芝川ビル、生駒ビルヂング、綿業会館、大阪ガスビルディング――。大阪市中心部、船場の街には明治後期から昭和初期に造られたレトロな建築物が多く残る。東京では丸の内の丸ビルなど、レトロビルの大半が外観だけ残して高層ビルに建て替えられたのに、大阪ではどうしてそのまま残っているのか。
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「現存する『レトロビル』のほとんどは大正~昭和初期の20年ほどの間に建てられた」と話すのは、大阪府立大学観光産業戦略研究所の橋爪紳也所長だ。当時の大阪は周辺の町村と合併し、「大大阪」と呼ばれていた東洋最大の都市だった。人、モノ、金が集まる大都市の形成時期に、鉄筋コンクリートやエレベーターなどの技術革新が重なり、高層の建築物が次々と建てられたという。
「商人の街である大阪では、石貼りの建物も重厚なものではなく、装飾性豊かな明るい雰囲気が好まれた」(橋爪所長)といい、希少な建材や米国式のデザインを取り入れるなど現代にも通用するデザインの建築物が多くなった。
とはいえ、レトロビルが現在まで残ったのは文化的価値が認められたからというよりは、幸運の重なりによるところが大きい。船場地区は大阪大空襲の被害が比較的少なかったうえ、その後の高度経済成長期にも、大規模開発などによって取り壊されることがなかった。中小規模のビルは建て替えても収益を見込みにくかったことや、短期的な収益を重視する企業の所有ではなかったことなどが理由と見られる。
大阪のレトロビルの多くは重要文化財や指定文化財の指定を受けず、自由に改装できる登録文化財にとどめている。このため改修費用などの補助制度を適用できるビルはごく一部で、多くは建築物の価値を評価したオーナーらが自己資金で保存してきた。
1912年に建築された「北浜レトロビルヂング」(大阪市中央区北浜)オーナーの小山寿一さんは「淘汰されたからこそ、残った物に価値がある」と話す。
ビルを喫茶店「北浜レトロ」として活用しているが、「レトロ建築を集めた雑誌などの特集記事に載ることもあり、紅茶好きの人だけでなく、町歩きが好きな人も立ち寄ってくれる」(小山さん)。ビルの購入時に耐震補強や外装や内装の改装に多額の費用がかかったものの、レトロビルであることが喫茶店の集客力を高めており、採算はとれているという。
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近年、レトロ建築物が観光資源として脚光を浴びている。堺筋倶楽部(くらぶ、大阪市中央区南船場)はレストランや結婚式場、消防署だった今橋ビルヂング(大阪市中央区今橋)はイタリアンレストランとして人気を集める。
こうした流れを受けて、行政も近代建築の保存に向けて動き出した。2013年に始まった大阪市の「生きた建築ミュージアム事業」では、市内のレトロビルを巡るイベントを開催。14年はビルのオーナーによる建築物の解説や音楽の生演奏などを催し、2日間でのべ約1万人を動員した。今年も10月31日から2日間開催する。
レトロ建築物は建物に愛着を持つオーナーらが自主的に守ってきた。裏を返せば、今後どうなるかはオーナーの懐事情にかかっていると言える。「大大阪」の遺産を次の世代に伝えるには、集客効果など経済的価値を高めることや、文化的価値を認めた支持者の存在が必要だろう。
(大阪経済部 宗像藍子)
大阪ガスビルディング、レトロビル