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第二十四話 グラッグ山脈
ロマニウムからグラッグ山脈までは、フレースヴェルグ号で約三時間のフライトである。
本来ならば二時間ほどでつけるのだが、処女飛行と言うこともあって速度をやや抑えていた。
それでも、モービルなどを使うよりはずっと早い。
グラッグ山脈へはろくに道が整備されていないので、地上を行けば二日はかかったはずだ。
「綺麗なものね……」
「ほわ、雲がぜーんぶ下にありますよ!」
高度一万メートルを行くフレースヴェルグ。
眼下には、月明かりに照らされた白い大雲海が広がっていた。
風は弱く、周囲には音もない。
静かで神秘的、そして何より美しい光景であった。
大きな月が、俺たちを見守るように微笑んでいる。
「あと一時間ほどで到着です」
計器を見ていたスズカさんが、落ち着いた口調で告げる。
それを聞いていたリューネさんの喉が、コクンッと動いた。
静かな船内に、息をのむ音が響く。
緊張感が満ち満ちてきた。
「あともう少しか。それにしても、やけに静かやな」
「嵐の前の静けさってところかしら?」
「それぐらいならええんやけどな。どうにも、嫌な予感がする」
リューネさんがそういうと同時に、外を見る。
紺色の空はどこまでも透き通っていて、穏やかだ。
だが、その果てにポツリポツリと紅い点のようなものが見える。
雲の峰々をすり抜けるようにして飛ぶそれは、暗闇の中でも目立っていた。
「何か、近づいてきませんか?」
「私には、良く見えませんね……」
「アイベルさん、望遠カメラを!」
「わかりました!」
ミラの言葉に従い、アイベルさんがレバーを操作する。
たちまち、正面のガラスに映像が映し出された。
紅い翼を広げた、オオトカゲのようなものが宙を飛んでいる。
ワイバーンだ。
龍種ではなく、それよりずっと下級の亜龍に分類される魔物だが、それでも凶悪な連中だ。
集団でやってくれば、町ひとつつぶれると言われている。
「なッ! さっそく、予感が当たってもうたで!」
「ど、どうしましょう!? ワイバーンと言えば、飛行船の天敵ですよ! か、神よ!? 私たち哀れなる子羊を――」
「騒がないで。フレースヴェルグをただの飛行船と一緒にしてもらっては困るわ!」
自信ありげに言うと、ミラは船室の最前部へと移動した。
そしてスズカと操縦を代わると、自ら操縦桿を握る。
「こうなったら全力であの群れを突っ切るわ。みんな、近くの物につかまって」
「ちょ、ちょっと! ぶつかったらどうするのよ!」
「ワイバーンだってばかじゃないわ。これだけの質量のものが急速接近してきたら、襲うよりも先に避けるはずよ。スピードならこっちの方が上だから、それで振り切れる」
「ワイバーンが避けきれなかったら!?」
「船の装甲と科学室の技術力を信頼して」
「そんなめっちゃくちゃ――わッ!」
襲いくる加速度。
シャルリアは言葉を言い終わらないうちに、バランスを崩して倒れそうになった。
俺たちは近くにあった柱につかまると、懸命に足を踏ん張る。
「メイン推進、80%まで出力上昇」
「速度、二百リーグに到達!」
「敵影前方に確認。あと、二十秒で会敵」
「あ、あかんッ!!」
ワイバーンの口が開いた。
すれ違いざまに、火球をぶつけてくるつもりのようだ。
夜空に現れる紅い光。
熱く滾り、尋常でないエネルギーを伝えてくるそれに思わず息をのむ。
だが、操縦席に座ったミラはいたって冷静に作業を進めた。
船のスピードが、さらに上昇していく。
「速度、二百三十リーグに到達! 最大船速です!」
「こうなったら一気に突き抜けるわ。揺れに注意!」
ワイバーンの群れが、一気にこちらに迫ってくる。
刹那、放たれる無数の火球。
その隙間を縫うようにして、フレースヴェルグ号は空を駆け抜けていく。
「のわッ!!」
「ひィッ!!」
「耐えるんや!」
火球の一つが、船体にぶつかった。
雷が直撃したような、耳を貫く爆音。
それに伴って、船全体が激しく揺れる。
この飛行船を浮かせているのは、水素ではなく不燃性のこの世界特有のガスだ。
しかしながら、もし気嚢に穴が開けばひとたまりもない。
背筋が冷えて、ぞわりとした。
だが、船は墜落することなく弾丸飛行を続ける。
「よし、振り切ったわ!」
「やれやれ、死ぬかと思ったわ……」
「アダマナイトコーティングのおかげね。火球が当たってもびくともしてないわ」
自身も建造に携わっているせいか、誇らしげな口調で言うミラ。
だが、こっちはそれどころじゃない。
無茶な飛行のせいで、足元がフラッフラだ。
三半規管がやられてしまっている。
「おうぇ……ちょ、ちょっとヤバいかもしれへん」
「私も、ダメそう……」
蒼い顔をして、船室奥の扉へと消えていくリューネさんとシャルリア。
あっちには、洗面所があったはずだ
この後彼女たちが何をしたのかは、想像しない方がいいだろう。
本人たちの名誉を守るためにも。
俺の吐き気的な問題でも!
「……ん? あれかしら?」
操縦を再びスズカに代わってもらったミラが、ふと声を上げる。
窓を覗き込めば、視界の彼方に雲とは異なる白さが見えてきた。
月明かりを強く反射するそれは降り積もった雪のようだ。
このあたりで雪をかぶった山と言えば、グラッグ山脈しかない。
いよいよ、目的地が近づいてきた。
「あれ、変じゃないですか?」
「何が?」
「グラッグと言えば、魔霧の山脈と言われている場所ですよ」
俺の言葉に、みんな揃って石化した。
彼女たちは慌てて前を見ると、遥か彼方に見える山脈の姿を戸惑ったように『見る』。
本来ならば、見えてはいけないはずのそれを。
「そういえば、変ね。霧がまったく無いなんて」
「たまたま、天気がいいんじゃないですか?」
「それはない。魔霧の山脈が晴れるのは百年に一度と言われているわ。今日がたまたまそんな日だって、思えないわよ」
ミラの言葉に、さすがのヘレナもうーんと唸り始めた。
そうしていると、洗面所からリューネさんとシャルリアが戻ってくる。
「危うく、ゲロインになるところやった……」
「そもそも、ヒロインじゃないでしょう。あなたは」
「失礼な! まだまだヒロインの素質はたっぷりやで!」
キラキラっと目を輝かせ、若いことをアピールするリューネさん。
そんな彼女を、シャルリアがさっと制する。
「はいはい、マスターもそれぐらいで。それで、何かあったの? みんな妙に深刻な顔をしてるけど」
「グラッグ山脈の霧が、きれいさっぱり晴れてるんだよ」
「な、なんやて! そりゃヤバい、あの霧は聖地を守るための重要な結界――あッ!」
しまったという顔をするリューネさん。
ミラさんは怪訝な顔をすると、すぐさま彼女に詰め寄る。
「聖地って何のこと? フレースヴェルグの完成を急がせてまで向かってるんだから、相当重要なものよね?」
「マスター、もしかして私たちに何か重要なことを隠してるの?」
「嘘はいけません。神様がお怒りになります!」
「俺も、なんだかわからないもののためには戦いたくないな」
スクラムを組むようにして、四人揃ってリューネさんへと詰め寄る俺たち。
たちまち、顔色が蒼くなった。
乾いた笑みを浮かべた彼女は、まあまあと手を振る。
いつもの落ち着きは、ほとんどなくなっていた。
「こ、これはその……高度に政治的な秘密とかもあってやな……。絶対に、みんなを裏切っとったりはせえへんから! 安心してや! な?」
「全部教えてくださいよ! お願いします! 私たちの間じゃないですか! 水臭いです!」
純粋さのなせる業か、一切の遠慮なく聞き出そうとするヘレナ。
ブンブンと容赦なく肩をゆすられて、リューネさんはたちまちヘロヘロになってしまう。
飛行船酔いが再来したのか、時折口を押える彼女の表情はかなり苦しそうだ。
「お、落ち着きや! わかった、わかったから! これ以上やられたら吐いてまう!」
「じゃあ、お願いします」
「実はそのやな――うおッ!!」
「な、なんだ!?」
光が煌めいたと思った途端、船体が大揺れした。
堪え切れず、その場に膝をつく俺たち。
その耳に、アイベルさんの叫びが響く。
「山頂付近より怪光線ッ!! 不時着しますッ!」
バランスを大きく崩しながら、一直線に山へと向かうフレースヴェルグ。
やがてその船体は、雪の大地に着地したのだった――。
ゲロイン化の危機をぎりぎりで回避したリューネさん。
彼女がヒロインになれる可能性は、まだ残っているのか……!?
次回以降、話が大きく動き出しますのでご期待ください。
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