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ずんろぐ

ZON(ずん)の生活ログ。1日の振り返りと反省が主な日記。

ビジネスマナーへの疑問

「はい。◯◯です。」
「△△社の▲▲です。」
「△△社の▲▲様ですね。お世話になっております。」
「XX様はいらっしゃいますか。」
「少しお待ち下さい。」
「お待たせしました。ただいまXXさんは席を外しております。いかがいたしますか。」
「それでは云々。よろしくお願い致します。」
「よろしくお願い致します。」
本日の会社での電話の受け答えである。電話におけるビジネスマナーが出来ている人はツッコミどころ多いだろう。失笑ものだ。
しかし、ふと疑問に思うことがある。ビジネスマナーの必要性への問いだ。それを少し書きたいと思う。
 
新卒で初めての研修で学ぶことはビジネスマナー。電話から名刺の受け取り方、敬語などである。否応がなしに学ばさせる。社会人の常識であると、大人の常識であると。しかし私は今までビジネスマナーの目的とその必要性を聞いたことがない。常識だ!作法だ!以外で理屈屁理屈で説明されたことがない。ググってもなぜ必要なのか、そもそもビジネスマナーで達せられる目的とは何か、がない。これだけマナーが叫ばれているにも関わらず、年収が高い、仕事ができる人は等しくビジネスマナーができていると数値で表した結果もない。あるのはよくわからない精神論と事例集と身につけ方のみである。私にはそれがひどく不思議だ。
 
ビジネスマナーを語る前に、マナーについて整理しよう。マナーとはいったい何か。一言で言って仕舞えば、相手への心遣いである。他人を不愉快にさせまいかや無駄な争いを避ける為の気遣いである。マナーはルールと違い、個人が自発的に守るものである。そのマナーは社会全体の雰囲気が形になったものである。フランスのレビ・ミールポワ公爵はマナーを次のように述べている。

礼節の基本は社会に生活したいと望む人間すべてが、おのれの天性に課さねばならない規則であり、大切なのは互譲の精神である。

 要するに、身分や立場、年齢関係なく全ての人がお互いを一生懸命に考え、ある妥協点に歩み寄る仕組みが、すなわちマナーであると。

 

ここでビジネスマナーの話に戻ろう。ビジネスマナーとは何か。私がこれまで実践して考え、また周りを観察して得た結論は、ビジネスマナー=ルールということである。そもそもマナーが相手への自発的な心遣いであれば、決まり文句や形式、ロールプレイングなどがある時点で何かおかしい。ビジネスマナーができていないからといって、他人から失笑や叱咤、注意を受けなければならないのは何か変だ。それは既に他者への心遣いの強要である。つまり、ビジネスマナーはマナーではなく、ルールと考えた方が頷ける。ルールはマナーと違い、強制されて仕方なく行わなければならない。そしてルールは守ればよく、相手から見えない場所では配慮しなくても良いのである。もちろん、そんな場所はほぼない。社内外、1日に多くの人間に出会う。それを踏まえると、ひどく歪な型である。

 

ではその型、どれだけの方が守れているか。おそらく0に近いだろう。例えば挨拶。朝の「おはよう」。挨拶はビジネスマナーの基本らしいが、部署において私以外からの「おはよう」を4、5回 /(約37日x部署内人数)しか聞いたことがない。帰り際の挨拶は皆無だ。マナーと言いつつ、ルールでしかも毎日破られている。大事大事と言いつつ破られるルールに存在価値はあるのだろうか(いや、ない)。

 

日本のビジネスにおける心遣いは、本来の意味から外れて形式張ったルールに成り果てた歪な型だと私は思う。

 

参考

反社会学講座 第9回 ひきこもりのためのビジネスマナー講座

 

余談

※1.日本は名前詐欺の言葉がある。ビジネスマナーは社会ルール、奨学金は学資ローン。探せば名が体を表さない言葉は多くありそうだ。

※2.日本人って本当に型が好きだよね。しかし、良い型も多いが、悪癖な型(ビジネスマナーなど)も多そうだ。

※3.ビジネスマナーは明治時代からあったらしい(参照)。国が定めたとのことだが、それはマナーではなくルールだよね。