実はドンパチもお色気ものも、どっちも楽しかったんです。最初に記録映像という固いものから入って、いきなり柔らかいものに移って色んな作品をやらせてもらって20代を突っ走っている時、当時東映教育にいた古知屋正裕プロデューサーから“教育映像”のお話を頂きました。私の両親が教員だったせいか、実際に教育映像に携わってみるとしっくりと来たんです。昔から家には、教科書副読本なんかがいっぱいあって身近に感じていました。恐らくDNAの中にあったんでしょう(笑)。
中鉢)“教育委員会”などからの企画の話があると、山上さんが書いたものは、すんなりはまります。相手の意図をしっかり汲み取る、独特の感覚を持っていらっしゃると思います。
鎌田)彼女は“心の奥を描ける人”だと思っています。表面上のことは誰でも書けます。でも心の奥まで踏み込んで泣かせる所までいくというのは難しい。泣かせるだけなら簡単らしいんですよ。ただ、心の奥のひだまでも表現することができる人は少ないと思います。彼女は上手です。
中鉢)“教育映画”って固いものと思われがちですが、取材をすると、我々が生きていくなか直面する問題を描きます。だから観る人の人生に関わってきます。特に“人権問題”などは、普段考えないことを考えいろいろと勉強になります。
山上さんはテーマに深く突っ込んでいき、本質的なものを出してくれます。
山上)先ほど教科書の副読本が家にあったと話しましたが、私は北九州市出身で人権学習が定期的に行われていて、そのための副読本として、例えば『ベロ出しチョンマ』があったりしたんですね。私にとっては胸に深く刺さる童話で、幼い心にも読んで感動したことを憶えています。
「教育映像を作っているんですよ」、ていうと「大変ですねぇ」とか「難しいんでしょ?」といった線を引かれてしまいがちなんですが、私は普通の童話と思って読んでいましたし、構えることはありませんでした。“人権問題”は特別なことではなく、何気なく話していることが人を傷つけていたり、子どもやママ友の間など、本当に日常のシーンの中にあると思います。
私は垣根を作らずに作っていくスタイル。最初に書いた時は、山上さんが書くものは軽い、これは人権映画じゃないと言われたこともありました。「テレビで流すようなホームドラマに過ぎない」って厳しい意見を頂いて、“教育映画って何だろう”って考えた時期もありました。でも、「そういった線を引かなくて良い」と自分のなかで結論付けました。どのドラマも映画もそうだと思うんですが、さっき鎌田さんが仰ったように、人間をしっかり描かないと始まらないし、エンターテイメントの要素よりも地味でもリアルな人の心情だったり、ちょっとした生活や実景を描くことが、私にとっては大切なことと思っています。
山上)雑談でも聞き耳を立ててしまうというか、電車の中で落ち着かくて仕方ないんですよ(笑)。夫婦の会話だったり、女子中学生の会話だったり。例えばファーストフードでアルバイトしている女の子が、おばあちゃんのお客さまに何度もメニューの説明をしたけど中々わかってもらえなかったらしく、その後「二度と来るな」みたいなことを言っていたりする。そんな時、“どうしてそう思うのかな”とか、“このシチュエーション使って何か出来ないかな”って思うんです。こんな風に偶然電車の中で聞いた話もあるし、他にも私の友人知人が悩んでいることも大きなヒントになります。
鎌田)興味ある話に聞き耳たてるっていうのは、誰でも持ってますよね。特に教育映像のプロデューサーたちは好奇心の塊。題材を探すにはお母さんと子どもが喋っている会話や居酒屋で飲んでいる人の会話などでいくらでもテーマが潜んでいるんですよ。
司会)与えられたテーマ(受注)で、作品を作っていくのですか?
中鉢)受注の場合は、“ねらい”がはっきりしていて、それにはまるものを作っていくのが仕事です。ねらいといっても我々が共感するものが多く、人権一つとっても地域との関わりとか、障がい者との関わりとか色々なものがあります。“自主制作”は、各学校とか自治体に販売する仕事ですが、様々な分野で必要とされるものを作っています。交通安全とか平和教育とか消費者の啓発とか福祉、それと理科、社会、道徳などの学校の教材などです。
鎌田)その中で今は売れ筋しか作れないんですけどね(笑)