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2015年8月 4日 (火)

実写映画化やスピンオフなどの派生作品についての私見

最近の私は、「漫画原作の実写映画」をさらに小説に書き直す、という仕事を連続でやっているわけですが、この「漫画の実写映画化」っていろいろ炎上しがちですよね。

だいたいにおいて「原作からの改変」がまずやり玉に上がり、「原作レイプ」とか「金儲け」とか言われるわけですが、その辺の話を最近いろいろと考えております。だいぶ前に、私と同じように映画や漫画のノベライズをよくされてる作家さんとも話をしたのですが、そのメモ的な意味で、あるいは自分の立ち位置や考え方の表明として、ちょっとまとめておこうかなと思います。

すごい長文なので以下は畳みます。読む人は覚悟してどうぞ。

○二次元に感情移入出来るのは「特殊技能」である

あのですね、まず前提として、世の中には「文章や絵には全く感情移入出来ない」という人たちがかなりの割合で存在するんですよ。っていうか、むしろそっちが多数派かもしれないんですよ。

漫画とか小説とかでどんなに感動的な台詞や展開を読んでも、それを自分の生きているこの世界と地続きの話としてとらえられない、「だって絵だし文字だし」みたいな人はかなりいるんです。絵は絵だし、文字は文字であって、それで描かれていても「作り話」だなーとしか感じられない

殆ど同じ内容で同じ台詞であっても、生身の人間が口にして初めて「本当だ」と感じられる人は絶対にいる。それもすごくたくさんいるのです。

漫画や小説の世界のキャラって、そのストーリーのためだけに作られた「記号」でもあるので、その記号が何をしても文字通りの絵空事にしか思えない。皆さん、ご両親やリア充のクラスメートや学校の先生にこう言われた経験はありませんか。
「たかが漫画になんでそんなムキになってるの?」
「どんなに好きになっても、どうせ絵でしょ」
でもそんな人たちも結構、テレビドラマとかは見てたりしますよね。好きな役者さんやアイドルのグッズは集めてたり。それだって「どうやっても手が届かない」って意味では、二次元と大差ないやんと内心思ったりもしますが。でも彼らにとっては「そこは絶対に違う」んですよね。

漫画や小説のドラマ化って、そういう人たちがメインのターゲットなんです。ドラマ化の企画が上がるほどの人気作であれば、「原作を読んで充分感動できる人」はもう原作を読んでるんです。そうじゃない人にもこの作品の面白さを伝えたい、となれば、媒体を変えるしかないのです。

漫画や小説のファンからすれば、逆に生身の人間が演じると言うことは、その役者さんのこれまでの人生とか役柄とかが「余計な情報」としてくっついてくると感じる。ロケ地とかの制約も出てくる。当然ストーリーもキャラクターも「そのまま」にはならない。だから許せない。

でも「漫画は読まないけどドラマになったら見る」派の人は多分そういうこともひっくるめて「リアリティ」だと思ってるんです。本当にある場所。生身の役者さん。最近はCGとかもあるので、全部が全部本物ではないけど、とにかく「本物に見えるもの」でないと本物とは思えない、自分のこの世界と地続きだと感じられない。

なので、実写化する際には、そういうタイプの人たちが「本当だ」と思える範囲内に物語を収めるよう改変されることが多いです。さらに言うと、気楽に見られる媒体であればあるほど、ターゲット層の「リアリティの範囲」「感情移入出来る主人公の設定」は狭まっていく傾向があります。わざわざ映画館に出向く層はまだ、多少ぶっ飛んだ設定でも受け容れられる人が多いですが、ああいう隔離状況で二時間集中して物語に没頭するということそれ自体が実は難度が高いので、それも出来ない、家でゴロゴロしながら気楽に見られるテレビドラマならなんとか、という層になると、まあ舞台そのものが異世界とか未来とかそういう設定のやつは全部ダメと言ってもいい。最近だと『デスノート』の月が、映画ではほぼ原作通りの設定だったのに、テレビドラマでは凡人にされたのは、多分そこら辺が理由かなと思ったりも(個人の想像です)。

私がだいぶ前にtwitterに投稿して、ものすごーくリツイートされたネタに「“リア充”とは“リアルが充実”の略ではなく“リアルで充分”の略ではないか」というのがあるのですが、まさにこれはその話でもあるわけです。彼らにとっての「充分なリアル」とは、すなわち我々が生きているこの世界、オタクの大半が生きづらく感じている、「いつか空から人間じゃない女の子降ってこないかな」とか「変な小動物がやってきて“僕と契約して魔法少女になってよ”とか言わないかな」とかの妄想で乗り切っている、この世界のことなのでございますね。ああ世界は残酷だなぁ。

まあ多分、向こうはこっちを「絵なんかに一喜一憂してキモイ」とか思ってますが、こっちはこっちで彼らのことを「どうせ俳優の顔しかみてない」とか「想像力とか読解力が無いバカ」とか思ってたりするので、そういう優越の話はあんまり意味がないと思います。それに、実はこの「現実感重視派」をつきつめると「そもそも作り話にはいっさい興味ない」みたいな人もいて、その中にはバリバリに勉強出来る人もいます。理系の人とかで、科学系のドキュメンタリとかは見るけど、ドラマとか全く興味ないって人いますよね。逆に「作り話は興味ないけど実話系は好き」っていうグループには、ワイドショーで芸能人のスキャンダルとか、凶悪殺人犯の生い立ち話とかを「我々が作り話を楽しむのと同じ動機で」楽しんでいる人もいると思う。ネットの「実話として流れてくるちょっといい話(あるいはトラブル話)」に飛びつくのも「本当にあった」という部分が重要なのでしょう。

○お金儲けは悪いことなのか

さて、そうなってくると、「そこまでして実写にする意味って何よ。ようするにお金儲けでしょ」ってことになるわけですが、コレについては、まあ、大筋では「はいそうです」としか言えないとは思うんですよね。ただ個人的には「お金儲けって悪いことですか?」と聞き返してしまいたくはある。

お若い人は潔癖だし、日本人って全体的に「お金」を汚いものだと思う傾向がある。突然アレですけど、私、東日本大震災のときに古い友人(つまりもういいおっさん)が「企業が下心ミエミエで出した1億の募金より、小学生がお小遣いから出した100円の方が価値がある」みたいなことを言ってて、正直いきなり愛想が尽きて文字通り友達やめたことがあります。だってさー、それはほら、美談ではあるかもしれませんけど、お金はお金なんですよ。お金がないと何も始まらないし、今真実困っている被災者に「企業が宣伝目的で集めた1億と、子供の小遣いの100円のどっちかをとってください」って言って、前者を取ったら「人の心がわからないクズめ」みたいなことを言うのってどーなのよって私は思うわけです。

今、本当に出版業界って不況で、紙の本って全然売れないんです。普通の文芸書だったら、多分コミケの壁サークルの方が初版部数多いです。漫画業界も、結局1本のヒット作品の売り上げで、同じ雑誌で連載してる全ての漫画の赤字を補填してなんとかやりくりしているような状態なんですよ。そのシステム自体がもう破綻しているという話もあるし、その解消のためにデジタル媒体への移行とかを各社模索中なわけですが、そういう取り組みは取り組みとして、現状、一番効果が高いのは、ヒット作が一本でたらそれを徹底的にプロデュースして可能な限りのお金に換えることなんですよ。

「ちょっとヒットしたらすぐアニメ化……はまだ許せるけど、実写映画とかドラマとか、魂を売るようなもんだろ、そんなにまでして金が欲しいのか。企業コラボもいい加減にしろ。僕の私の○○がどんどん変な物になっていく。あんな俳優××は私の愛する△△じゃない……」というファンの声は至極当然でもありますが、しかし現実は厳しいのでございます。

逆に言えば、そうやって1本のヒット作が稼ぎ出したお金のおかげで、「世間的にはあんまり売れなかったけど、一部のマニアにはものすごく評価されてる隠れた名作」とか「雑誌に載ってると箸休め的に読んで笑うけど、コミックス買おうとまでは思わない四コマギャグ」とかがかろうじて生き残っているとも言える。カリスマ社長が死んだら、そこの社員もその家族も、もしかしてペットの犬までみーんな路頭に迷うみたいな話でもあるわけで。まあそのシステムあかんだろというのもごもっともですが。でも「とりあえず今はそれしか選択肢がない」みたいなのもありましてな……。

そういうのを全部ひっくるめて「大人の事情」と人は呼ぶのでございます。大人って汚いですかね。でもみんな一生懸命働いているんだよ! お金がなければみんな死んじゃうんだよ! みんな好きな作品のコミックスは買おうな!

「そうは言っても限度ってものがあるでしょう」と言いたくもなる場合もありますが、この「限度」を決めるのは、最終的にはファンではないんですよね……じゃあ誰かというのはケースバイケースですけども。

作家さんの中には自作の世界観をとても大切にして、いっさいのメディアミックスやスピンオフを許さないという方もいます。いろんなものに許可を出すけど、それについてご自身で徹底的にチェックする方もいますし、自分には他の媒体のことはわからないので好きにしてくれと丸投げしちゃう方もあるみたいです。許可を出さない方は、ファンにとっては素晴らしい先生ってことになると思いますが、そこから何も広がっていかないのでもったいないという意見もある。メディアミックスして作品名が売れれば、もしかしたらただ当座のお金だけではなく、作家さん自身の未来への投資になるかもしれないですからね。

○「公式は我々の敵だ」問題

ちょっと話は飛びますが、つい先日、某有名ブラウザゲームで、ゲーム中の素材にトレス問題が発覚し、大炎上しました。私も当該ゲームはプレイしていたので、状況はずっと追いかけていたのですが、その中でちょっと気になったのが、この件について激しく運営や原作側を糾弾している人の中に「公式はファンを騙そうとしている」という視点に凝り固まっている人がいる、ということでした。

ゲームにしろ、アニメや実写ドラマにしろ、商業ベースの作品には、とてもたくさんの人々が関わっています。制作部署や権利関係が細分化されているので、事実関係を調査し統一見解を共有するのにかなり時間がかかる場合もあります。ですがそれをいちいち「こういう事情で」と外部に公開するわけにはいきません。法的な守秘義務というものもあります。

「実写ドラマ化なんか作品への冒涜だ」「設定改変は許さない」という人々の潔癖さと「トレパク問題をお金でもみ消し、適当な説明でファンをごまかそうとしている」と主張する人々の潔癖さは、同じ部分から出ているのかもしれない、と考えたりもします。それはすなわち「お金儲けは汚らわしい行為だ」「公式というものはみな、ファンを軽く見て隙あらば騙そうとするものだ」というような感覚です。自分たちは結構えげつないキャラ改変・設定改変の二次創作を書いたり楽しんだりしているのに、公式側がメディアミックスや企業コラボで作品を改変したものを提示すると、烈火の如く怒る人もいる。それはつまり「ファン」と「公式側」の間には意識の共有がない、「ファンがすること」は全て「作品の愛故の行為」であり「公式がすること」は「作品でお金儲けする行為」である、という感覚から来ているのではないか――これは、いちオタクいちファンであり、かつ現在はヒット作品のノベライズやスピンオフを手がける公式側の人間でもある私の推測です。

○「愛はお金で買えませんが、お金があれば愛は潤います」by三鷹(めぞん一刻)

もしかしたら世の中には、本当にお金のことしか頭にない人たちというのもいるのかもしれない。私はそれほど業界の深いところにいるわけではないので、断言することはできません。でも、少なくともデビューしてから20年、私が関わってきたいろんな作品の現場で働いている方々には、お金だけのために仕事をしている人は誰もいませんでした。

みんな、お金儲けの大切さを充分わかっていたし、少しでも売れるもの、ヒットするものを作ろうと努力していたけど、それはただお金が欲しいからではなく、自分の関わっている作品をよりたくさんの人に届けたい、いろんな人に楽しんで欲しいという気持ちが一番先にありました。予算とか納期とか、仕事になるといろんな制約がかかってきますが、その中でみんな限界まで努力して、より面白いものを作ろうとされていたと思います。勿論私も、そういう気持ちで日々原稿を書いています。

漫画原作の映画をノベライズする場合、「原作漫画を一般向けに改変したものを、もう一度今度は文章にする」というたいへん複雑な流れで、いよいよ「お前のそれはなんのためにあるの?」と首をかしげる人もいるかと思うのですが、これも一言で言えば「読者層が違う」ということです。私のメインは小学校中学年~ローティーン向けの児童書ですが、その年齢の子供だと、なかなか映画館に映画を観に行くのは難しいわけです。恋愛ものとかだと親が許してくれない場合もある。また地方の子だとそもそも近所に映画館がなく、物理的に見られないということも多いです。じゃあ原作漫画を読めばいいじゃんと思われるかもしれませんが、だいたい原作の漫画って5~10冊とかあるわけですよ。子供のお小遣いでほいほい買えるわけではない。そしてやっぱり漫画は親が買ってくれなかったりする。でも児童向けの小説として一冊にまとまっていれば、自分のお小遣いでも買えるし、親も「小説なら」という感じでお金出してくれたりもします。

なので私の仕事は、映画の筋書きはきちんと抑えつつ、「映画は見に行かないけどどうなってたのかは知りたい」という原作ファンの読者も想定して、出来るだけ原作の空気感に近づけながら、ローティーン向けの表現に直して一冊の小説として完結したものを書く、ということになります。原作既読のハイティーン~大人のファンからすれば全く存在意義がわからないものかもしれませんが、それをお小遣いにぎりしめて待っていてくれる小学生はたくさん存在するのです。

そんなわけで――何が言いたいかというと、どうしても納得出来ないこともいろいろあるかと思いますが、最初から「どうせ派生作品なんて全部お金儲けでしょう」という風に決めつけて切り捨てるのではなく、その形になったからこそ楽しめる人がたくさんいること、それによっていろんな人が助かること、作っている人はみんな一生懸命なんですよということも、少し心にとめておいてほしいということでした。そして気が向いたら派生作品も見てみてください。もしかしたら、結構面白いかもしれませんよ。

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