被ばく70年の広島・原爆ドームからお伝えします。
1945年8月6日、暑く晴れた朝だったと言いますけれど、今日の広島も最高気温が今年最高の35.4度と猛暑日となりました。
戦争の取材をしていて、いつも思いますのは、殺される理由のない市民たちが虐殺されていく、それが戦争だということです。
まさにその1つが、この広島です。
普通の人の暮らしがあったこの場所のすぐ近く、ここから100mもいかない場所の上空でアメリカが投下した原子爆弾がさく裂しました。
それから70年がたちましたが、被ばく地の思いや犠牲となった人々に答える70年だったのか、様々な矛盾が見えてきています。
昭和20年、1945年8月6日午前8時15分。
人類史上初めて使われた核兵器でその年の末までに14万人が亡くなったとされる。
安らかに眠って下さい、過ちは繰り返しませぬから。
この後の懇談の場でも被爆者団体代表が安全保障関連法案の撤回を求めた。
被ばく者の平均年齢が80歳を超える中、こうした声も聞かれる。
原爆ドームの前で祈りを捧げる三原君江さん。
当時19歳だった三原さんは後に原爆ドームとなる広島県産業奨励館で働いていた。
建物の中にいた人は全員が死亡したとされるが、三原さんはあの日、仕事に遅刻し、命が助かった。
生き延びたことへの罪悪感。
自らも被ばくしながら、その体験を語ってこなかった三原さんだが、70年という時を経て、この場所としっかり向き合えるようになったと言う。
この三原さんの職場があったのがまさにこの建物でした。
これまで語ってこなかった三原さん、今年になって証言を始めたのは、ある矛盾への思いもありました。
私たちの国は大統領が核なき世界の実現と演説し、ノーベル賞を受賞しながら、今も世界最強の核保有国であるアメリカの核の傘の下にいます。
つまり核廃絶を訴える日本がアメリカの核で守られているという矛盾があります。
この問題は日米同盟、また安保法制の議論に通じるところもありますけれど、今日の広島市長の平和宣言は核の非人道性とともに核兵器の廃絶を訴えました。
安倍総理も核兵器のない世界の実現という表現を3回も使って、核兵器の廃絶を強調したわけですが、そのためには現実的で実践的な取り組みを着実に積み重ねていくと述べました。
この現実的とは一体何を意味するんでしょうか。
そこには結局、核廃絶は理想主義に過ぎず、アメリカの核に守られる日本を初めとした世界の核をめぐる状況を認める姿にも見えるという指摘があります。
その意味で市長の平和宣言と総理の挨拶の間には距離を感じずにはいられませんでした。
広島や長崎の声との矛盾を解く道筋はないのか、唯一の被ばく国としてどうあるべきなのか、大きな岐路に立たされている被ばく70年の8月6日です。
川べりには多くの人が詰めかけていますが、この後、犠牲者追悼の灯ろう流しが行われることになっています。
佐古さんに広島から伝えてもらいました。
次も戦争と平和がテーマです。
戦後70年の節目に安倍総理が出す談話はどうあるべきなのか、総理の諮問機関が先ほどこのような報告書を出しました。
安倍総理はこれを参考にして来週の14日に談話を発表する方向ですが、先の大戦での侵略やお詫びを盛り込むかどうかが焦点となっています。
総理官邸前から中継。
先ほどこちら、総理官邸で報告書を受け取った安倍総理は先の大戦から我々は何を学び、そしてどのような道のりを進んでいくのかということを世界に向けて発信していく談話を作成していきたいと述べました。
報告書はまず先の大戦をめぐり日本が大陸への侵略を拡大し、無謀な戦争でアジアを中心とする諸国に多くの被害を与えたと当時の日本の国策の誤りを指摘するところから始まる。
そして、植民地支配が過酷化した1930年代以降の日本政府と軍指導者の責任は重いと明記し、先の大戦に対する痛切な反省に基づいて20世紀後半は全く異なる国に生まれ変わったと戦後日本の平和主義の歩みを振り返っている。
さらに中国、韓国との和解について完全に達成されたとは言えないとしながらも中国については、小泉談話と村山談話が和解の1つの区切りとみなすことができると指摘しています。
一方、韓国については河野談話やアジア女性基金など、日本側の取り組みを当時の韓国は評価していたにもかかわらず現在、和解が進んでいないことについて、韓国政府がゴールポストを動かしてきたという表現で指摘して韓国側の反発を招く可能性もある。
今後この報告書は安倍総理の報告書にどの程度反映されることになるんでしょうか?安倍総理大臣談話は来週14日に閣議決定される方向ですが、この報告書をベースにして作成されるわけではなくどの程度参考にするのかは、安倍総理自身が判断することになります。
今後は報告書が指摘した侵略や反省などの表現をどこまで談話に反映させるのかが国の内外から注目されることになります。
竹内さん、この総理の談話というのは各国が注視していますね?特に中国が注視していますね。
中国の外交官に話を聞いたらこのように言っていました。
かなり上から目線の言い方なんですよね。
このように中国側は首脳会談をちらつかせながら70年談話の中にこの3つ、侵略と反省とお詫び、この3つを盛り込むように圧力をかけているのが現状なんです。
総理談話は平和の誓いというよりこのように外交戦の具になってしまっているわけなんです。
安倍総理がこれを出すことにどんな狙いがあるのか、これは政権内でじっくり議論してほしいものですよね。
次は日本と北朝鮮の外相会談がマレーシアで1年ぶりに行われました。
北朝鮮は拉致被害者の調査結果の報告先延ばしを通告してきているんですけれども、今回、果たして成果はあったのでしょうか。
現地から中継。
昨日深夜にマレーシア入りした岸田外相は半日あまりの間にASEAN諸国などとの公式会議のほかにアメリカ、中国、韓国、そして北朝鮮と個別に会談を行いました。
岸田外相はおよそ1年ぶりとなる北朝鮮との会談を終え、成果を強調した。
会談では北朝鮮が先延ばしを通告してきた拉致被害者らの調査結果について速やかに通報するよう求めたとのこと。
また、岸田外相は中国、韓国とも個別に会談を行い、戦後70年に際し発表する安倍談話の内容について理解を求めたとのこと。
ただ中国と韓国は皆が注目していると談話を牽制するメッセージを発していて内容によっては強く反発することも予想されている。
神奈川県三浦市の港でシートにくるまれた女性の遺体が見つかった事件です。
今日、女性の身元が判明する一方で41歳のアメリカ国籍の男が遺体を遺棄したとして警察に逮捕されました。
先月、神奈川県三浦市の漁港で女性の遺体が見つかった事件。
9日たった今日、大きく動いた。
遺体の身元は東京都目黒区の契約社員、秋田谷まり子さんと判明。
秋田谷さんの遺体を遺棄したとして横浜市のアメリカ国籍、グレゴリー・グモ容疑者が逮捕された。
秋田谷さんの遺体は岸壁から20mほど離れたあの辺りで見つかったということです。
先月29日、三浦市にある小網代湾の海中で秋田谷さんが死亡しているのが見つかった。
秋田谷さんの死因は溺死。
普段から着用しているワンピース姿だったとのこと。
こちらは先月29日に現場近くで撮影されたもの。
遺体をくるんでいた茶色のシートが見える。
シートは黄色と黒のロープで巻かれ、その端にはブロックのおもりがつけられていた。
これまでの調べで現場近くの桟橋にはシートを引きずったような跡が見つかっていること、湾内の潮の流れが穏やかなことから警察は秋田谷さんが桟橋から船で運ばれ、海中に投げ込まれたと見て所有者不明の船を押収し調べを進めていた。
近所の人によると、釣りが趣味だったというグモ容疑者。
釣りを通じて遺棄現場に土地勘があったと見られている。
また、秋田谷さんとはインターネットサイトを通じて知り合ったと言う。
警察は事件直前、現場近くの防犯カメラに車に乗った2人の姿が映っていたことが確認されたことなどから、今日、逮捕に踏み切ったとのこと。
取り調べに対し、こう容疑を否認しているというグモ容疑者。
警察は2人の間に何らかのトラブルがあったと見て追及するとともに、秋田谷さんが死亡したいきさつについても調べる方針。
一方、秋田谷さんの母親が東京の猛暑日の連続記録が1週間に更新された今日、JNNのカメラがとらえたのは、体長2mほどのサメだった。
茨城県鉾田市沖。
昨日、サーファーたちのすぐ近くに出現したのはメジロザメと見られる巨大なサメ。
波打ち際から5〜20mほどの距離で確認され、周辺にある9つの海水浴場では今日、遊泳禁止の措置がとられた。
記録的な猛暑の影響でサメを呼び込んだ可能性もあり、被ばく直後の広島に周辺の町や村から大量の握り飯が届けられた事実をご存じでしょうか。
人々を救った握り飯。
廃墟から立ち上がった広島の歴史はここから始まりました。
原爆投下から4日後に撮影された写真。
トラックに横たわる傷ついた少女。
救護隊員が食べさせようとしているのは握り飯だった。
被ばく直後から握り飯は救援物資として周辺の町や村から広島の町に運び込まれたのです。
13歳のときに被ばくした藤岡久之さん。
7日の早朝に避難した先に握り飯の救援があると聞き、家族で当時の市役所に行くと既に長い列ができていました。
そのとき、全日から続いた死の恐怖から初めて解放されたと言う。
混乱する広島の街に次々に運び込まれた握り飯。
その救援活動はあらかじめ計画されたものでした。
これは広島市の郊外にあった警察署の署長が周辺の町長や村長にあてた文書です。
国内の大都市で空襲が激しさを増す中で広島市街地の戦災者のために食べ物を届けるよう求めた握り飯計画でした。
計画は村ごとの割当数や運搬方法に至るまで細かく決められていました。
当時の国防婦人会を中心とした女性たちが懸命につくり続けた握り飯。
トラックに載せられて広島の町に運ばれました。
しかし、そのトラックが戻ってきたとき、荷台には原爆で傷ついた多くの人たちが乗っていたのです。
負傷者は救護所となった寺などに収容されました。
98歳になる新田さんは当時1歳だった娘を背負って収容された負傷者のために握り飯をつくりました。
ひどいヤケドで男女の区別もつかない人たちも多くいて、絶え間なくうめき声や叫び声が響く寺で2週間つくり続けたのです。
救援の握り飯を食べた藤岡さんは当時の状況を絵に残しています。
並んで手にした2個の握り飯。
当時の味が今も忘れられないと言います。
握り飯計画を立てた、当時広島市の配給課長で後の市長、浜井信三さんは救援活動をこう振り返っています。
広島県の記録では周辺の町や村から届けられた握り飯は8月9日までの4日間で実に75万7000食あまりに上ったといいます。
広島が廃墟から立ち上がった70年の歴史。
その第一歩は混乱の続く街に届けられた2015/08/06(木) 17:50〜18:15
MBS毎日放送
Nスタ ニューズアイ[字]
取材経験豊富な竹内明を中心に、佐古忠彦も新加入。TBSアナウンサー・加藤シルビアらがお届けする大型報道番組。ニュースを速く、深く伝えます。
詳細情報
番組内容
きょうのニュースを速く深くわかりやすく。徹底取材したVTRに加え、今さら人に聞けないニュースのポイントもわかりやすく解説。政治・経済・事件はもちろん、身近なニュースや生活情報もお伝えします。「Nトク」では全国各地で起きているホットな出来事を徹底的に掘り下げます。
出演者
【Nスタ ニューズアイ】
竹内明(TBS報道局)
佐古忠彦(TBS報道局)
加藤シルビア(TBSアナウンサー)
制作
▽番組HP
http://www.tbs.co.jp/n−st/
▽Facebook
http://www.facebook.com/TBS.nst
ジャンル :
ニュース/報道 – 定時・総合
ニュース/報道 – 天気
福祉 – 文字(字幕)
映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
サンプリングレート : 48kHz
OriginalNetworkID:32722(0x7FD2)
TransportStreamID:32722(0x7FD2)
ServiceID:2064(0x0810)
EventID:6568(0x19A8)