「子どもが欲しくないという気持ちがあるキミに、これからの時間を費やせない」
そう言って、付き合っていた彼にフラれたことがある。
当時27、28歳。中間管理職的な役割を担い始め、朝から晩まで営業職として働いていた。
これまでの人生で、「子どもが欲しい」と思えたことがなかった。
友人や知人に、子どもを持ちたいかを尋ねると、「欲しい!」もしくは「まぁ、いつかは・・・。」と返答をもらう。
私自身は「欲しい」という思いがベースにないからか、「いつかは・・・」という感覚さえ持てなかった。このもやっとした思いを「いつかは・・・」に訳しても良いほど、欲しいと思えないことは自覚していた。
「アタシなんてこれからって時に子どもが出来ちゃって~!」と笑い飛ばすタフな女性に遭遇すると、「ななななんで避妊しないの?!時期は調整出来るはずでは?!」とその思い切りの良い「ウッカリ」にひっくり返り、そんな「ゆるい許容範囲」を持てる彼女たちをうらやましく思った。ゆるい、許容範囲。
とは言うものの、「子どもは一生欲しくない」と言い切れるかというと、そう言い切ることも出来ない。
どうして子どもが欲しいと思えないのだろう、と何度も考えた。
小学生のころから演劇や舞台で活動し、「何者かになりたい願望」が人一倍強く、10年前、地方の片隅で芸能界に憧れていた中高校生時代。
「彼氏作ったら芸能活動は諦めなければならないのだ」と、頼まれもしないのに「モー娘。」(時代だな)よろしく「恋愛禁止」を自身に命じ、恋欲乱れ咲く低偏差値校で、意識高くひとり処女を貫いていた。
幼い頃、自分の人生を思うように生きられなかった母親がたまらずこぼした「子どもを産むんじゃなかった」というぼやきは、それ自体がショックというよりも、「自分の人生で実績を作らないまま子どもを産んでしまうと、後悔と手遅れ感で恐ろしいことになる」という強迫観念をより強いものにしただけだ。
「あなたくらいの年頃はみんなそう言うのよ。でもみんな早く産めばよかったって後悔している」
説教したいだけのおっさんのみならず、本当に心配をして経験談のシェアを厭わない諸先輩方にさえ口を揃えてこう言われると、「手遅れになるんじゃないか」「手遅れになりたくない」そんな気持ちだけがはやる。
ある大先輩からは「キャリア女性は勢いじゃないと結婚しないし、産まないから!とりあえず○出し!」と差し出された杯を、わたしはゴクンと一気に飲み干した(すみません、書きたかっただけです)。
冒頭の彼とのやり取りに話を戻す。
お前は結局どうしたいんだと問い詰められ、答えた。
「一生欲しくないと決まっているわけじゃないけど、欲しい・産みたいと言い切れない」
すると彼はこう続けた。
「それはいつ決まるの?何があったら決められるの?」
「・・・わからない。」
「逆算して設計すれば答えが出るんじゃないの?出ないってことは、やっぱり欲しくないんじゃないの?」
「・・・欲しくない。」
そう口に出すと、別れを切り出されることは明白だった。
そしてその後も予想できた。
別れた後で「あんなに言ってもらえたなら、彼の子どもを産んでも良かったんじゃないか」と後悔することを。
そしてそんな後悔は3か月も経てば薄れ、次の恋や仕事にまい進していることを。
しかしそうやって今後数年、恋と仕事を繰り返した挙句、「恋と結婚は別物」「仕事だけじゃ幸せになれない」と、これまでさんざん周囲が忠告してくれた通りの状況になったとき、わたしは今選択したことを、ひとり後悔するのではないだろうか。
そんなお約束のシュミレーションはドラマでも漫画でも出来る。
自分の人生にOKを出せたら、思えるのだろうか。
いったんここまでやれればOKだよと、決められる日が来るのだろうか。
ある程度の役職が付いたら?有名になれたら?
何が実現すればわたしは後ろ髪惹かれることなく、後悔や罪悪感を感じることなく「子どもが欲しい」と思えるのだろうか。純度100%そう思える人こそ、少ないのかもしれないけれど。
だけど一方でこんな気持ちがフツフツと湧き上がる。
いくらマイノリティだろうが、そのせいで好きな人から選ばれなかろうが、
「手遅れになりたくない。」
そんな気持ちで、ものごとを選択するようにいつからなってしまったんだろうか。ひとりモー娘。さながら、地方の片隅で奮闘していた10年前の処女はどう思うだろうか。
本来は、未婚だろうが既婚だろが、産もうが産むまいが、有名だろうが無名だろうが、自分自身の在り方に腹括りをし、受け容れることが大事だとわかっている。
そうしないとどんな選択をしても、一生無限ループの「タラレバ地獄」だって。
たくさんのものを失い、選び、逃しては得て、拾っては捨てる。
そうやって人は人生を作っていく。
ときめく部屋の片づけ本にも「選ぶことは捨てること」と書いてあった。
もっと言うと、「選ぶことイコール捨てること」にしかならないものなんて、所詮それまでなのかもしれない。必要不可欠なものが残るとしたら。
恋も、仕事も、人生も。
そんな啖呵はいくらでも切れるのに、いつまでも選択肢をあげつらって、そして捨てられずに選ばずに、急いている。
あれから10年経った東京の、片隅で。