ふだん食べ慣れているパンが大人も大満足の本格スイーツに。
是非親子で一緒に楽しいおやつの時間を過ごして下さいね!今から7年前ある曲が街で絶えず流れていたのを覚えていますか?曲のタイトルは「home」。
家族の愛の形を歌ったこの曲が大ヒットし「紅白歌合戦」にも出場をした木山裕策さん。
39歳しかも現職のサラリーマンという異色の肩書でのデビューでした。
しかし実はその2年前木山さんを甲状腺乳頭がんという病が襲ったのです。
子どもの頃から毎日歌っていた僕なんですけれども歌うとのどが痛いので全く歌えなくなっちゃったんです怖くて。
声が全く出なくなるんじゃないかという恐れが芽生えてきて…。
「あ〜」って…。
「がんを乗り越えて」。
木山さんが一から始めた声のリハビリ。
そして長年の夢だった歌手への挑戦。
その原動力となったのは4人の子どもの存在でした。
夢に向かって突き進むパワーっていうのはやっぱり僕にとっては病気になった事で手に入れたものなのかなと思うので。
こんばんは「リハビリ・介護を生きる」。
今日は昨日に引き続き「がんを乗り越えて」と題してお伝えしていきます。
タレントの荒木由美子さんです。
よろしくお願いします。
今日はね私大好きなお声なんですよ。
楽しみです。
その声の持ち主ご紹介しましょう。
歌手の木山裕策さんです。
よろしくお願いします。
木山さんは平日はサラリーマン働いてらっしゃって休日に歌手活動をされて全国でコンサートを開いてらっしゃると。
何か理想ですね。
今どきですね。
いや〜でも忙しいですよね。
そうですね。
なかなか初めは切り替えが週末きれいに切り替えて歌を歌うという事がなかなか難しくて初めはそのバランスにすごく悩んだ時期もあったんですけど7年たつんですけどようやく最近慣れてきましたね。
甲状腺がんを経てねデビューが39歳ですもんね。
遅かったんです。
遅咲きですもんね。
見つかったのが会社の人間ドックで36歳の時だったんでそこからいろいろ一念発起しましたのでだいぶ遅かったですね40手前で。
そこにはどんな思いがあったのか映像でまとめてあります。
こちらをご覧下さい。
仕事は大体会社がそうですね…8時半とか9時ぐらいですかね。
もう普通の会社員なんで。
残業は普通にやってます。
平日は人材サービス関連の企業でサラリーマン生活を送る木山裕策さん。
木山さんが会社帰り足しげく通う場所があります。
歌の練習とストレス解消を兼ねて一人カラオケボックスでみっちり歌い込むといいます。
会社終わってから9時から2時間とか。
ほぼ毎日行く事が多いです。
歌うなって言われる事は本当にすっごいつらいですね。
だって歌わない日はないし。
平日は妻と4人の子を養うサラリーマン。
そして休日は歌手として活動を続ける木山さん。
そこには大病を患ったからこそのこんな思いがありました。
重い病気になる事で自分の人生には限りがあって明日思いもしない事が自分の身に降りかかるかもしれないなんていう事を本当に身近に感じました。
僕はその結果やっぱり…1968年に大阪で生まれた木山さん。
子どもの頃から歌う事が何より大好きだったといいます。
そして大学時代にはバンドを結成しボーカルを担当。
ビリー・ジョエルを好んで歌いプロになる夢を抱いていたものの断念して就職。
26歳の時に結婚し子宝にも恵まれその後も堅実なサラリーマン人生を歩んでいました。
しかし…。
36歳の時に病気が発覚したんですけれども「木山さん悪性でした。
がんです」と。
しばらくピンと来なくて「ん?」って固まっていてしばらくして「先生何て言いました?今」って言ったら「がんです」と。
告げられた病名は…甲状腺はのど仏のすぐ下にあり新陳代謝や成長の促進に関わるホルモンを分泌しています。
木山さんの場合甲状腺の左側に2センチ×3センチのがんが見つかったのです。
言われた瞬間に思ったのはまず「死んじゃうかもしれない」。
自分がどうっていうよりもまだちっちゃい子どもたちがいっぱいいるのでそんな事になっちゃったらどうしようっていう怖い思いがまず先にたちましたけどね。
がんという病名に衝撃を受けながらも手術を決めた木山さんに更にショッキングな宣告が追い打ちをかけました。
前の晩になって先生からいろんな麻酔とか手術の詳細とかそういった説明を受ける時間があったんですがそこで初めて声が出なくなるかもしれない手術だっていうのを聞かされたんですね。
僕にとって本当に声が出なくなるっていう事はものすごく大きくて…子どもみたいなんですけど。
「がんって言われてるんだから手術をするのは当たり前でしょ」。
僕どうしても納得がいかなくて。
往生際が悪かったんです。
それぐらい納得できないものだったんで。
手術と引き換えに声を失うかもしれない。
それは歌う事を生きがいとしてきた木山さんにとって何よりもつらい事。
妻に説得され不安の中受けた手術は無事成功。
しかし以前のように自慢の声をコントロールする事ができない状態になってしまったといいます。
今までだとビブラートっていって声を震わすんですけど「あ〜」って静かに震えるんですけれどもそれが震わそうとすると痛くて全くしばらくは震わす事ができなくなっちゃいました。
平たんな「あー」っていう声しか出なくなっちゃいました。
ホルモンバランスの低下から体調がすぐれず更に思うように歌えないストレスで精神的に不安定になったという木山さん。
手術から半年ほどたったある日同僚に誘われしぶしぶ行ったカラオケでも…。
全く歌えなかったんですね。
高い声も全然出なくて。
本当に僕がそう思ってるだけじゃなくて聞いてる人もみんな木山さんどうしちゃったんだろうって感じのリアクションで。
何かもう本当に帰り道は目に涙がにじんでくるし…。
自分の歌声だけは人に負けない。
生きがいでもあった歌への自信をなくしてしまった木山さん。
しかしこの出来事をきっかけにある思いが湧いてきたといいます。
しばらくはもう本当に口もきけないぐらい落ち込んだんですけれどもそこからは逆に今もうここまで歌えないんだから練習したらもしかしたらちょっとでもちょっとずつでもうまくなるかもしれないっていう。
だめだったっていう事実を受け止めてそこからは練習をしなきゃっていうそんな気持ちに変わっていきましたね。
翌日から声のリハビリが始まりました。
発声練習で少しずつ音域を上げてのどに負荷をかけ筋肉を鍛える訓練を繰り返し行ったのです。
一日2時間って決めて練習をし始めると前にできなかったビブラートとかも傷口もだいぶ治ってきたのでだんだんだんだん震わせる事ができるようになってきて。
リハビリってやっぱり成果が見えてくるとすごく自分からもっとやってみようかなと思えるようになると思うので。
そして手術からおよそ1年後自分の声を取り戻した木山さんはある事を思いつきます。
病院の帰りに2時間一人でカラオケに行って1時間練習してそのあとに…子どもたちに何か残したいという気持ちがすごく前からあったんですけど僕にとっては何か残せるものがあったら歌なんじゃないかって思うようになって。
幼い子どもたちに歌を残したい。
その思いから歌を録音しCDを作成。
すると歌への思いは更に強まり一度は諦めた歌手になるという夢にもう一度チャレンジする事を決意。
テレビ番組の公開オーディションに応募します。
声がもしちゃんと出たら歌おうって思ったんですね。
歌おう。
それは具体的な歌手というイメージは当時はなかったんですけれども歌に対するチャレンジをしようそんな気持ちを思いました。
初めは歌が歌いたいという一心で応募したオーディションだったんですけれども途中から子どもたちに歌を残したいという気持ちからもしかしたら失敗してかっこ悪い姿を子どもたちに見せちゃうかもしれないけど何かにチャレンジする背中っていうものを子どもたちに見せたいなというそういう気持ちにだんだん変わってきたんですよね。
オーディションの審査を務めた所属事務所の伊東さんは木山さんについて…。
まず印象として「いやこの人すごい」と。
歌うまいし人生全てが歌に出てきている。
歌に対する情熱と…更に木山さんががんを克服した経験も伊東さんの心を捉えたといいます。
彼と出会ったあとに僕もちゃんと精密検査を受けたら実は同じ病気で。
一番理解のあるというか同じ病気を経験していて木山が目の前にいて「大丈夫ですよ。
だって僕こうして歌えてるじゃないですか」という事があったのでものすごく支えられたし…。
・「帰ろうか」木山さんの歌声が審査員の心を打ちデビューが決定。
木山さんのために書き下ろされたデビュー曲は家族への愛と感謝を歌ったものでした。
長男が今中1なんですけど難しい年頃になってるんですけど涙をちょっと…ちょっと流して「おめでとう」って言ってくれたのがすごく印象的でした。
木山さんはその年の紅白歌合戦にも出場。
会場には家族の姿が…。
大好きな「home」をこんな夢の舞台で歌える事を本当にうれしく思っております。
(取材者)お父さんの姿見てどうですか?やっぱかっこいいと思います。
・「ありがとう」僕にとっての夢は歌を歌う事。
僕にとってはそれがまず一つの夢だったんですよね。
頑張ろうって思える原動力が僕にとってはやっぱり家族なのかなとそんなふうに思いますね。
木山さんもね「紅白」決まった時の記者会見を見て「うわ〜見た事がない!」だなんてすごい興奮なさって。
懐かしい…。
懐かしいですね。
お子さんたちももちろんあれから成長なさってますし。
ちっちゃくてまだかわいかったですね。
家族の存在というのは大きいですか?病気になってから更にやはり応援してくれて今僕ここで歌を歌う事ができてるのでやっぱりすごく大きいですね。
一人で何かやったというよりはみんなの力でなんとかなんとか歩いてきたそんな存在ですね。
やっぱり周りのサポートがなければなかなかね精神的にも乗り越えられなかったでしょうし。
病気になった直後は全然まずやる気が…。
体調がすごく悪いのでまず手術でのどを切ってますから何をするにも痛い。
しゃべるのも痛い。
歌なんてとんでもない。
血が出るんじゃないかってぐらい本当に痛くて。
あとはホルモンバランスがやはり崩れますので全然青白い顔でずっと会社にいて。
やっぱり自分が今まででない自分っていうのがすごく分かるので精神的にやっぱり落ち込むと自分一人の力ではなかなかそこから逃げ出せない抜け出せない時期が結構僕の場合長かったのでやっぱりたくさんの方々からお声をかけてもらってちょっとずつちょっとずつ階段を上っていった感じですね。
リハビリって本当に大変だったでしょうね。
もしかしたら練習すればちょっとずつちょっとずつなんとかなるかもしれないと思って自分でプログラムを決めてまず低い音から。
低い音は出たんですよ。
なので低い音の歌から練習して。
ちょっとずつちょっとずつ高い音程の歌を選んで練習すると不思議なものでですね練習すると人間ってやっぱりちょっとずつちょっとずつ成果が出てくるんですね。
自分の声がだいぶ戻るようになったなって感じるようになってからは一人で今度は自分の歌を残したい子どもたちに残したい。
生きていた証しを残せるものがもしあるんだったら歌かなと思って。
人に聞かせるのがやっぱ怖いので自分でカラオケボックスでCDに録音するというそんな事を始めたんです。
それがこちらですこのCD。
宝物!パパのいろんな思いがあるCDですね。
悩んで悩んで何か残さなきゃと思って歌った曲なので本当に自分の歌ではもちろんないんですけどすごいいろんな気持ちが詰まってるんじゃないかななんて思いますけどね。
では今日は木山さんにですね家族への愛があふれた曲「home」を。
うわ〜うれしい!スタジオで歌って頂きたいと思います。
・「不思議な事に君を愛しく思えば思うほど」
(拍手)すばらしい!ありがとうございました。
もう人生を聞いてしまったので更におうちで見てる時よりもじ〜んと来ちゃって。
ありがとうございました。
すばらしい歌でした。
本当にうれしいです。
ありがとうございます。
「世界に一つだけのmysweethome」ってまさに木山さんの今の心境語ってるんじゃないかなと思うんですが映像でもあったんですが今の歌う時もそうだったんですけど必ず左手をこう…。
あら〜そうですか。
そうなんです。
結構僕緊張するというかすぐドキドキするのでもういいおじさんなんですけど指輪をですね子どもが選んでくれた指輪が4人子どもがいるんですけどそうなんです。
お子さんからの?そうなんです。
子どもたちに選んでもらって。
いつも家族と一緒!意図的にやるというよりはそうなんです…そういう形で昔から気が付けば歌ってますね。
精力的にコンサートを木山さん開いてらっしゃいますけれどもがんという病に向き合ったからこそ伝えられる思いがあると思います。
ちょっとね変な楽器をおじさんたち出してきましたよ。
これ何でしょうか?・「旧の樹は生いや茂れる」先月末の土曜日木山さんの姿が東京・池袋にありました。
この日は小さな教会でのファミリーコンサートです。
木山さんはこうしたコンサートを毎週のように開いています。
・「古いアルバムめくり」・「ありがとうってつぶやいた」・「いつもいつも胸の中」・「励ましてくれる人よ」木山さんはがんという病を経験した自分だからこそ伝えられる思いがあるといいます。
同じ病気になった人が僕がこうやって元気に歌っている姿を見るとすごく勇気をもらうとかこんなおじさんが歌を歌えるようになったんだから何か自分も諦めてたけどちょっとやってみようかななんていうふうに…感動して何か涙が出てきちゃいました。
すごくすばらしかったです。
心がきれいになりました。
歌が持ってる力というかすごく聞いてる人を勇気づけたりとか優しい気持ちにさせてくれたりするなというふうに感じました。
とても大変な事を乗り越えられてだからこそ歌を通して大切な事を伝えて本当に一貫して歌ってらした事が愛について。
・「縦の糸はあなた」・「横の糸は私」がんを乗り越えて木山さんは30代半ばで受けた試練についてこう振り返ります。
僕にとっては病気になった事っていうのは本当に簡単に今から振り返ってもよかったなんて全然思わないしつらかったし死ぬかもしれないそんな思いはもう二度としたくないというのはもちろんあるんですけれどもただ逆に言うとなってなければ歌手になろうという気持ちになったかというと僕はなってなかったような気もすごくするんですね。
病気になった事っていうのは僕にとってはやっぱり大きい。
そう考えると感謝はもちろんしないですけれどももしかしたら神様が下さったそういうメッセージなのかな。
諦めずに頑張る事今日教えて頂きましたね。
神様がくれたメッセージと捉えていらっしゃると。
具体的にどういうふうに神様がくれたメッセージと感じてます?そうですね受け取り方はいろいろあるので病気になった事というのはやっぱり全然僕にとってはいい思い出ではないしつらかったのは正直な気持ちなんですけれどもただそういう試練があったからこそもう一回自分に向き合って自分が本当に何をしたいのかっていうのをもう一回40近くなってもう一回考えてそこでやっぱり頑張ろうと思えたという事を考えると神様がそういう意味ではもう一回ね「忙しい毎日に流されてるけどもう一回立ち止まって本当にやらないといけない事やりたい事をきっちり見つけなさいよ」ってそんなふうに言ってくれてるんじゃないかな。
そんなふうに僕は最終的には前向きに受け取った方がやっぱりこれからの人生またいろいろあると思うし。
歌への向き合い方というのはがんになる前と後で何か変わった…?変わりました。
それまでは結論を出したくない気持ちがあって本気で歌に立ち向かうというよりは自分が好きなように歌っていると。
ただ病気になったあとは自分の全てを歌で表現してそれで何か前に進めないかって。
そういう意味でいくと体当たり度合いがまず全然違いますね。
あとは幸運な事に歌手になってからというのはまた少し変わっていて逆に自分を出すだけじゃなくていろんな方が僕の歌を聴いて下さった時に「どんなふうに聴いて頂いているんだろう」とか「どんなふうなメッセージとして受け取って下さってるんだろう」みたいな事を考えるようになりましたのでだいぶそういう意味では見る方向も含めて広がったんじゃないかと思います。
だいぶ変わりました。
病気をするとましてやがんと聞くとどうしても気持ち的には沈みがちだと思うんですね。
そこをまた頑張ってみようって矢印を上の方に向かわせてくれたのは歌だったんじゃないかなと。
確かにすぐ諦めてしまう事もできたんですけどもう一回何かやってみようと思えたのは僕にとってはやっぱり歌だったんですね。
木山さんのお歌も聞かせて頂いて優しさはもちろんの事でももう一つ私の中で柔らかさ。
人としてのとても柔らかい部分を今日感じる事ができました。
今日は歌手の木山裕策さんにお越し頂きました。
いろんなお話どうもありがとうございました。
2015/08/06(木) 20:00〜20:30
NHKEテレ1大阪
ハートネットTV リハビリ・介護を生きる「がんを乗り越えて 木山裕策」[字]
デビュー曲homeで38歳で歌手となった木山裕策さん。平日はサラリーマン、休日はコンサート活動を今も続けている。彼が歌手という夢を果たす契機はがんにかかった事。
詳細情報
番組内容
平均寿命が延びた日本では、いま生涯に二人に一人ががんにり患するという。がんという病とどう向き合い、その試練に耐え、その後の人生をどう生きていくかが問われている。「がんを乗り越えて」、2回にわたってがんを克服した二人のアーティストの体験談を聞く。デビュー曲homeで38歳で歌手となった木山裕策さん。平日はサラリーマン、休日はコンサート活動を今も続けている。彼が歌手という夢を果たす契機は甲状腺乳頭がん
出演者
【出演】荒木由美子,木山裕策,【司会】山田賢治
ジャンル :
福祉 – 障害者
福祉 – 高齢者
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
サンプリングレート : 48kHz
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