川内原発再稼働:元原発技術者「安全なんてあり得ない」

毎日新聞 2015年08月11日 11時51分(最終更新 08月11日 15時12分)

イベントで川内原発の再稼働反対を訴える日下さん=鹿児島市中央町のJR鹿児島中央駅東口で2015年8月2日、杣谷健太撮影
イベントで川内原発の再稼働反対を訴える日下さん=鹿児島市中央町のJR鹿児島中央駅東口で2015年8月2日、杣谷健太撮影

 九州電力川内原発1号機(鹿児島県薩摩川内市)が11日、再稼働した。「事故が起こらないことはありえない」。福島原発事故後に仙台市から鹿児島県内に避難してきた日下(くさか)竜太さん(39)は、川内原発の再稼働に憤る。

 宮城県で生まれ、仙台市の東北学院大工学部を卒業した。2001年ごろ、技術者として横浜市内の大手原発メーカーで働き、使用済み核燃料再処理工場(青森県六ケ所村)の通水試験の手順書作りに携わった。当時、原発は「安全が確保されている」と思い、何ら抵抗もなかった。

 それから約10年後、東日本大震災を経験した。宮城県に戻り、名取市内の高校で事務のアルバイトをしていた。突然、経験したことのない揺れに襲われ、何が起きたのか分からなかった。学校も仙台市の自宅も津波の被害は受けなかったが、福島第1原発が水素爆発を起こしている様子をテレビで見て、衝撃が走った。「原発はいかさまだったんだ。何も知らず、お金のためだけに働いてしまった」。罪悪感を抱いた。

 放射性物質は宮城県にも降り注いだ。震災前から農業に関心を持ち、実家の休耕田を借りて米作りをしていたが、農作物の放射能汚染が不安になった。翌年、内部被ばくを逃れるため、知人のつてで宮崎県串間市に移り、2年前に自然環境が気に入って鹿児島県肝付(きもつき)町に引っ越した。清掃の仕事や農作業をしながら暮らしている。

 震災時に抱いた罪悪感から、鹿児島で再稼働反対の集会などに参加してきた。肝付町は川内原発から80キロ以上離れているが、福島の事故を目の当たりにした今、「甚大な被害を受ける」と不安でならない。

 原子力規制委員会は「絶対安全ということはない」としている。安全神話は崩壊したはずなのに、福島の事故が収束しないまま、政府は再び原発の安全性を強調している。一方、誰が再稼働の最終判断をしたのか責任の所在は不明確だ。日下さんは「安全なんてあり得ない。事故が起きれば土地は汚染され、二度と生活できなくなる」と納得できない。これからも脱原発を求めていくつもりだ。【杣谷健太】

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