論は反対が強まる。支持率が下がり続ることから、彼が10-11月に退陣する可能性を考えた。

 7割成就の長期政権 
 安倍首相はアベノミクスで日本の景気を立て直した。そして、消費税を8%にあげた。アベノミクスは、5月の賃金アップで半年から1年遅れて成功させた。道徳教育を復権させた。彼は念願の集団安保法制の制定をも成立させるだろう。彼は消費増税と集団安保の改定など2政権がかりでやることを一期でやりとげた。彼にとってかなりの達成率である。これほど成し遂げた首相を私は今まで見たことがない。

 が、彼の専門である拉致問題は解決することもなく、やり残した。TPPは長くかかるから彼の期間で締結することはなく、今後の課題となった。農業改革、農協改革も道半ばである。

 しかし、アベノミクス、消費増税、集団安保改革と3つも大きなことを成し遂げ、政権としては御の字である。大統領制度ならば8年の任期もよくある。が、日本の首相は休暇がそんなにない。そろそろ体力の限界かもしれない。
 
 東京・東北大地震は私の予定では12月にくる。それは彼の専門でもなさそうだ。その指揮は体力勝負で、彼に酷だろう。集団安保を成立させたら、安倍首相も不満なく、辞められる。新たに首相が登用されるのではないか、と思い始めた。
 
 次は、若く力が余っている石破氏か、不遇の谷垣氏か? この二人と思うのだがさてさて。順当なら大切に温存されてきた石破氏が自民党総裁だ。

 ただ才能ある若手を、地震対策という本来の政治とは異なる災害対策で使うのは、もったいない。それで、不遇の野党時代に自民党を支えた谷垣氏に機会を与えるという思惑があるのかな、と考えた。
 
 私は世の流れからそう読んだ。
  
   本日の被害
 トマトの苗は弱る。擬似腰痛はまだ続く。電波があたるたびに痛む。

 

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アエラ 8月10日増大号の感想 リベラルとソーシァリストの対決

2015-08-03 20:56:05 | 社会思想の終焉

大阪は晴れ
 この猛暑で、私は冷房はしない。午後8時で室温が33.1度。電子時計に気温計もついていた。
 この暑さは、明らかに地球温暖化のせいだ。原発反対と、再生可能エネルギーもままならないうちに、原発を止めたのが原因の一つ。この猛暑で亡くなった人は、二酸化炭素を出すよう運動した反原発活動家と、CO2を大量に出し続けた者達(中国政府のこと)を恨むしかない。これは人災なのだから。

 とはいえ、イギリスの怪しげな予測、もうすぐ氷河期が来るというのが、曲者で、それがあたるなら我慢しておいたほうがよい。それが地球温暖化を正当化する石油会社や中国のキャンペーンの一環ならば、信じた者は暑くなっただけ損。

 アエラ 8月10日増大号の感想
 灰色のアエラを書店でみつけた。「佐藤優・特別編集長」とある。保守の彼を入れて、何を狙う? 立ち読みした。
 なんのことはない。「リベラル」特集だった。民主党応援歌である。戦後はリベラルの時代という。その実、アエラの「リベラル」とは左派のことだった。福島瑞穂や辻元清美、?尚中もその中に入った。がっくり。もう少し質のあることを書けないのか?

 保守とリベラルを対立させた図に、社会主義者が混じっているから、薄気味悪い意図を感じた。民主党左派や社民党は社会民主党、社会党であり、その実、社会主義者(ソーシャリスト)であり、リベラルではない。常識だろう。

 アエラはまだ民主党を持ち上げる作戦ができてない。今は共産党に票を奪われるから、共産党との差別化が欠かせない。当然、社民党との差別化も外せない。民主党と自民党の対立はもう構図としてある。昨今の課題は、残り票の奪い合い。それが民主党の生き残り、飛躍の模索だ。よって、共産を蹴落とすため、反共の項目をきっちりと、雜誌一冊に一つ、毎号に1記事はしっかりと、入れ込む。それが肝要である。

 今回は、共産主義をリベラルの外側に配置すべきであった。図は訂正しなくてはいけない。リベラルと保守の対立。その2つを自由主義者にまとめる。その外側に、社会主義者の項を加える。社民党や共産党のことだ。自由主義者と社会主義者を仕切る。その下に名前を入れる

 社会主義  (枠外)     /  自由主義
過激 - 緩い        / リベラル VS    保守
共産党 - 社民党・民主党左派 / 民主党  VS    自民党
志位 - 福島瑞穂、辻元清美 /  枝野、岡田 VS  安倍、管

 そして、解説を加える。過激な社会主義(ソシアリスト)は、全体主義・独裁体制を求め、個人の権利はないがしろにしがちで、暴力的な要素もあって、時代遅れの代物と、悪いイメージを付ける。

 二大政党制を再認識させたのが今回の意図だろう。が、それだけでは、不十分である。アエラもまだまだ民主党の事情がわかっていない。民主党は、社民党と同列にされては困るのである。

 「いまの空気は戦前と似ている」というのは真っ赤なウソ

 戦前は、メディアがどんどん戦争を煽った。世論が戦争へと駆り立てたのである。特に朝日新聞が率先していた。大衆の扇動を受けて、軍部が独走した。政治とメディアと国民が一体となって、愚衆政治が行われたのである。

 今は、まったく違う。政府と多くのメディアとは対立している。これは、戦前とは似てない。大衆は愚かである。60年安保に反対したことは、熟年や老人にとっては、全共闘時代の恥だ。が、またもやそれを繰り返す。しかし、政府は、そんなメディアの動きに同調してはいない。

 戦前は大衆と政府は日本国民一体となっていた。その大衆・国民、朝日新聞の意思を愚直に推進するのが軍部だった。現在は、政府と世論はてんでバラバラだ。これは、愚衆政治に陥ってないといえる。つまり、政府が大衆扇動に惑わされず、賢明に動く。

 戦前と現在は、似ても似つかない。戦前は米英から政府は離れた。そして、中国にのめりこんだ。これが決定的な外交の失敗だった。今は、米英とさらに近づこうとしている。中国と距離をおいた。これは、日本が世界により受け入れられることにつながり、平和をより確かなものにしている。世論と政府の関係でも、外交面でも、戦前とまったく似ていない。

 左派系メディアが作り出す世論は、政府と反対を唱える。ただそれだけ。最近、理由なくただただ反対する存在になりつつある。それが、顕著になった。なぜだろう?

 中国の画策だろう。反対したら、何か利得がなくてはならない。が、日本人のたいていは反対しても何も得るものがない。太陽光発電利権くらいだった。だが、中国だけには有利な話だ。日本の軍備が下がると、中国は日本に侵攻しやすくなる。中国が左派の扇動の背後にいると、推測できる。

 そんなことを感じた。
 佐藤優氏は、そろそろ日本の左派に飽きてきたのではないだろうか。日本の左派は底が浅いからだ。彼はロシアの共産党員相手に情報収集をしたから、彼の会話スタイルは左派に受けがいいだろう。

 ロシアは世界を操っているから、それはやりがいがあった。が、日本の左派は国内だけにしか通じないお粗末な論理。中北の影響を受けていること。それを分析すると、すぐに構図がわかってしまう。

 唯一、沖縄は本心が見えない。それで彼は深入りして調べているようだ。本心は小さいのである。だから、探したくなる。沖縄のメディアの表面的にあるものは、中国の扇動か、なら誰か。それとも沖縄ナショナリズムか? なら誰か、どこからくるか。それとも利権か? なら誰か、と探せる。

 しかし、沖縄の本心というのものは、パズルを解いたら、結構、日本の源流ほどに深くはなく、浅く、がっかりすると思う。扇動に弱い人間、文化、国家はギリシアのようにその時代の民衆の精神文化は中身が薄いのである。

 沖縄は合理的だが、日本ほどに豊かな文化的背景がみつけられない。沖縄は大阪人と似ているが、沖縄にゆくと違った論理を持つ。優れた見識がどこかにあるかも、と感じる。が、どうも精神的に深みがない、ことに気づく。沖縄は外面なので、外交面では対峙できても、内面を語ると精神文化が弱かったりする。その外面は、どこかからやってきた高い文化だと見抜けるはずだ。

 私が思うに、和歌山と似ている。和歌山県民はおとなしいが、中に入って観察すると、松下幸之助氏もそうだったように、人捌きがうまい。大量に人を扱うというノウハウが和歌山にある。これは名古屋、秀吉からくるのか、と想像をめぐらすが、どうも「大勢と対応する才能」は中国由来だろうから、鑑真など中国文化の影響ではないか、と結論づけられる。徳川の直轄だから、名古屋というのも捨てがたいのだが。

 沖縄にも、そういうのが入っているはずである。僧侶か中国の豪商を調べてゆくと、それがかの地の知性を覆っていることに気づくはずだ。私はそういうのを「黒い文化」と色で感じる。沖縄にもその色がある。黒い文化は新しいもので、古墳時代以後で、平安・鎌倉頃、遅くて江戸までである。

 そうやって、沖縄の核となる文化を見つけ出すのは、文化の精神を研究する上では楽しい作業ではある。それはけっして、琉球王朝のような近代の文化ではないだろう。道教の一派としてみるのもありえる。これを紐解いてゆくのは、面白い。すると、沖縄県民がかぶる「仮面」の謎が解ける。誰か、沖縄のために、解いてあげてはどうだろうか? すると、沖縄は自身をより良く知ることができる。本土の左翼に簡単に、揺れることはなくなる。

 全般的に日本の左派は、大学生くらいの知性で十分全体像が見える。彼もそろそろロシアから休暇で日本に戻りたいように、そろそろ保守の面々の中で、休みたい頃ではないだろうか。

 彼が日本の左派に入ることで、何が変わるのか。私はそれを見ている。AERAに入り、いくつか整ったようには思う。だが、一時的かもしれない。長く、持続する工夫も必要だ。自分の影響がすぐに消えてしまっては面白くないだろう?

 安倍首相の10-12月退陣説
 これは推測にもとづく。執筆中。12月の東京大地震は、体力勝負なので、新しい首相が現れるはずだ、という予測にもとづくものではなく。集団安保の成立で満願成就。そろそろ交代、という話。
  
   本日の被害

 腰痛ひどい。口元も外から刺されて、中が痛む。

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「戦争法案」は正しくは、「自衛戦争法案」だ

2015-08-01 21:51:09 | 社会思想の終焉

大阪は晴れ
  日差しが暑く、昼も暑く。帰宅してはふらふら。とてもじゃないが、偽腰痛もあり、執筆もできない。これはアカの人権弾圧の一つ。言論の自由を奪う行為である。特に、昨日は、文書作成中に、腰痛がきつくなるという明らかな嫌がらせをされた。
 
 というわけで、冷静に考えるには、体力が必要。夜になっても、回復してないから、軽くゆく。
 
  自衛戦争法案について
 
  左派マスコミは、集団安保法制を「戦争法案」と決め付け、レッテル貼り。その法案を通す安倍内閣は今にも戦争を始めるかのような口ぶりだ。
  しかし、日本ができるのは、三要件を満たす合憲活動のみ。侵略戦争は相変わらずできない。よって、今回の法改正が成立しても、戦争が勃発するわけではない。

 というわけで、戦争法案ではない。では何か? それは「自衛戦争法案」だ。中国や北朝鮮に国土が侵略されなければ、日本は戦争(自衛隊の実力行使)をしない、という。

 自衛権は「個別」から「集団の限定」に変わった。それも加えると、「限定的集団自衛戦争法案」とややこしい。物事は正確かつ、正しく言わなくてはいけないから、この言い方を定着させよう。

 この法案は自衛だから、憲法9条を満たし、合憲。憲法にもとづいて政府は政策を実行するから、「自衛戦争法案」は、とどのつまり、立憲主義を支える大事な柱の一つ。
 
  戦争といえば、侵略戦争や第二次大戦しか思いつかない人は、世界や視野が狭い。今回の改定は、自衛戦争の発展なのである。中国に攻められたら、守る。自衛の基本はそれである。
 
 

 一方で予測しろと言いながら、他方で予測(シナリオ)を立ててもいけない、と矛盾する連中
 
  原発で大津波を予測しなかったのは、東電の失態だ。予測しろ、平時に備えをしろ、と書き立てる毎日新聞。と思えば、毎日新聞のテレビ局、ニュース23では、昨夜、こんなニュースを入れた。政府内部資料で、集団安保に加わるシナリオを考えていたではないか、という共産党の国会での追求を放送した。この内部資料の入手は合法かどうかは明らかにしてほしい。秘密保護法違反かもしれないし。
 
  東電はもちろんのこと、政府は未来のことを予測しなくてはならない。それを内部で考えるのは非常によいことだ。大津波が起きてからでは遅い。中国が尖閣を実力支配してからでは遅い。日本が将来、集団的自衛権に加わることも、万が一の想定の一つとして、必要だ。集団的自衛権に加わることを想定することも、加わらない時を予測することも、何ら非はない。

 左派左翼は、例えば共産党だけではないが、一方で津波を予測しなかった東電を攻め立てる。自然災害を東電、もしくは政府は予測しろ、と声を張り上げる。が、他方では、集団安保に加盟する将来を予測して、対策を練るのはいけない、という。こういう二枚舌、筋が通らない矛盾したことを顔から汗を出しながら言うのは、頭がほてり過ぎではないか、共産党。
 
 しかし、政府は予測しても、こんな妥当な未来を予測する気もない野党のあまりの体たらく。今まで米国の傘がずっと疑いもなく、永遠に続くかのように思い込む間抜けな野党。その追求はともかく、政府はもっともっと奥深い核心に迫る予測をする。

 共産党が兵器を使って、内乱を行うという非常事態の予測だ。政府、警察、自衛隊がそれを鎮圧するシナリオも作っていることは当然だ。それを察知するために公安調査庁が共産党などを監視している。警察はそれらをもっているはずだが、どうして外に出てこないのだろうか。共産党の地下犯罪が拡大した時に、政府はいかに日共を解散するか、という100のシナリオは参考のため、私は読みたいのだが。
 
   本日の被害
 トマトの苗は日に日に弱る。徒長苗も最たるものだ。これは土が悪い、としか言いようがないのだが、冷静な考えれば、除草剤を葉にまかれていて弱る。擬似腰痛は、防御器具で半減したが、ひどいまま。

 

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憲法の教科書二冊に、自衛隊は違憲、という説明が・・・

2015-07-31 23:47:33 | 社会思想の終焉

大阪は晴れ
  擬似腰痛は、防御器具で半減したが、いまだひどいまま。暑くて、午前中に外出。ただ暑いうちに帰ってくるため、疲れる。調べたことは多くても、書く時間がない。
 
  憲法学の日本憲法の平和主義の解説に間違いが
 
 憲法学の本を4冊ほど読む。最初の二冊は、自衛隊が合憲だった。が、残り二冊は、自衛隊が違憲という。政府の解釈すら、きっちり説明できてない代物が半分も。こんなので法学部は、大丈夫か?
 
  詳しく説明する。憲法9条は、
 
  「第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
  第2項 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」
 
  とある。「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使」は、侵略戦争のみをさす。これが当時の法律用語というのが政府解釈や芦部説。限定なんとか説という。この説では、自衛戦争は認められる。これを自衛権と呼ぶ。

 それは、すべての戦争を禁じるものだというのが、全体なんとか説。この説では、自衛隊も違憲となる。このくらいは憲法学にはもれなく書いてあった。

 問題は2項。「前項の目的を達するため」に、戦力は持たないとあるが、これは、限定説と全体説の2つに法律解釈がわかれる。

 法律の解釈は、国語と同じである。「前項の目的を達するため」は、1,「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。」のみにかかる、というのは一部左翼学者の見解。2,「国の交戦権は、これを認めない。」までかかるというのが、芦部氏などの見解である。

 戦力の保持

 自衛戦争は許されるから、自衛のための戦力は保持できるというのが限定説。自衛戦争も許されないから、すべての戦力は保持できない、というのが全体説。ここまでもどの憲法学の本にも、説明はあった。その次である。全体説は、常に自衛隊も違憲である。

 交戦権

 「前項の目的を達するため」が「国の交戦権は、これを認めない。」にかかる(限定説)と解釈する人と、かからない(全体説)と解釈する人にわかれる。が、なんと二冊の憲法学の本では、全体説しか解説がなく、すべての交戦権は認められない、とする。説明が一つ足りない。

 私は読んで、ここで左翼論法の出現に、驚いた。教科書を使って、頭のできのよくない司法学生を騙して、洗脳しようとしているな、と。
 
  憲法を書いた芦部氏の憲法学の教本では、ここも限定説と全体説を分けて、説明していた。つまり、彼は、自衛戦争の交戦権も当然認められる、合憲だという。
  
  頭のよい法学部の学生は、おかしいと思ったら、いろいろ本をあたるから、いずれ正解にたどりつく。もしくは他の法律の科目で、このあたりを聞かされるかもしれない。

 憲法学の本にも、左翼に都合よく書かれたものが、一部存在する。という話である。
   
    なお、交戦権はすべての戦争で認めない、と説明するところには、なんと政府の解釈まで添えられていて、それしか説がないような体裁にしている。このあたりのごまかしは、保守ならすぐにピントくる。自衛隊が違憲としか説明しない憲法学の本は、教科書としておかしいのではないか、と。
 
  政府の解釈では、1999年に秋山收内閣法制局第一部長が、
  「自衛戦争の際の交戦権というのも、自衛戦争におけるこのような意味の交戦権というふうに考えています。このような交戦権は、憲法九条二項で認めないものと書かれているところでございます。」Wiki
  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%9B%BD%E6%86%B2%E6%B3%95%E7%AC%AC9%E6%9D%A1 より。
 
  と自衛のための交戦権をこの年に否定した。左翼は、自衛隊鬼の首をとったかのように、交戦権は認められないから、交戦した途端に違憲となる。自衛隊は無用の長物みたいなもので、みたいなことを長々と説明する。

 が、同時にこの答弁で
 「一方、自衛行動と申しますのは、我が国が憲法九条のもとで許容される自衛権の行使として行う武力の行使をその内容とするものでございまして、これは外国からの急迫不正の武力攻撃に対して、ほかに有効、適切な手段がない場合に、これを排除するために必要最小限の範囲内で行われる実力行使でございます」

 自衛隊の実力行使は認めている、とも言ったので、 武力攻撃に対する実力行使とは自衛戦争を意味するから、自衛の交戦権は認めている。自衛の交戦権は否定しつつ、政府は自衛戦争(自衛の交戦権)は認めている。矛盾する答弁となっている。

 で、憲法学でも、自衛の交戦権は否定しつつ、自衛戦争は認めているからして、憲法学の本は、そういう矛盾をつかなくてはいけない。否定しつつ、肯定している、と。つまり、どちらもあり。自衛のための交戦権を否定しているという一面的な見方は、政府の解釈ではない、と。

 どこも、そういう正確に書いてなかったのが、問題だと思う。


で、2014年に内閣の閣議決定で、新しい解釈が示されたところだ。それは2015年度の新しい憲法の教科書になるから、図書館にみつからなく、まだ調べてない。
 
  若干ややこしいが、憲法学の教科書に、自衛隊を憲法違反とするものが少なからずあった、という事実をここに報告する。
 
  またこんな一面的な憲法本を学ぶ学生が司法試験や国家公務員試験には通れるとは思えない。また交戦権とは、日本国内のみの法律用語で、海外では通用しないものののようなので、政府はいい加減に答えても、海外では意味をなさない、と考えた節もあるのではないか、と思った。
   
   本日の被害
 トマトの苗は日に日に弱る。徒長苗どころではない。擬似腰痛は、防御器具で半減したが、いまだひどいまま。腰痛は、防御新しい防御グッズ、ゴム板磁石を患部にはりつけて緩和している。ゴム板磁石は、腰の痛みのある地点にまいた。すると、電波をさえぎり、少し変換したようで、苦痛は半分に。

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アンゴラでかけつけ警護

2015-07-29 22:53:27 | 社会思想の終焉

こんばんは

 今日は晴れた。

 アンゴラでかけつけ警護を計画している、という話。安倍政権は、こきみよく、物事を進展させてくれる。停滞しない、安保とはこういうことだろう。そこは素晴らしい。

 本日の被害

 腰が痛む。窓からの電波侵入を防ぐために、アルミホイルシーとをつけると、腰の痛みは止まった。電波による作用は明白だった。強烈な電波を送ってきた犯人は、どうやら、南側の家である。そこの家は、使ってないと早とちりしていた。

 

 

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9条で自衛隊が合憲になる論理 9条にまつわる考えに反論

2015-07-28 23:52:44 | 社会思想の終焉

大阪は曇り
 
  だんだんと暑くなってきた。曇っていたとはいえ。
  ここずっと、憲法論だ。私は精神論は専門なので得意。憲法における理論も、それなりにわかる。法学部ほど正確ではないとしても、新聞紙面よりは、正しい見解だろう。
 
  昨日は調べてみると、9条を世界遺産に、と叫ぶ人があまりに無知なのに驚いた。無形物の登録は、世界遺産にないよ。無理だよ。なんで、そんな簡単なことも9条原理主義者は、自ら否定しないかな。嘘をついて、間違った期待を抱かせても、運動が広がれば、話題になればよい、と彼らは思っているのだろうか。
  基本的に、原理主義者は原則に忠実なのだけども、そんなことはかまわないようだ。安保反対の方便としての9条なのかな。
 
  自衛隊が合憲である論理
  憲法9条は、単純に解釈すると、あらゆる武力の保持が禁止されるように思える。だが、実際には、自衛隊は9条は合憲である。9条は自衛隊を許容するからだ。それが政府見解であり、最高裁判所の判断であり、日本で通る最も有力な説である。
  では、なぜ、憲法9条で自衛隊が認められるのか? そこから説明しよう。憲法学の教科書にどこにでも書いてある話である。
 
 9条の1項に、
 「正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇または武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」
 
 解説
  「国際紛争を解決する手段としては」は、「国家の政策としての手段としての戦争」で、侵略戦争をさす。よって、「自衛戦争は放棄していない」、と言うのがよく書かれている。この9条を書いた法学者の芦部説という。
 
  9条の2項に、
  「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権はこれを認めない。」
 
 解説
  1項で侵略戦争は放棄する。その目的のための軍事力は持たない。侵略戦争も認めない、と考えられる。が、侵略戦争でないための戦力については、何も規定がないため、それは保持できる。つまり、自衛戦争のための戦力と交戦は認めることができる。なお、この第二項はGHQの了承も得ている。
 
  細かい説はいろいろあるようだが、およそ上のように解釈するのが、当初の作成者の意図でもあり、よいと思える。政府解釈は、若干複雑なのだが・・・
 
 9条にまつわる幼稚な考え集
  「憲法9条はすべての戦争を否定している。」
  憲法用語は、わかりにくいからこんな誤解が生じている。「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇または武力の行使」これは、単純に、侵略戦争のみをさす、と考えてよい。当時のわかりにくい法律用語らしい。一部憲法学者は、その意味を正確に知らないようで、「すべての戦争」と早とちりしている。憲法9条が否定しているのは、侵略戦争のみである。
  日本政府は基本的に、そういう立場である。よって自衛隊もある。通説はいろいろあるとしても、日本国内で通るのは、政府見解とそれに近い芦部説である。最高裁では必ず、憲法9条はすべての戦争を否定してはいない、と結論が出る。最高裁の判決が社会の慣習となるから、それは認めなくてはいけない。
 
  「武力をもたなければ、軍事侵略されない」
  いつからそんな無防備でも大丈夫という安易な考えが広まったのか。冬山登山ではしっかりと装備しなければ、とうてい寒さに耐えられない。世界の冷酷な共産国からの侵略は日々、脅威となっている。そして、彼らは武力のない所を狙って、着々と侵略する。まずは軍が極度に弱いブータンは北部国境が侵略されている。尖閣諸島付近にも中国の基地が出来た。そこにも日本の自衛隊は強く取り締まってなかった。武力がない所、侵略される。これが世界の常識である。
  非武装は、共産にとっては侵略対象なのである。
 
  「9条を守っていれば戦争は起きない」
  自衛隊も持たなかった1945-50年ほどに、朝鮮半島で戦争は起きた。南朝鮮が奪われたら、次は対馬が危うかった。現在も、そういう日本政府は9条を守っているが、北方四島は戦争で奪われたまま戻っていない。9条は守っていても、世界は危険なのだ。戦争が起きないのは、日本の後ろにつよーい米国が、敵国を威嚇したからだ。9条のおかげではない。9条は周辺の中国、北朝鮮の侵略をずっと誘発してきたことを知らなくてはいけない。拉致しても、海洋上で軍事的に捕まらないと思われたために、平気でなされた。9条を守っても、戦争はいつ起きてもおかしくはなかった。
 
  「9条は虫も殺さない仏教の不殺生戒に通じる」
  一部、仏教徒はゴキブリも殺さない。反対に、共産国はブルジョワジーを殺戮する。9条信者の中には戦わないで、殺されることを選ぶ、といきがる人もいる。彼らは平気でやぶ蚊を叩きつぶす。共産闘争をしている人は、歴史的に人殺しのグループであり、精神論では9条の非暴力の対極にいる。が、なぜか、9条を広める連中と共産関係者が一緒にいる。不気味である。口先と行動は違う。が、これが9条の現実である。
  9条はアメリカ人が与えた制裁である。また西洋の法律からくるもので、仏教とは根本的に異なる。

 9条は戦わずして占領される、という滅びやすい国家にする規定である。それは、知恵を使い、賢く生きること、永遠の仏国土を願う仏教とは、反対の愚かな国防策である。9条は戦わないのみ。仏教は、個人個人が、そんな菩薩行をして、自らの平安を目指す。9条主義者は、個人の人格向上など眼中にない。両者はみてくれは似ているかもしれないが、相容れない。
 
  「9条は非武装中立を目指す」
  誰が言い始めたのか知らないが、非武装まで9条の意味することだが、「中立」は9条には書かれてない。中立とは、どこの国とも安全保障を結ばないことで、国際的に孤立のことである。孤立は、よくない。
 
  日本が第二次大戦に突入した経緯を思い起こす。満州事変で、英国のリットン調査団の報告に反発して、国連を脱退した。さらに、英米の経済封鎖など敵視政策を受けて、ますます孤立した。そして、ドイツと同盟を結ばざるを得なくなり、ついに戦争に突入した。孤立化すると、果ては悪しき国と連携して、自国を守るという最悪の選択を迫られる。
  日本は、自由主義国の間で、アメリカなどとよき関係を築いている。国連でも重要な支援者である。西側諸国との国際関係を軍事同盟などによっても、深めている。それが日本の平和と安定につながっている。
 
  「中立」といえば、聞こえはよいかもしれない。それは、米国との同盟を破棄することで、自由主義国からは一歩遠ざかることだ。それは孤立への筋道だ。西側と遠ざかると、東側陣営が脅威となる。それを防ぐために、中国やロシア、北などに近づき、怪しい国際関係を築くことになる。そうなると、欧米諸国にとっては敵対国の一員となるからして、中立どころではなくなる。
  中立とは、孤立である。日本は孤立化させてはいけない。中立は、世界で二番目に危険な中国の隣国としては、危険なスタイルである。
 
 以上、9条にまつわる怪しげな発想に反論した。専門家はもっと上手に、適切に言葉を選んでしてほしい。
 
 9条みたいな非防備というふぬけの規則は危険な思想、と11-12歳で学んだ時に私はすぐ見抜いた。非武装はおかしな方法論だ。理想でもなんでもない。米軍が、日本の軍事力を恐れて、取り上げたという法律だ。豊臣の刀狩りの一種だろう。やりすぎだろう。憲法だからとなんでも、最高のものと思い込むのは、騙されている、と思った。

 憲法は日本最高の法規かもしれないが、アメリカに従属せざるを得ないような奴隷の規則が入り込んでいる。独立した民主主義国家がもつべき、最高の精神論ではないものは多々ある。法律を精神論にしてはいけないのは、イエス・キリストが律法主義者を批判した時にはじまる。精神と法は別なのである。仏教しかり。
 
  そんなことも大人になってわからないのは、私からすれば、小学生高学年にわからなくてはいけないことも、理解できてないことになる。そんなのが何か大勢で叫んでも、頭の悪い子供のようにしか見えない。
 
     本日の被害

 トマトの苗は3株ほど少しずつ弱くなる。成長があまりにも悪い。薬品をつけられて、成長が鈍化しているのは明らか。日向に置いているが、徒長苗のようになっている。葉が変に緑濃くなっている。

また腰痛もある。これは電波があたると痛む。電波が止まると痛みもおさまる。一日中の痛む。座るのも苦労するほど。

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憲法9条はけっして世界遺産登録されない理由

2015-07-27 20:56:10 | 社会思想の終焉

 大阪は曇り
 
  結局、降らなかった。私は、法学部出ではないけれども、調べて書いている。偏向な見地とそれを支えるわずかな根拠にもとづいて、物事を言う左派よりは、私のほうが質がよいだろう。腰痛がひどいため、文章もよく書けてなくて、書き間違いが増えている。
 
  昨日、「憲法9条をもつ日本国民にノーベル平和賞を」という空想平和主義に反論した。ノーベル賞は基本的に、発明者にしか与えないから、もらうのは憲法を起草した米国国務省。平和活動をするのは、戦後、自衛隊を作り、ソ連の侵攻に備えて、極東アジアの安定という平和に寄与したから、受け取るのは日本政府だろう。だが、9条は足かせ(世界平和の障害)にしかなってない。
  本日は、「憲法9条を世界遺産登録を」というものに反論。
 
  「憲法9条を世界遺産登録する」に反論
 最近、メディアでよく聞かされる言葉だ。左派の主張によると、憲法9条の平和主義は、侵略戦争の放棄と武力保持の禁止の2つの条項をもつ。それは極めて特異である。世界的に珍しいものであるから、世界遺産にしよう、というもの。さて、こんなチンケな提案は聞いたことがない。9条は世界の負の遺産ではないのだろうか?
 
  世界遺産とは
  人類が未来に残したい自然や文化物などだ。ユネスコによると、それは文化遺産と自然遺産と複合遺産がある。そして、必ず「有形の不動産」でなければならない。

 「世界遺産には3つの種類があり、有形の不動産が対象です。」
 http://www.unesco.or.jp/isan/about/ より
 
 憲法9条は条文で無形なので、不動産ではないから、登録の基準を満たさない。よって、けっして世界遺産にならない。候補にすらなれない。憲法9条は、世界遺産にはなれない。( http://www.unesco.or.jp/isan/decides/) より
 
  はい、証明終わり。論証はこれでおしまいだ。世界遺産について、こんな初歩的なことも知らない人物たちが、「9条を世界遺産に」と騒いでるのは情けない。世界遺産の条件を満たさないと知ってて騒ぐなら、なお質が悪い。が、「9条」への過大な期待はこれだけでは消せないから、今少し説明する。
 
  今年登録された「明治日本の産業革命遺産-製鉄・鉄鋼、造船、石炭産業」は、韓国ともめたが、やっと登録できたいわくつきのもの。さらに日本国内でも評価の分かれ論争の激しいものは登録は難だ。日本国内の採決の段階で、却下される。なにしろ申請を日本国内で受け付けるのは、文化庁(政府)だから。
 
 また、登録基準の他には「完全性」( 顕著な普遍的価値を構成する必要な要素がすべて含まれ、かつ保護制度が確立されていること)が求められるが、日本国憲法は、戦後の日本国の憲法として期間限定的であり、特殊であり、普遍性はない。また物件(不動産)でもない。憲法9条は審査すらされないで、却下される。憲法9条は、価値が低い。平和を実現するには、幼稚な発想なので、その考えは普遍性すら有しない。

 憲法9条の各問題点

 アメリカが作ったものだ
  まずは、それはアメリカ政府の作品である。アメリカ政府が作ったものが、使っているうちに日本製になることはない。独立後にも日本憲法であり続けたから、日本のものという論議は間違いだ。日本人としてはなじまない。それは製造の出所を偽る。

 軍事的に日本を占領した国が、吉田内閣という傀儡政権を作り(占領期に作られた政府は傀儡と呼ぶことができる)、それに憲法を強制した。占領国が行ったから軍事的な強制で、制定させた代物。軍事力の威嚇によって作られた平和主義は、それ自体が矛盾する代物なのである。アメリカの軍事力で、日本の軍事力を追放した。そういう制裁的なものが果たして平和の体裁をしても平和の産物か、平和をもたらすかは疑問である。傀儡政権の憲法は、独立した時に払拭しなくてはいけなかった。
 
  アメリカの強圧によって作られた法律である
  これは、アメリカの統治期間に、傀儡政権が作った憲法である。いってみれば不平等条約みたいなものである。日本の尊厳や日本の自主独立を極めて侵害した代物であるから。不平等条約を変えることに捧げた小村寿太郎は、アメリカが押し付けた日本国憲法をいまだに変えられない日本に、どんな感慨をもつであろうか。北への制裁を、北は理想的なものと言うだろうか?
 
  平和条項としてはごくごくありふれている
  9条の侵略戦争の放棄は、多数の国がもつ。また武力の放棄は、有名無実化している。実際の平和を保つには無力なものと1950年には判明して、政府自体は警察や軍を持つに至っている。政府も9条は非常に平和の障害になると解釈してきた。世界の憲法の中で、平和主義をもつのは8割近くある。日本のそれは、特に目立つものではない。
 
  世界遺産は不動産に与えられ、無形物は論外だ
  まず世界遺産に特定の問題多き思想はふさわしくない。しかも制定後、実質武力の放棄は5年ほどで、有名無実化した。これほど陳腐な理想(実際は、アメリカが武力をとりあげた制裁条項だが)はない。アメリカのジェファーソンが起草したアメリカ憲法の原文は、それはアメリカの遺産とはなっている。が、日本の場合、9条の最初の記念すべき文書にあたるのは、GHQの誰かさんが書いたメモか、発布された時に書かれた紙になるのだろう。が、それを日本が重文・国宝級に大切に保存したら、独立国として恥ずかしいことこの上ない。
 
  結論
  憲法9条は、世界遺産に登録する価値もない。ユネスコは審査すら受け付けない。日本国内の審査で落ちる。それは不動産という世界遺産の登録条件を満たさないからだ。
  ただ、憲法9条は負の遺産としては残るかもしれない。歴史書に。ベルリンの壁は、ドイツ人に壊されて、やっと世界に注目され、観光地、ドイツの遺産になった。日本国憲法も、それが改憲によって打ち壊されたら、それは歴史書に、「アメリカが長く日本に課した制裁」であり、日本をアメリカに従属させ、アメリカの傘の下に押しとどめた日本にとって負の憲法条文として、記録されるだろう。
  
   本日の被害

 トマトは少しずつ弱まる。本日は、腰痛のが激しく、座ってから歩けないほど。筋肉痛のように、ひりひりして、疲労感がある。これは電波による症状。睡眠中に、腰に針刺しして、何か注入する。それによって、刺激が増大する。激痛の一日だった。

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平和条項をもつ憲法は世界中に150もある 日本だけが特別ではない

2015-07-25 22:33:12 | 社会思想の終焉

大阪は晴れ
 
    最近は、暑くなる昼前に外出する。夕方に帰ってくる。もっと遅く涼しくなってから帰宅するほうがよいのだが。
 
  図書館通い。今まで雜誌を立ち読みして、思いついたことをまとめていた。ゼロから書き上げたようなものが多い。今は、図書館でいろいろ学説や見解を集め、それを引用して、まとめる。かなり楽になった。 

 日本国憲法の平和主義は唯一ではない
  『世界地図でわかる日本国憲法』(西修、講談社)を読んだ。憲法本には二種類ある。日本国憲法の解説書。もう一つは憲法論。解説書はいくら読んでも、憲法とは何か、という根本的なことはみえてこない。条項の意味を知るのみ。この本は、世界中の憲法と比較して、日本国憲法の特色を明らかにしてくれる。一目でわかるように世界地図つきで。実にわかりやすい本である。

 護憲派は日本国憲法の平和主義は、世界で稀で貴重と訴える。が、それは嘘である。世界の憲法182のうち、なんらかの平和条項をもつのは150個。実に82%もの憲法に平和主義がある。日本国憲法は特別ではない。

 最も古いのは1791年のフランスの憲法で、征服戦争の禁止があった。そこに始まる。

 あの周辺国を侵略する中華人民共和国には前文に平和条項はある。
 「主権と領土保全の相互尊重、相互不可侵、内政不干渉、平等互恵、および平和共存の五原則」を堅持する。中国は尖閣で、日本の領土と主権を尊重もせず、侵害する。日本へは靖国など内政干渉も過ぎる。ただ、平和とはいえないが、戦略的互恵関係のみは日本と一致しているようだ。中国は前文を人知主義だから守らないのか。それとも憲法よりも共産党が上に立つから守られないのか。中国は、尖閣も日本も、かの国の領土とみているから、尊重すべき国家ではないのかもしれない。

 そもそも、中国には前文には、中国人民は社会主義制度を敵視し、破壊する国内外の敵対分子に対する闘争を継続する、とある。台湾は領土の一部ともある。そのようにかの国の大原則は、世界闘争である。平和5原則は価値が低いようである。

 共産国では、ハンガリーも「国際紛争を解決する手段としての戦争の放棄」を明確にする。

 フィリピンの平和主義は、日本と似ている。国策遂行のための戦争放棄がある。アメリカの傘下で、自ら戦わないでアメリカ軍に任せようという方針である。

 一時、軍をもたない国として話題になった平和非武装の国、南米コスタリカは、軍隊をもつことを禁止する。ただし、国防のために軍隊を組織することはできる。

 コスタリカに似た国にパナマがある。その国も軍隊をもたない。それは、軍隊があるとクーデターに使われるからだ。その危険性を排除するために、軍をもたないでいる。ノリエガ将軍など過去に物騒なのをやっと抑えられたからだ。アメリカに守られておくほうがよい、とアメリカの防衛を受け入れた国である。軍隊はすぐに乗っ取られやすいからで、平和主義のためではなく、治安上の選択である。

 日本国憲法の平和主義は、実はフィリピン、コスタリカ、パナマのそれと非常に似かよる。アメリカが憲法を押し付けたのかははっきりしないが、おおかたはアメリカ軍によって解放された国である。憲法の平和主義も、日本のようにアメリカの意向によって、付け加えられたのだろう。

 アメリカとしては、せっかく傘下におさめた国が軍事的に強くなり、アメリカとは違うグループに入っては困る。そのために、平和主義という名目で軍事力を抑制し、アメリカからけっして離反しない関係を構築する。平和主義は、その国際関係維持のための手段なのである。

 つまり、あまたの中で日本国憲法のそれは、アメリカ従属国型の平和主義である。明らかに共産国型ではない。なぜなら、日本の平和は、アメリカがいなくなればとたんに不安定になり、崩れてゆくという不完全なものだからだ。アメリカなしには成立しない平和主義なのである。

 日本の平和主義は、独立国として、平和を保つ必要十分条件をまったく満たしていない代物である。アメリカの保護国だけに、その平和をアメリカが約束する条項である。アメリカ依存型の平和主義とでもいおうか。

 このように世界中の憲法の平和主義を比較すると、日本はアメリカ保護下の国特有のものであることがわかった。アメリカは、唯一日本だけではなく、フィリピン、コスタリカ、パナマも守る。そして、類似の平和憲法をうまく入れ込んだ。

 日本国憲法の平和主義をノーベル平和賞にしよう、という運動はよって、アメリカ従属国型の平和条項に、ノーベル賞をあげよう、という活動となる。が、いくらそれが平和に貢献しても、悲しいかな、日本がそれをもらえことはできない。なぜなら、ノーベル賞は発見者、発明者、活動家にしか与えられないからだ。日本国憲法に平和条項を入れたのは、GHQの誰かさん。彼らが受け取ることになる。もしくは、それを挿入するよう命令した米国大統領ハリー・トルーマンか、マッカーサーである。

 確かに、アメリカの保護国に軍隊の独自行使を禁止したのは、アメリカ周辺で平和につながった。日本人はそのせいで、気概を失い、世界での地位を落とし、世界平和も自ら考えられなくなり、情けなくなったとしても・・・
 日本国の平和条項にノーベル賞を、という運動はもし実っても、アメリカ人の受賞者が一人増えるだけである。フィリピンもついでに、もらえるかもしれないし。しかし、それは実際は、平和主義ではノーベル賞はもらえない。日本の憲法だけが特別ではなく、平和主義はごくありふれたものだからだ。

   本日の被害

 トマトはさらに弱まる。あんなにいんげんがなった鉢なので、トマトは十分よく育つ。葉に何か薬品がかけられている。何もしないと、被害甚大。目は上のほうが刺された。

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アメリカの集団安保への見解を知る

2015-07-24 21:26:57 | 社会思想の終焉

大阪は晴れ
 
  川西の図書館で、各国の憲法前文を集めた本を読む。長々と建国の歴史を記すのもいる。憲法に理念を詰め込んでいるのもいる。憲法に書くと、学校で必ず教えるから、国民への浸透を狙ったのだろうか。
  よいこともある。社会主義国のうっとおしいマルクスやソ連礼賛が、冷戦後に憲法改正で消えていることだ。中国はいかに殺戮して戦争したかがあり、気が滅入る。
  アメリカやフランスは素っ気ない。何もないに等しい。イスラム諸国のは神の恩恵を記す。日本の憲法は、敗戦の感慨がありすぎる。そんな印象だった。
 
  集団安保について海外の報道
  朝日・毎日新聞、左派系テレビ局は、世界中から安保改定に批判的な論調ばかり集めてくる。なんか違和感が強い。日本の安保改革に最も関心が強いアメリカの動向が入ってこないからだ。メディアの情報統制を感じていた。
 
  そんな折、偶然、アメリカメディアの日本の安保観を知ることができた。
  あの古森義久氏の投稿である。「誰も言わない安保法制論議の致命的な欠陥」
 http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/44347


  これによると、「ウォール・ストリート・ジャーナル」は、集団安保に強い期待感があるという。「オバマ政権も日本の安保関連法案には大きな期待を寄せている。」。
  とある。彼はアベノミクスについてこれなかったが、限定集団安保には賛意を示しているようである。集団安保はアメリカの要請だから、アメリカの政権の意向を取り上げないで、日本国内で議論が成立しない、と彼はいう。

 現在は、左翼の論調は煮詰まっており、全共闘時代からまるでかわらない。国内の議論は、海外からは何を論争しているかすらわからない。ここは一度、海外の報道に触れて、視点を新たにして、参議院の討論に備えたらよいのではないだろうか。
  
 本日の被害
 朝から左目奥が痛む。音声送信では、「網膜を切った、重症」と言っている。 かなりひどいようだ。左目の奥が何か、固まっている感じがある。黒い線が見えてはいないが、かなり切られたようだ。見た目には、わからない。が、一日中、目の奥の圧迫感がとれない。これは深刻な症状である。

 川西の図書館で、腰痛。電波を飛ばしているのが館内にいる時の症状だった。いつも、そこはストーカーのたまり場だが。

 トマトが枯らされつつある。一枚、一枚、ゆっくりと葉がしおれてゆく。鉢を植え替えた途端にやられた。前、えんどう豆の一種がよく育った鉢を使っているから、けっして悪い場所ではない。症状を見るに、いつもの除草剤のようだ。私を守っている連中もアカの中に最近はいるようだから、その内ゲバが実行犯に対して、ひどくするのではないか。

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無抵抗な人々・非暴力主義者は、中国にひどい目にあう

2015-07-23 21:02:43 | 社会思想の終焉

 大阪は雨後くもり
 
  アメリカが憲法9条を日本に押し付けた。日本はいやいやながら、それを制定せざるを得なかった。それを理想と呼んだのは方便=嘘である。そんな戦後、洗脳教育にすっかり騙されて育って大人になって、今や老人。嘘から早く、目覚めよ。
 
  中国は無抵抗な国を侵略する
  今は、集団安保論争が華やか。個別自衛権だけで事足りる、と主張する左派。彼らの一部には、いまだにある幻想をもつ。「戦争放棄して、軍事力もなくしてしまえ。」という暴論と「無抵抗なら、侵略されても戦争にならない。侵略者もひどい統治はしないだろう。」というものだ。本当かどうか、現実を考えたい。

 不戦の誓いとは、自ら侵略はしません、という誓いである。が、何か考え違いをして、防衛戦争まで放棄するという、宣戦布告されたら無条件降伏するという情けないことを考えるのもいる。もし、そんな戦わずして負けたら、日本はどうなるか? その想定をしたい。
 
  日本の脅威といえば、実際に共産中国、ロシア、北朝鮮、ベトナムである。イランは世界にとって悪なる国だが、日本との関係はあまり悪くはなく、日本にとっての位置づけは小さい。

 この中で、中国は第二次大戦後も、様々な国や地域を侵略し続けてきた。その歴史をおさらいしよう。日本を最も侵略する可能性が高い国だ。現に、日本の石油・天然ガスを奪おうと尖閣に基地を作った。彼らはどんな侵攻を今後するだろうか? 過去のケースから考えてみたい。

 チベットのケース
 中国はチベットに1948-1951年に侵攻して、占領した。そして、歴史に残る大弾圧を繰り広げ、今に至る。チベット軍は兵器も少なく、難なく人民軍は制圧した。当初、人民軍は略奪や破壊はラサで行わずに進駐したが、その後、態度を豹変させて、協定を押し付け、支配した後は、寺院を破壊し、僧侶の多数を殺害した。
 チベットの例からすると、わずかな軍事的抵抗で侵攻された時、当初、中国はおとなしいが、チベットに過大な要求「十七箇条協定」を強要して、土地も建物も文化も人も奪い、完全に支配した。無抵抗でも、表面上戦いがないのは、占領後、ごく短期間のみだ。その後に中共政府は、軍事力を背後に、徹底的に破壊しつくす。それは戦争の惨禍の十倍、いや何十倍の規模となる。
 日本と同じ仏教国で、非暴力主義に染まりやすいチベットでの悲劇である。抵抗しなくても、中国は戦争(破壊)をやめはしない。彼らはそれを平定後に行う。

 ウィグルのケース
 ウィグルは元は東トルキスタンだった。1950年に中国共産党軍の侵攻により、抵抗はあったが、占領される。そして、その地域に新疆ウィグル自治区が作られた。ウィグルでは、強制中絶が行われ、過酷な拷問がなされる。この地域は、チベットのように情報が日本にあまり入ってこないが、チベット同様に人権弾圧が行われているだろう。抵抗が少なくても、中国に飲み込まれたら、民族浄化が行われるケースである。侵攻は、戦争の有無に関係なく、敗北したら進む。

 中国によるブータンの国境の侵攻
 中国の領土の収奪とは? 戦わないとどうなるか? ブータンでその結果をみることができる。中国とブータンは山岳部で国境を接する。そのうちブータンの国境は、国土の20%が中国に奪われた。中国は人民軍を少しずつ南下させて、ブータン領に入った。人民軍の戦車を走らせた。ヒマラヤなので国境線の警備があるわけではない。ブータンは人民軍に対抗できるほどの力もない。無抵抗ならば、領土がどんどん奪われた例である。

 東シナ海で中国の主張する領土はどんどん最近広がっている。反論しなければ、侵入された時に追い返さなければ、このように実効支配されてしまう。

 香港の雨傘革命
 これは記憶に新しい。香港は中国の支配下になった島だ。高度な自治が認められていた。が、しだいにそれは制限された。香港の代表を決める選挙で、北京の意に沿わない人物の立候補が出来なくなった。2014年に香港の学生は、それに危機感を募らせ、大規模デモを行った。中国に占領されたら、普通選挙もできなくなり、傀儡政権が誕生する。香港はイギリスから中国に返還された。抵抗なく、中国に取り込まれた地域だ。
 現代の中国が新しい地域を支配した時に、初期にはおとなしくても、しだいにどんな強圧的なことを始めるか、香港のケースは参考になる。

 天安門事件
 学生を戦車でひいた事件だ。政府に歯向かうと、戦車がやってきて、デモをした学生はつぶされ、どこかに連れ去られた。1989年、ほんのすこし前の中国の話だ。中国に取り込まれたら、しだいにデモも政府批判もできなくなることがみえてくる。

 政治収容所
 中国では、共産党を批判すると、逮捕される。思想犯や政治犯は収容所に送られる。これは、中国の統治が進むと、知識人が逮捕される。無抵抗で戦争しなくても、文化は建物は破壊され、最後には刑務所に送られる。これは中国の占領が完成された時に起きる。

 インターネットの監視
 中国国内では、「天安門」と検索しても、天安門事件は出てこない。またネットは常時監視されて、言論操作がなされる。これは中国人のアニメに詳しい。

 このように、中共は、無抵抗な国も、少し抵抗した国も、強く抵抗した国も差別なく、占領する。占領したら、穏健な統治からはじまり、しだいに圧力を高め、民主主義は消える。傀儡政権が誕生すると、あとは加速度的に、人権弾圧が進む。最終的には、政府に反対する者達は、デモをすると、収容所に送られる。やがては文化も根こそぎ破壊され、その民族の抹殺がはかられる。
 無抵抗だから、平和ということはない。それは国民の死の始まりである。

 中国の侵攻の順序
 1,領土、領海を軍事力で奪う
 日本の端のほうだから、ブータンの北部の山岳地帯だからといって、油断してはいけない。二度と戻ってこない。人も国家資産も奪われる。
 2,侵攻して、占領する
 しだいに国家中枢まで侵攻してくる。チベットや東トルキスタンでは、支配されて、隷属された。無抵抗なら、そこで戦争は起きないが、それが平和につながりはしない。
 3,穏健な対応
 チベットでも、共産軍は穏やかだった。が、しだいに本性をむき出しにした。
 4,自国の政府が制限される
 チベットでは17箇条が要求された。香港では、香港人の政治家がしだいに閉めだされた。
 5、傀儡政権の誕生
 この段階では、もう彼らの領土になったことを意味する。人権弾圧があからさまに始まる。中国では寺が焼かれ、僧侶が殺された。人権が認められないことになるだろう。言論の弾圧が始まる。ネットの監視が強まる。
 6,文化の根絶やし
 傀儡政権が誕生して、幾年かすると、政治犯や思想犯が入る収容所が作られる。文化も破壊される。町にあふれるのは希望ではなく、無力感と悲しみと中国軍人である。

 以上のように、無抵抗でも、戦争しても、共産国に侵略されたら、長期間かけて、徹底的に戦争以上の破壊がなされる。無抵抗とは、民族の死を選ぶ決断である。
  
 本日の被害
 あさに腹痛。夜には、腰痛む。激しく。これは電波にるよる症状である。
  

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