安倍首相の戦後70年談話について検討してきた有識者懇談会が、報告書をまとめた。

 これを参考に、首相は近く談話を発表するが、植民地支配と侵略、それへの反省とおわびを盛った戦後50年の村山談話について、首相はきのうも「歴代内閣の立場を全体として引き継ぐ」と語った。

 聞く者の心に響かなければ談話を出す意味はない。具体的な言葉によって、「引き継ぐ」ことを明確にしてもらいたい。

 報告書は「日本は満州事変以後、大陸への侵略を拡大し、無謀な戦争でアジアを中心とする諸国に多くの被害を与えた」と明記。また「民族自決の大勢に逆行し、特に1930年代後半から、植民地支配が過酷化した」と記した。

 報告書は、首相が有識者らに求めた意見をまとめたものだ。安倍談話の草稿ではないが、戦争の経緯についてはおおむね妥当な内容と言える。

 侵略を拡大したあげく、ポツダム宣言を受け入れて降伏。東京裁判を受諾してサンフランシスコ講和条約で主権を回復した後は、戦争への反省を踏まえ、新しい憲法のもと平和国家として歩んできた――。

 細部に異論はあっても、これが国内外で定着してきた戦中、戦後の日本の姿だろう。

 一方で、首相は「侵略の定義は定まっていない」として、こうした歴史認識を修正するような姿勢を見せてきた。

 その首相の私的懇談会が、侵略だとはっきり書いた。

 過ちを認めることは、同じ轍(てつ)を踏まないために欠かせない。

 過去の国策の誤りを率直に認め、痛切な反省と心からのおわびを表明した村山談話は、国際社会に評価され、以後の日本外交の基礎になってきた。

 それがあるのに、新たな安倍談話を出す必要があるかどうかは意見が分かれる。それでもあえて出す以上、日本と周辺国の間に新たな誤解や不信を招くようでは本末転倒だ。

 首相自身の個人的な思いを超えて、日本国民を代表し、国際社会をも納得させる歴史総括にする責任が首相にはある。

 そのためにも、以下の点に心を砕いてもらいたい。

 戦争の惨禍を体験した日本人や近隣諸国民は少なくなっている。まずはこの人たちの思いに寄り添う内容にすることだ。

 もうひとつは、中国や韓国とのこじれた関係を打開する和解のメッセージとしての性格を明確にすることだ。

 談話に何を込めるか。首相の判断を世界が注視している。