2015年08月05日

フォトアルバム。 2015年8月


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THANKFUL. (2)


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THANKFUL. (1)


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2015年08月04日

MEMORIES (SARA). (4)


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2015年08月03日

SWEET MEMORIES. (3)


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2015年08月01日

もう川上には向かわない。


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嫌いなものの役割。
それは、自分の好きなものを知るためだけにある。
だから、それを知ったら、嫌いなものにはもう縁する必要はない。
何故なら、否定すると、批判すると、抵抗すると、自分が求めるものとは反対の波動が活性化してしまうからだ。
つまり、望まない引き寄せをしてしまう。
「〜は嫌いだ」、「〜はしたくない」、「〜するな」、「〜は駄目だ」、「〜してはいけない」…。 
私はもう、こんな否定の言葉は使いたくない。

否定の言葉を使いそうになったら、自分の望むことを正直に言葉にしたい。
「〜が好きだ」、「〜したい」、「〜が欲しい」、「〜して欲しい」、
「必ず〜になる」、「必ず〜が手に入る」、「今そこに向かっている」、「絶対に大丈夫だ」と…。
否定と肯定の波動では、エネルギーが全く違う。
ネガティブな波動(エネルギー)は、ネガティブな物事をどんどん引き寄せる。

常に望まないものではなく、望むものだけを見つめていたい。
嫌いなものと接する時間・期間は、短ければ短いほどいい。
できれば、縁しないことが望ましい。
だが、我慢や苦労を美徳として学んだ私たちは、自虐的なのだがそんな苦痛な世界に自分の身を置こうとするところがある。
全くナンセンスな話だ。



仕事、恋愛、家族、人間関係など、全ての心地良くない状況・感情に耐えることが多い。
だが、状況や感情が自分の望まないものであるなら、すぐに望むものを見つめるべきだ。
望むものに変えるべきだ。
状況が変わらないのなら、少なくともその状況から身を離すべきだ。
自分を大切にしなくてはいけない。
自分を大切にしないと、人生は全くうまくいかない。
私たちは、決して自分を苦しませるために生まれてきたのではない。

自分の本音に素直に耳を傾けなくてはならない。
私はずっと、自分を脇に置いて人生を生きてきた。
信仰という信念や、理想主義、自虐的なマインドコントロールもあったと思う。
そのせいで、私の人生は複雑なややこしいものになってしまった。
自分を犠牲にして生きる道を常に選んだ。
自分のための人生を見つめ始めて、やっと私の人生は整ってきた。
今は、ここにたどり着けて本当に良かったと思っている。



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出会ってまもなくサラが、繰り返し私に、「少し羽を休めた方がいい…」と言った。
私はそれに抵抗したが、今はそうなれて良かったと思っている。
サラは、私にそのことを告げに来てくれた。
私はそう思っている。
「もう店を閉める時ですよ…」と。
確かに私は、突っ走った2年間でほとんどの経験を終え、そして既に見えていた自分の姿や自分の世界があった。
でも、私はそれに抵抗した。

私は、自分に嘘をつきながら、自分を騙しながら毎日を生きていた。
流れに逆らい必死でオールを漕いで、更に川上に登ろうとしていたんだ。
自分の価値を更に証明しようとしてね。
でも結局それは幻想だった。
私が、本当の自分に生きていなかったからだ。
自分の本音を受け入れる迄に、私はそれから4年以上かかってしまった。
そして、彼女は最後まで私に寄り添ってくれた。
見守ってくれた。
店の引き揚げも、彼女の力を借りて終えた。
本当に感謝しています。



嫌いなこと、望まないものは、ちらりとだけ経験するのが望ましい。
私たちが望むのは、決して望まないものに囲まれる人生ではないからだ。
望まない物事が分かれば、自分を救うことができる。
望むものを見つめればいいからだ。
望むものに波動を定めればいいからだ。
望むものが分からなくなったら、心地良くない「もの・こと・人」を、ちょっとだけ思い出してもいい。

私は、自分の望むもの、心地良いものの方をなかなか向けなかったせいで、遠回りの人生を歩んでしまった。
今は、自分に対して本当に申し訳なかったと思っている。
だが、私にとっては残念だが、その道が必要だったのだ。
今は、本当に自分を愛してあげられている。
観念して、それを自分に受け入れたからだ。



今はもう、自分に苦痛を与えるようなことは絶対にしたくない。
ネガテイブな感情でいて、人生がうまくいくはずないことが、よくよく分かったからだ。
自分の感じる気分・感情は、自分にとっての真実だということが、よく分かった。
だが、ここにたどり着けたのは、間違いなくサラのお陰だ。
でも彼女は、「全て、あなた(私)が自分で引き出した世界でしょう?」と言う。
「うーん」…。 (笑)
確かにそうなのだろうけれど…。 

でも、とにかく私は、サラに感謝しているのです。
引き寄せの仕組みを理解(納得)するより、サラに感謝している方が私には心地良いので、私はこれでいいと思っています。
引き寄せの法則は、所詮私の僕(しもべ)であって、感じる感情こそが引き寄せの主人ですからね。
心地良いこの感謝の感情にいる限り、私は更に同じ心地良い引き寄せをしているのです。
つまり、更にありがたいということだ。
だから、全てがうまく、永遠に続いているのです。
ありがとう。



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2015年07月30日

思考を通じて招き入れない限り。


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(これだけですか?) (笑)



我慢は、「内なる存在」(内なる自分)と調和したあり方ではない。
「内なる存在」と調和していて、ネガティブな気分になることはないからだ。
つまりそれは、自分の望むものを見つめていないということだ。
不足や欠落を見つめているということだ。
「内なる存在」との調和は、心地よい物事(望むもの)に焦点を定めない限り実現しない。
自分の感情を感じて、思考の方向を定めることだ。
ネガティブな気分でいて、自由であることはあり得ない。



ただし、本当に望むものを見つめていてネガティブな気分になるのであれば、その物事に対するネガティブな観念(思い込み)が存在しているということだ。
「絶対に手に入らない」とか。
「手に入れるのは難しい」とか。
「手にしてはいけない」とか…。
先ずは、その抱えている観念を、ポジティブなものに換える必要がある。
自分で自分を阻止しながら、前に進むことはできない。
全ての現実を創っているのは、100%自分なのだ。
自分以外に世界を止めているものなど何もない。



また、何かを正当化したくなるのは、ネガティブなモードに入っている証拠だ。
望むものに焦点を定める代わりに、望まないものを見つめながら「自分の望みは正しい」と他人を説得しようとする。
だが、そんな必要などない。
欲求を、信念を、持って当然なのだから。
自分が無価値だと考えると、ネガティブな気分になる。
それは、自分の思考が、「内なる存在」(内なる自分)と調和していないからだ。
自分の望みに抵抗する必要などない。
神(例えですよ…)は、誰も責めたりしない。(神などいない)



私は、自分の価値を証明するために生きているのではない。
私は、全ての自分の欲求に焦点を定めて、人生を自分の望むままに創造するためだけに生まれた。
他人の要求には一貫性がないから、私が他人を喜ばせようとじたばたしたところで、結局私はいつも失敗する。
私は、ただ自分の欲求だけを見つめて、自由に望む人生を完璧に創造する。
そして、人もそれぞれの人生を、自由に完璧に創造する。
誰も、誰にも、何にも邪魔される必要などない。
自分の人生が、他人の言葉や行動などに、全く影響されずにすむことが理解できるまで、他人を認める気持ちにはなれないだろう。



誰も、何も、自分を脅かすことなどできない。
全ての人は、自分の思い通りの世界を、100%自由に創造できるのだ。
ならば、世界に壁やバリケードや警察や軍隊などが必要だろうか?
警備や防衛を準備する必要などあるだろうか?
自分が思考を通じて招き入れない限り、望まないことは自分の経験には絶対に入って来れない。
自分がネガティブな思考に焦点を定めないなら、人生に脅威や危機感を感じる必要はない。
そのことが分からないうちは、絶対的な自由を手にすることはできないだろう。
不安や心配は、永遠になくならないだろう。



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2015年07月29日

ブログ。


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このブログも、ほぼ毎日書き続けてまる7年を迎える。
お店を開業しなかったら絶対にしなかったことだ。
「他人の日記なんて誰が読むか?」と思っていた。
でも、お店のホームページがなかったため、お客さんの勧めでとりあえず始めた。
店の住所も電話番号も、私の写真も載せていたので、逆に正直に自分の本音を表現できて良かったと思う。
人に向けた毒舌も結構あったけれど、その選択をした意味は、ただ自分が知っていればいい。
でも、私が正直に自分に生きたことで、シンクロした人は必ずその都度私から何かを受け取ったはずだ。
いいか悪いかではなく、私が生身の自分をさらけ出すことが重要だった。
ネットの世界になど全く興味のなかった私が、このブログのお陰でとりあえずは毎日ネットとつながっているのが本当に不思議だ。


私は虚栄(見栄)が嫌いだ。
だから、いいも悪いもいつも正直に自分と向き合いながら生きてきた。
確かに人生には、自分にもどうしようもないことも沢山あった。
しかし、それは仕方がない。
人生には、どうしたって変わらないことが実際にあるのだ。
でも、そこには変わらない、変わってはいけないポジティブな何らかの意味がある。
だから、生意気な見方をしてはいけない。
宇宙を信頼しなくてはいけない。



精一杯やっても駄目なときがある。
やる気にならないときもある。
何をすればいいのか分からないときもある。
何もしたくないときだってある。
でも、そんなときは、「じっとして何もするな」ということだ。
まだ動き出す状況が整っていないということだ。
動き出すのは、突き動かされたときであり、インスピレーションを受け行動がひらめいたときだ。
たとえそれに何年かかろうと、たとえ一生を費やそうと。
いずれにしても、物事を引き起こすのは、行動ではなくあり方だ。
気分が悪いときに、その気がないときに無理やり動いても、空回りし、否定的な思いや感情ばかりが自分から出て行く。
苦痛であり、全く生産的ではない。
どうしようもないときは、じっとしているしかない。
それを抵抗せず受け入れることだ。
今その状況で、恩恵を受けているとても大切な何かが絶対にあるはずだ。
そのお陰で成り立っている状況・世界が必ずある。


全てのものが、人が、バランスをとろうと常に変化し続けている。
世界は、当事者は、常に一体だ。
自分が本当の自分になることで世界も整う。
波動(引き寄せ・引き離し)の法則で、常に今の自分に合った「もの・こと・人」が整っている。
今の自分に合うものは引き寄せられ、今の自分に合わないものは引き離されている。
私が正直な自分に生きることで、私と波動の違う人は、たとえ私と離れても別れても、本当の自分に生きる決意・決断ができるだろう。
それでいいのだ。
正直な自分を見せることが、私のこのブログの役割だったと思う。



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決して他人を傷つける目的でしているブログではない。
ただ、私がその都度、「本当の自分に生きる」ということを譲らないだけだ。
誰かが傷つくかどうかは、私のせいではない。
私はどんなことがあっても決して傷つかないし、サラもそうだ。
人生は傷つくためにあるのではなく、「自分が学ぶ必要があるものは学ぶ」、ただそれだけだ。
自分に必要のないものには素通りする。
それでいい。
自分には全く関係ないのだから。


「意味のないものは自分の世界には現れない」、それが私にとっての真実だ。
「全てが自分の引き出している世界だ」、それも私にとっては真実だ。
外側から学ぶことが本当に多い。
その意味では、全ての人が自分の鏡だ。
鏡に映った自分の姿の一部だ。
自分の嫌いなものを映し出してくれる人もいる。
それで、私は自分が何が好きで、何が嫌いかが分かる。
嫌いなものが分かれば、好きなものが分かる。
嫌いなものは、私が望まないものだ。
大好きなものは、私が大いに望むものだ。
私は自分の望まないものを知りながら、自分の望むものを知ってきた。
そういうプロセスが必要だったということだ。
だがこれからは、いちいち望まないものを知らなくても、正直に自分の望むものをどんどん知っていきたいと思っている。



毎日書き続けてきたこのブログは、私が自分と正直に向き合うためだけに存在しているし、ここには私の本当の姿がある。
お客さんにブログを紹介しても、「ネットの世界は信じられないからブログは読まない」、「私はここで(お店で)いつも本物のマスターに会っているからそれで充分だ」と言うお客さんもいたが、そういう人はちょっと悲しい。 (笑)
自分の好きなものしか受け入れる気のない人に、たとえ好きだと言われたところで、私はそれを受け入れることは出来ない。
それはその人の一方的な妄想に過ぎないし、その人のオナニー(例えですよ…)に過ぎないからだ。
私は、人のオナニーに付き合うために存在してるわけではない。


私は、いつもただ自分のためだけに存在している。
お店をやっていると(商売という形をとっていると、お代をいただいていると)、それが分からない人々と接することも多々あったけれど、そういう意味では今の私は本当に平和で幸せだ。
「不思議だが、何故だか今は毎日幸せだ…」とブログに書くと、私はサラに「それは自分が引き出した世界で、自分で引き出している世界でしょう?」と言われる。 (笑)
そうかあ。 やっぱりそうなんだ…。 (笑)
確かに私は、どうあれ自分の望む状況を完璧に整え、引き寄せ、実現した。
自分のことは、なかなか客観的には掌握できないのだが、今はその都度サラにコメントしてもらうことで、自分自身を客観的に肯定できている。



毎日こうしてブログを書きながら自分と向き合い、そして自分では気づかない自分自身のことを、サラが客観的に教えてくれる。
本当にありがたいことだ。
一定時間を割いて毎日こうして入力画面に向き合うことは、確かに本当にしんどいのだが、それでもこの作業のお陰で、私はその都度自分の本当の姿や本音を知ることができるので、このブログは私にとってはとても貴重な存在だと思っています。
ありがとう。



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2015年07月27日

泥はかぶらない。


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本心・本音を語らない人とつながることは、つまらない。
それを全く語れない人もいる。
そんな人とコミュニケーションを取ろうとすることは、とても困難であり疲れる。
喜びや悲しみなど、感情を共有することができない。

自分の感情を、自分でうまく把握できないということがあるためだろうか。
また、感情をうまく言葉で説明できないということもあるだろう。
そして、そもそも自分の感情に関心がない、感情を自由に感じていいと思っていないということもある。
感情を大切にしていない、感情を殺してしまっているということもあるかもしれない。



だがどうあれ、本心・本音を語らない人・語れない人とつながることは、情緒の未発達な子供や言葉の話せない赤ちゃんのお守りをするようものだ。
それが重荷になり、ネガティブな見方をするようになると、それはある意味泥をかぶるということになる。

フォローする、何かを守る、何かを背負う、犠牲になり、命を捧げるということだ。
だが、優しさがなければ、強さがなければ、愛がなければ決して泥はかぶれない。
それはある意味、主体的、積極的、献身的な愛だ。
そして、泥をかぶるということは、実は「繰り返し迎えに行く」ということだ。



だが、エゴの殻を抱えている人は、泥をかぶれないし、かぶらない。
つまり、迎えに行けないし、行かない。
そして、傷つくのを怖れる弱い人、臆病な人、劣等感のある人も、泥をかぶれないし、かぶらない。
また、傲慢な人、自惚れてる人、虚栄の人、ずるい人、卑怯な人等も同じだ。
そんな人たちは、悲しいけれど迎えには行けない、行かない人たちだ。

それらの人たちは、人に嫉妬し、人の足を引っ張り、人に責任をなすりつけ、人を悪者にしようとすることもある。
なぜなら、愛がないからだ。
強さが、優しさがないからだ。
愛に飢えているからだ。
自分のことで精一杯だからだ。
そんな人は、無償の愛に生きることはできない。
人を怖れ、人に怯え、人を憎み、自分を嫌い、幸せに抵抗する。
だがそれは、本当に悲しいことだ。



私とサラは、泥をかぶることは互いにもうやめた人間だ。
でもそれを、今でも決してできないわけではない。
ただ今はもうしないだけだ。

私たちは、劣等感のある、傲慢な、臆病な、ずるい、卑怯な、愛のない人間ではない。
なぜなら、それをしない(しなかった)人間ではないからだ。
だから、愛のない人間とは根本的に違う。
逆に、人並み以上に愛の深い、異常なくらい犠牲的な、変態的な人種だ。
昔は、いつだって本当に人のために死ねるくらいだった。
実際に、互いに何度も死んでいる。



同じ人間でも、皆それぞれ人生のレールは違うはずだ。
でも、私たち二人は同じレールの上で出会った。
でも、互いにそのレールはもう降りた。
二人で一緒に降りたわけではない。
たまたま同じタイミングで、なぜだか何かに互いに降ろされた。
二人別々に降りた。

たまたま二人は、同じ時期に泥をかぶる人生をやめたということだ。
互いに、もうそれをやめると決めたとき、なぜだか私たち二人は出会った。
ただ、それだけのことだ。



もう決して泥はかぶらない二人。
泥はかぶらないというのが、出会ったときの私たち二人の共通の価値観であり、スタンスだった。
今は互いに、ただ自分自身を大切に生きている。
だから私は、私たち二人は、相手に泥をかぶせるようなことも、互いに決してしないと思っている。



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サラのブログ。
http://blogsara.seesaa.net/



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2015年07月26日

譲れない道。


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愛ある人の行動というものがある。
そして、愛のない人の行動というものがある。
常に、その人の行動は、愛があってのことなのか?と考えてみたらいい。
自分だったらどうするだろうか?そうするだろうか?と考えたら、すぐにわかるものだ。

お人好しではいけない。
劣等感や自己否定を抱えていてはいけない。
人に甘いと、自分にすきがあると、善意や優しさが粗末にされ、踏みにじられもする。
感謝のできない人なら、その人とは明確に距離を置かなくてはならない。
精神的に成熟していない、幼稚な、自分勝手な、自分本位な人は、どうあれダメだ。



人の本質を見る確かな目が必要だ。
人生で一番大切なものは何か?
それは人間性だと、私ははっきりと言い切る。
信頼できる人物かどうかということ。
何を持っていなくてもね。
何かを持っている人は、逆に、狂っている(傲慢な)ことも多いものだ。

私には、譲れない道というものが明確にある。
決して人を自分の手段にしてはいけない。
でも、自分を人の手段にさせてもいけない。
そして、人の不幸(犠牲)の上に、自分の幸せを築いてはいけない。
でも、自分の不幸(犠牲)の上に、人の幸せを築かせてもいけない。



その意識(バランス)を明確に持っていない人とは、私は絶対につながらない。
何も考えていない人とは、やっぱり無理だ。
私は、人を利用するのも嫌だし、利用されるのも嫌なのだ。
また、利用されたと言うのも、利用されたと言われるのも嫌だ。
被害者になることも、加害者になることも、私は望んではいない。

でも世の中には、そんなことを全く考えもしない、目覚めていない夢遊病者のような人たちが、まだいくらかいるだろうか?
今私の周りには、それらのものは何一つない。
今私の周りにあるものは、本当に不思議だが「愛」だけだ。



でもこれでいい。
これが当たり前だからだ。
自分が実現している世界には、私が必要としない「もの・こと・人」は決して入り込めない。
私が自分の望むものだけを見つめているからだ。
それが、波動の法則であり、引き離しの法則だ。



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2015年07月25日

波動の法則。


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幸せになるということ。
それは自分のために生きるということ。
自分に正直に生きるということ。
自分の本音に生きるということ。
自分の直感に生きるということ。

自分にとって必要な「もの・こと・人」というものがある。
それは、心地良いか・悪いかという感覚で分かる。
感覚を信じない人は、感情を信じない人は、直感を信じない人は、宇宙を、ハイヤーセルフを、内なる自分を知らない人だ。
それらを恐れ、疑い、抵抗する人だ。
私たちは、いつだって幸せ(愛)に導かれているのに。



今の私は、自分を心地悪くする環境・状況には、決して自分の身は置かない。
心地悪い「もの・こと・人」は身の回りに絶対に置かない。
波動が違う人とは明確に距離を置く。
一体感が感じられない。
共鳴し合わないからだ。

だがそれは、私に縁する人も、逆の立場から全く同じことが言えるだろう。
だから、私の思考(考え方)や振る舞いが心地悪い人は、私とは縁は結べない、つまり縁がないということだ。
互いにそれを明確に認め合うことが必要だ。
どちらがいいとか悪いとか、正しいとか間違っているということでは決してない。
ただ、それぞれの本質が違う、それぞれ別に生きる道があるということだ。



私には私の道があり、心地良いものと悪いものがある。
そして私は、心地悪いものとは明確に距離を置く。
特に人間性や人格、生活スタイル(生き方の姿勢)等に関わることについては、私は決して妥協しない。
だから、私と縁したい人は、どうしたって私が好む波動・周波数になるしかない。
もしその人がそれを望まず、選ばないのなら、私とつながることは永遠にないだろう。

その人にとって心地良いものが、私にとって心地悪いのなら、残念だがその人は私とは縁はない。
もし私が自分の心地悪いものとつながっても、私は自分の波動を下げるだけだからだ。
気分も体調も悪くなるし、そもそも人生が下降する。
私の一番大切にしている「自分に生きる」という世界からも遠のく。
そして、更に望まない引き寄せまでしてしまう。



多くの人は、私が理解していることを受け入れる準備ができていないかもしれないが、準備ができている人もいる。
私を理解できない人にとっては、私は全く価値がない。
だが、私を受け入れる準備ができている人にとっては、私は相当価値がある。

準備ができている人は、必ず引き寄せの法則で私に引き寄せられる。
だが、準備ができない人は、引き離しの法則で、既に私からどんどん引き離されている。
私は誰に遠慮することもなく、ただ自分の波動(周波数)を無限に上げていく。
それが、私が私になる必然的な道だからだ。
縁があるかどうか(波動が一致するかどうか)ということだけが大切だ。



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2015年07月24日

思い出。


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思いつくままに、少しお店の思い出を書いてみる。
まとまりは全然ない。
本当に思いつくままだ。



店を開いたことで、経験できたことが本当に沢山ある。
お客様からお金(現金)を頂戴するということもそうだ。
この経験はなかなか貴重だと思う。
自営の道の醍醐味だね。
ありがたいことです。
本当に沢山の人が店に出入りした。
一人で来る人、大人数で来る人、昼に来る人、夜に来る人。
私に会いに来る人、弾き語り(ライブ)をしに来る人、普通に喫茶店として利用しに来る人。
基本的に音楽の店としてやっていたので、音楽好きな人が集まってきたのは事実。
ライブができるという広告をしてからは、弾き語りをする音楽人間が集まった。
でも、別に音楽に興味がなくても、店が気に入り、私を気に入ってくれて通ってくれた人が多い。
ご婦人方を含め、お昼からビールやワインやウィスキーなどお酒を飲んでくれる人たちも沢山いた。
ボトルも入れてくれた。(キープしてくれた)
私もご馳走されたりしながら一緒にお酒を飲んで、リラックスしてやっていた。



2年間は店の基盤を作るのに一人で奔走した。
夜中まで、たとえお客さんが誰も来なくても、居眠りをしながらでもじっと耐えて待っていた。(笑)
一通りのチャレンジを経験し、色々なことを終えた頃、やっとサラが店に登場してくれた。
そして、彼女と色々と深い話(スピ話など)をするようになって、何かがはっきりと見えてきた。
原点に帰ろうと思えたのだと思う。
実際私は、既にライブハウスの方向には見切りをつけていた。
沢山のツアーミュージションからのライブ依頼の問い合わせも来るようにはなっていたが、私がしたいのはライブハウスではないということは既にはっきりしていた。
元々音楽をかける店のイメージはあったが、ライブハウスのイメージはなかったんだ。
全てのお客さんの心に寄り添うために始めた店だった。



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店内は、洋楽・邦楽、フォーク、ロック、ジャズ、クラッシックなど、いつもできるだけお客さんの好みに合わせて選曲し音楽をかけていた。
お客さんには、素敵な音楽を聴きながら、本棚の本を手にしてもらって、それぞれにゆったりまったりしてほしい、そんな音楽喫茶&ブックカフェのイメージだったんだ。
実際、店が混んでいて私の手が回らない時には、私はみんなにかまってあげることはできないから、店内はごく普通の音楽喫茶・ブックカフェになっていた。
でも、普段は常連さんが一人二人と少しずつ来る、決していつも混み合っている店ではなかったし、店のスペースが決して広い空間ではなかったから、私がお声をかけなければお客さんが少し息苦しく、窮屈な感じに思えたんだ。
それで、手があく時には、お客さんが少ない特には、私はいつも自分からお客さんに声をかけて、色々とお話のお相手をしていた。



初めてのお客さんでも必ず私が話しかけるので、多分その会話が心地よい人だけが通ってくるという店だったと思う。
でも、みな繰り返し通ってくれた。
そして私は、リクエストに答えて、毎日のように弾き語りで歌も歌った。
お客さんたちも弾き語りのできる人は、みな私の店の小さなステージ(スペース・笑)で歌を歌った。
昼からお酒も飲めて、マスターが親切な対応で話を聞いてくれて、しまいにはマスターや色々な人の歌も聞ける。
実際、結構いけてるお店だっと思う。
老若男女一体となって、みな本当に喜び、楽しんでくれた。



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マスターは、どんな話にも対応してくれる。
どんな話も聞いてくれて、優しい励ましをしてくれる。
マスターと会うと、いつも元気にしてもらえる。
マスターはとにかく誉めてくれる。
色々な状況も、困っていることも、嫌なことも、悩みも愚痴も、マスターは全部受け入れてくれる。
そして、マスターを慕って店に通ってくる常連さんが本当に多い。
そして、必ず知らない人(お客さん)は、マスターが紹介してくれて、仲を取り持ってくれる。
だから、世代を超えて、性別も職業も、学生だったり主婦だったりと様々な状況を超えて、店に来ると知り合いになれる。
そんな店だった。
私がそれを作っていたからだ。



私はそれをいつも真剣に、完璧にやっていた。
一人でしてる店だったから、5人6人と団体で来られるお客さんには、結構大変だった。
食事をされて、珈琲などそれぞれのお好みのドリンクを飲まれることがほとんどだったが、一通り落ち着くまでの時間は、私は戦争だった。
お客さんが帰られ、片付けや洗い物を終えるまでの仕事はそれなりにしんどかった。
またそういう流れの時は、次々とお客さんが入ってきて、あれよあれよという間に店が混み合ってしまう。
初めの頃は、夜は10人〜15人位の団体さんの貸切も結構やった。
それも、準備や終わってからの洗い物・後片付けや掃除等大変だった。
ライブのイベントも結構やった。
そんな風にして、一通りの経験をして、自分が何をしたいのかしたくないのかが明確になってきた。
まあ、右も左も分からない素人が始めた店だったから、仕方もないのだが。
そんな素人が店をやるなんてことは、そうそうないのだろう。(笑)



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色々な思い出がある。
音楽人間とのつながりも沢山持てた。
手料理や果物・お菓子、ケーキやお酒、手作りの飾り物、雑誌・CD・文房具、洋服・お花など、いただいたものは本当に数知れない。
お代以上にお金を頂戴することもしばしばだった。
みな私にお布施をくれた。(笑)
本当に皆さんに親切にされた。
年配の皆さんにも可愛がっていただいた。
本当に素敵な、貴重な世界(人生)を経験させていただいた。
色々なことがあった。
でも、いつも全てを一人で対応・対処してきたし、全てをやり切った。



でも、結局川上へ登ろうとオールを必死に漕いでいた。
全てに100%やり切って見えてきた世界や、分かってきた自分の世界、満足した世界があったんだ。
そして、全てを終えることにした。
思い出は本当に無限だ。
サラがお店に登場してからは、彼女が全てに力を貸してくれた。
いつも私に寄り添ってくれた。
私が力尽きるまでね。
彼女がいたから店を畳むことができた。
思い出は本当に尽きない。
彼女は、私の全てを知っているし、私の店の真実を全て知っている。
本当に全ての思い出を共有してくれました。
掃除も、調理も、洗い物も、全てのお客さんの話相手もしてくれた。
買い物(仕入れ)もしてくれた。
そして、チラシを一人でもまきに行ってくれたし、私と一緒の時は駆け足をしながら死にもの狂いで必死にまいてもくれた。(笑)



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今日は徒然に殴り書きをした。
もう過去のことで、全く昔のことなんだ。
でも、書かなければいけないこともあるのだろう。
まあ、供養みたいなもんですかね。
もっとしっかりとしたまとまった話ができるといいのだが、書くか書かないかは全く気分次第だし、今後のことは全く分からない。
今日はもう時間切れですね。
今日のところはこの辺で。



※追記
お店での注文された珈琲を、一杯一杯全てハンドドリップして手で淹れたこと、毎日の朝の清掃(掃除機・雑巾がけ等)をどんな時でも決して一度もさぼらなかったことは、当たり前なのだが、とりあえず店主としての私の徹底したこだわりであって、私の中ではお店(営業期間)においての満足感・充実感、そして一定の勝利の感覚となっています。



posted by John at 06:30| IN MY LIFE | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする