初音ミク生みの親が語る、定額ストリーミングの先にある世界~カギを握るのは「共感を呼ぶストーリー」だ【特集:音楽とITと私】
2015/08/11公開
『初音ミク』の生みの親として知られるクリプトン・フューチャー・メディアの伊藤博之氏
2007年8月にこの世に生み出された歌声合成ソフト『初音ミク』は、ツールやソフトウエアという枠組みを超えて、音楽の新しいあり方を示したとされる。ニコニコ動画などを舞台に、一般ユーザーが大量の楽曲を発表する原動力となった。
その初音ミク誕生から8年。音楽業界には、新たな潮流も起こっている。
海外でPandora、Spotifyといったベンチャーがけん引してきた定額配信ストリーミングサービスの流れは、LINE、サイバーエージェントという国内のビッグプレーヤー、さらにはAppleの参入により、国内でも大きなうねりを見せている。
音楽とそれを取り巻く人たちの生き方は今後、どのように変わっていくのか。初音ミクの“生みの親”であるクリプトン・フューチャー・メディア(以下、CFM)の伊藤博之氏に、音楽産業の今と未来について、話を聞いた。
YouTube以後に訪れた「つまみ食い」の時代
−− 昨今のITによる音楽、あるいは音楽ビジネス変革の流れはどのように映っていますか?
楽しいですよね、最近の音楽って。
音楽とITとのかかわりを考えるそもそもの前提として、音楽を奏でる楽器そのものがテクノロジーだと言えると思うんです。音楽の進化は、テクノロジーの進化であると言い換えることもできる。
From Mario Pleitez
現在の大会場のコンサートやフェスの隆盛は、PAの登場なくしてあり得なかった
ショパンの時代のピアノというのは、当時の木工技術の一つの集大成のようなものです。さらに、電気が使えるようになってアンプが生まれ、このアンプ自体も最初は小さなものでしたが、PAが登場したことで大きな音が出せるようになった。そうでなければ、現在では当たり前になっている大会場のコンサートやフェスなどはあり得ませんでした。
そして、インターネットの登場以前と以後で、音楽のあり方は大きく変わったと思っています。
インターネット以前の時代というのは、進むべき時代感がかなり明確にあって、それに沿って音楽が決まっていた印象です。クラシックがあり、ジャズや映画音楽が勃興し、60年代に入ってロックやファンクが出てきて、70年代にはディスコ音楽が流行った。時代、時代の色が決まっており、音を聞けば「だいたいこの辺りの時代」というのが特定できた。
しかし、コンピュータが出てきてそれが徐々に特定できなくなり、インターネットの登場で決定的に変わった。具体的に言うなら、YouTubeなどの動画では時系列に関係なくオススメされますよね? そうすると、新しいものなのかリバイバルなのかということが分からないままに、頭の中に音楽が入ってくる。
現代の若い人たちは、そういう風に音楽を消費しているように見えます。そしてそのことが、音楽の新しい可能性を生んでいるように見えるんです。
時代、時代の音になじんでいた自分のような世代には、「このジャンルの音楽はこうでなければならない」という制約や先入観がありました。でも今の音楽を実際に聞いてみると、青臭いロックなのに“セオリー”から外れたおしゃれなセブンスコードが用いられており、最初は「えっ?」って思うんだけど、次第にそれが意外にイイと感じたりもする。
今の若い人たちは、各時代のエッセンスをつまみ食いして、それをうまく消化できるようなインフラを持っています。そのことが、次の音楽を生むためのすごく大きな下支えになっている気がします。最近の音楽を「楽しい」と言ったのは、そういう理由があってのことです。
−− そこへ来ての定額配信ストリーミングサービスの相次ぐ誕生を、伊藤さんはどう位置付けていますか?
僕が初めて買ったレコードはレッド・ツェッペリンの『レッド・ツェッペリンⅠ』。高校生の当時としては大枚はたいてやっと買ったレコードでした。まぁ、入っていた音楽は自分が期待していたものとは全然違ったんですが。
今と比べると、当時は音楽を聴くことのハードルが高い時代でした。高校生にとって1枚2000円するレコードは、買えても月に1、2枚。だから1枚買うのにも、本当に吟味を重ねていました。さらに、音楽雑誌を買ってきても、載っているアーティストが実際にどんな音を奏でるのかは、簡単には分からないわけです。
SNSもなかったから、貸し借りできるのはレコード好きの友だちとの間だけなのですが、当然、ロック好きはロックしか知らないし、歌謡曲好きは歌謡曲しか知らない。自分の好きなジャンルに手一杯で、他の音楽に対してはとてもじゃないが手が回らなかったんですね。
From Thomas van de Weerd
YouTubeの登場がそれまでの音楽の聴き方を破壊したと伊藤氏は主張する
そういった文脈で見ても、やはり2006年のYouTube誕生は、従来の音楽の聴き方をぶっ壊した。自分が好きで聴いていた以外の音楽と出会う機会が圧倒的に増えました。しかもそれは無料に近い形です。
これは、音楽のビジネスモデルをも大きく変えたと思います。
端的に言って、それまでの音楽とお金の動きというのは、「まずお金を払い、その後に聴く」という順番でした。しかしYouTube以降は、「まず聴いて、その後にお金を払う」という順番に逆転した。まず試し聞きしてみて、気に入ればコンサートに行き、CDを買うということです。
ストリーミングの聴き放題サービスが始まることで、否応なしにこの順番がデフォルトになるでしょうね。良い悪いは抜きにして、音楽の聴き方自体がそれまでとはガラッと変わるということです。
すると何が起こるかといえば、それを聴いて育つ次の時代のアーティストの、音楽の作り方や考え方もガラッと変わるでしょう。それが何かということはまだ生まれていないから分からないわけですが、少なくとも、先入観たっぷりの自分のようなおじさんには思い付かない、ハチャメチャなものであることは確かでしょう。それが次の時代を作るのだと思いますよ。
思い返せば、トランジスタラジオというのはすごいイノベーションだったと思います。1950年代にソニーが出したトランジスタラジオが少年少女たちのベッドルームに入り込まなければ、その後のロックンロールの波及はなかった。
テクノロジーと音楽は近しい。今はインターネットがそのテクノロジーですから、インターネットが確実に音楽を変えていくということです。
依然として残る、「モノ」としての音楽の価値
でも一方で、インターネットは手触りのない、ただの情報でしかないとも思うんです。
この時代に、なぜかレコードが売れていたり、DLカードにカセットテープが付いて売られていたりしますよね? この場合、楽曲自体はDLするから、カセットテープは音楽を示すアイコンにしか過ぎないわけですが、ジャケットを伴ったレコードとか四角い形を持ったカセットテープとか、モノに対する欲求が今なお少なからずあることを示していると言えないでしょうか。
コンサートやフェスが盛り上がっているというのもそうで、これらは自分の身体がその場に行かないと体験できないものです。
このことは、モノとか、同じ場を共有するとか、一緒に汗をかくとか、そういったフィジカルな体験への欲求が、インターネットの時代になっても変わらず存在し続けていることを意味しているように映ります。
こう考えた時に、モノとしての音楽の象徴的な存在としては、やはりCDが挙げられると思います。今もCDショップには、たくさんのCDが並んでいる。
しかし現実として、たいていの人のリスニング環境は、今やスマホ中心になっています。外出先から家に帰ってきても、スマホで聞くという人が多いだろうと思います。
ここにねじれが生じています。単純な話で、「CDはスマホに入らない」ということです。
家に帰ってPCを立ち上げていったんデータを吸い上げて、それをもう一度スマホに入れ直さないと聴けないというのは、どうにも面倒くさい。MacにはCDのドライブだってついていないし、家庭によってはPCを持たずにタブレットやスマホで済ませるところも増えてきているという変化もあります。
CDがメディアとして、全ての人をカバーし切れていない状態になってしまっているんです。
−− では、モノとしての音楽の価値はどのような形で提示するのが正解なのでしょうか?
現代に合ったモノとしての音楽の価値を追求したCFMの新サービス『SONOCA』
「宣伝乙」と言われそうですが(笑)、こうした考えの下にCFMが作ったのが、スマホに特化した音楽DLカードである『SONOCA』というサービスです。
モノとしてお店に置けて、かつその場ですぐにスマホに取り込めるものとは何だろうか。そう考えて、表面にはCDでいうジャケットのようにオリジナルのデザインを印刷でき、裏面にはよくあるDLカードのようにQRコードを印刷して、1000枚単位でネットで印刷を受け付けるものとして考えています。
プロのアーティストでもいいのですが、どちらかというと、アマチュアの同人CDのような使われ方を想定しています。
この形が正解かは分かりませんが、いずれにしろ言えるのは、テクノロジー(インターネット)は確実に音楽を変える。けれども一方で人は、テクノロジーがもたらす情報だけでは満足できないという側面も持つということ。
特に、コアなファンであればあるほど、その傾向は強くなる。気に入ったアーティストであれば目に見える形のモノがほしい、コンサートに行って間近で聴きたい、そう考える。物欲めいたフィジカルな衝動はいまだに残っていて、その2つをどう満たすかということを考えていく必要があるということです。
「音楽で食べる」ために「音楽だけで食べていく」とは思わないこと
−− そうした環境の変化の中で、音楽そのものはどう変わっていきそうですか?
「音楽で食べる」ためには、音楽「だけ」で食べると考えない方が良いのではないかと伊藤氏は問題提起する
そう変わらないと思いますよ。なぜなら、音楽とは共感であって、100年経っても人間は人間だから。
アーティストに対する共感、歌詞に対する共感、そこにある世界観に対する共感。ドラマへの共感から、主題歌が売れるということもありました。手法は違えど、紫式部の時代から恋愛が歌われているというのは変わらない。
音楽を作るモチベーションというのは本来、自分を表現したい、自分の思っていることを伝えたいというところにあると思うんです。逆に音楽を聴く側のモチベーションは、そういう人の曲を聴いて共感することにある。それは本来、誰もが持っているはずの欲求です。
なのに以前は、一部の偉い作曲家先生の音楽しか聞くことができなかった。音楽が一握りのプロの人たちのものだったんです。
充実したレコーディングスタジオは東京にしかなかったし、個人が機材を買おうとしたら、一念発起して何十回分ものローンを組まなければならなかった。
文章を書いたり表計算をしたりとコンピュータでいろいろなことができるようになり、音楽もまた、数万円のソフトでだいたいのことができるようになった。最近、各地で地元のアイドルユニットみたいなものがどんどん立ち上がっているのは象徴的な事例と言えそうです。田舎にいるちょっと音楽に詳しいくらいの人でも、頑張れば原盤が作れるようになった。
>>競合に勝てないのは誰のせい? ご当地アイドルのプロデューサーに学ぶ「売れない商品の蘇らせ方」(営業type)
「1億総クリエーター」と言えるほど、等しく誰もが作れる時代になるとは言いませんが、少なくとも音楽を作るための敷居がグッと下がったのは確かです。
プロになるために音楽を学習したという人だけでなく、頭の中に流れているメロディを歌詞とともにちょっと作ってみたというような人の音楽がちょこちょこと世に出始めています。ニコニコ動画などを通じて、「平民の音楽」を聞くことができるようになったんです。
誰もが表現者になり得るということ。今後新しいものが生まれるとしたら、そうした特徴の上に出てくるのではないでしょうか。もはや東京にいるからとか、偉い人だからとかは関係ない。
その点、私たちの会社がある北海道という土地は共感の宝庫です。雪が降って、それが融けて春が来て、だんだんと暑くなって……という自然の流れもそうだし、農業でも観光でも、汗を流して働いている人がたくさんいる。
これまではそういう人たちのメロディを聞く機会がなかったわけですが、だからこそそこに可能性を感じるんです。
−− しかしそうなると、表現活動の裾野が広がる一方で、プロとして音楽で生活する人は減ってしまうのでは?
音楽がいつから「職業」になったのかは正確には知りませんが、本来は自分が表現したいことが先にあって、それを表現した結果たまたま一定の人の心に刺さったから、その分だけ対価をもらう、という順番ではないですかね?
最初からお金儲けをビジネスライクに計算できた時代というのが、確かについ最近までありました。でも、音楽の長い歴史から見れば、そんな時代は本当に特別な短い期間だったのではないでしょうか。
収益はだいたい著作権や原盤の売り上げで生まれていますから、お金儲けが計算できた時代というのは、複製がコントロールできた時代であると言い換えることができると思います。
それがレコードなのかCDなのかは分かりませんが、とにかくどこかで独占、寡占があった。一般の人が同じことをできないということを背景に、そのビジネスモデルは成り立っていたんだと思います。
今はネットの時代で、複製のコントロールはほぼ不能になってしまった。何年か前にそれに抵抗して技術の開発が盛り上がった時もありましたが、結局それもダメっぽいということが分かってきた。こうした流れを受けて、もはや聴き放題サービスという方向に行かざるを得なくなったというのが今ではないかと思います。
どうせ複製されてしまう時代です。音楽を作る人たちは、かつてのように「収益を求めて」というモチベーションでやると、うまくいかないかもしれませんね。
先ほど、「まずお金を払い、その後に聴く」という順番は、YouTubeの登場以降、「まず聴いて、その後にお金を払う」順番に変わったという話をしました。極論を言えば以前なら「とりあえずだまくらかしてお金をもらう」ということができたわけですが、今はできないということです。
そう考えるとやはり、「いかに共感してもらうか」という音楽本来のところに立ち返らざるを得ない。今、アーティストに必要なのは「ストーリー」ではないでしょうか。共感してもらうための理由、根拠。それがストーリーです。
農業をやりながらというのもそうかもしれないし、「自分と同じ九州で活動しているから」というのも分かりやすいストーリーかもしれない。その意味では、プロミュージシャンよりもむしろ、そういった具体的なストーリーを持つ人たちの方が強い時代と言えるかもしれません。
もちろん、AKBやEXILEといったスーパースターは抜きにしての話ですが(笑)。
価値を出し惜しみしないことが価値の総量を増やす
−− そうすると、ビジネスとしての音楽には可能性があまり残されていないとも言えませんか?
作品が作品を呼ぶ形で新たな表現が生み出され続けている『初音ミク』
キーポイントは「掛け算」にあるような気がします。初音ミクの発展、広がりというのは、掛け算の象徴的なものだったように思うんです。
というのも、僕は世の中には2種類の価値があると思っています。一つはお金や時間に代表される、使うほどに減る価値。もう一つは、逆に使うほどに増える価値です。
人に良いことをすると自分に返ってくるというのは、みんな経験的に昔から知っている。今で言えば、SNSで頻繁にいいね!やリツイートをしている人は、自分の投稿にも自然といいね!やリツイートが付きやすくなる。
気前よく使えば使うほど、価値の総量としては増えていく。コンテンツもその類いのものと考えればいいのではないではないでしょうか。
コンテンツを作って発表すると、そこから2次創作が生まれます。あるいは動画の再生数が増えて世間に認知されれば、カラオケやiTunesでの配信、小説化などの話が舞い込んでくる。
お金の見返りなんて考えていなかったのに、結果としてたくさんもらうことになったということが、初音ミクの周りではたくさん起こっていた。これが、僕の言う「掛け算」です。
札幌には有名なジャズのイベントがあるのですが、これまた札幌で推しているスイーツのコンソーシアムとコラボする取り組みを以前行ったんです。スイーツとジャズの相性なんてよく分からないものですが、結果として、双方のファンを交換するという形で価値を増幅することができた。
アーティストが食べていく道は、もしかしたら音楽以外のこととの掛け算にあるかもしれません。というのは何も、アーティストに「音楽以外のことをやれ」と言っているのではなく、自分が持っている価値と相性の良い別の価値とコラボすることで、お互いに共感してもらい、ファンを増やしていくということです。
そう考えると、アーティストは必然的に、自分たちが音楽を通じてどんな価値を伝えたいと思っているのか、自分たちのどういうメッセージに共感してほしいのかを自問しなければならなくなるでしょう。ストーリーが大事になると言ったのは、そういうことです。
取材・文・撮影/鈴木陸夫(編集部)
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