日常
先週の仕事の残業時間が15時間、心も身体もボロボロといったところ。
土日は寝潰し、やりたいなと思っていた事も忘れ、ただ漠然と自室に篭ってインターネット。
それで何の欲が満たされているのだろう。自分に問いかけてもなお、何も答えは出てこない。
自分自信のやりたい事なんぞ、自分だけが知っているはずなのに、それすらも忘れてしまう事が多々ある。
仕事中には帰りたいとしか思わず、長い長い20代のはじめの時間を金に変える事だけをしているのではないだろうか。
それだけが人生なのだとしたら、僕らが思い描いていた大人というものは、さして凄さも尊敬も無い。
ただ生きるために働いて、そのお金で飯を食うだけの生活が、僕らの中ではあたりまえのサイクルだ。
その人の生き方に嫌気が刺す時があるのも事実だろう。何故人は生きなければならないのか。自殺はいけない事なのか。
自らの意思を断つ為には何をすれば良いのか。自らの欲を満たす為に何をすればいいのか。
それらは全て自分の中にあるはずなのに、私達はすぐそれらを忘れてしまう。
自虐的発想も、ストレスで味がわからなくなる味覚も、全てが自分の思いをねじり曲げている気がして、今日も飯を美味いと思わなかった。
食に感心が無いとか、生きるための行為だとか、そういった真実をつきつけられようが、私はそのとおりだとしか言えない。
むしゃくしゃした時に思い描いた自分の顔と、楽しくてもっともっとその時を過ごしたいと思った時の顔は、どちらが本当の自分の顔なのだろうか。
稀にそんな事が頭から離れなくなって辛くなる。
鏡に映る自分の顔が、本当の僕の顔なのかさえ疑問に思えてしまう。
自分の顔は見ないほうが良いなんて、誰が最初に言った言葉なんだろうか。
土日は寝潰し、やりたいなと思っていた事も忘れ、ただ漠然と自室に篭ってインターネット。
それで何の欲が満たされているのだろう。自分に問いかけてもなお、何も答えは出てこない。
自分自信のやりたい事なんぞ、自分だけが知っているはずなのに、それすらも忘れてしまう事が多々ある。
仕事中には帰りたいとしか思わず、長い長い20代のはじめの時間を金に変える事だけをしているのではないだろうか。
それだけが人生なのだとしたら、僕らが思い描いていた大人というものは、さして凄さも尊敬も無い。
ただ生きるために働いて、そのお金で飯を食うだけの生活が、僕らの中ではあたりまえのサイクルだ。
その人の生き方に嫌気が刺す時があるのも事実だろう。何故人は生きなければならないのか。自殺はいけない事なのか。
自らの意思を断つ為には何をすれば良いのか。自らの欲を満たす為に何をすればいいのか。
それらは全て自分の中にあるはずなのに、私達はすぐそれらを忘れてしまう。
自虐的発想も、ストレスで味がわからなくなる味覚も、全てが自分の思いをねじり曲げている気がして、今日も飯を美味いと思わなかった。
食に感心が無いとか、生きるための行為だとか、そういった真実をつきつけられようが、私はそのとおりだとしか言えない。
むしゃくしゃした時に思い描いた自分の顔と、楽しくてもっともっとその時を過ごしたいと思った時の顔は、どちらが本当の自分の顔なのだろうか。
稀にそんな事が頭から離れなくなって辛くなる。
鏡に映る自分の顔が、本当の僕の顔なのかさえ疑問に思えてしまう。
自分の顔は見ないほうが良いなんて、誰が最初に言った言葉なんだろうか。