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【社会】

広島 原爆70年 平和宣言で人類愛と寛容訴え

 広島は六日、史上初めて原爆が投下されてから七十年の「原爆の日」を迎えた。爆心地近くの広島市中区の平和記念公園では、午前八時から「原爆死没者慰霊式・平和祈念式」(平和記念式典)が営まれ、松井一実市長は平和宣言で「絶対悪」である核兵器廃絶や禁止条約の交渉開始に向けて全力で取り組み、世界の指導者らに「人類愛」と「寛容」を呼び掛けた。 

 広島市によると、式典には約五万五千人が参列。過去最多の百カ国と欧州連合(EU)の代表が出席した。

 核保有国は米英仏ロの代表が出席し、中国は欠席。原爆を投下した米国は、キャロライン・ケネディ駐日大使と、政府高官として初めてガテマラー国務次官(軍備管理・国際安全保障担当)が参列した。

 厚生労働省によると、被爆者健康手帳を持つ人は二〇一五年三月末で十八万三千五百十九人。平均年齢は八〇・一三歳となった。高齢化がいっそう進み、体験の継承が急がれる。

 松井市長は宣言で「広島をまどうてくれ(元通りにしてくれ)」という被爆者の悲痛な叫びを盛り込み、公募した体験談から河内(こうち)政子さん(86)らの思いを引用。

 各国の指導者に武力に依存しない安全保障の仕組みの創出と被爆地訪問を訴え、政府に「核保有国と非核国の橋渡し役として議論を主導するように期待する」と述べた。

 式典のあいさつで安倍首相は「核兵器のない世界」の実現に向けて取り組むとしたが、「非核三原則」には言及しなかった。国連の潘基文(バンキムン)事務総長のメッセージが代読され、田上(たうえ)富久長崎市長らも出席した。

 塩崎恭久厚労相も被爆者団体代表らと面会し、原爆症認定制度に関し「高齢化を踏まえ、審査を原則六カ月以内で行う」と明らかにした。

 参列席は、高齢の被爆者らの暑さ対策のためテントを増設し、初めてほぼ全面を覆った。

 この一年間に死亡したか、死亡が確認された原爆死没者は五千三百五十九人。原爆死没者名簿に記帳された人は計二十九万七千六百八十四人となった。

 子どもたちの「平和への誓い」は、ともに広島市の小学六年、桑原悠露(くわはらゆうろ)君(12)と細川友花(ゆか)さん(11)が朗読した。

 <広島原爆> 1945年8月6日午前8時15分、米軍のB29爆撃機「エノラ・ゲイ」が広島市上空で、ウラン型原子爆弾「リトルボーイ」を投下。市中心部にある広島県産業奨励館(現・原爆ドーム)付近の高度約600メートルで爆発し、強烈な熱線や爆風、放射線により、広範囲にわたって街が瞬時に壊滅した。

 

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