元朝鮮人軍属「アジアの戦場に慰安婦がいない所はなかった」

元朝鮮人軍属の生前の証言
犠牲者遺族会が映像を公開

 従軍慰安婦の強制動員を公式に認めた河野談話の発表22周年を翌日に控えた3日、旧日本軍の軍属として太平洋戦争に参戦し、戦場で慰安婦を目撃していた韓国人の生前の証言映像が公開された。

 太平洋戦争犠牲者遺族会は3日、1940年代初めに強制徴用を避けるため軍属として入隊し、インドネシアで捕虜監視員などとして働いていた故ソン・ボクソプさん(1916年生まれ)=写真=の生前のインタビュー映像を一部公開した。遺族会は91年から94年にかけて計4回にわたりソンさんのインタビュー映像を撮影しており、今回公開されたのは、92年に撮影された36分間の映像。

 映像の中でソンさんは「戦争当時、パレンバンにいた従軍慰安婦らは『第一明月館』と『第二明月館』の2カ所に分けられていた。シンガポールとスマトラで、朝鮮人慰安婦がいない場所はなかった」と証言した。ソンさんによると、当時の明月館の利用料金は50銭で、明月館の門前には「一発で50銭」という案内文があった。ソンさんは「明月館は大邱出身の兄弟が管理していた。日本が負けた後、この兄弟は朝鮮人会にも加入できず、なぐられていたと聞いた」と語った。45年の終戦後、スマトラ島パレンバン地域で立ち上げられた朝鮮人自治組織「朝鮮人会」で監察役を務めたソンさんは、当時朝鮮人会に加入していた元慰安婦61人のリストを含む自筆のメモを公開した。

 80年代から戦争の犠牲者や遺族の証言を聴取してきた遺族会は昨年9月、元慰安婦2人の証言映像を公開し、日本政府の過去史反省と補償を求めてきた。太平洋戦争犠牲者遺族会のヤン・スンイム会長は「日本が過去の蛮行について反省もなく歴史を歪曲(わいきょく)し続けるのなら、およそ40人の元慰安婦の証言映像を追加で公開し、関連映像・録取記録などに基づいて白書を作り、国際社会に訴える」と語った。

 遺族会は4日午前、忠清南道天安にある「望郷の丘」で、被害証言により河野談話を引き出した元慰安婦のための慰霊祭を執り行う予定だ。

イ・オクチン記者
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