ずい分前の事になるが、私の今は亡き祖父より書類の入った封筒が送られてきた。
なんでも、祖父は歴史に関心があり血族のルーツを調べていたところ、協力者の力もあり最終的に漫画のようだが蔵の中から古い文献が出てきて家系図がほぼ完成したので送るとのこと。
添付された手紙には、「これは憶測などではなく、文献を参考に調べ上げた結果なので間違いないと言って良い」と書かれていた。

日本人は、突き詰めれば平家か源氏どちらかにたどり着くなどと聞くが、私の家系はどうやら源氏がルーツのようだ。そして、最終的には
清和天皇にたどり着くとのこと。


私は歴史は大の苦手でいまいちピンと来ないのだが、今回言いたいのはこれではない。
これだけの事を10年以上かけて調べ上げたという事を前提に、それらの解説の手紙に書いてあった一文が衝撃的に飛び込んできた。
「日本の天皇家は、現イラン国旧ペルシャの国王であった。歴史的に有名な(?)ペルシャ文化を築いたが後反乱有り海路東方にまわり(?)洋上の日本に定住、日本の文明文化を開拓した。」とある。
最後は何らかの理由で天皇家(王家)は追い出されたらしい。

残念な事に、私はその古文書の原本は持っておらず証明できないのだが、決していい加減な調査ではなかった事は明白であり、これは
日ユ同祖論に繋がるのではないだろうか。
ペルシャ(イラン)におけるユダヤ人の歴史は紀元前にさかのぼる。
想像以上に各人種の世界各地の往来は激しく、ユダヤの民族がペルシャを構築した後、アジアに様々な文化を残しつつ、日本へたどり着いたと考えられる。
ただ、現在の天皇家も本来の天皇家の血筋なのか確信持てないのだが。
国家都合であらゆる事がすり替えられていると考えられる故に、真相は闇の中となるのだろうか・・・