実写映画版「進撃の巨人」考察 『作品は壁外でどう戦うか?』
2015年8月1日
「進撃の巨人」の実写映画版がついに公開された。
まず、何故「進撃」の実写映画を観に行ったのかを説明しつつ、僕の作品に対するスタンスを明確にしていきたい。
今回、僕が映画館に足を運んだ理由はブログ記事のネタの供給・公開前の周囲への鑑賞宣言などなど色々あるが、敢えて一点挙げるならば、原作である漫画「進撃の巨人」の大ファンであることである。
信者であるならば原作の実写化を観なければならないかと言われれば、正直そんなことはないのだろう。
原作・アニメ・実写は別の作品で、願わくばお互いにリスペクトがあれば良いのだが、受け手である僕等は普通そんなことは考えない。
簡単に言えば、最初に触れたメディアを一番だと思い込むのだ。
僕が「進撃の巨人」に最初に触れたのは漫画、コミックスの1巻からだ。
ジャケットから只ならぬ雰囲気を感じて購入。すぐに引き込まれた。
絵はお世辞にも上手いとは思わなかったし、キャラの描き分けも拙く感じた。
だが圧倒的な個性が作品全体から醸し出されていて、とにかく魅力に溢れている。
既存の漫画の枠に収まり切らない雰囲気を僕は強く感じたのだ。
その後、作品は「このマンガがすごい2011 オトコ編」で第一位を獲得。話題が一気に沸騰し、アニメ化やスピンオフ作品も出され今に至る。
そして僕は当然の如く原作信者になった訳だが、とにもかくにも実写映画版の話をしよう。
まず本作を制作した方々にお疲れ様でしたという労いとともに、よく作品化してくれましたと賛辞を贈りたい。
様々な取り上げられ方をすることでハードルは限界まで上がり、かといって実写での表現は全て思うとおりに出来る訳ではない。
実写は監督がイメージしたものに一番近いものを表現するしかないのだ。
オリジナル作品の場合は誰も元ネタを知らないので、それがイメージをどの程度再現しているかは観客にはわからない。
しかし本作のように元ネタがここまで有名になっていると、再現度の時点でハードルが上がりすぎて作る側はかなりしんどい思いをするだろう。
それでも本作はなんとか撮りきった訳で、僕はそれだけで充分に評価してよいことだと感じる。とにかく作り上げたのだ。
この実写「進撃の巨人」で僕が言うハードルというのは、原作・アニメ・実写というステップにおいての作る側の精神的な重圧の話だ。
作品の内容を4要素に分け点数を10点で配分してみた。
もちろんこれは僕の主観だが、注目して欲しいのはストーリーの点数配分が原作→アニメ→実写の順で下がっているということだ。
これは「進撃の巨人」という作品の面白さの性質に関わっている。
「進撃の巨人」はカテゴリーでいうと、ファンタジーかSFという意見も散見されるが、僕はミステリーであると考えている。
「進撃」の持つ最大の魅力とは、少年漫画の王道ともいえる「先が気になる」というポイントを「ストーリーの大筋」で押さえているところだ。
登場人物の生き死には?巨人との戦いの顛末は?そもそも巨人とは?人類は何故壁の中にいるのか?
気になるポイントを細かく解決しながら新たな謎を散りばめて、しかもそれを一つの着地点へ進めていく構成はミステリーと言って良いのではないだろうか。
そんな訳で強いて言うなら「SFファンタジーミステリー」だ。
そしてこのミステリー要素の素晴らしさこそが、ストーリーの点数を原作→アニメ→実写の作品化された順番で下げさせる要因となっている。
既にお分かりの方も多いと思うが敢えて説明しよう。
ミステリー小説の犯人を、今まさに読み進めている人間に教えることは、万死に値する大罪である。
それはミステリーの醍醐味を毀損するからだ。
本作も同様である。
ストーリーラインが知られている、つまりネタバレしている状態ではも楽しめる作品は山ほどある。
だからこそ、世の人気作品はアニメ化も実写化もされる訳だ。
しかしながら、「進撃」の場合は初見の衝撃が受け手にとって非常に重要であり、それは作品の持つ一番の特性であると言える。
実写映画版を、「進撃の巨人」の内容を全く知らずに観る人間はどれだけいるのだろうか?
ここに本作の制作にあたり用意されていたであろう2つの選択肢を挙げる。
1.「進撃」初体験の人に向けて、なるべく原作に忠実に作る
2.「進撃」を知っている人に向けて原作を無視して個性的に作る
本作の制作陣は1を選択した。
だからその選択を踏まえた上で考えると、本作を論じるには「進撃の巨人」の原作漫画とアニメに触れたことがないという人でないとあまり参考にならない。
巨人のビジュアル、巨人のルックス、独特の世界観、それらに本作で初めて出会った人はどう感じるのだろうか?
おそらく僕の本作への評価よりも、だいぶ高い点数をつけたのではないだろうか?
『作品は壁外でどう戦うか』
「進撃の巨人」の場合、原作漫画が発売されたことにより作品が世界に打って出た形になった。
それがヒットし、「このマンガがすごい」で1位になったことで世界の一部を占めた……、その作品の領域を高い壁で括ったのだ。
アニメ版・劇場映画版・スピンオフ漫画、そして実写映画版。
これらは全て原作の建てた高い壁の中でさらに壁を建てているということなのだ。
もちろんこれは商業性においてではなく作家性においての話だ。
ましてや原作の作家性を第一義にした場合、それはどうしても原作の建てた壁の中に収まってしまうことになる。
時に原作の外側に壁を建てるほど作家性の高いアニメや実写がある。
それは原作の作家性の枠を出てテーマを組み、それが成功する稀有な例であろう。
原作という壁の中で、ファンからの期待が高まるだけ高まった今、樋口真嗣監督はまさにポスターにあるその言葉をテーマに掲げていたのではないだろうか。
「運命に挑め。戦わなければ、勝てない」
そう、映画監督ならば、挑んで、撮らなければ勝てないのだ。
そして僕等は世界の一角にどうやって壁を建てるのか。
世界に打って出るのにはどうしたら良いのか。
それは原作の調査兵団よろしく、甚大な被害を負おうとも、全滅の危機に瀕するとも、試行錯誤と模索を繰り返し、自分という壁の外へ作品を駆けさせていくしかないのである。
創作者ならば作品に挑め。
戦わなければ、創れない。
我々めさき出版も目を背けてはいられない問題だ。
そして本作、実写映画版「進撃の巨人」は後編が9月19日に公開される。
原作をリサイズしたと言って良い前編を受けて、一体後編はどういった展開をさせるのだろうか。
ポスターにはこんな文言が記されている。
「世界はまだ終わらない。今度は人類(オレたち)の番だ」
どんな作品になるか、期待したい。
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