(テーマ音楽)戦後の日本を代表する写真家の一人東松照明さん。
変わりゆく戦後の日本。
被爆地長崎。
そして沖縄などのテーマを生涯かけて撮り続けました。
東松さんは昭和5年名古屋市で生まれました。
戦時中に少年時代を過ごします。
昭和20年8月終戦。
15歳だった東松さんはアメリカの力が浸透してくるのを強く感じていました。
昭和25年愛知大学に入学。
カメラに興味を持っていた東松さんは写真部に入ります。
最初に発表した作品です。
英字新聞の中から突き出した手と卵。
占領から歩みだす日本の姿を表現しています。
その後東松さんの目は現実の世界に向けられていきます。
疲れ切って眠る少年。
これは小学校の食事風景。
貧しくても懸命に生きる子どもの表情が捉えられています。
大学卒業後東松さんはプロの写真家になりました。
最初に取り組んだのは基地とその周辺で暮らす人々です。
全国の基地を訪ね歩いた東松さん。
こうした写真は戦後日本の断面を捉えたものとして高く評価されました。
続いて東松さんは長崎に通うようになります。
被爆地の現実を世界に伝えてほしいと撮影の依頼を受けたのです。
爆心地近くから掘り出された時計。
原爆が投下された11時2分で止まっています。
異常な高熱で変形したビール瓶。
そして東松さんは被爆者と会い大きな衝撃を受けます。
被爆者の一人浦川清美さんの家族。
浦川さんは原爆症に苦しみながら3人の娘を育てていました。
末娘の志津香さんには生まれつき左目に障害があり清美さんは自分の被爆のせいではないかと悩んでいました。
悲劇を風化させないためには撮り続けるしかない。
東松さんは長崎を撮り続ける事を決意します。
さまざまなテーマを追った東松さん。
沖縄へも足を運びます。
本土復帰前の昭和44年。
沖縄は米軍基地を巡ってデモや集会が繰り返されていました。
しかし取材を続ける中で心を奪われたのは沖縄の懐かしい風景変わる事のない人と人のつながりでした。
その後東松さんは沖縄に生活の拠点を移しました。
平成10年。
東松さんは3人の娘を育てた浦川清美さんの墓参りにやって来ました。
目に障害がある志津香さんも母と同じように3人の娘を育てています。
(志津香)母の姿を見てるから。
母みたいに強くは…強くはなれないけども…。
写真家東松照明さん。
自ら見たものを信じ時代を記録し続けた82年の生涯でした。
2015/08/08(土) 05:40〜05:50
NHK総合1・神戸
NHK映像ファイル あの人に会いたい「アンコール 東松照明(写真家)」[字]
日本を代表する写真家・東松照明。占領、高度成長、長崎、そして沖縄など数々のテーマに取り組み、国際的にも高く評価されている。写真家としての60年の軌跡が語られる。
詳細情報
番組内容
日本を代表する写真家・東松照明。戦後日本人、占領、高度成長、長崎、そして沖縄など数々のテーマに取り組み、国際的にも高く評価されている。その作品群は日本の社会、そして戦後日本人が歩んできた姿そのものを描き出した。写真家としての60年の軌跡が語られる。
出演者
【出演】写真家…東松照明
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
ドキュメンタリー/教養 – インタビュー・討論
情報/ワイドショー – 芸能・ワイドショー
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