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閑話 子供達の戦いと真面目な営業
【アルジェントは苦労する/オーロは鬼生を謳歌する】
[時間軸:二百三十日~くらいの話]
普段の習慣から、太陽が昇るよりもやや早い時間に自然と目が覚めた。
普段は清々しい目覚めになるのだが、昨夜は遅くまで訓練していたからか完全に疲労はとれていないらしく、やや身体が重い。それに頭もぼんやりと眠気に覆われている。
そのまま惚けていればまた眠ってしまいそうなので、一度大きく深呼吸すると共に身体を伸ばす事で眠気を飛ばし、その後にゆっくりと上体を起こした。
軽くて温かい羽毛毛布をのけると、途端に感じるのは寒さだった。吐く息は白く、今日も朝から冷え込んでいるのが分かる。
ぶるりと寒さに震え、まだ寝ていたいという思いが急速に強まるが、それに何とか抗い、かなり名残惜しいが暖かく柔らかいベッドから降りる。
簡単な構造で脱ぐのも履くのも簡単なスリッパを引っ掛け、冷えた空気に晒されながら部屋の中心にある机に向かった。
机の上には寝る前に用意していた各種装備が、分類ごとに整然と並んでいる。
今日着る衣服は、上下ともお父さんの糸から造られている。
デザインはシンプルで色も地味だが、素材が素材だけにかなり乱暴に扱ってもほとんど破れる事がないし、汗をかいても蒸れ難いので訓練や実戦の時には最適な衣服である。
寝巻きからそれに着替えた後は、胴体や膝や肘などの部位を護る軽金属鎧を装着していく。
これは【鍛冶師】であるエメリー義母さんが丹誠込めて造ってくれた防具で、ミスラルなど貴重な魔法金属の合金を大量に使って造られている。
魔法金属合金製なので非常に堅牢なのだが、素材の特性もあってその重量は革鎧よりも軽量かつ動きやすく、付加術との相性が抜群に優れている。
裏地には特殊な液体に漬けたお父さんの糸を丹念に丹念に編んだ特殊布が張り付けられているのだが、これによって激しく動いてもズレにくく、受けた衝撃もある程度なら吸収するように工夫が施されている逸品だ。
装着する度に家族の愛情を感じられて、どことなく落ち着くのは僕だけの秘密だ。
装着し終えたら爪先や靴底に金属を使って補強した戦闘用ブーツを履き、シッカリと解けないように靴紐を結ぶ。
ギュッ、と多少キツいぐらいが丁度いい。
これで多少激しく動いても解ける事はないだろう。
戦闘時には行動が少し遅延するだけで生死に関わるので、こういった些細な油断も普段から無くしておいた方がいい、と言われている。
一つ一つ確認しつつ、家族の愛情が詰まった防具を装備した後は、数は少ないが大切な副武装を身に付ける。
雷精石とミスラルの合金で出来た肉厚で大型の山刀の柄を握り、鞘から抜いて刃毀れが無いかを確認する。
普段から手入れは怠っていないので、刃毀れは見られない。綺麗なモノだ。これならモンスターの骨肉も纏めて両断できるだろう。
その次はお父さんから貰ったマジックアイテムの戦斧の状態を確認した。これも手入れを怠ってはいないので、問題は無さそうだった。
マチェットとタバルジンを鞘に納めた後は、マチェットの柄は右手が、タバルジンの柄は左手が握れるように、交差する形で腰に装着。
次いでナイトバイパーの皮を柄に巻いたボウィー・ナイフの状態を確認し、色々と役に立つ道具を入れた布袋と共に腰に吊るす。
身体を揺すって動きを確認したが、多少擦れたりして音はするものの、特に問題は無さそうだ。
その後は、派生迷宮のダンジョンボスを倒して手に入れたマジックアイテム【火力の腕輪】を左手に嵌める。
【火力の腕輪】はダンジョンボスを倒して入手した物だが、そこまで強力なマジックアイテムではない。装備すると多少攻撃力が上昇するという、有用ではあるが平凡な能力しか秘めていない。
お父さん達が所持し、扱うようなモノと比べれば宝石と石ころ程に違うだろう。
だけど、やはり自力で獲得したという事もあって、思い入れが強い。
これを装着するだけで、改めて心に決めた夢を再確認できる。
――憧れているお父さんに、少しでも追いつくのが僕の夢だ。
――それは果てしない夢だけど、何事も願い行動しなければ実現できない。
着替えと武装の装着が終わったら、脱いだ寝巻きを横にある洗濯物籠に入れていく。
こうしていれば、後でメイドさん達が回収して綺麗に洗濯してくれるからだ。
屋敷で働いてもらっているメイドさん達は優秀なので、今晩にはもう綺麗な状態になっているだろう。
さて、目的である朝の訓練をしに行くかとドアノブに手を伸ばしかけ、部屋の外から誰かが走ってくる音が聞こえた。
ドタドタと、まるで猛牛の突進のようにかなり慌ただしい。
それは止まる事なく、真っ直ぐコチラに向かってきているようだ。
経験に従い、ドアを開ける事は止めて速やかに二歩下がる。
その直後、誰かが走る音はドアを勢い良く開くモノに変わった。
バンッ! と高速で開かれたドアは鼻先を掠め、巻き起こした風で髪が揺れる。
もし下がらなかったら、ドアは鈍器となって僕を殴打したに違いない。
危なかった。
「おっはよーアルッ! 今日もいい日ねッ」
ドアを開けて部屋に入ってきたのは、やはりというかなんというか、オーロ姉だった。
相変わらず今日も元気一杯らしい。浮かべるのは非常にいい笑顔で、まるで太陽のように明るかった。
僕とオーロ姉は異母姉弟の関係だが、母親同士が姉妹という事もあり、普段から仲は良好だ。
身贔屓は多少あるものの、オーロ姉が笑っている姿は、素直に可愛いと思う。
だけど、僕は知っている。
こういう時のオーロ姉は、大概ろくな事を考えていないのだ。
「早速だけど、今日、私達で派生迷宮を攻略する事にしたからね! 朝ご飯を食べたらすぐに行くわよッ」
ほら、やっぱりだ。
いや、別に派生迷宮に挑戦するのは構わない。むしろ、望むところだ。
夢を叶える為には、弛まぬ努力と実戦が必要であると十二分に理解はしている。
だけど、挑むなら挑むで事前に言って欲しいと切に願う。
思いつきで行動するオーロ姉は計画に穴が多すぎるので、その穴埋めをするのは大抵僕だ。
穴埋めをするには相応の時間が必要なのに、こうも唐突に宣言され、行動に移されるとどうしても後手後手に回って忙しすぎる。
確か前回の思いつき行動時には食料が足らなくなったし、その前は回復薬や解毒薬が枯渇するという事もあった。
何とか乗り越えてきたが、それは十分な準備が出来ていれば回避できた問題ばかりだ。
ウチはかなり裕福なのだから準備は入念に行って欲しい、と事あるごとに僕が言ったとしても、それは仕方の無い事ではないだろうか。
まあ、我が道を行くオーロ姉にはいくら言ってもあまり意味はないんだけども。
「いいけど、そういうのはもう少し早めに言ってほしいな。準備とか、色々あるんだよ? オーロ姉の思いつきは、穴が多くて後々困るじゃないか。そうならないように、シッカリと準備する習慣をつけようよ」
「アル、お父さんも言ってたじゃない。臨機応変に対処できるだけの力を身につけろ、ってね! つまりはそういう事よッ。ほらほら、早くご飯に行くわよッ。時間は限られているんだからねッ」
だけど、意味が無いとは知りつつも言わねばならない事もある。
当然のようにサラッと流されてしまったが、まあ、言うのと言わないのでは多少何かが違うだろう、と思う事にして。
僕はオーロ姉によって手を引かれ、食堂に連行された。
あまりの勢いに半分以上身体が浮くような形で、僕は連行されたのだ。
僕と同じ【半人大鬼】であるオーロ姉は、外見からは想像できない程の怪力の持ち主だ。
一応抵抗できない事もないのだが、抵抗するとムキになるので大人しく従った。
本能で動く姉を持つ弟は、本当に苦労させられる宿命らしい。
そうこうして到着した食堂では、既に朝食が用意されていた。
焼きたてのふっくらとした柔らかいパン。
大きな肉や新鮮な野菜が沢山入った熱々のスープ。
外はこんがりと焼き、中は赤みを残したバロン牛のローストビーフ。
チーズや黒胡椒や塩漬けの肉などを絡ませたカルボナーラ。
ビッグコッコの産みたて卵を使ったスクランブルエッグ。
濃厚な味わいで人気なシャロン乳牛の搾りたて牛乳など。
どれもこれもオーロ姉自身が作ってくれたものだった。
というのも、オーロ姉と僕の母は【料理長】として現在も大森林の厨房で活躍している程の料理上手だ。
そんなフェリシア義母さんとアルマ母さんに仕込まれた僕とオーロ姉はそれなり以上に料理ができるのだが、特に適性があったのだろう、オーロ姉は暇な時にもよく作っているのでかなり料理が上手い。
いや、オーロ姉の数少ないまっとうな趣味と言っても過言ではない。
料理を作っている時は大人しいので、個人的には歓迎している。
それに、オーロ姉の料理はどれも美味しいのだ。
盛り付けも食欲をそそるし、食材の力が堪能出来るように工夫が凝らされている。
そんな朝食を食べているのは、僕とオーロ姉以外に何人か居たりする。
「うんめーなァッ姉鬼の飯はッ! 喰うのが止まんねーぜッ」
そう言い、パンをスープに浸したり、ローストビーフを一度に沢山食べているのは鬼若だ。
異母兄弟にして、元気一杯過ぎる可愛い弟。
最近はミノ吉叔父さん達について行っていたので顔を合わせるのは久しぶり――イヤーカフス経由でよく話はしているので関係は良好だ――だけど、脳筋というか実直というか、色々と本能のままにやらかしてくれるので、僕的にはオーロ姉に次ぐ悩みの種である。
いや、弟を助けるのは兄の仕事だとは思いますが、それでも自重して欲しいと思うのは仕方ないと思うのです。
「確かに、本当に美味い。一度手をつけると止まらなくなるなッ。ほら、イーラ、食わないなら俺が貰うぞ」
「あー! ダメそれ私のなのにッ。ちょ、本当に止めてよルッツ! やめ、やめて……ブチ殺すぞごらァッ!」
鬼若の言葉に頷きつつ、スプーンとフォークを用いた朝食争奪戦ガチバトルを繰り広げだしたのは今回同行する事になったガキ大将にガキ中将の二人である。
少し前は孤児として王都の裏路地を住処とし、あらゆる手段を使って生きてきた二人だけに飯に関しては容赦ない。
普段は温厚で気配り上手なイーラは、楽しみにとっておいたローストビーフをルッツに奪われた事で、一時的に凶暴化していた。
女は怒らせると怖いから気をつけろ、とお父さんにはよく言われているけど、納得の光景である。
そう一人思っている間に、ルッツの防御を掻い潜ったイーラのフォークがルッツ陣営にあるカルボナーラを高速で巻き取り、瞬時に略奪した。
その速度は感心する程で、根こそぎ持って行っている。
「あちょそれはやめ」
「ダーメ」
「のあーーーーーー!」
慌てて止めようとするルッツだが、時すでに遅し。
大きく開かれたイーラの口内に、カルボナーラは消失した。
モキュモキュ、と美味しそうに頬張る姿は大森林で見かけたリスを彷彿とさせて、可愛らしいと思う。
日々の疲れからか、僕はどうにもこうした可愛いモノが好きらしい。
「ほら、アル。イーラに見蕩れてないで、さっさと食べる! 冷えちゃうでしょッ」
「見蕩れてはいないけど、確かに、冷める前に食べないとね」
オーロ姉の言葉に促され、僕も食べる。
うん、やっぱりオーロ姉の料理は美味しいな。
満足な朝食を終えて、装備品に大きな漏れが無いかだけを確認した後、用意された骸骨蜘蛛に荷物を積み込んでいく。
これは王都を走らせているモノよりも踏破力や自衛力を強化し、内装を長時間乗っても疲れないようにした、限られた存在しか乗れない特別仕様の骸骨蜘蛛だ。
王都の外は雪が積もっているが、これさえあれば移動もあっという間に終わるだろう。
「それじゃ、気をつけてね。困った事があったら連絡してくるか、支部の皆に頼りなさい」
「ねーね、にーに、てらー」
出立しようとする僕達五名を見送るのは、ルベリア義母さんと可愛い妹のオプシーだった。
今更かもしれないが、僕やオーロ姉、鬼若には二人の可愛い妹が居る。
【錬金術師】であるスピネル義母さんを母とし、唯一【人間】である為まだ自力で歩いたりできないニコラ。
小さくプニプニとした身体は弱々しく、触れただけで壊してしまいそうだけど、だからこそ一層の愛情を注いでしまう可愛い妹。
最近は離れているので直接会っていないけど、声だけはよくかけている。
早く生身で会いたいものだ。
そしてもう一人の妹はここにいる、末っ子の【使徒鬼・亜種】であるオプシーだ。
オプシーは種族もそうだが、生まれた時から【宝石の神】と【冥獣の亜神】の【加護】を持っているので、家族の中では最もお父さんに近く、成長すれば兄弟姉妹の中で一番強くなるかもしれない力を秘めた凄い子だ。
そんなオプシーはルベリア義母さんの手を握り締め、空いた片手を振っていた。
産まれてからそれ程時間は過ぎていないけど、あのお父さんの血を受け継いでいるからか、既に一人で歩けるようにまで成長していた。
鬼人としては考えられない成長速度らしいが、それも僕達のようにある程度まで大きくなったら緩やかになっていくだろう。
それと肉体の成長にあわせて脳も発達しているのか、片言ながらも喋れるので、日々その可愛さに悶絶しているのは僕だけの秘密だ。
「はーい、行ってきますッ! 義母さんも寒いんだから、体調崩さないように気をつけてねッ。それとオプシーちゃん、ねーねがお土産もって帰ってくるから、楽しみにしててねー」
「あいー。ねーね、ぎゅー」
「ぎゅー」
ルベリア義母さんに笑顔でそう返し、オプシーを抱きしめるオーロ姉。
抱きしめられたオプシーは天使の笑みを浮かべ、抱きしめ返している。
その光景ににやけそうになり、思わず手で口元を抑えた。
ダメだ、僕の妹は凄く可愛い。
「どした、兄鬼?」
「大丈夫だ、問題ない」
心配そうに鬼若が訪ねるが、手で制し笑みを何とかして引っ込める。
兄たるもの、弟に緩みきった姿を晒す訳にはいかないだろう。
兄とは、下に頼りにされる存在であるべきだ。
「さて、それじゃ行ってきます。オプシーも、お土産楽しみに待ってるんだよ」
「あいー。にーに、まってゆ」
二度目の、天使の笑み。
思わずオーロ姉のように抱きしめたいと思ったが、グッと堪えて頭を撫でるだけに止める。
鬼若などがいなければ迷わず抱きしめていただろうが、やはり兄としての責任が、そんな軽率な行動を許してはくれないのだ。
何という事だろうか。何者にも捕らわれないオーロ姉の天然さがこんな時には羨ましい。
いや、あんな風にはとてもではないが僕には出来ないのは分かりきっている事であるが。
ともかく、名残惜しいが僕達は王都を出立した。
目標は、五名という一般的なパーティ編成で派生迷宮のダンジョンボスを駆逐する事だ。
■ □ ■
意気揚々と王都を出立し、骸骨蜘蛛によって瞬く間に迷宮都市≪パーガトリ≫に到着して、新しく作ったばかりの支部員によって諸々の手続きが省略されて、僕達が迷宮に潜ったのは既に数時間前の事になる。
今回潜ったのは【妖精の遊び場】と呼ばれる、ありふれた地下階層型の派生迷宮だ。
ここは階層毎に特性が異なり、植物が生い茂っていたり、水が流れていたり、荒野などが広がっている。
ただ極端に劣悪な環境――溶岩地帯や極寒地帯など――はないので、まあ、標準的な構造と言えるだろう。
それにここの主なダンジョンモンスターは妖精系である為、近接戦闘では比較的容易に倒せるモノが多い。
これは単純に、妖精という種族の多くが小さいからである。
もう少し難易度が高ければ上位の種族も出てくるのでそうでもないらしいが、少なくとも【妖精の遊び場】では最大でも百五十センチメルトルに届くか届かないかくらいである。
ただ肉体面が劣る分だけ発展した多種多様で強力な魔法の類は厄介だし、一度の戦闘で相手にする数が多いので油断は出来ないが、それでも今の僕達なら十分対処出来る範疇だった。
だけど、妖精は悪戯好きである為か、ここには罠の類が非常に多い。
特に現在地である、周囲に木々や植物が生い茂る森のような階層はよりその傾向が強い。
パッと探しただけでも、軽く数十は罠が設置されているようだ。
一つ一つはそこまで大した事はないのだが、気を付けないと、連鎖して発動する可能性が高い。
身動きがとれなくなった所に魔法を叩き込まれれば、流石に僕達でも危険である。
とはいえ、慎重に進めば怖くない。
イヤーカフスによって罠も感知できるので、馬鹿みたいに勢いだけで進んでいかなければどうという事もないのだが。
「ぐあっはっはっはっは! 弱い、弱い弱い弱い弱いぞぉぉぉおお!!」
身長は五十センチ程で、透き通る黄色い翅が特徴的な妖精――“電気妖精”が放った電撃を、鬼若は巨大な金砕棒の一振りで掻き消しながら吶喊した。
それを止める為に幾度も電撃が放たれるが、鬼若の進撃は止まらない。
駆け引きなど面倒だ、ただ近づいて叩き潰してやる。
そうとしか思えない行動は、味方としたら頼もしいし、敵としたら恐怖の対象だろう。
それはいい、それはいいのだが。
せめて場所を考えて欲しかった。
直進する鬼若は、案の定、草に隠されたスイッチを踏んだ。
カチリ、と小さく音が鳴った気がした。
「罠を考えろ、罠をッ」
そう大声で言いながら、鬼珠を開放。
手元に出現した白銀の弓に白銀のパルチザンを番え、即座に射出。
木の洞に内蔵されていた罠は毒矢を鬼若に向けて射出しようとしていたようだが、その前に射たパルチザンが毒矢どころか罠そのモノを粉砕し、勢い衰えずに木まで貫通した。
炸裂音と共に木片が周囲に飛び散る。
「おお、助かったぜ兄鬼! それじゃ俺も、オラァッ!」
そして吶喊した鬼若による、振り下ろしの剛打一閃。
距離を詰めた鬼若の金砕棒が、轟と唸りを上げながらサンダーフェアリーを捉えた。
小さなサンダーフェアリーが【上位大鬼】である鬼若の一撃に耐え切れるハズもなく、その肉体は一瞬で四散。
血煙が生じ、破片が散弾じみた勢いで飛散するというのは、中々衝撃的な光景である。
「さっすが鬼若ねッ。私も負けられないねッ」
鬼若の活躍に、オーロ姉が反応する。
そして担いだ魔砲の砲口を、サンダーフェアリーだけでなく、泥を操る“泥妖精”や粘土製のゴーレムを使役する“粘土妖精”などなど多数の妖精達が身を挺して隠し、守っている、遥か後方で着々と強力な魔法を練り上げているここでは数少ない大型の妖精――“森林大妖精”達に向けた。
その砲口内からは赤い燐光が溢れ出し、内部で急速に魔力が凝縮され、特定の属性に変化しているのがよく分かる。
凝縮されていく魔力は放たれる魔弾の威力を連想させ、実際にどうなるかよく知っている身からすればフォレストハイピクシー達が一撃で全滅させられる光景も目に浮かんでくる。
しかし待って欲しい。
今オーロ姉が造っている魔弾の属性はまず間違いなく炎熱系だ。
そう、炎熱である。
そして炎熱の魔弾といえば、水の中でも燃え続ける魔炎を広範囲に撒き散らす不鎮炎弾に違いない。
そして今回は一定時間魔力を過剰に込めている為、通常のそれよりも強力なモノになっているだろう。
そんな物を、現在のような周囲が森という状況で使えばどうなるか。
少し考れば思いつくはずである。
だがしかし、
「魔弾生成完了ッ、ファイヤー!!」
「うおおおおおおおお、ちょっと待てー!」
僕の制止は間に合わず、魔砲のトリガーは引かれた。
大口径な魔砲の砲口からは目も眩むような発火炎と共に耳を劈く轟音が迸り、射出された魔弾は視認できないほど高速で標的に向かう。
そして射線上にいた妖精の悉くを貫通した魔弾は標的であるフォレストハイピクシーの胴体に着弾し、フォレストハイピクシーは一瞬で広がった爆炎と共に爆発四散。
その周囲にいた妖精達も、一帯を覆った紅蓮に飲まれて死んでいく。
まさに阿鼻叫喚の地獄絵図である。
即死した妖精はまだ運がいい方で、運が悪かった妖精は生きたまま燃やされ続ける事となり、救いを求めてフラフラと飛んでいる。
それはまるで地獄で漂う鬼火のようだった。
そして被害は妖精達を一掃しただけに留まらず、より拡大していった。
当然のように周囲に燃え広がった紅蓮は大量にある草木に燃え移って勢いを増し、凄まじい火災となったのだ。
瑞々しい生命力に満ちた木々も、魔弾が生み出した魔炎の前には呆気なく燃えてしまうようである。
離れていても、熱で皮膚が焼けそうだ。溢れんばかりの光量は、見つめ続けていると眼球に負担をかけすぎる。
「キヒ、キヒヒヒヒヒッ! 堪らないわねこの感覚ッ。最ッ高!」
しかしオーロ姉の攻撃は止まらない。
魔砲から伝わる身体の芯を揺さぶるような反動と、眼前に広がる光景に愉悦を見出してしまったオーロ姉は、次々に魔弾を撃ち放つ。
以前からそんな兆候はあったのだが、オーロ姉はお父さんから魔砲を貰ったあの日から、時たまこうして暴走してしまうようになったのだ。
これはやはり、オーロ姉の中に非常に濃い“鬼”の血が流れているという証拠だろう。
僕も敵の血を無性に見たくなる時があるので、オーロ姉の気持ちが分からないでもない。
「キヒヒ、キヒヒ! もっと真っ赤に燃えなさいッ」
それにしても、火災という普段以上にド派手なようによるものか、今回のオーロ姉の暴走は少々ヤバそうだ。
今も次々と撃っている魔弾の多くは不鎮炎弾だが、中には風を発生させて火災を強化する錯乱風弾も数発混在しているらしく、無数の火災旋風が巻き起こり、火災はより広範囲へと拡散していた。
既に周囲一帯は、紅蓮一色に染め上げられている。
ちなみに、火災は逃げ遅れたダンジョンモンスターを大量に屠っているらしく、膨大な経験値が僕達全員に分配されているのが分かる。
経験値取得効率という面では、オーロ姉の攻撃は非常に優れていると言えるだろう。
だけどこのままでは逃げ道の全てを炎によって塞がれかねなかった。
そうなれば、流石の僕達でも生存するのは困難だ。お父さん達ならばともなく、流石にこれほどの熱量で焼かれれば焼死は免れないだろう。
こんな、馬鹿げた自爆など絶対にゴメンである。
「鬼若はオーロ姉を担ぎ上げて強制的に止めさせろ! ルッツとイーラは先行して敵の排除! 一旦下がるよッ」
『了解ッ』
打てば響くような三人の返答を聞きながら、魔弾を撃つのに夢中になり過ぎて背後の警戒が疎かになっているオーロ姉の補助に走る。
オーロ姉の背後には、ここで出没するダンジョンモンスターの中では数少ない近接戦闘を得意としている“強筋妖精”が草木に隠れながら近づいていた。
身長は一メルトルにも満たない翅を生やした子供のような外見をしているマッスルピクシーは、薄赤色の衣服の下に強靭な筋肉の鎧を備える屈強な戦士だ。
武器は持っていないので基本的に殴る蹴るしかしてこないが、その威力は頑丈な金属鎧すら歪ませる程である。しかも背面の翅を利用した飛行による立体的な動きは時として予想できないモノとなる為、近接戦では非常に厄介で初見殺しなダンジョンモンスターだ。
そんなマッスルピクシーは、無防備なオーロ姉の背後をとり、いまこそ好機と判断したのか奇襲を仕掛けてきた。
翅が激しく動き速度を上げているが、全くの無音である。
普通なら気付く前に攻撃されて、無残に死んでいたに違いない。
だが僕はそれを既に察知して行動していたので、マッスルピクシーの攻撃がオーロ姉に届くよりも早く、腰にあるタバルジンを抜き、その頭部に振り下ろした。
マッスルピクシーは咄嗟に両腕を使って防ごうとするが間に合わず、ドクシャ、とタバルジンの刃がやや硬い頭蓋骨を叩き切る。眼球は飛び出し、傷口や口からはやや青い体液が溢れ出た。
なかなか気持ちの悪いようだが、その直後、タバルジンの能力によってマッスルピクシーの肉体は爆散した。
至近での爆発である為、マッスルピクシーの残骸が服や顔を青く汚す。
汚されたのは僕だけでなく、オーロ姉の背面もだった。
「わきゃっ! ちょっとアル、殺すのならもう少し丁寧にして頂戴ッ!!」
「ごめんごめん、次は気をつけるよ」
マッスルピクシーの奇襲など、僕よりも強いオーロ姉は当然把握していただろう。
それでいて、僕がサポートすると確信していた辺りは普段からの信頼の証拠なのだろうが、流石にそんな文句を言われても困る。
取り敢えず文句を流しつつ、急いでまだ火災の手が伸びていない方向に向かって走り出す。
既にルッツとイーラが先行して安全を確認しているそちらに、僕とオーロ姉を荷物のように肩に担いだ鬼若が続いた。
「しっかし、妖精共の焼ける匂いを嗅ぐと、腹が空くなッ」
そう言いつつ、火だるまになりながらフラフラと飛んでいた一匹の妖精を捉えた鬼若は、頭からバリバリと食べ始めた。
飛んできた妖精も、火から必死で逃げようとした先で生きたまま食われるなど、夢にも思わなかったに違いない。
敵なのでどうでもいいが、流石に僅かではあるが同情した。
「なら、もっと焼かないとねッ! ファイヤー!!」
いやまてその理論は可笑しい、と担がれて後方を確認しているオーロ姉にツッコミたいが、今は一刻も早くこの場から逃げるのが先決である。
既にやり過ぎているくらいにやり過ぎている為、辺り一面火の海だ。
懸念通りというか、想像以上というか、火災の勢いは強く、巡りが早すぎる。
それは周囲の紅蓮を見れば一目瞭然だし、何より感じる経験値の量から推察できてしまうような状況である。
火災による経験値取得効率は確かにいいだろう。
いいどころか凄まじくすらあるかもしれない。
しかし、だからといって周囲を火災で包んでもいいものだろうか。
これでは、せっかくのドロップアイテムがダメになってしまう。それは、なんて勿体無い事だろうか。
もしかしたらウチの事業に使える物も多かったかもしれないのだ。
こんな風に一切合切を燃やすくらいなら、ちゃんと利用してあげるのがドロップアイテムに対しても筋が通るのではないだろうか。
などと、勿体無い精神を発揮しつつ。
半ば以上現実逃避していた僕は走り続けた。
左右の空間が炎に飲まれていく様を見ながら進んでいくのは何だか幻想的ですらあり、危険に満ちていなければもう少し見たいと思う何かがあるが、それを振り払って走り続ける。
全く、オーロ姉の後始末はいつも大変だ。
それが完全に嫌かといえば、即座に答えられないのだから、僕も僕で、こんな関係を楽しんでいるのかもしれないけど。
それは、今はあまり深く考え過ぎないようにしよう。
全く、オーロ姉達と一緒にいるのは、退屈する暇も無さそうだ。
そういう事で一旦は下がったが、しばらくして火の勢いは弱くなり、焦土と化した空間を通り抜け。
色々と苦労したりしながら進み、最下層に到着した僕達は無事にダンジョンボスを倒し、地上に帰還した。
苦戦はしたが全員大した怪我もなかったので、明日は別の派生迷宮に潜る予定である。
言い出したのはもちろんオーロ姉だったが、皆も異存はなく、これからしばらくは忙しくなりそうだ。
でもこれくらいでないと、夢を叶えるなど不可能だ。
だからこれからも頑張っていこうと、徐々に沈んでいく夕日を見ながら内心で誓う。
赤く染まった空は、非常に綺麗だった。
【攻略者ルーキー・ベルルフの奮闘/仕事熱心な迷宮運送業者ホブ雷の営業】
[時間軸:二百二十日~くらいの話]
薄暗くかび臭い湿気た洞窟の中に、まだ十代半ばだろう一人の少年が居た。
身に纏うのは質素な麻の衣服と、その上から装備している草臥れた革鎧と革のブーツ。
腰には細々とした物を入れる革のウエストポーチがあり、その手にはやや刃毀れしたショートソードが握られている。
武装した姿から、少年は戦いを生業とする冒険者かそれに類する職業についていると分かるだろう。
そしてそういった職業について間もない事も、一目でよく分かったに違いない。
そんな少年の眼前には、一体の敵がいた。
敵は薄暗い洞窟を好んで棲家とする習性から、一般的に“洞窟小鬼”と呼ばれるゴブリンの一種だ。
黄色く汚れた乱杭歯をむき出しにし、少年を威嚇しているマインゴブリンの手には、木の柄に鋭利な石を括りつけた不格好な斧のようなモノが握られている。
もし少年が油断すれば、マインゴブリンは即座にそれで殺そうとしてくるだろう。
向けられる殺意と怒気に気圧されながらも、少年は歯を食いしばり、身体を動かした。
「セヤッ!」
少年は平坦ではない洞窟を出来る限り全力で走り、マインゴブリンに向けてショートソードを振り下ろした。
袈裟懸けに振り下ろされたショートソードの斬撃は、非常に拙いモノだった。
単純な筋力不足によるものか、あるいは鍛錬不足によるものかはさておき、何処かギコチなく、速度も威力も大した事はない。
もちろん素人とは比べモノにならないとは言え、戦いを職業としているモノからすれば児戯に等しいだろう。
だが我流ではなく誰かに教わっていると分かるだけの型にはなっており、それなりに理にかなった動きをしていた。
その為目の前にいる、集団ではなく単体として対峙したマインゴブリン程度ならば、十分通じる一撃だった。
「ギキャキャッ」
マインゴブリンは斧を使って防ごうとするが、勢いを完全に止める事はできず、押し込まれて肩を切られた。
傷口からは鮮血が散り、苦悶の声が響く。
致命傷になるような怪我ではないが、どうしても動きは鈍り、即座に繰り出された少年の追撃によって頸部を切断され、息絶える。
僅かの間だけ肉体は立ったままだったが、それもゆっくりと倒れていった。
しばらく残心して周囲の安全を確認した少年――ベルルフは、そこでようやくほっと息を吐きだした。
「ふぅー……緊張したぁ」
「お疲れ様です、ベルルフ様。だいぶ戦い慣れてきたようですね。最初の頃のようなヘタレっぷりとは、雲泥の差ですよ」
緊張を解いたベルルフは、背後から声をかけられた。
それは知っている人物の声である為、ベルルフはやや複雑そうな表情を浮かべながら振り返る。
「そう言ってもらえると嬉しいですけど、ホブ雷さんみたいになるには、まだまだ遠そうですよ。男として、情けない話ですけどね」
ベルルフの視線の先には、先端部に分厚いナイフを取り付けた大型のクロスボウのような何かと大量に物を入れられる“収納のバックパック”を背負い、数本のナイフを腰に装着し、黒骨で造られた特徴的な外装鎧を装備した中鬼が居た。
性別は女。比較的整った容姿をしており、美人というよりは可愛らしいと表現するのが的確だろう。
そんなホブゴブリンは柔和な笑みを浮かべ、周囲の空気を和ませる独特な魅力を持っているが、その戦闘能力はベルルフとは比べモノにならないほど高い。
先ほどベルルフが倒したマインゴブリンも、本来は数体の群れを形成していたのだが、その大半はホブ雷が狩猟した程である。
まだまだ自身は未熟であると自覚していても、やはり男であるベルルフは種族は違えど女であるホブ雷に大きく負けている事に悔しさと、少し違った感情を抱いているようだが、それはさて置き。
ベルルフと比べて明らかに実力差のあるホブ雷だが、ベルルフの同行人ではあるものの苦楽を共にしていくパーティメンバーという訳では無いし、同じ冒険者組合に所属しているから同行しているという訳でもない。
ホブ雷はベルルフが適正な金銭を最近本格的に営業し始めた総合商会≪戦に備えよ≫二号店に支払う事で雇った、新進気鋭の【迷宮運送業者】である。
資金に余裕のないベルルフが雇うのは少々お高い存在なのだが、しかしそのデメリットを飲んでも雇ってよかったと思うだけのメリットが存在した。
田舎から迷宮都市≪パーガトリ≫にやって来たばかりのベルルフにとって、金で雇い雇われる関係ではあるものの、それだけにホブ雷は裏切る事の無い信頼できる仲間であり、また戦闘技術を叩き込んでくれる頼れる教官であり、何より惚れてしまった相手だからだ。
異種族とはいえ、ベルルフにとっては故郷にいたどんな異性よりもホブ雷は魅力的だった。
一目会った時に身体中を貫いた衝撃は、思い出すだけでベルルフの心身を震わせる。
つまりは、一目惚れである。
「ベルルフ様は筋がいい方ですし、何より度胸とやる気がありますから、死なない限りは強くなれますよ」
「そう言ってもらえると、何だか嬉しいですね。見ててくださいよ、もっともっと強くなってみせますから!」
「ふふ、頼もしいですね。商会では戦闘訓練もやってますから、暇な時があれば受講してみるのもいいかもしれませんね。なんて話している間にドロップアイテムの回収は済みましたけど、次はどうしましょうか?」
「それじゃ、先に進みましょうか。もっと沢山殺してドロップアイテムを集めないと、ホブ雷さんを雇う資金が尽きてしまう。ホブ雷さんは同期の奴らにも人気ですから、少しでも頑張らないとですね!」
「あら、ふふふ。真っ直ぐ前を向いて頑張る男の子って、素敵だと思いますよ」
まるで鮮やかに咲いた花のようなホブ雷の微笑を見て、ベルルフの鼓動は早くなった。
頬には朱が浮かび、心臓は五月蝿いくらい拍動し、活発に血液を繰り出している。
だがそんなベルルフを他所に、ホブ雷の目はすっと細まり、その表情は真剣なモノに一変した。
それを見て、ベルルフも緩んだ精神を引き締める。
「……どうやら新手のようですね。数は五頭、足音からしてマインウルフだと思われます」
「マインウルフか……ちょっと厄介そうですが、おし、やりますかッ」
ベルルフは自身の両頬を叩いて気合を入れると、正眼に構えた。
先ほどの戦闘による疲れからか、手に馴染み始めているショートソードが普段よりも僅かに重く感じられた。
しかし生死がかかっているのだから甘ったれた事は言えるはずもなく、一度ゆっくりと深呼吸する事で無駄な力みを解し、敵を殺す戦意を全身に漲らせる。
そんなベルルフの数歩後ろで、ホブ雷は背負っていた大型のクロスボウらしきモノを前に回し、それを両手で構えた。
長い筒状の金属に取っ手や水筒のようなモノなどを取り付けたそれはまるで大型の水鉄砲か、あるいは銃剣を装着した小銃と酷似している。
全長は八十センチ程とそれなりに長く、小柄なホブ雷では両手で扱う必要があった。
ベルルフは知る由も無い事だが、ホブ雷の武器はパラべラムが製造した新装備の一つである【骨杭射小銃】というマジックアイテムで、人造魔銃とでも言うべき代物だ。
鹵獲された場合の技術漏洩を防ぐ為に分体という安全装置が組み込まれたボーンネイルガンは、ドワーフ達が精製した鋼鉄、ブラックスケルトン・コマンダーの黒骨、微量なミスラルなどの魔法金属、そして数種の精霊石を混ぜ合わせて出来上がった魔法合金によって構成されている。
その為見た目通りに頑丈で、見た目よりも遥かに軽い。ある種の鈍器として扱っても滅多に壊れる事はなく、ベルルフが持つショートソード程度では傷一つ付ける事はできないだろう。
そして人造魔銃なのだから、主な攻撃法は銃撃である。
使用する弾丸は材料の一つであるブラックスケルトン・コマンダーの能力により銃身内で生成される黒骨の杭だが、その他にも分体コーティングを施し追尾性能を付加した骨杭、通常時は骨杭を高速で撃ち出す役割を果たす為に配合された風精石や雷精石による風雷撃弾など、色々と種類が存在している。
団員なら誰が持ってもほとんど同じ性能を発揮し、構造的に特殊な訓練を必要としない為、生まれたてのゴブリンなどでも運用法次第で驚異的な戦果を叩き出せる兵器である。
実際、先の王国内戦でも局地的ながら大いに活躍したシロモノだった。
クロスボウよりも攻撃力や攻撃速度が優れているだけでも驚異的でありながら、弾幕による面制圧を可能にし、しかも数百メルトル先まで射程とするこれはこれまでに無い革命的な兵器なのだ
無論【英勇】など一部例外や、ある程度以上の存在には通じないが、それでもある程度までの相手ならば圧倒できる、と証明済みだ。
一部例外を除けば、これを制式採用した軍隊こそが最強として君臨できるのは間違いない。
「思ったよりも速いみたいですね」
そう言って、ホブ雷は片膝を地面についてボーンネイルガンを構えた。
所謂、膝撃ちと呼ばれる姿勢である。
「ですが、この程度なら問題もないですね」
そしてボーンネイルガンに標準装備されている環孔照門を覗くホブ雷の瞳は暗闇を遠くまで見透し、高速で迫ってきているマインウルフ達の姿を確かに捉えた。
カナ美ちゃんを頂点とする遠距離攻撃部隊≪リグレット≫に所属しているホブ雷からすれば、光源の乏しい洞窟の先からやって来る黒い体毛のマインウルフ達がどれ程速く走ろうとも驚異ではない。
例え壁を走ろうとも百発百中であり、たかが五頭程度、ホブ雷からすれば一呼吸の間に殲滅する事など造作もない。
それは血反吐を吐き、死にたくなる程厳しい地獄期間を乗り越えた者達が持つ、実力に裏付けされた事実である。
とはいえ、ホブ雷が全滅させてしまっては雇い主であるベルルフが成長する機会を奪う事になる。
あくまでも仕事はベルルフのサポートをする事なので、狙いを急所である額から動きを封じられる四肢に変更した。
「とりあえず先制して足を削りますので、その隙に止めを刺してください」
「分かりました、お願いします」
必要な言葉を交わし、ホブ雷はボーンネイルガンのトリガーを引いた。
プシュプシュ、とまるで空気が抜けるような独特な音と共に高速で撃ち出された骨杭は、正確に迫ってきていた五頭全ての両前足に命中した。
金属鎧すら穿つ骨杭はマインウルフの毛皮や筋肉を吹き飛ばし、硬い骨を貫通する。
両前足に風穴が空くほどの痛撃を受けたマインウルフ達は走る勢いのまま転倒するしかない。
速度が速度だけに、マインウルフ達は数回もバウンドする事になった。全身を襲う強い衝撃だけでなく、鋭角な石の地面によって裂傷を負った箇所もある。
黒い毛皮が、血で赤く汚れた。
「キャインッ!」
「うおおおおおッ!」
転倒した隙に、ベルルフは走る。
走る速度はそこそこで、瞬時に近づける訳ではないが、それでも事前に動き出していた事が有利に働いた。
両前足を穿たれたマインウルフが動き出す前に距離を詰め、ショートソードを振るう事ができたのだ。
戦技【斬撃】を乗せたそれは赤い軌道を残しつつ、先頭を走っていた一頭の頭部を唐竹割りにして屠ってみせる。
これ以上ないと言わんばかりの、会心の一撃だった。
一撃で殺せた事は予想外だったが、そこで止まらず、次なる獲物に向けてベルルフは左から右に奔る横一閃を繰り出した。
だが、ベルルフ達が現在潜っている洞窟――派生迷宮【仄暗い洞窟】――に生息しているマインウルフ達は、外に居る個体よりも全てが強く逞しい。
前足が使えないと判断するや、後ろ足だけで立ち上がり、跳躍して距離をとったのだ。
「ッ! もう一体いけると思ったんだけど、なッ!」
その予想外の行動に、ベルルフ程度の腕では追撃する事はできない。
横一閃されたショートソードが虚しく空を斬る。
それだけならまだいいが、この時自身の攻撃の勢いに負けて、ベルルフの身体は僅かにだが横に流れてしまった。
それによって行動の全てが遅延し、しかも逃げられた事で出来た意識の僅かな空白も加わって、見る者が見れば致命的な隙がそこに生じた。
本能だけで生きてきたマインウルフがそれを逃す筈もなく、ベルルフの柔らかい喉を目掛け、先の飛び退いた個体とは別の個体が飛びかかる。
その勢いは、瞬間的とはいえ四足時のそれと大差ないモノだった。今の体勢では、ショートソードで迎撃する余裕はない。
口内に生え揃った牙は鋭く、どう考えてもベルルフの頸など一瞬で噛み千切られるだろう。
確実な死をもたらすそれに対し、ベルルフは咄嗟に空いた左手の拳をその奥深くに突き入れた。
恐怖心を押し殺して突き出された左拳は、何と肘の辺りまでズブリと飲み込まれる事となる。
これ以上ないほど密着した状態になった為、当然ながらベルルフの腕や身体は牙や爪によって怪我を負うが、ダメージで言えばマインウルフの方が大きいのは間違いない。
口内を直接殴られ、しかも気道が拳によって完全に塞がれているので呼吸もままならず、腕を噛み千切ろうにも構造的にこの状態では満足に力を入れられないマインウルフは、窒息死するまでの間地獄の苦しみを味わう事になった。
もがく事で牙や爪によるダメージを与えられるが、それも弱々しくてベルルフに致命傷を負わせる事はできそうにない。
「痛いし重いしッ! でも邪魔だけど外す訳にもいかないから――ッ」
マインウルフという余分な重しのせいでベルルフの動きは目に見えて悪くなるが、マインウルフが死ぬ前に腕を引き抜く訳にもいかない。
それを知ってか知らずか、別の個体がベルルフを襲う。
怪我によって前足は使えないので、左腕のマインウルフと同じく噛み付き攻撃である。
今度は先ほどのような防御はできない為、迎撃しなければ死ぬだけだった。
「ッオオオオオオオオ!!」
高速で迫る死に対し、ベルルフはショートソードの一撃を繰り出した。
状況が状況だけに無我夢中で繰り出されたそれは、過去最速の一撃だっただろう。
しかしそれでも間に合わない。捨て身で突っ込むマインウルフの方が速く、ベルルフの一撃は僅かに届かない。
(クソッ! このままじゃ――え?)
「ギャインッ!」
何とか切り殺そうとしつつも、内心で諦めかけた次の瞬間、後方から飛んできた骨杭がマインウルフの両肩に殆ど同時に撃ち込まれた。
その衝撃は凄まじく、マインウルフの勢いの大半を削ぎ落とし、上半身は跳ね上がって無防備な腹部を晒す。
捨て身の攻撃を止められたマインウルフの運命は、直後に終わる事となる。
戦技を使用したのか赤い燐光を宿したショートソードの剣尖が喉の柔らかい部分から体内に侵入し、深く切り込む。
そしてまるで湖面を薙ぐように腹部まで切り裂き、脇から抜け出た。
剣身はベッタリと血で赤く染まっていた。
空中で開腹され、内圧と勢いによってドバっと溢れ出るのは生暖かく新鮮な内臓と夥しい量の鮮血。
特徴的な血と内蔵の生々しい臭気に、ベルルフは思わず顔を顰めた。
しかも裂けた胃から、消化しかけの人の手らしき肉塊が出てきた。それはベルルフ達と遭遇する前に誰かを食い殺してきた証拠だ。
それも消化具合からして、然程時間は経過していないだろう。
下手をすれば自身がこうなっていたのか、と顔を青くしつつ、窒息死寸前で動きも緩慢になってきた左腕をくわえ込んでいるマインウルフに止めを刺し、ベルルフは周囲にいる他の個体に目を向けた。
三頭を殺したのなら、残るは二頭の筈だった。
だが、戦いは既に終わっていた。
四肢の関節部だけでなく、胴体や頸部にまで無数の骨杭を打ち込まれた二頭のマインウルフは、既に動けそうにない。
まだ死んではいないようだが、それはあえて生かされているだけに過ぎなかった。
二頭はただ止めを刺されるのを待つ、哀れな生贄なのだ。
それを見下ろしながら、ベルルフはショートソードを二度振るう。
上手く頸部を切り裂かれたマインウルフ達は、断末魔を残す事なく即死した。
敵が全滅したのを確認した後、ベルルフは冷や汗を吹き出しながら片膝をついた。
連戦による疲労もあるが、左腕を中心とした怪我による痛みのせいだ。
牙と爪で身体の数箇所が抉られて、真っ赤な血が流れている。革鎧によって胴体の怪我はそこまで酷くはないが、口に突っ込んだ左腕の怪我はそれなりに深く、痛みのせいで感覚が曖昧になっていた。
放置しては握力低下や慢性的な痺れなど、非常に厄介な後遺症が出てきそうだった。
「ぶはっ! はぁ……はぁ……くそ、痛いなぁ」
早く応急手当をしようとベルルフが思っていると、ボーンネイルガンを担ぎ直したホブ雷が赤い液体を入れたやや細長い形状の小瓶を差し出した。
「よかったらこれ、使って下さい。ウチの新商品なんですけど一般的なモノよりもよく効きますから、その程度の怪我なら直ぐに治りますよ」
その中に入っているのは、体力回復薬である。
飲めば身体の損傷を癒してくれる、荒事の際には欠かせない魔法薬だった。
「あ、ありがとうございます。でも、いいんですか? 本当に」
「いえいえ、気にしないで下さい。それは試供品ですから、気兼ねなくどうぞ」
可愛らしいホブ雷の微笑とその気遣いに口元を緩ませたベルルフは、受け取ったライフポーションをグイっと嚥下した。
「あ、凄く美味いですね、これ」
ホブ雷が新商品だといって渡してくれたそれはやや甘く、市販されているものよりも飲みやすかった。
しかも飲んだ途端に痛みは薄れ、出血も弱まっていた。ふと傷口を見れば、ゆっくりとではあるが塞がっていくのが分かる。
市販のものよりも、確かに効果は高いらしい。
これはいざという時の為に買っておいた方が安心できそうだ、いやまて値段は幾ら位だろうか、とベルルフが悩んでいると、ホブ雷はその悩みを察したのか教えてくれた。
市販のモノよりも僅かに高いが、しかし高過ぎるという訳ではなく、その程度の増額でこれが手に入るのなら安いな、と思う額である。
これは帰ったら買いに行こう、とベルルフは内心で決めたのだった。
そんな考え中の百面相が面白かったのか、ホブ雷はクスリと笑う。
それに気がつかないベルルフは、もし後から知れば何ともったいない、と悔しがったに違いない。
「それにしても、狼系の噛みつき攻撃の対処は教えましたけど、実戦でいきなり出来るとは思いませんでした。最善ではありませんでしたが、良かったとは思いますよ」
好いた相手にそう言われて、ベルルフは慌てた。
左拳を口に押し込んだ一頭はともかく、もう一頭はホブ雷の援護が無ければ死んでいた。だから決して褒められるような事はしていない、と思ったからだ。
「いや、あ、あれは、事前にホブ雷さんが教えてくれていたからですよ! それにあのタイミングで援護がなかったらと思うと、あのまま喰い殺されたのは確実です。いやほんと、ホブ雷さんを雇って良かったと心底思います。命の恩人、って事ですね!」
両手で握り拳をつくり、熱く断言しながらグイグイと全身で近づいてくるベルルフに、ホブ雷は思わず後退した。
直前に味わった死の恐怖によるものか、普段ではしないような積極的な行動により、両者の顔がグッと近づいていたからだ。
それには流石のホブ雷も気圧されたらしい。
そんなホブ雷の動きを見たベルルフははたと立ち止まり、自分の行動を振り返って、我に返った。
第三者が居れば、ホブ雷に対してベルルフが強引に迫っているように見えたに違いない、と思ったのだ。
「す、すいません! 何だかちょっと、興奮し過ぎたみたいです」
「い、いえ、気にしないで下さい」
何だか微妙な空気となり、しばしの沈黙。
そんな空気を一新する為、先に言葉を発したのはホブ雷だった。
「それで、ですね。先の戦いを見た個人的な意見ではありますが、今のベルルフ様には盾があったらもっと安全にできたのではないでしょうか?」
あからさまな話題変更だったが、ベルルフはそれに乗った。
「そう、ですね。確かに、この階層で戦って、何度か自分の盾が欲しいと思いました。でも、それなりの物は高いですからね。金が貯まるまではしばらくこのままで行こうと思いますが、ダメでしょうか?」
「ダメ、という訳ではありませんよ」
先の攻撃も、盾さえあれば左腕を怪我する事は無かったかもしれない。その場合は戦闘が長引いた事も考えられるが、やはりまだまだ弱いベルルフには盾があった方が良いのは間違いないだろう。
しかし盾も決して安いモノではない。
比較的安い木造の盾でもダンジョンモンスターの攻撃を防ぐにはそれなりの質が必要で、相応の金銭が飛んでいく。
粗悪品ならば即座に買えるが、粗悪品なので壊れやすい。すると破損した盾が凶器になる可能性が高く、自身の命を預けるモノに使いたいとは流石に思えない。
宿代や治療費、ホブ雷の雇用費など優先すべき費用を考えれば、ベルルフが盾を購入するのはもう少し先になりそうだった。
「なら、ウチが格安で貸出してますから、それを利用してみてはいかがでしょうか? ベルルフ様はまだ貸出の条件を満たしていますから、自分に合う盾の下見と思って使えばいいと思います」
「あー、あれですか。確かに、ここでこれだけ苦戦するなら、先に進む事を考えて借りた方が良さそうですね。自前の盾を買うまでの繋ぎとして考えても、悪い話でもないですし」
思案するベルルフに、ホブ雷は一つ提案した。
それにベルルフは頷き、また思案し始める。
総合商会≪パラベラム≫二号店は、ピンからキリまであるがそれなりに使える品質の武具の貸出を行っている。
貸出すのは様々な戦場で鹵獲した量産品か、破損品を回収して拠点の【鍛冶師】達が練習台にして直した修復品、あるいは習作として製造した新品だ。
団員達はこれよりも良質なモノが支給される為、あまり使う事がない代物ばかりである。
これらは売ればそれなりの利益になるだろうが、将来を見据えて顧客獲得の為に投資しよう、というアポ朗の判断によって格安で貸出している。
一応、様々な事情から貸し出すのは初心者か低レベルの者で、それなりの金を払って会員になるなど幾つか条件が設けられているが、最近では口コミもあって、徐々に規模が拡大していたりする。
使われだしたのも、やはり一月銀貨五枚という武具としては格安である事と、破損した場合は破損品を持ち帰れば――この時偽物と入れ替えた場合は相応の代償を支払う必要があるらしい――別のに交換してくれる事が大きいだろう。
資金不足で装備類に不安を抱えていた農民や平民上がりの貧乏人達からすれば、まさに救いだったのだ。
レベルが上がったり、自前の装備を買えるだけの資金が貯まれば利用できなくなるが、無知によって悪徳武器屋から高値でゴミのような装備を買わされる心配が無く、信頼できるというのも大きい。
ちなみに、貸出品を持ち逃げしようとした輩は忽然と姿を消した、などという噂もあるが、そもそも貸出品の持ち逃げは窃盗罪に該当するので、それを事前に戒める為のモノだと思われる。
少なくとも、ベルルフの知人で消えた者は今のところ存在しない。
それで、そんな便利な貸出をベルルフが使わなかったのには理由があり、これまではショートソードだけでどうにかなっていたからだ。
どうにかなっていたのだから、少しでも消費を抑える為に使わなかったのも、変な事ではないだろう。
だが潜る階層を深くし始めた現在は、先の戦闘のように盾があればと思い始めていた。
怪我をし続けては回復薬代も馬鹿にならないし、傷口から変な病気に感染する事も考えられる。
それになにより、痛い事が好きだという特殊性癖の持ち主でもないのだから、無傷でいられるのならばそれにこした事はないだろう。
「そう、ですね。今は借りてもっと下に挑戦した方が、良さそうですね」
深い階層ほど難易度は高く、強敵ばかりである。
しかしその分だけ得られる富は多くなる。ベルルフ一人では難しいが、ホブ雷を雇えば下の階層でも何とかやっていける。
ここで盾を借りて深く潜るのと潜らない場合を考え、どちらが多くの利益を出すか思案し、答えは出た。
必要な金の使いどころを間違えてはいけない、と思いながら、ベルルフは今後の資金繰りについて考えた。
「盾を借りる時は、一緒に選んでくれますか?」
「はい。その程度の事なら、喜んで」
ベルルフはホブ雷と約束を交わし、ライフポーションによって怪我が治るまでゆっくり休むと、再び攻略を開始した。
ダンジョンモンスターの強さを考え、今日一日は焦らずじっくりと安全に攻略を続け、両名は夕方頃に外に出る事となる。
■ △ ■
迷宮の外に出ると見る事ができる夕焼けに染まった都市の風景は、何処にでもありながら掛け替えのないモノのように思えた。
夕日に照らされながら多くの人々が行き交う様は迷宮内で常に凝り固まっていた緊張を解し、周囲から漂ってくる食欲を刺激する匂いは生きる活力を沸き上がらせる。
グギュルルル、と腹が鳴った。
ジュルリ、と涎が垂れそうになる。
クワッ、と焼かれる肉を目が追った。
スゥーーー、と鼻が広がって匂いを嗅ぎとる。
疲れた身体は栄養を欲するが、しかし今は我慢の時だった。
ベルルフはありとあらゆる誘惑に抗い続け、目的地である≪総合統括機関≫に到着した時には精神的な疲労によって身体が非常に重かった。
それに苦笑いしつつホブ雷が精算所に今日一日で集めたドロップアイテムを出し、受付の男性職員に精算してもらう。
しばしの待ち時間が過ぎ、男性職員によって総額が提示される。
今回の総額は、収納系のマジックアイテムが無ければ到底持ち帰れなかっただろう大量のドロップアイテムの単価が潜る階層が深くなった事で上昇し、しかも今回は運良く宝箱を発見出来た事もあって、過去最高のモノとなった
ただし、満額が手に入る訳ではない。
ホブ雷を雇う基本料金は銀貨十枚――もしくは銀板一枚――だが、これは前払いする必要があり、既に支払いは終わっている。
しかし今回のように戦闘レクチャーなどのオプション代で、総額の三割を支払わなければならない。
痛いと言えば確かに痛い額だが、普通のパーティを組んでいる時よりも利益はあるので文句は言えない。
というのも、パーティが二人組なら取り分は一人四割で、残る二割はパーティで使う備品を購入する資金となる場合が多い。
それが今回は、七割がベルルフの取り分として残る事になる。
ホブ雷を雇う基本料金の事を考えれば多すぎるという訳では無いが、それでも今回の攻略により、ギリギリだった生活に多少の余裕が出る纏まった金が手元に入った。
これならば、という事でギルドを出たベルルフはパラべラム二号店に向かい、そこで今回の追加料金を支払い終え、そのまま約束通りにホブ雷と一緒に盾を選んで借りた。
借りた盾は、所々を鋼鉄で補強した一般的な木のラウンドシールドである。
取り回しが比較的簡単であり、多少乱暴に扱っても壊れないらしいので、今のベルルフには最適だ。
その他にも、新商品だというライフポーションを一瓶購入した。本当は数本買いたかったのだが、残っていたのは最後の一瓶だったのだ。
あとは雑貨類を購入した。他の店に行かなくても、ある程度の商品が揃っているここは非常に便利なのだ。
買い物が終わった後には重かった財布もかなり軽くなっていたが、いい買い物だったと満足そうに笑みを浮かべている。
また金を貯めて来ようと思いつつ、必要な買い物は終わったので出入り口に向かった。
そしてドアを開けたホブ雷が、ベルルフに頭を下げた。
「ベルルフ様、今日もお疲れ様でした。ではまた四日後の早朝、お待ちしております」
「はい、お疲れ様でした。次回はもう少し奥に進みたいので、今回のようにお願いしますね」
ベルルフとしては連日ホブ雷と一緒に潜りたいと思っているが、既に予約が入っていたので断念するしかなかった。資金面での問題もあるが、それはともかく。
仕方なく最短で入れる日付に予約し、それまでは一人で迷宮に挑戦したり、同期の攻略者から気のあうパーティメンバーを探すなどして時間を使う予定だ。
男子三日会わざれば刮目して見よ、という言葉もある。
成長した姿をホブ雷に見てもらうため、ベルルフは涙ぐましい努力をするつもりだったのだ。
それが報われるかどうかはともかく、ベルルフはホブ雷に見送られ、長期宿泊している宿に向かって帰っていった。
■ ◇ ■
そして日は過ぎ、予約当日の早朝。
やって来た総合商会≪パラベラム≫二号店内にて、以前よりも多少は良くなった武具を身に纏ったベルルフは、呆気にとられていた。
「あ……あれ? え?」
「おはようございます、ベルルフ様。今日もいい攻略日和ですね」
ベルルフの目の前には、ホブ雷が使用していたボーンネイルガンを大型化した重厚で独特な形状のマジックアイテム――銃身内に施条を施すなど多くの手が加えられた、正式名称【骨杭射突撃銃】というボーンネイルガンの強化版――を背負い、非常に高級でいて実用性とデザイン性を兼ね備えた強化外装鎧を装備した、笑みを浮かべる半鬼人の女性が居た。
スラリと伸びた四肢は女としての柔らかさを残しつつも鍛えられた美しい筋肉を備え、力強さと同時に健全な生物としての美が感じられる。
身長は百七十程のベルルフよりも僅かに高く、聴く者を甘く蕩けさせる美声の持ち主だ。
金糸のような髪は風に吹かれると、光を反射して美しく煌く。小麦色のムチムチとした柔肌は活発さと共に雌としての色香を漂わせ、胸の豊かな双丘は息を飲むほど魅力的である。
額に埋まった青色の鬼珠は蠱惑的な双眸と同じ色で、まるで第三の眼のようだ。その横に生える双角はやや小ぶりで、何だか可愛らしくすらある。
その容姿はホブ雷の面影が伺えるものの、一目では全くの別人にしか見えなかった。
「え、と。ホブ雷さん、ですよ、ね?」
「はい、そうです。……ああ、この姿では初めて会いますね」
赤面しながら自身に見惚れるベルルフに、照れくさそうに微笑みながらそう言う半鬼人は、短く何があったのか説明した。
「では、改めまして。以前の名はホブ雷、現在の名はクレ雷と申します。
改名の理由は、ベルルフ様と攻略を終えたあの夜、運が良い事に【存在進化】して“半天眼鬼”となったからです」
そう言われ、ベルルフは「な、なるほど」と納得しつつも、驚愕を隠せないでいた。
人間以外の種族はレベルが上限に達すると、【存在進化】する事がある、というのはこの世界の常識だ。
だが、実際に【存在進化】する個体は非常に稀である。
ベルルフも十数年生きてきたが、実際に【存在進化】した存在を見るのはこれが初めてだ。
もちろんベルルフが知らないだけで【存在進化】した個体を見ている可能性は迷宮都市という場所の関係上、大いにあるだろう。
しかしその数は決して多くないはずだ。
だがそんな稀な存在が目の前に居て、それも好意を寄せるヒトがそうなのだと知れば、まだまだ未熟なベルルフが驚く事も仕方ないといえるだろう。
そして一通り驚いた後、元ホブ雷で現クレ雷の戦闘能力を思い出せば、やはり【存在進化】できるような存在は凄いのだな、という感想しか思い浮かばなかった。
「では、本日もよろしくお願いいたします」
「あ、はい。こちらこそよろしくお願いします」
攻略前に色々と衝撃を受けたベルルフだったが、その日の攻略はこれまでよりも深い階層に挑戦し、多額の収入を得る事となる。
少しずつではあるが着実に、田舎者で何処にでもいるただの青年だったベルルフは一人前の攻略者へと成長していた。
ベルルフの戦いは、これからもまだまだ続いていく事だろう。
彼が今後どうなるかは、また別の話である。
■ 蛇足 ■
攻略に向かったベルルフとクレ雷を見送る者がいた。
パラべラムの従業員である、エルフの男女だ。
「流石クレ雷さん、あの客の心、ガッチリ掴んでるぜ」
そう言うのはエルフの男だ。
女性ならば目が離せない程の美形であるが、その顔には戦慄の感情が浮かんでいた。
カタカタと僅かに震えるのは、決して寒さによるものではない。
「ですわね。流石は人気ナンバー1のクレ雷さん、客を掌で見事に転がしてますわ」
両腕で自分を抱きながらそう言ったのは、エルフの女だ。
コチラも男性なら目が離せない程の美形であるが、エルフの男と同じく、美貌に戦慄の感情を浮かべている。
両者が何を意図し、何について戦慄しているかは、まあ、正確に語らない方がいいだろう。
敢えて言うのならば、ベルルフにとって、知らなくてもいい事実というのは、多々あるという事だ。
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