ニュースウオッチ9▽原爆の日70年 広島祈りの場から中継▽夏高校野球100年 2015.08.06


世界で初めて、原子爆弾が投下されてから70年。
爆心地に近い原爆ドームを望む平和公園です。
当時、ここは数え切れないほどの遺体で埋め尽くされました。
そして、誰のものか分からない遺骨が、山のように積み上げられたといいます。
戦後は公園として整備され、原爆で命を奪われた人たちを慰霊し、平和を祈る場所になりました。
しかし、時間とともに、当時の記憶は少しずつ色あせています。
ことし、NHKが行った世論調査では、広島に原爆が投下された日付を、昭和20年8月6日と答えられた人は、全国でおよそ30%。
ここ広島でさえ、およそ70%にとどまりました。
広島市で被爆した人の平均年齢は、ことし初めて、80歳を超え、当時を知る人は少なくなっています。
70年という過ぎた月日は、私たちに何を問いかけているのでしょうか。
きょうは、ここ広島から考えていきます。
こんばんは。
ニュースウオッチ9です。
70回目の原爆の日を迎えた広島では、悲劇が二度と繰り返されないことを願う祈りに包まれました。
あの日から70年。
節目の年を迎えた平和記念式典。
アメリカの国務次官が初めて訪れるなど、海外からは過去最多となる100か国の代表を含む、およそ5万5000人が参列しました。
黙とう。
平和宣言。
この安倍総理大臣のあいさつについて。
平和への思いを新たに、祈りは続きました。
原爆ドームの周りには、平和を願うキャンドルがともされました。
そして、犠牲者を慰める灯籠流し。
広島の祈りは、今も続いています。
夜9時を過ぎましたが、広島の平和公園には、今も多くの人が亡くなった人を悼んで集まっているようですね。
河野さん。
私は今、慰霊碑のすぐ隣にいるんですけれども、日が暮れて、暑さが和らいだからでしょうか、日中よりも、むしろたくさんの人が、こちらに足を運んで、静かに手を合わせています。
原爆投下から70年という月日がたって、当時を物語る新しい資料っていうのは、なかなか見つからなくなってるんですけれども、そうした中で、ことし、こうした貴重な資料が見つかりました。
学徒動員で被爆した生徒たちの様子を記録した日誌なんです。
校門だけが残された高等女学校。
原爆で400人余りの生徒が亡くなりました。
ことし、当時の日誌が見つかりました。
日誌は8月6日の原爆投下の記述から始まります。
原爆投下の直後から生徒の安否確認に追われました。
父兄の捜索、いよいよ数を増し、応答に苦しむ。
涙あるのみ。
すでに半ば以上、望みを失える。
両眼、血を帯びて、仰ぎ見るあたわず。
当時、この女学校の3年生で、15歳だった、寺前妙子さんです。
爆心地から550メートルの電話局に動員され、被爆。
左目を失いました。
この日誌を寺前さんに見てもらいました。
日誌には寺前さん自身も知らなかった事実が記されていました。
寺前さんと同じ場所に動員されていた、同級生の消息です。
さらに、寺前さんの下級生のことも記されていました。
動員先に行くため、校庭にいた2年生の多くが、原爆で一瞬のうちに亡くなっていたのです。
そしてきょう、寺前さんは学徒動員中に被爆し、亡くなった生徒の追悼式に参加しました。
式に参列していた、当時の自分と同じ年頃の中学生たちに語りかけました。
河野さん、70年前、原爆が投下されたまさにこの日から始まった日誌ということですよね。
先生が書いた字を追っていくと、当時の様子が頭の中に飛び込んでくるような感じがしました。
そうですね、通常、こうした日誌は本来ですと、登校した生徒の数や授業について淡々と記録するものなんですけれども、ご覧いただきましたように、涙あるのみとかですね、悲痛極まりなしといった、非常に強い感情がつづられています。
それだけに、より強く私たちに訴えてくる、そんな気がしました。
今回の日誌のように、新たな情報が見つかる一方で、どこで亡くなった誰なのか、分からないまま遺骨となった人も数多くいます。
それを象徴する場所が、この平和公園の一角にあります。
平和公園の中を、慰霊碑から北に200メートルほど歩いた所なんですけれども、ここに土を盛り上げた塚があります。
ここもきょう一日、静かに手を合わせる人の姿が絶えません。
地元の人たちが、土まんじゅうと呼ぶ小さな塚。
原爆供養塔です。
身元が分からなくなったり、引き取り手がなかったりするおよそ7万人ともいわれる遺骨が納められています。
この中にいると信じて、手を合わせる人は絶えません。
しかし、その数は年々、減り続けているといいます。
遺骨は供養塔の地下に納められています。
およそ7万人分の遺骨。
しかし、正確な人数は分かっていません。
大半は身元が分からないまま、大きな木箱にまとめて納められています。
中には、名前が記された骨つぼもあります。
かろうじて手がかりが残っていた人たちです。
かつて、こうした遺骨を遺族のもとに届けようとした人がいます。
佐伯敏子さんです。
みずからも被爆しました。
毎日、供養塔の掃除をしながら、語り部として活動してきました。
佐伯さんは今、95歳。
介護施設で暮らしています。
もう、供養塔に通うことはできなくなりました。
佐伯さんが供養塔に通うようになった理由は、原爆投下直後の体験にあります。
行方が分からない母親を捜していたときのことです。
どの人も顔が焼けただれ、見分けがつきません。
声なら分かるはずと考え、佐伯さんは、横たわる負傷者を踏みつけ、叫び声をもとに、母親を捜したということです。
その記憶が、供養塔に眠る人たちと重なっていったといいます。
昭和40年代から、佐伯さんは、記録が残っている遺骨を遺族の元に届けようとしました。
しかし、遺族を捜すのは簡単ではありませんでした。
残された記録には多くの間違いがあったからです。
なぜ間違った記録が残ってしまったのか。
当時の事情を知る、和田功さんです。
少年兵だった和田さんは、軍の命令で、焼却する前の遺体から、身元につながる情報を集めていました。
手がかりは衣服に残っていた名札などでしたが、多くは焼け焦げ、血で染まり、すべてを判読することはできませんでした。
これまで引き取られた遺骨は998人。
今もなお815人は名前が残されていながら、供養塔に眠ったままです。
佐伯さんとの出会いをきっかけに、供養塔の遺骨について調べ続けている人がいます。
ジャーナリストの堀川惠子さんです。
堀川さんは残された名前や住所などを手がかりに、遺骨になった人たちについて取材し、一冊の本にまとめました。
歩くことも難しくなった佐伯さん。
今も供養塔に眠る人たちのことを思い続けています。
原爆供養塔に納められている遺骨の中で、こちらの815人については名前が記されています。
広島市は、遺族などにつながる情報の提供を呼びかけていますが、なかなか名乗り出る人がいないということです。
きょう、供養塔に91歳の女性がいました。
体力の衰えから、ここに来るのはことしが最後になるだろうと話して、供養塔に眠っていると信じている、父親への手紙を携えていました。
了解を得て、その一部をご紹介します。
きのこ雲に消えた父さんへ。
まだ数年前のようなのに、もう70年たっていました。
夢中の70年でした。
今の平和がいつまでもと願うばかりです。
このように当時を知る人にとっては、70年という歳月を経てもなお、生々しい記憶として刻まれています。
その記憶を風化させず、しっかりと語り継ぐことで、再び、過ちを繰り返さないよう、戦争のない平和な世界、核兵器のない世界を目指すこと、それこそが戦後を生きる私たちの務めだと、思いを新たにしました。
戦後70年のことし、安倍総理大臣が発表する談話についてです。
きょうは談話の策定に向けて議論を重ねてきた政府の有識者懇談会が、報告書を提出しました。
先の大戦を侵略と明記し、日本は痛切な反省に基づいて平和国家として国際貢献を行ってきたとしています。
報告書は、20世紀の世界と日本の歩みをどう考えるのか。
そこからくむべき教訓はなんなのかといった論点に沿ってまとめられています。
年表で見ていきます。
まず軍部が台頭した戦前。
日本は満州事変をきっかけに、国際連盟を脱退。
日中戦争、そして太平洋戦争へと突き進みました。
報告書では、このように指摘しています。
日本は、満州事変以後、大陸への侵略を拡大し、無謀な戦争でアジアを中心とする諸国に多くの被害を与えた。
特に、1930年代後半から植民地支配が過酷化した。
1930年代以後の日本の政府、軍の指導者の責任は、誠に重いと言わざるをえない。
国策として日本がアジア解放のために戦ったと主張することは、正確ではない。
そして、いわゆる村山談話などで使われた痛切な反省という表現を使いながら、日本が戦後、平和国家として国際貢献を行ってきたとしています。
そして終戦。
日本はポツダム宣言を受諾して、無条件降伏しました。
その後、サンフランシスコ平和条約を結び、国連に加盟して、国際社会に復帰します。
50年前には、韓国と国交正常化し、その後、中国とも国交正常化を果たしました。
報告書では、この日中・日韓関係について、このように触れています。
まず中国とは、過去への反省を踏まえ、あらゆるレベルにおいて交流をこれまで以上に活発化させ、これまで掛け違いになっていたボタンを掛け直し、和解を進めていく作業が必要となると指摘しています。
また、韓国については、パク・クネ政権は、日本と理性的につきあうことに意義を見いだしていない。
真の和解のために、韓国の国民感情にいかに対応するかということを、日韓両国が共に検討し、一緒になって和解の方策を考え、責任を共有することが必要だとしています。
報告書では最後に、戦後70年にあたって、日本が取るべき具体的施策について提言しています。
それがこちらです。
近現代史の教育の強化や、歴史共同研究の実施、国連の安保理改革、自衛隊の国際平和協力活動への積極的な参加による世界の安定への貢献。
こうしたことなどについて検討するよう提言しました。
報告書を提出したあと、有識者懇談会のメンバーが記者会見を行いました。
一方、おわびの文言が盛り込まれなかったことについては。
安倍総理大臣は、来週、談話を発表することにしています。
公明党の山口代表からは。
報告書を受けて、安倍総理大臣は、どのように談話を取りまとめるのか。
担当記者は。
今回の報告書は、いわゆる村山談話に盛り込まれた、先の大戦での日本の植民地支配と侵略、痛切な反省というキーワードを盛り込んだうえで、戦後の平和国家としての歩み、そして今後の国際貢献の必要性を指摘しました。
一方で、村山談話にある心からのおわびについては言及せず、侵略ということばを報告書に明記するにあたっても、国際法上、侵略の定義が定まっていないなどと、有識者懇談会の議論の中で、異議が出されたことが付記されました。
安倍総理大臣は報告書の提出を受け、来週15日の終戦の日に先立って、談話を発表する方針で、この報告書の内容が談話にも反映されるものと見られます。
安倍総理大臣としては、みずからの談話によって、村山談話以降も、繰り返されてきた歴史認識を巡る問題に区切りをつけるとともに、日本の今後の方向性を世界に示す、未来志向の談話にしたいとしており、細心の注意を払いながら、最終的な文言調整を進めることにしています。
次です。
マレーシアを訪れている岸田外務大臣は、北朝鮮のリ・スヨン外相と、1年ぶりに会談しました。
拉致問題の打開を図るため、拉致被害者らの調査結果の速やかな報告を求める日本の立場を、キム・ジョンウン第1書記に直接伝えるよう求めました。
ASEAN・東南アジア諸国連合の会議に出席するため、マレーシアを訪れた岸田外務大臣。
アメリカのケリー国務長官と会談し、中国が南シナ海で海洋進出を活発化させていることについて、連携して対応していくことを確認しました。
岸田大臣は、中国の王毅外相とも会談。
一方的な開発行為を控え、中断している東シナ海でのガス田の共同開発の条約締結交渉の再開に向けて、速やかにテーブルについてほしいと述べました。
これに対し、王毅外相は、日中中間線の中国側の海域は争いのない海域であり、中国側の主権の行使だと反論しました。
また南シナ海での中国の海洋進出について、王毅外相が、日本は中国に対して、互いに協力のパートナーとなり、脅威とならないという原則を守ってほしいと述べたのに対し、岸田大臣は、南シナ海でも法の支配を徹底し、一方的な現状変更の試みを行うべきではないという考えを伝えました。
さらに岸田大臣は、韓国のユン・ビョンセ外相とも会談しました。
そして、1年ぶりに実現した、北朝鮮のリ・スヨン外相との会談。
北朝鮮が、拉致被害者らの本格的な調査を始めて1年余り。
しかし、具体的な報告はないままです。
およそ30分間行われた会談について、岸田大臣は。
一方、北朝鮮のリ・スヨン外相は。
岸田大臣は、リ外相を通じて日本側の考えをキム第1書記に伝えることで、事態の打開を図りたい考えです。
では、現地で取材に当たっている、政治部の権藤記者に聞きます。
権藤さん、北朝鮮側との会談の実現で、拉致問題の事態の打開に向けた手応えは得られたのでしょうか。
直ちに拉致問題の事態打開につながったとは、とても考えにくいのが現状です。
日本側は、安倍総理大臣が先週、岸田大臣にリ外相への働きかけを行うよう指示するなど、今回の会談を重視していました。
それはリ外相が、キム・ジョンウン第1書記が子どものころ留学したスイスで、大使を務めるなど、キム第1書記に近い人物と見られていることも背景にあります。
岸田大臣は会談後、結果をしっかりフォローしなければならないと述べていて、今後、北朝鮮政府内に新たな動きが生じるのか見極めつつ、働きかけを粘り強く続けていく方針です。
そして岸田外務大臣はほかにも、アメリカや中国、韓国とも、相次いで個別に会談しましたが、どのような成果があったんでしょうか。
アメリカのケリー国務長官との会談は、中国が海洋進出を進めていることを踏まえ、一方的な現状変更は中止すべきだという認識で、足並みをそろえる姿勢をアピールしました。
一方、そのあと行われた、中国の王毅外相との会談で、岸田大臣は、南シナ海での海洋進出や、東シナ海のガス田開発を巡っても懸念を伝えましたが、両者の主張は平行線に終わり、立場の違いの大きさを印象づける形となりました。
また、戦後70年に当たり、安倍総理大臣が来週発表する談話を巡り、中国の王毅外相が、歴史に責任があるという態度で向き合ってほしいと述べるなど、中韓両国からは、高い関心が改めて示されました。
一連の外相会談を踏まえ、日中首脳会談の早期実現、それから一度も実現していないパク・クネ大統領との日韓首脳会談が実現するのかが、今後の焦点となりそうです。
クアラルンプールから権藤記者でした。
続いては、TPP・環太平洋パートナーシップ協定についてです。
安倍総理大臣は、TPPを担当する、甘利経済再生担当大臣と会談。
甘利大臣が、今月末までに閣僚会合を再び開くことが困難な状況になっていると報告したのに対し、安倍総理大臣は、大筋合意を目指して、最善を尽くすよう指示しました。
先週、ハワイで開かれた交渉参加12か国による閣僚会合。
目標としていた大筋合意に至らず、甘利経済再生担当大臣は、各国に対して、今月末までに閣僚会合を再度開きたいという考えを伝えていました。
こうした中、安倍総理大臣はきょう、総理大臣官邸で、甘利経済再生担当大臣と会談しました。
甘利大臣は、事務レベル協議を通じて課題の解決を目指すべきだなどと各国が主張し、今月末までに閣僚会合を再び開くことが、困難な状況となっていることを報告しました。
これに対し、安倍総理大臣は、大筋合意を目指して最善を尽くすよう指示しました。
ニュースを続けます。
きょうも広い範囲で猛暑が続きました。
日中の最高気温は、群馬県館林市で39度ちょうど、福島県伊達市で38度8分、東京の都心は35度9分と、1週間連続の猛暑日となりました。
NHKが各地の消防などに取材して、午後8時現在でまとめたところ、きょう、熱中症と見られる症状で全国で少なくとも1084人が病院に運ばれ、1人が死亡、9人が意識不明の重体となっています。
あす日中の最高気温は、前橋市や岐阜市で37度、福島市や京都市、佐賀市で36度、東京の都心や広島市、高松市で35度などと予想されています。
こまめに水分をとったり、冷房を使ったりするなど、熱中症に十分注意が必要です。
海水浴場での遊泳が禁止されました。
茨城県鉾田市の沖合できのう、2匹のサメが確認されたことを受けた措置で、鉾田市や鹿嶋市、大洗町など、5つの市と町の合わせて9つの海水浴場に上ります。
茨城県が画像などをもとに、水族館に確認したところ、サメはメジロザメの一種と見られるということです。
鉾田市ではきょう夕方にも、さらに1匹が泳いでいるのが見つかり、周辺の自治体は、注意を呼びかけています。
先月29日から始まった、御嶽山の行方不明者の再捜索では、これまでに男性1人が遺体で見つかっていますが、残る5人は見つかっていません。
長野県の阿部知事は、重点エリアの捜索をやりきり、新たな手がかりがない中で、火山活動が継続する危険な高地で、これ以上、捜索を継続することはできないと述べ、再捜索をきょうで終了することを明らかにしました。
一方、岐阜県も長野県が再捜索を打ち切ることを決めたのを受け、きょうで捜索を終了することを決めました。
続いて気象情報、井田さんです。
こんばんは。
非常に強い台風13号、あすの午後に沖縄の先島諸島に最も接近する見通しです。
中心の気圧は945ヘクトパスカル、中心付近の最大風速45メートル、非常に強い勢力を持っています。
現在は宮古島が強風域の中に入っています。
この非常に強い勢力を維持した状態で、あすの午後に、宮古島、八重山地方の南を進んでいく予想です。
土曜日には台湾付近、そして日曜日には大陸へと進んでいくでしょう。
予想される最大瞬間風速を見ていきます。
八重山地方では40メートル、宮古島や沖縄本島地方で30メートルから35メートルです。
波の高さは、八重山地方や宮古島地方で9メートル以上の猛烈なしけとなりそうです。
沖縄本島地方でも6メートルと、大しけが予想されています。
警戒をしてください。
一方であすも東北から九州では、猛烈な暑さの続く所が多くなりそうです。
天気図を見ていきますと、あすも東に中心を持つ高気圧に覆われる見込みです。
九州から東北にかけては、猛烈な暑さの続く所が多くありそうです。
午後になりますと、山沿いや内陸を中心に、雷雨にお気をつけください。
また北日本の東の海上には、小さな低気圧が発生してきます。
この影響で北日本でも、雨が強まったり、落雷や突風に注意が必要です。
天気の変化を見ていきましょう。
まずは朝です。
北日本で雨の所がありそうです。
きょう、北海道では多くの雨の降っている所があります。
土砂災害や川の増水、浸水に警戒をしてください。
西日本の太平洋側でも雨の所がありそうです。
午後になりますと、東北から関東、そして九州にかけてもあちらこちらで雨が降りそうです。
夜にかけて、東北から四国、局地的には激しい雨が降りそうです。
各地の天気と気温を詳しく見ていきましょう。
これはナイスプレー!
スポーツは佐々木さんです。
こんばんは。
ことしで100年の節目を迎えた夏の全国高校野球。
きょう、甲子園球場で開幕しました。
全国高等学校野球選手権大会の、開会式を行います。
100年の節目を迎えた高校野球。
第1回大会に出場した10校の今の選手たちが当時のユニホーム姿で登場しました。
続いて、49の代表校が憧れの甲子園で、北から南の順に行進。
記念の始球式を行う王貞治さんも見守ります。
朝、風呂に入って、身を清めたと王さん。
準備に余念がありません。
ことしは、王さんの思いも特に伝わってきますね。
そうですね、それにしても見事な始球式でした。
そして、広島原爆の日に重なった高校野球100年の開幕。
特別な思いで、開会式の入場行進を見つめた人がいます。
黙とう。
70年目の広島原爆の日。
関西から広島に向け、祈りをささげる男性がいました。
84歳の尾崎信行さん。
開会式で入場行進に参加した、広島国泰寺高校の卒業生です。
尾崎さんは14歳のとき、登校中に爆心地から僅か1.4キロの場所で被爆。
全身に大やけどを負い、自宅周辺の風景を見て、希望を失ったといいます。
その苦しさを忘れさせてくれたのが、高校で始めた野球でした。
卒業から65年。
孫の駿さんが、母校の代表として、高校野球100年の甲子園で行進することが決まりました。
果たせなかった甲子園の夢。
尾崎さんは駿さんに思いを託しました。
毎年8月6日は、広島で平和への祈りをささげてきた尾崎さん。
ことしは初めて、甲子園を訪れました。
当時の愛称、鯉城の名前が入ったユニホームを着た駿さん。
平和への願いを込めて行進する孫の姿に、感無量だったといいます。
スタンドで見守る尾崎さんの表情、本当にうれしそうでしたね。
そうですね、きょうは宣誓の鳥羽高校のキャプテン、梅谷選手からも、次の100年を担う者として、8月6日の意味を深く胸に刻むということばがありました。
この大会、私たち、見る立場からしても、本当に特別な大会になりますね。
さて、きょうは1回戦3試合です。
第2試合では、隣の県どうし、岐阜城北高校と愛知の中京大中京高校が対戦しました。
中京大中京のエース、上野。
絶好調ではなかったと言いながら、力のある速球で押しました。
7回まで9つの三振を奪い、1点に抑えます。
しかし、3点リードの8回、岐阜城北の代打、毛利。
速球が高めに浮きました。
1塁3塁とピンチが広がり、ヒットを打たれている池尾。
上野は、1点ぐらい取られてもいいと、楽な気持ちで投げました。
アウトは1つ、そして1塁も、アウト。
3アウト。
エースが完投し、勝った中京大中京。
春夏通じ、全国最多11回優勝の伝統校が、初戦を突破しました。
第1試合の開始直後、鹿児島実業の1番有村。
とにかく初球を打って、チームの流れを作ることを考えていました。
その1球目をフルスイング。
このあと先制のホームを踏みます。
これで勢いづき、5回。
ヒット8本で10点を奪いました。
北海を突き放した鹿児島実業。
初戦突破です。
上田西は1回、1アウト満塁で5番松本。
狙っていたという速球をたたきました。
2点を先制します。
上田西のエースは、2年生の草海。
7回、3塁2塁のピンチを招きます。
キレのある変化球。
三振で得点を与えません。
草海は、点をもらい、楽な気持ちで投げたと、宮崎日大を完封。
上田西、甲子園初勝利です。
あすは1回戦4試合。
第2試合の霞ヶ浦対広島新庄は、初出場校どうしの対戦です。
プロ野球はセ・リーグから。
原爆投下から70年となる原爆の日。
広島は、地元での試合に、平和への思いを託した、1日限定のユニホームで臨みました。
黙とう。
ユニホームには背中に、8月6日に合わせて、86とヒロシマの文字。
胸には平和を意味する、ピースが縫い付けられました。
先発、薮田は広島出身。
負けられないと意気込みました。
しかし1回、3番福留。
フォークを運ばれ、2ランホームラン。
阪神に先制を許します。
打線は4回、2アウト満塁のチャンスで、新井。
地元出身の4番は、結果を出せませんでした。
節目の試合に敗れた広島、2連敗です。
広島の緒方監督。
選手もスタッフも特別な日だという気持ちだったので申し訳ない。
試合は続くので、気持ちを切り替えて頑張っていくと話していました。
首位巨人は5回、ランナー2塁で、ピッチャーの菅野。
プロで初めての3ベースがタイムリーとなり、みずからのバットで1点を返します。
6回は同点に追いつき、4番長野。
コンパクトにスイングしたと、2試合連続の13号ソロで勝ち越します。
しかし、神宮球場で勝ったことがない菅野が粘れません。
デニングに逆転2ランを打たれました。
菅野が今夜も苦手な球場を克服できず、巨人は敗れました。
原監督はやはり3点で勝つのは簡単ではない。
勝ち越した直後に逆転されたことがポイントになったと、6回の失点を悔やんでいました。
中日の王の。
10勝目を前に3連敗中です。
序盤、力のあるストレートを軸に、無失点に抑えます。
打線は4回、2アウト3塁で6番赤坂。
DeNAの石田がワイルドピッチ。
中日が先制します。
大野は6回に1点を失い、続く7回。
1塁2塁で、4番筒香。
3打席連続でヒットを打たれ、逆転を許しました。
10勝目を前に、大野、きょうも足踏みです。
DeNAのルーキー、石田は、8回1失点でプロ初勝利。
中畑監督は、いいピッチャーだなぁ、うちのチームにこんなに緩急を使えるやつはいないよと、べた褒めでした。
セ・リーグの順位です。
上位3チームが1ゲーム差の中にひしめく大混戦です。
DeNAが広島に代わって4位に上がりました。
パ・リーグです。
7連勝で優勝へのマジックナンバー38を点灯させたソフトバンク。
きょうも2位日本ハムとの対戦です。
ソフトバンクは1回、先頭の明石が塁に出ます。
続く本多は送りバント。
明石、相手の隙を見て、一気に3塁へ進みました。
3番柳田。
前に飛ばすことしか考えていませんでした。
先制タイムリー。
このあとも得点を重ねます。
先発の摂津は、およそ2週間ぶりの登板。
変化球を低めに集め、日本ハムにチャンスを作らせませんでした。
投打がかみ合い、ソフトバンクは今シーズン最多の8連勝。
マジックを36に減らしました。
ソフトバンクは、2位日本ハムに3連勝。
工藤監督は、力のあるチームをしっかりたたくことは、今後に向けても大事なことで、非常に大きいと満足の表情でした。
ロッテは、今月に入って、1試合平均1点余りと、打線に元気がありません。
1回、清田の打球。
カラバイヨが見失います。
2点タイムリー3ベースとなりました。
ラッキーな形で逆転します。
このあと追いつかれますが、3回には2塁1塁で、大松。
気持ちで打ったと、タイムリーで勝ち越し。
鈴木は速球を振り抜きました。
完璧だったと、4号3ラン。
ロッテは打線が久しぶりに奮起し、リードを広げます。
試合はこのあと、オリックスが追い上げ、現在7回裏、7対7で同点です。
楽天は1点を追う5回に、3番藤田。
ランナー2塁の場面。
いい所に飛んでくれたとタイムリーヒット。
同点に追いつきます。
このあと、1塁2塁となって、前の打席、ホームランの後藤。
勝ち越すことができません。
6回、楽天は2人目の武藤が、1アウト満塁のピンチで代打、森と勝負。
三振。
続く脇谷。
これがタイムリー。
武藤、西武に勝ち越されました。
試合は先ほど終わりました。
西武が6対4で勝ちました。
きょうおしまいは、広島から河野キャスターです。
原爆の犠牲者を悼む人の列は今も続いています。
きょう午前には、ここで平和記念式典が行われ、広島市の松井かずみ市長は、核兵器を非人道の極み、絶対悪ということばで強く非難しました。
山奥の洞窟で今2015/08/06(木) 21:00〜22:00
NHK総合1・神戸
ニュースウオッチ9▽原爆の日70年 広島祈りの場から中継▽夏高校野球100年[二][字]

広島原爆の日・70年平和公園の祈りの現場河野キャスターが中継▽夏高校野球100年被爆元球児が見守った母校代表の孫入場行進▽拉致問題にも言及か日朝外相会談1年振り

詳細情報
番組内容
【キャスター】河野憲治,鈴木奈穂子,【スポーツキャスター】佐々木彩,【気象キャスター】井田寛子
出演者
【キャスター】河野憲治,鈴木奈穂子,【スポーツキャスター】佐々木彩,【気象キャスター】井田寛子

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