記者の途中下車 風景が広がって見えた

27年間籍を置いた読売新聞を離れた。記者であり続けるためには真実を語ること、そして、自分を偽らないこと。

社内報からも削除された最後のメッセージ

2015-08-02 13:42:50 | 日記
読売新聞が毎月発行している社内広報誌には、退職者を紹介する「ご苦労さまでした」の欄がある。顔写真入りで経歴が記され、記者職であればひと言も掲載される。私も12字×30行の指定で「思い出話や社員へのメッセージ」と原稿依頼を受けたので出稿した。

表記の細かい修正に関するやり取りをして完成させたが、先日、届いた広報誌には私の原稿がすっぽり抜け落ちていた。掲載不可であれば、その理由をきちんと説明するのが筋である。頼んでおいて、それを無断で一方的に反故にするのは、著しく社会常識に反している。新聞社の事なかれ主義は極みに達している。これでは世界最大発行部数を標榜する大新聞社の名折れである。

以下、私が送った社内報に送ったメッセージである。

中国駐在は10年間に及んだ。この間、常に我が身、日本社会のあり方を考えてきた。中国は一党独裁国家で言論の自由がなく、思想も統制されている、と多くの人は知識として知っている。私も赴任前はそうだった。だがそうした国情の中で、想像を絶する犠牲を払いながら自由を勝ち取ろうとする人たちがいることを知った。困難を乗り越え、辛い体験と深い思索に支えられた独自の思想を追求する高邁な人格にも出会った。
そこで自問してみる。「民主国家」の一員であるはずの日本が、果たして民主主義を大切に育て、その成果を享受していると言えるのだろうか。みなが押し黙って、時流に流されることに慣れてしまってはいないか。内向きの発想に閉じ籠もり、台頭する隣国から目をそらそうとしてはいないか。引き続き中国をそして日中を、日本を見続けてゆきたい。(了)

もし掲載拒否が、私のメッセージに対する拒否だとしたら、極めて憂慮すべき事態である。その拒否自体が言論の自由によって立つ報道機関の自殺行為だからである。感謝状として受けた言葉にウソのないことを願いたい。新聞社が危機的状況を迎えていることを自覚すべきである。私は外から、記者魂の復活を訴え続ける。




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1 コメント

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卒業おめでとうございます。 (加藤 隆)
2015-08-05 23:37:32
大切に育てた民主主義というバトンをしっかり渡したいと私も考えます。お名前が極めて似ているので、思わずコメントさせていただきました。
ますますのご活躍を!

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