夏休み前の最後の学校訪問時に保健室の先生の「あの子は知的障害があるんですよ」という発言を聞いてから、すっかり学校に行く気?行かせる気?が失せている私たち両親です。
夫にも話したら、知らない子供の事ではありましたが、「悲しいね・・・」と大分沈んでいました。
子供を受け入れる側の公立小学校が、実際には子供を選んでいる側に回っているのが現実・・・。
最近も不登校者数が上がったというニュースを見ましたが、これだけ改善されていないんだから、いい加減、原因が学校の在り方にある事に気付いたらどうなんだろうか。
学校側の不登校問題の対処法(文部科学省から提示されているマニュアル?)ってどんな感じなんだろう?と思って検索してみました・・・酷かった( ゚Д゚)
あくまで生徒個人や家庭に問題があるとしている・・・酷過ぎるでしょ・・・日本の小中学校はいつから子供を選別するようになったんだろうか?
各自治体別の不登校に関するアンケートもあるけど・・・教職員は揃いも揃って「幻想」しか見えていないのが日本の公立小中学校の現状なんだと、改めて重く受け止めました。
現実とのギャップを知る教育者は、辞めるか、最初から私立や塾等にいくのだろうなと感じました。
その途中で、ネガティブな記事ばかりではなく、とても素晴らしい記事にも出会いました。
「古山教育研究所 ―教育論―」というサイトの記事で、リンクフリーと記載があったので、感謝しつつ利用させていただきました。
中でも「不登校問題の制度原因とその解決」という記事の内容に感動を覚えました!
ちょっと量がありますが、息子が夫とプールに行っている間に読み切ってしまいました。
特に印象深いところを抜粋させていただきました。
「不登校を現象としてまとめると、「その子にとって用意された教育は、その子にとってあまりに苦痛が大きく、利用不可能だった」と言えます。
客観的に「その教育が利用不可能であった」と捉える視点が必要です。」
1 子と親の窮状
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うちの息子の場合は、それでも自分を変えて合わせようと、一人で戦っていた時期があったわけです。
保健室登校している子も、「あの子は知的障害があるんです」と言われた子も、まるで自分の在り方を否定されているような扱いを、トップの文部科学省から受けているということですよ。
日本に生まれた日本人というだけじゃ、教育を受ける権利を十分に満たすことが出来ない現状。
そんなことを強いる日本の公立小中学校は、やはり子供の為に持つべき責任や熱意に欠けていますよね。
「個人として生きることは、必然的に、自分で責任を取り、社会と調和することにたどり着きます。」
Ⅲ8.(3) 現状は、個人も集団も育たない
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これは「嫌でも学校に行かせて”協調性”を身に着けさせるのが親や大人の責任」と言う人が見ている「幻想」を浮き彫りにしてくれた言葉な気がします。
本当の「協調性」とは何か?個人の中にどのように発生するものか?自然発生か、教育されるものか?
「みんなで同じ条件、同じルール、同じ手段を守り、みんなで同じ結果を出そう!」は、それは本当の「協調性」なのでしょうかと、問いただしてあげる必要があるみたいです。
「みんな違って みんないい」が「協調性」が持つ本来の意味ではないのかな?と、言ってあげなくてはならない大人たちが、公立小中学校で全ての子供を受け入れたフリだけして選別しているのです。
「同じだから、無難=安全とみなして仲間と認める」は、「協調性」ではなく、”協調性”・・・私の感じている温度、伝わるでしょうか?
「協調性」は世界平和すら実現しうるかもしれないけど、”協調性”は差別的概念!
「提供される教育が狭すぎる」
⑴教育が子どもに合わないと、まったく教育の道を閉ざされる
⑵多様性の欠如
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日本の不登校児や親は、これに悩まされますよね。
引きこもり等ではそれ以前の問題がその前にありますが、うちのように本人も親も学校を見限っている場合は、最低限の勉強はどうする?という問題があるのです。
「来ない生徒に責任は持たない主義」な教職員で構成されていますから、我が家も最初の不登校から一度も学校からの連絡はなく、もちろん担任と息子は会っていませんし電話でも話をしていません。
だから学校からの勉強のサポートの提案はありません・・・宿題を週1で取りに行ったりしていたけど、簡単&無意味で苦痛なだけ・・・夏休み以降は「宿題も授業の進捗もいらないので、連絡事項は電話でお願いします」と伝える予定です。
息子の勉強はチャレンジTouchが、公立小学校のほんの少し先取りでかなり役立っているし、1時間半のソルフェージュの授業にも問題点を指摘されずに参加できるし、何より将来の夢を実現させようと誰よりも努力している・・・これ以上、何を求めろと?(母への態度!w)
息子は十分に「教育」を受けている・・・でもそれは学校からではないのです。
某音大付属の音楽専門教室の先生方と、ヴァイオリンの先生・・・みなさん厳しい音楽界のプロですから、20代の先生でも親たちは尊敬の念を持って接しています。
子供達も、怒られたり厳しかったりしたからって、レッスンや授業が嫌いになるどころか、大好きで何が何でも出席したがるのです!
先生方は全員、「弾ければいい」「言う通りにする子ならいい」というお考えは一切お持ちではありません。
「反抗心がある方がいい」「自分の意見を持てないと、自分の音楽は出来ない」と、人間的に教育をしてくださっています。
先生方を見ていると、「人間的な教育」って、「基本を教え」、「子供一人ひとりの言動を受け入れ」、「教育者として自分の経験を語り」、「子供一人ひとりの変化を見守り」、「時々厳しさという課題を与えてやる」くらいなのかなぁと感じます。
文部科学省がこのような環境を「十分な教育」として認めるだけで、うち(外部あるいは学校から見ればw)問題とされることも、全て解決されている事になるんですけどね・・・。
そもそも公立小中学校にこれ程の教育的価値ってないですよね・・・もはや「教育」を受けられる場所ではなくて、日中の子供収容所にしか見えない(-"-)
今日は広い息子のデスクの端っこを間借りして書きましたw
やっぱりそれだけで勉強が進むんですよね・・・迷惑だわぁ(~_~;)
今はPCで「検索する」という作業をさせてます・・・先日義父母が持ってきてくれた「竹とんぼのキット」に興味あ有り、「飛ばし方や作り方を調べてみたら?」と声をかけてみたら「た!け!の!こ!」と叫びながら入力するから爆笑しちゃいました(;'∀')
それから、先日のピアノのレッスン中に先生に浴びせまくった質問も、もう一度自分で調べさせようかと思っています・・・もう少しで先生を怒らせそうでハラハラしている母です((+_+))
にほんブログ
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