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迷宮の王 作者:支援BIS

第2部 ザーラ

18/44

第1話 ガーラの娘

 1

「目、覚めたか」

 白く濁る意識の中に、妙にはっきりと、声が響く。

 おなごの声だ。

 と、少年は思った。
 ぱちぱちと、たき火がはじけている。
 どこかの小屋の中である。

 ああ、いつの間にか、私は、目を開けていたのだな。
 何か、とても懐かしい夢を見ていたような気がする。

 少年は、再び夢の中に落ちた。





 2

「お前、運、いい。
 雪の中、倒れれば、死ぬ」

 行き倒れになり、すぐにも凍死するところを、この少女に見つけられ、助けられたのである。
 山の天気が変わりやすいことは、十二分に心得ていたつもりであった。
 まして、死の山と呼ばれるこのガーラ大山脈を侮るわけもない。
 が、春の若芽がすくすくと伸びているこの季節に、まだ(ふもと)に近いこんな場所が急に吹雪で覆われるとは、さすがに予想を超えていた。

 少年は、臥所(ふしど)から体を起こし、少女がよそってくれたスープを食べていた。

 塩の効いた干し肉。
 じっくりと煮崩した木の根。
 芋。
 食べた物が体にしみ込んでいくのが、よく分かった。

「おいしかったです。
 ありがとう」

 椀を置き、少女のほうを向いて、感謝を示す。
 少女は、にこりともせずうなずき、少年の使った椀と自分の使った椀を、桶に汲んだ雪で洗った。

「名、あるのか」

 少女に聞かれて、少年は、

「ザーラ」

 と名乗った。
 無表情だった少女が、驚いたような目で少年を見つめ、それから、大きな笑い声を上げた。

「あははははははっ。
 その名前、吹雪引き寄せた、よく分かる」

 きょとんとしている少年に、少女は、

「ザーラ、ボーラ、ガーラの伝え、知らないか」

 と聞いてきた。
 知らない、と答えると、少女は、一つの神話を教えてくれた。





 3

 ザーラという名の男神がいた。
 ボーラとガーラは、その妹神である。

 三柱の神は、それはそれは仲がよかった。
 長いあいだ、地の平和を守り、人々に恩恵を与え、暮らしていた。

 あるとき、ボーラがザーラに求婚し、二人は結ばれた。
 二人の間には、娘が生まれた。

 だが、ボーラは、気付いた。
 ガーラもザーラに求婚したかったのだと。
 ボーラは、娘を連れて、どこかに去った。

 ガーラは、自分だけが幸せになることはできないと思い、身を隠した。

 二人の妹とわが子を失ったザーラは、悲しんだ。
 ザーラは、天を吹く風となって、二人の妹とわが子を探す旅に出た。

 神々が去り、恩恵は失われ、人々は苦難の時代を迎えた。
 人々は、神々を探した。

 ボーラは、地を裂いて、その底に住んでいた。
 ガーラは、土を盛り上げて山を造り、そこに隠れていた。
 ザーラの行方は、分からなかった。

 平地の民はボーラを祭り、山の民はガーラを祭った。
 ザーラを祭る民は、いなかった。

 ボーラは大地に、ガーラは山に、豊穣をもたらす。
 けれども、ボーラもガーラも、ザーラと離れてしまったことを、今でも嘆き悲しんでいる。
 ゆえに、神に近づけば、人は死ぬ。





 4

 ザーラと名乗った少年にとり、これは初めて聞く伝説であった。
 ボーラ神のことは無論知っているが、ザーラ、ガーラという二柱の神のことは、聞いたことがない。
 ガーラという山脈の名の由来は、そういうことであったのか、と思った。

 自分自身の名がザーラであるという偶然は、何やらくすぐったく感じた。
 ザーラという名は、冒険者としての自分に、自分で付けた名なのである。
 神話や伝説とは関係なく、本名のアルスをもじったものにすぎない。
 改名の手続きは踏んでいるといえなくもないので、ザーラが偽名というわけではないが。

「あなたの名は?」

 と少年は聞いた。
 それに対する少女の答えは、まだ名はなく、ゲリエの娘と呼ばれている、というものであった。
 ゲリエというのは、父の名であるという。
 その返答により、少女がゾルゾガの民であることが、はっきりした。

 噂なぞ、当てにならないものだな。

 と、少年は思った。
 平地の民が知るゾルゾガの民は、人というより半獣である。
 全身を剛毛に覆われ、人の言葉は、片言(かたこと)しか話せない。
 山に住み、平地に降りることはない。
 けもののように考え、けもののように生活する。
 山のことに詳しく、貴重なけもの、薬草、鉱物などを、平地の物品と交換してくれる。
 親が子に名を付けるのではなく、名が必要になったら、自分で自分に名を付ける。

 だが、どう見ても、目の前の少女は、けもののようではない。
 なるほど、けものの皮で作った服を着ているし、化粧もしていない。
 髪は無造作に短く切り詰められている。
 顔も手足も、汗とほこりで汚れている。
 それでも、

 このおなごはうつくしい、と少年は思った。

 立ち振る舞いは、躍動的で、しなやかである。
 言葉は確かに片言であるが、単語の選び方や話のしぶりには、確かな知性と、清明で快活な精神が感じられる。
 何といっても、声と目。
 (りき)むわけでもないその声は、(りん)と響いて、耳にまっすぐ飛び込んでくる。
 目と目を見つめ合わせれば、(おご)りも(ひる)みもないまなざしに、胸が射抜かれる思いがする。

 傍らを見れば、少年の剣と荷物袋が置いてある。
 あの吹雪の中、少年の体を運ぶだけでも大変だったはずである。
 剣にも荷物袋にも、譲渡不可の所有印が刻印してある。
 であるから、少女のインベントリに入れることはできない。

 剣と荷物袋が、このおなごの心根を知っている。

 と、少年は思った。
 少年は、少女に、ここに一人で住んでいるのか、と訊いた。
 少女は、父が三か月前に死に、集落にいられなくなったので、父の持ち小屋であったここに、一人で住むようになったのだ、と答えた。
 少女の母は、平地の人間であったということで、平地の言葉は、母に教わったのだという。

 母親という人のことを訊こうと口を開きかけて、少年は、外の気配に気付いた。





 5

 少年が、何物かの気配を感じ、剣に手を掛けたのを見て、少女は壁際に走り寄った。
 つっかい棒をぐっと押して、光採りの窓を大きく開き、外の様子を見る。
 二日間吹き荒れた雪は、すでにやみ、春らしい柔らかな日差しが峰を照らしている。

 じっと森のほうに目をこらす。
 すぐに、何かを見つけたのであろう。
 窓を閉めると、弓と矢筒を手に取る。
 そのとき、すでに少年は、足袋を履き、出口を出るところだった。

「だめ!」

 少女が鋭く叫ぶが、少年は、そのまま飛び出していく。
 ちょうど、一匹のモンスターが森から出てきたところである。

 エッテナである。

 スノー・オーガとも呼ばれる、標高の高い雪山にのみ生息する魔獣で、人の匂いを嗅ぎつければ凶暴化し、襲ってくる。
 長く白い体毛で顔も体も覆われており、特殊なスキルは持たないが、とにかく力が強く、また、物理、魔法いずれにも打たれ強い。
 人型のモンスターで、普段は二足歩行をする。
 身長は、人間の倍以上あり、腕が非常に長く、太い。
 モンスターレベルは50前後とされているが、雪山でエッテナと戦うときは、Aクラス冒険者がパーティーを組むのが普通である。

 距離は、およそ百歩。
 吹雪はやんでいるが、積もった雪は、まともな歩行を許さない。
 にもかかわらず、少年は、すばやく雪の上を走り抜けていく。

 戸口にたどりついて、少年の行方を目で追った少女は、驚きに目を見張った。
 雪は、さほどの深さではないが、新雪は足にからみつくものである。
 その新雪の上をあのような速度で走ることは、山の民にもできない。

 少年は、エッテナの間合いに入っても、すぐには攻撃を仕掛けなかった。
 エッテナが、右の腕を、ぶうん、と振り回す。
 まともに当たれば、Aクラス冒険者の前衛であっても、大けがをし、あるいは死にかねない威力である。

 少年は、身をかがめて攻撃をかわす。
 怪物は、次に、左手の攻撃を放ってきた。
 今度は、上から下にたたきつけるような攻撃である。
 少年は、襲いかかってくる手と爪と、エッティナの体全体の動きを見極めながら、攻撃が当たる寸前で、すっと左に身をかわした。
 空振りした攻撃が、大きく雪をはじき飛ばす。

 怪物は、空振りした手を地に付けたまま、その左手で地を引き寄せて体躯をぐっと前に運び、右手を斜め上から振り下ろしてきた。
 遠くから見れば愛嬌のあるその顔は、至近から見る今、憎悪と怒りをたたえて醜く歪み、胆力のある冒険者といえど、恐怖心を抱かずにはいられない。
 しかし、少年は、

 平地の者はスノー・オーガと呼ぶが、角も生えておらぬし、顔の作りも、ずいぶん違う。
 別種のモンスターではないのか。

 などと考えていた。
 怪物の重心が左腕に乗り切ったとき、腰を落としつつ、右手で剣を抜いた。
 体重を乗せていた腕が切り落とされ、エッテナの態勢が崩れる。
 少年は、右前方に飛び上がりざま、怪物の首を一刀のもとに切り落とした。
 赤い血を首と左腕から吹き出しながら、怪物が白い雪の上に倒れる。
 その向こう側に、少年が着地する。
 返り血も浴びず。

 少女は、弓と矢筒を持ったまま、小屋の出入り口に立ち尽くして、あぜんとして、この光景を見ていた。
 少年は、倒れ伏した怪物を油断なく見つめながら、

 私の体と心は、こわばってはいなかったろうか。
 いつもどおりに動けていたろうか。

 と、自分自身の闘いを振り返っていた。





 6

「お前な、旅に出ろ」

「剣を磨くためですか」

「それもある。
 剣と、体と、心を鍛えるためだ」

「このまま迷宮に潜ったのでは、強くなれませんか」

「逆だ。
 強くなりすぎる。
 今でも強すぎるぐらいだ。
 十四の年から迷宮に潜らせたが、まさか二年でレベル六十五になるとはなあ。
 Aクラスでとめときたかったんだが、さすがにSに上げざるを得んかったと、ドルーガのやつが言っとった」

天剣(てんけん)殿は十五歳でSクラスになられた、と聞きます」

「あいつは、十二歳で冒険者になった。
 足掛け四年かかった計算だ。
 だけどな。
 そんな話じゃないんだ。
 天剣の話が出たから、ついでに言うけどな、あいつも、初めのうちは、迷宮にばかりこもってたわけじゃない。
 外での冒険も、ずいぶんこなしてた。
 実際、Sクラスになったのは、ゾアハルド山賊団の討伐で、圧倒的な手柄を立てたからだ」

「はい。
 首領を含む幹部八人を、一人で倒されたとか」

「あんときはな、さる貴族のぼんぼんが指揮を執ってなあ。
 依頼そのものも、国からの依頼だったしな。
 腕はそれなりにあったらしいが、実戦経験のない騎士だったんだな、そのぼんぼん。
 山賊ってのは、平地におびき出して、罠にかけて討ち取るもんなのに、力押しで山の中のアジトを攻めたんだな。
 まあ、そういうやり方も、ないとは言わんがなあ。
 一箇所に集めて一気に殲滅するのは悪くないし。
 それにしても、偵察を放ったり、本体の位置を気取られねえよう隠密行動したり、分隊を作って包囲していくとかなあ。
 いろいろ作戦てなあ、あるもんなんだ」

「よく分かります。
 そのようにしなかったのですか」

「しなかったんだ。
 日中に堂々と、全員一緒に、わいわいがやがやと進軍したそうな」

「静かにするよう、命じなかったのですか」

「命じたかもしれんが、演習気分の見習い騎士や荷物持ちのやつらじゃ、なかなか言うとおりにはせんだろうな。
 大人数で、細い山道を行けば、隊列も長くなるし、統制なんぞききやせん。
 第一、静かにするってなあ、ここぞというときにする命令だ。
 何時間も続けさせるような命令じゃない。
 まあ、それでも、アジトには着いた。
 確かに山賊たちがいる。
 それで、補助魔法を掛けてから、一斉に襲いかかろうとした、のはいいんだが」

「待ち受けられましたか」

「そうだ。
 罠を張られてた。
 あちらは、ちゃんと見張りを置いてたんだろう。
 役人を買収して情報を買ってたのかもしれん。
 とにかく、包囲網を敷いたはずの討伐隊は、包囲網の外から攻撃を受けた。
 矢玉と魔法攻撃の嵐だ。
 この時点で、かなりの被害が出た。
 だが、いいこともあった。
 指令系統が混乱して、指示統制ができなくなった」

「それは、いいことなのですか」

「いいことだとも。
 冒険者たちが、自分たちの判断で動けるようになったからな。
 冒険者たちのうち、パーティー単位で参加してた者は、すばやく本来のパーティーを組み、そうでない者も、少人数のグループに固まって、それぞれの判断で、攻撃を逃れ、回り込んで、包囲している山賊たちを攻撃し始めた」

「天剣殿もですか」

「いや。
 天剣は、指揮官の近くにいた。
 指揮官てのが、天剣のおやじさんと知り合いだったんだな。
 行軍の途中で、天剣の素性に気が付いて、おお、メルクリウス家の御曹司か、ってなことで、近くに呼んだわけだ。
 まあ、会話は繁らんかったと思うがな」

「なぜでしょう」

「いや、お前。
 なぜ、ったって。
 そうか。
 お前は、天剣を知らんもんなあ。
 あいつは、とにかく、会話の成り立ちにくいやつだった。
 たいていの相手は、うむ、いや、そうか、の三語しか聞いたことないんじゃないかな。
 つまらんこと話し掛けると、返事せんしな。
 そもそも、いつもすたすた歩いとるから、話し掛けようと思ったら、もうあっちに行っとるんだ」

「無口であられたとは聞いています。
 でも、伯父御とは、よく話されたとか」

「うん。
 わしが話し掛けると、不思議と相手してくれたな。
 まあ、とにかく、指揮官の近くにいた。
 指揮官としては、最初に一斉に魔法攻撃を加えて、それからアジトに突っ込むつもりだったんだな。
 ところが、攻撃の直前、アジト全体を覆う防御魔法が発動した。
 あちらは準備万端だったわけだ。
 かなり強力な防御魔法だったらしく、魔法攻撃は、まったく効かなかった。
 指揮官は、あんな大がかりで強い魔法はわずかな時間しかもたないから、続けて魔法攻撃をするように、と命令した。
 これは、正しい。
 しかも、降り注ぐ矢玉の中で、盾持ちの騎士に魔法使いを守らせながら、そう命令したというんだから、まあ、まるっきりの馬鹿ではなかったわけだな。
 だが、味方は見る見る損耗していく。
 そのとき、天剣が飛び出した」

「指揮官の命令なしで動かれたのですか」

「というより、指揮官の意を酌んだんだな。
 とにかくアジトにいるやつらをつぶす、ってことだ。
 結界にたどり着くと、アレストラの腕輪を発動させ、すっと中に入った。
 敵は驚いただろうなあ。
 だが、すぐに、建物から、矢や魔法で狙われた。
 それを片っ端からかわした」

「魔法攻撃をかわした?」

「そうなんだ。
 わしが自分で見たわけじゃないが、その場にいたやつに聞いた。
 天剣に言わせると、狙って撃ってきた攻撃はかわせる、だと」

「!…狙って撃ってきた攻撃はかわせる」

「いや、そんな感動した顔すんな。
 ここは、あきれるところだ。
 やつは、アレストラの腕輪を持っているくせに、めったに使わなかった。
 このときも、魔法攻撃を吸収するためには使わなかった。
 天剣は、建物に飛び込むと、八人の敵を斬り伏せた。
 建物の中にいたのは、八人だけだったんだな。
 最精鋭の幹部たちだ。
 その中に、頭目のゾアハルドもいた。
 ゾアハルドってのは、Sクラス冒険者だったんだがなあ。
 天剣が建物に飛び込んでから、ゾアハルドの首を剣に突き刺して出てくるまで、ほんとにあっという間だったそうだ。
 頭目が討ち取られたと知って、山賊たちの大方は、抵抗をやめた」

「ううむ。
 見事な武勲」

「そのときの天剣は、今のお前より、レベルは低かった。
 だが、お前に、同じことができるか?」

「いえ。
 私に、天剣殿ほどの技量はありません」

「技量はあるよ。
 お前は、小さいときから、当代一流の武芸者たちに教えを受けてきた。
 わしも、お上品ではないが実践的な闘い方をたたき込んできた。
 技前(わざまえ)でいうなら、お前は天剣に劣らない。
 しかしな」

「何でしょう」

「お前は、迷宮以外での実戦を、まだ知らない」

「はい」

「外での実戦は、迷宮とは、まるで違う。
 外じゃ、ポーションは使えないんだ。
 外の闘いで腕を失い、足を失えば、それはもう、二度と取り戻せない。
 右腕をなくしたやつが、迷宮に入って赤ポーションを使っても、右腕は戻ってこない。
 右腕のない状態が、本来の状態と見なされるからだ。
 レベルアップによる体の造り替えも、外で失った手足を戻してはくれん。
 迷宮の外にも薬や治癒呪文はあるが、自然治癒を速め強化する以上のもんじゃない。
 まあ、たまにとんでもない神官や僧侶もいるが、なくした手や足を戻すのは無理だ」

「よく分かっています」

「精神力もそうだ。
 迷宮じゃあ、青ポーションをがぶ飲みすれば、いくらでも魔法や特殊スキルが使える。
 しかし、外じゃあ、そうはいかない。
 だから、精神力の減り方をうまく管理しなくちゃならんし、連戦はできん。
 肉体と精神の力が尽きたら、闘えない。
 闘いの最中に尽きたら、死ぬんだ」

「はい。
 その点については、よくよく心に銘じてもいるし、訓練もしてきています」

「そうだな。
 だが、お前は、強くなりすぎた。
 このままじゃあ、恐れを学ぶことができん」

「迷宮でも、敵は恐ろしいです。
 まして、いつも一人で潜るのだから、恐れは感じます」

「だが、手強い敵でも、ポーションをがぶ飲みすれば倒せる。
 どんどん倒せば、みるみるレベルが上がる。
 レベルが上がると、恐ろしかった敵が簡単に倒せるようになる。
 迷宮というのはな、麻薬だ。
 いくらでも強い自分に進化していけるんだからなあ。
 強くなるほど、見返りもでかい。
 踏み込んでいけばいくほど、そこから逃れられなくなる。
 迷宮で感じる恐怖なんてのは、快感の調味料みたいなもんだ。
 怖い、痛い、苦しい。
 でも、大丈夫。
 頑張ってレベルを上げれば、何もかも解決する。
 そう考えてしまう。
 それが体にしみついたら、もう、迷宮以外では闘えない。
 闘いたいと思わなくなる」

「私の闘いは、まさに迷宮にあります」

「そうだ。
 だが、今のお前では、あいつとは闘えん」

「私に、何が足りないのでしょうか」

「人として生きる悲しみのようなもんかな。
 天剣は、それを知ってた。
 お前のおやじも、それをよく知ってた。
 知らずにはいられなかった」

「命のはかなさを知る、ということでしょうか?」

「そうだ。
 そう言ってもいい。
 だが、今のお前に、それが分かってるとは思えん。
 いずれにしても、やつを倒したあとは、お前は外で戦わなくちゃならん。
 視野を広く持つ必要もある。
 旅に出ろ。
 まだ時間はある」

「伯父御がそう言われるなら、そうします。
 どこに行けばよいでしょうか」

「どこでも行け。
 だが、まあ、北じゃ、まずいか。
 バルデモストの中じゃ、いつお前の正体が知れんとも限らん。
 知れてしまえば、いろいろ面倒なことも起きるだろう。
 フェンクスじゃ、なおまずい。
 となると、まあ、南だな。
 いろいろ回ってみろ」

「分かりました。
 南に行きます。
 南で闘えばよいのですね」

「そうだ。
 南でいろんな闘いを経験してみろ。
 まあ、南でも、素性がばれたら、自由には動けなくなるかもしれんがな。
 お前に本名じゃなくて、ザーラという仮の名で冒険者カードを作らせたのも、こんなときのため、ってこともある。
 わしの甥っ子がギルド長で、お前の戸籍を扱うのがわしの元部下、てえことがなけりゃできん裏技だったがな」

「闘って、少しでもレベルを上げればよいのですね」

「いや、上がらんと思うぞ。
 外では、そうそうレベルは上がらん。
 まして、そのレベルから上となると、尋常な経験値では足りん。
 一年ぐらい、いろんな所で闘って、レベルが一つ上がれば、速いほうだな。
 まあ、レベルのことなんか、気にしなくていい。
 レベルが足りなけりゃ、ここに帰ってから上げりゃあいいんだ。
 いろんな闘いをしろ。
 いろんな人や物に出合え。
 いろんな経験をしろ。
 そうしたら、この世界を知ることができる。
 旅をすりゃあ、自分自身を知ることができるんだ。
 いや、これは、消えちまった親友の受け受りだがな。
 ああ、それから、人前では、あまりインベントリを開くな。
 剣も、必要なときに出すんじゃなくて、いつも腰につけとくんだ。
 インベントリに頼らず、よく使う物は荷物袋に入れて、持ち歩け。
 お前の修行にもなるし、駆け出し冒険者だと思われるから、二重に好都合だ」





 7

「やっ、やっ、やっ」

 少女が走りながら、甲高い声で、獲物を追い立てる。
 三匹の赤鹿が、少年が隠れている岩陰に近づいて来る。
 少年は、左手にティリカの弓を構え、右手で矢をつがえている。
 その右手には、さらに三本の矢が把持されている。

 音もさせずに矢が放たれ、先頭を走る鹿の首筋に突き立つ。
 すかさず、二の矢、三の矢が放たれ、いずれも鹿の首を貫く。
 予備の一本は、使わずに済んだ。

 よし。
 この速射法にも、だいぶ慣れてきたな。

 少年は、心の中で、自分の技に及第点を付けた。
 最初に、このやり方を聞いたときには、首をかしげた。
 弓術の師からは、矢は必ず一本一本矢筒から補給するよう教えられたからである。
 だが、山の民の弓術は違っていた。
 少女によれば、せっかく当たる姿勢になっているのに、それを崩すなどもったいない、ということらしい。

 矢は、いずれも急所を射抜いている。
 少女は、鹿に近づくと、喉を山刀で掻き切った。
 流れ出る血が毛皮を汚さないよう注意しながら。

 三頭すべてに血抜きの処理をすると、少女は、一頭の腹をさばいて、おいしそうに内蔵を食べ始めた。
 これだけは、まだ、まねができない。

 血抜きの次に、皮をはぎ、肉を切り分ける。
 いくぶんかは、あとで燻製にするだろう。
 また、いくぶんかは、しばらく生のまま取り置いて、焼いたり煮たりして食べることになる。

 少女の持つ特殊インベントリは、カーゴであった。
 これは、商人系のインベントリであり、かなり大きな物も入れられ、種類別の格納が可能であるうえ、何といっても、生鮮食品が長持ちするという特性がある。
 だが、少女の恩寵職が商人というわけではない。
 少女は、狩人であった。
 狩人がどうしてカーゴを持てるのか、少し不思議な気がしたが、彼女の部族では、これはごく普通のことらしい。

 この鹿の皮は、いったんインベントリに入れて、あとでなめすことになる。





 8

 あのあと、エッテナの皮をはぎ、肉を切り分ける作業を手伝いながら、少年は、山を越えて大峡谷を抜けたい、と言った。
 少女は、大峡谷まで案内するから、狩りを手伝ってほしい、と言った。
 ふもとと違い、高所では、夏でも雪が絶えない。
 季節にかかわらず、吹雪が何日も吹き荒れることがあるという。
 少年は、一人でそこを越えるつもりであったが、それは修行というより自殺であると、今さらながら気付かされた。

 獣の皮をはぐという作業は、少年には初めてであったが、それでも、重い四肢を持ち上げたり、体の向きを変えたり、脂肪を雪で洗い落とす作業など、それなりに役に立ったようである。
 迷宮の中と違い、外では倒したモンスターが消えたりしない、とは知っていたが、モンスターの体の中が、これほど暖かいとは知らなかった。
 熱い、とさえ感じる。
 この皮は、売れるのか、それとも自分で使うのか、と訊くと、少女は、

「売れる。
 エッテナ、珍しい。
 傷ない、よい。
 すごく高い、売れる。
 使える。
 大きい、柔らかい、暖かい。
 すごくよい物。
 お前倒したから、お前の物」

 と答えた。
 少年は、少し考えて、

「あなたに上げたいが、失礼になるだろうか?」

 と問いを重ねた。
 少女は、一瞬、手の動きを止め、

「男、女、大きい毛皮、贈る。
 一緒、寝る、意味。
 それ、言うな」

 と、少し低い声で答えた。
 少年にとって、まったく予想しなかった種類の答えであったので、意味を理解するのにしばらくかかったが、

 ああ、求婚になるのか、

 と気が付き、言い直した。

「では、この毛皮を預かってください。
 そして、売ってください。
 売ったお金は、助けてもらったお礼に、受け取ってほしい」

 それに対して、少女はしばらく答えを返さなかったが、ややあって、少年のほうを見もせずに、小さくうなずいた。

 それから、黙々と作業を続けた。
 少女は、無口で、無表情で、指図がましいことは言わない。
 動作を見ながら、少年は自分で考え、少女の作業を助け、学んだ。

 やり方を覚えたあとは、ナイフでの作業は、おもに少年が行った。
 皮をなめすことが、これほど大変なものだとは、思っていなかった。
 作業が終わるころには、肩や筋や腰や、至る所の筋肉が悲鳴を上げていた。
 少年の筋力レベルなら、過大な負担ではないはずであるのに、やはり余分な力が入っていたのであろう。
 草の汁を塗り込む作業は、少女がするのを見学した。
 その夜は、薬草を体に貼り付けて眠ることになった。

 少女は、ティリカの弓を持っていた。
 これは、弓と矢と矢筒が一体となった恩寵品で、サザードン迷宮の二十階層などでドロップする。
 矢筒には、矢が十一本入っており、消費するたびに、少しの時間を置いて矢の数が十一本に戻るというレアアイテムである。
 使ってしまった矢は、そのまま消えてしまう。
 矢はほかの弓では使えないが、弓はほかの矢も撃てるので、組み合わせて使えば、攻撃のバリエーションが広がる。
 弓自身からは発射音がしないようになっている点も、便利である。
 迷宮のモンスターからドロップする恩寵品は、迷宮の外では役に立たない場合も多いが、ティリカの弓は違う。

 迷宮以外では手に入らないアイテムであるし、まずまずのレアドロップであるから、買えば高い。
 あまり平地の金を持たない山の民にとっては、大変な貴重品に違いない。
 少女の父親の形見であるが、父親が死んだとき、村中の男たちが売ってほしいと頼んだらしい。
 父の技を伝えるのが自分の仕事であると、少女は首を縦に振らなかったのだという。

 特殊インベントリに、いくつか弓矢が入っていたな、と思い出し、少年は、ルームをオープンし、検索をかけて弓矢を調べた。
 何種類かの恩寵付き弓矢とともに、ティリカの弓があったので、

「あ、私も持っていた」

 と、取り出して見せた。
 同じ物を持っている喜びを共有したかったのであるが、少女はなぜか表情をこわばらせ、しばらく口を利いてくれなかった。
 そして、しばらくたってから、

「弓矢、使う、教える!」

 と、断固とした口調で言い放ったのである。





 9

 弓矢の技術を始め、さまざまなことを教わりながら、少年は、少女に導かれ、女神の名を冠する山脈を上っていった。

 狩りの仕方。
 薬草や山菜の種類。
 毛皮をなめす方法。
 高山での体の慣らし方。
 天気の見極め方。
 雪の中での過ごし方。

 少年のほうは、特殊インベントリから持ち合わせの食材を提供したり、平地風の料理を作ったりして、少女を楽しませた。
 香りのよい粉をまぶした砂糖菓子を食べさせたときの反応は、傑作であった。
 文字通り、表情が溶けたのである。
 以来、菓子を食べるか、と少年が訊くと、少女は目をきらきらさせるようになった。

 動物のようだという噂も、ある意味正鵠を得ていたかもしれぬ。

 などと、本人には聞かせられぬ感想を抱いた。
 少年は、少女の村のこと、家族のこと、山の民の暮らしぶりなど、折りにふれて、ぼつぼつ訊いた。
 少女のほうでは、少年の立場や目的について、一切訊かなかった。

 こんな山中を抜けるなど、まともな人間のすることではない。
 バルデモスト王国から、南側の国々に行きたければ、ベラの道を通って、マズルーに行けばよい。
 マズルーから北エルガ街道に入れば、風光明媚なドナ湖のほとりを通って、大陸南西部に行ける。
 大陸南東にあるロアル教国に巡礼するなら、マズルーに南接するイェナ大公国を抜けて、南エルガ街道に入ればよい。

 ベラの道は、ガーラ大山脈の西端に築かれた街道であり、大陸南北の唯一の架け橋といってよい。
 真冬以外は、いつでも通れる。
 バルデモストとマズルーに、それぞれ関所があり、入国には多少の税金が取られるが、両国が警備兵を巡回させているため、安全度は低くない。

 また、大陸の東端に用事があってベラの道では遠回りすぎるというのであれば、ガーラ大山脈を東に迂回して、辺境を通り抜ければよい。
 道らしい道のない所も多く、モンスターや盗賊に遭う危険も高いが、ガーラ越えをするよりは速く安全である。

 それでもガーラを越えたい者がいるとすれば、それは、関所を通れない者、追っ手を振り切りたい咎人らであろう。

 山の民でさえ、ガーラに住む部族は多くない。
 大半の部族は、高地の南側の、より気候の温暖な、ゾルゾガの民のふところと呼ばれる山岳地帯を、移動しながら暮らしているのである。

 十日ほどで、一年中雪の消えない地帯に入った。
 それから、二週間ほど、雪の厳しい地帯を歩いた。
 皮膚をさらさぬため、南方のガウガロという木の皮をほぐして作ったマスクで、顔全体を覆っている。
 すき間から視界も利くし、風も通る便利な品だが、ちくちくするのには、なかなか慣れなかった。

 多くの獣を狩った。
 少女は、毛皮は二人で均等に分ける、と言い張った。
 半分でも、すでに、新しい小屋を建てて、生活用具を一新して、なお余りある収穫だという。

 二人は、暖を取るため、背中を合わせて寝ている。
 明日は最大の難所を越えるという日、眠りにつきながら、少年は数日前のことを振り返っていた。

 その日、二人は、四形鳥(しけいちよう)のつがいを見つけた。
 四形鳥は、見る角度としぐさにより四つの違った生き物に見える、ということからそう名付けられた鳥であるが、肉は寿命を延ばすといわれ、高く買い取ってもらえる。

 無事に二羽とも獲ることができたのであるが、その鳴き声と血の匂いが、氷狼(ひようろう)を招き寄せた。
 氷狼は、モンスターレベルでいえば、灰色狼と同じ程度、つまりレベル十前後である。
 ダンジョンと違って、外のモンスターには成長も学習もあるので、一概にはその強さを比べられないが、それでも、少年にとっては、何十匹いても問題にならない敵である。
 実際、近づいて来る気配も察知していたし、飛びかかってきた最初の三匹は、あっさりと切り捨てた。

 たまたま近くに複数の群れがいたらしく、血の匂いを嗅ぎつけて集まって来る。
 四匹目の喉首に刃を走らせようとしたとき、少年の探知スキルが、近づく狼たちをとらえた。
 取り囲まれるとまずいな、と思った瞬間、右腕がこわばり、斬撃は浅く狼を傷つけるにとどまった。
 すかさず、左手で狼の顔の横から打撃を加え、そのあぎとから身をかわしたが、まるで何かの呪いでも掛けられたように、少年は悪寒に襲われ、思考も動作も硬直した。

 それは、わずかな時間のことであり、少女の活躍もあって、狼の群れは撃退できたのであるが、あとになってみて、あれは何であったのか、と思い返していたのである。

 いや。
 あれが何かは、分かっている。
 恐怖だ。

 十四歳で初めてサザードン迷宮に入った日、少年は、十四階層に到達した。
 それまで受けていた訓練は、それを余裕をもって可能にしてくれた。
 帰り道に、十階層で、灰色狼の群れに襲われているパーティーを見た。
 助けに駆けつけた少年は、傷ついた冒険者をかばおうとして、乱戦の中で左手の指を三本噛みちぎられた。
 すぐにポーションで治療し、敵を殲滅した。
 よい勉強をしたと納得し、その日のことは、そのまま忘れたつもりであった。

 それが、似た状況になって、思い出した。
 一匹一匹は、どうということもない。
 今の少年であれば、まともに氷狼に噛みつかれても、大したダメージは受けない。
 だが、すばやい獣が大量に同時に襲ってきた場合、攻撃をすべてかわしきることは難しい。
 そして、迷宮の外では、傷は蓄積し、取り返しのつかない深手にもなる。

 少年には、目的がある。
 果たさねばならない使命がある。
 果たすまでは死ぬことができない。
 手や足を失うわけにいかない。
 だから、氷狼が恐ろしくなったのである。

 そんな自分をどうしたらいいのか、少年には分からなかった。





 10

 二日前から、神域に入っているという。
 神域では、決して血を流してはならないという。
 できるだけモンスターに出くわさないようにし、もしも出くわしてしまったら、おとりを置いて逃げるのだという。
 おとりというのは、血抜きをした肉である。
 少女は、これを大量に用意していた。

 今日一日で難所を越え、そのあとは、比較的なだらかで穏やかなルートを降りて、一週間ほどで大峡谷に出られるのだというが、ここが今までと比べてそれほど難所だとは、少年には思えない。
 だが、少女は、見るからに緊張した様子で、慎重に辺りをうかがいながら進んでいる。

 そろそろ休憩して食事を取りたいな。

 と少年が思ったとき、離れた場所から物音が聞こえた。
 山では音源の位置は分かりにくい。
 それでも、こちらかと思う方向に寄って斜面の下を見下ろすと、人間が氷狼に襲われていた。
 よく晴れて、見通しはよい。

 平地の人間かと思われる服装の人間が四人。
 うち二人は小さい。
 子どもであろう。
 山の民と思われる服装の人間が三人。
 山の民は、ガウガロの覆面をしている。
 平地の人間は、顔にぐるぐると包帯を巻き付けている。

 襲っている狼は、十二匹である。
 四匹が、すでに雪の上に屍をさらしている。
 少年は、

 人がモンスターに襲われているなら、助けねばならない、

 と思ったが、ちらと見るだけで、その必要がないことが分かった。
 とにかく、平地の人間の一人が、圧倒的な強さである。
 バスターソードを軽々と振り回し、近づく狼を両断する。
 三人の山の民も、的確に狼を倒している。

 二人の子どもをかばっている人間は、魔法使いなのであろう。
 時々、火弾を放って、狼を仕留めている。
 真っ白な処女雪の上に、狼たちが、次々と赤い血の花を咲かせている。

「いけない。
 早く、ここ、離れる」

 少女が、緊迫した表情で、少年の袖を引く。
 ちょうど、最後の狼も倒された。
 少女の促しに従おうとした、そのとき、

 妙な物が現れた。

 にゅるっ、と雪の中から立ち上がったのは、真っ白で、奇怪な姿をしたモンスターである。
 大きな白布をすっぽりかぶった子どものような姿、といえば近いであろうか。
 手も足も、目も口も鼻もあごもなく、体全体がふるふると震えている。
 その奇怪なモンスターは、次々と、雪の中に現れた。
 全部で十体いる。
 人間たちを取り囲むように、じりじりと移動していく。

 三人の山の民が、何やら大声で指示を出し、都合七人の人間は、のっぺらぼうたちのいないほうに駆けていく。
 モンスターのうち何体かが、雪の中に潜るように姿を消す。
 一瞬置いて、同じ数のモンスターが、人間たちの逃げ道をふさぐ位置に、にゅるっと出現する。

 山の民が、それぞれの武器で、のっぺらぼうに攻撃を始めた。
 が、突こうが切ろうが、雪のようなものが舞うだけで、ダメージを与えているようには見えない。

 バスターソードの戦士は、追いすがってくるのっぺらぼうに切りつけている。
 こちらは豪快に、のっぺらぼうの頭の部分を斬り飛ばしたり、胴体を唐竹割にしたりしている。
 しかし、のっぺらぼうたちは、しばらく動きを止めるものの、ふるふると揺れながら、すぐに復元してしまう。

 ほどなく、のっぺらぼう十体は、七人の人間を、完全に取り囲んでしまう。
 後ろ側は、切り立った崖であり、底は見えないほど深い。
 そして、

 十体は、同時に、真っ赤で巨大な口を開けると、人間たちに噛みついた。

 見る見る、人間たちは、傷だらけになっていく。
 二人の平地の人間は、何とか子どもたちを守ろうとするが、のっぺらぼうたちは、ぐいーんと体を伸ばして噛みつくため、完全な防御は難しい。

 と、山の民の一人が、のっぺらぼうの赤い口に、山刀を突き込んだ。
 のっぺらぼうは、ばりばりと青い火花を放ち、そして、ぱすん、と雪の粉を散らして消えた。

 残り九体ののっぺらぼうは、一斉に動きを止めた。
 そして、伸ばしていた体を縮めると、ぶるぶると、激しく揺れ始めた。
 のっぺらぼうたちの体の周りで、ぱりぱり、ぱりぱりと、青く小さな放電が縦に走る。
 そして、九体ののっぺらぼうから、一斉に青い稲妻が放たれ、一体を倒した山の民に襲いかかった。

 ばきんっ、という、大木がへし折れるような音がして、山の民は、黒こげになって倒れた。

 少年は、インベントリを開き、検索をかけ、剣を取り出した。
 使い慣れた剣である。
 雪の道を歩くための木の杖を格納する。
 また、一つの腕輪を取り出して、装備した。

「だめ!
 殺す、だめ!
 あれ、ガーラの養い子。
 殺す、ガーラ、怒る。
 だめ!
 行く、だめ!」

「そなたは、ここで待てっ」

 少女を振り切ると、少年は、斜面を駆け下りた。
 そのあいだに、さらに二人の山の民が死んだ。
 のっぺらぼうは、八匹になっていた。

 バスターソードの戦士は男で、魔法使いは女だった。
 子どもは、男の子と女の子であった。
 家族なのであろうか。
 子どもたちは、あちこちをのっぺらぼうにかじられ、血まみれになっている。
 女の傷は、いっそう深い。
 のっぺらぼうの一匹が、大きく口を開けて、男の子の頭にかじりつこうとする。
 バスターソードの戦士が、その口に剣を突き入れて、のっぺらぼうを倒す。

 残り七匹ののっぺらぼうは、動きを止め、一斉に戦士に雷撃を放つ。
 ばきんと音がし、花火が飛び散り、肉の焼ける匂いがするが、戦士は致命傷を受けたようではない。
 対魔法装備をしているのであろう。
 だが、顔の包帯ははじけとび、頭巾も飛ばされた。
 その頭は無毛で、奇怪な入れ墨が刻まれている。
 目の下にも、何かが刻まれている。

 ゴルエンザ帝国の剣奴(けんど)か。

 と、少年は戦士の正体に見当をつけた。
 このとき、ようやく少年は現場にたどりつき、剣を抜くと、まずは、女と子どもたちを取り巻くのっぺらぼうたちを、素早く何度か切り裂いた。

 だが、のっぺらぼうたちは、少年より戦士のほうに注意を向けているようである。
 折よく、戦士に噛みつこうとしたのっぺらぼうがいたので、少年は、素早く、その口に剣を突き入れて、倒す。

 残り六匹となったのっぺらぼうは、少年に雷撃を放った。
 少年は、左手の腕輪をかざして、これを吸収した。
 のっぺらぼうたちは、もう一度雷撃を放ってきた。
 同じく、少年の腕輪に吸収される。
 よし、タゲは取った、と思った少年は、

「ここは、私が食い止める。
 あなたたちは、急いでここから離れなさい!」

 と四人に告げた。
 このガーラの養い子とやらが、これ以上出現しないという保証はない。
 自分だけなら闘えるが、四人を守りながらでは難しい。
 そう判断したのである。

 戦士は、少しためらう様子であったが、この正体の知れない救い手に、

「すまん」

 と一言告げると、女と子どもたちを促して、北の方角に走り去っていった。
 丘の向こうに姿を消すとき、女がこちらにおじぎをしているのが見えた。
 この間、少年は、立て続けにのっぺらぼうたちに切りつけたが、倒すことはしなかった。
 数を減らしすぎたとき、何が起きるか分からなかったからである。

 のっぺらぼうたちの動きは、見慣れぬものではあったが、さほど素早くはない。
 また、切り裂けば、いったんは動きを止めることができるのであるから、少年は、闘いには不安を覚えなかった。
 不安があるとすれば、この化け物どもを倒したあとにある。

 のっぺらぼうたちは、断続的に雷撃を放ってきたが、アレストラの腕輪がある以上、ダメージを受けることはない。
 ありがたいことに、のっぺらぼうたちは、一斉に雷撃を放ってくれる。

 じゅうぶんに時間を稼いだと判断して、残るのっぺらぼうたちを、一匹ずつ倒した。
 すべての養い子たちが、雪の粉となって消えて、さて、何が起きるかと、しばらく待ったが、何も起きない。

 気が付けば、すぐそばに少女が立っていた。
 真っ青な顔をしている。
 少年は、剣のよごれを落とすと鞘に収め、笑顔を見せて、

「ガーラ神は、お怒りではないようだね」

 と言った。





 11

 そのときである。

 ごごごごごごご、という地鳴りが聞こえてきた。
 突然、地面が揺れだした。
 時に大きく、時に小さく、揺れは収まることなく続く。
 少年と少女は、抱きしめ合って、揺れが収まるのを待った。

 がらがらがら。
 ばりばりばり。

 雷鳴のようであり、破砕音のようでもある、けたたましい音が、響き続ける。

 来る。
 何か、とてつもなく大きな物が、
 下から、来る。

 少年は、その気配を感じていた。
 それは、気配というにはあまりに圧倒的であり、巨大であった。
 天変地異というべきエネルギーを持つ存在が、今、立ち現れようとしている。

 晴天であるから、遠く近く、あちこちの山の峰が見える。
 近くの峰は、この揺れにさらされているのか、雪崩を起こし、あるいは、斜面が崩れ始めている。
 口元を引き締めて凝視する間に、切り立った崖の、その向こうに、

 巨大な女の顔が現れた。

 少年の立つ位置から崖までは、約二十歩。
 そのすぐ向こうに、目を閉じた、美しい女の顔がある。

 いや、すぐ向こうではない。
 実際には、何百歩、あるいはそれ以上の距離がある。
 あまりに巨大であるから、すぐ近くに見えるのである。

 また、女の顔、というのも違っている。
 それは、雪であり、氷であり、山そのものであるから、女のような造形を岩肌に刻んだ白い氷の山、というのが正しい。

 この底も見えぬ断崖の下から伸び上がってきたのだとすれば、その高さは、おそらく、バルデモストにそびえる、どの山より高い。

 女の顔をした山は、さらに伸び上がっていく。
 腰を越える長髪は、雪を頂く純白のつらら。
 白磁の(かんばせ)は、氷河を削りだした巨大な彫刻。
 広大なすそ野を広げて立ち上がる姿は、白き夜会服をまとう貴婦人のようである。

 その目と口が、ごわっ、と開いた。

 開かれたそれは、ただの穴であり、闇そのものである。
 静かな形相が一変し、恨みと苦しみと哀しみに染まった。
 女の姿をした氷の巨峰は、その口のごとき穴から、絞り出すように、

 い〜ふぉ〜うぉ〜い〜〜〜〜〜

 と、はらわたのねじ切れるような叫びを放った。
 山々は、それに共鳴し、次々にこだまを返す。
 さらに、それにかぶせるように、

 い〜ふぉ〜うぉ〜い〜〜〜〜〜

 と女怪が叫びを重ねる。
 黒雲が立ちこめ、吹雪が舞い始める。
 女怪は、見る間に雲の黒さを吸い込み、いつしか喪服をまとう狂母のごとき姿となって、身をくねらせている。

 い〜ふぉ〜うぉ〜い〜〜〜〜〜

 何物をも吹き飛ばし、滅ぼさずにはおかない慟哭の烈風が、すさまじい勢いで雪を巻き上げながら、少年と少女に襲いかかる。
 少女は、絶望を声に潜ませて、それでも気丈に顔を上げ、少年に教えた。

「あれ、ガーラの娘。
 見た者、助からない。
 みな、死ぬ」

 少年は、右手で少女を支えたまま、左手で覆面をはぎ取り、毛皮の帽子と耳覆いを後ろにはねのけて、泣き叫ぶガーラの娘に向かって、大音声で呼ばわった。

「神よ。神よ。ガーラ神よ! ガーラの娘よ!
 わが言葉を聞きたまえ!」

 続く揺れの中で、その両足は、しっかりと雪の大地を踏みしめ、吹き付ける雪の中で、まなざしは力を失っていない。

「私は、パンゼルの息子、アルス! またの名をザーラ。
 ザーラより女神ガーラとその娘御なる神霊に申し上げる!」

 少女は、背中を少年の右手に支えられ、両の手を少年の左手に支えられて、呆然として、朗々と神霊に物申す少年の横顔を見つめた。

「神域を血で(けが)したるは、わが罪。
 まことに相済まぬ。
 どうか許されよ。
 されど、これは、神々の(いと)し子たる人間を守らんがため、やむなく剣をふるいしものなり。
 決して、あなたがたと眷属を軽んじ、あるいは(まが)つ神と侮りて討ち祓わんとするものにあらず。
 怒りを収めたまえ」

 少年から青年に変わろうとする年代特有の、のびやかで張りのある声が、吹雪を突き抜けて響くのを聞きながら、少女は、きっ、とまなじりを結び、背筋を伸ばし、巨大な神霊のほうをにらみつけながら、少年に寄り添って立った。
 少年の言葉と、思いを共にすると言わんばかりに。
 いつしか、巨神も、二人をじっと見つめている。

「されば、私はいつかひとたび、あなたの剣となって、敵を倒そう。
 ()く鎮まりたまえ、大いなる山の神よ!
 わが言挙(ことあ)げまつるを(よみ)(うべな)いたまえっ!」

 高らかに起請(きしよう)文言(もんごん)()()えると、少年は、右手の手袋を外し、中指の先を噛み切って、右手を虚空に差し伸べた。
 指から流れる血は、一筋の赤い糸となり、風に巻き上げられて、(あら)ぶる神に吸い込まれていった。

 だが、揺れも叫びも、収まることはなかった。
 少年と少女は、立っていられなくなり、二人抱き合って、その場にくずおれた。
 逃げるにも、視界も利かず、動くこともかなわない。
 硬くさらさらの雪の上を、荒れ狂う吹雪と地の揺れに、右に左に転がされながら、二人は、ただじっと堪えた。

 いったい、どれほどの時間が過ぎたか。
 永遠に続くかと思われた天変地異は、徐々に静まり、やがて収まった。
 空は晴れて、星が見える。
 とすれば、今は夜なのである。
 少年と少女は、近くの岩の割れ目にテントを張り、インベントリから手当たり次第に毛皮を出して、敷き、身に巻き付けて、寝た。
 二人とも、これほどの恐ろしさと疲れは、初めて味わった。

 どちらからともなく抱きしめ合い、相手を求めた。
 少年は、女の肌を初めて知った。
 少女も同じであった。
 少年は、腕の中の肌体(きたい)から発せられる女の匂いに高ぶり、熱に浮かされたように、少女を(いつく)しんだ。
 いくど目かの交わりのあと、深い眠りに吸い込まれる前に、少年の心をよぎったのは、

 あの家族は、無事だったろうか。

 ということだった。





 12

 翌朝起きると、妙に体調がよかった。
 指の傷も、すっかり治っている。
 冒険者カードを見ると、レベルが六十八になっていた。
 三つも上がっている。

 ガーラの養い子とやらには、それほど経験値があったのだろうか。
 それにしても、いつレベルアップは起きたのか。
 ダンジョンでは、戦闘が終わった時点でレベルアップが起きるが、外では、加護する神に祈ったときにしかレベルアップは起きないはずである。

 少女も目を覚まし、レベルが上がった、と言う。
 話し合ったが、よく分からなかったので、とりあえず考えるのをやめた。




 13

 一週間後、二人は、大峡谷に着いた。
 少女は、ここから少し西にある交易所に行くという。
 少年も、そちらに行こうかと考えたが、その先には、マズルーの国以外ない。
 結局、最初の予定通り、大峡谷を東に進むことにした。

 大峡谷を抜ければ、いくつか村があり、迷宮もある。
 野生の強力なモンスターも多い地域である。
 そこから南に下ってアルダナに行けば、教えを乞いたい武芸者や道場がある。

 別れを告げようとしたとき、少女が言った。

「あたし、名前、決めた」

「名を決めたのか。
 何という名ですか」

「シャリエザーラ」

「シャリエザーラ、か。
 よい名だ」

「そう、思うか」

「うん。
 思う」

 少女は、にっこり笑った。
 少年は、このおなごの笑顔を見るのは初めてだったかな、と思った。

 少年は、別れを告げ、時々振り返って手を振りながら、東に歩いていった。
 少女は、ずいぶん長く、その背中を見送った。

 シャリエザーラ。
 それは、山の民の古い言葉で、ザーラを待つ者、という意味である。




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