その封筒を、
最初に見つけたのは僕だった。
――これって、 お母さん、
封筒の中には、母の写真が入っていた。
すべては、
この時から始まった。
僕が高校生になって初めての冬は、
年が明けてからもっと寒くなって、その日は小雪がちらついていた。
学校から帰った僕は、
普段、気にもしない郵便受けに目がとまった。
大きな封筒が半分以上はみ出したまま、受け口に差し込まれていた。
郵便受けから抜き取ってみると、
表も裏も、その茶色の封筒には何も書かれていなかった。
それに、封も糊付けされていなかった。
僕は
最初に見つけたのは僕だった。
――これって、 お母さん、
封筒の中には、母の写真が入っていた。
すべては、
この時から始まった。
僕が高校生になって初めての冬は、
年が明けてからもっと寒くなって、その日は小雪がちらついていた。
学校から帰った僕は、
普段、気にもしない郵便受けに目がとまった。
大きな封筒が半分以上はみ出したまま、受け口に差し込まれていた。
郵便受けから抜き取ってみると、
表も裏も、その茶色の封筒には何も書かれていなかった。
それに、封も糊付けされていなかった。
僕は
早く家の中に入って、冷えきった体を温めたかったけれど、
その得体の知れない封筒が、何だかとても気になった。
手袋をしていても、かじかんで震える指先で中身を探ると、
その中から、母の写真が出てきた。
A4サイズで、二十枚近くあった写真には、すべて母が写っていた。
とっさに、
僕は辺りを見回した。
誰かが、僕を見ているのではないかと思った。
でも、通りをはさんで家々が向かい合う新興住宅街に、人の姿はなかった。
手にした写真に、小雪の粒が舞い降りた。
母の顔に、白い粒がまとわり付いては、融けて消えていった。
僕の体が、ぶるっと震えた。
凍てつく寒さのせいなのか、それとも湧き起ってくる恐ろしさのせいなのか、
きっとその両方で、僕の体が急に震えだした。
「お母さん、 、お母さんっ、 、」
家の中に飛び込んだ僕は、大きな声で叫んだ。
大変な物を見つけてしまった、そんな思いが僕を慌てさせた。
よほど僕の声に切迫感があったのか、母はすぐにやって来た。
しかしそれでも、
ぱたぱたと廊下に響くスリッパの音は、いつものようにのんびりしたものだった。
台所にいたのか、母は緑色のエプロンで手を拭きながらやって来た。
「どうしたのよ春樹、 、あら、雪降ってるの」
母は、僕の頭を見て、少し怒ったような顔した。
「だから言ったじゃないの、傘もって行きなさいって、 、もう、」
廊下で僕と向き合った母は、
僕の頭の上で、融けきっていない小雪の粒を払ってくれた。
僕の髪がくしゃくしゃになるくらい、少し乱暴に、何度も払ってくれた。
高校生になった僕を、いまだに子供扱いする母だった。
「風邪ひいたんじゃないの、あんた顔が蒼いわよ」
僕の額に当てられた母の手は、とても暖かかった。
「よし、熱はないみたいね、 、え、何よこれ」
僕が差し出した封筒を受け取った母は、その封筒と僕の顔を交互に見た。
その時きっと、僕は泣きそうな顔をしていたに違いない。
僕の表情から、何か不安を感じ取ったのか、
母はその封筒をじっと見つめて、思い切ったようにさっと中身を取り出した。
「あら、 、いやだわ、
もう、退学処分のお知らせかと思ってひやひやしたわよ、
何よこれ、 、こんなものどこにあったのよ」
僕が説明する前に、母は含み笑いをもらしながら、一枚一枚めくっていた。
その封筒の経緯を話すと、
なおさら母は面白がって、そのうちの一枚をひらひらと目の前にかざした。
「へえ、よく撮れてるわねえ、ふうん、敵はプロかも知れないわねえ、
なるほど、ストーカー2号の登場ってとこかしら、ホントまいっちゃうわ」
僕を無視して、母はもう台所に向かっていた。
なんだか、僕は気が抜けてしまった。
かわりに腹が立った。
――なに言ってるんだよ、ストーカーっていうのは、もっと若い女を狙うんだぞ、
ストーカーに狙われたことが自慢そうな母に、僕は腹が立った。
声を上げて笑っている母を見ると、
僕はその封筒の中身で大騒ぎした自分が、馬鹿に思えてきた。
その写真は、母の日常を写したものだった。
スーパーで買い物する母の姿を写しただけの、ただそれだけの写真だった。
でも、
玄関先で最初に見たとき、僕は本当に恐ろしくなった。
この頃は、とんでもなくイカレタ野郎が多い世の中だ。
最近よくニュースになる通り魔殺人、
その標的に母がされたのではないかと心配した。
封筒の中身が、母を殺す予告状のような気がしてならなかった。
ただ、
あきれるほど能天気な母を見ていると、
そんなふうに母を心配した僕の頭のほうが、イカレているように思えてきた。
その封筒を食卓に置いたまま、母は煮物の火加減を見ていた。
楽しそうに晩ご飯の支度をする母を見ていると、本当にバカバカしくなってきた。
――僕もどうかしてるよ、通り魔殺人なんて、あるわけないよな、
二階の自分の部屋に上がろうとした時、
僕はふいに、母の言葉が気になった。
――さっきお母さん、ストーカー2号って、 、
僕は、台所の母に駆け寄った。
「お母さん、二号って、どういうこと、前にも何かあったの」
母は、ちょっと困ったような、それでもなんだか可笑しそうに僕を見た。
「そうよね、春樹は知らなかったのよね、
あのね、 、ここに引越して来たころね、 、うふふ」
三年前、僕の家族はこの家に越してきた。
ちょっとお洒落な感じのする、この新しい住宅街を僕は気に入っていた。
「若い男の子がね、私のあとつけたり、家の前をうろうろしたり、
私がその子に気づいて、二週間ぐらいしてからかしら、
その子ね、『僕とつき合ってください』って、真剣に言ったのよ」
母は煮物をほったらかしにして、喋り続けた。
もう楽しくて仕方ない、そんな様子の母だった。
「道の真ん中で、いきなりなのよ、びっくりしたわ、
でも私、そういうの慣れてるから、 、さらっとかわして逃げたのよ」
母は煮物が気になったのか、鍋のふたを開けた。
そして僕に背を向けたまま、また話し始めた。
「でもね、その後もあまりしつこいから、お父さんに言ったの、
そしたらね、あの人ったら顔を真赤にして怒っちゃって、
家の前にいた男の子に文句言ったのよ、すごく怒って、
、 、信じられる、あのお父さんが本気で怒ったのよ」
鍋にふたをして火を弱めた母が、僕にふり向いた。
母は、本当に楽しそうだった。
「大学生みたいだったけれど、
その子ね、背が高くて、わりとハンサムだったのよ、
もうまいっちゃうわ、世の中の男はみんな私に夢中なんだから」
そう言った母も、
さすがに照れたのか、少し顔を赤くして冷蔵庫を開けた。
「いやだわ、私ったら、春樹にこんなこと言って、
心配しなくてもいいのよ、あれからあの子は来なくなったし」
それきり母は話をやめて、
冷蔵庫から取り出したタッパーを開けて、晩ご飯の支度の続きを始めた。
どこかおっとりしたところのある母も、料理の手際だけは鮮やかだった。
僕はそんな母のうしろ姿を、不思議な思いで見つめた。
僕は、どうしてその大学生が、母を一人の女として見たのかよく分からなかった。
僕には、母と同じ年齢のおばさん達は、みんな一緒に思えた。
その中でどうして母が選ばれたのか、とても不思議だった。
確かに僕の母は、
美人の部類に入るかも知れないけれど、そんなに目立つとは思えなかった。
別に派手な服を着るわけでもないし、髪型もごく普通にカールしてあるだけだった。
お化粧なんか、ちょっと口紅を引いて、はい終わりっていう感じだった。
だいたいストーカーなんて、
若くて綺麗な女の人を狙うものだと思っていた。
僕があの写真を見つけた時、ストーカーなんて言葉、浮かんでもこなかった。
――お母さんのどこがいいんだろう
母のどこに魅力があるのか、僕にはよく分からなかった。
悪者と母1 2 3 4 5 6 7
その得体の知れない封筒が、何だかとても気になった。
手袋をしていても、かじかんで震える指先で中身を探ると、
その中から、母の写真が出てきた。
A4サイズで、二十枚近くあった写真には、すべて母が写っていた。
とっさに、
僕は辺りを見回した。
誰かが、僕を見ているのではないかと思った。
でも、通りをはさんで家々が向かい合う新興住宅街に、人の姿はなかった。
手にした写真に、小雪の粒が舞い降りた。
母の顔に、白い粒がまとわり付いては、融けて消えていった。
僕の体が、ぶるっと震えた。
凍てつく寒さのせいなのか、それとも湧き起ってくる恐ろしさのせいなのか、
きっとその両方で、僕の体が急に震えだした。
「お母さん、 、お母さんっ、 、」
家の中に飛び込んだ僕は、大きな声で叫んだ。
大変な物を見つけてしまった、そんな思いが僕を慌てさせた。
よほど僕の声に切迫感があったのか、母はすぐにやって来た。
しかしそれでも、
ぱたぱたと廊下に響くスリッパの音は、いつものようにのんびりしたものだった。
台所にいたのか、母は緑色のエプロンで手を拭きながらやって来た。
「どうしたのよ春樹、 、あら、雪降ってるの」
母は、僕の頭を見て、少し怒ったような顔した。
「だから言ったじゃないの、傘もって行きなさいって、 、もう、」
廊下で僕と向き合った母は、
僕の頭の上で、融けきっていない小雪の粒を払ってくれた。
僕の髪がくしゃくしゃになるくらい、少し乱暴に、何度も払ってくれた。
高校生になった僕を、いまだに子供扱いする母だった。
「風邪ひいたんじゃないの、あんた顔が蒼いわよ」
僕の額に当てられた母の手は、とても暖かかった。
「よし、熱はないみたいね、 、え、何よこれ」
僕が差し出した封筒を受け取った母は、その封筒と僕の顔を交互に見た。
その時きっと、僕は泣きそうな顔をしていたに違いない。
僕の表情から、何か不安を感じ取ったのか、
母はその封筒をじっと見つめて、思い切ったようにさっと中身を取り出した。
「あら、 、いやだわ、
もう、退学処分のお知らせかと思ってひやひやしたわよ、
何よこれ、 、こんなものどこにあったのよ」
僕が説明する前に、母は含み笑いをもらしながら、一枚一枚めくっていた。
その封筒の経緯を話すと、
なおさら母は面白がって、そのうちの一枚をひらひらと目の前にかざした。
「へえ、よく撮れてるわねえ、ふうん、敵はプロかも知れないわねえ、
なるほど、ストーカー2号の登場ってとこかしら、ホントまいっちゃうわ」
僕を無視して、母はもう台所に向かっていた。
なんだか、僕は気が抜けてしまった。
かわりに腹が立った。
――なに言ってるんだよ、ストーカーっていうのは、もっと若い女を狙うんだぞ、
ストーカーに狙われたことが自慢そうな母に、僕は腹が立った。
声を上げて笑っている母を見ると、
僕はその封筒の中身で大騒ぎした自分が、馬鹿に思えてきた。
その写真は、母の日常を写したものだった。
スーパーで買い物する母の姿を写しただけの、ただそれだけの写真だった。
でも、
玄関先で最初に見たとき、僕は本当に恐ろしくなった。
この頃は、とんでもなくイカレタ野郎が多い世の中だ。
最近よくニュースになる通り魔殺人、
その標的に母がされたのではないかと心配した。
封筒の中身が、母を殺す予告状のような気がしてならなかった。
ただ、
あきれるほど能天気な母を見ていると、
そんなふうに母を心配した僕の頭のほうが、イカレているように思えてきた。
その封筒を食卓に置いたまま、母は煮物の火加減を見ていた。
楽しそうに晩ご飯の支度をする母を見ていると、本当にバカバカしくなってきた。
――僕もどうかしてるよ、通り魔殺人なんて、あるわけないよな、
二階の自分の部屋に上がろうとした時、
僕はふいに、母の言葉が気になった。
――さっきお母さん、ストーカー2号って、 、
僕は、台所の母に駆け寄った。
「お母さん、二号って、どういうこと、前にも何かあったの」
母は、ちょっと困ったような、それでもなんだか可笑しそうに僕を見た。
「そうよね、春樹は知らなかったのよね、
あのね、 、ここに引越して来たころね、 、うふふ」
三年前、僕の家族はこの家に越してきた。
ちょっとお洒落な感じのする、この新しい住宅街を僕は気に入っていた。
「若い男の子がね、私のあとつけたり、家の前をうろうろしたり、
私がその子に気づいて、二週間ぐらいしてからかしら、
その子ね、『僕とつき合ってください』って、真剣に言ったのよ」
母は煮物をほったらかしにして、喋り続けた。
もう楽しくて仕方ない、そんな様子の母だった。
「道の真ん中で、いきなりなのよ、びっくりしたわ、
でも私、そういうの慣れてるから、 、さらっとかわして逃げたのよ」
母は煮物が気になったのか、鍋のふたを開けた。
そして僕に背を向けたまま、また話し始めた。
「でもね、その後もあまりしつこいから、お父さんに言ったの、
そしたらね、あの人ったら顔を真赤にして怒っちゃって、
家の前にいた男の子に文句言ったのよ、すごく怒って、
、 、信じられる、あのお父さんが本気で怒ったのよ」
鍋にふたをして火を弱めた母が、僕にふり向いた。
母は、本当に楽しそうだった。
「大学生みたいだったけれど、
その子ね、背が高くて、わりとハンサムだったのよ、
もうまいっちゃうわ、世の中の男はみんな私に夢中なんだから」
そう言った母も、
さすがに照れたのか、少し顔を赤くして冷蔵庫を開けた。
「いやだわ、私ったら、春樹にこんなこと言って、
心配しなくてもいいのよ、あれからあの子は来なくなったし」
それきり母は話をやめて、
冷蔵庫から取り出したタッパーを開けて、晩ご飯の支度の続きを始めた。
どこかおっとりしたところのある母も、料理の手際だけは鮮やかだった。
僕はそんな母のうしろ姿を、不思議な思いで見つめた。
僕は、どうしてその大学生が、母を一人の女として見たのかよく分からなかった。
僕には、母と同じ年齢のおばさん達は、みんな一緒に思えた。
その中でどうして母が選ばれたのか、とても不思議だった。
確かに僕の母は、
美人の部類に入るかも知れないけれど、そんなに目立つとは思えなかった。
別に派手な服を着るわけでもないし、髪型もごく普通にカールしてあるだけだった。
お化粧なんか、ちょっと口紅を引いて、はい終わりっていう感じだった。
だいたいストーカーなんて、
若くて綺麗な女の人を狙うものだと思っていた。
僕があの写真を見つけた時、ストーカーなんて言葉、浮かんでもこなかった。
――お母さんのどこがいいんだろう
母のどこに魅力があるのか、僕にはよく分からなかった。
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