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 あのキノコ雲の下で、友は、家族は、自分は……。今も長崎に原爆が投下された時の状況を知ろうとする人たちがいる。被爆から70年。手がかりを探すのは難しいが、あふれる思いが体を突き動かす。

■犠牲者名簿、親友と再会

 「チヅちゃんだ」。9歳の時に長崎で被爆した高井ツタエさん(79)=名古屋市緑区=は7日、親友との「70年ぶりの再会」に声を震わせた。

 爆心地に近い城山小学校(長崎市城山町)で、同小の前身、城山国民学校の犠牲者名簿が掲載されている本に、親友の宮崎チヅ子さんの名前を見つけた。

 チヅちゃんとは、爆心地から約5キロの地区で暮らした幼なじみ。かけっこや鬼ごっこで遊び、幼い頃のけがで腕がうまく上がらない高井さんがランドセルを背負うのを助けてくれた。

 原爆が投下される1週間ほど前、チヅちゃんは、警察官だった父の転勤で城山町に引っ越した。大八車の後ろに座ったチヅちゃんに「遊びに行くけんね」と言って指切りをした。