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何を描いたか 古代墓の線刻画を読み解く8月11日 8時18分
「飛鳥美人」で知られる奈良県明日香村の高松塚古墳や、緻密な天文図などが残されていたキトラ古墳。古墳に描かれた壁画と言えばこの2つが有名ですが、古代のほかの墓でもさまざまな絵が見つかっています。
稚拙に見えるものもありますが、いずれも当時の人たちの死生観や他界観を知る、大切な手がかりです。
先日、宮城県でも線刻画が新たに見つかり、現地が公開されました。
突然姿を現したおよそ1300年前の絵画、いったい何が、何のために描かれたのでしょうか。
稚拙に見えるものもありますが、いずれも当時の人たちの死生観や他界観を知る、大切な手がかりです。
先日、宮城県でも線刻画が新たに見つかり、現地が公開されました。
突然姿を現したおよそ1300年前の絵画、いったい何が、何のために描かれたのでしょうか。
人物や鳥 さまざまな図像
「なんだこれは、落書きみたいだ」
宮城県山元町にある合戦原遺跡で見つかった線刻画。5月末、最初に目にした山元町教育委員会の山田隆博さんは、そう感じたと言います。
崖に水平に穴を掘って作った「横穴墓(よこあなぼ)」の最も奥の壁に、目と口がはっきりと表現された人物像などが残されていたのです。
線刻画が見つかったのは、全部で54ある横穴墓の中で最も大きな「38号墓」。飛鳥時代の7世紀に作られ、その後、奈良時代の8世紀にかけて使われていたと考えられます。
詳しく調べたところ、描き方が当時の類例と似ているうえ、墓は完全に塞がっていて、その後掘り返された形跡もないことから、後の落書きとは考えられないということです。
宮城県山元町にある合戦原遺跡で見つかった線刻画。5月末、最初に目にした山元町教育委員会の山田隆博さんは、そう感じたと言います。
崖に水平に穴を掘って作った「横穴墓(よこあなぼ)」の最も奥の壁に、目と口がはっきりと表現された人物像などが残されていたのです。
線刻画が見つかったのは、全部で54ある横穴墓の中で最も大きな「38号墓」。飛鳥時代の7世紀に作られ、その後、奈良時代の8世紀にかけて使われていたと考えられます。
詳しく調べたところ、描き方が当時の類例と似ているうえ、墓は完全に塞がっていて、その後掘り返された形跡もないことから、後の落書きとは考えられないということです。
線刻画には何が描かれているのか、町教委が作成した図を基に見ていきます。
壁画は、幅3メートルほどの奥壁いっぱいに残されていました。
まず、中央の少し左側に、2人が重なるように並んでいるのが目に入ります。
人は、すこし離れたいちばん右端にも描かれています。いずれも太い線で、しっかりと表現されています。
壁の上のほうには鳥とみられる3体の動物、そしてその下には、方形や半円を組み合わせたような図像もあります。
ただ、線刻はこの図で確定というわけではありません。町教委は、見つかった線刻画の分析をさらに進めるとともに、ほかの横穴墓にも線刻画が残されていないか調べることにしています。
壁画は、幅3メートルほどの奥壁いっぱいに残されていました。
まず、中央の少し左側に、2人が重なるように並んでいるのが目に入ります。
人は、すこし離れたいちばん右端にも描かれています。いずれも太い線で、しっかりと表現されています。
壁の上のほうには鳥とみられる3体の動物、そしてその下には、方形や半円を組み合わせたような図像もあります。
ただ、線刻はこの図で確定というわけではありません。町教委は、見つかった線刻画の分析をさらに進めるとともに、ほかの横穴墓にも線刻画が残されていないか調べることにしています。
「無事に他界に行ってほしい」
合戦原遺跡の線刻画は、何を表現したものなのか。長年、古代の人々の「こころ」について研究を進めてきた、元・同志社大学教授の辰巳和弘さんが読み取ったモチーフは、「葬送の情景」です。
辰巳さんは、前述の3人のほかに、かぶり物を身にまとったような人物や、片手を上げた人物もいるとしています。いずれも葬送に伴う所作を表現したと考えられるということです。
さらに、方形の図像を遺体を安置する「喪屋(もや)」と見なし、全体として、被葬者を喪屋から来世にいざなう場面と捉えることができると言います。
辰巳さんは、前述の3人のほかに、かぶり物を身にまとったような人物や、片手を上げた人物もいるとしています。いずれも葬送に伴う所作を表現したと考えられるということです。
さらに、方形の図像を遺体を安置する「喪屋(もや)」と見なし、全体として、被葬者を喪屋から来世にいざなう場面と捉えることができると言います。
辰巳さんによりますと、古墳などに残されている彩色壁画や線刻画には、主に2つのタイプがあります。
1つは、邪悪なものを中に入れないために描かれたもの。もう1つは、被葬者が来世に渡っていく場面を、「馬」や「船」などで観念的に描いたものです。今回の線刻画は、後者に該当しながらも、観念ではなく実際の風景を表現した非常に珍しいケースとみられるということです。
今月3日、線刻画を現場で詳細に確認した辰巳さん。「無事に他界に行ってほしい、これで永遠の世界に行ける。描いた人のそんな思いが伝わってくる」と話していました。
1つは、邪悪なものを中に入れないために描かれたもの。もう1つは、被葬者が来世に渡っていく場面を、「馬」や「船」などで観念的に描いたものです。今回の線刻画は、後者に該当しながらも、観念ではなく実際の風景を表現した非常に珍しいケースとみられるということです。
今月3日、線刻画を現場で詳細に確認した辰巳さん。「無事に他界に行ってほしい、これで永遠の世界に行ける。描いた人のそんな思いが伝わってくる」と話していました。
他界観や死生観 知る手がかり
古代の古墳や横穴墓に描かれた絵画は、技法や巧拙、モチーフはさまざまですが、当時の他界観や死生観を具体的に知るための、重要な手がかりです。その多様性ゆえに専門家の解釈が一致するとは限らず、今回見つかった合戦原遺跡の線刻画については、「盾などの武具も描かれているのでは」「被葬者の権威を表したとも考えられる」といった指摘も出ています。
また、劣化が進みやすいことから保存や活用も難しい面が多く、文化庁の作業部会は去年、現状を調べたうえで課題を整理し、管理や公開の在り方を報告書にまとめました。
また、劣化が進みやすいことから保存や活用も難しい面が多く、文化庁の作業部会は去年、現状を調べたうえで課題を整理し、管理や公開の在り方を報告書にまとめました。
合戦原遺跡は、東日本大震災による集団移転事業に伴う調査で見つかりました。先月25日には現地説明会が開かれ、およそ450人が1300年前の線刻画と「対面」しました。
山元町教育委員会によりますと、移転事業は基本的には計画どおり進められる予定ですが、今回の発見を受け、部分的な保存ができないか検討を続けたいとしています。
山元町教育委員会によりますと、移転事業は基本的には計画どおり進められる予定ですが、今回の発見を受け、部分的な保存ができないか検討を続けたいとしています。