いじめ問題は解決できるのか
■中川 いじめの問題は、なかなか解決とはいかないようですね。
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■義家 恥の文化の崩壊です。「欧米は罪の文化で、日本は恥の文化」と言われました。自分より弱い者をいじめるなんて、恥以外の何物でもありません。不良と呼ばれていた人間は、いかに強い者を倒すか、それが存在価値だったという面があります。いかに自分の学校の弱い奴を守ってやるか。他校の奴にカツアゲされたら、きっちりカタキを取ってきてやるとか。そんな当たり前のアイデンティティーがなくなりました。適切な例かどうか分かりませんが。
ストレス発散云々なんて言いますが、ストレスで弱い者をいじめるなんてこんな恥ずかしいことはありません。教育の崩壊以外の何物でもありません。
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■橋本 そもそもどうしてそういう精神の方向になってしまったのでしょうか。いじめは昔もありましたけど、例えば自殺者が出るような深刻な問題には発展しませんでしたよね。
■義家 やはりGHQの戦後の民主化で、なるべくしてなったと私は思います。学校教育の中で宗教教育は排除されました。修身等の共通の物差し、倫理観、道徳観が排除されました。多様な価値観と言えば格好は良いですが、未熟な子どもの多様な価値観は非常に危険です。特に、社会ルールとか倫理の部分にそれを持ち込むのはいけません。個性重視という大義名分のもと、放置してしまいました。そして、不幸な教育環境を長い時間をかけて作り上げてしまいました。
宗教教育や道徳教育、これらはもちろん家庭でやらなければなりませんが、共働きなどもあって学校に依存しなければならない部分がとても大きくなった。兄弟が多ければその中で規範が必要ですが、出生率が低くなり一人っ子が多くて家庭内における人間とのぶつかり合いがなくなってしまいました。
■中川 子ども達がいじめで追い込まれる、という現実がありますよね。これは学校内では是正は難しいですか。
■義家 いや、できると思います。ずっと私はやってきたつもりです。ダメなものはダメと大人がはっきりとした背中を見せれば未熟な子どもは言うことを聞きます。
私が教育再生会議で「悪質な子どもは出席停止」と言った時、教育界から大ブーイングが起こりました。「いじめている子どもも、教育を受ける権利がある。彼らを教室から締め出すのか」と。いじめて被害者を自殺させているのに、ですよ。人の命を奪うような行動をして、教育を受ける権利も何もないでしょう。黒板と机の前で教えるより、叩き込んでやらないといけない責任が大人にはあるんです。
次に「いじめは被害者をなかなか特定できない」など理由が取ってつけたように出てきました。 「やったらダメなことはやったらダメ」とはっきりさせることで、いじめはだんだんと確実になくなっていきます。
その勇気がないのが一番問題です。いじめている方がクラスでは主流派です。担任の先生が主流派と激突するとホームルームの運営ができないのです。今の自民党みたいなものです。担任の先生は、結局いじめられた少数派、もしくは個人を切って、いじめる側におもねることを言ってしまいます。それでホームルームを成立させていきます。
私はよく主流派とぶつかりました。そうすると席替え一つできません。しかし、そこで一歩でも引いたら、もう教師じゃありません。そこで真剣にぶつかったら、正論を言う大人が勝つに決まっています。そのためには、先生は1週間地獄を見なければなりません。朝行くと無視されます。出席を取っても黙っています。何を言っても無視されますので、こちらもめげてきます。しかし、正論を貫き、闘う気構えを見せると、最後は泣きながら謝ってきます。そこで初めて、良いことと悪いことのルールがクラス共通のものとなります。
担任が引いたら、場合によっては、「いじめはいいのだ」となってしまいます。
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■中川 私の中学時代は男子校でしたが、クラスの悪ガキを中心に皆いつもふざけていて、ちょっと小さくて可愛い同級生を全部脱がして、着ていた服を教室の窓から投げるようなことをよくやっていました。脱がされた子は素っ裸で走って服を取りに行くんです。
当時、テレビでベンケーシーという外科医のドラマがはやっていました。ベンケーシーごっこと称して、同級生を脱がして、皆でお腹やおちんちんに赤いマジックで落書きしたりしました。やられた方は怒っていましたが、回りはこれをいじめだと思っていませんでしたね。今なら完全ないじめになり、ノイローゼになったりするケースもあるのかなあと思います。いじめられている方も弱くなっているという側面はありませんか。
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■橋本 いや、今のいじめはもっと陰湿だと思いますよ。いくつかの実例を私も知っていますが。
■義家 その通りです。「死ね死ね死ね…」と100回も来たメールを生徒に見せられたことがありますが、背筋が寒くなりました。しかも相手が特定できません。あまりにも陰湿なのです。教育がここまで来ちゃったのか、という感じです。
いじめられた子どもは、良い子ほど親には言えません。心配をかけたくないと最後まで我慢します。
■中川 先生達のふんばりを是非とも期待したいですね。
■義家 ちょうど昨日、息子を幼稚園に迎えに行った時、すぐ近くの中学校の卒業生らしき子どもが、何人かでオートバイを乗り回していました。まあそれは良いとして、学校から出て来る生徒にタバコの煙を吹きかけているのです。すぐ私は車を降り、バイクの子ども達を怒鳴りつけました。すると先生が出てきました。その先生は卒業生に笑って対応しているのです。私は先生にも怒りました。
「笑って話すのは良いが、どこか喫茶店でも行ってやってくれ。一般の生徒が威嚇されているのに、それをノーと言えないあなたは何なのだ。」
結局媚びた教育、親も媚び、地域も媚び、先生も媚びていたら、まともな子どもは育ちません。ガチンコで向かっていく先生が減って、媚びて評価ばかり気にする先生が一般化したというのが現実に近いと思います。
■中川 いじめ撲滅には、何が最適ですか。
■義家 罰則です。「こういうことをしたらこうなる」という明確な罰が必要です。良くないことを一つ認めてしまったら、何でもアリになってしまいます。私は道徳を教科化すべきだと言っていますが、道徳とは約束です。やって良いことと悪いことをきちんと区別して、もしやってしまったらこういう責任を果たさなければならないとはっきり決めることが必要です。それを曖昧にしてきた教育界の責任は重大です。
例えば、道徳なき性教育は、子ども達にセックスを教えているだけです。道徳なき経済教育は、儲かれば何をやっても良いと考える子ども達を育てているだけです。道徳なき情報教育は、子ども達に有害情報を与えるだけです。
今の教育は道徳を抜いて、知識だけを与えているのではないでしょうか。
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