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窓口係は世界最強 作者:kimimaro
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第二十話 朝のひと時

「ふあぁ……」

 正式に特窓の一員となった翌朝。
 入学式を迎えた学生よろしく、何となくそわそわして落ち着かなかった俺は、いつもよりもだいぶ早く目が覚めてしまった。
 ベッドから起き上がると、そのままゆっくりと窓の外を見やる。
 空は紺色に染まっていて、太陽もまだ昇ってはいなかった。
 時計を見れば、時刻はまだ五時。
 ギルドの早番は朝七時からなので、いろいろ支度する時間を含めてもざっと一時間は余裕がある。

「もう一度寝るか……うーん」

 スプリングの効いたマットレスの上で、身体を揺らしながら唸る。
 二度寝は最高の贅沢だが、中途半端に眠ると逆につらい。
 睡眠時間はもう十分に取れているから、ここで起きてしまうのも手か。
 五分ほど悩んだ挙句、俺はゆっくりと身を起こす。

「ま、たまには早起きもいいか」

 大きく伸びをしながら、体をよじる。
 たちまち、一人暮らしにはいささかもったいない豪奢な内装が目に飛び込んできた。
 花をモチーフとした精緻な模様が描かれた檜皮色の壁紙。
 光沢のある黒檀の調度品。
 ベッドには天蓋がついていて、天井からはシャンデリアまで釣り下がっている。
 広さはざっと十五畳ほどで、大きなベッドを置いていてもかなりゆとりがある。
 どこぞのお貴族様の部屋のようだ。
 ……まあ、俺も一応は貴族の端くれだし、ここはもともと公爵家の別邸だったわけだけれども。

「……フィシックさんのとこで慣れといて、ホント良かった」

 ここと負けないぐらい豪華なフィシック家のお屋敷を思い出しつつ、洗濯ものをまとめる。
 基本的に、洗濯ものは洗い場に出して置きさえすればスズカさんたちが洗っておいてくれる。
 だが、昨日の一件があるので今日のところは自分で洗おう。
 もともと、男の俺が美少女に洗濯物を洗わせているということ自体……ちょっと変だったのだ。

「さてと……」
「あ、ラルフさん! おはようございます!」

 廊下に出ると、ばったりヘレナと出会った。
 早朝だというのに、笑顔いっぱい元気いっぱいである。
 明るく輝く栗色の瞳に、心がほんわかと癒される。

「おはよ。ヘレナも早いね」
「はい! 教会に居た頃から、ずっとこの時間に起きてますッ!」
「そうなんだ。教会とか、朝は早そうだからなあ……」
「慣れれば楽ですよ。何より朝のお祈りは気持ちがいいのです。おお、神よ! 今日も無事に朝を迎えられましたことを――」

 天を仰ぎ、『お祈りモード』に突入するヘレナ。
 一旦これに入ると、しばらくは現世に戻ってこないんだよなあ……。
 軽く頭を下げると、彼女の脇をそっと抜けて洗い場へと向かう。
 下手に話しかけたりすると、事態がもつれて三倍ぐらいややこしくなってしまうからな。
 そっとしておくのが一番だ。

 こうして一階の洗い場につくと、洗濯機の中に洗い物を放り込む。
 洗濯機と言っても、日本のもののように機械式ではない。
 形は日本の二層式とほぼ同じだが、水槽の横に小さなハンドルがついていて、それをぐるぐると回して水流を起こす形式になってる。
 ギアが組み込まれているおかげでハンドルはかなり軽く回るが、それでもなかなかの重労働。
 十分ほどかけて洗濯が終わるころには、額に汗が浮いていた。

「ふう……。結構、腕に来たな」

 中庭に出て洗濯ものを干そうとすると、シャルリアの姿が見えた。
 細身のサーベルを手にした彼女は「せいッ!」と気迫のこもった声を上げながら、素振りをしている。
 全身から立ち上る青い焔。
 眩いほどに鮮やかな色彩が、はっきりと目に映った。
 幽気が高まり、サーベルに集中している。
 青光りする刃が振るわれるたび、芝生の先が斬れては飛んだ。

「おはよう!」
「お、珍しいじゃない! ラルフがこんな時間に起きるなんて」
「いつもギリギリで悪かったな」

 基本的に、俺が起きるのは朝食が始まる五分前である。
 こんな早い時間から俺の顔を見るなんて、シャルリアからしてみたらは○れメタルと出会ったようなものだろう。
 彼女はいぶかしげな顔をすると、グイッと身を乗り出してこちらを覗き込んでくる。

「あんた、何か悪い物でも食べた?」
「そんなわけないだろ。俺だって、たまには早起きするさ。というか、ちょっと前までは毎日これぐらいに起きてたし」
「へえ……寝起きの悪いラルフがねえ……」
「まあ修業してたからな、あの頃は」

 グオンさんとの修業の日々を思い出しながら、言う。
 あの頃はいろいろときつかったけど、何だかんだで楽しかった。
 日に日に自分が強くなっていくのが分かったし。
 懐かしい思い出に、自然と眼元が緩んでしまう。
 するとシャルリアは、目を丸くして心底意外そうな顔をした。

「ラルフが修業? そういえば、幽気を使わなくても結構強いって言ってたけど……あんまりイメージと合わないわね」
「これでも、Aランクの冒険者にみっちりしごかれてたんだぜ?」
「へえ、Aランクか……。名前は? 名前は何っていうの、その冒険者さん」
「グオンさんって言うよ」
「グオン! 聞いたことあるわ!」

 興奮した様子で、ポンッと手を叩いたシャルリア。
 グオンさん、意外と有名人だったのか。
 年齢的に、シャルリアが受付嬢になったのは間違いなく彼が冒険者をやめてからだというのに。
 いったいどこで知ったんだろう。

「知ってるのか?」
「ええ。かつて剣聖と言われていた冒険者よ! でも、Sランク昇格間際に怪我を負ってね。それが原因で引退して、どこかの商人の護衛に収まったって話だけど……あんたの知り合いだったんだ!」
「まあな。しかし、あのルックスで剣聖かぁ……。確かにまあ、強いっちゃ強かったけど」

 確かに、グオンさんは剣の名手であった。
 だけど、剣聖って言うのはちょっと……違うよなぁ。
 字面から感じられる爽やかな雰囲気と、暑苦しいマッチョマンが互いに互いを打ち消し合う。
 気を扱う性質上、ムキムキになるってのは分かるんだけどさ。

「剣の腕だけなら、今の私より上でしょうね。さすがに、幽気を使えば圧倒できるけど」
「幽気はチートだからな。あんなの使われたら誰にも勝てないさ」

 ざっと、気の数十倍の威力だからな。
 拳銃を持てば、一般人でも達人を倒せるのと同じだ。
 いや、それ以上かもしれない。
 あまりにも反則過ぎる。

「チート? なにそれ?」
「えっと、めちゃくちゃ反則って意味」
「ふうん。でも、ラルフが剣聖の弟子っていうならぜひ訓練に付き合ってほしいものだわ。最近、マンネリ化しちゃってて」

 首をゴキゴキと鳴らしながら、少々くたびれたような態度を見せるシャルリア。
 一人きりの修業と言うのは、得てして行き詰まりがちである。
 特にシャルリアは、幽気という人にはない大きな特長を持っている。
 秘密を守る上からも、独学での修行になってしまいがちだ。
 同じ特窓のメンバーを参考にしようにも、使っている武器がそれぞれ異なっているし。

「分かった。じゃあ、もう一度素振りをしてみてくれないか? しっかりと『見る』から」
「ええ、了解」

 正眼の構えをとると、流れるようなフォームでサーベルを振り下ろすシャルリア。
 足の踏み込み、背中の曲がり具合、刃の止まり方――。
 彼女の一挙手一投足と、その気の流れを瞬きすら止めて丹念に見る。
 全身を巡る大きな力の流れが、怖いほどによくわかった。
 さながら血液だ。
 全身の細胞の隅々にまで、気がトクトクと脈打ちながら行き渡っているのが、はっきり見て取れる。
 どうやら幽気に覚醒して以降、俺の眼の力もさらにパワーアップしたようだった。

「少し、身体が前のめりになってるな。剣を振り下ろした瞬間、ほんの少しだけど背筋が曲がってる。うーん。ちょっと、剣先に意識が行き過ぎているのかもしれないな」
「そう? じゃあ、こんな感じにすればいい?」

 軽く胸を反らせるシャルリア。
 方向性は間違ってはいないんだろうけど……少しやりすぎだ。
 これだと、今度は背中が反って剣に力が入らない。

「もうちょっと、前のめりだな」
「え? 前のめりはダメって言ったじゃない」
「確かにそう言ったけど、今度はやりすぎなんだよ」
「よくわかんないわね! ちょっと手で押さえてみてよ」

 シャルリアに促されるまま、彼女の体に手を添える。
 背中を軽く押して、腰の角度を調整しようとした。
 だがここで――芝生が滑ってしまう。

「おわッ!」
「きゃッ!」

 バランスを崩すと、そのまま地面へとダイブ。
 ボフッと鈍い音がして、柔らかな芝生と暖かな何かが俺の体を優しく包んだ。
 おかげで痛くはない。
 むしろ、なんだか顔が気持ちいい。
 柔らかく、とろける様な何かに頬っぺたがつつまれている。
 しっとりとした重量感が、たまらなく病みつきになりそうだ。

「まさか……」

 恐る恐る顔を上げると、シャルリアの真っ赤な顔が視界を埋めた。
 ただでさえキツイ印象の目が、グッと吊り上がっている。
 眉間には血管が浮かび上がって、ぴくぴくと脈打っていた。
 これは、ヤバい。
 動物的な本能が、全力で警鐘を鳴らす。
 危機回避レーダーはレッドゾーンを振り切れていた。

「はは、ごめん。では、さらばだシャルリア君!」
「待て! 何かっこつけてんのよ!」

 逃げ出す俺と追いかけるシャルリア。
 こうして早朝の寮で、いつ終わるともしれない追いかけっこが始まったのだった――。



「イタタァ……シャルリアの奴、容赦なさすぎる……」

 それから数時間後。
 俺はカウンターに前のめりになりながら、後頭部を手で抑えていた。
 ぷにぷにとした巨大なたんこぶの感触が、何とも気持ち悪い。
 自然とテンションが下がって、顔色も悪くなる。
 その様子を、隣のヘレナが心配そうにのぞき込んできた。
 うん、相変わらずいい子だ。

「災難でしたねえ……」
「まったくだよ。おかげで、出勤がちょっと遅れたし」

 軽く恨みごとを言いながらシャルリアの方を見ると、彼女はスウッと視線を逸らしてしまった。
 やりすぎたという自覚が無いわけではないらしい。
 カウンターの上に置かれた手が、そわそわと動いている。

「まあでも、黄昏が護衛クエストに出た後で良かったですよ。今日はだいぶ暇です」
「そうだな。土龍の一件で激増した仕事の量も、順調に減って来てるし」
「逆に、それが不気味ね。あれだけのことが起きた後だし、嵐の前の静けさかも」

 やたら低い声を出すミラ。
 その脅かすような口調に、たちまちヘレナが震えあがる。

「へ、変なこと言わないでくださいよ! 今平和なのは、私たちの日ごろの努力のおかげなのです!」
「そうかしらね?」
「むむ……!」
「まあまあ、落ち着いて。現に依頼書だって、特に緊急を要するものは……ん?」

 ほとんどの依頼書が無くなり、貼られている布が丸見えとなったクエストボード。
 その中央に、ぽつんと一枚だけ依頼書が取り残されていた。
 緑の中に浮かんだ白が、異様に目立っている。

「一枚だけ残ってるね」
「あれですか? そういえば、一週間ぐらい前からありますね」
「えっと、煙霧草の採取クエストか。場所はグラッグ山脈で、報酬も……普通。悪くはないな」

 煙霧草というのは、薬の材料となる貴重な植物である。
 その効用は極めて高く、外傷であればほとんどなんでも治ると言われるほどだ。
 だがその生息環境はごく限られている。
 常に霧の中で、しかも高度千五百メートル以上の高地と言うのがその条件だ。
 このことから、実質的にグラッグ山脈固有の植物とされている。

「あの一件の後だからね。グラッグと言うだけで、避けたい冒険者が多いんだと思うわ。実際、緊急クエストも人を集めるのに苦労した」
「そういえば、変な魔物が出るっていう噂も一時期ありましたね」
「そうなのか? それはちょっとヤバいような……」
「もちろん、すぐにギルドから調査依頼は出したわ。けど、特に何も見つかってない。まあ、こういうことはありがちだし、気にすることはないわ。冒険者って、良くも悪くも敏感な人種だから」

 そういうと、書類を手に仕事へ戻るミラさん。
 俺もまた、たまっていた書類の処理を始めたのだった――。
いよいよ二十話突破です!
物語はまだまだ序盤ですので、これからもよろしくお願いします!
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