08月10日 23時06分
太平洋戦争当時、陸軍省などが置かれていた防衛省の地下には今も巨大な地下ごうが残されていて、終戦から70年となるのを前に、10日、内部が報道陣に公開されました。
今の防衛省がある東京・市ヶ谷には、太平洋戦争当時、陸軍省や参謀本部が置かれ、その地下には、空襲などに備えるための巨大な地下ごうが建設されました。
地下には幅およそ4.5メートル、高さ4メートル、奥行き50メートルのトンネルが平行して3本掘られていて、これらを横につなぐ2本のトンネルもあります。
戦時中はトンネルを仕切って陸軍大臣の執務室などが設けられていたということで、今もその時の壁のあとが残っています。
地下ごうのコンクリートの厚さは、爆撃に耐えられるようおよそ4メートルあるとされ、15年前、防衛省の新しい庁舎を建設した際も、崩落の危険はないとして、埋め戻さずに残されたということです。
地上から、地下ごうの存在をうかがうことはほとんどできませんが、通気口を隠すために置かれた石灯籠が今もそのままになっています。
防衛省によりますと、70年前の10日、この地下ごうで、当時の阿南惟幾陸軍大臣が、ポツダム宣言への対応について将校に説明したという記録がありますが、地下ごうがどのように使われたのか、謎も多いということです。
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