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【栃木】

身近な戦争 記憶を継ぐ 宇都宮の83歳男性がHP開設

自宅のパソコンで作業する大野さん。「熱中すると疲れを感じることはない」と笑顔を見せる=宇都宮市で

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 「平和の語り部」として小学校などで講演活動をする「とちぎの空襲・戦災を語り継ぐ会」事務局代表の大野幹夫さん(83)=宇都宮市鶴田町=が、約七十年前に県内で起きた空襲や戦災の記録をまとめたホームページ(HP)を開設した。タイトルは「とちぎ炎の記憶」。東京など大都市で起きた空襲の陰で、身近な地域でも多くの人が犠牲になった。そんな等身大の記憶に目を向け、平和への思いを若い世代につなぐ。 (後藤慎一)

 宇都宮、那須、足利…。終戦直前の一九四五年七月の空襲を中心に、HPを開くと市町ごとの詳細な被害状況が一覧できる。死傷者数をはじめ、爆撃された場所や日時、被害の程度まで踏み込んでいる。

 資料収集から原稿の執筆まで一人でこなした大野さんは、事実を書き残すことにこだわった。根拠にしたのは、現存する米軍資料から、公務員が書き残した古い日記、市史、町史まで数え切れない。夜中の二時まで熱中して書き上げた原稿は、四百字詰めで百四十枚分に上る。

 戦時中の三二年に生まれ、宇都宮市の中心市街地で育った。十三歳だった四五年七月十二日深夜から翌日未明にかけ、米軍が市中心部を標的に爆撃を行い、少なくとも六百二十人が犠牲になった「宇都宮空襲」を自らも体験した。

 大学時代は放送記者を目指した時期もあり、エッセーなどを書くのは好きだったが、パソコンを習得したのは七十歳になってから。書店の営業部長を定年後に始めた語り部の活動を通じ、戦争の記憶を受け継ぐ使命感のようなものにかられ、広く発信できるHPの制作を思い立った。

 構想から五年以上。図書館や文書館、役所を訪ね歩いては資料に触れ、戦争体験者の証言も直接聞いた。原稿は一年ほどで一通りできたが、何度も推敲(すいこう)を重ねた。ためておいた語り部の講演料をつぎ込み、HPのレイアウトを知人に依頼した。

 普段の講演では、小中学生らを前に「戦争は身近な幸せを奪う」と訴える。戦争の悲劇は、自分たちの古里にも大きな爪痕を残したが、時間とともに忘れられていく。「人間が人間でなくなるのが戦争ですね」。講演を聴いた子は、そう感想を語ってくれる。

 六年前に胃がんを患い、今年に入ってからも二度の手術を経験した。命と真剣に向き合う自分だからこそ伝えられる、平和への思いがある。

 「これから戦争体験者は少なくなる。(自分が)若い人に伝えて、その人が別の人に語ってこそ『語り継ぎ』になる」。歴史の事実を書き残したHP。これを引き継ぎ、次の世代につなげる若者が出てくれることを願う。

 

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