社説:被爆70年の日本 核廃絶へ世界を動かせ
毎日新聞 2015年08月06日 02時30分
米国で生まれ広島市で育った据石和(すえいし・かず)さん(88)=米カリフォルニア州在住=は70年前のきょう、B29が飛び去った後の青い空に白い点を見た。近くにいた人に「何だろうね」と言いかけた時、閃光(せんこう)が18歳の彼女を包んだ。白い点は原子爆弾だった。3日後には長崎に原爆が落とされた。
据石さんは一命を取りとめたものの、寝たきりの生活が約7カ月続いた。腰の骨が折れていて、歯茎からの血が止まらない。呼吸が苦しく体が冷えて、朝になると「今日は私が死ぬ番だ」と考えた。
◇核軍拡が止まらない
奇跡的に回復した彼女は1957年、日系2世の男性と結婚するため米ロサンゼルスへ渡る。被爆による体調不良で医者に行っても当時は医療保険が適用されなかった。「敵国人(日本人)に州の金を使うな」と言う米議員もいたという。夫の正行さんも戦時下で米国による日系人強制収容を体験していた。
だが、据石さんは米国を恨んだことはない。「米国広島・長崎原爆被爆者協会」の会長を務めながら、ママ、グランマ(おばあちゃん)として米国人に被爆体験を語ってきた。
「私の体験を熱心に聞いて『申し訳ない。許してください』と言う人もいる。話せば分かるんです、米国人は。オバマさん(米大統領)の『核兵器のない世界』の呼びかけはなかなか浸透しないし、私の話もその場限りかもしれないけど、愛をもって語り続けるしかないんです」
だが、世界を見渡せば殺伐たる状況だ。米露の核軍縮交渉は宙に浮き、クリミアを強引に編入したプーチン露大統領は核戦力の使用をちらつかせて「腕力で来い」と言いたげだ。中国やパキスタン、インドの大幅な核軍拡も伝えられる。
北朝鮮は米国を攻撃しうる核ミサイルを開発中といわれ、まさに「核軍拡ドミノ」の趣だ。米国のシンクタンクは北朝鮮が2020年までに100発の核ミサイルを配備すると予測する。その脅威をまともに受けるのは日本だろう。
核拡散防止条約(NPT)の空洞化も進んだ。インドとパキスタンはNPTに参加せず、北朝鮮は03年に条約脱退を宣言した。イランの核開発には米欧など6カ国が一定の歯止めをかけたとはいえ、NPT未参加のイスラエルが持つとされる核兵器が中東の不安要因になっている。
しかも5年に1度、NPTの達成状況を検証するために開かれる再検討会議は今年5月、最終文書を採択できないまま決裂した。NPTにより核兵器を合法的に持てる国(米英仏露中)とそれ以外の国の温度差が、これほど開いた会議もあるまい。
この会議では、最終文書で「各国首脳の広島・長崎訪問」を呼びかけようとした日本に中国が待ったをかけ、核軍縮に歴史認識を絡める展開となった。中国の強引さが目立つとはいえ、日本の根回しと詰めの甘さが露呈したともいえる。
これが被爆70年のお寒い現実だ。謙虚に考えてみたい。核廃絶を訴えてきた日本の声が世界に正しく届いているか。「唯一の被爆国」と言いつつ米国の「核の傘」に頼る日本の立場を、各国は理解しているか。そして、終わりの見えない核拡散と核軍拡で世界が自滅しないために、日本は何をすればいいのか。
◇米大統領は被爆地へ
これらの問いかけへの答えとして、日本政府はより真剣に、より積極的に核廃絶に取り組むべきだろう。第3の被爆を防ぐべく米国の「傘」に寄るのは、核抑止の上で間違いとは言えない。だが、米国の核戦略に遠慮して、言いたいことを言わないなら論外だ。日本はむしろ米国を説得し、世界を動かすことを真剣に考えるべきである。
オバマ大統領にも言いたい。広島と長崎の式典に、駐日米大使に加え米高官も参列するのは朗報だが、大統領が「核なき世界」をめざすなら、恐ろしい兵器に倒れた市民への鎮魂は欠かせない。日本における来年の主要国首脳会議などの機会を生かし、大統領自身が被爆地を訪問してほしい。原爆をめぐる日米のミゾを越えての首脳訪問は、停滞する核軍縮、核廃絶の動きに弾みを与える機会にもなるはずだ。
被爆者の平均年齢は今や80歳を超えた。70年の歳月は被爆の記憶をいや応なく風化させる。長崎市で市民団体「ピースバトン・ナガサキ」を主宰する調仁美(しらべ・ひとみ)さん(53)は、被爆体験を若い世代に引き継ぐ活動を続けている。被爆者がいなくなった時、核廃絶の声をどう上げていくか。それが問題だと彼女は言う。
「被爆にまつわる生々しい、恐ろしい話を聞きたがらない人も増えています。若い人だけではありません。だから原爆に関する科学的な知識やエピソードを交えて、知ることへの興味を引き出し、基本的な知識を得る手助けをする。言葉では時に限界があるので紙芝居も使います」
悲惨な現実を突きつければいいというわけではない。被爆直後の惨状を表現した「被爆再現人形」について、広島市の原爆資料館が常設展示から外す方針を示したのも時代の流れだろうか。被爆体験をどう語り継ぐか。これも「唯一の被爆国」だけが直面する大きな課題である。