ロッテグループが「流通恐竜」と呼ばれる現在の流通大手企業グループに成長する前、その足掛かりとなったソウル市内のロッテホテルとロッテデパート本店建設に関するエピソードは、1970年代にソウル市都市計画局長を務めたソン・ジョンモク・ソウル市立大学名誉教授の著書『ソウル都市計画の話』に詳しく書かれている。
1967年に韓国でロッテ製菓を設立、ガム・菓子などの食品を中心に事業を推し進めていたロッテは、79年にホテル業と流通業に参入、急成長への足掛かりを築くことになる。ソン教授は著書の中で「70年にロッテガムから鉄粉が検出された、いわゆる『ロッテガム問題』の時、朴正煕(パク・チョンヒ)元大統領がロッテグループ創業者の辛格浩(シン・ギョクホ、日本名:重光武雄)ロッテホールディングス(HD、本社・東京)会長を大統領府に呼び出し、『世界のどこに出しても恥ずかしくない観光ホテルを建てて経営してほしい』と指示した。朴大統領はこの時、『政府ができることはすべて支援してやる』と約束した」と書いている。
また、ソン教授は「当時の法規定では、半島ホテル(現在のロッテホテルソウルの所在地にあった高級ホテル)のようなレンガ造りの高層ビルが建ち並ぶ地域を再開発できなかったので、関連法を改正した。ロッテ側が土地を購入しやすくなるよう、売却側が支払わなければならない税金を免除する特恵措置も提供した」とも書いている。これにより、ロッテグループは現在ロッテタウンがある場所にあった東国製鋼(73年12月)、中華料理店の雅叙園(74年5月)、半島ホテル(74年6月)、国立図書館(74年11月)などを短期間のうちに、特に騒がれることもなく購入して事業を推進した。
ソウル中心部の人口を江南地域に分散するという「江北地域の人口集中抑制策」が強く推し進められていた当時、ソウル市内の中心部にロッテがデパートを建てることができたのも特恵措置だったという。江南地域に人口を分散させるため、公共機関・学校・予備校などをすべて江南に移し、ソウル中心部には一般飲食店の許可も出なかった時代に、ロッテは「ショッピングセンター」という名目でデパート出店の許可を得たのだ。
ソン教授は「本来、ホテル宿泊客のために9階建てで進められた付属建設物の高さが、いつの間にか25階と高くなり、店舗の性格もデパートに変わった。デパートの許可が禁止されていた場所だったので、主に汝矣島など大規模住宅地にある商業施設の名称だった『ショッピングセンター』名目で許可を受けた。このため、今もロッテデパート本店の正式名称は『ロッテデパート』でなく『ロッテショッピングセンター』だ」と説明している。