「光復70年=分断70年」 ソウル市内で学術大会が相次ぐ

韓国政治学会と大韓民国歴史博物館「光復70年の韓国社会の軌跡」
韓国社会史学会と大韓民国歴史博物館「キーワードから見る光復70年と韓国人の生活」

 光復(日本による植民地支配からの解放)から70年を迎え、ソウル市内では複数の学術大会が相次いで開催される。これらに共通する大きなテーマは「分断」だ。光復70年は分断70年でもあるからだ。冷戦の結果として「分断」がもたらされたとすれば、脱冷戦時代に「統一」という言葉が注目を集めるのはある意味自然の流れだ。

 韓国政治学会と大韓民国歴史博物館は6日、ソウル市鍾路区の同博物館ホールで「光復70年の韓国社会の軌跡」をテーマとする学術大会を共同で開催する。この学術大会では第2次大戦後、国が分断されたドイツ、中国、ベトナム、イエメンと韓国を国際的な観点から比較し、考察することに焦点が当てられている。中でも最も注目を集める発表は金学成(キム・ハクソン)忠南大学教授の『韓半島(朝鮮半島)とドイツの分断経験比較分析』だ。金教授は「ドイツ統一はわれわれにとって常にモデルと見なされてきたが、ドイツの事例を模倣した政策は韓半島でさほど大きな成果をもたらすことができず、今われわれはこの不都合な真実と直面している」と指摘した。その理由について金教授は「ドイツと韓国の分断状況に対する正確な比較研究が行われないまま、単に成功したと評価される具体的な事例だけを便宜的、形式的に模倣してきたことが(成果出なかった)根本的な原因だ」との見方を示している。

 金教授はさらに、東西ドイツと韓国・北朝鮮の国内外における環境の違いを具体的事例を取り上げて指摘している。例えばドイツでは韓半島と異なり、同じ民族同士が戦争するようなことはなく、また1972年に東西ドイツが基本条約を締結してからは、人的・物的交流が制度として定着した。東西ドイツの関係改善は1970年代、当時の西ドイツがソ連や東欧諸国との正式な外交関係樹立を進めたことで可能となった。これについて金教授は「西ドイツは戦後の短い期間で急速に経済成長を実現し、これによって分断管理政策を効率的に進めることができた」と分析した。

 韓国高等教育財団のユン・デヨプ氏は『冷戦と脱冷戦期における東アジアの資本主義受容と転換』と題された論文の中で、戦後の韓国と台湾の共通点と違いを比較分析している。韓国と台湾は1960年代にいずれも輸出主導によって経済成長に成功したという共通点があるが、中国との体制競争や国際社会での存在感を示す必要があった台湾は、1951年にサンフランシスコ条約が締結された直後、日本との国交正常化に踏み切った。ユン氏は当時の台湾と韓国を比較した上で、韓国の状況について「韓国は政治的、戦略的、歴史的目的を排除し、経済的な目的で日本との関係改善にかじを切った。しかしその後、双方の協力関係は深まったにもかかわらず、和解へと進むことができないまま歴史問題での対立、領土紛争、競争的依存関係が今なお続いている」と分析した。

 大韓民国歴史博物館は7日、同じ会場で韓国社会史学会と共同で『キーワードから見る光復70年と韓国人の生活』をテーマに学術大会を開催する。また東北アジア歴史財団は7日、ソウル市中区の韓国プレスセンターで韓国山岳会と共同で「独島(日本名:竹島)学術大会」を開催する。

金性鉉(キム・ソンヒョン)記者
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