【神奈川】ひらがなに込めた証し 在日韓国人の80代2人が自分史
川崎市にある外国人向けの識字学級で学んだ在日韓国人の八十代女性二人が自分史をまとめた。働きづめだった来日後の生活や家族への思い、字や絵を学ぶ喜びが丁寧につづられている。「いろいろなことがあった。よくいきてきた」。時代に翻弄(ほんろう)されながらも懸命に生きてきたハルモニ(おばあさん)の思いが、手書きのひらがな一字一字にこもる。 (横井武昭) 二人は、韓国南東部の慶尚南道(キョンサンナムド)出身の徐類順(ソユスン)さん(89)と金芳子(キムパンジャ)さん(84)。現在、市内に住み、日本語はしゃべれるが、貧困や戦争で教育を受けられず、高齢になってから約二十年、外国人を支援する「川崎市ふれあい館」(川崎区)の識字学級で日本語の読み書きを学んだ。読んだり書いたりが多少できるようになり、学級でこれまで書いた作文をそれぞれA4三十〜四十ページほどの冊子にまとめた。 徐さんは「いい人生だったとは言えない。でも、孫たちに残して、読んでもらいたい」と自分史に込めた思いを語る。 ■ 徐さんは幼い頃に父を亡くし、日本で働いていた兄を頼り十四歳で来日。旋盤工場などで働いた。「いろんなしごとをしてべんきょうするひまがありませんでした」と苦労を記した。第二次大戦後に一度帰国したが、朝鮮戦争が勃発。戦火の中、幼い娘を連れて逃げた恐怖を「にんげんがしんでいるのが、どうぶつのようにみえた」と書いた。その後再来日し、七十八歳までビル掃除などをして娘や孫を育てた。そうした人生を「わたしもじだいのいちぶです」とまとめた。 金さんは五歳の時、山口県の炭鉱で働いていた父のもとに来た。その後にけがをした父に代わって働いて家計を支え、学校には行けなかった。十六歳で結婚したが夫と死別。焼き肉店などで働きながら三人の子を育てた。自分史で「あさからばんまではたらいてかせぎました。字がかけないからにくたいろうどうばかりしました」と振り返る。息子たちを大学に行かせたかったと悔やみながら、「かんれきのとき、おまえたち三人がおいわいをしてくれてかん国までつれていってくれたことはとてもうれしかった」と素直に思いをつづった。 ■ 自分史には学級で習った絵も収録されている。季節の花や野菜を描いた色鮮やかな作品に、鉛筆も絵筆も握る機会がなかった二人の生きる喜びがにじむ。 金さんは日本語で読み書きすることに「うまく書けたらうれしい。妹や息子に絵の入った年賀状や暑中見舞いを送ったらほめてくれた」と笑う。 見守ってきた市ふれあい館の原千代子館長は「二人の自分史は、在日コリアンの貴重な生活史や歴史の証言にもなっている。自分たちが受けてきたつらい歴史を変えたいから思いをつづったのだろう。その重みを忘れてはいけない」と話す。 PR情報
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