京浜東北線事故の対応策がおかしい。どうして人間はシステムを変えられず生態系は変えられてしまうのか?
JR東日本は、短絡が発生しそうな箇所で電車が止まらないように、注意喚起する上で、そのためのシステムを入れるそうです。
他線で入れてきたシステムを、京浜東北線にも適用するそうです。
けど、"短絡が発生しそうな箇所"があれば取っ払えばいいわけですよね。
そう言うと誰かが、「仮にそこで電車が止まった時に、再起動できないだろう」と言うでしょう。
しかし、今回の現象はまさに、再起動に近い状態になって事故に至りました。
だから、「仮にそこで電車が止まった時に、再起動できないだろう」という心配はおかしいのです。
交流であろうが直流であろうが、短絡させないように設計せねばならないということです。
そして、先日書いたとおり、京浜東北線の場合、短絡しない、絶縁区間を設けた場合も、3個のパンタグラフのうち2個は必ず生きていて、再起動可能なのです。
技術者はどうも、システムを足し算する方向にしか考えないように思います。
抜いてしまうとどんなことが想定されるかわからないから、足してしまう。
その結果フクイチ事故対応のように、そもそも必要でなかった作業が発生し、多くの予算が投じられ、そこにどんどん利権が絡んできます。
なにもないはずのところに、雪だるま式に作業が増えるのです。
日本の低賃金は、狩猟採集や農耕からはだいぶ離れ、そもそも必要でない作業がたくさん増えているから、とも言えます。
人間、生物多様性の場合は、どんどん種族を引き、絶滅させてさえも、まだまだ種類があると思ってしまい、食物連鎖がおかしくなることまでは考えが及びません。
そして人間は、遺伝子組み換えでさえをもやってのけます。
なのにどうして、システムになったら、怖がってどんどん足してしまうのか?
どうも人間はあまねく、本当に怖いものに関する目算を、自分に都合良いように変えているように感じます。
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