2015-08-07

アフターピルと大人になるということ

 先日、生まれてはじめて避妊をしないでセックスをした。


 処女を失って数年。セックスするとき避妊するのがあたり前だと思っていたし、今でも割とそう思っている。ただ。ただその日はなんだか、避妊という現実的すぎることがもう、嫌になってしまって、そのまま入れてしまったのだった。

 就職を期に上京して親と離れて暮らすようになってから、どうにも生きている現実感がない。でも、避妊をしないセックスをすれば、生きてるって実感できるかも知れない。そんな気持ちがどこかにあったのだと思う。


 行為の翌日仕事のあと、アフターピルをもらいに病院に行った。一人で調べて一人で行った。病院に向かう電車にゆられながら、恐怖心も後悔も何もないことに気づいた。相手に対する憤りや申し訳無さみたいな感情もない。ただそこには、私がついに大人になったのだ!という高揚感があった。

 親が聞いたら泣いて悲しむだろう、友達に言ったら相手の男を怒るだろう。でも彼らには今回のことは関係ない。責任をとるべきは自分だ。自分自分の体を明け渡したのだから。私は、私の体を、私が思うように、扱っている。そんな実感が自分の心を満たしていくのがわかった。これってすごい、大人じゃん、と。胸がドキドキしたのだった。


 産婦人科病院で受付を済ませて、問診票に記入をする。こういう病院の問診票には必ず「性交経験の有無」や「妊娠経験の有無」を記入する欄がある。

 該当する項目に丸をつけながら、自分がただの女であることを実感させられる。私は今、○○部○○課の私でも、両親の娘でも、あなた恋人でも、あの子達の友達でもない、ただの女だという実感。「年の割に○○だね」「女性なんだからもう少し○○しなよ」「結婚しないの?」そういう、周囲との関係性の中での「女」ではなく、私がただ女として女であるという感覚


 順番になり診察室に入る。2粒の錠剤は、二言三言の用法の説明だけであっさりと手に入った。1万数千円を支払い病院を出る。駅までの道を歩きながら、あぁこんな、たったこれだけのお金で、あのセックスがなかったことになるんだ、と笑ってしまった。

 帰宅してから薬を飲んだ。心配していた副作用特に無く、その後も普通に出勤できている。なにもかもが全然大丈夫だし、何故か達成感すらある。仕事も嫌いだし死にたいなとか思ってたけど、なぜだか生きる勇気をもらってしまった気さえする。


 初めてセックスした時よりも、成人式の時よりも、はじめて選挙投票に行った時よりも、一人暮らしを始めた時よりも、全然大人になったと感じた出来事だった。なので記念に書いてみた。

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