RCSRECS on CPF #WhoWannaRap? ;post3 Exclusive Interview ATOSONE by 二木信

RC SLUMは俺の住所
――ATOSONE、電撃インタヴュー

●取材/文
二木信

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SUICIDE RC 極論の極致 光の闇に沈み込み 空が濡れた街を歩く(ATOSONE)
――RCSRECS.「RC ANTHEM」

音楽は街に育てられ、街は音楽に育てられる。街と人間と音楽には強固な結びつきがある。言うのは簡単だが、この実感を味わえる機会は人生にそう何度もない。2015年夏、灼熱の名古屋は我々にその貴重な機会を与えてくれた。水先案内人はATOSONE。名古屋のストリートでこの名を知らぬ者はいないだろう。RC SLUMなる音楽レーベルのオーナーであり、近年東海地方から巻き起こったNEO TOKAI DOPENESSというヒップホップ・ムーヴメントの嵐の中心にもこの男がいる。だが、その正体は謎のベールに包まれてきた。私が持ち合わせている情報もわずかだ。つまり、今回の旅の最大の目的はこの謎の男に会うことである。

名古屋駅から地下鉄を乗り継ぎ、矢場町駅で降りる。銀行や大企業や劇場などの巨大ビルや建物が並ぶ大通りを抜け、ある小さな路地に入り少し歩くと、突如、骨董品に息を吹き込み蘇生させたような洒落た看板が掲げられた小さなビルがあらわれる。その看板には絵画とともに「STRANGE MOTEL SOCIAL CLUB」、そう描かれている。ビルの2階にあがり、小さなドアを開け、アパレル・ショップというよりもブティックといった装いの店内に入る。壁にはヴィンテージ物の、皺ひとつないワークシャツやアロハ、カスタムが施された洋服がかけられている。時計、机、鏡、本棚、カウンター、それらすべてがレトロな高級品なのだろう。昭和の洋館のようでもあり、同時に戦前の上海租界を舞台にした映画のセットのようなオリエンタルなムードがただよう。カウンターには大きな液晶のMACがドンッと置いてあり、さまざまな小物やCDが雑然と散らばっている。スピーカーからは軽快なジャンプ・ブルースや古いR&Bが流れている。この洒落た店内の中心にその男はいた。愛嬌のある表情と首筋と右腕に掘られた派手な刺青から醸し出される凶暴なオーラ。うだるような暑さを避けるためか、大きく真っ赤な扇子を手に持っている。彼こそがATOSONEだ。

ATOSONEという人物を一言で説明することは難しい。憚られると言ってもいい。ひとまず洋服屋「STRANGE MOTEL SOCIAL CLUB」の店主であり、音楽レーベル「RC SLUM」のオーナーと紹介しよう。彼はデザイナーであり、時にトラックメイカーであり、時にラッパーにも変態する。今回の私の名古屋での任務はただひとつ。RC SLUMとは何か? そのヒントをわずかでも掴み取ることだ。そのためにATOSONEの歴史から紐解いていこう。

ATOSONEは1983年東京都東久留米市に生まれ、中学の頃に諸事情から三重に移り住んでいる。当時からやんちゃな少年だったようだ。「俺は右も左もわからない転校生だったから、グー(拳)でなんとかするしかなかった。まあでも俺は頭も良いし、サッカーも上手いし、モテたね。中学の頃にファン・クラブがあったぐらいだから」、ATOSONEは冗談めかしてそう言う。現在に続くATOSONEとRC SLUMの物語はすでに高校時代に始まっている。三重のとあるクラブで、のちに共にヒップホップ・クルー、TYRANTを結成するDJ BLOCKCHECKと運命的な出会いを果たしている。

「ヒロシ(DJ BLOCKCHECK)はめちゃくちゃ目立っとったね。高校生でコーンロウで髪を編み込んどって男前だし性格も明るかったから。俺が住んどった地域でいちばんフェイムな人間だった」

DJ BLOCKCHECKは今年、『Bubblicious 99』という1999年のヒップホップに焦点を当てたMIXCDを発表している。高校時代、TYRANTのラッパー、HIRAGENをATOSONEに紹介したのも彼だ。だが、ATOSONEとHIRAGENは水と油だったという。

「ヒロシにHIRAGENを紹介してもらったけど、あいつのことは大ッキライだった。一個下のくせにクソ生意気だったし、殺してやろうかと思っとった」

過去のことを語るその口調からでさえ鬼気迫るものを感じる。だが、そんな天敵だったHIRAGENのラッパーとしての才能には一目置いていた。

「2回目に会って話すのは、それからだいぶ経ったTYRANTを結成するときだけど、それまでもクラブで何度か見たりはしてた。絶対に話さなかったけど、ラップはむちゃくちゃかっこよかった。当時の名古屋はBALLERSやAK-69のスタイルが全盛の時代だったのに、HIRAGENはDJ KRUSHのビートでラップしていて目立っとったね」

ATOSONEはさらに続ける。

「俺らの時代は名古屋が絶対的で、悪いヤツらが聴く音楽はヒップホップとハードコアだった。ヒップホップだったらトコナメくん(TOKONA-X)、ハードコアであれば、名古屋のCALUSARI、岐阜県可児市出身のDEVICE CHANGE、三重出身のDOS(現・FACECARZ)がおった。彼らが俺のヒーローで、そういう人たちに憧れて名古屋に出ていく。特にハードコアは客とバンドがひとつみたいなもんで、バンドがいてその周りにローディーがおって、それが街の勢力になる。だから、いちばんタフで、いちばん強くて、いちばん音楽のかっこいい人らに憧れた」

つまり、音楽は街と街との闘いであるということだ。そんな血気盛んなATOSONEは18歳で三重から名古屋に移り住み、ひょんなきっかけで働き始めたSQUAREというアパレル・ブランドの会社で、名古屋のストリートの真髄を体感していくこととなる。

「あるとき、道ですれちがったONIくん(SQUARE代表)に『なにしとるの?』って言われて、『なにもしてない』って答えたら、『じゃあ、うちで働け』って言われた。それで次の日からSQUAREで働き始めた。ONIくんは9個上の大先輩で、ケンカの仕方から便所の掃除や挨拶の仕方まで一から十まで教えてもらった。だから、ONIくんには一生逆らえないし、親みたいなもん。そこで教えてもらったことがいまでも生きている」

「SQUAREは名古屋の金看板」と彼はさらりと言うが、その言葉通り、SQUAREの代表である通称・ONIは名古屋の音楽、ストリートの世界を語る上で欠かすことのできない伝説的音楽イベント「MURDER THEY FALL」の主催者である。1998年から2010年まで続いた「MURDER THEY FALL」は名古屋のヒップホップとハードコアの密接な関係を象徴する、街の表から裏までが凝縮された名古屋の音楽シーンの代名詞とも言える一大イベントだ。前述したCALUSARI、DEVICE CHANGE、FACECARZといったハードコア勢から、もちろんあの名古屋のレジェンド、TOKONA-XやM.O.S.A.D.まで、東海地方のアクトを中心に全国各地の強者たちがそのステージで凌ぎを削り合ってきた。TYRANTもこのイベントの出演経験がある。ATOSONEは当時のTOKONA-Xについて次のように語る。

「当時のTOKONA-XとM.O.S.A.D.はむちゃくちゃかっこよかったよ。TOKONA-Xを見とりゃ当時は面白かった。名古屋のRADIXってクラブには上から客がステージを観られる場所があって、そこに下から登っていっちゃうとか、やることがとんでもなかった。言うまでもなく、TOKONA-Xは俺だけじゃなくて名古屋のみんなにとってでかい存在だった」

それゆえに、圧倒的な影響力とカリスマ性を持ち、全盛期を迎えていたTOKONA-Xの、2004年の突然の死は名古屋の音楽シーンのみならず、街そのものに暗い影を落としたという。そのことについて語るATOSONEの言葉には、名古屋のストリートを生きてきた当事者のずしりとした重みがある。TOKONA-Xの死とその後の街の様子ついて沈痛な表情で振り返る。

「TOKONA-Xの死は悲惨でしかなかった。ただただ悲惨だった。人が死んでいいことなんてない。最悪だった。トコナメくんが死んでから、街が静かになった。スーパースターが死んだってことだ……」

ATOSONEはSQUAREで7年ほど働いたのち、2008年に“独立”し、ほぼ同時期にヒップホップ・クルー、TYRANTを結成している。25歳の頃だ。その若さにして独立と聞けば、華々しい印象を受けるかもしれない。しかし当時の名古屋で若くして独立し、街で自分の看板を掲げることは生易しいものではなく、多くの軋轢を生む。

「名古屋って街はすごく排他的で、上が絶対で下はそれに従え、そういう文化が根強くある。それに対してアンチを唱えたのがTYRANTであり、俺だった。ONIくんの下で働いている人間だったから俺のことを多くの人間が知っていて、しかもその中でもいちばん年下の俺が順番待ちができなくて自分の看板を出した。『歳が上だけの三下になんで俺が従わなきゃならんのだ』っていうのをはっきり言っちゃった。それによって揉めることがいっぱいあった。先輩が店に乗り込んできたり、クラブで金魚のフンみたいなヤツらに文句言われてケンカになるとかしょっちゅうだった。俺はこんな刺青入っとるし、誰よりもクラブで踊るの上手いし、目立つもん。だからケンカを売られた。でも俺のケンカは華があるからさ。だからみんな喜んじゃうんだ。んははははっ」

ATOSONEのグル―ヴィーな語り口からは、ハードな環境をその強靱な精神力とタフさだけではなく、持ち前の明るさとひょうきんさで乗り切ってきたであろう人間の余裕と貫録が感じられる。道化の戦闘性とでも言えるような、相反する性質を呑み込んで吐き出す類まれな表現力がある。そんな彼の周りに多くの仲間が集まり、物語が動き出す。

「当時の名古屋はいろんなことが面白くなかったからね。ヒロシと『俺らで面白くしよう』って話になった。それでTYRANTを作った」

つまりTYRANTは、TOKONA-X亡き後の名古屋の音楽シーン、ひいては街とストリートを盛り上げるために動き出した側面があると想像できるが、具体的にどのような話し合いがおこなわれたのだろうか。

「肩パン! 全員集まって朝まで肩パンした。肩が真っ青になってるヤツもおったね。誰も止めようってヤツがおらんもんでひたすらやっとった。俺、HIRAGEN、ヒロシ、MEXMAN、P3T、YUKSTA-ILL。TYRANTの初期メンバーは全員いたね」

2009年にTYRANT名義で初の3曲入りの作品『KARMA』がリリースされる。だが、その時点ではまだRC SLUMというレーベル名は記されていない。その後、整然と秩序立った世界を手当たり次第に引き裂くようなHIRAGENの衝撃のファースト・ソロ・アルバム『CASTE』(2010年)が世に放たれたとき、「RACOON CITY SLUM RECORDINGS」というクレジットが初めて登場する。

ラッパーのYUKSTA-ILLがヒップホップ・ウェブ・メディア「amebreak」のインタヴューで、「“RACOON CITY”の略がRC。要するに四日市っていう、自分の地元でコンビナートとかがある工業地帯なんですけど、その雰囲気と照らし合わせてこのレーベル名があります」と語っていたため、中京工業地帯からの連想でホンダ・ラクーンに由来すると思い込んでいたが、ATOSONEはその推測を否定する。

「違うね。TYRANTにしろ、RACOON CITY SLUMというレーベル名にしろ、そういうアイディアを言い出すのはHIRAGEN。RACOON CITYは『バイオ・ハザード』に出てくる街の名前で、TYRANTもその中に出てくるいちばん強い敵。最初はカプコンのテーマソングになったらいいなとか言ってたけど、ならんかったね。HIRAGENはセンスがよろしいんだ(笑)」

RC SLUMのサイトにはこのレーベルについて「快楽至上主義型先鋭利益追求集団」と記されている。ATOSONEにとってRC SLUMとは何なのか?

「RC SLUMは住所。『お前は家どこ?』って言われたときにそう答える。言いたくなかったら言わない。言える相手にだけ住所は教える。俺はそういうつもりでRC SLUMをやってる」

RC SLUMからはすでに多くの作品がリリースされている。ここですべてを紹介する余裕はないが、手始めにRC SLUMのbandcampにアクセスすることを勧めたい。あるいは、この夏に発表されたばかりのYUKSTA-ILLのオリジナル曲や客演曲など40曲をまとめたMIXCD『MINORITY POLICY』を聴くといいだろう。RC SLUMやTYRANTの歴史をフォローすることができる。このMIXCDに収録された「RC ANTHEM」というポッセ・カットのマイク・リレーの素晴らしさと言ったらない。MASS-HOLEの重厚なビート上でくり広げられるラッパーたちの饗宴には、TYRANT/RC SLUMのグライミーな魅力が凝縮されている。

ATOSONEはRC SLUMからリリースされる作品のデザインや所属ラッパーたちのミュージック・ヴィデオの監督も担当している。映像やアートワークを見て、RC SLUMのヒップホップ/ラップ・ミュージックを聴いてみて欲しい。そこにはATOSONEのクレジットがあり、ラッパーたちの口からはATOSONEというライムがくり返しスピットされる。名古屋のストリートの洗練された都市性と反逆児たちの生々しい野性を有するそれらのアートは、多くの理解者たちの登場を待ち望んでいる。また彼らはMETHOD MOTELというパーティもおこなっている。それらの表現や活動は、ATOSONEが2011年に名古屋市中区栄にオープンした「STRANGE MOTEL SOCIAL CLUB」の店内のヴィヴィットなセンスと直結しているのではないだろうか。

「もちろん俺は洋服屋だから洋服についてもやってきたし、俺と俺の仲間たちは音楽ありきでやってきたから、例えばそれまで単車に乗ってた不良が『音楽やりま~す』っていきなり音楽を始めたからといって俺らに敵うわけがない。ずーーーっと音楽について考えてきたんだ、俺たちは。だから、しがらみや上の人間がどう言うだろうとか、そういうことじゃなくて、自分たちの体から出る音楽をやり続ける。音楽ってのは楽しくないと意味がないんだ」

「STRANGE MOTEL SOCIAL CLUB」でのATOSONEの単独取材はここで終了した。正味40分。彼は「もう終わりだ」と言い、なかば無理やりインタヴューをたち切り、「君はオツムがカタいんだよ!!」と私に言い放った。それでは移動しよう。車に乗り込み、ATOSONE行きつけの小料理屋に案内してもらう。店のおかあさんに奥の十畳ほどの畳の部屋に通される。さっと襖が閉まる。ここはこの刺青の男のフッドだ。YUKSTA-ILL 、MIKUMARI、 MC KHAZZといったRC SLUMのラッパーたちが合流して、煮物にはじまる郷土料理と焼酎をあいだに我々は再び語り始める。MIKUMARIはATOSONEと漫才コンビのように地元スラング混じりの冗談を言い合い、MC KHAZZは地元名産の金魚が売れないと地方の窮状を語る。YUKSTA-ILLは淡々と冷静に音楽の話をしてくれた。ATOSONEはゲラゲラ笑いながら仲間に向かって言う。

「こいつに今日すでに90問以上は質問されてる。警察みたいなヤツだ」

それでも私はここで訊くべき質問をさらに浴びせる。

「RC SLUMのCPFのアルバムはどうなるのか?」

ATOSONEは「言いたくない」とくり返すが、私は酔いにまかせてくり返し問いた。そのときだ。何度目かの同じ質問の瞬間の、「言いたくねえっつってんだろ」と言うATOSONEの下から眼光鋭く睨みをきかす、赤く上気した狂犬のような顔を私は一生忘れることはないだろう。こんなに恐ろしい表情をできる男とは会ったことがない。

「俺らは音楽より悪いことはしねえから」、そう言ってこちらをもう一度ギロリと睨み、それから一転ニヤッと愛嬌のある笑みを浮かべ、焼酎の水割りをグイッと飲んだ。

深夜、栄にあるクラブ「KalakutaDisco」に足を運び、RC SLUMの面々の強烈なライヴを観た。クラブからは人が溢れかえり、あたりはちょっとしたお祭り状態だ。ラッパーはクラウドにもみくちゃにされながらマイクを握り、ソウルを吐き出している。クラブの向かいの駐車場に立つATOSONEの周りにはラッパー、DJ、ヘッズ、ファン、仲間たちが自然と集まり、みんなが思い思いにたむろし始める。クソ美しい光景だ。これから名古屋で始まる物語とそこから生み出されることばと音楽は、あなたの物語になりあなたのことばと音楽になるだろう。WE ARE RC SLUM!!!!!

でらむかちぃた/しがらみはすべて燃やした
(MIKUMARI)
――RCSRECS.「RC ANTHEM」

(敬称略)

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#WhoWannaRap?

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