作家、向田邦子を育てた名プロデューサーで自らも作家として数々の名作を残した久世光彦氏が逝去されてから早、一ヶ月が過ぎた。
今日、氏が亡くなられてからはじめて、久世さんの会社「カノックス」に行った。5階と6階の2フロアーを占めていたカノックスは6階部分のみとなり、土曜日だったせいか人もまばらで、ドラマのカノックスとして権勢を誇った頃の面影はない。
事務所の片隅に久世さんのデスクが、亡くなられて1ヶ月以上たった今も、生前のままに置かれていた。今にも入り口から「やあ」と言って久世さんが現れ、椅子に座るや否や煙草を吸い始めそうだ。
雑然としたデスクは最早、主はいないのに、たった今まで仕事をしていたという雰囲気を残している。ヘビースモーカーだった久世さんらしく、缶ピースと未使用のピースが4箱灰皿に置かれていた。
そっと缶ピースの蓋を開けると、まだ銀紙の封がされ未使用であることが分かった。
デスクの左には胡蝶蘭が飾られ、その傍に制作中のドラマ「東京タワー」の台本が無造作に置かれ、何故か久世さんの名刺ケースが蓋が開いたままになっていた。
本棚に目をやると「雛の家」「大遺言書」「昭和恋々」「燃える炎」と言った自作の本が並んでおり、その横には「向田邦子全集」が寄り添うように置かれていた。
そこまでは久世さんらしいのだが、僕にとってはちょっと意外な書物が目に飛び込んだ。いずれも重厚な厚みのある書物だ。その中で「天皇陛下」は久世さんらしいと言えるのだが「同和差別歴史的根源」「差別根絶大全」などはその物々しい分厚さの書物と久世さんがストレートには結びつかなかった。
もっと違和感を持ったのは「日本歴代総理大臣所信表明」という大書だ。僕ならただでやると言われても読みたいとは思わないが、何か仕事や執筆上の資料として必要だったのだろうか?
久世さんんとの最大の想い出は「久世塾」だ。第二の向田邦子を作ろうと言うキャッチフレーズで久世さんが塾長になり、僕は専任講師として参加した。今日の打ち合わせ相手はその時のカノックス側プロデューサーT氏だ。
T氏と僕は久世塾のカリキュラムを作り、久世塾に必要な講師陣を選び、塾生達を三ヶ月間ドラマ漬けにするためのアイディアを出し合った。
塾生は授業料が比較的高かったにもかかわらず120名以上集まった。塾生の中には毎週、京都から通ってくるのもいた。
僕とT氏は今は亡き久世さんのデスクを眺めながら、厳しくも楽しかった久世塾の3ヶ月に想いを馳せた。
久世塾がスタートして1ヶ月ほどした頃だっただろうか? 塾生の一部がT氏に抗議してきた。その塾生たちの不満を聞いて僕は驚いた。
「高い授業料を払っているのに第一回目の講義の時に自己紹介をさせ、それに20分以上 費やしたのは無駄である」
と言った不満や、「○○先生は講義が面白くないから外してほしい」と言った類だ。
僕とT氏は一方通行の講義ではなく、クラスごとのコミュニケーションを深めつつ、人と人の繋がりの中で学んでいく「塾」を目指したから、最初の自己紹介を重視したのだ。それを授業時間を単純に授業料で割って、自己紹介に費やした時間を無駄だと言ってくる塾生に唖然とさせられたのだ。
講義が面白い、面白くないと言うのも問題だ。近頃、大学や専門学校では学生に講師を評価させ、人気のない講師を解雇する傾向があるようだ。
塾生を退屈させず時には笑わせながら講義する教師もいれば、懸命に下調べをして来て地味だが内容のある講義をする講師もいる。たんに面白くないというだけで講師を変えるわけにはいかない。
T氏とそんな想い出を語りながら僕は最近体験したあることを思い出した。
僕は時々、西葛西にある映画学校で講師を引き受けているが、先日は四月に入学したばかりの100名の学生を相手に90分の講座を持った。
「脚本分析」と名付けられた授業だが、脚本を勉強したいという受講生は5~6人で、大半は監督希望や俳優、メイク、宣伝、美術と志望が異なっており、脚本への興味は薄い。
そこで僕は脚本を書くより脚本を読めるプロに育って欲しいと思い、僕が体験した「動物映画」における脚本体験を導入に、某脚本のたったひと言の台詞の捉え方、そこから一本の使い捨てライターを例に、ライター1本から100本でも1000本でも脚本が生まれることを具体例を示しながら講義し、後半は韓国映画、中国映画の魅力について語った。
最後に「質問がある人」と言ったら、何人かの質問者の中に
「先生、今日のお話から僕は何を学べばいいんですか? 」
という質問をする学生がいた。思わず質問者の顔を見て唸ってしまった。
「ひょっとしたらこの学生は脚本の書き方や、台詞の表現方法など具体的なノウハウを学びたかったに違いない」
と思った。僕は新一年生の初期授業で書き方などのノウハウを教えるつもりはない。教えるとすれば僕は不適格者だ。そんなものを教える必要を感じていないからだ。
ノウハウを学ぶことが勉強と思っている学生がいるとすれば、久世塾の自己紹介は無駄と訴える塾生と同じだ。はっきり言おう。そういう学生はどれだけ一生懸命勉強したってまともな脚本は絶対に書けない。
泰三のブログのフロク「悪魔のひとこと事典」
「アホ学生とは 運転を習えば免許が取れる、書き方を学べば脚本が書けると思っている奴」