阪神の名内野手だった白坂長栄(しらさか・ちょうえい)氏が、7月8日に病気のため西宮市内で亡くなっていたことが14日、分かった。92歳。阪神では初めての岩手県出身の選手で、1948年(昭23)7月28日にチームが盛岡遠征していた若林忠志監督から勧誘を受けて「大阪タイガース」に入団。レギュラーに定着した50年には2割5分4厘、18本塁打、72打点をマーク。
「今牛若丸」と称された吉田義男氏(元阪神監督、日刊スポーツ客員評論家)が阪神入りする52年までは遊撃手だったが、53年以降は二塁に回った。二塁白坂、遊撃吉田の鉄壁の二遊間だった。訃報を聞いた吉田氏も「プロ入りしたばかりの私を支えていただいた恩人の1人。残念です」と話した。通夜、告別式はすでに家族葬で執り行われた。