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shi3zの長文日記 RSSフィード

2015-08-05

12年目の社員旅行

 8月8日で12周年となる今年を記念して、10年ぶりに希望者を集めて社員旅行に行ってきた。

 目的地は、新潟県長岡市。


 つまり、僕が実質的に創業した土地であり、UEIのロゴマークの由来である、不死鳥をシンボルとする田舎町。

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 何年もの間、この会社を支えてきてくれた社員たちをずっとこの長岡に連れて来たかった。


 ユビキタスエンターテインメント、という社名と僕達が実際にやっている仕事のイメージは直接は結びつかないかもしれない。


 もともとユビキタスエンターテインメントは僕が付けた名前ではない。

 僕は会社に対して自分が過剰な愛情を抱くのを怖れて、敢えて自分では名付けなかった。したがってこの社名も、他の取締役が考えたものだ。


 しかし、振り返ってみると、ユビキタスエンターテインメントはそう悪い名前ではない。


 コンピュータはもともと、大人数が一つのコンピュータを共有していたメインフレームの時代、そしてアラン・ケイが提唱し、実際に半導体の進歩によって実現した、一人が一台のコンピュータを占有するパーソナル・コンピューティングの時代と変遷してきた。


 さらに半導体の進歩が進むと、一人が複数台のコンピュータを持つのが当たり前になり、コンピュータが充分小さく、ありとあらゆるところに偏在するようになる。これをユビキタス・コンピューティングと呼ぶ。


 ユビキタスエンターテインメントと名づけた本人は意識していないが、ユビキタスとは、コンピュータの進化の最終段階であり、アラン・ケイによるパーソナル・コンピューティングの次の段階にあるものである。


 そしてもうひとつ、エンターテインメントという言葉。

 これがついているがために、ゲーム専業の会社と誤解されたりすることもしばしばある。


 実際の僕達にとってのエンターテインメントとは何か。

 それはテクノロジーの善なる力である。


 かつて科学技術は戦争を起点として発達してきた。

 瓶詰めがそうだし、缶詰もそうだ。


 戦争のためという大義名分によって膨大な資産がつぎ込まれ、その結果コンピュータがうまれ、インターネットが生まれた。その結果、人類は自らを何千回も滅ぼすほどの大量の核兵器を手に入れる。


 換言すれば、人を幸福にするためというよりもむしろ人を傷つけるためにこそテクノロジーは発達を続けてきた。


 しかし、最先端のテクノロジーが競争や他社の資源を奪うためでなく、ただ純粋に人々を感動させ、楽しませ、幸福にするという目的に用いられるものとき、それは娯楽(エンターテインメント)となる。


 映画やマジックショーにコンサート、ゲームやマンガ、本やスポーツ、全てエンターテインメントだ。

 そして我々のようなエンジニアにとっては、最新テクノロジーに触れることそのものが一つの大きな喜びであり、エンターテインメントでもある。


 エンターテインメントは、ともすればルーティンの繰り返しで退屈さを感じてしまいがちな日常をキラキラと輝くものにしてくれる。


 もしこの世にエンターテインメントが全く無かったら、人生とはなんと虚しいものだろうか。

 もし我々のテクノロジーが、もっぱら人を傷つけ、競争に勝つことだけに使われるとしたら、科学の発展とはなんと恐ろしいことだろうか。


 衣食住足りてかつ、人はエンターテインメントがなければ楽しく生きてはいけないのである。

 

 エンターテインメントという目標の前には、敵も味方もなく、敗者も勝者もいない。


 長岡市は昭和20年8月1日の夜10時に大規模な空襲を受ける。

 ど田舎である長岡市が狙われた理由は、真珠湾攻撃を指揮した山本五十六聯合艦隊司令長官の故郷であるというくだらない理由だった。


 市内の8割が焦土となり、1400人以上が死んだ。


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 その慰霊のために翌年から復興祭としてスタートしたのが現在まで続く長岡花火の直接の起源である。


 戦争の悲しみを憎しみではなく花火というエンターテインメントに変えて昇華する、というのが長岡の変わったところだ。


 2012年、長岡市とハワイのホノルル市と姉妹都市となり、ワイキキで長岡市の誇る復興祈願花火、「フェニックス」を打ち上げた。


 そして今年、ついに真珠湾で長岡花火が上がる。

 真珠湾攻撃はエンターテインメントとして昇華され、きっとハワイの人々をも幸福な気分で満たすだろう。


 たかが花火・・・されど花火。

 花火を見るだけで、人は魂を揺さぶられる。

 

 長岡の花火を見て、きっと自分の起源はここにあったのだと改めて確認する。


 僕らは決してテクノロジーを人を傷つけることに使わない。

 ただ人を楽しませるため、幸福にするために使うのだと。


 それがエンターテインメントという言葉が社名に含まれている、意味なのだ。


 だから社員たちにぜひとも長岡の花火を見せたかった。


 今年はついにそれが叶った。


 僕はそれが嬉しい。