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 太平洋戦争中の1944(昭和19)年4月~45年3月、大津市の瀬田国民学校(現・市立瀬田小学校)5年生の少女たちがつづった188日分の学級日誌が今月、本になった。日誌に描かれた絵と文章から、敗色漂う戦時下の少女の心の内が浮かび上がる。

 日誌は44年4月5日に始まった。当時のクラスは男女別で、女子クラスの五年智(ち)組を受け持った西川綾子先生が「子どもたちの表現力を伸ばしたい」と絵や作文が上手な7人に声をかけた。少女たちは放課後、その日の出来事を絵日誌にまとめた。

 「あすは天長節です 私たちは一しやうけんめいにけいこをしてゐた」。内田喜代子さん(82)は4月28日にあった昭和天皇の誕生日・天長節を祝う式典のリハーサルを描いた。「頭を動かさないように」と注意され、直立不動で歌った。「お国のために辛抱し、一生懸命に気張るという時代だった」と振り返る。

 読書と作文が好きな奥村早智子さん(81)は6月24日、花瓶に生けたユリの花を描いた。新聞には「鬼畜米英」など勇ましい言葉があふれていた。大人たちもそれを口にした。でも西川先生は違った。「貧しい人を助けましょう」「みんなと仲良くしましょう」。調子の違いに戸惑った。

 戦局の悪化とともに、日誌には戦争に絡む記述が増えていく。

 7月17日には出征兵士を乗せた列車に万歳する少女が描かれた。列車から何度も万歳を叫ぶ兵士たちに、農作業中の本郷豊子さん(82)も万歳で応じた。その光景が忘れられない。「あのとき兵隊さんはどんな気持ちだったのだろう」。今も気になる。