
15年7月10日付・夕刊
(10−終)奇跡の復活「旭東」 たった1人、今20人
少年野球の地盤沈下。その理由は端的にいえば、従来のやり方が世の中に通用しなくなってしまったということだろう。
戦後からつい最近まで、野球は少年スポーツで独り勝ち状態だった。「入りたければどうぞ」という姿勢で通用してきたが、サッカーという大きな受け皿が現れ、そちらへ流れてしまったのだ。
筆者はサッカーの味方でも何でもない。むしろ、野球側の人間だ。だが、サッカーの子どもに寄り添う姿勢は素晴らしいと言わざるを得ない。理念を掲げ、戦略的に取り組み、野球の欠点を次々と改善していた。
高知新聞社は16年前、少年野球の「たたく、ののしる」の現実を連載で取り上げ批判した。さすがに体罰は消えたが、今でも罵声は飛び交う。子どもたちは誰のためにプレーをしているのかと悲しさを覚える。一方のサッカーは、小さいうちは勝負よりも面白さ。信じられないような指導者もたまにいるが、多くは遊びながら体を鍛える。しかも、親は手が掛からない。軍配が上がるのは当然だ。
それは全国でも同じらしい。ネットを見れば、あちこちで「野球少年が減った」と嘆いている。4月にあるメーカーが発表した新小学1年男子の「将来就きたい職業ランキング」の1位は17年連続「スポーツ選手」だが、内訳は「サッカー=65・5%」「野球=19・2%」と大差だ。
◇ ◇
このままだと、野球人口はあっという間に縮むだろう。気が重くなる中、明るい話題を見つけた。高知市の旭東スポーツ少年団の奇跡の復活劇だ。
旭東スポーツ少年団は創部45年前後。かつては年間で8大会を制覇したこともあるが、おととし夏の代替わりで6年生10人が卒団。残ったのは1年生の竹田陽太(ひなた)君(現3年)1人となった。チラシを配り、秋の地区運動会では陽太君がマイクを持って「僕と一緒にキャッチボールをしてください」と呼び掛けたが反応はなかった。
井本精一監督(60)とコーチ(56)と3人で週末に練習する日が半年間も続いた。潮目が変わったのは2014年5月。陽太君が連れてきた同級生2人とゴムボールで遊びの野球を始めてからだ。「僕も打たせて」と子どもが集まりだした。楽しそうな姿に、また子どもが寄ってきて7月には11人に。そして8月、野球部復活。本格的に練習を始めると輪が広がり、この5月で20人となった。
「おめでとう。どうやって集めたがで?」と監督仲間から聞かれるたびに、井本さんは答える。
「1人をてがいよったら、だんだん集まってきて。アイス(氷菓)の効果が絶大やったねえ」。遊びの野球の最中に、自腹で買ったアイスを毎回配ったのが好評で、「野球は楽しい。アイスが食べれる」と母親に無邪気に話す子もいたそうだ。
アイスだけで? にわかには信じがたいが、監督は譲らない。「アイスは効くで、本当やき。楽しかったら子どもが子どもを呼んでくる。こっちが『野球やらしちゃろう』なんて構えすぎたらいかんがよね。原点に戻ったのが良かったね」
野球の風景が校庭にあれば、子どもはいつかは寄ってくるはず―そう信じていたという。
◇ ◇
「楽しさ」。サッカーは常にそれを考える。野球は勝ちにこだわりすぎている。だが、激減したとはいえ、高知県内少年野球人口は約千人。スポーツの語源「遊び」に戻ればV字回復の潜在力は十分だ。問題は社会人も含めた野球界が一丸となれるかである。
【写真】復活。高知県小学生野球選手権に出場できた旭東スポーツ少年団(6月27日、高知市の春野総合運動公園) =おわり
|