2015-08-07 2513 御嶽の無念、そして希望
ここ数日間に渡り、御嶽のことを書いてきました。
もし、同級生の息子さんが、事故に巻き込まれていなければ、多くは触れなかった事案です。
彼は、捜索の嘆願書を、長野県知事、岐阜県知事をはじめ、警察、消防、自衛隊に謝礼の言葉と同時に、複数回、書き、送り続けてきました。
捜索が開始されたときに備え、会社も早期退職して、日々、待機していたのです。
その甲斐あって、ようやく、捜索が再開され、行方不明者6名のうち、新たに犠牲者一名のご遺体が発見されました。
しかし、彼のように、再捜索を心底、希望されたのは、行方不明者の6家族のうち、彼ともうひとりの家族だけだったようです。と、言うのも、彼の息子さんが19歳で最年少。次の方が30代、あとの4名の方は、いずれも40代以上の方々で、二次被害にも繋がりかねない、危険を伴う再捜索には、あまり積極的ではなかったとのことでした。
結局、再捜索を切望したのは、彼と30代のご家族の方だけで、同じ行方不明者のご家族とも、目に見えない温度差があったとのことです。
彼の気持ちのほんお一部は先に書きました。
「一生かかっても、探し出す・・・」と彼は言っていました。
「もし、死んでいたとしたら、それはそれで受け入れるしかない・・・。でも、あいつをこのまま、ひとりで山に残すことだけは絶対にできない。・・・っていうか、母親の元に帰してやりたい・・・」
とても重い言葉だった。
再捜索で亮太くんの所持品(登山ストック)が発見された。捜索のプロたちは、それを基準に付近を捜索したはずだ。しかし、発見に至らなかった。これは、どういうことなのか。つまり、私は、彼がたてた可能性の存在を信じたい。彼はどこかで生存している。無念は希望に繋がったと考えることはできないのだろうか?
「捜索を打ち切るなら、それはそれでいい。だけど、だったら、自分たちで探せる権利を与えてほしい。今はまだ、亮太に、親として、何もしてあげることができていない・・・」
現場には、立ち入り禁止、規制が敷かれている。
昨年、開かれた「亮太を思う会」は「お別れ会」ではない・・・と彼は主張した。
その通り、葬儀では決してない。
私はこの件に関して、諦めも、区切りも必要ないと思う。第三者の軽い言葉かも知れないが、今、彼ができることの一つは、生存を信じることだと思う。
きょう、電話を入れてみよう。
ーーーーーネット配信記事ーーーーー
昨年9月に噴火した御嶽山(長野・岐阜県境、3067メートル)の再捜索で、長野、岐阜両県は6日、すべての捜索活動を終結したと発表した。期間中、不明者6人のうち1人を発見し、この災害での死亡者は58人となった。残る5人は発見に至らなかった。
長野県の阿部守一知事は同日夕、記者会見で「捜索はやり切った。(不明者の)ご家族の気持ちを察すると無念だが、新たな手がかりがない中、火山活動が続く3千メートルの高地での捜索はこれ以上継続できない」と説明した。
両県は7月29日、昨秋以来9カ月半ぶりに捜索を再開した。山頂付近の重点エリアを1日あたり約120人で捜索し、山梨県甲斐市の猪岡哲也さん(当時45)を発見。不明者の所持品を含むカメラやストックなど40点以上も見つけたが、厚く積もった火山灰が山肌で固まり、難航した。
ーーーー以上ーーーー
私も信じる。諦めない。
2015-08-06 2512 神田・まりか会
天草の少女、麻梨花ちゃんを偲ぶ会。今日は彼女の月命日。その東京の会。
出席者は私と五十嵐隊長の二名。二人とも、笹塚近辺に在住ですが、地下鉄で神田神保町に行き、「いもや」で天ぷら定食650円、えび定食850円で会食。
その後、神田名物、「達磨」の羽根つきたい焼きを、冷たい抹茶でアフター。さらに「さぼうる」でバナナジュースとストロベリークリームソーダで、まりかちゃんを偲ぶ。
写真も撮りましたが、アップに時間がかかるので、時間があるときに。
彼に、電話を入れる勇気が出ない。かける言葉が見つかりません。
五十嵐隊長は55歳の身体にムチ打って、深夜の工事現場で命を繋いでいる。
なんか、工事現場で作業するのに必要な免許を取るために、久しぶりに講習を受け、頭を使いすぎて疲れた、と言っておりました。
今年もまた、エアコン買うチャンスを逃し、後悔しています。
冷暖房なし生活、11年目の夏・・・。
2015-08-05 2511 祝合格・北京大学 善人商店息子さん
もう、下で空港まで送ってくれるタクシーが待機しているので、短い時間でまとめます。
広州の善人商店の息子さん18歳が現役で、東大よりはるかに入学困難な北京大学と清華大学にW合格しました。快挙です。
2年前の高校一年生のころでしたか、友人の家に泊まりに行く、行かない、でお店の中で、壮絶な親子喧嘩をしているシーンを目撃しました。
彼は約束したからどうしても行きたい。
中国人のお母さんは「あなたは風邪をひいている。もし、友達にうつしたらどう責任とるの?」
「風邪なんかうつるもんか」
そして日本人のお父さんが「お母さんの言うことをきけ」と日本語と中国語で叱る。
あまりの壮絶で、2対1と分が悪い彼に私は、いたたまれなくなって加勢した。
「もう、高校生なんだから、自己判断に委ねたらどうでしょう・・・」
父親が言った。
「もし、彼が風邪をひいていなければ、そうしたいのですが、やはり、相手の家族のことも考えると、このまま行かせるわけにはいかないんですよ・・・」
結局、彼はベソをかきながら、行くことを断念した。
彼が通うこの地の高校から、二人目の北京大学合格者。清華大学合格は初めて。校舎には名前入りの大きな垂れ幕があった。
数年前のことだが、同じ高校から、上海の復旦大学(ここも世界ランキングでは東大より上位)、やはり現役で合格した生徒が出た。これも知り合いの日本人生徒。東京を中心に約100店舗、飲食店を経営するK会長の息子さんだ。
私が、一家を広州にお連れして、彼はこの地に残ることを自身で決めた。当時中学一年生。
彼はもう卒業して日本の大手ビール会社に就職した。
次世代をリードする優秀な若者たちの進出は、本当に目出たいと思います。
おめでとうございます。
2015-08-04 2510 歯止めなき中国の暴走
7月23日〜14日間の行程も残すところ、今日と明日の二日間。正式にはあと24時間ほどです。
今回は13のプロジェクトを持ってきましたが、点数をつけるとしたら50点。達成感はあまりありません。自身の体力低下も響いていますが、わかっていても国民性の違いも否めません。
90年代から中国を垣間見て、02年から、本格的に中国でビジネスを展開してきましたが、10年前の自分の視線でも想定外の事態に驚愕しています。
私のいる広東省広州市ですが、都心はすでに当時から東京のようでしたが、国際空港は、まだまだ未開発の地方空港で、たとえばトイレは汚く、ドアすらない箇所もあり、レストランはなく、人民食堂がある程度。出てくるコーヒーはもれなく粉のインスタントコーヒー。国際線の出入り口は、わずかに一か所で、入国出国の都度、押し合いへし合いの新宿駅のラッシュアワー状態でした。空港を一歩出れば白タクの運ちゃんたちに囲まれて、まず上陸後の最初の仕事は運ちゃんたちをかき分けて、迎えの車を探すことからでした。
市内でもTOYOTAはちらほら見かけましたが欧米車は、ほとんど見かけませんでした。それが今ではベンツ、BMWは当たり前で、アウディ、ワーゲン、ボルボあたりはほぼ一般車種で、フツーのおばさんが、近所の買い物の足代わりです。昨日はポルシェのバンを二台、ベントレーは三台、仕事で取材中のゴルフショップには、普通の格好をしたオッサンがフェラーリでやって来ました。それぞれの金額は輸入車には関税が100%かかるため、日本で買う額の二倍です。私の中国人のパートナーも奥さんはBMW320i、本人は、つい先月、ゴルフ用にインフィニティのワゴンを、日本円で1000万円で購入しました。クルマに全く興味のない私は、特に羨ましいということはないのですが、この時勢の変化に大きく戸惑っています。
日本で話題の中国人爆買ツアーですが、ごく一部のことだとタカをくくっていましたが、今では、飲み屋のオネーちゃんレベルまで「この前、日本に行ってきたの〜」という浸透ぶりに、また驚きました。物価は高騰に高騰を重ね、もはや、日本との格差を感じる部分はほとんどなく、為替で円安の現在は、むしろ日本の方が、遥かに安い場面が多い、というのが実感です。
では、なぜここまで経済が発展したのか? これは私の持論ですが、この経済成長の絡繰りは中国という国が、国家ぐるみで秘密国債を発行している、ということです。つまり国家が国債の金額を公表しないで、赤い札(中国では毛沢東の赤色の100元札=約2000円が、一番高価な札)を24時間、輪転機をフル稼働させて、ホンモノの偽札を刷っている。それを人民にばら撒き、外貨に換えている。そうすれば辻褄が合うのです。
日本の国債も現在では、赤ちゃんを含め、日本国民がひとりあたり830万円(日経新聞)。これは政府が、国債の発行を厳正に公表してるからわかることであって、中国が同じシステムかどうか、私には大きな疑問が残ります。
そんなもろもろの事情を踏まえて、この先、この中国がどのように変貌していくのか? 9月3日に行われる中国抗日記念行事をはじめとする、東、南シナ海における中国の戦闘準備的な侵略は、そう遠くない将来への、有言的宣戦布告と拡大解釈しても、方向性はずれていないと思います。
安倍内閣の防衛強化のための改憲に対し、反対する人々の危機感の無さを憂います。以下のネット配信記事の一部をお読みください。
ーーーーネット配信記事ーーーーー
朴大統領“苦悶”の先延ばし 中国抗日記念行事返答 欠席続出なら習主席“大恥”
2015.7.25 21:00
韓国の朴槿恵(パク・クネ)大統領が苦悩している。中国が9月に北京で開催する「抗日戦争勝利70周年記念行事」への出席を招請されているが、出欠の決断を先延ばしにしているのだ。背景には、日韓、米韓関係への影響に加え、国家の正統性に関する悩みも指摘される。中国は50カ国余りの首脳らに出席を呼び掛けているが、何と大半の国が態度を保留しているという。欠席が相次げば、習近平国家主席のプライドを傷付けることになりそうだ。
「(今年は)抗日戦争勝利から70年だ」「人々が歴史に学び、未来への鏡とする大事なときだ」
習主席は3月末、海南省で開かれた「ボアオ・アジアフォーラム」年次総会での基調演説で、日本をこう牽制した。
中国は9月3日、政府主催で記念大会と軍事パレードを行う。東シナ海で海洋プラットホームを増設させ、南シナ海の岩礁を埋め立てて軍事基地化するなど、軍事拡張路線に国際社会の批判が集まるなか、自国は「戦勝国」として振る舞う一方、日本の戦争責任を強調することで目先をそらす狙いもありそうだ。
王毅外相は「あらゆる関係国の指導者を招待する」としており、外交筋によると、日本や韓国、北朝鮮、欧米諸国に加え、侵略や植民地支配を受けた経験を持つ東南アジア各国の指導者らを招待しているという。中央アジアや中南米の各国にも参加を求めている。
ロシアのプーチン大統領など、数カ国の首脳が出席に前向きな返事をしているが、実は、ほとんどの国が態度を明らかにしていないという。
正式招待を受けた東南アジアの外交筋は「安倍晋三首相が戦後70年談話を発表した後に、日中関係がどうなるかを見極めてから出席するかどうかを決める」と語った。
ーーーーーー以上ーーーーー
日本の内閣の、たとえば靖国参拝などに対し、特に中国、韓国は異様なまでに攻撃を仕掛けてくるが、日本政府は、中国の明らかなる兆発に大人の対応を示している。韓国大統領も、欠席という賢明な判断を仰ぎたいが、まだ出欠の決定はなされていない。
私は、この一連の挑発的行動を、中国の暴走と捉えています。世界が平和へと向かおうとする時勢に逆行した暴挙に、国際社会が冷静な判断と、厳正な審判を、一刻も早く、下さなければ、もはや加速のついた中国の暴走に歯止めは効かなくなる、そう断言します。
2015-08-03 2509 神ひとえ
御嶽山の捜査状況の続報。
知人から送られてきたメールの内容を公開します。すでに多くのメディアで実名報道されているので、あえてこのまま記します。
ーーーーーネット配信記事ーーーーーーー
行方不明者の1人で噴火の時、19歳だった愛知県刈谷市の愛知大学生野村亮太さんが使った登山用ストックが今月の先遣隊調査で見つかり、父・敏明さん(55)のもとに届けられた。敏明さんは手がかりを得たことに期待を持ちつつも「本人が帰ってくるまで区切りはつかない」。複雑な思いで再開を待つ。行方不明者の捜索は昨年10月16日に打ち切られた。敏明さんは「長い長い10か月だった」と振り返る。
亮太さんの誕生日は7月16日。「亮太は御嶽山にいる。せめて、この日までに見つかってほしい」。その一心で、長野県知事や県警本部長宛てに早期の捜索再開を望む手紙も出した。亮太さんの部屋は整理できずに、御嶽山に出かけた当時のままになっている。「少しでも亮太の近くに行ってやりたい」。敏明さんは毎月、噴火した27日前後に、約3時間かけて御嶽山麓にある三つの献花台に向かう。その度に家族らが折った折り鶴を持参。これまでに供えた鶴は1万羽を超えた。
亮太さんは高校1年の時、敏明さんと一緒に富士山に登った。初めての登山だった。高校サッカー部の主将を務めていた亮太さん。敏明さんは「優しくて人が嫌がることも率先してやるタイプ。黙々と山頂を目指す登山は、亮太に合っていたんじゃないかな」と話す。
今月12日、捜索再開に向けて山頂付近に登った先遣隊が、尾根「八丁ダルミ」でストックを発見した。5年ほど前に敏明さんが購入したもので、亮太さんが御嶽山に向かう当日、母が手渡した。持ち手付近に敏明さんの名前が書かれたストックは、火山灰とみられる白い粉がこびりついていた。
ーーーーーーー以上ーーーーーーー
「早く見つけつて欲しいと思う反面、発見されれば、すなわち亮太の死を受け入れなければならない。だから、発見されないことを願う気持ちもある」。彼の言葉だ。
どちらに転んでも、家族には苦しみと悲しみしか残らないのか? 奇跡という選択肢を私は、家族が願うように祈り続ける。
再捜索後、すぐに発見された、新たなる犠牲者のご遺体。先の記事のストック発見情報と重ね合わせると、私は、そのご遺体が亮太君ではないのか・・・と、不穏な心臓の鼓動に悩まされた。
敏明や家族の方々にとって、その不安は計り知れない。
敏明は「区切り」という言葉を使ったが、彼の本心に「区切り」などあるはずがない。
ご遺体が、他人であったことを知り、第三者の私は、ある意味、安堵したが、敏明やご家族は、どんな気持ちだったのだろう。私は「覚悟」していた。
しかし、これはもう、神の領域であるのだと、私は神に委ねるしかないのだと、そう考えていた。
そして神が出した結論が、亮太君の「生存」の可能性を否定しなかったのだと、私はそう捉えた。
希望は捨てない。そして祈り続ける。あきらめない。祈り続ける。
敏明やご家族の苦しみの100万分の1も分かち合えない私だが、祈り続ける。
真剣に、祈り続ける。