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【社説】

原発ゼロが終わる日に 誰が責任を負うのか

 誰も安全とは言わず、責任を負える人もない。なのに、九州電力川内原発1号機(鹿児島県)がきょう、再稼働する。3・11の災禍が消えぬこの国で。

 この朝、中央制御室からの操作で核分裂を抑えていた三十二本の制御棒が引き抜かれ、原子炉が起動する。

 関西電力大飯原発4号機(福井県)が定期点検のため停止して以来、一年十一カ月ぶりに、日本の原発ゼロ状態が終わる。

 このようなかたちの原発回帰に異論を唱えたい。

 今なぜ、再稼働できるのか。なぜ再稼働させねばならないのか、という多くの国民の素朴な問いに、政府も電力会社も、答えていないからである。

◆「あなた任せ」の連鎖

 原子力規制委員会が、3・11後の新規制基準に「適合」と判断した−。「安全」だという根拠は、ほぼこれだけだと言っていい。

 ところが規制委の田中俊一委員長は「(新規制基準は)原子力施設の設置や運転等可否を判断するためのもので、絶対的な安全性を確保するものではない」という趣旨の発言を繰り返す。

 田中委員長は「安全目標というのは、決してわれわれと国民が合意してつくったものではない」とも、言っている。

 規制委自身が、安全を保証する機関でも、再稼働の是非を論じる場所でもないと、表明し続けているのである。

 政府はどうか。

 安倍首相は「規制委の再稼働に適合すると認められた原発は、再稼働を進めたい」と、こちらも繰り返す。つまり「あなた任せ」なのである。

 「あなた任せ」と言えば、規制委も、例外ではないだろう。

 3・11を教訓に、原発から半径三十キロ圏の自治体に避難計画の策定が義務付けられた。

 川内原発の場合、圏内九市町に約二十一万人が暮らしている。

 都市から離れた場所に立地される原発の周辺は、ただでさえ交通事情に難がある場合が多い。

 原発事故の非常事態に、机上の避難計画に果たして効果があるのかどうか。規制委は審査の対象とせず、自治体にお任せだ。

 では、自治体は。

 鹿児島県の伊藤祐一郎知事は、原発の必要性を明示した文書を出すよう政府に要求し、経済産業大臣名のそれを受け取ったあと、住民説明会などを経て、再稼働に同意した。

 政府の要請に従ったという形式を整えたように見えないか。

◆火山学者は警告する

 事故が起こった場合の責任は、役所の中では堂々巡り。結局、電力会社の自己責任ということになるのだろう。法律でもそうなっている。

 だが私たちは、もう知っている。原発事故の責任は、一企業に負いきれるものではないのだと。

 あの日からやがて四年半。現に十一万もの人々が、いまだ故郷を追われたままで、十分な補償も受けられず、あるいは中途半端に打ち切られ、放射能による将来の健康不安を押し殺して暮らしているではないか。

 原発には、それぞれ個別の不安もある。

 川内原発は、姶良(あいら)カルデラ(火山性のくぼ地)の西、四十五キロという位置にある。鹿児島湾の奥にある巨大噴火の痕跡だ。桜島も、その上にのっている。

 鹿児島湾を中心に、小林、阿多、加久藤(かくとう)といったカルデラが南北一直線に並んでおり、過去の巨大噴火の際には、原発がある川内川の河口にも火砕流が届いていたことは、九電も規制委も認めている。

 規制委は、九電の主張そのままに、巨大噴火の予知は可能で、万一の際にも核燃料を安全に運び出す余裕はあると言う。

 しかし、ほとんどの火山学者がそれを否定する。規制委の判断は、科学的にも、あいまいなままなのだ。

 このような状態で再稼働を推し進めるということは、3・11の犠牲に対する侮辱であり、安全神話への回帰にほかならない。

◆安全な未来は描ける

 3・11は世界の流れを変えた。特に欧米は、安全対策に膨大な費用がかかる原発への依存を徐々に脱して、再生可能エネルギーの比重を高め、地域振興を進めつつ、経済的にも利益を得ようと、それを機に未来図を描きはじめた。

 福島のある日本はなぜ、描こうとしないのか。

 川内のあとには、規制委からすでに適合と判断された関西電力高浜原発(福井県)、四国電力伊方原発(愛媛県)が続いている。

 再稼働に踏み込むということは、回避も全うも不可能な、重過ぎる責任を背負うということだ。

 国民の多くは納得していない。

 

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