朝鮮学校の無償化除外について、これを「差別である」とするニュースと「差別ではない」とするニュースを両方見かけます。
これについて、どちらなんだろう? と疑問をもち、スレッドを立てました。
まず、差別というものの定義をあらかじめ明確にしておきます。これを明確にしておかないと、
人によっては「それは差別」「そんなことくらい差別ではない」と議論がよけいに紛糾するので、ここでは以下の定義を採用することとします。
差別というものの定義を「根拠のない区別」とし、例えば「能力に差はないが、朝鮮人だから就職面接において採用しない」というようなことを差別とします。
「この仕事は重い荷物を短時間で大量に運ばなければならない。その為体力的な基準を設けている。
例えば握力は60kg以上の人間しか採用できない」というような合理的な理由に基づき、握力60kg以下の人間を不採用とする・・・というような事柄は差別ではないと考えています。
「受付業務だからお客様に“好感”を持っていただく必要がある。そのため、接客応対に差異が無ければ、
“かわいい”“綺麗”な女性を優先的に採用する。無論、幾ら綺麗でも接客応対に問題があれば採用しない」
これも、数値化できる基準ではありませんが、差別ではないとします。
まあおおむね差別の定義についてはわかっていただけることと思います。
さて、朝鮮学校の無償化除外について私は「差別ではない」と考えています。その根拠は以下の通りです。
まず「無償化除外は“教育の機会を奪うがゆえに”差別だ」という論がありますが、それは間違いです。
高校程度の教育を無償で受けたければ、単に日本の公立高校に入学すれば良いのです。
そこに朝鮮人だからという区別はありません。出身国がドイツでもアメリカでも韓国でも北朝鮮でも、
同じ基準で日本人と「完全に同じ」教育を無償で受けられます。
ゆえに教育の機会において差別があるとはいえません。
次に「民族教育を受ける権利がある。それが無償で受けられないのは差別だ」とする論もありますが、それも誤りです。
まず教育を受ける権利(及び義務)について、確かにそれは日本国憲法に保障されています。
しかし、その対象は「日本国民にだけ」その内容は「日本の文部科学省が認めた内容だけ」です。憲法をご確認ください。
第3章・国民の権利及び義務の部分に教育についての権利及び義務が書かれています。そこには在日朝鮮人を含むとは書かれていません。
当たり前です。日本国民以外の人間が、日本に住んでいるからといってどうして日本の教育を受けなければいけないのでしょう? そんなわけはありません。
次の例え話で考えてみましょう。
仮に産油国の大金持ちの王子様が日本で暮らしているとして、自国の倫理に則った教育を受けている(一夫多妻制や、軍備の保持から戦争の容認。王族についての身分制度等)としても、それは好きにすればいいのです。
しかし費用を日本が負担するいわれはありません。
同じように、「民族教育」なるものを教え、また学ぶのは朝鮮ルーツの人々の勝手ですが、そこに日本の費用負担を求めることは筋違いです。
もし、そこを押して日本に費用負担を求めるのであれば、「金正日・金日成の肖像画を外し、両者を讃える教育を行わないこと」等の基準を満たさなければならないでしょう。
現に、成立した法律の条文は「対象となる学校」について以下の通り定めています。
(2)対象となる学校
国公私立の高等学校、中等教育学校の後期課程、特別支援学校の高等部、高等専門学校の第一学年から第三学年、
専修学校・各種学校のうち高等学校に類する課程を置くものとして文部科学省令で定めるもの。
この最後の部分「各種学校のうち高等学校に類する課程を置くもの」…これが各種学校、すなわち朝鮮学校が無償化されるかどうかの基準です。
無償化対象とする学校に一定の基準を設けることは合理的な話であり、もし基準が無ければ…例えばテロを是とする教育を行う学校ですら、国家が無償で援助することにつながる法律ということになります。そんなバカな話はありません。
現在の法律は、理由と目的があって無償化する学校に一定の基準を設けているのです。例えばオウム真理教の内部で運営されていた学校が、どれほど高度な教育・または皆に必要な基本的な教育を行っていたとしても、テロを是とするような学校を無償化の対象とはしませんよ、という風に考えていただければわかりやすいでしょう。
上記をもって私は朝鮮学校の無償化除外は「差別ではない」とするものです。
しかしそうではないとする意見があれば、是非その根拠を知りたいのです。
これは余談ですが、実は朝鮮ルーツの人達に何度も会い、直接話を聞いてみたのですが、どうも「差別だから差別なんだ。そこは理屈じゃないんだ」という話しか聞けなかったものですから。ここの論理的な人々でしたら、なにがしかの根拠を教えていただけるのでは? と思うので。
どうもはじめまして、自分は文章をかくのが苦手なので多少の読みにくさがあるかもしれませんがご了承ねがいます
まず、教育を受ける権利について「日本国民」のみを対象とするということですが、
私はそれは現代の世界からみた日本としてふさわしくないと思います
たしかに日本の憲法にはそのように記されているかもしれませんが、それは憲法成立当時の時代性に束縛されていると考えます。
憲法成立からインターネットの開発、普及のすすんだ現代では国際的な常識として子供たちから教育の機会を奪うようなことを政府が公然と行って認められるわけ
がありません。将来の世界の財産である子供たち(インターネットの普及によって誰でも世界中の人間とコミュ二ケーションがとれるようになって世界に働きかけること
が可能になってきているためこう呼ばせてもらいます)を一国の判断で見捨ててもよいのでしょうか。
二つ目に学校教育を完全に日本人として受ければよいという意見について
彼ら朝鮮人に対しての日本人のマイナスイメージがつよすぎるということから日本社会がそれを許さないといっていいとおもいます朝鮮人のせいではありません。
華僑の人たちのように商売が強いわけでも人数が多いわけでもない彼らにとってはなおさらです。
さらにアイデンティティの問題もあります。
彼らにとって金正日、金日成は心の支えになっていたはずです。しかもそのこころで人生の大部分をかたちづくる幼少期、思春期をすごしてきたわけです。
そのかれらにたいして、どうして肖像画を外せといえるのでしょうか。精神の自由に反すると考えます。
以上が私の反論です。
以下に私個人の意見をのべさせてください。いやになったら削除してもらってかまいません。
私は日本という国はもう少し北朝鮮に対しての負い目というものを感じた方がよいとおもいます。
日本は本来は敗戦したときに複数の国家によって支配され、分割されるはずでした。しかし、アメリカが無理やりに日本を統一支配したのです。
その代償となったのがアジアでは朝鮮です。
日本の身代わりとなった国をここまでほとんど反省なく責めつづける日本がわたしは恥ずかしいです。
戦争特需で成長している日本はなおさら朝鮮の人たちに道をひらくベきだと思います。
>>2 ブルンジさん
>どうもはじめまして、自分は文章をかくのが苦手なので多少の読みにくさがあるかもしれませんがご了承ねがいます
>まず、教育を受ける権利について「日本国民」のみを対象とするということですが、
>私はそれは現代の世界からみた日本としてふさわしくないと思います
>たしかに日本の憲法にはそのように記されているかもしれませんが、それは憲法成立当時の時代性に束縛されていると考えます。
>憲法成立からインターネットの開発、普及のすすんだ現代では国際的な常識として子供たちから教育の機会を奪うようなことを政府が公然と行って認められるわけ
>がありません。将来の世界の財産である子供たち(インターネットの普及によって誰でも世界中の人間とコミュ二ケーションがとれるようになって世界に働きかけること
>が可能になってきているためこう呼ばせてもらいます)を一国の判断で見捨ててもよいのでしょうか。
>
自分がそう考えたくないという理由で前提を覆していますよね。
前提というのはこれは日本の問題なのだという事です。
つまり、プルンジさんはこれは日本の問題ではないが、日本が負担すべきだといっているわけですね。
日本が負担して欲しいという欲望しかないんですけど…。
>二つ目に学校教育を完全に日本人として受ければよいという意見について
>彼ら朝鮮人に対しての日本人のマイナスイメージがつよすぎるということから日本社会がそれを許さないといっていいとおもいます朝鮮人のせいではありません。
>華僑の人たちのように商売が強いわけでも人数が多いわけでもない彼らにとってはなおさらです。
>さらにアイデンティティの問題もあります。
>彼らにとって金正日、金日成は心の支えになっていたはずです。しかもそのこころで人生の大部分をかたちづくる幼少期、思春期をすごしてきたわけです。
>そのかれらにたいして、どうして肖像画を外せといえるのでしょうか。精神の自由に反すると考えます。
自分の国に保障してもらう権利は侵害していません。
その辺は北朝鮮に保証してもらってくださいな。
日本という国の権利や範囲を否定しながら、
北朝鮮という国の権利や範囲を主張していますよね。
それって、子供の駄々と一緒で欲望を垂れ流しているだけです。
>
>
>以上が私の反論です。
>以下に私個人の意見をのべさせてください。いやになったら削除してもらってかまいません。
>私は日本という国はもう少し北朝鮮に対しての負い目というものを感じた方がよいとおもいます。
>日本は本来は敗戦したときに複数の国家によって支配され、分割されるはずでした。しかし、アメリカが無理やりに日本を統一支配したのです。
>その代償となったのがアジアでは朝鮮です。
>
>日本の身代わりとなった国をここまでほとんど反省なく責めつづける日本がわたしは恥ずかしいです。
>戦争特需で成長している日本はなおさら朝鮮の人たちに道をひらくベきだと思います。
要約すると、北朝鮮は日本から搾取できるのが当然だという事ですよね。
そういうのは北朝鮮の中で主張してください。
私は国際的な面、歴史的な面からいって反対だということです。
「北朝鮮は日本から搾取できる」ということですが、教育において搾取はないでしょう。誰でも教育を受けることは許されるべきですから
また仮想北朝鮮のようないいようですが、私が擁護したいのは子供ですから国ではないです。
金正日らに対する尊敬する態度も彼ら自身から疑問視するようにもっていくべきです。
外からの圧力で規制するのは戦いを招きます。
どんなにゆがんだ教育をしたとしても一線を超せば刑法を適用できますし、また日本にいる時点で、北朝鮮至上主義の人々とは思えません。
だから、テロ思想のような危険はないとおもいます。
従って、彼らをの教育を否定する理由には不十分だと考えます。
とすれば、日本は国境のみを理由に朝鮮学校を否定しているといえるのではないでしょうか。
>>4 ブルンジさん
>とすれば、日本は国境のみを理由に朝鮮学校を否定しているといえるのではないでしょうか。
通常の日本人の学校が±0として
朝鮮学校だけが+10の状態から−10するのが「朝鮮学校を否定する」ということになるのでしょうか。
それとも「負い目」で+10するのが当然なのですか。
儒教は自分の中だけでやって欲しいですね。
くだらないです。
>通常の日本人の学校が±0として
>朝鮮学校だけが+10の状態から−10するのが「朝鮮学校を否定する」ということになるのでしょうか
どうして朝鮮学校だけが+10と言えるのでしょうか。
むしろ日本国内のマイナスイメージや風当たりのつよさを考慮すれば
それだけでもー10といえると思いますが
>>4 ブルンジさん
>私は国際的な面、歴史的な面からいって反対だということです。
>「北朝鮮は日本から搾取できる」ということですが、教育において搾取はないでしょう。誰でも教育を受けることは許されるべきですから
>また仮想北朝鮮のようないいようですが、私が擁護したいのは子供ですから国ではないです。
とりあえず、反対する理由の「国際的面、歴史的面」についての見解が違います。
これについては価値観や教育が違う事のようなので、結論は出ないでしょうね。
だがこの事の真偽は今回の話には関係がないですよ。
子供についての話として教育を語り、無償化すべきだと言うのなら、
世界中の子供に世界全体で教育費を捻出する話をすべきで、
日本が朝鮮学校に資金を出すべきという話にはなりません。
日本の子供のために日本が金を出す話をしているのですから、
朝鮮の子供に日本が金を出すという話にはなり得ません。
「日本が朝鮮学校の教育費の面ど負うを見るべきだ」
というのは、
プルンジさんは、日本を「国際的面、歴史的な面」と言う理由で差別している事になります。
プルンジさんが差別しているため、
プルンジさんの当然こうなるべきだという主張と違った行動…
ここでは朝鮮学校を無償化から除外する事は、
差別しているように見える訳です。
>金正日らに対する尊敬する態度も彼ら自身から疑問視するようにもっていくべきです。
>外からの圧力で規制するのは戦いを招きます。
>どんなにゆがんだ教育をしたとしても一線を超せば刑法を適用できますし、また日本にいる時点で、北朝鮮至上主義の人々とは思えません。
>だから、テロ思想のような危険はないとおもいます。
>従って、彼らをの教育を否定する理由には不十分だと考えます。
>とすれば、日本は国境のみを理由に朝鮮学校を否定しているといえるのではないでしょうか。
上記の理由から、日本政府に金を出させるのは間違いです。
国内の税金で外国の教育機関を運営する事こそ、日本国民に対する差別なんです。
>>2ブルンジさん、反論ありがとうございます。
今まで私が直接話した朝鮮ルーツの人達からは、まさにブルンジさんがされたような反論をされ、そこに疑問を感じたことからこのス
レッド立ち上げにつながっているので、非常にありがたいです。
また色々な視点から書き込みをしてくれた方々にも感謝いたします。おかげでずいぶん、考えがまとまってきました。
まず大事な点について明確にします。
ブルンジさんは、どうも「違う話をしている」と私は受け止めました。
その理由は以下の通りです。
私は自分の主張「差別ではない」をまず述べ、次にその根拠として憲法や、その他の情報を提示しました。
根拠がどうして主張を支えるのか? その考え方の筋道をも示しております。
しかしながらブルンジさんは、その私の主張に対してこのような書きだしをしております。
「教育を受ける権利について、日本国民のみを対象とすることは、世界から見た日本としてふさわしくない。
日本国憲法は成立時の時代性に束縛されている」
これは的外れな反論です。私は日本国憲法が現在の世の中に完璧にマッチしているかどうかなどと言う話はしていません。
私は、
『
朝鮮学校が無償化対象から外れることは、差別か? それとも否か?』
という話をしているのです。
そこが明確になって初めて『
憲法を変える必要があるのかどうか』という話に移るのであって、逆ではありません。
仮に、仮にもし差別が存在するとして(私はそれが存在しないとする立場ですが)、憲法を変えずには解決しないとするなら、それは憲法
を変えるべきでしょう。しかし今の話はそれではありません。
まずその前提となる『
朝鮮学校を無償化から除外することは差別?』という問題を考えようと言っているのです。
日本人には教育が保障されています。外国人には保障されていません。
その根拠を改めて明確にしましょう。
『
日本国憲法は、日本国民を対象として書かれているから』です。
そりゃそうです。誰が他国の国民までを自国の憲法のもとに支配しようと思いますか。そんなわけはありません。
それとも、あなたはそういう立場なのですか?
日本国憲法は、あまねくこの世に生を受けた全ての児童・民衆に恩恵を与え、義務を課し、全世界を支配するものなのですか?
そんなわけはないというのが私の考えですが、もしあなたが「その通り!」というのでしたら是非その根拠をお示しください。
徹底的に明確にするために繰り返します。
日本人と同等の教育を区別なく受けることが、朝鮮人であれ他の誰であれ、
『
論理的な根拠なくして妨げられている制度となっているか?』
を問うているのです。
もっとはっきり言いましょう。
『
日本人だから○○。朝鮮ルーツだから○○』
という制度上の差別があるのか無いのかを問うているのです。
そうして公立高校の無償化がなされ、そこに入学することが誰にも開放されているがゆえに、そこに制度上の差別は存在しない、こう主
張しているのです。
おそらくあなたは「朝鮮学校を無償化から外すことは差別である」とする立場なのでしょう。
それならそう主張した上で、その主張を支える根拠を示し、考え方の筋道を明らかにするべきです。
ただ根拠も示さず、考え方の筋道も見せず、
「それは差別なの! 差別だったら差別なの!!」
とは、マサカ言わないでしょう。(私がオフラインで直接話した人々は、そう主張し始めたわけですが)
どうか、あなたの主張されていることの『
根拠と論理的な考えの筋道』を見せてください。
そこに論理が通っていたら、私は喜んで自分の考えを変えましょう。
そうしておそらく、ここを読んでいる読者諸賢も、筋が通っている方に考え方を変えるでしょう。
無償化そのものに反対する。
教育権が保障されていることと無償化とは関係がない。
無償化は生活保護の問題である。
生活保護を受けるか否かの問題である。
それは生徒一人一人の問題である。
そうだとすれば朝鮮人でも生活保護を受けられるか否かの問題となる。
>>7 SASさん
>世界中の子供に世界全体で教育費を捻出する話をすべきで、
>日本が朝鮮学校に資金を出すべきという話にはなりません。
>日本の子供のために日本が金を出す話をしているのですから、
>朝鮮の子供に日本が金を出すという話にはなり得ません。
日本は既に外国人学校に資金提供しているので朝鮮学校の側から
自分たちも恩恵に預かるという気持ちがでるのが当然です。そして
恩恵は遍く平等であるべきです。特に教育においては。ですからいくら自国の子供を大切にするといっても
他国の学校と違う待遇をとるべきではありません。
>「日本が朝鮮学校の教育費の面ど負うを見るべきだ」
>というのは、
>プルンジさんは、日本を「国際的面、歴史的な面」と言う理由で差別している事になります。
>>
確かに、結論をみると差別していると受けとめられるかもしれません。しかし、「国際的面と歴史的面」
はいずれも正当な理由にはなるはずです。正当な理由がある場合には差別にはならないと思います。
>国内の税金で外国の教育機関を運営する事こそ、日本国民に対する差別なんです。
この論理を現実に応用するとなら、在日の様々な国の教育機関に対する資金提供も止めるべきです。
これではなぜ「朝鮮学校が」対象外なのかの理由にならないと思います。
>>10 ブルンジさん
>>「日本が朝鮮学校の教育費の面ど負うを見るべきだ」
>>というのは、
>>プルンジさんは、日本を「国際的面、歴史的な面」と言う理由で差別している事になります。
>確かに、結論をみると差別していると受けとめられるかもしれません。しかし、「国際的面と歴史的面」
>はいずれも正当な理由にはなるはずです。正当な理由がある場合には差別にはならないと思います。
ここの部分について私は同意しません。
「国際的面と歴史的面」はいずれも正当な理由にはなりません。
その理由について以下に根拠を示します。
「国際的面と歴史的面」とはどのようなものかをあなたは明確にしていません。
明確ではないことを理由に費用を負担するべきという論は、根拠が無い論と言えます。
「いや違う。私は明確にしている。それはこの部分だ。そうして根拠はこれだ。そうしてこのような考えの筋道で出た結論だ」
とおっしゃるのでしたら、その部分を明示し、根拠を示し、論理を見せてください。
>>8 elsewhereさん
>
>もっとはっきり言いましょう。
>『日本人だから○○。朝鮮ルーツだから○○』
>という制度上の差別があるのか無いのかを問うているのです。
>そうして公立高校の無償化がなされ、そこに入学することが誰にも開放されているがゆえに、そこに制度上の差別は存在しない、こう主
>張しているのです。
>
私はもちろん朝鮮学校を無償化から除外することに反対です。
そして、制度上、差別を可能にしてしまっていると考えます。
今回の無償化で差別がない状態というのは
(1)すべての学校を対象にする
(2)日本人のみを対象にする(憲法がさでめているのはあくまで日本人であり、これ以上対象を拡大することは憲法違反
であるという考えにおいて、つまり不可能な状況での平等)
ことです。(2)はいいとして、(1)は確かに制度上は「問題ナシ」ですが、あくまで制度上です。制度上の問題がないといっても
差別の危険性は残ります。
私が差別だと考えるのは憲法上、朝鮮学校も対象にすることが可能であったにも
かかわらず、朝鮮学校以外は対象に含みながら、朝鮮学校は対象外にしたからです。
>>11 elsewhereさん
国際的面→僕の>>12と内容が反復します。
つまり、国際社会に位置づけられた日本が、
教育の権利という国際的にみとめられた権利を憲法上可能だから
ということで一国のみ妨げたからです。
歴史的面→これは論理的な解説から逸脱してしまうことを認めます。
良心や負い目など、ここでは不適切な表現なしでは説明できないこと
から不必要だったと認めます。
ご指摘ありがとうござました。
>>1 elsewhereさん
差別かどうかは、無償化の建前上の目的として朝鮮学校を排除した筋の通るものが提出できるかどうか(誰からも提出されないならば、提出されるまでの間は暫定的に「差別」と扱う)で判断できると思います。(たとえば、「民主党への票を増やすこと」が目的では民主党にとってはメリットがあっても、国民にとってのメリットはあまり明確ではないという意味で、筋を通すためには更なる説明が必要です。)
なぜ高校が無償化なのかについては、「金銭の欠乏による教育を受ける機会の喪失をなくすことによって、高校生の年齢の児童が将来成人になり労働や納税によって国民にメリットを与えることが円滑にできるようにポテンシャルを上げる」という目的が考えられるかと思います。しかし、これを目的として据えるためには、「朝鮮学校で教育を受けたい生徒は、将来成人しても労働や納税によって国民にメリットを与えることが期待できない」あるいは「朝鮮学校の教育では、将来成人したときに労働や納税によって国民にメリットを与えるよう生徒のポテンシャルを上げることが期待できない」を主張しなければ、朝鮮学校を排除する理由にはなりません。しかし、それらの主張が成立する根拠はまだ誰からも提出されていないように思います。
だとしたら、高校の無償化として他にどのような目的が考えられるのでしょうか。
>>12 ブルンジさん
あなたは差別が無い状態について二つのポイントを挙げています。
そのうち、(2)日本人のみを対象とする・・・という点について、「日本は日本人にのみ教育を保障している」という私の主張が妥当
であることを認めていただいたと受け止めます。
すなわち、あなたが
>>2で主張した
>まず、教育を受ける権利について〜中略〜一国の判断で見捨ててもよいのでしょうか。
という論を取り下げたものと受け止めます。また同じ出発点から展開している全ての論を取り下げたものと受け止めます。
例えば
>>10に記載されている
>いくら自国の子供を大切にするといっても 他国の学校と違う待遇をとるべきではありません。
この論を取り下げると受け止めます。私なりに言い換えるならば、こうです。
「各国国民の教育については、日本国は国を超えた干渉をしない。それぞれの国の教育のありようを尊重する。しかし日本国は日本人
の教育についてはそれを義務化し、また権利と定め、その内容について決めている。例えば『
テロを肯定するような教育は認めない』
というものだ。さらに言うならば、外国人だからといっても、日本に住み、日本の教育を受けたいと望みさえすれば、日本人と完全に
同一の教育を日本人と同一の金銭的な条件で受けることができる制度を整えている。日本人と同じ教育を日本人と金銭的に同条件で受
けようとする時に、国籍で分ける条項は存在しない。すなわち『
そこに制度上の差別は無い』」
この点、私の論に同意し、了解していただいたと受け止めます。もし「違う。私はここに同意しない」という部分があれば、どうぞ指
摘して下さい。根拠を添えて。
次に(1)全ての学校を対象にする。
という点に移ります。
あなたはこの点が実現されなければ「差別が無い状態とは言えない」とし、書き込みの最下段で「朝鮮学校以外は対象に含みながら、
朝鮮学校は対象外にした」・・・だから、差別なんだと主張しています。
え〜・・・まさに私が求めていたようなスタイルの反論です。主張があり、根拠があり、考えの筋道も示されています。
こういうスタイルの論とは主張をやりとりできます。ありがとうございます。
さて、そこで私の反論を述べます。
あなたの情報にはまず誤りがあります。事実とは異なる点があるということです。その点を以下に示します。
あなたは「朝鮮学校以外は対象に含みながら、朝鮮学校は対象外にした」と書いています。普通に読むと、まるで他の学校は全て、
ひとつ残らず対象として認めながら、朝鮮学校だけを狙い撃ちで対象外にした・・・かのごとく読み取れます。だから差別であると主
張しているのだと受け止めました。が、これが間違いです。
事実ではありません。
では事実はどのようなものか? 対象とされる学校の選別基準は「朝鮮学校か否か?」でしょうか? いいえ、それは私の最初の書き
込みに記載されています。
(2)対象となる学校
国公私立の高等学校、中等教育学校の後期課程、特別支援学校の高等部、高等専門学校の第一学年から第三学年、
『
専修学校・各種学校のうち高等学校に類する課程を置くもの』として文部科学省令で定めるもの。
私はこれを文部科学省の公式ページから引っ張ってきました。興味のある方はご確認ください。
いくら日本の学校であっても、この『
専修学校・各種学校のうち高等学校に類する課程を置くもの』という基準に合致しなければ、無
償化の対象とはされません。もちろん、フランスやベルギー、ナイジェリア・・・とにかくどこの国であっても同様です。
つまり、教育の内容によって無償化するかどうかをジャッジしているのです。国で選別しているのではないのです。教育内容で分けて
いるのです。
具体的な事例を示しましょう。
グーグルで「高校無償化 イーエーエスブラジル学校浜松校」と検索してみてください。このブラジル学校が無償化からもれてしまっ
たことが確認できるでしょう。
あなたはこのことを知っていましたか? 無償化対象から外されたのは朝鮮学校だけではないということを。
選別基準が文部科学省の公式サイトに明示されていることを。その内容を。
少なくとも、文部科学省の選別基準についてはこのスレッドの
>>1に私が明示しているので、当然念頭にあったかと思います。
もし、なおも「差別がある」と主張する場合、あなたは「文部科学省公式サイト」に記載されている選別基準とは別のものが組織的に
運用されていることを示さなければならないでしょう。
さて、以上の私の論を読んで、ブルンジさんの今の考えはいかがですか?
私にも欠けている知識や認識が多々あるでしょう。ズバリと指摘していただければ、皆にとって有益な議論となると思います。
>>15 elsewhereさん
>
>>
>>まず、教育を受ける権利について〜中略〜一国の判断で見捨ててもよいのでしょうか。
>
>という論を取り下げたものと受け止めます。
私はこの論を取り下げる理由がありません。(説明不足のために誤解されてしまったのは私の責任ですが)
なぜなら、政府が憲法を狭義の意味で解釈して日本人のみを無償化の対象にしたとき、それは憲法上それ以上の
対象の拡大が不可能であった。ということになります。
国際人権規約はあくまで規約であり、独立国の憲法を歪める強制力はないために一国の判断というわけでなく
世界も認めざるを得なくなるからです。
よって、私が擁護した論を出発点とする考えも守られることになります。
>
>「各国国民の教育については、日本国は国を超えた干渉をしない。それぞれの国の教育のありようを尊重する。しかし日本国は日本人
>の教育についてはそれを義務化し、また権利と定め、その内容について決めている。例えば『テロを肯定するような教育は認めない』
>というものだ。さらに言うならば、外国人だからといっても、日本に住み、日本の教育を受けたいと望みさえすれば、日本人と完全に
>同一の教育を日本人と同一の金銭的な条件で受けることができる制度を整えている。日本人と同じ教育を日本人と金銭的に同条件で受
>けようとする時に、国籍で分ける条項は存在しない。
確かにこの前提では平等ということになるでしょうが、「日本人と同じ教育を」というのはもう日本人に同化しているのでは
ないでしょうか。しかし、今話題になっているのは日本に住居しているが、民族としての教育も受けたいとする
人々が感じる差別感です。ですから、このような差別感を生み出すことが可能な制度になっていると考えます。
>
>(2)対象となる学校
>国公私立の高等学校、中等教育学校の後期課程、特別支援学校の高等部、高等専門学校の第一学年から第三学年、
>『専修学校・各種学校のうち高等学校に類する課程を置くもの』として文部科学省令で定めるもの。
>
>具体的な事例を示しましょう。
>グーグルで「高校無償化 イーエーエスブラジル学校浜松校」と検索してみてください。このブラジル学校が無償化からもれてしまっ
>たことが確認できるでしょう。
>あなたはこのことを知っていましたか? 無償化対象から外されたのは朝鮮学校だけではないということを。
>選別基準が文部科学省の公式サイトに明示されていることを。その内容を。
>少なくとも、文部科学省の選別基準についてはこのスレッドの>>1に私が明示しているので、当然念頭にあったかと思います。
>もし、なおも「差別がある」と主張する場合、あなたは「文部科学省公式サイト」に記載されている選別基準とは別のものが組織的に
>運用されていることを示さなければならないでしょう。
このブラジル人学校は確かに一度除外されましたが、4月30日に文部科学省が対象に含みました。
理由は、再検討の結果、静岡県が各種学校に認定したためです。ほかにも外交ルートや国際機関によって高校相当と
された学校が対象に含まれました。(5月1日 中日新聞)
朝鮮学校は含まれませんでしたが、再検討はあるようです。
もしも結局、朝鮮学校が対象に含まれることがなければ、差別はあったともなかったともいうことが可能です。
差別を指摘されたら、日本の要求をのまなかったからと認定除外理由を差別以外のところから持ち出すことが可能になります。
このとき、私はもうこれを否定することができません。政府の「勝ち」です。
差別は完全にないと主張するならば、朝鮮学校を含めなければ、十分な納得は得られないでしょう。
>>15 elsewhereさん
>え〜・・・まさに私が求めていたようなスタイルの反論です。主張があり、根拠があり、考えの筋道も示されています。
スレを立てられた際に披露された論は、はたしてこの形に則っているのでしょうか。
たとえば、「素数の個数は有限である」と主張する際に、根拠として「最大の素数は見つかっていない」というような任意に選んだ反論に「的外れである」と説明するだけでは不十分ではないでしょうか。最大の素数を具体的に提出するなり、その素数が存在することの証明を提出するなりしない限りは、「素数の個数は有限である」の正しさを主張したことにはならないように思います。
現状では「差別ではない」が正しいとは主張できておらず、単に「差別である」の根拠として提出されたある主張を「的外れである」と説明しているだけのように見えます。その説明をしさえすれば「差別ではない」を正しく主張したことになるという考えの道筋は、いったいどこに示されているのでしょうか。
その辺りが示されない限り、事実上「差別の可能性を否定することなしに放置しても構わない」との価値観を表明しているのと変わらないような気がします。
>>16 ブルンジさん
>「各国国民の教育については、日本国は国を超えた干渉をしない。それぞれの国の教育のありようを尊重する。
>しかし日本国は日本人の教育についてはそれを義務化し、また権利と定め、その内容について決めている。
>例えば『テロを肯定するような教育は認めない』というものだ。
>さらに言うならば、外国人だからといっても、日本に住み、日本の教育を受けたいと望みさえすれば、
>日本人と完全に同一の教育を日本人と同一の金銭的な条件で受けることができる制度を整えている。
>日本人と同じ教育を日本人と金銭的に同条件で受けようとする時に、国籍で分ける条項は存在しない。
>確かにこの前提では平等ということになるでしょうが〜中略〜差別感を生み出すことが可能な制度になっていると考えます。
さてここが重要な点です。スレ立て時に余談で触れた「リアルでの朝鮮人との話し合い」で、私はまさに今まで通りの話の流れで
ここまで来ました。この議論のまさにここまで、です。そうしてその時の相手が非常に興奮した様子で私を指差し、
「平等だけど差別なの! 差別だってことがわかんないのはお前が差別しているからだ!」
と言われ、これは話にならないと思ったことを覚えています。
あなたの主張は
「elsewhereの言う前提では平等だけど差別」
という内容になっています。これは非常に重要な主張です。
私にとって、
「日本人とまったく同一の料金(0円)で同一の教育(まさに机を並べて同じ授業を受ける)ということ」をもって、そのまますなわち
「平等」という理解をしています。
しかしあなたはそれでは平等ではないと主張しています。
言い換えると
『
「同一内容で同一料金」では差別だ』と主張しています。
何故でしょうか?
これでは
>>5のcastanetさんの言う通り、
「我々を特別扱いせよ!」
と求めていると受け取られても仕方ないと思います。
ざっくばらんにいいましょう。
あなたは、日本人と同じ料金で同じ内容の教育など、受けられるか! もっと優遇しろよ!! と思っているのですか?
私の前提が誤っているのでしたらその点ご指摘ください。
私の前提が正しいのでしたら、「正しいにも関わらず差別と判断できる」その論拠をお示しください。
関連するのかな・・・と思いながら、次の言葉に触れます。
>「日本人と同じ教育を」、というのはもう日本人に同化しているのではないでしょうか?
ん?
何がいいたいのでしょうか?
日本人に同化とはどういうことですか? なんか「悪いことって言いたいっぽいな」と思いますが、そうともはっきりは言っていませ
ん。ではなんと言いたいのでしょうか?
その定義を書いてみてください。
同じ教育を受けると同化する・・・何がどうなるのでしょうか?
この言葉を読んで私はこんな言葉を連想しました。
「アカと同じ学校に通うと赤化する」
「クロンボと机を並べて学べるか!? 匂いが移る!」
「宗教法人の運営する学校だろ? そんなとこに通うヤツはクズだな。お前は行くな」
同じ文脈での発想なのではないかと考えているのです。
例えば日本では誰もが学ぶ2次方程式の解法を同じ教科書で学ぶことをもって「同化」とラベルを貼り、それが「いいこと」とも「悪
いこと」とも明確にせず定義も明らかにせず、「同化しているのではないでしょうか」・・・・・???
やはり・・・なにが言いたいのかがわからないのです。
2ちゃんねるでしたら「印象操作」「レッテル貼り」といわれる詭弁行為ですが、あなたにはその論拠を示していただけるものと思い
ますので、ここではそこには深入りしません。
ただ説明はしないと・・・何が言いたいかもわからないです。
あなたは既に一度、突然に
「国際的面と歴史的面」
という言葉を「内容を明らかにせずに」使用し、「国際的面と歴史的面があるから〜差別である〜」という根拠の無い論を用い、後に
一部撤回してますので。
まとめます。
1.『
「同一内容で同一料金」では差別だ』と主張する論拠をお示しください。
2.同化とはなんでしょうか? それをもって「差別だ」といいたいのかな、と想像していますが、
あなたが自分の論を明確にしないので、何がいいたいのかがわからないままなのです。
「同化とはこれだ。○○のことだ。そうしてそれは差別だ。なぜなら○○だからだ」
この文章の○○の部分をあなたなりに書き換えていただければありがたいです。
余談
実はリアルで42度の熱を出して臥せっており、なかなか全ての論点を論ずることができない状態となっております。
ゆえに今回の書き込みは、最重要であると思える1点に絞らせていただいたことをお詫びします。
quppaさん、まことにすみません。体力が今は無いので、日を改めて論じようと思います。
というか、単純に荒らしの一種でしょう
このスレのみでしか発言していない人物のようですし、
それほど真摯に説いても何かが伝わるわけではありません。
元から個人的な功利主義に基づいて発言しているのですから。
スレ立て主として責任を感じてるのかもしれませんが、高熱を押してまで返信しても価値がないかと。
黙ってBooをつけましょう。そのようなことのためにこのシステムがあるのですから。
>>16 ブルンジさん
>
>このブラジル人学校は確かに一度除外されましたが、4月30日に文部科学省が対象に含みました。
>理由は、再検討の結果、静岡県が各種学校に認定したためです。ほかにも外交ルートや国際機関によって高校相当と
>された学校が対象に含まれました。(5月1日 中日新聞)
>朝鮮学校は含まれませんでしたが、再検討はあるようです。
この時点で「朝鮮学校を差別している」と断言出来る根拠はありますか?
>
>もしも結局、朝鮮学校が対象に含まれることがなければ、差別はあったともなかったともいうことが可能です。
>差別を指摘されたら、日本の要求をのまなかったからと認定除外理由を差別以外のところから持ち出すことが可能になります。
「認定除外理由を差別以外のところから持ち出す」というのは問題なんですか?
認定除外理由があるから認定しないというのは間違っているとは思えないです。
その認定除外理由が差別以外にない場合、初めて「差別がある」と主張出来るのでは・・・と思います。
>このとき、私はもうこれを否定することができません。政府の「勝ち」です。
でしたら、
再検討がされて文部科学省の結論が出る前に「朝鮮学校を差別している」と断言出来る根拠があれば、
ブルンジさんの「朝鮮学校を差別している」という主張に皆さんが納得(根拠が正しいと判断出来る場合)してくれるものと思います。
>差別は完全にないと主張するならば、朝鮮学校を含めなければ、十分な納得は得られないでしょう。
私自身は、「差別している」とも「差別していない」とも勉強不足のため言えませんが、
正式な認定理由や認定除外理由があるうちは、「差別していない」と受け取るのが自然かなって思います。
大変興味があるスレッドなので今後の展開を楽しみにしていますね♪
文頭に「横レス失礼します」と加え忘れてしまいました。
反省しております、すみませんでした><
>>19 castanetさん
そうですよね。なんかそんな感じしてました。
きちんとした論を立ててくるなら別ですが、そうでない限り、今後はおっしゃるようにするのが適切ですね。
アドバイスありがとうございました。
そのうち適当なところでまとめを作ろうと思います。
>>14 quppaさん
「差別かどうかは無償化の目的として筋の通ったものが提出できるかどうかで判断できる」
これは差別の定義について、あなたなりの視点から新しい定義を提案しているものと受け止めます。
しかし、私はあなたの提案そのものを拒みます。(凄い強い言葉ですが・・・気を悪くしないでくださいね。悪意があってこんな言葉
を使っているのではありません。明確に論ずることを徹底しようとすると、どうしてもこんな風になっちゃうのです。もっと文章力が
あればなぁ・・・)
ただ闇雲に拒むのではなく、条件を示し、その条件をクリアしていないがために拒むと申しあげます。
その条件とは・・・
私が最初に示した定義について、「あんたの定義・・・この点矛盾してね? 論理破綻してね?」とその矛盾を示すことができるもの
でなければなりません。
このように断定的に話すのは、私が最初に懸念していたように
「ある事柄を指して“それは差別”─“いや差別ではない”─“こういうのも差別では?”─“それを言ったらこれは?”」
と、本筋ではないところで議論が紛糾することを避けたいからです。
あなたの提案は大切なことだと思いますが、それをしたいのであれば、別スレを立ててそちらでお願いします。あなたが別スレを立
て、そこに有意義な議論があると判断されれば、このスレッドを見守っている読者諸賢もそちらに理があると判断されるでしょう。
その時こそ、私は「このスレで定義している差別の定義」を変えるかどうかを判断せざるをえなくなるでしょう。
さて、次に移ります。
>>14において、
「(差別ではないという根拠が)誰からも提出されなければ、提出されるまでは『
差別』として取り扱うのが妥当である」
という論をされていますが、これは公平性に欠ける論です。
片側に「差別ではない」という主張があり、反対側に「差別だ」という主張がある時に、何でそれが確定するまでの間は「差別だ」と
扱わないといけないのでしょう?
そんなわけはありません。
それがまかり通るのであれば、次の事柄も成り立つこととなります。
私があなたに向かって、こう言ったと仮定します。
「私のスレッドに書き込みをするなんて、quppaさんは私のことを差別している!!」
・・・で、もちろんあなたは私を論破するでしょうが・・・論破するまでの間は「差別している人」扱いを受けなければならない。
「差別してんだからちょっと遠慮しろよ。相手はお前が発言するだけで傷つくこともあるんだぜ?」
なんて言われたら言い返す言葉がない。
誰かに向かって「差別だ」呼ばわりするだけで、その相手を「差別している人」扱いすることが妥当だなんて、痴漢冤罪も真っ青な恐
怖社会です。
こんなことが成り立つと、公平性が無くなります。なので「反論が証明されるまでは“差別と扱うことが妥当”」というあなたの論は
誤りです。
そうして私らしくはっきり言います。
「差別の可能性を否定すること無しに放置しても構わない」です。
なぜなら、差別は、「差別だと主張する側が立証するべきものだから」です。
別に差別に限りません。その意味で上の文言は
「ある主張は、主張する側が立証するべきもの。主張される側は、主張する側がその主張を始めるまでは対応する必要がないし、対応
しようがない」
だと言い換えてもいいでしょう。
「放置しても構わない」=「放置するしかない」ということです。
最後の論点として、あなたの
>>17の最後の方の書き込みに触れます。
>現状では「差別ではない」が正しいとは主張できておらず、単に「差別である」の根拠として提出された
>ある主張を「的外れである」と説明しているだけのように見えます。
これは誤りです。
私は自分の主張がどのように正しいのか、それをそもそものスレ立て時に書いています。つまり主張しています。逆に
>>1の私の論に
対して「お前の論はここが間違っている」とずばりと指摘した書き込みは存在しません。
唯一、私が
>>15において
「ブルンジさんは自論の一部を取り下げた」
と受け止めたことが後に
「いやいや、取り下げてないよ」
と否定されたのみで、それについても私の論の否定ではありません。
さて、最後に私からquppaさんに質問です。くだらない質問と思えば無視してください。
あなた個人の考えでいいですが、あなたは、朝鮮学校の無償化からの除外を、差別だと考えますか?
差別だと考えない場合、それは何故ですか?
差別だと考える場合、それは何故ですか?
なんといってもそれが知りたくて私はこのスレを立てたので。というかこのスレの存在意義はそれなので。議論の行く末を楽しみにし
ていらっしゃる方々も居ます。
論に筋が通っていたら、私はもちろん、このスレを読んでいる読者諸賢もその論を支持するでしょう。
あと、
>>21のひろんさん、ぜんぜん遠慮はいらないですよー。議論は皆の者です。誰でもが参加し、抜けていいものです。
また
>>18で私が触れ切れずにいた部分について、あなたが
>>20においてほぼ完璧に言い切っていただいたので、とてもうれしかったで
す。
「ここ言い足りてないんじゃないの?」とか「わかりにくくね?」と思ったら、どんどん発言していただけたらと思います。
>>18 elsewhereさん
>
>
>1.『「同一内容で同一料金」では差別だ』と主張する論拠をお示しください。
>
彼らの教育は、各都道府県から各種学校として認めてもらっていること、また国公立、私立大学校から受験資格を認めてもらっていることから
高校に相当する学習といえます。国は認めていない、けど大学は認めている。ここにも
差別があるような気がします。政治が待遇にさをつけているのです。
民族教育、及び朝鮮語を使用する多種の学習はその学習のうちのヴァリエーションといえると思います。
よって「同一内容で同一料金ではない」と感じてしまいます。だから差別ということが可能です。
また、他の外国人学校が補助を受けているのにもかかわらず、朝鮮人学校が補助を受けられないのは納得いきません。
そのような区別をするなら始めから国公立のみに限ってほしいです。
日本の税金にたかるなという人がいます。しかし、朝鮮学校には少数ながら日本人もいますし、税金も払っているのですから
文教及び科学振興費の恩恵にあずかることを要求する最低限の権利はあます。
北朝鮮の対日政策、特に拉致問題と関連させてこの問題に臨んで、除外は当然と主張する人もいますが、それも間違いです。
なぜなら、朝鮮学校で学ぶ生徒たちは3世、4世がほとんどで、政治とは関係ないからです。そして、教育に政治がかかわっては
いけないということは周知のとうりです。以上のことを認めて
学校として認めない、授業料を要求する権利はないとすなら差別といっていいのではないでしょうか。
>2.同化とはなんでしょうか? それをもって「差別だ」といいたいのかな、と想像していますが、
> あなたが自分の論を明確にしないので、何がいいたいのかがわからないままなのです。
> 「同化とはこれだ。○○のことだ。そうしてそれは差別だ。なぜなら○○だからだ」
同化とは、朝鮮人が日本人になりすますことです。もしも、支援を受けることができなくて、本当は民族教育を
受けたいのにも関わらず、日本人に無理になりすますことがあってはならないと思います。
そしてそれは差別です。「君たちがうまく日本で生きていけないのは君たちが朝鮮なんかにこだわるからだ。
日本人になれよ。」と暗に言っているようなものだからです。これは差別以前の問題かもしれません。
日本人だって「もう日本人やめたら?一国玉砕だろ?やめちゃってアメリカ人になりすましちゃえば?」
なんていわれたら、自分らにも自国の誇りを主張する権利があるというでしょう。
それとも、外国人になりすますのは嫌だという権利すら朝鮮人にはないのでしょうか?
私は朝鮮と日本の外交的な衝突がこの問題にからんでいるのではないかと非常に心配です。
あの憎たらしい、卑怯な北朝鮮本国の政治家とは切り離してこの問題は取り扱うべきです。
子供たちとは関係ないでしょう。
え?
日本の教育を受けることが日本人になりすますとは、ちょっと理解できないです。
そんなことを発言すると
「朝鮮では教育とは生徒に何かを刷り込むことだ」
と信じているかのように受け取っちゃう人がでてくるかもですよ。っていうか私は今そう思い始めました。
逆に聞きますけれども
日本人が北朝鮮でかの国の教育を受けたら、
『北朝鮮人になりすます』
ことになっちゃうんですか?
それはなかなか・・・日本では特殊な教育観だといえますよ。
ブルンジさんが教育というものをそんな風に考えているのであれば、日本の教育を受けたくないと考えるのも無理ないですね。
でもねぇ・・・日本では教育というものはそんなもんじゃないですよ。
なんかよくわかんないけど・・・ほんとに驚きました。
少なくとも、ブルンジさんが心配する、なりすましうんぬんは、あまりに日本の教育観からかけ離れていて、おそらくちょっと聞いただけでは耳を疑う人の方が多いですよ。
ブルンジさんのいうことをそのまま聞くと、elsewhereさんが日本の教育について書いているように、
>二次方程式の解法をともに学ぶ
と、日本人になりすましちゃうことになっちゃうってことですよね?
まさしく上の方の例え話
「アカと同じ学校へいくと赤化する」
って発言と同じ。差別発言と取られてもおかしくないですよ。
>>25 vitamizerさん
>それはなかなか・・・日本では特殊な教育観だといえますよ。
確かに特殊ですね。しかし、誰だってこころのなかに、教育の拠り所を変更することで、今までの自分を
壊されるかもしれないというような恐怖感をもつことはあると思います。
また、自分が自国の教育をうけて立派に活躍すればきっと他国のひと
も認めてくれるだろうと思ってどうしても
朝鮮学校にとどまりたいと考えている人もいるとおもいます。
>>23 elsewhereさん
>「差別かどうかは無償化の目的として筋の通ったものが提出できるかどうかで判断できる」
>これは差別の定義について、あなたなりの視点から新しい定義を提案しているものと受け止めます。
>私が最初に示した定義について、「あんたの定義・・・この点矛盾してね? 論理破綻してね?」とその矛盾を示すことができるもの
>でなければなりません。
そのようなことはないでしょう。私の定義はelsewhereさんの定義から導かれるというのが私の主張です。無償化の対象から除外するために用いる理由は、無償化実施の「筋の通る目的」から導かれて初めて「合理的」と言えると主張しているわけです。目的に合致しない理由による除外は、目的達成を目指している態度とは言えないわけで、そのようなものを合理的とは呼べないのではないでしょうか。実際、elsewhereさんが例として挙げた「握力は60kg未満の人間」や「“かわいい”“綺麗”とはいえない女性」はそれぞれ、「(運搬業務なのに)重い荷物を短時間で大量に運べない」「(印象第一の受付業務なのに)お客様に“好感”を持っていただけない」という目的に合致した理由になっているわけです。
つまり、朝鮮学校の無償化の対象からの除外が差別かどうかを検討するには、除外の理由が無償化実施の目的に合致しているかどうかを吟味する必要があるけれど、肝心の「朝鮮学校の除外の理由が合致するような無償化実施の筋の通る目的」が提出されていないという意味で、「差別はない」という主張のみが先走っている状況にあるという点を指摘しているわけです。
>その時こそ、私は「このスレで定義している差別の定義」を変えるかどうかを判断せざるをえなくなるでしょう。
このスレを議論の形に維持するためには、その時を待つ前に、私が上に述べたことについて反論をする必要があるでしょう。
>「(差別ではないという根拠が)誰からも提出されなければ、提出されるまでは『差別』として取り扱うのが妥当である」
>という論をされていますが、これは公平性に欠ける論です。
>
>片側に「差別ではない」という主張があり、反対側に「差別だ」という主張がある時に、何でそれが確定するまでの間は「差別だ」と
>扱わないといけないのでしょう?
「差別の可能性は否定されることなく放置されても構わない」との価値観の人の場合は、「差別ではない」と扱うことも可能だと思います。しかし、「差別の可能性が否定されることなく放置されることには問題がある」との価値観の人は、根拠なしに「差別ではない」と扱うことが自身の価値観と衝突してしまうため、根拠が(自身を含めた)誰かから提出されるまでの間は暫定的に「差別(つまり、そうではない根拠を探求すべき対象)」として扱うことになるはずです。
>私があなたに向かって、こう言ったと仮定します。
>「私のスレッドに書き込みをするなんて、quppaさんは私のことを差別している!!」
>・・・で、もちろんあなたは私を論破するでしょうが・・・論破するまでの間は「差別している人」扱いを受けなければならない。
>「差別してんだからちょっと遠慮しろよ。相手はお前が発言するだけで傷つくこともあるんだぜ?」
>なんて言われたら言い返す言葉がない。
論破の過程で根拠を出しているわけだから、その根拠が筋の通る反論により無効化されるまでの間は、「差別してんだからちょっとは遠慮しろよ」は成立しません。
>誰かに向かって「差別だ」呼ばわりするだけで、その相手を「差別している人」扱いすることが妥当だなんて、痴漢冤罪も真っ青な恐
>怖社会です。
「意思決定」の場ではなく「議論」の場においては、それほど怖いことでもないように思いますけど。
>そうして私らしくはっきり言います。
>「差別の可能性を否定すること無しに放置しても構わない」です。
>なぜなら、差別は、「差別だと主張する側が立証するべきものだから」です。
ならば、なぜこのスレを立てたのでしょう。「差別ではない」と自身で暫定的な結論に至り、反論を募集することが目的ではなかったのでしょうか。「差別ではない」を主張するためには、それを主張する側が立証すべきなのではないでしょうか。
>さて、最後に私からquppaさんに質問です。くだらない質問と思えば無視してください。
>あなた個人の考えでいいですが、あなたは、朝鮮学校の無償化からの除外を、差別だと考えますか?
まだ差別ではないと確信できるような根拠を得ていません。しかし、「差別ではない」と主張できる人がいるならば、その人は根拠も提出できるはずである(さもなければ、口先で言っていることと実際にやっていることが食い違っていることになる)と思っています。
私は「差別の可能性が否定されることなく放置されることには問題がある」と考えているので、議論においては、「差別である」という主張よりも、「差別ではない」という主張のほうが断然価値があると思っています(もちろん、その主張の根拠に価値があるわけですけど)。状況がどうせ変わらないのならば、「差別ではない」ことを知って安心したいわけです。
言葉の意味の定義づけから論じるつもりはないんだが、
一応、単純な語句の意味として「差別」というのは、単純に差を付けて区別するといった意味ではなく
社会の中で特定の人間(または人間ら)に対してネガティブな定義づけをすること、というような意味とする。
(そうでもしないとなんもかんも始まれない気がするから)
以上前置き。
スレッドの主旨は、単純に
「現状で、朝鮮学校が、朝鮮学校でない学校より(学費面で)優遇されている」ので
その「優遇措置、[特殊/特別]化」が、言ってみれば「逆差別」(逆ベクトル つまり ネガティブ←→ポジティブ 的な意味あいで)であるので
その「逆差別」を「差別」して「差別のない状態に戻す」ことを「人間を差別するということになるのか」といった意味あいだと思うのだが、
どこか間違っているだろうか。
つまり、日本の国家としての標準から飛び出た存在に逆ベクトルをかけて、標準へ戻すという行為が、
国家として(政治的に)悪行か善行か、とした上で
elsewhereさんは「それは当然の行為であり、善行である」と言っているのではないか。
ブルンジさんは、「悪行である」と言っているようだが。
quppaさんは、そのどちらでもなく、政治から超越した立場で、
さかんに「逆差別を差別する行為も差別である」というようなことを言っているようだが、
正直、そのへんは重大事とも感じられんし、良くわからへんので俺は論じない。
で、俺の意見は別にないのだが、論点整理のような感じで……。
>>28 castanetさん
>スレッドの主旨は、単純に
>「現状で、朝鮮学校が、朝鮮学校でない学校より(学費面で)優遇されている」ので
>その「優遇措置、[特殊/特別]化」が、言ってみれば「逆差別」(逆ベクトル つまり ネガティブ←→ポジティブ 的な意味あいで)であるので
>その「逆差別」を「差別」して「差別のない状態に戻す」ことを「人間を差別するということになるのか」といった意味あいだと思うのだが、
1のどこに、そのようなことが書いてあるのでしょうか。
>さかんに「逆差別を差別する行為も差別である」というようなことを言っているようだが、
「江戸の敵を長崎で討つ」みたいな不自然なバランスのとり方をするまでもなく、優遇措置を廃止することで逆差別はいくらでも解消できるわけで、無償化除外が差別ではないことの根拠としてこじつけるには無理があるように思います。
>>23 elsewhereさん
レスありがとうございます♪
>「ここ言い足りてないんじゃないの?」とか「わかりにくくね?」と思ったら、どんどん発言していただけたらと思います。
との事なので、お言葉に甘えて^^;
>>27 quppaさん
>
>つまり、朝鮮学校の無償化の対象からの除外が差別かどうかを検討するには、除外の理由が無償化実施の目的に合致しているかどうかを吟味する必要があるけれど、肝心の「朝鮮学校の除外の理由が合致するような無償化実施の筋の通る目的」が提出されていないという意味で、「差別はない」という主張のみが先走っている状況にあるという点を指摘しているわけです。
この指摘はごもっともだと思います。
「認定除外理由」というものがはっきりと分かれば議論につながると思い、
知識不足を補充するために色々調べてみたのですが、正直よく分からないんですよね><
例えばニュース番組で「朝鮮学校無償化反対」等を見ていると朝鮮学校というものが、
朝鮮という国に対しての政治的な思惑(拉致問題etc)が絡んで無償化反対しているように思えてしまうのも分かる気がします。
そうなると、
>>26 ブルンジさん
が言われたように、
>また、自分が自国の教育をうけて立派に活躍すればきっと他国のひと
>も認めてくれるだろうと思ってどうしても
>朝鮮学校にとどまりたいと考えている人もいるとおもいます。
という気持ちも分かります。
そこで日本側が「朝鮮から費用を出して貰えばいい」と言っても現に認められている日本以外の国があるならば、
ブルンジさんが差別だと主張してもおかしくないですよね。
だとするとやはり政治的問題が絡まない教育観的な問題で、
「教育観的問題としての正式な認定除外理由(朝鮮に限らず全ての学校への条件)」さえ分かれば、
「差別ではない」と主張出来るのですが情報不足のため私には分かりませんでした><
↑分かる方に是非教えて頂きたいです^^;
なので私のポジションとしましては、
「認定除外理由が明らかではないので差別しているとも差別していないとも言い切れないなあ」
というとても中途半端な形になってしまいました><
PS:このスレッドに出会うまで私自身「朝鮮学校無償化問題」について何も知りませんでした。
こういうスレッドを通して論者の意見を聞いたり調べたりという行為で、学ぶ事が出来るというのは私のような無知な人間にはとてもありがたいです♪
>>30 ひろんさん
>だとするとやはり政治的問題が絡まない教育観的な問題で、
>「教育観的問題としての正式な認定除外理由(朝鮮に限らず全ての学校への条件)」さえ分かれば、
>「差別ではない」と主張出来るのですが情報不足のため私には分かりませんでした><
>
>↑分かる方に是非教えて頂きたいです^^;
>
>なので私のポジションとしましては、
>「認定除外理由が明らかではないので差別しているとも差別していないとも言い切れないなあ」
>というとても中途半端な形になってしまいました><
私も同じポジションです。
で、同じポジションでも、早々に「差別はない」と言い切ってしまう人と、「差別(かもしれなから、そうではない根拠を模索し続ける必要がある)」というスタンスを取る人がいて、そのあたりは「差別の可能性が否定されることなく放置されていても構わない」との価値観をもっているのかどうかに依存するような気がします。
「教育観的問題としての正式な認定除外理由」というものをどう定義するかで議論が進みそうな気がします。
このスレで現在「差別はしていない」というelsewhereさんの「教育観的問題としての正式な認定除外理由」は、
>>1
>この最後の部分「各種学校のうち高等学校に類する課程を置くもの」…これが各種学校、すなわち朝鮮学校が無償化されるかどうかの基準です。
>無償化対象とする学校に一定の基準を設けることは合理的な話であり、もし基準が無ければ…例えばテロを是とする教育を行う学校ですら、国家が無償で援助することにつながる法律ということになります。そんなバカな話はありません。
>現在の法律は、理由と目的があって無償化する学校に一定の基準を設けているのです。例えばオウム真理教の内部で運営されていた学校が、どれほど高度な教育・または皆に必要な基本的な教育を行っていたとしても、テロを是とするような学校を無償化の対象とはしませんよ、という風に考えていただければわかりやすいでしょう。
という事を主張されているので、
「朝鮮学校が、どれほど高度な教育・または皆に必要な基本的な教育を行っていたとしても、テロを是とするような学校を無償化の対象とはしませんよ」になります。
これについてはブルンジさんが
>>24で、
>民族教育、及び朝鮮語を使用する多種の学習はその学習のうちのヴァリエーションといえると思います。
と主張されているので、
「朝鮮学校の民族教育、及び朝鮮語を使用する多種の学習はテロを是としていません」になります。
なので、
「朝鮮学校の民族教育、及び朝鮮語を使用する多種の学習はテロを是としているか否か?」
に論点を絞れれば議論になりそうですね^^
または、
「その(elsewhereさんの言う)「教育観的問題としての正式な認定除外理由」は間違っている。なぜなら〜」
という事ですね^^
>>elsewhereさん
例えのオウム真理教なんですが、
「どれほど高度な教育・または皆に必要な基本的な教育を行っていたとしても、テロを是とするような学校を無償化の対象とはしません」
とありますが正確には、
「どれほど高度な教育・または皆に必要な基本的な教育を行っていたとしても、テロを是とするような教育をしている学校を無償化の対象とはしません」
で良いのですよね?
>>32 訂正です。
「朝鮮学校が、どれほど高度な教育・または皆に必要な基本的な教育を行っていたとしても、テロを是とするような学校を無償化の対象とはしませんよ」になります。×
「朝鮮学校が、どれほど高度な教育・または皆に必要な基本的な教育を行っていたとしても、テロを是とするような教育をする学校を無償化の対象とはしませんよ」になります。○
>>32 ひろんさん
そういうことです。私なりの表現ではこうなります。
「朝鮮学校はテロを是とする指導者を讃える教育をしている。だから、そのような学校は教えていることの水準以前の、もっともっと
基本的な部分に問題があり、無償化対象とはならない」
私も学びながら考えているところなので、ひろんさんと似たような感じです。最初にスレッドを立てた時には知らなかったことも多い
です。いろいろな人にいろいろ教わったりもしたので。議論を通して学ぶ知識は、非常に身になるものが多いので、できるだけ議論を
通して学ばせていただこうと思っています。
また、quppaさんが目的にこだわるところには、一理あるとも思いますので、少しそちらに歩み寄ります。
もちろん皆さんは自身でご存知だと思いますが、「めんどくさいからコピペしてよ」という方の為に、文部科学省の公式サイトから目
的をコピペします。法律に記載してある目的が、つまり真正の目的ですよね。
1 制度の趣旨・目的
本制度は、政府が平成22年度から実施する予定の「高等学校等の授業料の実質無償化」施策の一環として、現在国会において審議さ
れている「公立高等学校に係る授業料の不徴収及び高等学校等就学支援金の支給に関する法律」に基づいて、私立高等学校等に在籍す
る生徒の授業料に充てるものとして就学支援金を支給するものである。
「高等学校等の授業料の実質無償化」は、以下のような趣旨・目的に基づいて実施するものである。
@ 高等学校等への進学率は約98%に達し、国民的な教育機関となっており、その教育の効果は広く社会に還元されるものであるこ
とから、その教育費について社会全体で負担していく方向で諸施策を進めていくべきであること。
A 高等学校等については、家庭の経済状況にかかわらず、全ての意志ある高校生等が安心して教育を受けることができるよう、家庭
の経済的負担の軽減を図ることが喫緊の課題となっていること。
B 多くの国で後期中等教育を無償としており、国際人権A 規約にも「中等教(※)育における無償化の漸進的導入」が規定されてい
る。
(※)国際人権A規約とは、国連人権委員会が作成した「経済的、社会的及び文化的権利に関する国際人権規約」のことをいい、労働
の権利、社会保障についての権利、教育についての権利などの社会権を保障するものである。(我が国においては、昭和54年に批准
し、同年9月21日に発効。アメリカ合衆国を除く主要各国が締約。)
また、この施策が高校教育に及ぼす効果としては、以下のことがあげられる。
@ 高等学校の授業料の実質無償化により、全ての意志ある高校生が、教育費負担を心配することなく、安心して勉学に打ち込めるこ
と。
A 対象となる高校生に対しては、本制度の意義について周知することにより、自らの学びが社会に支えられていることの自覚を醸成
し、国家・社会の形成者としての成長を目指して、学習意欲を維持向上する効果が期待されること。
上記の目的を、私の
>>1の書き込みの適切なところに当てはめていただければ、筋の通ったものになろうかと思います。この目的の内
容によって、私の論が説得力の無いものになるとは考えておりませんが、quppaさんに限らず、誰でも私の論に意見を頂ければありが
たいです。差別だよ派でも、差別じゃないよ派でも、考え中だけど派でも。
まだ熱が下がらず書き込み間隔がゆっくりで申し訳ないですが。
さて、眠りすぎで寝れなくなっているので、もう少し書きます。
誰もはっきり言わないので私がはっきりいいます。朝鮮学校の教育内容には、問題があります。テロを是とする教育を行っているから
です。
金正日・金日成は、独裁者で且つテロリスト支援者であり、拉致被害者家族会のホームページを確認するまでもなく、国際犯罪組織の
トップであり、また小泉元首相との会談時に自ら国ぐるみの拉致実行を認め、核開発を進めていることを誇示し、何度となく日本に向
けてミサイルを・・・
もういいでしょう。これら二人は控えめに言っても極悪人です。この前提に立たない人はこのスレッドにはいないと思います。
あのブルンジさんでさえ、同意すると思います。
そうして朝鮮学校の各教室の黒板上にはこの二人の肖像画が掲げられています。大阪の橋下府知事が朝鮮学校を視察したニュース映像
をごらんになった方も多いでしょう。校長等関係者に
「あの肖像画は外して下さい。そうして、二人を絶対視する教育はやめてください。そうしたら、国が無償化しなくても大阪府が無償
化することを考えましょう」
という要望を出した時に、
「いや、それは・・・儒教の精神というものがあるので・・・できません」
と断るシーンを私は信じられない思いで観ました。
金正日・金日成の肖像画を掲げ、その二人を絶対視する教育…当然、シューベルトやベートーベンの肖像画が飾られていることとはそ
の意味が違います。独裁者でテロリストだからです。
テロ支援国家の独裁者を、賛美し、現人神(あらひとがみ)として神聖視する教育が施されているのです。
今、この場にいる論者の中に、
「いや違う、朝鮮学校では金正日のことを拉致被害者を生み出した張本人だときちんと教えている。国家ぐるみの犯罪の首謀者だとき
ちんと教えている」
と主張できる人間がいるのならば、・・・ええ、そうできるならそう言ってください。
私は、この独裁者を神格化する教育をけしからんと思い、怒りを持って認識するものですが、しかしその教育を日本において行うこと
を・・・・・・・・許してはならないと思いながら、許さざるを得ないとみじめに思うものであります。
論に感情は要らない。ええ、感情など不要です。しかし、二人の独裁者を神と教える学校がこの日本に堂々と存在する時、拉致被害者
家族会の人々の心中いかばかりかと思い、それでもなおその学校の存在を許さざるを得ないと認める時、私の感情はみじめであると、
ここに書き込むものです。
あまつさえ、それを無償化?!
そうしなかったら差別?!
いや、それはないでしょう。そういう教育をやめて、無償化の仲間に入るか、あるいは、自費でやってくださいと考えます。
理由は、一言で言って教育内容に問題あり過ぎ。
北朝鮮の独裁者を「犯罪者であり、許されるものではない」と教えることができたら・・・・いやできないんでしょうねぇ・・・。
そんな状態で無償化されないから差別などと言うのは、ひかえめに言ってもたわごとです。
>>34 elsewhereさん
>上記の目的を、私の>>1の書き込みの適切なところに当てはめていただければ、筋の通ったものになろうかと思います。この目的の内
どのように当てはめればいいのかはよく解りませんが、つまり文科省の目的の基づいて考えれば、朝鮮学校に通いたい児童について、
-朝鮮学校の教育の効果は社会には広く還元され得ない
-朝鮮学校を無償化しても、そこに通う児童の家庭の経済的負担の軽減にはならない
-朝鮮学校の教育は後期中等教育をすでに習得していることを前提になされており、レベルが高すぎる(短大や大学並みである)
のいずれかが成立していなければ、「差別ではない」は主張しにくいように思います。ならば、いったい、どれが成立していると主張されているのでしょうか。
朝鮮学校を無償化するなら、自動車学校や塾など全てを無償化すべきだ。
自動車学校や塾を無償化しないなら、朝鮮学校も無償化すべきじゃない。
朝鮮学校を特別視する理由は何?自動車学校や塾を差別する理由は何?
インターナショナルスクールを、朝鮮学校を、そして学校と言うものををきちんと知るべきだ。
>>35 quppaさん
あのー・・・横からすみませんが、
>つまり文科省の目的の基づいて考えれば、朝鮮学校に通いたい児童について、
>-朝鮮学校の教育の効果は社会には広く 『還元され得ない』
でしょう。なんと言ってもテロを容認する教育ですよ。
まず教育による成果を広く社会に還元する教育などではないです。
いや、教育の効果とか、平等とかなんとかいう以前の問題ではないでしょうか?その1点だけを取り上げても日本国内に存在することすら、私には許し難いですね。
単なる表面的な学力養成においていかに日本の高校と同レベルであっても、
文科省の目的うんぬん以前に、人として問題にならないです。
>>37 vitamizerさん
>
>あのー・・・横からすみませんが、
>
>>つまり文科省の目的の基づいて考えれば、朝鮮学校に通いたい児童について、
>
>>-朝鮮学校の教育の効果は社会には広く 『還元され得ない』
>
この発言はあんまりいただけないです。横からですが、
実際に朝鮮学校出身でお医者さんとして活躍されている方もいるようです。
しかも大阪にはサッカーでいくつも入賞する朝鮮学校もあるようです。文武両道、貢献しています。
ひとくくりに「朝鮮人は。。。。」なんていうのはいくらなんでもあんまりです。
人を人として見る前に朝鮮人として見ているように感じます。
>>36 naka yasuさん
>朝鮮学校を無償化するなら、自動車学校や塾など全てを無償化すべきだ。
>自動車学校や塾を無償化しないなら、朝鮮学校も無償化すべきじゃない。
無償化されている学校と朝鮮学校の「間に位置づけられる無償化されていない学校」を挙げて、その学校が無償化でないなら朝鮮学校も、、なら解らなくはないですけど、いったいどのような論法なのでしょうか。
>>37 vitamizerさん
>でしょう。なんと言ってもテロを容認する教育ですよ。
もしも政府が朝鮮学校のことをテロリスト養成機関と認定しているのならば、とうの昔に排除していると思いますけど。
>いや、教育の効果とか、平等とかなんとかいう以前の問題ではないでしょうか?その1点だけを取り上げても日本国内に存在することすら、私には許し難いですね。
それと「差別」かどうかは無関係なのではないでしょうか。
「援助」をしようがしまいが、今までのように金持ちの子供にはあまり影響はないと思います。どちらかというと、朝鮮学校を「潰す・潰さない」のレベルではないでしょうか。
もし、テロを容認する教育をしているのならばまずいですが今、朝鮮問題はホットなので別に太っ腹でもいいのではないのでしょうか。
また情報に制限がなければ、大変失礼ですがコンビ二・テレビ・ネットなど今の日本の環境で理解や懐柔ができるのではないしょうか、(すみません)
もし、北朝鮮の高官の人が「ぜったいに朝鮮の教育をさせたい」と言うのならば、
自分だけ日本に、単身赴任をして本国の教育をさせればよかったのではないでしょうか、「郷に入れば郷に従う」とか、もし、「悪い学校」だったならば何で認めたのか、
朝鮮人と見るのは悪いですし、世の中は寛容が大事では、
すみません、子供と家族は北朝鮮に残し、北朝鮮の学校に通ってもらうと
はじめまして。エビチリと申します。
この手の話題でいつも思うのは、「朝鮮学校を無償化しないのは差別だ」と言うこと自体が差別だということです。
「各種学校のうち高等学校に類する課程を置くもの」に属する全ての外国人学校について、「無償化しないのは差別だ」と言うならまだ分かるんですよ。
でも、なんで朝鮮学校だけ? 朝鮮学校を無償化しろと言っている人は、他の外国人学校のことなんてどうでもいいんでしょうか。他の外国人学校は、無償化に値しないと思っているんでしょうか。だとしたらまさに差別です。
朝鮮学校というくくりではなく、あくまで、外国人学校というくくりで考えるべきです。
現に私立学校の場合は、「うちの学校を無償化しろ」とは言っていません。
「私立学校を無償化しろ」と言っています。
>>43 エビチリさん
>でも、なんで朝鮮学校だけ? 朝鮮学校を無償化しろと言っている人は、他の外国人学校のことなんてどうでもいいんでしょうか。他の外国人学校は、無償化に値しないと思っているんでしょうか。だとしたらまさに差別です。
「AならばB」は必ずしも「AでないならばBではない」を意味しません。
>>39 quppaさん
>
>>朝鮮学校を無償化するなら、自動車学校や塾など全てを無償化すべきだ。
>>自動車学校や塾を無償化しないなら、朝鮮学校も無償化すべきじゃない。
>
>無償化されている学校と朝鮮学校の「間に位置づけられる無償化されていない学校」を挙げて、その学校が無償化でないなら朝鮮学校も、、なら解らなくはないですけど、いったいどのような論法なのでしょうか。
朝鮮学校は、『
高校ではありません』。
『
各種学校』です。
予備校等、服飾・料理関係、看護系、事務関係、語学関係、自動車教習所、宗教関係、サポート校。そして、朝鮮学校等のインターナショナル・スクールです。
もう一度言いますが、カリキュラムの内容から朝鮮学校は高校ではありません。
今回は『
高校無償化』です。
朝鮮学校の無償化と言うのであれば、きちんと日本の指定するカリキュラムを行い高校として認定されるか、すべての各種学校を無償化しなければ、全く筋が通りません。
なぜ、朝鮮学校だけ特別視しろと言うのか。
なぜ、他の各種学校を差別するのか。
私には全く理解できません。
>>44 quppaさん
>「AならばB」は必ずしも「AでないならばBではない」を意味しません。
申し訳ありません。意味が分かりません。
私が疑問に思っているのは、なぜ外国人学校の無償化を叫ばず、朝鮮学校の無償化だけを唱えるのかということです。
>>15でelsewhereさんが、「『
専修学校・各種学校のうち高等学校に類する課程を置くもの』という基準に合致しなければ、無
償化の対象とはされません。もちろん、フランスやベルギー、ナイジェリア・・・とにかくどこの国であっても同様です。」とおっしゃっていますが、まさにそういうことです。
朝鮮学校だから問題があるのではなく、各種学校扱いの外国人学校だから問題があるのです。
各種学校に相当する他の外国人学校は、日本が認めるような高等学校に類する過程を置いておらず、朝鮮学校は置いているといえるなら、朝鮮学校のみを無償化する正当性があるといえます。
しかし、そうした論証が全くされていません。少なくとも私は知りません(あるのであれば教えてください)。
そもそも、「無償化から除外」という書き方をされてますが、「無償化の対象には該当しなかった」という書き方の方が正しいと思います。
除外というと、始めは無償化の資格があったにも関わらず、後からその資格が除外されたかのように感じられます。
結局、「○○だったら無償化するよ」と言われているのに対し、○○を証明できないのであれば、無償化の対象にならないのは当然ではないでしょうか。
>>45 naka yasuさん
>朝鮮学校は、『高校ではありません』。
そこでなされているのが通学を希望する児童に対する主たる後期中等教育を意図していると感じられる人がいるからこそ、「差別」なのではないかという意見が出ているのではないでしょうか。
>もう一度言いますが、カリキュラムの内容から朝鮮学校は高校ではありません。
>今回は『高校無償化』です。
「後期中等教育をする学校を無償化するのではなく、高校だけを無償化」する筋の通る目的が不明瞭であるという点が問題になっているような気がします。
>>46 エビチリさん
>申し訳ありません。意味が分かりません。
>私が疑問に思っているのは、なぜ外国人学校の無償化を叫ばず、朝鮮学校の無償化だけを唱えるのかということです。
つまり、「朝鮮学校を無償化するべきである」と主張することは必ずしも「他の外国人学校は無償化するべきではない」と主張することを意味しないと言っているわけです。
>朝鮮学校だから問題があるのではなく、各種学校扱いの外国人学校だから問題があるのです。
なので、それでもなお「差別」ではないかとの意見が出る理由を解釈するならば、なぜ「後期中等教育をする学校を無償化するのではなく、高校だけを無償化」するのかについての筋の通る目的が不明瞭であるという点が問題になっているような気がします。
>>48 quppaさん
>つまり、「朝鮮学校を無償化するべきである」と主張することは必ずしも「他の外国人学校は無償化するべきではない」と主張することを意味しないと言っているわけです。
でも、他の外国人学校も無償化しようとは言っていないわけですよね。
それが問題だといっているのですが。
繰り返しますが、なぜ外国人学校の無償化といわず、わざわざ朝鮮学校のみの無償化を叫ぶのでしょうか。
その正当性についてご意見を頂ければと思います。
そもそも私の主張は、「「朝鮮学校を無償化するべきである」と主張することは必ずしも「他の外国人学校は無償化するべきではない」と主張することを意味する」ではなく、「「数ある外国人学校の中で朝鮮学校だけを無償化するべきである」と主張することは、「他の外国人学校は無償化するに値しない」と主張することを意味する」ですよ。
また、もし、「「朝鮮学校を無償化するべきである」と主張することは必ずしも「他の外国人学校は無償化するべきではない」と主張することを意味しない」という理屈が通るなら、朝鮮学校を無償化しないことは、朝鮮学校を差別することを意味しないという理屈だって通ると思うのですが。
>なので、それでもなお「差別」ではないかとの意見が出る理由を解釈するならば、なぜ「後期中等教育をする学校を無償化するのではなく、高校だけを無償化」するのかについての筋の通る目的が不明瞭であるという点が問題になっているような気がします。
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/mushouka/__icsFiles/afieldfile/2010/04/08/1292454_3.pdf
quppaさんが言われる「後期中等教育をする学校」とは、ここの第二条二にある「中等教育学校の後期課程」とは別物なのでしょうか。
また、目的が不明瞭であることと、差別との関係性が分かりません。
目的が不明瞭だと、全て差別になるのでしょうか。
>>49 エビチリさん
>でも、他の外国人学校も無償化しようとは言っていないわけですよね。
>そもそも私の主張は、「「朝鮮学校を無償化するべきである」と主張することは必ずしも「他の外国人学校は無償化するべきではない」と主張することを意味する」ではなく、「「数ある外国人学校の中で朝鮮学校だけを無償化するべきである」と主張することは、「他の外国人学校は無償化するに値しない」と主張することを意味する」ですよ。
ある一つの福祉募金にだけ募金をして他の福祉募金に募金をしないことは、はたして本当に「他の福祉募金は募金するに値しない」を主張することを意味するのでしょうか。とても不思議なことをおっしゃっていると思います。
>また、もし、「「朝鮮学校を無償化するべきである」と主張することは必ずしも「他の外国人学校は無償化するべきではない」と主張することを意味しない」という理屈が通るなら、朝鮮学校を無償化しないことは、朝鮮学校を差別することを意味しないという理屈だって通ると思うのですが。
理屈が通るのは「朝鮮学校を無償しないことは、必ずしも他の外国人学校を無償化することを意味しない」くらいなのではないでしょうか。もしそうでないならば、詳しい論理の流れを教えてください。
>http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/mushouka/__icsFiles/afieldfile/2010/04/08/1292454_3.pdf
>quppaさんが言われる「後期中等教育をする学校」とは、ここの第二条二にある「中等教育学校の後期課程」とは別物なのでしょうか。
よく解りませんけど、早い話、「高校を無償化すると日本国にとって○○というメリットが生じるけれど、朝鮮学校を無償化しても日本国にとって同じ○○というメリットは生じ得ない」という○○が明確ではないから、差別を疑うという形で○○の提出が促されているわけです。
>>50 quppaさん
>ある一つの福祉募金にだけ募金をして他の福祉募金に募金をしないことは、はたして本当に「他の福祉募金は募金するに値しない」を主張することを意味するのでしょうか。とても不思議なことをおっしゃっていると思います。
その通りです。意味しません。
同様に、ある一つの福祉募金にだけ募金をして他の福祉募金に募金をしないことは、「他の福祉基金を差別している」ことを意味しないのです。
これにより、朝鮮学校を無償化しないことは、決して差別ではないことが示されました。
>>51 エビチリさん
>同様に、ある一つの福祉募金にだけ募金をして他の福祉募金に募金をしないことは、「他の福祉基金を差別している」ことを意味しないのです。
募金をした個人は、そのお金を誰かから託されたわけではないのだから、自身がなした募金行為の目的について自分自身に説明できれば十分なわけです。
一方、無償化をした国家は、そのお金を納税者から託されたわけなので、自身がなした無償化行為の目的について納税者に説明できるはずです。しかし、まだ高校と朝鮮学校において効果に歴然とした差が生じるような目的については、現状において不明瞭なままです。
だとしたら、
>これにより、朝鮮学校を無償化しないことは、決して差別ではないことが示されました。
はどのような論法で導かれるのでしょうか。不思議なことをおっしゃっていると思います。
loopy
>>52 quppaさん
申し訳ありませんが、ちゃんと論点は絞って欲しいと思います。
私は、
>>50でquppaさんが募金の話をしたので、それに合わせただけです。
なのに、なぜ今度は国の話になるのでしょうか。
>>50 quppaさん
ある一つの福祉募金にだけ募金をして他の福祉募金に募金をしないことは、「他の福祉募金は募金するに値しない」を主張することを意味するのではない。
>>51 エビチリ
同様に、ある一つの福祉募金にだけ募金をして他の福祉募金に募金をしないことは、「他の福祉募金を差別している」ことを意味するのではない。
>>52 quppaさん
無償化をした国家は、そのお金を納税者から託されたわけなので、自身がなした無償化行為の目的について納税者に説明できるはず。
>>50-51と、
>>52がつながってないのは一目瞭然かと思います。
あくまで募金に論点を絞った上で、
>>51に反論してください。
つまり、「ある一つの福祉募金にだけ募金をして他の福祉募金に募金をしないことは他の福祉募金を差別していること」を示してください。
国の予算と個人の募金を同一視したのは、他ならぬquppaさんなのですから、このスタンスを守るのが筋でしょう。
そうでないなら、
>>50のquppaさんの発言は一体なんだったのかということになってしまいます。
ですので、国の予算と個人の募金を同一視したままで、議論して頂きたいと思います。
>>54 エビチリさん
>申し訳ありませんが、ちゃんと論点は絞って欲しいと思います。
こちらこそ申し訳ありませんけど、私の論点は最初の書き込みから終始一貫して、
>無償化をした国家は、そのお金を納税者から託されたわけなので、自身がなした無償化行為の目的について納税者に説明できるはずです。しかし、まだ高校と朝鮮学校において効果に歴然とした差が生じるような目的については、現状において不明瞭なままです。
なのですが。
>ある一つの福祉募金にだけ募金をして他の福祉募金に募金をしないことは、「他の福祉募金は募金するに値しない」を主張することを意味するのではない。
つまり、「可愛いおねえちゃんの募金箱にお金を入れて「ありがとうございますっ!」と言われて、いい気分になる」という目的なら、「他の福祉募金で募金を訴えている人はあまり可愛くない」を主張することになったとしても「他の福祉募金は募金するに値しない」を主張したことにはならないのと同様に、朝鮮学校の無償化の主張も「朝鮮学校が差別されていないことを確認して、安心したい」という目的なら、「他の外国人学校が差別されていないことを確認することに興味はない」を主張することになったとしても「他の外国人学校を無償化するべきではない」を主張することにはなりません。
で、
>同様に、ある一つの福祉募金にだけ募金をして他の福祉募金に募金をしないことは、「他の福祉募金を差別している」ことを意味するのではない。
つまり、朝鮮学校の無償化を主張しても、必ずしも「他の外国人学校を無償化するべきではない」と主張していることを意味しません。だとしたら、どのような論法で、
>>51
>これにより、朝鮮学校を無償化しないことは、決して差別ではないことが示されました。
が成立するのか(つまり、募金における「いい気分になる」や朝鮮学校無償化要求における「安心したい」みたいなものとして、国家は無償化の目的にどのようなものをおいているのか)と尋ねているわけです。
>50-51と、52がつながってないのは一目瞭然かと思います。
上に説明したとおり密接につながっていると思いますが、いったい何をもってそのように判断されたのでしょうか。
・・・え〜・・・、肺炎でした。ずいぶん長い間かかりましたが、どうやら体調も元に戻りつつあるようです。
さて、ちょっと話が戻るようですが、
>>40のquppaさんの書き込みは、
>>37のvitamizerさんの書き込みを捻じ曲げています。
つまり、vitamizerさんの言っていないことを「あたかもvitamizerさんが主張しているかのごとく」扱い、そうしてその「ありもしない
主張」に反論して見せているだけです。それは「的外れな反論」です。
その部分とはここです。
*************************************************
>でしょう。なんと言ってもテロを容認する教育ですよ。
>もしも政府が朝鮮学校のことをテロリスト養成機関と認定しているのならば、とうの昔に排除していると思いますけど。
*************************************************
そもそもvitamizerさんは「朝鮮学校をテロリスト養成機関」等と主張していません。
「テロリストを容認する教育」
と主張しているのです。
vitamizerさんが主張してもいないことをあたかもしているかのように話を進める手法はいただけません。
ま、もっとも「そんな手法は使っていない」「いや使っている」などという本筋から外れた議論に進むことも望んでいませんが、しかし
quppaさんの論に誤りかあればそれは指摘しなければならないので。
こんなことを私が言うのも、vitamizerさんは私自身の主張
「朝鮮学校はテロリストを賛美し、絶対化する教育を行う学校」
という主張を肯定し、そこから論を展開していますから、まあ私も一言いわせて戴いていいかな、と判断し、発言しました。
【本論】
quppaさん、私はTVで朝鮮学校の人たちが「金正日を絶対化する教育を止めない」と断るシーンを見た、と言っています。関東地方の人
たちについては知りませんが、関西地方の人々で、これを見た人は多いでしょう。
quppaさんはこれを
「そんなことはない。朝鮮学校では金正日を犯罪者として断罪する教育を行っている。横田めぐみさんを拉致し、今だにその消息を明ら
かにせず、彼女の両親を悲しませている張本人だと教えている」
と主張するのでしょうか?
どうか真正面から答えてください。
>>46エビチリさん、素晴らしい論です。そうしていまだにquppaさんはあなたの問いかけ
「・・・しかしそうした論証がまったくされていません。少なくとも私は知りません(あるのであれば教えてください)」
この問いかけに答えていません。あなたの書き込んだ内容から、自分が反論できそうな部分を見つけ出してそこに論点を移し変えている
だけです。募金の話を持ち出しながら、その話が本題にどう関連するのかを示さずにいたり、とかね。
その意味であなたの
>>54の書き込み
「論点を絞るべき」
は、まったく正しいです。
話をそらす人たちは、
「本題の部分で反論できないから、隅っこの部分に次々に話題を移していく」
この実例を見ているんですね。
>>56 elsewhereさん
>そもそもvitamize
>さんは「朝鮮学校をテロリスト養成機関」等と主張していません。
>「テロリストを容認する教育」
>と主張しているのです。
文脈的に「朝鮮学校が日本において教育行為をすることには問題がある」を主張していると解釈しましたが、ならば、なぜ問題があるのに政府はとっとと朝鮮学校を日本から排除しないのか、実は政府はそれほど問題があるとは扱っていないのではないのか(それとも、テロリスト養成機関みたいなものが存在していても政府は問題ありと扱わずに放置すると主張しているのか)、と尋ねたわけですが。
もしも政府が「テロリストを容認する教育」を排除しなくても構わないと判断しているのならば、政府が無償化除外の理由として「テロリストを容認する教育」を据えるのには無理があるのではないかというのが私の主張です。
>【本論】
>quppaさん、私はTVで朝鮮学校の人たちが「金正日を絶対化する教育を止めない」と断るシーンを見た、と言っています。関東地方の人
>たちについては知りませんが、関西地方の人々で、これを見た人は多いでしょう。
>quppaさんはこれを
>「そんなことはない。朝鮮学校では金正日を犯罪者として断罪する教育を行っている。横田めぐみさんを拉致し、今だにその消息を明ら
>かにせず、彼女の両親を悲しませている張本人だと教えている」
>と主張するのでしょうか?
>
>どうか真正面から答えてください。
私がそのことを主張したり、あるいはしなかったりしたとして、そのことと朝鮮学校の無償化除外が「差別」かどうかと、いったいどのような関係があるのでしょうか。そのあたりを明瞭にしていただけたら、必要に応じてお答えします。
>「・・・しかしそうした論証がまったくされていません。少なくとも私は知りません(あるのであれば教えてください)」
「高校の卒業生は日本社会に益となるが、朝鮮学校の卒業生は日本社会に害となる存在である」を証明することを求められているのは、朝鮮学校無償化除外が「差別ではない」と主張する側の人(たとえば、elsewhereさんやエビチリさん)なのではないでしょうか。そして、「差別ではない」と主張していない側の人が、提出された証明を注意深く検証するというのが議論の流れというものです。
>だけです。募金の話を持ち出しながら、その話が本題にどう関連するのかを示さずにいたり、とかね。
示すも何も、本題にどう関連するのかについて文脈的に筋の通る解釈は他にないように思いますけど。
>その意味であなたの>>54の書き込み
>「論点を絞るべき」
>は、まったく正しいです。
論点は最初から絞られています。
>話をそらす人たちは、
>「本題の部分で反論できないから、隅っこの部分に次々に話題を移していく」
>この実例を見ているんですね。
まさにそれを目の当たりにしている心地です。とっとと、
「高校の卒業生は日本社会に益となるが、朝鮮学校の卒業生は日本社会に害となる存在である」
を証明してください。
まず命題P=「朝鮮学校の無償化除外は差別である」とおいたとき、「Pの真偽を決定すること」がこのスレの目的です。Pの真偽を決定するためには、適切な前提と、その前提から命題Pを導く論理が必要です。論理学では前提の命題にどのような真偽を代入するかは任意とされています。したがって、どのような前提と論理を用いるかによって、Pの真偽をいかようにも設定することができます。すなわち論理的に議論するのならば、「差別である」とすることも「差別ではない」とすることも、どちらも論理的に導くことが可能です。結論の真偽が異なるのは前提と論理が異なるためであり、それを明らかにすることが論理的な議論です。
elsewhere さんは主張の根拠として日本国憲法を引き合いに出しておきながら、その前提が疑われると「的外れな反論です」といい、ブルンジさんが「国際的面と歴史的面」を前提にすると「いずれも正当な理由にはなりません」と却下します。これは全く論理的ではありません。議論の前提はどのような内容であれ前提として認められるべきで、それらは結論が一致しなかったときには等しく疑われるべきです。
ブルンジさんは歴史的面を不要だと認めてしまいましたが、私はもう一度取り上げましょう。現在日本に居住している朝鮮・韓国人の多くは、大戦時に強制的に日本に移民させられてきた人たちの子孫です。母国語の使用を禁止され、日本語の名前に改名させられ、有無をいわさず安価な労働力として、敗戦が濃厚な日本のために、時には命すら犠牲にさせられた人たちの末裔です。歴史に不勉強なのは仕方ありませんが、論理的な議論を行うためには文脈というものが必要です。それは歴史であったり、文化であったり、言葉であったりしますが、少なくとも朝鮮という国と日本がどのように関わってきたかを知らないと論理的な議論にはならないでしょう。
しかしそれ(感情論)と学校の差別とは客観的には全く関係がありません。にも関わらず私がこれを取り上げたのは彼らの論理を理解するためにはどうしても必要な要素だと考えたからです。「テロリストは認められない」と感情的になった elsewhere さんと同様に、彼らにも感情があります。そしてそのような感情を理解しない限り、論理的な理解も、議論も、和解もありえません。
>>56 elsewhereさん
確かに論点のすり替えが行われています。しかしそれを行ったのはエビチリさんであり、
>>43において「朝鮮学校の無償化除外は(ほかの高校と比べて)差別である」という命題が「朝鮮学校の無償化除外は(ほかの外国人学校と比べて)差別である」という別の命題に置き換わっています。これはよくにた別の命題であって、後者の命題についていくら議論を重ねたところで、前者の命題の真偽については明らかになりません。
それでは前者の命題についての議論に入りましょう。
「差別ではない」とする論点は
>>1にあげられている二点です。
[非差別1]「無償化除外は“教育の機会を奪うがゆえに”差別だ」に対する反論
[非差別2]「民族教育を受ける権利がある。それが無償で受けられないのは差別だ」に対する反論
「差別である」とする論点は
>>13に述べられています。
[差別1]国際的面
[差別2]歴史的面
この中で[非差別2]を発展させた議論が現在の論点です。おおむねの論理を抽出するとこうなります。
「テロを容認する教育を行っているから、差別ではない」
>>37
「テロ思想のような危険はないから、差別だ」
>>4
どちらも論理的です。そしてここで議論は既に終了しています。なぜならお互いの結論の真偽が異なるのは、前提とした命題の真偽が異なっていたからだと判明したからです。
>>59 夜更けさん
>「テロを容認する教育を行っているから、差別ではない」>>37
>「テロ思想のような危険はないから、差別だ」>>4
>
>どちらも論理的です。そしてここで議論は既に終了しています。なぜならお互いの結論の真偽が異なるのは、前提とした命題の真偽が異なっていたからだと判明したからです。
それは思考停止というものではないでしょうか。これをしていては議論を進展・洗練させる原動力はどこにも生まれないような気がします。
そもそもelsewhereさんはスレ立てに際して、AがBとCにおいて異なる扱いをした際に、Aが差別をしていないことの定義として、その異なる扱いがAの建前上の目的に適うことであると高らかに規定しています(私自身も、その定義には異論はありません)。そして、このスレにおいては、Aは政府、Bは高校、Cは朝鮮学校が当てはまり、Aが差別をしているのかどうか(elsewhereさんの主張は「Aは差別をしていない」)が議論の対象になります。
議論の(新しい反論が提出される限り終結しないという意味で、暫定的な)結論は、「差別ではない」「差別である」「どちらの可能性も否定されていない(つまり、差別である可能性が否定されないまま残されている)」の3通りあるように見えますけど、「差別である」は「BとCの扱いが異なることが適うAの建前上の目的は存在しない」という悪魔の証明をしなければならないため、実質的にはこれを除く「差別ではない」と「差別である可能性が残されている(Aは差別かもしれないことを平気でやっている)」のどちらであるかを議論することになります。
そして、この構図において「差別である」を主張するためには「BとCの扱いが異なることが適うAの建前上の目的」を提出することが必要となります。つまり、現状で求められているのは、
- 「テロを容認する教育」を行っている場合と、行っていない場合において効果に甚大な差異が生じるAの建前上の目的
の提出であって、この提出の有無をもって(暫定的な)結論が決まるという意味において互いの結論の真偽は異なりません。
現状では提出されていないので、暫定的に「差別である可能性が残されている(Aは差別かもしれないことを平気でやっている)」が成立しています(提出され次第、暫定的結論は「差別ではない」に移行します。ただし、筋の通る反論が提出されるまでの間だけですが)。
このような手順を踏むことこそが、論理的な議論の流れというものなのではないでしょうか。
>>55 quppaさん
>私の論点は最初の書き込みから終始一貫して
私が言っている論点というのは、募金に関することです。
募金の話をしているので、まずはその募金について話をして下さいということです。
なので、
>>52は、募金の話をしてないので、論点がずれていることになるのです。
繰り返しますが、私の
>>51における主張は、
「ある一つの福祉募金にだけ募金をして他の福祉募金に募金をしないことは、「他の福祉基金を差別している」ことを意味しない」
です。
この主張に対し、あくまで募金に論点を絞った上で反論してください。
つまり、「ある一つの福祉募金にだけ募金をして他の福祉募金に募金をしないことは他の福祉募金を差別していること」を示してください。
間違っても、「無償化をした国家は〜」というような、募金以外の話はしないで下さい。
もう一度言いますが、国の予算と個人の募金を同一視したのは、他ならぬquppaさんなのですから。
それと、「朝鮮学校が差別されていないことを確認して、安心したい」ということが朝鮮学校の無償化を訴える動機であれば、国としては動く必要はなくなりますね。
差別を是正せねばならないという明確な社会的大義があるならともかく、そんな個人的な理由で予算を出すわけにはいかないですから。
>>60 quppaさん
それはあくまで一般的な議論の進め方であって、どこも論理的ではありません。
思考停止ではないか、という点について:
論理とは前提から結論を導くことです。論理的な議論とは結論から始まって、その結論を肯定する(あるいは否定する)前提を述べ合うものです。しかし観点が違えば前提も異なります。そこで論理的に妥当か否かを決定するためには、前提が同じ命題となるまで議論を進める必要があります。前提が同じ命題にたどり着いて初めて、論理が妥当であったか否かを検証することができるのです。
これはあくまで一つの区切りであり、さらにその命題を結論として、また前提を述べ合う過程に戻ることも可能です。しかしこれは議論を続けるというよりも、一つの議論が終わり、また新たに一つの議論が立ち上がったと見なすこともできます。このサイクルの一つ一つはそれぞれが単独でも意味を持つ議論として成り立ちうるのです。
>>59において私が議論を終了とした理由はもう一つあります。それはもう既にブルンジさんが書き込みをやめているという点です。これ以上そのサイクルを続けたくても、論者がいなければ議論のしようがありません。私は(そしておそらく quppa さんも)論理的側面だけに興味があり、本題とする命題の真偽はどうでもよいのですから。
>>59 夜更けさん
横で申し訳ありませんが、
>確かに論点のすり替えが行われています。しかしそれを行ったのはエビチリさんであり、
という記述があったので、この点について説明させて頂きます。
>後者の命題についていくら議論を重ねたところで、前者の命題の真偽については明らかになりません。
これは間違いです。というのも、後者の命題は、前者の命題をも含んでいるからです(少なくとも私はそのつもりです)。
つまり、前者の命題「朝鮮学校の無償化除外は(ほかの高校と比べて)差別である」に加え、「朝鮮学校を除く外国人学校の無償化除外は差別ではない」という命題です。
後者の命題を議論すれば、自ずと前者の命題も解決されます。
なぜ私が「朝鮮学校の無償化除外は(ほかの外国人学校と比べて)差別である」という命題を提唱したかといいますと、
「朝鮮学校の無償化除外は(ほかの高校と比べて)差別である」が肯定的に解決された場合、
次は必然的に、「では他の外国人学校を無償化しないのは差別ではないか」という問題が発生するからです。
一つの差別疑惑を解消しても、また別の差別疑惑が生じるだけです。
ならば、一挙にそれを解決しようというのが私の意図です。
本当に差別を撤廃しなければならないと考えるのであれば、この両方を考えなければいけないと思うはずです。
もしそう考えないのであれば、それは恐らく差別を憎んでいるのではなく、単に朝鮮学校の利益を考えているだけなのでしょう。
>>63 エビチリさん
朝鮮学校の教育内容に問題があるかどうかが論点なのでしょう。それなのに朝鮮学校の問題が解決されたら「次は必然的に他の外国人学校」になる、その必然性が理解できません。それとも北朝鮮のほかに拉致を正当化している国家がありますか?
>>64 夜更けさん
>朝鮮学校の教育内容に問題があるかどうかが論点なのでしょう。
ではなく、朝鮮学校を無償化から除外するのは差別か否かが論点です。
教育内容というのは、差別か否かを評価するための一観点に過ぎません。
例えば、仮に教育内容に問題はなくても、国民感情や世界情勢を踏まえると
朝鮮学校を無償化から除外するのが適切であるという論理だってあるのですから。
ここでそのことが議論されないのは、水掛け論になるだけだと誰もが思っているからではないでしょうか。
>それなのに朝鮮学校の問題が解決されたら「次は必然的に他の外国人学校」になる、その必然性が理解できません。
理解できないのは、差別か否かという問題意識が欠如しているからです。
差別を問題視するなら、必然的に導かれます。
言ったはずです。「本当に差別を撤廃しなければならないと考えるのであれば」と。
そして、図らずも夜更けさん自身も仰っています。
「私は(そしておそらく quppa さんも)論理的側面だけに興味があり、本題とする命題の真偽はどうでもよいのですから」と。
夜更けさんが命題の真偽はどうでもよいとお考えになるのは、つまり差別かどうかにはそれほど興味がないということですよね。
だから、必然性が理解できないのです。
正確には、理解できないというより、興味がないというだけだと思いますが。
>>65 エビチリさん
申し訳ないが論理的に理解することができないというのであれば、ここで議論することをやめてもらいたい。論理とは異なる立場・問題意識を持った人間とも理解し合うための道具です。あなたは説明を最初から放棄している、これは論理的ではありません。本来なら黙って評価するべきですが、私はあなたの意見を論理的に理解したいので、次のレスがあるまでは評価を控えます。自らの主張を論理的に説明せずにわかってもらおうなど不可能だと考えてください。
>>58 夜更けさん
>まず命題P=「朝鮮学校の無償化除外は差別である」とおいたとき、「Pの真偽を決定すること」がこのスレの目的です。
>Pの真偽を決定するためには、適切な前提と、その前提から命題Pを導く論理が必要です。
>論理学では前提の命題にどのような真偽を代入するかは任意とされています。
>したがって、どのような前提と論理を用いるかによって、Pの真偽をいかようにも設定することができます。
>すなわち論理的に議論するのならば、「差別である」とすることも「差別ではない」とすることも、
>どちらも論理的に導くことが可能です。結論の真偽が異なるのは前提と論理が異なるためであり、
>それを明らかにすることが論理的な議論です。
たしかにおっしゃる通りです。「それを明らかにすること」それが大事なことであることに私は同意します。
>elsewhereさんは主張の根拠として日本国憲法を引き合いに出しておきながら、その前提が疑われると「的外れな反論です」といい、ブ
ルンジさんが「国際的面と歴史的面」を前提にすると「いずれも正当な理由にはなりません」と却下します。これは全く論理的ではあり
ません。議論の前提はどのような内容であれ前提として認められるべきで、それらは結論が一致しなかったときには等しく疑われるべき
です。
ここには私は同意しません。その理由は以下の通りです。
>ブルンジさんが「国際的面と歴史的面」を前提にすると「いずれも正当な理由にはなりません」と却下します。
>これは全く論理的ではありません。
私は何故正当な理由にならないかを明らかにしています。それは「正当にならない」という文章に続けて書いた次の部分です。
*********************************
>「国際的面と歴史的面」とはどのようなものかをあなたは明確にしていません。
>明確ではないことを理由に費用を負担するべきという論は、根拠が無い論と言えます。
*********************************
あなたはこの部分を読まなかったのでしょうか? 読んだ上で「論理的ではない」というのであれば、なぜ論理的でないかを明示する必
要があります。そうしなければ、ただの「論理的じゃないの! 論理的じゃないったらないったらないの!」という主張と変わるところ
がありません。
あなたはずいぶん論理的に話す人とお見受けしました。是非、私に上記の部分の論を見せてください。
あと、これは本論からは外れますが、あなたは『
評価について書いてはならない』というこのサイトの趣旨を無視しています。
もう一度、このサイトの基本的なルールから読んでみることをお勧めします。
>>66 夜更けさん
>申し訳ないが論理的に理解することができないというのであれば、ここで議論することをやめてもらいたい。
これは、もしかして、「朝鮮学校の問題が解決されたら「次は必然的に他の外国人学校」になる、その必然性が理解できません」
に関することですか?
論理的には理解できますよ。ただ、夜更けさんが理解しようとしないだけです。
だから私は、「正確には、理解できないというより、興味がないというだけだと思いますが」と書いたのです。
>論理とは異なる立場・問題意識を持った人間とも理解し合うための道具です。
確かにその通りです。
ならば夜更けさんこそ、私という「異なる立場・問題意識を持った人間」のことを理解しようとしてください。
具体的には、「差別を問題視する人間」のことをです。
夜更けさん自身も仰っていますよね。
>>58で、「そのような感情を理解しない限り、論理的な理解も、議論も、和解もありえません」と。
つまり、夜更けさんが論理的な理解ができないのは、「差別を問題視する人間」の感情を理解していないからです。
「差別を問題視する人間」の感情を理解した上でなお、私の言っていることが分からないのであれば、もう一度説明いたします。
ですが、そうした感情を理解できないのであれば、夜更けさん自身が仰るように、議論になりません。
>あなたは説明を最初から放棄している、これは論理的ではありません。
説明は
>>63でしましたよ。これです。
「「朝鮮学校の無償化除外は(ほかの高校と比べて)差別である」が肯定的に解決された場合、
次は必然的に、「では他の外国人学校を無償化しないのは差別ではないか」という問題が発生するからです。
一つの差別疑惑を解消しても、また別の差別疑惑が生じるだけです。」
そして、こうした問題が発生する条件も書いています。
「本当に差別を撤廃しなければならないと考えるのであれば」と。
逆に言えば、「差別を撤廃しなければならないと考えていない」のであれば、
必然的には発生しないということです。
以上をまとめますと、
・感情を理解しない限り、論理的な理解はありえない。
・「次は必然的に他の外国人学校」になる、その必然性を理解するには、
「本当に差別を撤廃しなければならない」という感情を理解する必要がある。
・夜更けさんは、この感情を理解してない。
・よって、夜更けさんは論理的な理解ができない。
言っておきますが、「本当に差別を撤廃しなければならない」という感情を無理に理解しろとはいいません。
ですが、この感情を理解しない限り、いくら夜更けさんが論を重ねてもほとんど無意味になるのではないかと思います。
>>61 エビチリさん
>募金の話をしているので、まずはその募金について話をして下さいということです。
ならば、文脈に添って説明しましょう。
- エビチリさんが
>>43において、「朝鮮学校を無償化するべきだ」と主張することは「無償化されていない他の学校は無償化に値しない」と主張することになる(のではないか←以降略)と主張
- 私が44>>において、必ずしもそうとは限らないと主張
- エビチリさんが
>>46において、ならば、そうとはならない場合の解釈を出せと要求
- 私が
>>48において、(朝鮮学校だけが差別されているかどうかということよりも)政府が差別という行為を平気でやっているかどうかに関心があるからこそという解釈を提出
- エビチリさんが
>>49において、私が提出した解釈は妥当なものではないと主張
- 私が
>>50において、ならばエビチリさんの論法では論理構造の類似性より、(個人的な目的で)「単独の福祉募金へのみの募金」をする場合においても「他の福祉募金は募金するに値しない」と主張することになりそうだが、もしそうでないのならば、
>>43の主張もとり下げる必要があると主張
- エビチリさんが
>>51において、「単独の福祉募金へのみの募金」をしても「他の福祉募金は募金するに値しない」を主張したことにはならないから、「朝鮮学校無償化除外」は差別ではないと主張
- 私が
>>52において、ならば(ただし、
>>51の要旨における「から」を「けど」に読み替え)、「単独の福祉募金へのみの募金」における個人としての目的と同程度に筋の通る「朝鮮学校無償化除外」における政府としての目的を出せと要求(「から」のままでは
>>51の主張を導き得ないとも同時に主張)
>なので、>>52は、募金の話をしてないので、論点がずれていることになるのです。
上に示した文脈の流れのとおり、エビチリさんの
>>51の主張が成立するならば、私からの
>>43への反論は(私が
>>48で提出した根拠が揺らぐため)成立しなくなりますが、だからこそ52>>で
>>51の根拠を要求しているわけです。募金の話にも関連していますし、論点はまったくずれていません。
>繰り返しますが、私の>>51における主張は、
>「ある一つの福祉募金にだけ募金をして他の福祉募金に募金をしないことは、「他の福祉基金を差別している」ことを意味しない」
>です。
>この主張に対し、あくまで募金に論点を絞った上で反論してください。
>つまり、「ある一つの福祉募金にだけ募金をして他の福祉募金に募金をしないことは他の福祉募金を差別していること」を示してください。
それが上に示したこれまでの議論における文脈の流れにどのように関係しているのでしょうか。そのあたりを明確にしていただかない限り、文脈から逸脱した単なる議論妨害的な要求と変わらないのではないでしょうか。
>>62 夜更けさん
>論理とは前提から結論を導くことです。論理的な議論とは結論から始まって、その結論を肯定する(あるいは否定する)前提を述べ合うものです。しかし観点が違えば前提も異なります。そこで論理的に妥当か否かを決定するためには、前提が同じ命題となるまで議論を進める必要があります。前提が同じ命題にたどり着いて初めて、論理が妥当であったか否かを検証することができるのです。
暫定的な結論を導くだけなら、自身の脳内だけで作業を完了することができます。しかし、その結論を導く過程が正しいかどうかについては何とも言えないがために、議論の場において自身の結論に対して反論を募集するのが議論です。したがって、各個人において、自身の暫定的な結論に対して反論を募集する気がなくなれば、いつでも議論の場から暫定的に退場しても構いません。
議論の場において提出された主張は、反論がなされるまでは成立するものと扱われ、これと矛盾する主張を反論する意図なしに提出することは許されませんが、一方で、暫定的に成立していると扱われている主張に対して自身の脳内で導いた結論が整合しない場合に、反論する、反論しないで議論の場から退場する、のどちらを選ぶのも自由です。反論をすれば、それまで暫定的に成立すると扱われていた主張は無効となり、自身の主張が暫定的に成立するものと扱われ、この主張に対する反論の募集が開始されることになるわけです。
>これはあくまで一つの区切りであり、さらにその命題を結論として、また前提を述べ合う過程に戻ることも可能です。しかしこれは議論を続けるというよりも、一つの議論が終わり、また新たに一つの議論が立ち上がったと見なすこともできます。このサイクルの一つ一つはそれぞれが単独でも意味を持つ議論として成り立ちうるのです。
「その前提は文脈的に意味がないのでは?」という反論が提出されたときに、文脈的に意味が説明できるならば、この説明をもって反論してもいいし、反論しないままに議論の場から退場してもいいわけで、区切る必要はないどころか、せっかくの文脈的意味が提出される機会が潰されてしまうことにはならないでしょうか。
> >>59において私が議論を終了とした理由はもう一つあります。それはもう既にブルンジさんが書き込みをやめているという点です。これ以上そのサイクルを続けたくても、論者がいなければ議論のしようがありません。私は(そしておそらく quppa さんも)論理的側面だけに興味があり、本題とする命題の真偽はどうでもよいのですから。
私個人としては、朝鮮学校かどうかはどうでもいいのですが、政府が無償化に関して差別をしていないことを知って安心したいわけで、筋の通らない根拠に基づいて「差別でない」と結論付けられることによって、筋の通る本当の根拠が提出される機会が失われるのは避けたいという気持ちがないわけではありません。
そして、
>>43のエビチリさんのような論法は、「朝鮮学校」ではなく「外国人学校」に言い換えろ、みたいな話につながり、場合によっては、議論の文脈から逸脱して文言の一字一句を洗練するように要求するある種の揚げ足とり的な議論妨害を許すことになるケースがあるため、不必要な言葉の言い換えをしないで済むように注意深く対応しているわけです。
>>67 elsewhereさん
あなたからすれば「論理的じゃないの! 論理的じゃないったらないったらないの!」という主張と何ら変わらないかもしれませんが、前提に正当か正当でないかなんてありません。前提はただの前提です。それを認めるのが論理です。違うというのなら、それはあなたが論理というものを誤解しています。
>>68 エビチリさん
「本当に差別を撤廃しなければならない」という感情って何ですか? その感情を理解しなければ、理解できない必然性があるのならば、少なくともその感情を特定できるように説明することが必要ではありませんか?
「本当に」はとても曖昧な言葉です。使う人によって意味が異なります。こんな曖昧な言葉を使って表現された、得体の知れない感情など理解のしようもありません。感情論が議論に必要なら、最低限は言葉によって文脈が想起されるようにしなければ、誰にも伝わらないでしょう。
>>70 quppaさん
一点だけ、文脈的意味について:
個々の議論を単独で取り出せるということには、それはそれでメリットもあります。議論が文脈から切り離されていた場合は、途中から誰でも議論に参加することが可能になります。それが議論されている文脈など知らずとも、その時点で結論とされている命題さえわかれば、その段階から議論に参加することができるという点です。
私にはちょっと文脈的意味を提出できなくて困るという状況が想像できなかったので、もしデメリットの方が大きいと考えるならば、想定可能な状況でも教えてもらえるとうれしいです。
>>69 quppaさん
つまり、
>>52の要旨は、「「単独の福祉募金へのみの募金」における個人としての目的と同程度に筋の通る「朝鮮学校無償化除外」における政府としての目的を出せ」ということですね。
もしそうなのであれば、確かに論点はずれていません。
で、それができたなら、朝鮮学校を無償化の対象外は差別ではないということに納得されるということでよろしいでしょうか。
>>72 夜更けさん
>感情論が議論に必要なら、最低限は言葉によって文脈が想起されるようにしなければ、誰にも伝わらないでしょう。
伝わる人には伝わりますし、伝わらない人には伝わらない。
そして、伝わらない人にそれでも伝えようとするのは、その人と何らかの合意に至りたい場合です。
しかし、私は別に夜更けさんとなんらかの合意に至りたいとは思っておりません。
ただ、論理的に理解できない理由は、論理ではなく、感情に原因があるということは
ご理解いただけたようなので、私はそれで満足です。
なお、恐らくご存知かと思いますが、論コミュには「気にいらない相手と議論しない」というルールがあります。
ですので、夜更けさんが私に「ここで議論することをやめてもらいたい」と思うほど
私が論客として未熟だと感じるのであれば、私を無視するのがよろしいかと思われます。
もちろん、「ルールを守るのは自分だけ」なので、このルールを押し付けるつもりはありません。
夜更けさんが、どんな相手とも議論すべきだとお考えになるのであれば、
そうなされても私には止める権利はございません。
なんで政治から離れて論理学の話ばかりしてるんだ? ここは。
政治的正当性は論理的正当性と別の所にある。
論理的正当性が確保できれば、政治的に正解なのかと言えば、そうじゃない。
論理的に「朝鮮学校の無償化除外は差別だ」と結論付いたところで、
政治的には「あ、そうですか。『でも差別しますね』それが政治的正解ですから」という風になる。
論理学から出てきた「差別かそうでないか」なんていう言葉は究極的にはAかBかという意味でしかない。
政治は現実的に肉を伴っている。だから政治学の正解は人を動かすことができる。
こういう政治的問題における論理武装は、政治的合理性が伴ってなきゃただの言葉遊びだよ。
>>73 夜更けさん
>個々の議論を単独で取り出せるということには、それはそれでメリットもあります。議論が文脈から切り離されていた場合は、途中から誰でも議論に参加することが可能になります。それが議論されている文脈など知らずとも、その時点で結論とされている命題さえわかれば、その段階から議論に参加することができるという点です。
一般に、言葉による説明は、複数の解釈が可能なケースがあるわけですが、過去になしてきた説明によって構築された文脈に無矛盾なもののみに候補は絞り込まれます。そのような絞り込みがなければ、互いに矛盾の生じるような解釈をやりたい放題になり、議論にはならないように思います。
>私にはちょっと文脈的意味を提出できなくて困るという状況が想像できなかったので、もしデメリットの方が大きいと考えるならば、想定可能な状況でも教えてもらえるとうれしいです。
たとえば、「テロリストを容認する教育をする学校の卒業生は日本に害をなす」という命題が真であるという前提を置く人がいたとして、「でも、偽であることが否定されていない命題を前提に議論をすることに意味はないのでは?」と指摘されたら、どのように議論することの意味を説明できるのか?といった感じです。
>>74 エビチリさん
>つまり、>>52の要旨は、「「単独の福祉募金へのみの募金」における個人としての目的と同程度に筋の通る「朝鮮学校無償化除外」における政府としての目的を出せ」ということですね。
>もしそうなのであれば、確かに論点はずれていません。
文脈的に論点から外れない解釈が可能であることをご理解いただけたようで幸いです。
>で、それができたなら、朝鮮学校を無償化の対象外は差別ではないということに納得されるということでよろしいでしょうか。
もしも
>>14の条件を満たす目的の提出を意図しているのならば、提出された目的が条件を満たすことを注意深く確認した後に納得することになるような気がします。
>>78 quppaさん
>もしも>>14の条件を満たす目的の提出を意図しているのならば、提出された目的が条件を満たすことを注意深く確認した後に納得することになるような気がします。
条件は
>>14ではなく、「個人としての目的と同程度に筋の通る」の間違いですよね。
実際、私の「つまり、
>>52の要旨は、「「単独の福祉募金へのみの募金」における個人としての目的と同程度に筋の通る「朝鮮学校無償化除外」における政府としての目的を出せ」ということですね」には反論していませんし。
もし、条件が「個人としての目的と同程度に筋の通る」ではなく
>>14が基準なら、
>>52は論点がずれていることになりますので、
また、
>>61に対する反論から始めて下さい。
それと、「気がします」では困ります。
論理を尽くしても納得しないのであれば、議論を交わす意味はありません。
……と言いたいところですが、quppaさんの気持ちは分かります。
図らずも
>>76でcastanetさんがおっしゃったように(そして私も
>>65でそれとなく匂わせたように)、
この手の問題は、多分にに政治的な判断が必要になる問題であり、
個人レベルでは個人の思想が大きく反映する問題ですから。
よって、結局どれだけ議論を重ねても、決してquppaさんは差別ではないという意見に納得されないことは目に見えていますし、
この「気がします」発言は、まさにそうした態度の表れだと言えるでしょう。
>>79 エビチリさん
>条件は>>14ではなく、「個人としての目的と同程度に筋の通る」の間違いですよね。
>実際、私の「つまり、>>52の要旨は、「「単独の福祉募金へのみの募金」における個人としての目的と同程度に筋の通る「朝鮮学校無償化除外」における政府としての目的を出せ」ということですね」には反論していませんし。
なんだかおっしゃっている意味がよく解りませんけれど、その目的とやらをもっているのならば、とにかくそれを出してみたらいいのではないでしょうか。提出を明示的にもったいぶるというのは、議論に参加する態度ではなく、駆け引きみたいなものをしているような態度に見えます。
>図らずも>>76でcastanetさんがおっしゃったように(そして私も>>65でそれとなく匂わせたように)、
>この手の問題は、多分にに政治的な判断が必要になる問題であり、
>個人レベルでは個人の思想が大きく反映する問題ですから。
だからこそ、変に印象操作や多数派形成工作が横行して議論妨害とならないように、議論の流儀を厳密に貫く必要があるのではないでしょうか。
>よって、結局どれだけ議論を重ねても、決してquppaさんは差別ではないという意見に納得されないことは目に見えていますし、
根拠の示されない個人の価値観を前提とした結論が受け入れられないのは、議論の場においては当たり前のことです。議論の場ではなく合意形成の場であるならば、それも有りなのでしょうけれど。
>この「気がします」発言は、まさにそうした態度の表れだと言えるでしょう。
「気がします」は「反論募集しています♪」のニュアンスを意図しています。もちろん、そんなものを書かなくても、議論の場においては、すべての主張が自動的に反論募集を前提とすることになるのですけど。
>>75 エビチリさん
論理的に議論するならば、少なくとも命題の内容がきちんと相手に伝わるように述べなければなりません。これは何も難しいことではなく、命題の真偽が第三者にわかるよう論理を説明すれば十分です。それができないというのなら、誰とも論理的に議論することはできません。
エビチリさんは最初から命題を正確に述べるという努力を怠っています。私が指摘したように、本題とは無縁の命題について論じているだけです。しかしそのことを論じようにも、あなたの言っている命題はすべて曖昧で、論理的に論じることがどうしてもできません。これでは議論にならないです。
>>76 castanetさん
それはもう一方の前提に立つブルンジさんの発言がないため、当面は論理的側面だけに焦点を当てざるを得ないという事情があります。そして論理的に考えるという必要は常にあります。
このスレを読んでいると差別派と非差別派は全く異なる論理を用いて自説を主張しているように見えましたが、「テロを容認する教育を行っているならば差別ではない」という論理で一致していました。違っていたのは教育内容がテロを容認するか・しないかという前提であり、これが対立軸でした。
そしてこのことが明らかになれば、不要な論理に足を取られずにすみます。上の論理で両者は一致しているのですから、この論理については今は議論の余地なく成り立っています。「テロを容認する教育を行っているならば差別ではない」は本当か? と問う必要はありません。
この点で quppa さんのいう目的の提出は必要なく、次の論点は「テロを容認する教育を行っているか」どうかです。しかしここで既に異なる前提に立つブルンジさんがいなくなっているために、議論を続けることができなくなっています。したがってこの議論は終了したも同然だと私は考えています。
>>77 quppaさん
その面では確かに文脈的意味が必要なケースもあります。議論の対象とする命題がかわれど、それは一続きの議論だということですね。
>>81 夜更けさん
>論理的に議論するならば、少なくとも命題の内容がきちんと相手に伝わるように述べなければなりません。これは何も難しいことではなく、命題の真偽が第三者にわかるよう論理を説明すれば十分です。それができないというのなら、誰とも論理的に議論することはできません。
議論の場において、命題の内容が伝わらないのは伝える側の責任ではないのではないでしょうか。伝える側の責任とすると、主張表現の一字一句の洗練が要求されることになり、揚げ足取り行為の横行を回避するメカニズムが消失することになると思います。
反論は、相手の主張内容として解釈可能なすべてのケースを自身の脳内で模索し、そのすべてにおいて矛盾が生じると脳内で暫定的な結論に至ったときに、その結論が正しいかどうかを反論の募集という形で検証することを試みる行為であって、相手の主張表現において解釈可能なケースが複数残っているという事実をもって相手の主張が無効になるということはないと思います。
>>84 quppaさん
一般論としてはわかります。ではこの状況で可能な解釈というのを教えてください。そもそも差別という言葉があまりにも安易に使われすぎていて、私には特定の仕方がよくわからないです。誰の誰に対する、誰に比較しての差別なのか、ちっとも明確ではありません。
そもそも論でものすごく恐縮ですが、朝鮮学校以外で無償化されない外国人学校ってあるんですか? このスレでは一度ブラジルが話題になってましたけど。このときは無償化除外という共通項があったから比較対象にされたんでしたよね。
結局まあ「ある外国人学校の無償化除外は差別であるか」という命題を解決するのに、「すべての外国人学校の無償化除外は差別であるか」という命題を解決する必要はありませんけどね。「ある犯罪者が殺人を犯したか」という裁判をしている真っ最中に「それならすべての犯罪者を取り調べなければ不公平だ」といっているのと同じレベルで。
>>80 quppaさん
>駆け引きみたいなものをしているような態度に見えます。
駆け引きではなく確認です。
quppaさんは否定されるかと思いますが、quppaさんは何度となく論点をずらしています。
そして、それを指摘しても、論点をずらしていないとおっしゃいます。
ですから、今後はそうならないように確認をとる必要があるのです。
単純な話、「Aを証明してみろ」といわれて実際に証明してみせたら、
「いや、本当に大切なのはBだ。Bを証明しろ」などと言われたら、まったく議論は進行しません。
ですので、「本当に証明すべきはこれでいいのか?」と確認がいるのです。
現に、私が
>>74で「
>>52の要旨は、「「単独の福祉募金へのみの募金」における個人としての目的と同程度に筋の通る「朝鮮学校無償化除外」における政府としての目的を出せ」ということですね」と確認をとったにもかかわらず、
>>78でquppaさんは、「
>>14の条件を満たす目的」と、別の目的にすりかえています。
quppaさんは「その目的とやらをもっているのならば、とにかくそれを出してみたらいいのではないでしょうか」とおっしゃっていますが、「その目的」とは、「「単独の福祉募金へのみの募金」における個人としての目的と同程度に筋の通る「朝鮮学校無償化除外」における政府としての目的」ですか? それとも、「
>>14の条件を満たす目的」ですか?
これを明示していただかない限り、こっちも書きようがありません。
なお、別に「
>>14の条件を満たす目的」だったとしてもかまわないのですが、そのときは
>>79に書いたように、
>>61に対する反論から始めて下さい。
>「気がします」は「反論募集しています♪」のニュアンスを意図しています。
ならばそう書いてください。
「提出された目的が条件を満たすことを注意深く確認した後に納得することになって反論募集しています♪」では意味がさっぱりわかりませんが。
ともあれ、私の問いは、「朝鮮学校を無償化の対象外は差別ではないということに納得されるということでよろしいでしょうか」です。
なぜその問いに対する答えが、「反論募集しています♪」になるのでしょうか。
納得するのかしないのか、それをきちんと答えてください。
別に条件つきで納得するとかでも構わないのですが、それならそれでその条件をきちんと書いてください。
>>81 夜更けさん
>これでは議論にならないです。
ならば議論をしなければいいのです。
もう一度言いますが、論コミュには「気にいらない相手と議論しない」というルールがあります。
無理に私の相手をする必要はないのです。
>>88 エビチリさん
わかりました。ですが私が議論の相手をしない理由は既に明示した通りで、命題が形をなしていないからです。同じ意見が再び命題の形をとって表現されればそのときは取り上げますし、いつでも議論の対象となり得ます。
ここから先は余談ですが、思うにエビチリさんのいう「差別をするな」っていうのは単に外国人の間で待遇に差別をするなって程度の意味合いなんじゃないかなあ。言葉で伝えないと何にもわからないですよ?
>>85 夜更けさん
>一般論としてはわかります。ではこの状況で可能な解釈というのを教えてください。そもそも差別という言葉があまりにも安易に使われすぎていて、私には特定の仕方がよくわからないです。誰の誰に対する、誰に比較しての差別なのか、ちっとも明確ではありません。
差別の定義については
>>1の第2段落にあります。この定義の私なりの解釈については
>>14に書きましたが、今のところ有効な反論は提出されていないようです。
つまり、「政府が無償化に関して少なくとも高校と朝鮮学校の扱いを区別しているということに関して、その区別が政府という立場における無償化実施の筋の通る建前上の目的に適っているのかどうか」が議論の対象になっているのだと思います。逆に、もしそうでなければ、議論にはならず、個人の価値観のぶつけ合いや、どちらの陣営が声がでかいか競争みたいなものにしかならないのではないでしょか。
>>87 エビチリさん
>単純な話、「Aを証明してみろ」といわれて実際に証明してみせたら、
>「いや、本当に大切なのはBだ。Bを証明しろ」などと言われたら、まったく議論は進行しません。
はたしてそうでしょうか。私はそうは思いません。
そもそも「Aを証明してみろ」の「A」は単独の文章で必ずしも正確には表現できるものではないと思います。つまり、文章のやりとりによって文脈として解釈可能な範囲が絞られることによって浮き出てくるものなのではないかと思うわけです。
>ですので、「本当に証明すべきはこれでいいのか?」と確認がいるのです。
よくこの手の質問にYes/Noで答えろと要求する人がいますが、そこで提示された質問における意図に関して複数の解釈が可能である場合に、自身が意図している解釈も可能性として残されていることをもってYesと答えると、それとは異なる解釈のもとで議論を展開し、その解釈は意図している解釈とは違うと訴えてもYesと答えたくせにと揚げ足取りのような態度をとられるケースがまま見受けられるわけです。
そのような確認なんてしなくても、とりあえず出してみればいいだけのことではないでしょうか。それに対して私が反論をした場合に、その内容が私が示した文脈の流れに矛盾しているなら、そのことを指摘すればいいだけだし、そうでなければ、私が提出した反論により解釈可能な範囲の幅がさらに絞り込まれることになるわけで、どちらにしても議論は進展することになるように思います。
>現に、私が>>74で「>>52の要旨は、「「単独の福祉募金へのみの募金」における個人としての目的と同程度に筋の通る「朝鮮学校無償化除外」における政府としての目的を出せ」ということですね」と確認をとったにもかかわらず、>>78でquppaさんは、「>>14の条件を満たす目的」と、別の目的にすりかえています。
どうすり替えているのかよく解りません。言葉尻のみをとらえているような気がします。
一連の議論は
>>43に対する私からの反論から始まっており、文脈の流れにおいて現時点では、エビチリさんが私が
>>48で提出した「朝鮮学校無償化の訴えの背後にある目的が、(朝鮮学校だけが差別されているかどうかということよりも)政府が差別という行為を平気でやっているかどうかに関心があるからこそという解釈」は成立しないという主張をもって反論しているという段階にあると私は理解しています。したがって、この反論を有効にするためには、「政府は差別をしていない」ことを示す、つまり
>>14の条件を満たす「政府としての無償化実施における筋の通る建前上の目的」を提出することが求められているというのが私の主張です。
>>90 quppaさん
ですよね。今ふと思ったんですが、
>>89の後半段落が quppa さんのいう「相手の反論の中に定義のあいまいな言葉が使われていたとしても、文脈的に筋の通る定義が存在するならば、その定義を採用する必要がある」に当てはまることなのかなあという気がしています。
ただ、これはこれで「いったいわない」の論争に発展する可能性があります。「あのときいった言葉はこのように解釈するしかないじゃないか」「いやこんな解釈もあり得る」。これをさけるためには「自動的にその解釈が採用される」というのではなく「この言葉はこのようにしか解釈できないが、それは妥当か」ということを反論の形で議論にのせる必要があるんだと思います。
今回は「あなたには理解できない」「いやそれはあなたの説明が足りないからだ」という議論の流れで中断してしまいましたので、わざわざ確認はとりませんが。
>>92 夜更けさん
>ただ、これはこれで「いったいわない」の論争に発展する可能性があります。「あのときいった言葉はこのように解釈するしかないじゃないか」「いやこんな解釈もあり得る」。これをさけるためには「自動的にその解釈が採用される」というのではなく「この言葉はこのようにしか解釈できないが、それは妥当か」ということを反論の形で議論にのせる必要があるんだと思います。
「あのときいった言葉はこのように解釈するしかないじゃないか」「いやこんな解釈もあり得る」これこそが議論には重要なのではないでしょうか。言葉が妥当かどうかを吟味し出したら、妥当な表現を探す労力で議論どころではなくなってしまうように思います。
文脈から外れないという条件のもとで「いやこんな解釈もあり得る」を模索することこそが、議論の本質なのではないでしょうか。
>>91 quppaさん
>そのような確認なんてしなくても、とりあえず出してみればいいだけのことではないでしょうか。
何を出せばよいのでしょうか。
できるだけ正確に書いてください。
>>94 エビチリさん
>>そのような確認なんてしなくても、とりあえず出してみればいいだけのことではないでしょうか。
>何を出せばよいのでしょうか。
>できるだけ正確に書いてください。
エビチリさんの
>>43における主張「ある個人が無償化しないのは差別なのではないかと疑問を提出する際に朝鮮学校と他の外国人学校の扱いを区別しているということに関して、その区別に適う個人という立場における筋の通る建前上の目的は存在しない」
に対する私の
>>48における反論「その個人が(朝鮮学校だけが差別されているかどうかということよりも)政府が差別という行為を平気でやっているかに関心があ(り、たまたま高校と区別された扱いをされている対象として朝鮮学校を思いついただけであ)るならば、朝鮮学校と他の外国人学校の扱いを区別することに適うため、エビチリさんの
>>43の主張は成立しない」
に対して、反論があるならば出してみてくださいといっているわけです。反論を出さなければ、
>>43の主張は無効となるだけのことです。
>>93 quppaさん
「妥当か」というのは「その解釈であっているか」ということを確認する意味であり、「妥当な表現を模索すること」は「どんな解釈があり得るかを模索すること」と目的は一致します。この場合であれば「すべての差別を撤廃するべきである」という表現を「外国人の間で差を付けるな」という解釈で理解することに問題はないか、ということです。
このように考えなければ必然性は生まれませんし、これが唯一の解釈ならばその表現をもって元の命題を置き換えることで論理的な理解が可能になります。そしてそれこそが議論の本質であるならば、黙ってせずに議論の一部として行うことに異議はないと思いますが、いかがでしょうか。
>>58 夜更けさん
>ブルンジさんは歴史的面を不要だと認めてしまいましたが、私はもう一度取り上げましょう。現在日本に居住している朝鮮・韓国人の多くは、大戦時に強制的に日本に移民させられてきた人たちの子孫です。母国語の使用を禁止され、日本語の名前に改名させられ、有無をいわさず安価な労働力として、敗戦が濃厚な日本のために、時には命すら犠牲にさせられた人たちの末裔です。歴史に不勉強なのは仕方ありませんが、論理的な議論を行うためには文脈というものが必要です。それは歴史であったり、文化であったり、言葉であったりしますが、少なくとも朝鮮という国と日本がどのように関わってきたかを知らないと論理的な議論にはならないでしょう。
全くそのとおりだと思います。誤った知識を前提に議論は成り立たないと思います。
これは日本政府の発表ですが、徴用で連れて来られた人は245人です。
そして現在在日の数は50万とも60万とも言われています。たった4、50年でここまで増えるハズもありません。
現在日本に居住している在日(朝鮮・韓国人)は全て、密入国、もしくは自らの意志で日本に来た人達の末裔です。
決して強制連行の犠牲者などではありません。
>しかしそれ(感情論)と学校の差別とは客観的には全く関係がありません。にも関わらず私がこれを取り上げたのは彼らの論理を理解するためにはどうしても必要な要素だと考えたからです。「テロリストは認められない」と感情的になった elsewhe
>e さんと同様に、彼らにも感情があります。そしてそのような感情を理解しない限り、論理的な理解も、議論も、和解もありえません。
確かに彼ら在日の方々はこのような誤った知識を教えられている訳で、その誤った知識で日本に対して不利益な言動をしています。
そして彼ら在日の方々に正しい歴史を学ぶ意志が無ければ、理解や和解はできないでしょう。
>>71 夜更けさん
>あなたからすれば「論理的じゃないの! 論理的じゃないったらないったらないの!」という主張と
>何ら変わらないかもしれませんが、前提に正当か正当でないかなんてありません。
>前提はただの前提です。それを認めるのが論理です。違うというのなら、それはあなたが論理というものを誤解しています。
ん? 前提はただの前提? 正当か正当でないかなんてありません?
いいえ、ありますよ。その理由について説明しましょう。
ブルンジさんは
>>4において突然に、なんの説明もなくいきなり「国際的面と歴史的面から反対」という言葉を出しています。
「何故反対か?」を説明するのではなく、いきなり「国際的面と歴史的面から反対」と言い張るだけでは、論理的な主張とは言えない
でしょう。
論理的な主張には、必ず「論拠」があるものです。
あなたは「前提だから説明不要」ということを主張するのでしょうか?
もしそんなことがまかり通るようでしたら、なんでも好きな前提を言い立てて、つまりラベルを貼って、それを自己の主張とすればい
いということになってしまいます。例えばこんな風に。
『
ブルンジさんは反対かもしれないが、私は国際的面と歴史的面から賛成』
これを言い張り続けるだけの主張は、論理的ではありません。
「何故、私はこのような主張をするのか? 国際的面とは何か? 歴史的面とは何か? それが何故結論と結び付くのか?」
このような論拠を示さないことには、論理的な主張とは言えないというのが私の考えです。
さて、上記はむしろ「議論の仕方」スレッドで行うのがふさわしい話でしょう。論ずる価値はあるかもしれませんが、それはここでは
ありません。ここでの私の関心は「朝鮮学校が無償化されないことは、差別か否か?」です。
そこに話を戻しましょう。
簡単にまとめます。
何故私が差別と考えているかは、
>>1で示しました。高校無償化の目的についても
>>15にて示しました。
さて、【私の主張】として、quppaさんに
>>56でこのような問いかけを行いました。
***************************************
>【本論】
>quppaさん、私はTVで朝鮮学校の人たちが「金正日を絶対化する教育を止めない」と断るシーンを見た、と言っています。
>関東地方の人たちについては知りませんが、関西地方の人々で、これを見た人は多いでしょう。
>quppaさんはこれを
>「そんなことはない。朝鮮学校では金正日を犯罪者として断罪する教育を行っている。横田めぐみさんを拉致し、
>今だにその消息を明ら かにせず、彼女の両親を悲しませている張本人だと教えている」
>と主張するのでしょうか?
***************************************
すると返ってきたのは次のような言葉でした。
***************************************
私がそのことを主張したり、あるいはしなかったりしたとして、そのことと朝鮮学校の無償化除外が「差別」かどうかと、いったいど
のような関係があるのでしょうか。そのあたりを明瞭にしていただけたら、必要に応じてお答えします。
***************************************
どのような関係があるか明確にしましょう。
1.無償化される高校というものには、一定の基準がある。その基準は
>>1で示した通り。その目的は
>>15で示した通り。
2.金正日を絶対化し、神格化する教育を行う学校は、その基準に合致しない。
3.上記1及び2ゆえに、朝鮮学校を無償化しないことは『
目的に沿った基準に合致しないがゆえに、無償化対象としない』という、
論理的な区別である。差別ではない。オウム真理教の内部で運営されていた学校を、無償化対象としないのと同一と考えていただけれ
ばわかりやすいでしょう。
あなたはこの2番の部分について私の主張と同一の認識を持っているのかどうか知りたかったので、【本論】として問いかけたのでし
た。私は、朝鮮学校は金正日を絶対化し、神格化する教育を行っていると認識しています。それゆえに「朝鮮学校を無償化しないこと
は差別ではない」という主張に行きついているわけです。
quppaさんの問いかけ「関係があるかどうか」を明確にしましたので、是非お答えください。
***************************************
参考資料として、以下のニュースを添付します。このスレッドをご覧の諸賢には、周知のことかもしれませんが、まあ参考までに。
http://sankei.jp.msn.com/world/korea/100606/kor1006060132001-n1.htm
【総連、金総書記訪中映像上映指示 朝鮮学校の個人崇拝強化】
在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)中央本部が全国の朝鮮高級学校(高校)に
北朝鮮の金正日総書記が訪中した業績をたたえる映像の上映会を開くよう指示していたことが5日、
朝鮮総連の内部文書で分かった。
朝鮮学校への高校授業料無償化適用をめぐる文部科学省の専門家会議が始まる中、
渦中の朝鮮高級学校で金総書記を礼賛する教育が強化されていた実態が浮かび上がった・・・後略
あわわ・・・変な書き間違いをしてしまいました。
>>98において
>簡単にまとめます。
>何故私が差別と考えているかは・・・
と書いていますが、これは間違いです。正しくは以下の通りです。
何故私が『
差別ではない』と考えているかは・・・
すみません・・・
>>97 sjtrusさん
誤った前提からは、誤った結論が導かれます。これも論理的です。そのときは、知識の間違いを訂正すればいいだけです。
私は日本人で、日本の学校教育を受け、日本の歴史の教科書で勉強しました。私は在日とは何の関係もないし、私が間違った知識を持っていることからは、在日の人たちがどのような教育を受けているかということについて何の想像もできません。それなのに、あなたは在日というレッテル貼りをして、彼らが正しい教育を受けていないことの根拠にするんですね。正直あきれました。
>>57 quppaさん
>もしも政府が「テロリストを容認する教育」を排除しなくても構わないと判断しているのならば、
>政府が無償化除外の理由として「テロリストを容認する教育」を据えるのには無理があるのではないかというのが私の主張です。
いやいや、『
テロリストを容認する教育をしているがゆえに、無償化の対象からは外されている。それは差別ではない』
というのが私の主張です。それが理解できないのでしょうか?
『
テロリストを容認する教育をするのは自由だが、それは勝手に自分の費用でやってくれ』ということです。
私は、
>>1の書き込みにおいて、裕福なアラブの王子様の例え話を用いて次のように説明しました。
『
平民と王族とは身分が違う…のように日本の人間観(全ての人間は平等)とは相容れない教育であっても、それは自由にやればよい。』
これはあなたの書き込み
>もしも政府が「テロリストを容認する教育」を排除しなくても構わないと判断している
に対応します。そう、どのような教育を自費で行ってもそれは自由です。そこには日本政府は踏み込みません。
『
しかしそれに対して日本が費用負担をする言われは無い。それをしなかったとしても、それは差別ではない。』
ここをあなたは理解できているでしょうか?
『
日本の定める基準の教育に、満たない学校であるからだ。』
『
朝鮮学校でなされている、民族教育なる「テロを容認する教育」についても同じことだ。』
『
テロを容認する教育を行う学校には、問題があるため無償化の対象にしない。このことは差別ではない』
この意味がわかりませんか? わからないとしたらどこがわかりませんか? どこまでは理解できますか?
議論を実りあるものにするために、是非知りたいです。
>>100 夜更けさん
>誤った前提からは、誤った結論が導かれます。これも論理的です。そのときは、知識の間違いを訂正すればいいだけです。
まったく同意します。
それで、あなたは私が
>>98に貼ったニュース記事をご覧になっても、
「朝鮮学校では正しい教育が実施されている。例えば金正日を個人崇拝するような教育は行われていない」
というのでしょうか?
是非知りたいです。
なんといっても、私の主張の大きな基礎となってる部分ですから。
「朝鮮学校では金正日を絶対的に崇拝する教育を行っている。それはテロを容認する教育であり、日本において無償化の対象となるよう
な教育機関であるとは言えない」
つまり、上記ゆえに朝鮮学校を無償化しないことは差別ではない。と言っているのです。
>>100 夜更けさん
>そのときは、知識の間違いを訂正すればいいだけです。
sjtrusさんは巨視的な話をしているんでしょう。
間違いを広める人が大人数いるのに、
知識の間違いを訂正する人が少人数だったらどうするんです?
確かに、その正しい知識を持つ少人数の人間が、少人数の人間の間違いを訂正することはできるでしょう。
しかし巨視的な視点から見れば、大人数の人間が謝った知識をどんどん広めてしまえば、
「間違いを訂正できた」ということにはならず、全く問題は解決されていません。
微視的に「(少人数)確かに間違いは訂正でき、正しい知識を持つに至った」というのは正しいですが、
巨視的にはなんの問題の解決にもなっていないということです。
巨視的な解決には誤った知識を広める者の排斥が必要です。
>>98 elsewhereさん
「前提だから説明しなくてもいい」といっているのではありません。あなたは説明される前に却下していますよね? 説明が不足しているなら、説明を求めればいいだけなのに。
私が指摘したのは、elsewhere さんが自分の前提を決して覆さず(自分が前提としている憲法に論点が移ろうとしたとき結論の方を提示して話をそらすなど)、相手の前提を決して認めない(説明が足りないとかありとあらゆる理由を付けて排除しようとする)態度を貫いている、ということですよ。
>>101 elsewhereさん
>『日本の定める基準の教育に、満たない学校であるからだ。』
それは解るのですが、本当の論点はその先にあるのだと思います。
つまり、政府は「日本の定める基準の教育」を児童に受けさせることによって、いったい何を実現しようとしているのか。朝鮮学校での教育でそれを実現することは本当に不可能なのか。なぜそのように言えるのか。
朝鮮学校を無償化除外するのは差別ではないのかとの意見が出るのは、背後にこの疑問があるからなのではないでしょうか。
elsewhereさん
本議論について楽しく拝見させていただいております。
やや「差別だ派」が感情論に向かっている感じがするので敢えてお尋ねします。
あなたは当初以下のようにおっしゃいました。
>(2)対象となる学校
>国公私立の高等学校、中等教育学校の後期課程、特別支援学校の高等部、高等専門学校の第一学年から第三学年、
>専修学校・各種学校のうち高等学校に類する課程を置くものとして文部科学省令で定めるもの。
>この最後の部分「各種学校のうち高等学校に類する課程を置くもの」…これが各種学校、すなわち朝鮮学校が無償化されるかどうかの基準です。
>無償化対象とする学校に一定の基準を設けることは合理的な話であり、もし基準が無ければ…例えばテロを是とする教育を行う学校ですら、国家が無償で援助することにつながる法律ということになります。そんなバカな話はありません。
私が注目するのは「専修学校・各種学校のうち高等学校に類する課程を置くものとして文部科学省令で定めるもの」の部分です。
ここが朝鮮学校が無償化されるかどうかの基準である。そして朝鮮学校は「各種学校」に該当する。
これが「前提」です。
そして、基準に合致しているにも関わらず無償化の対象外とすると「差別」、基準に合致していないならば「区別」である。
あとは朝鮮学校が「高等学校に類する課程を置くもの」であるかどうかが論点となる。
ここまではよろしいでしょうか?
貴方は「テロを是とする教育を行っている学校はこの基準に合致しない」とおっしゃっています。
言い換えれば「テロを是とする教育を行っている学校は、高等学校に類する課程を置くものとして認められない」
ということです。
私は「課程」という単語からは、「どのような教科・科目をどれほどの時間数をかけて学習するのか」というイメージを持っています。言い換えれば「最低限クリアしなければならない教育レベルのボーダーライン」というイメージです。
要するに、高等学校で教えるべきとされている教科・科目を、高等教育が実施しなければならないとされている時間をかけて教えているかどうかが基準になるのではないでしょうか?
そこをクリアしていれば、その時間以外の時間に何を教えていようと上記基準とは無関係の話ではないかということです。
したがって、テロを是とする教育をしているかどうかは、今回の基準に合致するかどうかとは関係ないのではないでしょうか
ご意見お待ちしております。(無理はなさらないよう、お体には十分お気を付けください。)
ちなみに、私は朝鮮学校がどのような科目・教科をどのぐらいの時間をかけて実施しているか今のところ知識を持っておりません。
>>102 elsewhereさん
私は「差別かどうか」には興味ないですけど、「学校教育にテロのような危険があるかないか」には興味があります。同様に命題の真偽には興味がなくて、論理だけに興味があります。
この場合でいうと、「朝鮮学校では正しい教育が実施されている。例えば金正日を個人崇拝するような教育は行われていない」という命題の真偽については、どちらでもよいということです。ただ「もしそのような教育が行われているならば、テロのような危険性がある」という論理については、私も正しいか知りたいと思っています。
私はミッション系の学校を卒業したのですが、その学校では聖書を用いた授業があり、教会でのミサもありました。それにも関わらず、卒業生でキリスト教を信じている学生がいたとは思えません(全員と話したわけじゃないから言い切れませんが)。本物の神様を教育に持ち込んでいる現場でさえこの有様なのに、人間(金正日)を神様と教えて信じる子供がいるんでしょうか。子供っていってももう高校生なんですよ?
>>107 夜更けさん
>人間(金正日)を神様と教えて信じる子供がいるんでしょうか。子供っていってももう高校生なんですよ?
戦時中の日本だって、天皇が神様だと信じるいい大人はいたでしょう。
天皇を愚弄する者がいたら殺す、というような過激派も実際にいたはずです。
>>108 castanetさん
>戦時中の日本だって、天皇が神様だと信じるいい大人はいたでしょう。
>天皇を愚弄する者がいたら殺す、というような過激派も実際にいたはずです。
夜更けさんが
>>107で主張されているのは、学校が教えたからこそ信じた(学校が教えなければ信じなかった)という子供のことを言っているのだと思います。
つまり、ゲーム脳や非実在青少年規制みたいな論法になっているのではないか?と尋ねているのではないでしょうか。
>>106 一般人さん
ブルンジさんがいうには「彼らの教育は、各都道府県から各種学校として認めてもらっていること、また国公立、私立大学校から受験資格を認めてもらっているから高校に相当する学習といえます」だそうですよ。
まとめると、現在「朝鮮学校の教育内容は高等学校に類する課程を置くものとして、各種機関から認められており、これを無償化の対象から除外することは差別である」という論理と、「朝鮮学校の教育内容はテロを容認する教育であり、これを無償化の対象から除外することは差別ではない」という論理のどちらにより妥当性があるか、ということが論点となっています。
そして前者についての反論はなく、後者については私が疑問視しているという状況です。
朝鮮学校の定義・分類・教育実態が論点とされうるのは、
その前提として、無償化法案の条項の規定にもとづいて自動的に適用されるのか否かが問題にされているからです。
この前提問題がすでに的外れです。
無償化法案は国会で可決されました。
単にそうして施行された法に基づいて、朝鮮学校に適用されたりされなかったりするのならば、
上述のような論点も可能でしょう。
(というかここまで問題にされなかった)
しかし事実はもう少し複雑です。
法案の可決後、別個に有識者会議が設けられ、そこで
『朝鮮学校に無償化法を適用するか否か』
が独立に議論された結果、不適用となりました。
法律の上位に、これほどあからさまに、恣意的政治的な操作が容認されるというのは、
例の「高度な政治的判断」の一種なのかもしれませんが、法治国家の住人として気の休まる話ではありません。
今言っているのは、朝鮮学校がどうこうの話ではなく、法治国家の成り立ちと原則の話です。
有識者会議によって特定の対象について法適用の可否を極めて恣意的に決定することの、
(なぜそれが「極めて」恣意的なのかと言うと、そもそも恣意的な判断を制限するためにこそ、
法律の条項ないし判例に基づく自動的な判断を重んじる法治思想というものが確立されているので、
その法をさらに踏み越えてまで恣意的な判断が優先されるというのは、
法治国家においては極めて異例な、非常なリスクを孕んだ措置だからです)
法的な根拠や正当性については、わたしはぜんぜん知識も判断力もありません。
常識的な無学から言えば、そこまで恣意的に法律を操っていいの?とちょっとびっくりです。
まあ、有識者会議の特例条項があるというのならそれまでではあるんですが。
それにしても、わたしのとぼしい法律知識では、「法律の不適用」という措置がゆるされることが驚異です。
(小市民的には脅威です)
「法律の不適用」という異常事態に関して、まっさきに思い起こされるのは、
歴史上、多くの社会で定められていた、「法の保護を失う」という刑罰です。
(これも超法規的な特例条項、いわばメタ法律の一種です)
法の保護を失った者は、誰かが殺したとしても、殺人者は刑法を適用されず、罪に問われません。
それと朝鮮学校問題を比較するのは多少いきすぎではあるでしょうが、原理的には同一のことがらです。
少なくとも、これだけは言えます。
そのように法治国家の原則を(特例条項の規定だとしても)踏み越えてまで、特例として扱われることこそが、
朝鮮学校問題の(ひいては在日問題の)特殊さと深刻さのほどを物語っている、と。
この観点から、朝鮮学校問題についての具体的な考え方の「腹案」もあるんですが、
これは言い出すと非常に複雑に入り組んだ問題で、やはり整理をつけるのも一仕事です。
今は睡魔に襲われているのと、いろんな意見も聞いてみたいので、
ひとつの論点を提示するだけでとどめておきます。
一応結論だけを言うと、わたしは無償化不適用には実は賛成です。
なんでそうなると言われそうですが、日本は法治国家であるよりもまず主権国家・国民国家であり、
国籍は法の適用の根本基準だと考えるからです。
つまり、本来はどこまでも自動的に不適用と判断されるべきで、
その意味から言っても超法規的な措置に踏み切ることは控えられるべきだったと思います。
このように原理原則の順序をたどってこそ国家の安定、国民生活の安全が保障されます。
現実的にはそんなものを期待するほうが間違っているのかもしれませんが。
加えて、本当はここに差別という不可欠の観点(つか本題)も導入しないといけないので、
そこはまたおいおい発言したいと思います。
だいたい政治家だって都合よく政治判断に頼りすぎて、かえって自分の首絞めてるよね鳩山さん。
最後は何でも人のせいにするくらいなら、はじめから全部法律のせいにしておけば清廉潔白な政治家の鑑になれたのに。
法律に頼ってもちつもたれつ人生の安寧をはかるという法思想の目論見は、たとえばそういう話でもあります。
>>100 夜更けさん
誤った前提からは、誤った結論が導かれます。これも論理的です。そのときは、知識の間違いを訂正すればいいだけです。
ですから私はあなたの歴史に対する不勉強を指摘しています。
そして創氏改名に対するあなたの認識も完全に間違っています。
かつて、朝鮮人には姓というものがありませんでした。
そして日本併合に際し、日本国民としてそれでは不便であり、
また差別の元にもなるということで朝鮮人からの要望もあり、それに応える形で作られた制度です。
ついでに言うと日本併合もロシアや清にいる欧米列強からの侵略に危機感を持った当時の朝鮮政府の思惑と、
日本政府の危機感とが一致したというだけであり、決して侵略した訳ではありません。
こうして誤った前提から導かれる結論は間違っているわけです。
間違っている訳ですから、まずご自身の認識を改めて、整理し直してから議論されるべきだと思います。
私は日本人で、日本の学校教育を受け、日本の歴史の教科書で勉強しました。私は在日とは何の関係もないし、私が間違った知識を持っていることからは、在日の人たちがどのような教育を受けているかということについて何の想像もできません。それなのに、あなたは在日というレッテル貼りをして、彼らが正しい教育を受けていないことの根拠にするんですね。正直あきれました。
これは全く意味が分かりません。在日は在日であり、日本人は日本人です。これがレッテル貼りだとして何か問題でもありますか?
そして私がいつ、夜更けさんを在日だとレッテルを貼ったのでしょうか?
正直あきれました。
という煽り文句にはどんな意味が込められているんですか?
>>106 一般人さん
鋭い問いかけありがとうございます。個人的には最も厳しいと感じた問いかけでした。
こういう問いがあるから議論というのはいいですよね。非常にうれしく思いました。
答えるためにいろいろ考えたおかげで頭の中がより整理されました。
さて、あなたはこう書いています。
>基準に合致しているにも関わらず無償化の対象外とすると「差別」、基準に合致していないならば「区別」である。
>あとは朝鮮学校が「高等学校に類する課程を置くもの」であるかどうかが論点となる。
>ここまではよろしいでしょうか?
結構です。その通りです。
>貴方は「テロを是とする教育を行っている学校はこの基準に合致しない」とおっしゃっています。
>言い換えれば「テロを是とする教育を行っている学校は、高等学校に類する課程を置くものとして認められない」
>ということです。
まさにその通りのことを私は主張しています。
>私は「課程」という単語からは、「どのような教科・科目をどれほどの時間数をかけて学習するのか」というイメージを
>持っています。言い換えれば「最低限クリアしなければならない教育レベルのボーダーライン」というイメージです。
>要するに、高等学校で教えるべきとされている教科・科目を、高等教育が実施しなければならないとされている時間を
>かけて教えているかどうかが基準になるのではないでしょうか?
>そこをクリアしていれば、その時間以外の時間に何を教えていようと上記基準とは無関係の話ではないかということです。
>したがって、テロを是とする教育をしているかどうかは、今回の基準に合致するかどうかとは関係ないのではないでしょうか
ここは私と意見が異なります。どこが異なるのかを言いましょう。
*******************************************
【(私の理解するところの)あなたの主張】
数学では○○と△△。英語では□□と●●。etc.etc....
と言う風に、卒業生があるレベルの学業を修めていること。
これをクリアしていれば、極端な話「オウム真理教の内部で運営されていたような学校でさえ、無償化の対象となる」
テロを是とする教育をしているかどうかは関係無い。
【私の主張】
数学では○○と△△。英語では□□と●●。etc.etc....
と言う風に、卒業生があるレベルの学業を修めていることはもちろんだが、たとえその基準をクリアしていたとしても、
その教育の内容に、一人の(国なり学校なりが指定する)人物を神格化し、絶対化し、個人崇拝するように思想統制を行う
教育カリキュラムがある学校(例えば「オウム真理教の内部で運営されていたような学校)は、日本の高校と同じ扱いは受けられない。
無償化の対象にはならない。
*******************************************
つまり、あなたが『
関係ない』というところにおいて、私は『
関係ある』と言っています。
何故なら、日本の学校の基本的な教育理念として「人は平等」というものがあるからです。
日本の高校教育において実現されなければならない最低限の内容の中に『
人の平等』というものがあるからです。
一方、朝鮮学校では「人は平等ではない」と教えています。
「金正日は、普通の人とは違う。一般の人とは違い、一段上の存在だ」
と教えています。それをやめてくれという要望を大阪の橋下知事が直接朝鮮学校の校長に言い、
「いや、それはできない」
と校長が断っているシーンをTVが放送しています。
テロを是とする教育ももちろん問題ですし、もっと言うならその背景にある考え方・・・「人は平等ではない、金正日は特別」と教え
ているがゆえに、日本の教育の根幹にかかわる部分で朝鮮学校は基準を満たしていないと考えているのです。
この点、あなたの考えはいかがでしょうか?
例え黒人や女性を差別する国があったとしても、日本では平等に扱われます。また平等に扱うように教育を受けます。
この「人は平等」を教えない教育は日本が国として推進する教育ではありません。
『
金正日を絶対視し、神聖化し、個人崇拝するような教育は、日本では認められておりません』
むろん、朝鮮学校が自分で行う分にはそれは勝手です。日本はそこまで干渉しません。
私は
>>1において、「裕福なアラブの王子様の例え」を用いて同じようなことをいいました。身分制度について自国流の教育を行うこ
とは自由ですが、しかしそこに日本の費用負担が得られないからといって『
差別だ!』ということは筋違いです。
さて、繰り返しになりますが朝鮮学校では金正日を神格化する思想統制が行われています。
思想統制という非常に強い言葉を敢えて使いましたが、この点、あなたは同意するでしょう。
私が
>>98の最後に引用した記事をごらんになったことと思います。北朝鮮関連の記事としてはめずらしくもない記事です。
朝鮮学校は非常に特殊な学校です。そこでは金正日を神格化し、絶対化し、個人崇拝する思想統制が行われているのです。
他の学校・・・例えばキリスト教の教義にそった教育を行う学校があったとしても、しかしその学校でも信教の自由は認められている
でしょう。また、キリストの言った(とされる)言葉であっても、自由に批判し自由に論じることが許されているかと思います。
しかし、朝鮮学校ではどうでしょうか? 私が
>>98の最後に貼ったような記事を読めば、朝鮮学校が本国北朝鮮の思想統制の下にある
ことは明白です。朝鮮学校の教育において
『
金正日を批判し、彼を独裁者として断じ、国家を私物化しテロを支援する犯罪者であると教えている』
とは信じられません。
私は何も
>>98の最後に貼った記事たった一つを見たからこう判断しているのではありません。似たような情報は多々あり、おそらくあ
なた自身も、良くわかっているはずです。
『
北朝鮮と言う国では思想統制が強く行われており、それは朝鮮学校にも及んでいる』と。
それとも違うのでしょうか?
あなたは朝鮮学校において『
金正日を犯罪者として断じる教育が行われている、思想統制は無い』と主張するのでしょうか?
それとも『
思想統制している学校においても、無償化の対象とするべき』というのでしょうか?
思想統制を無視して朝鮮学校を無償化することが平等・・・言い換えると「思想統制しているから無償化しないというのは差別」とい
う主張であれば、そう言ってください。是非、詳細な論拠を知りたいです。
まとめましょう。
>朝鮮学校が「高等学校に類する課程を置くもの」であるかどうかが論点となる。
とあなたは言いました。その通りです。
そうして私は、『
朝鮮学校は「高等学校に類する課程を置くもの」ではない』と主張します。
その理由は、日本の教育の根本にある「人は平等」という基本理念を教えていないからです。
私は
>>1や、その他の書き込みにおいて、裕福なアラブの王子様の例えを用いて
「身分制度に関する教育も、自由にしていい。自国の王を神格化する教育をしたとしても日本政府はそれに干渉しないが、それについ
て日本に費用負担を求めることは筋違い。日本の教育の根本理念を否定する教育を行う学校を無償化対象としなくても差別ではない」
と言いました。
つまりそういうことを言っています。朝鮮学校は『
人は平等』という人間観と、真っ向から対立する教育を行っているがゆえに、日本
の高等学校に類する教育を置くものと認められないと私は主張します。
>>111 naturaさん
>法案の可決後、別個に有識者会議が設けられ、そこで
>『朝鮮学校に無償化法を適用するか否か』
>が独立に議論された結果、不適用となりました。
と書かれていますが、非常に驚きました。検索してみたのですが、確認できるページが見つかりません。
不適用となったことが確認できるソースはありますか?
できたら教えていただきたいです。
そこには「なぜ不適用となったか?」というロジックも書かれているかと思います。
「差別か否か」を論じ合うこのスレッドの流れに影響するにせよ、しないにせよ、非常に参考になろうかと思います。
【余談】
あと、これは脱線になりますが、有識者会議といいながら、そのメンバーすら公表しないというのは私は非常におかしいと思います。
http://mainichi.jp/select/seiji/archive/news/2010/05/28/20100528ddm012100103000c.html
この問題に限らず、民主党が行っている「閣議や閣僚懇談会、閣僚委員会、政務三役会議の議事録を基本的に残さない」という方針は、
非常に危ういと思います。
http://www.kochinews.co.jp/?&nwSrl=181861&nwVt=npd
・・・誰が何を言ったかもわからなくしてしまい、意思決定のプロセスを見えなくしてしまうというのは、およそ民主的な国家とはいい
がたいと思います。
結論がどちらになるにしても、透明性に欠けるやり方で、近代国家のやることではありません。
ああ、本題から外れてしまいました。すみません。まあ、しかし結論が出たというのは初耳ですので、是非そのソースを知りたいです。
>>104 夜更けさん
>「前提だから説明しなくてもいい」といっているのではありません。あなたは説明される前に却下していますよね?
> 説明が不足しているなら、説明を求めればいいだけなのに。
あなたは間違っています。私は説明を求めていますよ。その部分を明示しましょう。
それは私のそもそもの
>>11の書き込みです。
****************************************************
>「国際的面と歴史的面」はいずれも正当な理由にはなりません。
>その理由について以下に根拠を示します。
>「国際的面と歴史的面」とはどのようなものかをあなたは明確にしていません。
>明確ではないことを理由に費用を負担するべきという論は、根拠が無い論と言えます。
>「いや違う。私は明確にしている。それはこの部分だ。そうして根拠はこれだ。そうしてこのような考えの筋道で出た結論だ」
>とおっしゃるのでしたら、その部分を明示し、根拠を示し、論理を見せてください。
****************************************************
この最後の文章『
いや違う・・・中略・・・根拠を示し、論理を見せてください』この部分です。
この部分を読んで、「ああ、説明を求めているんだな」と思わない人はいないでしょう。
あなたはこの部分を読まなかったのですか? 読んだ上で、なお「説明を求めればいいだけなのに」とおっしゃるのでしょうか?
あなたは論理的な方だと思います。というか、そうでありますようにと願います。というのも、あなたは
>>107において論理だけに興味
があって、このスレッドのテーマである「差別か否か」には興味がないとまで言い切っていますから。
あなたはご自身でこうおっしゃっています。(
>>100の書き込みです)
>誤った前提からは、誤った結論が導かれます。これも論理的です。そのときは、知識の間違いを訂正すればいいだけです。
今、考えてみるに私はあなたが誤った前提に立ち、誤った結論を導いていると考えます。
あなたは私が説明を求めていないと書いていましたが、私は説明を求めていました。そうしてその部分を明示しました。
さて、間違いであるならば、訂正する時だと思います。
そうして、間違いではないとおっしゃるのであれば、何故なのかを教えてください。その説明を求めます。
>>105 quppaさん
>>『日本の定める基準の教育に、満たない学校であるからだ。』
>それは解るのですが、本当の論点はその先にあるのだと思います。
それはわかる・・・ということはつまり『
朝鮮学校が行う教育が、日本の定める基準の教育に、満たない学校である』ということを認
めるということでしょうか?
****************************************************
私はあなたに対して
>>56でこのように聞きました。
>quppaさん、私はTVで朝鮮学校の人たちが「金正日を絶対化する教育を止めない」と断るシーンを見た、と言っています。
>関東地方の人たちについては知りませんが、関西地方の人々で、これを見た人は多いでしょう。
>quppaさんはこれを
>「そんなことはない。朝鮮学校では金正日を犯罪者として断罪する教育を行っている。横田めぐみさんを拉致し、
>今だにその消息を明らかにせず、彼女の両親を悲しませている張本人だと教えている」
>と主張するのでしょうか?
するとあなたは
>>57でこのように答えました。
>私がそのことを主張したり、あるいはしなかったりしたとして、そのことと朝鮮学校の無償化除外が「差別」かどうかと、
>いったいどのような関係があるのでしょうか。そのあたりを明瞭にしていただけたら、必要に応じてお答えします。
そこで私は
>>101においてこのように明確にしました。
>『テロリストを容認する教育をしているがゆえに、無償化の対象からは外されている。それは差別ではない』
>というのが私の主張です。
>『テロリストを容認する教育をするのは自由だが、それは勝手に自分の費用でやってくれ』ということです。
>私は、>>1の書き込みにおいて、裕福なアラブの王子様の例え話を用いて次のように説明しました。
>『平民と王族とは身分が違う…のように日本の人間観(全ての人間は平等)とは相容れない教育であっても、
>それは自由にやればよい。』
>これはあなたの書き込み
>>もしも政府が「テロリストを容認する教育」を排除しなくても構わないと判断している
>に対応します。そう、どのような教育を自費で行ってもそれは自由です。そこには日本政府は踏み込みません。
>『しかしそれに対して日本が費用負担をする言われは無い。それをしなかったとしても、それは差別ではない。』
>『日本の定める基準の教育に、満たない学校であるからだ。』
>『朝鮮学校でなされている、民族教育なる「テロを容認する教育」についても同じことだ。』
>『テロを容認する教育を行う学校には、問題があるため無償化の対象にしない。このことは差別ではない』
****************************************************
上記のような話の流れで、あなたは今、「それは解る」と答えています。
私はあなたの回答を読んで、『
朝鮮学校が行う教育が、日本の定める基準の教育に、満たない学校である』ということを認めたと受け
止めます。
それとも、「いいや認めない」・・・とはまさか言わないと思います。そんな『
Aって言ったけど、Aって意味じゃないよ』なんてナン
センスを言う方ではないと確信しているので、認めるとして話を進めさせていただきます。
『
朝鮮学校が行う教育が、日本の定める基準の教育に、満たない学校である』ということを認める以上、
無償化の対象にならなくても差別ではないという意見に同意していただけるものと判断します。
何故なら、無償化の適用を受けるには、日本の定める教育基準を満たす学校であることが必要なところ、朝鮮学校はそれを満たしてい
ないわけですから、論理的にそれは『
差別ではない』ということになります。
この点、いかがでしょうか?
あなたのおっしゃる「本当の論点」なるものは、このスレッドのテーマである「差別か否か」とどのような関係があるのか私には今の
ところわかりません。実際、本当の論点なんかでは全然ないだろうと今のところは思っています。
しかしそれが私の勘違いだ。本当の論点なんだというのであれば、その論点を今一度明確にし、
『
本当の論点及びそこから導かれるあなたの結論とそこにいたる論拠』を明示していただきたいと思います。
ちなみに、教育の目的について深い関心をお持ちのようですので、参考までに教育基本法第1条「目的」を引用します。
『第1条(教育の目的)教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健
康な国民の育成を期して行われなければならない。』
ここにも「平和で民主的な国家及び社会の形成者」という言葉があります。
>>113にも書いたように、
朝鮮学校で行われている『
思想統制』の元では、このような理念に適う教育は行われ得ないというのが私の主張です。
(だから無償化対象から外されても差別ではない)
【補足】
また実際、私たちよりもずっとずっと北朝鮮というものを良く知っている脱北者の方々は、自分の経験から「朝鮮学校は無償化するべ
きではない」と言っています。
http://sankei.jp.msn.com/world/korea/100416/kor1004162147006-n1.htm
『
朝鮮学校無償化、脱北者が適用反対 「金総書記を礼賛する教育に税金を投じるべきでない」』
高校授業料無償化の朝鮮学校への適用をめぐる問題で、韓国に住む脱北者らが来日し、16日、在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)に
対し、適用に反対する抗議文を提出した・・・中略・・・「無償化は金日成、金正日父子を礼賛し、人権抑圧を隠す教育の放置につな
がる」と訴えた・・・中略・・・チョン氏らは『
朝鮮高級学校の歴史教科書を入手』し、「事実が歪曲(わいきょく)、隠蔽(いんぺ
い)されている」との分析結果を米韓メディアを通じ発表。当事者に直接訴えようと今回、緊急来日した。・・・後略
この最後の部分は重要です。
「・・・『
朝鮮高級学校の歴史教科書を入手』し、「事実が歪曲(わいきょく)、隠蔽(いんぺい)されている」との分析結果を米韓
メディアを通じ発表。・・・」
このスレッドの最初から最後までを通じて、朝鮮学校の教科書を直接入手し、その内容を確認したと主張する人はいませんが、この
ニュースは、朝鮮学校で行われている歴史教育が、真実ゆがんだものであることを報道しています。
これは
>>97のsjtrusさんの書き込みと相まって、朝鮮学校の教育が事実とは異なり、歪んだ世界観を育て、日本の目指す教育を捻じ曲
げていることを証し立てていると言えます。
>>116 elsewhereさん
>それはわかる・・・ということはつまり『朝鮮学校が行う教育が、日本の定める基準の教育に、満たない学校である』ということを認
>めるということでしょうか?
日本が定める「高校」としての基準の教育に満たないことを認めると言っているわけです。
そして、「高校」としての基準の教育を満たす学校だけを無償化する政府としての建前上の筋の通る目的は何なのか?、つまり、「高校」としての基準の教育の意義とは何なのか?が問われているのではないかと主張しているのです。
>朝鮮学校で行われている『思想統制』の元では、このような理念に適う教育は行われ得ないというのが私の主張です。
>(だから無償化対象から外されても差別ではない)
だからそれって、ゲーム脳や非実在青少年規制みたいな論法なのではないかというわけです。はたして政府は明示的それを主張することができるでしょうか。elsewhereさんが個人的に主張しているだけなのではないでしょうか。
>>117 quppaさん
>日本が定める「高校」としての基準の教育に満たないことを認めると言っているわけです。
ありがとうございます。
『
基準に満たない朝鮮学校が、無償化対象にならないことは、差別ではない』
という点に納得していただいたと受け止めます。
有意義な議論ができて非常に勉強になりました。
************************************************
次に、あなたが提示した論点に移ります。
>そして、「高校」としての基準の教育を満たす学校だけを無償化する政府としての建前上の筋の通る目的は何なのか?
>つまり、「高校」としての基準の教育の意義とは何なのか?が問われているのではないかと主張しているのです。
この論点は正直、意味がわかりません。
このスレッドのテーマである「差別か否か?」とどういう関連があるのでしょう?
>>116で私が書いたように、正直私は全然関連がな
いと思っています。しかし、私の考え違いということもありえましょう。
どうか、私が
>>116でお願いしたように、あなた自身が提示するその点について、このスレッドのテーマ『
差別か否か』との関連性を示
していただき、さらにあなた自身の考え方をお示しいただくようにお願いします。
あなたご自身で提示された論点です。きっとあなたはこの点についてご自身の見解をお持ちでしょう。どうぞそれをお示しください。
なお、『
建前上の筋の通る目的』と繰り返し書かれていますが、それは私が既に
>>34に示しております。
この目的の為に、無償化の対象となる学校の定義が定められます。そうして、その対象となる学校の定義の中に、朝鮮学校は入りませ
ん。
その理由は、教育の内容に問題があるからです。朝鮮学校では「人を平等」とは教えず、いわば『
差別を肯定する教育を行う学校』で
す。それゆえに日本の教育の最低水準を満たしておらず、この点についてはquppaさんも同意していただいている通りです。
どうぞ、他の誰でもないあなただけが提示していらっしゃる論点「教育の意義」について、本スレッドのテーマである『
差別か否か』と
どう関連するのか、またあなた自身の考えはどのようなものなのかをお示しください。
そうすれば、(そこに論理が通っていれば)私もあなたの論に同意するでしょうし、またこのスレッドをご覧の読者諸賢も、あなたの論に
賛成することでしょう。
>>118 elsewhereさん
>『基準に満たない朝鮮学校が、無償化対象にならないことは、差別ではない』
>という点に納得していただいたと受け止めます。
勝手に受け止めるのは自由ですけど、elsewhereさんは言葉尻だけを気にしていて、「差別ではないのか」の背後にある本質、つまり、
>「政府が無償化に関して少なくとも高校と朝鮮学校の扱いを区別しているということに関して、その区別が政府という立場における無償化実施の筋の通る建前上の目的に適っているのかどうか」
を見ようとしていないのではないかというのが私の意見です。この点が解決されない限り、「差別ではないのか」という疑問は提出され続けると私は感じています、、たとえelsewhereさんがいくら「それは差別という言葉とは別の概念に関する問題だ」と唱えようと。
>なお、『建前上の筋の通る目的』と繰り返し書かれていますが、それは私が既に>>34に示しております。
は、つまり
>「朝鮮学校はテロを是とする指導者を讃える教育をしている。だから、そのような学校は教えていることの水準以前の、もっともっと基本的な部分に問題があり、無償化対象とはならない」
ということでしょうか。
もしそうならば、政府が「朝鮮学校はテロを是とする指導者を讃える教育をしている」と認定する文言が含まれる文書はいったいどこに存在するのでしょう。また「テロを是とする指導者を讃える教育をしている学校は、教えていることの水準以前のもっともっと基本的な部分に問題がある」と認定する文言が含まれる文書はどこに存在するのでしょうか。
もしも政府がこれらのことをすでに直接的に公式文書として宣言しているのならば、建前上の目的に適っているのかもしれません。
>それゆえに日本の教育の最低水準を満たしておらず、この点についてはquppaさんも同意していただいている通りです。
私は日本の教育における「高校」の最低水準を満たしていないと述べているわけですけど。
>>119 quppaさん
横から失礼します。quppaさんはこう述べていますね。
>私は日本の教育における「高校」の最低水準を満たしていないと述べているわけですけど。
この点はelsewhereさんとquppaさんの意見は一致しています。
つまり『
朝鮮学校が日本の教育における「高校」の最低水準、すなわち無償化になるだけの基準をクリアしていない』ということです。
それなのに「勝手に受け止めるのは自由ですけど」とはどういうことでしょうか?
elsewhereさんは非常に明確に主張しています。
『
日本の最低水準をクリアしていない朝鮮学校を、無償化対象にしないのは差別ではない。それはどの学校にも共通に求められている基準だから、これにあてはまらない学校は一律に排除される。基準に基づいた区別だ』
quppaさんは「朝鮮学校が日本の教育における「高校」の最低水準を満たしていない」と言いながら
「(差別ではないというelsewhereさんの意見に同意したとみなすのは)勝手ですけど」と言っています。
そこに私は矛盾を感じます。
ズバリ聞きますが、あなたはどうも『
日本の最低水準をクリアしていない朝鮮学校を、無償化対象にしないのは差別だ』と言いたいように思えるのですが、そう言っているのでしょうか?
>>119 quppaさん
横の横から失礼します。
quppaさんは
>>57で、elsewhereさんに以下のように問われた時、このように返しています。
【elsewhereさんの質問】
>quppaさんはこれを
>「そんなことはない。朝鮮学校では金正日を犯罪者として断罪する教育を行っている。横田めぐみさんを拉致し、
>今だにその消息を明らかにせず、彼女の両親を悲しませている張本人だと教えている」
>と主張するのでしょうか?
【quppaさんの答え】
>私がそのことを主張したり、あるいはしなかったりしたとして、そのことと朝鮮学校の無償化除外が「差別」かどうかと、
>いったいどのような関係があるのでしょうか。そのあたりを明瞭にしていただけたら、必要に応じてお答えします。
その後の話の流れを確認すると、elsewhereさんは
>>98および
>>101において『
どのような関係があるか』を明確にしています。
つまり、quppaさんが要求したことをelsewhereさんは果たしたわけです。
ところが、quppaさんはその後もelsewhereさんの質問に答えていません。
『
その質問に答えるためには「差別」というテーマとの関係を明らかにせよ。そうしたら答える』
と約束しておきながら、いざelsewhereさんがその点を明確にすると
『
elsewhereさんは本質を見ようとしていないのではないか』などと言い始めています。
しかも、elsewhereさんから再三に渡って
『
本質を見てないというのなら、じゃあquppaさんの言う本質とは何か? その話題はどういうもので、「差別」というテーマとどういう関係があるのか?』
と繰り返し問われているのに答えようとしていません。『
自分で出してきた論点なのに。』
quppaさん、あなたは自分が質問されたときは
「その質問がテーマとどのような関係があるか明確にせよ」
と逃げ、明確にされてもそれに答えず、
「本質は別のところにあるのでは」
といい始め、逆にelsewhereさんから『
本質』という言葉について
「その論点がテーマとどういう関係があるか明示して」
と問われた時には、言を左右してそれに答えようとしていません。
『
“その論点はテーマとどのような関係があるの? 答えたら私も答える”と言いながら、逆に同じ言葉を投げかけられた時には話をそらして逃げている』
とみなされてもしかたないですよ。
(逃げる、といっても別に責めているわけではありません。自分が話題に上げた論点について、答えないことを指して言っています。怒らないでくださいね)
どうもquppaさんは議論が突き詰められてくると、いつもそうしていますね。あなたはエビチリさんの
>>46の問いかけにも答えていません。
これらの事柄を根拠にして、私は今、elsewhereさんが
>>56で指摘したことが正しいと考えています。
>話をそらす人たちは、
>「本題の部分で反論できないから、隅っこの部分に次々に話題を移していく」
>この実例を見ているんですね。
そうでないというのでしたら、あなたはエビチリさんの
>>46の問いかけに答えなければなりません。またelsewhereさんの
>>118の問いかけに答えなければならないでしょう。
「本質は違うところにあるという論点を出したのであれば、それがどういった内容で、「差別」とどう関係していて、そうしてquppaさん自身の考えはどうなのか?」
これを明確にしないといけないでしょう。
あんまり 関係ないけど、
Wカップで 活躍中の チョン・テセ選手 、こういう選手いたのかと驚き。
在日で朝鮮学校出身、韓国籍だが 北朝鮮チームに参加という 背景も話題沸騰中。
日本帰化というのは 魅力が無い選択だったようで 残念。
>>120 tetunabeさん
>つまり『朝鮮学校が日本の教育における「高校」の最低水準、すなわち無償化になるだけの基準をクリアしていない』ということです。
ある人は握力が60kg以上という基準を満たさなかったから採用されなかった。
(朝鮮学校は高校としての基準を満たさないから無償化されなかった。)
なぜ握力が60kg以上という基準を満たさないと採用されないのか。
(なぜ高校の基準を満たさないと無償化されないのか。)
この仕事は重い荷物を短時間で大量に運ばなければならないからだ←雇い主の公式見解
(???←政府の公式見解)
つまり、
>>117に述べた
>「高校」としての基準の教育の意義とは何なのか?
が???に当たるわけですが、その意義(←基準でないことに注意)にどのような意味で朝鮮学校が適わないのか政府としての公式見解が問われているのではないかというのが私の意見です。
>ズバリ聞きますが、あなたはどうも『日本の最低水準をクリアしていない朝鮮学校を、無償化対象にしないのは差別だ』と言いたいように思えるのですが、そう言っているのでしょうか?
なぜそのような解釈しかできないのか非常に不思議です。
>>1の第2段落にある「差別」の定義をもう一度よく読まれてはいかがでしょう。
>>121 tetunabeさん
>『その質問に答えるためには「差別」というテーマとの関係を明らかにせよ。そうしたら答える』と約束しておきながら、いざelsewhereさんがその点を明確にすると
まだelsewhereさんはその点を明らかにしていないというのが私の意見です。つまり、「差別」というテーマは、差別行為を疑われる側における対象と区別して扱うことの意義に関する公式見解がすべて(
>>1の第2段落より)であり、この意味で、個人の見解とは直接的には関係がないと思うからです。
>>114 elsewhereさん
>aさん
>
>>法案の可決後、別個に有識者会議が設けられ、そこで
>>『朝鮮学校に無償化法を適用するか否か』
>>が独立に議論された結果、不適用となりました。
>
>と書かれていますが、非常に驚きました。検索してみたのですが、確認できるページが見つかりません。
>不適用となったことが確認できるソースはありますか?
>できたら教えていただきたいです。
ここもそうですが、いまでも各方面で盛んに議論され、政府にも要望の数々が寄せられている以上、
結論はでていないという見方もできます。
4月の時点では除外ということで既成事実化しているので、このまま結論となる可能性は大きいと思います。
多くのソースを眺めて一応このように判断してみました。
>
>そこには「なぜ不適用となったか?」というロジックも書かれているかと思います。
>「差別か否か」を論じ合うこのスレッドの流れに影響するにせよ、しないにせよ、非常に参考になろうかと思います。
>
>
>【余談】
>あと、これは脱線になりますが、有識者会議といいながら、そのメンバーすら公表しないというのは私は非常におかしいと思います。
>http://mainichi.jp/select/seiji/a
>chive/news/2010/05/28/20100528ddm012100103000c.html
>この問題に限らず、民主党が行っている「閣議や閣僚懇談会、閣僚委員会、政務三役会議の議事録を基本的に残さない」という方針は、
>非常に危ういと思います。
>http://www.kochinews.co.jp/?&nwS
>l=181861&nwVt=npd
>・・・誰が何を言ったかもわからなくしてしまい、意思決定のプロセスを見えなくしてしまうというのは、およそ民主的な国家とはいい
>がたいと思います。
>結論がどちらになるにしても、透明性に欠けるやり方で、近代国家のやることではありません。
>
>ああ、本題から外れてしまいました。すみません。まあ、しかし結論が出たというのは初耳ですので、是非そのソースを知りたいです。
政府決定の詳細な論点や理由は不透明なようですね。
民主党は例によって「透明性は確保されている」と言い張っているようですが、さっぱり見えてきません。
不透明であることをもって、差別的であると言えるのか、それとも民主党的なだけなのかは分かりません。
本題については、わたしはのらりくらりの議論はもううんざりなので、
一方的に論点を明確にしていくことだけを試みようと思います。
朝鮮学校の教育内容に関して、手放しで肯定できるものではないという点は議論を待たないと思います。
(または、肯定派と否定派との間では平行線の対立のみ、決して議論は成立しないと思います。)
さて教育内容を無償化の基準にするかどうか。
現実に判断基準とされたのかどうかについては、答えは不透明です。
したがってこの場で議論できるのは、政府が何を持って判断したのかではなく、わたしたちがどのような判断を試みるのかです。
つまりこのスレの弱点は、現実にどのように判断がなされ、現実に差別性があるのかないのかを考えることはできないという点です。
なにしろ現実の政府議論は非公開空間のなかに隠蔽されているので。
このスレの中では、差別があるかもしれないとか、ないかもしれないとか、考えてみることができるだけです。
とは言うものの、判断基準を教育内容や朝鮮学校の定義からずらすことで、もう少し明確な判断基準を得ることは可能です。
在日朝鮮人の存在そのものが差別である、とわたしは考えます。
差別性の有無について、朝鮮学校の無償化の是非や判断は問題ではありません。
在日朝鮮人に対する個々の差別的言動や差別的社会構造も、差別性の根源ではなく、差別性が結果に過ぎません。
在日朝鮮人が『
日本人ではない』ということが、差別です。
在日朝鮮人問題の特殊性は、日本国内に南北朝鮮籍をもつ人々が多数居住しているという異常事態にあります。
どのような法的根拠によって居住が容認されているのか。
観光ビザではありません。
就労ビザでもありません。
違法入国なら強制送還でしょう。
彼らは、在日朝鮮人だから居住を容認されているんです。
在日朝鮮人問題が、解決のつかない、まさしく問題であるがゆえに、問題として抱え込まれているんです。
在日朝鮮人ということ自体、国籍もなしに居住しているという異常性そのものが、そのまま社会の一角を構成している。
それが在日朝鮮人問題です。
なぜそのような事態が発生したのか、という論点を提示すると、
お約束の議論が紛糾しそうなので、今は正反対のアプローチをしてみます。
そのような事態が発生しなかったとしたら、それはどのような場合か。
A. 朝鮮人が祖国に帰還した
B. 朝鮮人が日本に帰化した
現実的に、Aは困難でした。
ここでも難しい問題が絡まってきますが、あっさり言えば日本にとどまったほうが希望があったからです。
戦場に帰るよりは経済発展を遂げつつある土地で暮らすほうがいいに決まっています。
ならば、なぜBという当然の帰結に至らなかったのか。
朝鮮人が日本に帰化するためには、朝鮮人自身と、日本政府との、双方の意向の一致が最終的には必要です。
一国家としては、日本政府は帰化を促すか、あるいは本国に送還するかを選択しなければなりません。
選択しませんでした。
その結果が在日朝鮮人問題です。
異常性の最初の原因は、政府が当然決定するべき判断をしなかったことにあります。
外国籍保有者が国内に多数居住するという事態を手をつかねて作り出し、容認したことにあります。
日本政府は、自ら在日朝鮮人問題を作り出したんです。
政府の行政責任からして、そう言わなければなりません。
外国籍保持者が多数渡航してきた場合に、強制送還するか帰化させるという当然の移民対策をとらなかったのはなぜか。
わたしは、ここにこそ差別性があると思います。
日本政府は、彼らを日本人とみなすべく帰化措置を行うこともせず、外国人とみなすべく送還措置を行うこともしませんでした。
ようするにまともな人間とは看做さなかったということです。
厄介なお荷物と看做すばかりで、そのゆえに厄介なお荷物として、すなわち在日朝鮮人として放置したわけです。
在日朝鮮人を「厄介なお荷物」呼ばわりするのは、彼らに対する差別的発言のように聞こえるかもしれませんが、それは違います。
わたしは、彼らに対して差別的言動がありうる以前に、彼らの存在そのものが差別的現象だと考えます。
逆に、差別がなかったとしたらどうなるでしょうか。
日本には多くの朝鮮系日本人の三世四世が生活しているということになっていたでしょう。
それが帰化移民のごく当たり前の存在形態です。
>>119 quppaさん
あなたは、私が
>>118において書いた
>なお、『建前上の筋の通る目的』と繰り返し書かれていますが、それは私が既に>>34に示しております。
という点について、以下のように質問を書いています。
>(それは)つまり
>「朝鮮学校はテロを是とする指導者を讃える教育をしている。だから、そのような学校は教えていることの水準以前の、
>もっともっと基本的な部分に問題があり、無償化対象とはならない」
>ということでしょうか。
と書かれていますが、違います。
あなたが「〜ということでしょうか」とピックアップした部分は、目的から導き出される基準(扱い)の差異です。
私は、あなたが「目的目的」と繰り返す言葉を読んで、目的とは以下のようなことだと考えていました。
>「(運搬業務だから)重い荷物を短時間で大量に運んでもらう必要がある」
・・・握力60kg以上のみ採用という基準を設ける。
>「(印象第一の受付業務だから)お客様に“好感”を持っていただく必要がある」
・・・同じ能力なら、綺麗orかわいいと(面接担当者が)判断できる人を優先して採用という基準を設ける。
これらの基準は差別ではない。そうしてその基準を設けるにあたっては、目指すべき目的というものがある。例えば以下のように。
『
採用したら、重い荷物を大量に早く運んでもらいたい』・・・というのが目的。
『
採用したら、会話以前に受付に座っている姿を見た瞬間に好感を持ってもらいたい』・・・ということが目的。
だから「少なくとも握力は60kg超えている人しか雇わない」という基準につながるわけですし、
また「同じ能力なら綺麗orかわいい方を雇う」という基準につながるわけですよね。
では「高校無償化」という制度を作るにあたって政府が示した制度の目的とはなんでしょうか?
その「目的」があって、高校選別基準ができ、その基準に従って高校が「あんたのところは無償化OK」「あんたのところは無償化ダ
メ」となるわけですよね。
こういう風に私は「目的」というものを考えていました。そこをquppaさんが大事に思うことは一理あると思ったので、私は
>>34で
「一歩あゆみ寄ります」と書いたわけです。
ではその目的とはなにか? もちろん、私が
>>34で示した「文部科学省の公式サイトに記載されている法律の『
目的』という条項に記
載されている内容」だと私は考えています。
ここで改めてその始まりと終わりの部分を引用しましょう。
【1 制度の趣旨・目的】
本制度は、・・・中略・・・
1.高等学校の授業料の実質無償化により、全ての意志ある高校生が、教育費負担を心配することなく、安心して勉学に打ち込めるこ
と。
2.対象となる高校生に対しては、本制度の意義について周知することにより、自らの学びが社会に支えられていることの自覚を醸成
し、国家・社会の形成者としての成長を目指して、学習意欲を維持向上する効果が期待されること。
国家・社会の形成者としての成長を目指し、とあるので、教育についてさらに上位の目的があると理解できます。ではそれはなんで
しょうか。それは、私が
>>116に引用した『
教育基本法の「目的」条項』に記載されています。
>『第1条(教育の目的)教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な【国家及び社会の形成者】として
>必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。』
つまり、こういうことです。
「いくら無償で教育を受けられると言っても、その内容はどんなものでもよいというものではない。そこには日本政府なりのこだわり
がある。それから外れるような教育・・・例えば天皇であれ、金正日であれ、神聖化し絶対視し、個人崇拝を促すような教育は、日本
国の推進する教育ではありませんよ。それを日本政府は行いませんよ」
ということです。
教育基本法に謳われている目的は、上記に書いてある通り「平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた」人物を
育成すること、です。
テロを容認する国家を是とする教育を行う学校・・・金正日を独裁者として神聖化し絶対視し、個人崇拝する教育を行う学校・・・す
なわち朝鮮学校は、「平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた」人物を育てる学校ではありません。
その一つの根拠として、私は
>>98の最後の記事を引用しました。
そうして上記全てから導かれる「朝鮮学校の無償化除外」は、目的に沿った基準から論理的に導かれる結果であるゆえに
『
差別ではない』
というのが私の考えです。基準に合わなければ日本の学校でさえ、無償化されないでしょう。それは「オウム真理教の内部で運営され
ていた学校」の例え話で私が主張していた通りです。
『
朝鮮学校か、否か、で無償化の選別を行っているのではなく、目的に沿った基準に合致しているか否かで判断されているのです。』
以上、ざっとではありますが、私の考える「目的とはなにか?」から「目的から導かれる基準」そうして「基準から導かれる【無償化
対象から朝鮮学校が除かれる理由】」さらに「それが差別ではないとする論拠」を述べました。
改めて振り返りますが、あなたが
>>119において問われた、
>つまり
>「朝鮮学校はテロを是とする指導者を讃える教育をしている。だから、そのような学校は教えていることの水準以前の、
>もっともっと基本的な部分に問題があり、無償化対象とはならない」
>ということでしょうか。
に対する答えは、「違います」となります。あなたがピックアップした部分は「目的から導き出される基準(扱い)の差異」です。
そうして「目的」にそった「基準に従って」朝鮮学校が除外されているから、「それは差別ではない」となるわけです。
*****************************************************
さて、ここまでが
>>119においてあなたから尋ねられたことへの答えです。
以下は私からの問いかけです。
それも、別に私が重要としていることではなく、あなたが自分で、みずから『
重要だとして』取り上げていることです。
あなたは繰り返し、繰り返し「問題の本質は〜」とおっしゃっています。
それについて私は何度か「本質は、本質はというのであれば、それについて是非詳しい話を聞かせてほしい」と要望しています。
例えば
>>116の書き込み
>あなたのおっしゃる「本当の論点」なるものは、このスレッドのテーマである「差別か否か」とどのような関係があるのか私には今
の
>ところわかりません。実際、本当の論点なんかでは全然ないだろうと今のところは思っています。
>しかしそれが私の勘違いだ。本当の論点なんだというのであれば、その論点を今一度明確にし、
>『本当の論点及びそこから導かれるあなたの結論とそこにいたる論拠』を明示していただきたいと思います。
これについて未だに正面から答えてもらっていないと考えています。
あなたは
>>80において議論相手に対してこのようにおっしゃっているのに。
>なんだかおっしゃっている意味がよく解りませんけれど、その目的とやらをもっているのならば、
>とにかくそれを出してみたらいいのではないでしょうか。提出を明示的にもったいぶるというのは、議論に参加する態度ではない
無論、こんな言葉を書くあなた自身は、自分の提出した論点について、その詳細の提出をもったいぶったり、不必要に小出しにするよ
うな方ではないでしょう。
今、私は改めて尋ねます。
『あなたのおっしゃる本当の論点とは、どのようなもので、それがこのスレッドのテーマ「差別か否か」とどのように関連しているの
か? またその「本当の論点」についてのあなたの意見とそこに至る論拠を教えてください。』
私とは違う結論に至る論拠を、是非学びたいと願っているのです。
>>126 elsewhereさん
>1.高等学校の授業料の実質無償化により、全ての意志ある高校生が、教育費負担を心配することなく、安心して勉学に打ち込めること。
朝鮮学校に通う意志ある児童だって、学校が無償化されれば、教育負担を心配することなく、安心して勉学に打ち込めるのではないでしょうか。
>2.対象となる高校生に対しては、本制度の意義について周知することにより、自らの学びが社会に支えられていることの自覚を醸成し、国家・社会の形成者としての成長を目指して、学習意欲を維持向上する効果が期待されること。
こちらも同じです。「高校生ならば、期待できる」という形になっていますが、このことは必ずしも「高校生でないならば、期待できない」を意味するわけではないのではないでしょうか。
つまり、これらの文章には基準である高校生という言葉がすでに含まれた形になっているという意味で、なぜ高校生だけなのか?という基準設置についての理由の表明にはなっていないように思います。
>テロを容認する国家を是とする教育を行う学校・・・金正日を独裁者として神聖化し絶対視し、個人崇拝する教育を行う学校・・・すなわち朝鮮学校は、「平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた」人物を育てる学校ではありません。
この見解を政府として明示的に表明している公式文書はあるのでしょうか。個人やマスコミなどの意見をもって根拠とするのならば、議論というよりも、どちらの陣営の声が大きいのか競争みたいなものにしかならないように思います。
政府の宿命として、
- 「個人崇拝をする教育を行う学校の教育では、国家・社会の形成者としての成長はあり得ない」みたいな何らかの宣言を公式にすることで「差別なし」を確定する
- その宣言をするのを先延ばしにして、「差別の可能性が否定されていない」と指摘されても仕方のない中途半端な状況のまま放置する
のどちらかの選択をするしかないわけで、現状は後者なのではないかというのが私の意見です。今後、前者に移行する可能性がないわけではないと思いますが、今はまだ移行していないというのが実際のところではないでしょうか。
>以上、ざっとではありますが、私の考える「目的とはなにか?」から「目的から導かれる基準」そうして「基準から導かれる【無償化対象から朝鮮学校が除かれる理由】」さらに「それが差別ではないとする論拠」を述べました。
そして、そのことに対して私が考える反論を上に書きました。
>『あなたのおっしゃる本当の論点とは、どのようなもので、それがこのスレッドのテーマ「差別か否か」とどのように関連しているのか? またその「本当の論点」についてのあなたの意見とそこに至る論拠を教えてください。』
上に述べたように、現状では「国家・社会の形成者としての成長」を政府としての高校無償化(朝鮮学校無償化除外)の建前上の目的に据えることはできていません(もちろん、朝鮮学校無償化除外を気にしなければ、据えることはできますけど、それでは「差別なし」が言えなくなってしまうわけです)。
だとしたら、「差別なし」と言い切るためには、別途、政府としての高校無償化(朝鮮学校無償化除外)の建前上の目的を提出する必要があるのではないか?ということを述べているわけです。
>>127 quppaさん
>1.高等学校の授業料の実質無償化により、全ての意志ある高校生が、教育費負担を心配することなく、安心して勉学に打ち込めること。
>朝鮮学校に通う意志ある児童だって、学校が無償化されれば、教育負担を心配することなく、安心して勉学に打ち込めるのではないでしょうか。
やれやれだぜ。
ホント厄介な御仁ですこと。
お久しぶりです。仕事が忙しくて中々書き込みができませんでした。
が、一応読むだけは読んでいました。
本来なら私の最後のレスあたりまで遡るのが筋でしょうが、議論が進んでいるので、横で申し訳ありませんが、このままこの流れに乗じたいと思います。
さて、状況としては、
>>117のquppaさんの書き込みがターニングポイントかもしれませんね。
引用いたしますと、
>日本が定める「高校」としての基準の教育に満たないことを認めると言っているわけです。
>そして、「高校」としての基準の教育を満たす学校だけを無償化する政府としての建前上の筋の通る目的は何なのか?、つまり、「高校」としての基準の教育の意義とは何なのか?が問われているのではないかと主張しているのです。
まず、quppaさんは、朝鮮学校が日本の定める高校としての基準を満たした教育を行っていないことを認めています。
それを認めているうえで、高校としての基準を満たしていなくても無償化しろと主張されているわけです。
quppaさんは、「「高校」としての基準の教育を満たす学校だけを無償化する政府としての建前上の筋の通る目的は何なのか?」とおっしゃっていますが、これは非常に簡単です。高校無償化は日本にとってプラスになるからです。
学校教育法第42条1には、高等学校における教育の目的として、「国家及び社会の有為な形成者として必要な資質を養うこと」とあります。
ちなみに、中学校における教育の目的は、「国家及び社会の形成者として必要な資質を養うこと」とあり、「有為な」が抜けています。
つまり、高校を卒業する日本人は、社会において有為であるとみなされるのです。
だからこそ、税金を投入してもそれに見合ったリターンがあるという理由で、無償化は正当化されるのです。
もっとも、最近の世相に鑑みるに、単純に「高校くらい出てないとダメだろ」的な部分もあるかと思いますが。
さて、ここまで言えば分かるかと思いますが、quppaさんですら認めるように、朝鮮学校は日本の高校の教育の基準を満たしていません。つまり、朝鮮学校を卒業しても、日本にとって有為とはいえないのです。
なお、quppaさんは、
>>127で「「個人崇拝をする教育を行う学校の教育では、国家・社会の形成者としての成長はあり得ない」みたいな何らかの宣言を公式にする」ことを政府がしていないとおっしゃっていますが、これは常識的に考えれば当たり前だと思うのですが。
個人崇拝をして繁栄した国家って歴史上あるのでしょうか?
というわけでして、朝鮮学校に税金を投入するメリットはありません。
よって、朝鮮学校を無償化しないのは別に差別でも何でもありません。
メリットがないのに税金を投入しろというなら、それこそ筋の通る説明が必要でしょう。
なにせ、はやぶさの予算すら削られるご時世ですから。
というわけで、ズバリquppaさんに聞きますが、朝鮮学校を無償化するとどのようなメリットが日本にあるのでしょうか?
これに答えられない限り、朝鮮学校を無償化しないのは決して差別ではないということになります。
一応いっておきますが、本来ならば、朝鮮学校の無償化をするならこれを先に明示することが筋なはずです。
なぜなら、もともと朝鮮学校は無償化の対象ではないのですから。
もし朝鮮学校を無償化するなら、それはまさに特例ということになり、特例を認める以上、それ相応の根拠が必要になるのは当然のことです。
>>129 エビチリさん
たとえ「AならばB」(「BでないならばAでない」)が成立したとしても、「BならばA」(「AでないならばBでない」)は必ずしも成立しないということをふまえると、、
>学校教育法第42条1には、高等学校における教育の目的として、「国家及び社会の有為な形成者として必要な資質を養うこと」とあります。
により政府が「高校の教育ならば資質を養える」という形の主張を公式に表明しているとしても、このことから直ちに「高校の教育でないならば資質を養えない」という主張をも表明しているとは必ずしも言えないのではないでしょうか。だとしたら、
>朝鮮学校は日本の高校の教育の基準を満たしていません。つまり、朝鮮学校を卒業しても、日本にとって有為とはいえないのです。
はどのような論法により導かれるのでしょう。
>というわけでして、朝鮮学校に税金を投入するメリットはありません。
エビチリさん個人から見ればメリットがないように見えるかもしれませんけど、政府が公式にそれを表明しているかどうかとは別の話だと思います。個人の価値観ではなく、政府が内心でどう思っているかでもなく、政府としての公式見解の有無こそが「差別ではない」かどうかを議論する上でのカギなのではないでしょうか。
>というわけで、ズバリquppaさんに聞きますが、朝鮮学校を無償化するとどのようなメリットが日本にあるのでしょうか?
>これに答えられない限り、朝鮮学校を無償化しないのは決して差別ではないということになります。
政府が公式に「朝鮮学校に税金を投入するメリットはない」と宣言しているという前提もとでの話だと思いますが、現状において政府はそのような宣言をまだしていないのではないでしょうか。
>>128 castanetさん
確かに、私個人も正直なところ似たような感想を持っています。しかし、それをいうなら相手だってそうかもしれません。そうして、
相手が正しいかもしれないのです。それは言わないのが大人の対応というものでしょう。
そこで、論客コミュニティの議論ルールに則って、私はあなたに話しかけます。あなたは議論相手として信頼できると感じるので。
quppaさんは以下のように言っています。私は、それが間違っていると思います。castanetさんはどう思うでしょうか。
>政府の宿命として、
>-「個人崇拝をする教育を行う学校の教育では、国家・社会の形成者としての成長はあり得ない」
>みたいな何らかの宣言を公式にすることで「差別なし」を確定する
>-その宣言をするのを先延ばしにして、「差別の可能性が否定されていない」と指摘されても仕方のない
>中途半端な状況のまま放置する
>のどちらかの選択をするしかないわけで、現状は後者なのではないかというのが私の意見です。
>今後、前者に移行する可能性がないわけではないと思いますが、今はまだ移行していないというのが実際
>のところではないでしょうか。
・・・おかしいと思いませんか? 間違っていると私は考えます。
まず、「個人崇拝をする教育を行う学校の教育では、国家・社会の形成者としての成長はあり得ない」みたいな何らかの宣言を公式に
することなど、日本政府は行いません。そんなことはしません。
そのことは、そもそも
>>1において「産油国の大金持ちの王子様の例え話」で書いております。
「一夫多妻制や、軍備の保持から戦争の容認、王族についての身分制度等を教えたとしても、それには日本政府は干渉しない。日本に
住んでいるからといって、日本人以外の人に、日本の教育を強制したりはしない」
この姿勢は他国の教育を尊重する日本の姿勢を端的に表している点です。日本と言う国が、幾ら「人は平等である」と信じ、そのよう
に自国民を教育したとしても、他国民が日本国内で「一般市民と王族は身分が異なる。結婚や職業にも制限がある」とか、「女性は男
性と比較して劣っている」とか、「黒人は白人に比べて劣っている」とか「ユダヤ人は神に選ばれた人種である」とかなんでもいいで
すが、およそ日本の教育とは相容れない内容の事柄を教えたとしても、そこには文句を付けたりしません。『
なにも言いません』
『
朝鮮学校で、金正日を神格化し、絶対化し、個人崇拝する教育を行っても、そこに日本政府は何も言いません』
それは、他国の人間を、他国の人間だと認めているからです。朝鮮の人達が好んでいう言い方をすれば、
『
彼らのアイデンティティを認めているからです』
しかし、彼らの教育を日本の推進する教育と認め、日本の税金を投入するとなったら話は別です。そこには当然、日本のこだわる点を
入れますし、仮にもし『
黒人は人種として劣っている』という教育を行う学校があったとしたら、
「そういう教育をやめて、無償化という特典を得るか、それともそうせずに、自費で続けるか選べ」
となるわけです。
『
金正日は、現人神である。普通の一般市民とは違い、批判することなど許されない』
などという教育を行う学校は、日本から何も言われないけれども、「日本の推進する教育として、認められることもない。つまり無償
化対象となることもない」です。そうしてそれは差別ではありません。
もう一度明確にしましょう。
それを日本では橋本知事が行いました。
「金正日・金日成を神聖化し、絶対化し、個人崇拝することをやめてくれれば、日本政府が無償化しなくても、大阪府として無償化を
行いましょう。それができないのであれば、無償化対象とはできません」
すると朝鮮学校の校長がTVカメラの前で断言しました。
「それは(金一族を神聖化することをやめることは)できません」
金正日を神聖化する教育、つまり「人は平等ではないとする教育」、つまり「差別を肯定する教育」に、手を貸さないことが差別?
いや違います。それは差別ではありません。
**********************************************
【論点2】
また、そもそも論になってしまいますが、私たちは、「政府に公式文書で【○○については××だよ】と言ってもらわないと何も判断
できない」のでしょうか? そんなことはありません。
おそらくcastanetさんも同じ意見だとは思いますが、まあ聞いてください。
quppaさんの言う「個人崇拝をする教育を行う学校教育では、国家・社会の形成者としての成長はあり得ない」のかどうか? という
判断は、政府が公式にしようがしまいが、そんなものを下賜していただかなくても私たちは自分で判断できます。
政府が(公式にであれ、非公式にであれ)言っていること、また言っていないことを、論理に従って考え、他の情報と統合し、差別は差
別、差別でないものは差別ではない、そう『
みずから』判断することが、まさに私たち日本人が学校教育で学ぶことの要諦の一つで
す。(義務教育であれ、それ以上の教育であれそれは同じです)
quppaさんのいうことは、この大前提を否定しているため、議論の体をなしていないと私は考えています。いかがでしょう? この
点、castanetさんはどうお考えでしょうか?
そうして議論とは、個人では集めきれない情報を統合し、個人では追い切れないロジックを皆で追いかけ・・・ああそうだ、このサイ
トの「議論の定義」に書いてある通りですよね。
>複数の人間が、互いに、アイデアを出しあったり、不備や問題点を指摘し合いながら、
>ひとつのテーマについて、相互に理解を深めていく哲学的行為、
>もしくは、そのテーマについて、新しい理論、価値観を作り出していく創造的行為
なのに「政府の公式な宣言」がないと差別無しかどうかが確定できない?
つまり「個人崇拝をする教育を行う学校の教育では、国家・社会の形成者としての成長はあり得ない」ということがわからない?
いやいや、わかりますよねぇ、castanetさん。
それなのにquppaさんがなんでこんなこと言っているのか私にはわからないのですが、castanetさんにはわかりますか?
どうも本当に・・・正直quppaさんの言っていることがわからないのです。
**********************************************
【論点3】
またquppaさんはこうも言っています。
>。個人やマスコミなどの意見をもって根拠とするのならば、議論というよりも、
>どちらの陣営の声が大きいのか競争みたいなものにしかならないように思います。
そんなことありませんよねぇ。声が大きいのか競争? 今まで議論に参加してくれた方々の中に「私の意見の方が多数派だから正し
い」などと言うナンセンスを主張した人など、一人もいないというのに。
声が大きかろうが小さかろうが、「論理が通っている方が評価される」というのがこの掲示板の参加者諸賢の共通認識であると私は認
識しています。(まあ、たまには管理人さん言うところのDQNさんも混じってはいると思いますが)
ひょっとするとquppaさんは「声が大きい方が勝つ」とでも思っているのではと想像してしまいます。
新聞記事であれ、政府の公式文書であれ、「論理が通っている方が評価され、信頼される」のではないでしょうか?(修辞疑問です)
その意味で私は「信頼するに足る。なぜなら論理が通っているから」と思う情報源を、政府のサイトであるか報道機関サイトであるか
を問わずに引用してきました。私の出した記事に疑義があるのであれば、論理的に反論すればいいのです。それは決して「声の大きさ
競争」にはならないでしょう。
つまり、政府の公式文書であろうが、そこらの新聞の記事であろうが、
「絶対的に政府の方が正しいとか、確実に新聞の方が正しいとか決まっているわけではない。それは私たち読み手が自分のロジックに
従って判断するべきこと」
な訳です。
確かにquppaさんの指摘通り、私は(今のところ)、政府の公式文書のどこにも「個人崇拝をする教育を行う学校教育では、国家・社会
の形成者としての成長はあり得ない」と文字通りに書いてある部分があるとは示せておりません。というかそんなものがあるとは私自
身思っていません。しかしそんなものが無ければ「差別なしとは確定できない。差別の可能性が否定されていない」とも思っていませ
ん。
必要なのは読み手が説得力を感じる論理です。
それは北朝鮮という国が、いくら自国を「地上の楽園」だと公式発表しても、誰もそれを信じないのと同じです。
quppaさんがいくら「公式な発表が絶対必要」と繰り返しても、論理的な根拠を付けないと「いや私は新聞記事で充分」という論に対
抗できないでしょう。
以上、長々と書いてしまいましたが、おおまか、quppaさんは「差別であるか否か」は政府の公式文書に書いてあることに依存すると
いう意味合いの言葉を言っていますが、castanetさん、これは論理として間違っていますよねぇ。
おー! 書いている間に議論がちょっと進んでしまいました。今からエビチリさんの書き込みと、quppaさんの書き込みを読みます
ねー。しかしもったいないのでこれはこのまま投下します。
>>131 elsewhereさん
>仮にもし『黒人は人種として劣っている』という教育を行う学校があったとしたら、「そういう教育をやめて、無償化という特典を得るか、それともそうせずに、自費で続けるか選べ」となるわけです。
その「そういう教育」の基準がどこからきているのかが問題になっているというのが私の主張です。
「日本国が高校に対して与えるサービスを受けたければ、日本が設定している高校の条件を満たさなければならない」ということは異論のないところなのですけど、問題になっているのは「なぜ高校の条件を満たす・満たさないが無償化される・されないの基準として設定されているのか」という点なのではないでしょうか。
これまでの議論により、法律の条文などを根拠に「高校の条件を満たす教育ならば、国家及び社会の有為な形成者として必要な資質が養える」という政府としての公式見解は見出されました。しかし、「なぜ基準として設定されているのか」を議論する上では、「高校の条件を満たさない教育ならば、国家及び社会の有為な形成者として必要な資質が養えない」という公式見解を見つけ出し提出することこそが不可欠であるというのが私の意見です。
>また、そもそも論になってしまいますが、私たちは、「政府に公式文書で【○○については××だよ】と言ってもらわないと何も判断できない」のでしょうか? そんなことはありません。
もちろん、個人が個人の価値観に基づいて判断をすることは可能です。しかし、議論の場において主張するということは、個人の価値観なしにそれが成立するという主張に対する反論の募集を意味するわけで、私が述べているような反論が提出されるのは仕方のないことなのではないでしょうか。
>なのに「政府の公式な宣言」がないと差別無しかどうかが確定できない?
そのとおりです。つまり、「政府の公式な宣言」が存在していることの証明を条文などから組み上げる作業がまだなされていないという『
不備や問題点を指摘し』ているわけです。この不備が解消されれば、「実は政府は「差別なし」をすでに確定させていた」という『
新しい理論、価値観』が『
創造』されることになるのではないかと私は期待しているわけです。
>>130 quppaさん
>政府としての公式見解の有無こそが「差別ではない」かどうかを議論する上でのカギなのではないでしょうか。
なるほど。では伺いましょう。
政府は朝鮮学校を差別すると公式に発言したことがあるのでしょうか?
もし発言してないのなら、何を根拠に差別だとquppaさんはおっしゃっているのでしょうか。
もちろんその根拠も、全て政府の公式見解に依拠してください。
>>133 エビチリさん
>政府は朝鮮学校を差別すると公式に発言したことがあるのでしょうか?
「公式に「差別する」と宣言しない限り差別したことにならない」ということをもしも主張されているのだとしたら、ちょっと驚きです。
>もし発言してないのなら、何を根拠に差別だとquppaさんはおっしゃっているのでしょうか。
何かを区別して扱うとき、自動的に差別の可能性が生じ、その区別に適う自身の価値観を公式に表明して初めて「差別なし」が確定できるものの、自身の価値観の公式表明は価値観の異なる人との関係の断絶につながる可能性があるため、できることならしたくないというジレンマがあって、これが何かを区別して扱うことに対する慎重さを生じさせるメカニズムを与えているというのが私の理解です。
この理解に基づいて、現状では「差別なし」は確定していないというのが私の主張です。
>>134 quppaさん
>「公式に「差別する」と宣言しない限り差別したことにならない」ということをもしも主張されているのだとしたら、ちょっと驚きです。
ですよね。驚きですよね。
これで、
>>130のquppaさんの発言である、「政府としての公式見解の有無こそが「差別ではない」かどうかを議論する上でのカギなのではないでしょうか」を読んだときの私の驚きが分かっていただけたでしょうか。
仮に政府の公式見解があったとしても、その正当性をめぐって議論が起こるわけですから、政府の公式見解が全てなわけではありません(民主主義国家なら当たり前のはずなんですが……)。
だから、私はquppaさんに聞いているのです。朝鮮学校の日本におけるメリットはなにかと。
>何かを区別して扱うとき、自動的に差別の可能性が生じ、その区別に適う自身の価値観を公式に表明して初めて「差別なし」が確定できる
なるほど。つまり、朝鮮学校と他の外国人学校を区別すると、自動的に差別の可能性が生じるわけですね。
では伺いましょう。朝鮮学校のみの無償化を主張し、他の外国人学校の無償化を主張しないその区別に適うquppaさんの価値観はなんでしょうか?
それと、quppaさんお得意の「「AならばB」(「BでないならばAでない」)が成立したとしても、「BならばA」(「AでないならばBでない」)は必ずしも成立しない」を踏まえるなら、「区別に適う自身の価値観を公式に表明していないからといって差別である」とはいえないわけですよね。
結局、現状の政府の公式見解のみでは差別かどうかを判定できないということになります。
だから私は、朝鮮学校の日本におけるメリットを聞いているのです。
そして何より、quppaさんのこの考えは、一体何を根拠にしているのでしょうか。
>>1に書いてありますが、このスレにおける差別の定義は、「根拠のない区別」ですよ。
価値観の表明云々は関係ありません。
もしこの定義に不満があるのであれば、このスレから離れ、別のスレを立てるのが筋かと思います。
もう一つおまけに。
政府が、もし公式に私の意見と同じことを言ったら、quppaさんは納得されますか?
納得しないのであれば、私の意見のどこに問題があるのかを指摘してください。
ちなみに、
>>130の、「政府が「高校の教育ならば資質を養える」という形の主張を公式に表明しているとしても、このことから直ちに「高校の教育でないならば資質を養えない」という主張をも表明しているとは必ずしも言えないのではないでしょうか」に対してですが、こはれ間違っています。
だって、中学校はただの「国家及び社会の形成者」で、高校は「国家及び社会の有為な形成者」ですよ。
中学校と高校で明らかな差があるからこそ、「有為な」という文言が入るのです。
もし中学校でも大丈夫なら、なぜ「有為な」が入らないのでしょうか。
逆に、「高校の教育でなくても資質を養える」というなら、具体的にそうした施設を挙げてください。
いえ、率直に言うならば、今問題になっている朝鮮学校が、「高校の教育でなくても資質を養える」ことを示してください。
朝鮮学校以外の施設で「高校の教育でなくても資質を養える」が成立したとしても、それは今は関係のない話ですから。
とにかく、今私が欲しているのは、朝鮮学校の日本におけるメリットです。
政府の意見とか関係なしに、quppaさんの考えをお聞かせください。
>>131 elsewhereさん
『
わたしは君の意見には反対だが。君がそれを言う自由はいのちをかけて守ろう』 ヴォルテール
ってことですかねぇ。
いやはや、大量にBooがついて評価がたいへんなことになっちゃいましたが、
まぁ
>>76あたりで大量にプラス評価がつくのも嫌な感じだったんで、まぁまぁプラマイ0でいいですね。
政治的にも、それが落としどころでしょう。
>確かに、私個人も正直なところ似たような感想を持っています。しかし、それをいうなら相手だってそうかもしれません。そうして、
>相手が正しいかもしれないのです。それは言わないのが大人の対応というものでしょう。
たしかにそうです。しかし大人の対応では埒が明かない事態もあります。
国会でならまだしも、ここでは大人でいるより正直でいたいと思います。
>quppaさんは以下のように言っています。私は、それが間違っていると思います。castanetさんはどう思うでしょうか。
正直に言うと、どうも思いません。
『
お前がそう思うならそうなんだろう。お前ん中ではな』
という感じです。
僕はこの問題を論理的命題ではなく、政治的問題として捕らえていますし、
政治的な問題に正解などありません。
政治的対立とはその正解の食い違いが引き起こすものであり、多数の正解が林立しているのが政治のフィールドでは常態だからです。
太平洋でマグロ漁の網を破って魚を逃がす自然保護海賊の方々はそれが正義と考え、同時に世界中で自然保護をするのが
政治的にも正解であり、世界中は間違いを犯しており、その間違いを正すためにテロ行為を行っているのでしょう。
彼らの行いが正解なのか間違いなのか誰にも答え合わせすることはできません。
確かに自然保護政策が超長期スパンで良回答になるかもしれませんし、朝鮮学校の特別無償化もそうなるかもしれません。
分かりません。ただひとつ分かることは、彼らがそれを正解だと思っているということです。
考え方が食い違い、彼らが間違いを認めず、間違いからくる行動を無理やりに押し通そうとするならば、
彼らを殺すなりして発言と行動を封じてしまえばいいわけで、その単純かつ根本的な解決法は、政治的問題の解決手段として古来から多用されてきました。
>それなのにquppaさんがなんでこんなこと言っているのか私にはわからないのですが、castanetさんにはわかりますか?
>どうも本当に・・・正直quppaさんの言っていることがわからないのです。
おそらくはそれも政治的な問題だからと考えています。
例えば僕が韓国人で、熱烈な愛国主義者だったとしたら、筆舌を尽くして朝鮮学校の存在について全肯定し、無償化を存続させようと思うでしょう。
それが、その仮定における僕の政治的な正解です。
貴方であろうと同じこと。
貴方のその答えは、恐らくは一般的な日本人としての立場から出てきた正解でしょう。
貴方は暗黙のうちに、
『
(自分と同じ一般的な日本人としての立場ならば)なんでこういう結論になるのか分からないのですが』
と言っている。元から立場が違う、異なる正解を持つものどうしなのです。
もしもそうなら、かみ合うわけがないですよね。
>そんなことありませんよねぇ。声が大きいのか競争? 今まで議論に参加してくれた方々の中に「私の意見の方が多数派だから正し
>い」などと言うナンセンスを主張した人など、一人もいないというのに。
残念ながらそれは間違いです。
恐らくはそれは、この掲示板では少人数対少人数で密に話し合いをすることが常だからです。
社会では対話をするに絶望的なまでに多対多のカオス状態で話し合いが行われ、そこでは多数派が正しいとされます。
国際社会ではさらにそこに、他者を黙らせるための武力をいかに持っているかという要素が追加されます。
>>135 エビチリさん
>仮に政府の公式見解があったとしても、その正当性をめぐって議論が起こるわけですから、
この正当性とは、それが本当に公式見解かどうかということでしょうか、それとも、公式見解ではあるが内容が正しいかどうかということでしょうか。
私は前者ならば議論の余地はあるかと思いますが、後者にはあまり議論の余地はないのではないかと考えています。つまり、後者の場合は、「差別なしかどうか」から「まともな価値観をもっているのか」という別のところに論点がシフトしたのだと考えられるからです。
就職面接を受けた握力が60kg以下の人は、雇い主の「握力が60kg以下の人はこの重い荷物を短時間で大量に運べない」という価値観の公式表明のもと、「握力60kg超え」という基準に満たないことを理由に採用を見送られます。受付業務に“かわいい”“綺麗”な女性が優先的に採用されるのも、雇う側の「接客応対に差異が無ければ、“かわいい”“綺麗”とは言えない女性は、“かわいい”“綺麗”な女性ほどお客様に“好感”を持ってもらえない」という価値観の公式表明に基づくことになります。もちろん、これらの価値観もまともかどうかは別の話です。もしかしたら、偏見に満ちた価値観であると考える人が、その雇い主が提供する製品やサービスの購入を差し控えることにつながるかもしれません。しかし、
>>1の第2段落の定義によれば、これらの価値観の表明のもとでは「差別なし」と扱われるというわけです。なので、
>だから、私はquppaさんに聞いているのです。朝鮮学校の日本におけるメリットはなにかと。
に答える必要はないというのが私の論法です。
>朝鮮学校のみの無償化を主張し、他の外国人学校の無償化を主張しないその区別に適うquppaさんの価値観はなんでしょうか?
「たまたま興味をもったテーマの議論において、自身の脳内で構築した暫定的な結論に反論の募集をすることは構わない」という価値観ですが、何か?
>結局、現状の政府の公式見解のみでは差別かどうかを判定できないということになります。
そのとおりです。私の主張はここまでです。「政府が差別しているかもしれないという可能性は未だ取り除かれていない」というのが私の主張であって、それ以上のものを主張する意図はありません。
>政府が、もし公式に私の意見と同じことを言ったら、quppaさんは納得されますか?
つまり、政府が「高校の教育でないならば国家及び社会の有為な形成者として必要な資質を養えない」と公式表明したらという話でしょうか。もしそうならば、私自身は「差別なし」を確定させたと納得すると思います。よく断言できたものだと感心さえするかもしれません。もちろん、次の選挙で同じ政権に投票するかどうかは別の話ですけど。
>>137 quppaさん
>つまり、政府が「高校の教育でないならば国家及び社会の有為な形成者として必要な資質を養えない」と公式表明したらという話でしょうか。もしそうならば、私自身は「差別なし」を確定させたと納得すると思います。
ありがとうございます。同意していただけてなによりです。
ようやくこれで決着がつきましたね。
これによって、「朝鮮学校を無償化しないのは差別ではない」ことが結論されました。
そしてまた、次の発言、
>よく断言できたものだと感心さえするかもしれません。もちろん、次の選挙で同じ政権に投票するかどうかは別の話ですけど。
及び、
>「まともな価値観をもっているのか」という別のところに論点がシフト
といったことから、「政府はまともな価値観を持っていない」というquppaさんの価値観が表明されたことになります。
つまり、「朝鮮学校を無償化から除外することは論理的には正しく、それ故差別ではない。しかし、例え無償化が論理的に間違っているとしても、朝鮮学校を無償化しないというのはまともな価値観ではない」ということですね。
私としては、quppaさんのこうした価値観は否定するものではありませんが、朝鮮学校無償化を主張する人が万事この調子であるなら、日本の世論の賛同が得られないのは当然のことだと思います。
なにせ、朝鮮学校の日本に対するメリットを聞いているのに、「答える必要はない」ですから。
ともあれ、今までお付き合い頂きありがとうございました。
>>138 エビチリさん
ちょっと前からこの議論を見ていましたが、結論が出たという感じですね。エビチリさんの話とquppaさんの話では、説得力がぜんぜん違うと感じました。
なんでかなーって考えてみたんですが、、、、
エビチリさんの
>>135の問いかけにquppaさんが答えていないことも、quppaさんの主張に根拠が無くなってしまう一因でしょう。
根拠がない主張に、説得力はありません。
>そして何より、quppaさんのこの考えは、一体何を根拠にしているのでしょうか。
>>1に書いてありますが、このスレにおける差別の定義は、「根拠のない区別」ですよ。
>価値観の表明云々は関係ありません。
quppaさんは自分の主張の根拠をたずねられているのに、その根拠を明らかにせず、自説を繰り返しているだけです。
これは説得力を大きく損ないます。
もし反論するのでしたら、この点を明らかにしないと、quppaさんの主張は土台(根拠)が無い主張です。
>私としては、quppaさんのこうした価値観は否定するものではありませんが、朝鮮学校無償化を主張する人が万事この調子であるなら、日本の世論の賛同が得られないのは当然のことだと思います。
>なにせ、朝鮮学校の日本に対するメリットを聞いているのに、「答える必要はない」ですから。
エビチリさん、そのとおりです。相手の主張に納得できないところがあり、その根拠を尋ねたら「答える必要はない」ときたら、「話にならない」と感じます。
上のどこかで出ていた
「平等だけど差別なの! 差別だってことがわかんないのはお前が差別しているからだ!」
というのと同じ、結論ありきで後付の(理屈にならない)理屈を次々にくっつけているだけと言われても、仕方ないと思います。
不思議ですね、論理的な話は、やはり説得力を持つんですね。勉強になりました。
>>135 エビチリさん
>これによって、「朝鮮学校を無償化しないのは差別ではない」ことが結論されました。
ということは、政府がすでに「高校の教育でないならば国家及び社会の有為な形成者として必要な資質を養えない」と公式表明していると主張されているのでしょうか。しかし、肝心の根拠が示されていないという意味で、口先だけの主張にしかなっていないように思えます。もし有効な反論が提出されていない状況で生き残っている根拠がどこかに示されているのならば、その場所をお教えください。
>つまり、「朝鮮学校を無償化から除外することは論理的には正しく、それ故差別ではない。しかし、例え無償化が論理的に間違っているとしても、朝鮮学校を無償化しないというのはまともな価値観ではない」ということですね。
もしかして思い切り早合点をされているのではないでしょうか。
>>138 エビチリさん
綺麗にまとめてくれてありがとうございました。
私自身の中でも、そろそろ答えが出た感じがしてきました。今、まとめを作成しているところですが、とりあえず1点だけ内容がつかみ
にくい点があったので、より詳しい説明をしていただけたらな、と思い質問します。
それは
>>138の以下の部分です。
>そしてまた、次の発言、
>>よく断言できたものだと感心さえするかもしれません。もちろん、次の選挙で同じ政権に投票するかどうかは別の話ですけど。
>及び、
>>「まともな価値観をもっているのか」という別のところに論点がシフト
>といったことから、「政府はまともな価値観を持っていない」というquppaさんの価値観が表明されたことになります。
>つまり、「朝鮮学校を無償化から除外することは論理的には正しく、それ故差別ではない。しかし、
>例え無償化が論理的に間違っているとしても、朝鮮学校を無償化しないというのはまともな価値観ではない」ということですね。
ここの部分が、今ひとつ理解しにくいのです。以下にあなたの文章を読んで、私が理解している(つもり)の内容を書きますね。
***************************************
つまりquppaさんが言いたいのは、
「朝鮮学校を無償化から除外することが、仮に、仮に論理的に間違っているとした場合、それにも関らず無償化対象にしなかったら、日
本政府はまともな価値観を持っていないと判断する」
という価値観をquppaさんが表明しているってことですよね。(修辞疑問)
***************************************
・・・ということを言いたかったと理解しましたが、それで合っているでしょうか?
私自身は、論理的に誤っていることを押し通すなら、それは確かにまともな価値観を持っていないと感じるだろうなと思うので。
まあ私自身は、今のところquppaさんの言う「本質」とか「価値観」とかが、全然本質ではないと判断しているので、そこには関わって
いないのですが、エビチリさんのことは『
議論相手として信頼できる人物だ』と感じているので、エビチリさんの取り上げたことには関
心があるのです。
上記の私の理解で合ってますか? 違うのであれば、「ちがうよ、こうだよ」と教えてください。
・ちょっと脱線
どうもこの手の話はギスギスしがちなので、私はこんな音楽を聴きながら書いてたりします。
http://www.youtube.com/watch?v=aelWOhVw0iE
議論ルールの8・・・と言う訳ではないのですが、どうもこのスレッドが少しでも場がなごめばと思っています。
本題の後なら、ちょっとしたこんな脱線も、まあ許してもらえるのではないかな・・・と(〃▽〃)
>>136 castanetさん
>『わたしは君の意見には反対だが。君がそれを言う自由はいのちをかけて守ろう』 ヴォルテール
>ってことですかねぇ。
おー! まさにそんな感じです!
「大人の対応では埒が明かない」・・・まあ現実社会では確かに、そういう場合もありますねぇ。私もよくイライラする方だったりし
ます。リアルでは抑えきれないことの方が多いですかねぇ。
しかし、私はここの論客諸賢を信頼していますので、反対意見にイライラしてしまった時にも、
「結局、筋の通らない論は、筋の通った論には決してかなわないのだ。できることといって、せいぜい(筋の通らない)自説を繰り返す
ことくらいだ。相手の論に本当に筋が通っていないのであれば、いくら書かれてもたいしたことない。繰り返せば繰り返すほど、見て
いる人にはどちらが正しいか伝わっているはずだ」
と判断しています。というか、そうするように努力しています。
さて、本題にはいります。
castanetさんのおっしゃることの内容を私は次のように理解しました。
「政治的な問題だから、絶対的正解は無い。それぞれが自己の正解を持っているんだ」
たしかに、政治的な問題と言われれば、それを完全に否定することは私にはできません。
私自身は、あくまで論理的に考えたい、そうしてそれはできると思っているのですが、それすら政治的な切り口で考えられることもま
た事実でしょう。あなたの言葉におおむね同意します。
ここで議論することによって、「差別だ」派の人がどのようなことを考えているかがとてもよくわかりました。私が考える論理とはと
うてい相容れない論理を「差別だ」派の人達は使いますが、まあそれが正解の人もいるのでしょう。
自分の「正解」を相手に納得させることが目的ではないし、相手の「正解」を自分に無批判に受け入れることが目的でもないことを、
改めて認識しました。
また、少なくともこのスレッドを立てる前よりは、私はより明確に「差別だという人はここが間違っている」と言えるようになりまし
た。レスをくれた皆様のおかげです。
加えて、このサイトの趣旨である『
信頼できる人としか議論しないことの価値』も、とてもよくわかりました。
castanetさんや、エビチリさんのように信頼できる人との議論は実にみのり多いものなので、今後も相手してもらえるように、自分の
論を磨きたいと思います。
さて、上記内容だけでは寂しいので、一つ新聞記事を引用します。このスレッドでも、何名かの方が
「朝鮮学校で現実にどのような教育がおこなわれているか、知らない」
とおっしゃっていたため、その方々にも参考になろうかと思います。
実際に朝鮮学校で使用されている教科書の写真入りでの記事ですので、その信憑性は高いと判断しました。
********************************************
http://sankei.jp.msn.com/life/education/100311/edc1003112329007-n1.htm
記事タイトル「敬愛する金総書記」107回、日米に敵対…朝鮮学校「現代朝鮮史」
朝鮮高級(高等)学校の歴史教育で中心的役割を担っている「現代朝鮮史」の内容が11日、明らかになった。日本人拉致事件や核問
題など、“いま”の問題が取り扱われているが、その記述は「米日韓の策動に立ち向かう北朝鮮や朝鮮総連の視点」から描かれてい
る。日本社会での共生を目指す在日朝鮮人の存在も否定的に描かれており、朝鮮学校での授業内容が、日本の公費による授業料無償化
の対象にすべきものなのかが改めて問われることになりそうだ。
中略
『
朝鮮学校の教科書は最終的には金正日総書記の決裁を仰いでいるという。』
中略
18年発行の第3巻では、小泉訪朝を「反共和国(北朝鮮)孤立圧殺の策動が危機にひんした」ためだと説明。「朝日平和宣言発表以
後、日本当局は『
拉致問題』を極大化し、反共和国、反総連、反朝鮮人騒動を大々的に繰り広げた」と描く。「拉致は犯罪」との認識
は見る影もない。
核問題やテポドン発射についても日本当局や言論機関がこの機会を利用して「総連を瓦解させようとする謀略宣伝を敢行した」と断
言。『
朝鮮中央放送が報じる公式見解と何ら変わるところはない』
********************************************
こうして見ると、私たちが時々みかける『
おばさんが大声で叫んでいる北朝鮮のTV放送』そのままの教科書を使い、教育しているよう
ですね。
私が
>>116に引用した記事でも、脱北者が『
実際の教科書を手に入れて』その危険性を訴えていました。
私が(日本国民としての政治的立場から見たところであれ、純粋に論理的な判断によって見たところであれ)北朝鮮・・・朝鮮学校とい
うところは、非常に危険なところと判断できます。
(つまり、そんな教育を行う朝鮮学校が無償化されなくても差別ではない。につながるのですが)
castanetさんは、この記事を見てどういう感想をお持ちになりますか?
私はこんな教育を受けさせられている朝鮮学校の生徒が、気の毒にすら感じてきました。
>>141 elsewhereさん
>***************************************
>つまりquppaさんが言いたいのは、
>「朝鮮学校を無償化から除外することが、仮に、仮に論理的に間違っているとした場合、それにも関らず無償化対象にしなかったら、日本政府はまともな価値観を持っていないと判断する」
>という価値観をquppaさんが表明しているってことですよね。(修辞疑問)
>***************************************
エビチリさんがそのようなことを主張しているのかどうかは判りませんが、私としては、
「朝鮮学校を無償化から除外することが、仮に、仮に論理的に間違っているとした場合、それにも関らず政府が「高校の教育でないならば国家及び社会の有為な形成者として必要な資質を養えない」というような価値観を公式表明したら、日本政府の現在の政権はまともな価値観を持っていないと有権者に判断される可能性があるため、軽々しくは公式表明しないであろう(つまり、軽々しくは「差別なし」を確定しないであろう)」
を意図しているため、もしも政府が価値観の公式表明をしていないならば、たとえ朝鮮学校が無償化の対象とされなくても、日本政府がまともな価値観をもっていないと判断することにはつながりません。
>>142 elsewhereさん
>たしかに、政治的な問題と言われれば、それを完全に否定することは私にはできません。
>私自身は、あくまで論理的に考えたい、そうしてそれはできると思っているのですが、それすら政治的な切り口で考えられることもま
>た事実でしょう。あなたの言葉におおむね同意します。
論理的に考えたい……ですか。
貴方は「朝鮮学校の無償化」が政治的問題であるからこそ、ここまでこの問題に拘泥しておられるのではないのですか?
純論理的な問題であるならば、朝鮮学校の無償化が差別行為か否かなど、ある魚がタイかヒラメかという程の意味しか持っていません。
そんなことはどうでもいいことです。
興味もありません。
差別であろうが、差別でなかろうが、大差ない。
それならば、僕はこれから「差別である」陣営に回るのになんの抵抗もありません。
どっちもたいして変わらないのですから。
政治的問題であるからこそ、僕は妥協するわけにはいかないし、貴方も病気を押して論陣を張っていたのではないですか。
政治的問題は個々人や国の利益に直結する問題であり、そこで妥協を許せば個人利益や国益が直接的に損なわれます。
この場合、朝鮮学校の優遇によって将来的に日本の害となるテロ因子を自ら成長させてしまったり、
直接的に国庫から(本来生徒が支払うべき)朝鮮学校運営費が拠出されてしまったり。
そのような国益を損なう要素を廃止すべきだから、貴方は頑張っていたのではないのですか。
第一、このスレッドの様相からして多分に政治的ですよ。
今まで見かけたことのないような、ここでしか書き込みしていない人が大勢、どこから現れたのか知りませんが
どこからともなく(ROMだったのかも知れませんが)現れ、書き込みをしていますし
quppaさんは今まで見たこともないような超マイナス評価を受けていますし、
僕も他のスレッドではありえないような評価のされかたをされています。
どう見ても、他の論理的な問題を扱ったりクオリアについて考察したりしているスレッドとは色合いが違います。
これは政治の色です。
「最新の評価」を覗いてみてあっけにとられました。
たしかにこれは政治色。
議論よりも政治的主張が主目的になってますね。
あっさりと現実認識を語れば、朝鮮学校問題に差別性があるのは言うまでもないことなんですよ。
なぜなら在日朝鮮人は必ずなんらかの差別を受けるものと決まっているからです。
そこには差別者と被差別者双方の態度が差別を助長する要因となって働きかけています。
日本人は在日朝鮮人との一定以上の接近をいわば本能的に忌避します。
これはもうそういうもんだ、としか言いようがありません。
議論以前に事実そうなので否定も論駁も不可能です。
もちろん一般論なので何か深く掘り下げているわけでもなく、例外もいくらでもあるでしょう。
またこれも一般論として、在日朝鮮人差別をおおっぴらには認めたくないという傾向もあります。
差別はほめられたことではないからです。
それでも、相手が在日だと知ったとたんに問答無用で婚約破棄、みたいな話はいくらでもあります。
ここは決して譲れない点で、在日を見下す意識、彼らと一緒にするなという意識が確かにあります。
一方在日のほうでも差別は欠かせません。
戦後の左傾社会では、差別は被差別者の権益と貸しています。
被差別を縦に権利を主張することで、たとえば在日は手厚い社会的保護を受け、働かなくても楽に暮らせます。
人権という錦の御旗があるかぎり、彼らの差別利権は不動です。
そういう現状で、高校無償化問題も、在日にとっては差別でなければなりません。
差別ではないという主張は通りません。
差別しておきながら無実を主張することは、もっとも悪質な差別的態度だからです。
ごめんなさい、もうしませんと言って、いつものように何らかの保障を在日にあたえなければなりません。
こうして政治的な色を帯びるのは避けられないんですが、ところで差別を本当になくしたい人がどれだけいるんでしょうね。
本当に差別問題を解決するために、どのような視点が要求されているのか、考え直してみるつもりはあるでしょうか。
それとも、相手を攻撃できてさえいれば差別者も被差別者も第三者の論客もそれぞれに目的が果たされるんでしょうか。
そういう不毛が現実であることも否定のしようがありません。
政治の色は不毛色です。
>>144 castanetさん
>政治的問題であるからこそ、僕は妥協するわけにはいかないし、貴方も病気を押して論陣を張っていたのではないですか。
政治的問題は、議論の場で主張することには無理があって、合意形成や意思決定の場においてそれに適した手法で主張するのが筋ないのではないかと私は感じています。
もともと政治にはジレンマがあって、差別の件でいえば、
- 国家としての価値観の公言と引き換えに「差別なし」を確定する
- 「差別なし」を確定させずに中途半端な態度を維持する
- 圧力に屈して扱いの区別を撤廃する
のどれかを選ばなければならないわけですが、私としては安易に1番目や3番目を選択する政府はちょっと嫌かなと思っています。2番目の状態で(本当によりよい扱い方はどのようなものであるのかについて)悩み続けてこそ、政府として機能しているのではないかと。私は、政府に朝鮮学校を無償化してほしいとは思わないけれど、「差別なし」と思考停止に陥ってほしくもない、、常に思考を続ける状態にあってほしいと思っています。
>quppaさんは今まで見たこともないような超マイナス評価を受けていますし、
もう少しリアルっぽい微妙な数のマイナス評価なら凹んでいたかもしれませんけど、これだけ数が揃うと明らかに政治色が浮き出ていて、途中からは、どこまで増えるのかかなり楽しめるようになりました。
>>113 elsewhereさん
お返事が遅くなってしまい恐縮です。
なんか議論が収束しかけているのに申し訳ないのですが・・返事しないのも気持ち悪いのですみません。
>>113 における論点は、貴方が「まとめましょう」とおっしゃっているとおり、以下の点に集約されると思います。
>まとめましょう。
>>朝鮮学校が「高等学校に類する課程を置くもの」であるかどうかが論点となる。
>とあなたは言いました。その通りです。
>そうして私は、『朝鮮学校は「高等学校に類する課程を置くもの」ではない』と主張します。
>その理由は、日本の教育の根本にある「人は平等」という基本理念を教えていないからです。
了解しました。
では、次に
『
何故、「日本の教育の根本にある「人は平等」という基本理念」を教えることが無償化の対象とするか否かの判断基準となるのか?』
という疑問点が出てきます。
貴方のこれまでの議論から、上記の疑問点に対する貴方の主張を整理してみます。(間違っていたらご指摘ください)
まず、
>>126 におけるquppaさんに対する回答で、「制度の趣旨と目的」を引用し、「朝鮮学校の無償化除外」は、目的に沿った基準に合致するかどうかで判断されているため『
差別ではない』と主張されています。
一見、
>>126 の論理構成は真っ当なように感じますが、そもそも前提が違っています。
貴方が、引用した1.と2.は「制度の趣旨・目的」ではなく、「制度実施により期待される効果」です。
「効果」あくまでも「期待される」ものとして記載されており、効果が期待できない学校を排除するために記載されているわけではありません。貴方の論理を認めれば、例えば、学級崩壊などで無償化してもその効果が期待されないのであれば、特定の高校を無償化の対象外にしても良い。という論理が成り立ちます。
正しい制度の趣旨・目的は以下のとおりです。(
>>34 ひろんさんへの貴方の回答からの抜粋です。)
>@ 高等学校等への進学率は約98%に達し、国民的な教育機関となっており、その教育の効果は広く社会に還元されるものであるこ
とから、その教育費について社会全体で負担していく方向で諸施策を進めていくべきであること。
A 高等学校等については、家庭の経済状況にかかわらず、全ての意志ある高校生等が安心して教育を受けることができるよう、家庭
の経済的負担の軽減を図ることが喫緊の課題となっていること。
B 多くの国で後期中等教育を無償としており、国際人権A 規約にも「中等教育における無償化の漸進的導入」が規定されている。
@は教育費の社会的負担の必要性、Aは家庭の経済的負担の軽減、Bはなんでしょう?良くわかりませんが、他の国だって無償としてるところが多いし、国際的にもそういう方向に行ってるから合わせましょうよ って感じでしょうか。
私には、上記の3つの目的から「日本の教育の根本にある「人は平等」という基本理念」を教えることを無償化の基準とする論理が導き出せません。
朝鮮学校の生徒を持つ家庭だって税金は支払っているし、行政サービスとしての対価を得る資格はそれなりにあると思うのですが…
そこでもう一度問いましょう。
『
何故、「日本の教育の根本にある「人は平等」という基本理念」を教えることが無償化の対象とするか否かの判断基準となるのか?』
これまでの貴方の論で、上記にあげた目的論から導き出される論理以外は、「日本の教育の根本にある基本理念を教えてない場合は基準に合致しないと言えばしないんだ。そこは理屈じゃないんだ。」という風にしか残念ながら読み取れません。(「裕福なアラブの王子様の例え」等)
他に説得力のある論理はあるでしょうか?
それとも、「これまでの論が説得力のある論理」だと主張されるでしょうか?
quppaさんの「目的が重要だ」との主張も、上記問いに対する回答と近いものがあるのではないでしょうか?
ちなみに、私は、実際に規定上で区別であることが明確になったとしても、道徳、正義といった根源的な観点から差別ではないことが明確になるわけではないと考えています。ただ、道徳、正義といった根源的な観点から差別かどうかの結論は出ないですし、結論を出すために議論しているわけではないので、とりあえず今回は最初に前提として確認したとおり「規定上でそれなりの論理でもって区別していれば差別ではない」という前提で話を進めてます。
例えば、「○○県の人間に強盗しても罪には問わない。」といった規定が万が一できたとしたら、そこにどんな目的があって、その目的に沿った基準が設けられていても、「規定上は区別してます」と言われても、私の道徳観念からは差別だと思うんですが、その議論をすると散漫になってしまうので意図的に避けてます。
以下、貴方の質問に対して、端的に回答させていただきます。
>テロを是とする教育ももちろん問題ですし、もっと言うならその背景にある考え方・・・「人は平等ではない、金正日は特別」と教え
>ているがゆえに、日本の教育の根幹にかかわる部分で朝鮮学校は基準を満たしていないと考えているのです。
>この点、あなたの考えはいかがでしょうか?
朝鮮学校の教育内容については正直良く知りません。
日本の教育の根幹にかかわる部分が「基準」となるかどうかについては、前述のとおり論理的に疑問を感じています。
>さて、繰り返しになりますが朝鮮学校では金正日を神格化する思想統制が行われています。
>思想統制という非常に強い言葉を敢えて使いましたが、この点、あなたは同意するでしょう。
朝鮮学校の教育内容については正直良く知りませんが、ここでの議論や報道等によるとおそらく思想統制的な教育は行われているのでしょう。同意します。
>『北朝鮮と言う国では思想統制が強く行われており、それは朝鮮学校にも及んでいる』と。
>それとも違うのでしょうか?
前述のとおりです。「違う!」という主張はしません。
>あなたは朝鮮学校において『金正日を犯罪者として断じる教育が行われている、思想統制は無い』と主張するのでしょうか?
前述のとおりです。そういった主張はいたしません。
>それとも『思想統制している学校においても、無償化の対象とするべき』というのでしょうか?
まだ私の中で結論は出ていません。無償化の対象外とすることに疑問を感じているということです。
>思想統制を無視して朝鮮学校を無償化することが平等・・・言い換えると「思想統制しているから無償化しないというのは差別」とい
>う主張であれば、そう言ってください。是非、詳細な論拠を知りたいです。
区別であることが明確になれば、差別ではないと納得します。
差別であることの論拠は、「無償化対象基準」から朝鮮学校が対象外となることが明確でないから。
「制度の趣旨・目的」から朝鮮学校を無償化の対象外とする論拠が納得できないから。
というところです。
えっと、なんとなく感じたのですが、上記質問から私が左翼認定を受けて責められているような印象を受けます・・(違ってたらすみません)
感情的には朝鮮学校に税金を投入するのは気分が悪いですし、そもそも高校の無償化事態にも反対です。小さな政府、自己責任という言葉が好きです。ただ、感情から生まれた答えに論理を合わせていくようなことはしたくないと思ってます。
>>141 elsewhereさん
>***************************************
>つまりquppaさんが言いたいのは、
>「朝鮮学校を無償化から除外することが、仮に、仮に論理的に間違っているとした場合、それにも関らず無償化対象にしなかったら、日
>本政府はまともな価値観を持っていないと判断する」
>という価値観をquppaさんが表明しているってことですよね。(修辞疑問)
>***************************************
>・・・ということを言いたかったと理解しましたが、それで合っているでしょうか?
いえ。
「朝鮮学校を無償化から除外することが、仮に、仮に論理的に間違っているとした場合、それにも関らず無償化対象にしなかったら、日本政府はまともな価値観を持っていないと判断する」のは当たり前のことです。私でもそう思います。
私が言いたいのはその逆で、「朝鮮学校を無償化から除外することが論理的に正しかったとしても、無償化の対象にしないなら、日本政府はまともな価値観を持っていないと判断する」です。
つまり、quppaさんの中では、
無償化の対象外にすることは論理的に誤っている→じゃあ差別だ。
無償化の対象外にすることは論理的に誤っていない→じゃあ差別じゃない。
という単純な理屈になっていないと思われるのです。
というのも、quppaさんの
>>137の書き込み、
>政府が「高校の教育でないならば国家及び社会の有為な形成者として必要な資質を養えない」と公式表明したらという話でしょうか。もしそうならば、私自身は「差別なし」を確定させたと納得すると思います。よく断言できたものだと感心さえするかもしれません。もちろん、次の選挙で同じ政権に投票するかどうかは別の話ですけど。
を読む限り、政府が「高校の教育でないならば国家及び社会の有為な形成者として必要な資質を養えない」と公式表明し、朝鮮学校を無償化の対象外とすることに対し反発しているように思えるのです。
quppaさんは、「「差別なし」を確定させたと納得する」と書いているように、「高校の教育でないならば国家及び社会の有為な形成者として必要な資質を養えない」ことが論理的に正しいことは認めているかと思います。
にもかかわらず、政府に対して反発心を抱いているように思えます。
ここから、「朝鮮学校を無償化の対象外とするのは理屈の上では正しいが、そんなことをする政府はけしからん」とquppaさんは考えているのではないかと私は考えたのです。
もちろん、これは私の個人的な推論なので、quppaさんが違うと否定されるのなら、別にこれ以上は追及しません。
>>112 sjtrusさん
そうですね。強制連行について、公式の発表人数は確認しました。
「在日は在日であり、日本人は日本人」これがレッテル貼りではなくて、「在日の方々は誤った知識を教えられていて、日本に対して不利益な言動をしている」これがレッテル貼りです。
このスレで sjtrus さんが知識の間違いを指摘したのは私だけですよね。議論の中で全く無関係な主張を突然することはないはずなので、sjtrus さんのいう「誤った知識で不利益な言動をしている」人は私のことだ、と推論しました。もし全く関係ない事実を表す一文を書いただけだとしたら、どうしてそんな紛らわしいことをしたんだ、ということになりませんか?
>>115 elsewhereさん
結果が同じならいいってものじゃないでしょう。私がいっているのはその結果に至る考え方なのですが。
ともあれ、私がスレ立てのときから elsewhere さんに感じていた違和感の正体がようやくわかってきました。elsewhere さんは「議論」という名目で「討論」を行っていたのですね。
私は政治的問題について論理的議論をしているものと思っていましたし、elsewhere さんもそのようにいっていましたが、どう見ても実際にやっているのは議論ではなく討論なんですよ。
討論では二つの異なる前提があって、そのどちらを採用するか話し合って決めなくてはいけないので、相手の前提を認めないのは当然です。一方、議論とは理解し合うプロセスなので、相手の前提を認めずにすべての意見を否定するのはよくありません。
議論では相手のいっていることを理解し、納得できた方がよいはずです。でも、elsewhere さんがしているのは、相手の意見の中に少しでも突っ込めるところがあると、それをもって相手の立場を全否定するようなことを続けています。
討論ならそれでもかまわないのですが、それは議論のやり方とは違います。私は自分の議論のやり方を押し付けるつもりはないので、これまで通り討論を続けたいなら私のことは気にしないでください。
>>136 castanetさん
>>144 castanetさん
このスレで話が噛み合ない理由は「立場が違うから」ではなくて「お互いにやっていることが違うから」だと思いますよ。私や quppa さんはあくまで立場にこだわらず、論理に興味があって議論に参加している。その一方で、castanet さんや elsewhere さんは議論の場に政治を持ち込んでいる。
私や quppa さんがその論理はどういうとき真になるのかを問題にしているときに、elsewhere さんは「この前提は絶対に真だ、それ以外は認めない」と非論理的なことを言い続けている。だから、これは議論以前の問題で、議論をしたいのかそれとも討論をしたいのか、はっきりさせるべきなんです。
私は政治的判断も、論理的議論に基づいて行うべきだと思っています。論理というのはあくまで「どういう条件のとき結論が真となるのか」を理解するために行うものです。そして政治とは「その議論に基づいて、いかなる前提を用い、どの結論を支持するのか」を決定するプロセスであるべきなんです。
現実にはそううまくはいかないこともあるとは思いますが、だからといって議論の段階に政治的な要素を入れてしまっていいということにはならないでしょう。
>>145 naturaさん
「差別を本当になくしたい」のかと、このスレで前にも同じようなことを聞かれました。最近ある作品の中で民族問題について主人公の出した結論が「僕はもう何人だという立場にはこだわらない、これからはそのような差別のない世界を作っていく」というものでした。
もしこのスレにいる人たちが、
>>136にあるような「日本人としての立場ならば」という前提を用いて結論を出しているのなら、それこそ差別を生み出すような行為をもって「自分たちのしていることは差別ではない」ということを正当化しているように見えてしまうんです。
やはり、政治的議論を中立的に行うためには「それぞれの立場・前提」を捨て、それらのないところから出発した方がいいのではないでしょうか。
>>146 quppaさん
quppa さんがマイナス評価を受けた理由は、政治的理由だけではないと思いますが。quppa さんは以前、私に対して「表現を一字一句訂正していたら議論が成り立たなくなる」といっていましたよね。それが現実にこのスレで繰り広げられているように見えました。
このサイトではデフォルトで引用文がつくとはいえ、一文一文に反応する必要もないでしょう。ネットで議論を始めた人にはそういうこともありがちですが。いったん自分の頭の中で相手の意見を再構成し、それをもとにして議論した方が相手にとってはわかりやすくなるのではないですか。
もっとも、どんなやり方で意見を書くのも自由ですし、おすすめはしても強制はしません。誰もが自分の書き方にはポリシーを持っていると思うので。quppa さんの議論の仕方は、前もって何をしようとしているのかを説明してくれている分、私には理解しやすかったりもします。
この手の問題が政治的問題であることは全くもってその通りだと思います。
私も当初からその懸念はありました。だからこそ、私の初めての書き込みの
>>43で、朝鮮学校ではなく外国人学校という枠組みで考えるべきだといったのです。
もちろん、朝鮮学校を外国人学校と十把一絡げに論じられない理由がある可能性はあります。
だから、>49などで、朝鮮学校と外国人学校の違いは何かを聞いたりもしたのです。
ですが、結局その答えは返ってきませんでした。
しかし私自身は、なるべく朝鮮学校に限定せず、外国人学校にも敷衍し得る理論で話を進めてきたつもりです。
>>63で始まる夜更けさんとのやりとりも、そうした意識で話を進めています。
結論となる
>>129や
>>135も同様です。
こうした問題が政治色を帯びるのは致し方のないことですが、できるかぎりそれらを排して純粋な議論を目指すことは可能でありますし、また、そうした努力をすべきだと思います。
「朝鮮学校」ではなく、「外国人学校」を論題にすることは、そうした工夫の一つだと考えています。
逆に、根拠ある必然性なしに、「外国人学校」ではなく「朝鮮学校」に限定するのは、まさに政治的な意図に基づくからではないかと考えています。
政治色を帯びた議論が駄目だとはいいませんが、それならそうと始めにことわるべきでしょう。
なのに、政治的な目的はなく、ただ純粋に議論をしたいとウソをつくのは、論客としての倫理にもとると個人的には思います。
スレとは関係あるようなないような話かもしれませんが、ここまでの議論の中で私が感じたことや、理念としていたことを表現してみました。
現時点での前提・論理・結論についてまとめます。
前提P=朝鮮学校が「高等学校に類する課程を置くもの」である
結論Q=朝鮮学校の無償化除外は「差別」である
論理R=PならばQである
ここで前提Pの真偽について議論するため、さらに前提をさかのぼることになりました。
結論Q=朝鮮学校が「高等学校に類する課程を置くもの」である
論理R1=高等学校で教えるべきとされている教科・科目を、高等教育が実施しなければならないとされている時間をかけて教えているならば、「高等学校に類する課程を置くもの」である
>>106
論理R2=「人は平等」という基本理念を教えているならば、「高等学校に類する課程を置くもの」である
>>113
つまりR1とR2のどちらがより説得力を持つか、ということですね。
私の解釈を付け加えるならば、「最低限、英数国理社を教えていれば問題ない」とする足し算型の採点と、「平等という概念を教えない限りは高校として認めない」という引き算型の採点の違いが浮き彫りになっているように思います。
あと説得力という観点では、R1の方がより自然な発想だと感じる。R2にはどうしても後づけの理屈という感が拭いきれない。
もう一つ重要な論点として「無償化法案を適用するかどうか」ではなく、もう少しメタな視点から論ずるべきだという意見も出ています。現時点での議論に納得のいく回答が見いだされた場合(もしくはすぐに次の議論に移行するべきだと考える場合)は、そちらの議論に移ってもよいでしょう。
こういうことを決定するモデレータがいるのが議論には理想的だと思いますが、どうもスレ主にはそういう役割を期待できないので(片方の立場に偏りすぎている)、私がそういう意見にレスをぶら下げてみることにしました。
最後に、遅レス・連投申し訳ありませんorz
>>151 夜更けさん
>私や quppa さんはあくまで立場にこだわらず、論理に興味があって議論に参加している。
>その一方で、castanet さんや elsewhere さんは議論の場に政治を持ち込んでいる。
論理的に差別であるか差別でないか、そんなことに興味があるなんて、よっぽど奇特な方なんですねぇ。
利害関係が直接的に絡んだ問題だと、理解しています?
そういう問題について、論理的だかなんだかそこは置いておいて、差別かそうでないか決定するのは、それ自体が政治的行為なんですよ。
貴方がどう思っているかは知りませんが、貴方がやっているのは、一般的に政治的な行為なんです。
自衛隊が軍隊であるかそうでないかという、9条問題と同様の問題なんです。
論理的に軍隊である、という結果が出たならば、その結論は色々な分野に飛び火し、おおいに政治的に利用することができることは解りますか。
だから、中立の立場を自負している裁判所も、誰に訴えられたところで軍隊か否かという裁定はしません。
その決定が国の行く末を動かすほど政治的な意味を持つから、統治行為論としてそういった事はしないのです。
この問題が差別か否かという問題にしたって、裁判所に裁定を任せても絶対に判断しませんよ。
差別だろうが差別でなかろうが、その結論が政治的に利用されちゃうんですから。
だから公の場で(この掲示板にしたって公の場です)、そういった問題を決定するのは不可能なんです。
ここにしたって、社会の一部の公的フィールドですから。
論理的に差別か否かなんて、自分の内で決定して自分だけの頭の中で結論を持ったらいい。
もしくは、同じ結論を持つ同志とつるんで内輪で結論を共有したらいい。
公の場でそういった問題について確固とした結論を出そうなんてハナから無理なんですよ。
だって元から政治的利害の対立から来てるんですから。
時々、ノーベル賞やらなんやら取った理系の研究畑の学者が、自分の社会的影響力について考えずに
(論理的に見て)「自衛隊は違憲だし、軍隊だ」とか言っちゃいますけど
それと同じなんですよ。
貴方やquppaさんが幾ら論理的問題だと考えようと、これは政治的問題だし、
「差別である」となったら、実際に被害を受ける集団がいるんです。
このスレッドにしたって微少の政治的影響力は持っているでしょう。
そういった場所で「結論を導き出そう」という行為自体が、政治的行為なんです。
>>153 夜更けさん
>quppa さんがマイナス評価を受けた理由は、政治的理由だけではないと思いますが。
私もその通りに思います。
どうも
>>144で若干の擁護色が出てきてしまっていたようですが、私はquppaさんの議論の進め方は気に入りません。
建設的な進め方ではないです。議論を終着させようという意図が見えません。
>>147 一般人さん
えー・・・素晴らしい反論です。ありがとうございます。
>貴方のこれまでの議論から、上記の疑問点に対する貴方の主張を整理してみます。(間違っていたらご指摘ください)
>まず、>>126 におけるquppaさんに対する回答で、「制度の趣旨と目的」を引用し、「朝鮮学校の無償化除外」は、
>目的に沿った基準に合致するかどうかで判断されているため『差別ではない』と主張されています。
>一見、>>126 の論理構成は真っ当なように感じますが、そもそも前提が違っています。
>貴方が、引用した1.と2.は「制度の趣旨・目的」ではなく、「制度実施により期待される効果」です。
>「効果」あくまでも「期待される」ものとして記載されており、効果が期待できない学校を排除するために
>記載されているわけではありません。貴方の論理を認めれば、例えば、学級崩壊などで無償化しても
>その効果が期待されないのであれば、特定の高校を無償化の対象外にしても良い。という論理が成り立ちます。
>正しい制度の趣旨・目的は以下のとおり・・・後略
私が書いた
>>126について、その前提が誤っているという指摘、おっしゃる通りです。
繰り返しますが、素晴らしい反論です。いやはや『
う〜ん・・・その通りとしか言えない!』です。
一般人さんの指摘を正しいと認め、私は今ここで訂正しましょう。
『
高校無償化の目的について私が>>126に書いた内容の内、前提部分に誤りがあり、その後の論は正しいとは限らない』
さて、このように価値のある指摘をいただいたので、あなたの指摘に従って、どのように論が進むのかを考えてみます。
あなたの取り上げた「高校無償化の本当の目的」についての解釈にも、ここではおおむね同意します。(後で一部修正しますが)
>@は教育費の社会的負担の必要性
>Aは家庭の経済的負担の軽減
>Bはなんでしょう?良くわかりませんが、他の国だって無償としてるところが多いし、
>国際的にもそういう方向に行ってるから合わせましょうよ って感じでしょうか。
続いてあなたはこのように書いています。
>私には、上記の3つの目的から「日本の教育の根本にある「人は平等」という基本理念」を教えることを
>無償化の基準とする論理が導き出せません。
>『何故、「日本の教育の根本にある「人は平等」という基本理念」を教えることが
>無償化の対象とするか否かの判断基準となるのか?』
これは重大な問いかけです。
確かに私の今までの論には、この問いかけに答えられる内容はありません。
>それとも、「これまでの論が説得力のある論理」だと主張されるでしょうか?
・・・いいえ、あなたの指摘により、私のこれまでの論は、説得力を失いました。
では私は自分の立場を一般人さんと同じものに変える必要があるのでしょうか? 新しいものが何もないのであればその通りです。
何も無ければ、私は一般人さんと同じスタンスに自分の意見を変えましょう。
さて、では本当に何もないのか?
私はあなたが取り上げた、「無償化の3つの目的」の内、3番目のものに注目しました。正直言いますと、私自身、今まであまり重視し
ていなかった部分です。
ここにそのまま引用しましょう。
B 多くの国で後期中等教育を無償としており、国際人権A 規約にも「中等教育における無償化の漸進的導入」が規定されている。
一般人さんなりの解釈はこうでした。
>Bはなんでしょう?良くわかりませんが、他の国だって無償としてるところが多いし、
>国際的にもそういう方向に行ってるから合わせましょうよ って感じでしょうか。
私もあなたの文を読んで
「うんうん。そんな感じに自分も思う」
と思っていました。しかし今回改めて良く考えてみて
「具体的にはどういうことだろう?」
と、「国際人権A規約」を検索してみました。
すると外務省の公式サイトにこのような文章が掲載されていました。冒頭部分を引用します。
***********************************************************
『
経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約(A規約)』
この規約の締約国は、
国際連合憲章において宣明された原則によれば、人類社会のすべての構成員の固有の尊厳及び平等のかつ奪い得ない権利を認めるこ
とが世界における自由、正義及び平和の基礎をなすものであることを考慮し、
これらの権利が人間の固有の尊厳に由来することを認め、
世界人権宣言によれば、自由な人間は恐怖及び欠乏からの自由を享受することであるとの理想は、すべての者がその市民的及び政治
的権利とともに経済的、社会的及び文化的権利を享有することのできる条件が作り出される場合に初めて達成されることになることを
認め、
人権及び自由の普遍的な尊重及び遵守を助長すべき義務を国際連合憲章に基づき諸国が負っていることを考慮し、
個人が、他人に対し及びその属する社会に対して義務を負うこと並びにこの規約において認められる権利の増進及び擁護のために努
力する責任を有することを認識して、
次のとおり協定する。
***********************************************************
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/kiyaku/2b_001.html (外務省公式ページより引用)
さて、ここの出だしの部分にこのように記載されている点にご注目下さい。
「・・・人類社会のすべての構成員の固有の尊厳及び平等のかつ奪い得ない権利を認めることが世界における自由、正義及び平和の基
礎をなすものであること・・・」
無論ここで私が重要視するのは『
平等』という言葉です。無償化法の3つの目的のうちひとつに国際人権A規約があり、その国際人権A
規約は、その出だしの部分、つまり根幹部分において『
全ての構成員の固有の尊厳及び平等のかつ奪い得ない権利を認める』としてい
ます。
そうして上記引用部分の最後にこのように記載されています。
『
この規約において認められる権利の増進及び擁護のために努力する』
認められる権利の中には、もちろん冒頭の『
すべての構成員の固有の尊厳及び平等のかつ奪い得ない権利』があります。
平等ということの増進及び擁護の為(つまりそれがA規約の目的の一つ)に、「国際人権A規約」はあるのです。
さらに詳しく見てみましょう。
上記外務省の公式サイトには、国際人権A規約について詳細を解説しているページがあり、そこに以下の文章があります。
***********************************************************
「個人の尊厳」を基調とする憲法は、第14条1項において、「すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分
又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」と規定して、法の下の平等を保障している。「法の下の平
等」は、立法府、行政府及び司法府のいずれをも拘束する原則であり、あらゆる国政の上で最大限尊重されなければならない。
***********************************************************
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/kiyaku/2b1_004.html#1 (外務省の公式ページより引用)
これらを外務省が公式サイト中の「国際人権A規約」詳細ページに載せ上げているということは、日本国政府が『全世界に向けてその
ように発信している』ということです。
つまりこれは言うならば、『
日本国政府の公式宣言』です。
ここで重要だと私が考える部分は『
「法の下の平等」は、立法府、行政府及び司法府のいずれをも拘束する原則』であるというところ
です。
「いずれをも拘束する原則」という強い言葉を私が解釈するところでは、以下のような風になります。
「法律を作る際にはすべからく「法の下の平等」という原則に従って作らなくてはならない。また、既に存在し、あるいはこれから作
成するあらゆる法律のあらゆる部分にいちいち「法の下の平等」について書く必要はない。憲法に記載しておいて、それを「全ての法
律にこれを適用する」というようなことにしておけばよい」
ずいぶん乱暴な表現かもしれませんが、私の言わんとするところは理解していただけるかと思います。
まあ、無償化法の場合は「国際人権A規約」に触れることによって、いわば「記載済み」と解釈できると思いますので、これは言うな
ら付けたしになってしまうのですが。
さて、一般人さんは、このように聞きました。
『何故、「日本の教育の根本にある「人は平等」という基本理念」を教えることが無償化の対象とするか否かの判断基準となるの
か?』
上記の内容を踏まえて、私はこのように答えます。
***********************************************************
無償化法の3つ目の目的に記載されている「国際規約A規約」において、「人は平等」という概念は根本的な基礎として記載されていま
す。
ということは、この「国際規約A規約」を目的に据えるところの無償化法においても「人は平等」ということを増進及び擁護していか
なくてはなりません。それにつながるような「無償化」でなければなりません。
「人は平等」ということに反する教育・・・つまり「人は不平等」と教える教育・・・つまり朝鮮学校の教育は「国際人権A規約」の
理念を目指すべく制定された無償化の目的に合致しません。
目的に合致しない学校を、一定の基準に従い排除することは合理的です。
だから、朝鮮学校を無償化しないことは差別ではありません。それは目的から導かれる基準に従った区別です。
またそれよりも上位の、つまり全ての法律の根幹的基準となる憲法において、具体的には日本国憲法第14条1項において、『法の下の
平等』は定められている。そうしてその『
法の下の平等』は、立法府、行政府及び司法府のいずれをも拘束する原則であり、あらゆる
国政の上で最大限尊重されなければならないとされています。
無論、教育基本法や高校無償化法についても、この憲法の拘束を受けます。
つまり、無償化法には「国際規約A規約」と書いてあるが、仮にもしそんなことが書いてなくても、憲法の拘束を受ける以上、「人は
平等ではない」などということを是とする教育を行う学校を、無償化法における「無償化対象校」に含めてはならない。
***********************************************************
さらに続けます。
外務省は上記A規約の解説ページにおいて特に『
2.外国人の地位、権利』という項目を設け、そこに教育についての項目を入れてい
ます。
【外国人の地位、権利】より抜粋
***********************************************************
(4) 教育を受ける権利
外国人の子女が我が国の公立学校において義務教育をうけることを希望する場合(就学義務はない。)には、すべて受け入れること
としている。このため、学齢相当の外国人子女の保護者に対して就学案内を発給し、就学の機会を逸することのないようにしている。
また、外国人児童・生徒が入学した場合には、授業料不徴収、教科書の無償給与、就学援助措置など、内外人平等の原則に立って、日
本人と同様の取扱いを行っている。
***********************************************************
これは私が
>>1に記載した「公立高校に入ればよい」という論とおおむね同じものと解釈します。
(外務省の公式ページにこれが記載されていて良かった(〃▽〃) )
さて、私自身は以上をもって「公式な宣言」が見いだせたかと思いますし、それによって無償化は差別ではないと言い切れたかと思っ
ています。
一般人さんは、どう思いますか?
無論、ひょっとしたら私が誤っていることもあるでしょう。一般人さんより指摘されるまで、私が自分の過ちに気が付いていなかった
ように。その場合は遠慮なく指摘して下さい。
また一般人さんに限らず、elsewhereは間違っていると思われる方は、誰であれ、遠慮なくおっしゃってください。
「ここ違うんじゃね? なんでっていったら○○だから。」
quppaさんに「目的」について指摘され、一旦は拒んだものの、改めてその理由を説明された時に、私がquppaさんの意見に一歩あゆみ
寄ったように、
「elsewhere、間違ってるよ」
との指摘に根拠が添えてあり、そこに理が通っていれば、私は過ちを認め、修正することをためらいません。
・お詫び
左翼認定の上、責められている印象を受けたということで、申し訳ありませんでした。論を明確にするため、
どうしても若干キツイ言葉になってしまい、自分の文章力の無さに恥じ入るばかりです。この場を借りてお詫びいたします。
左翼認定なんてとんでもない。左翼であれ右翼であれなんであれ、まず私は誰かに根拠もなく都合のいいラベルを貼って
「この○○め!」などと責める行為は、最も恥ずべき行為の一つだと確信しています。
(それにまず第一に、誰かが左翼(or右翼)であったとしても、それが悪いことだなんて思ってませんし)
ともあれ、この書き込みでも若干強い表現があるかと思いますが、責めるつもりはありません。
が、気を悪くしたら申し訳ございません。
>>148 エビチリさん
>quppaさんは、「「差別なし」を確定させたと納得する」と書いているように、「高校の教育でないならば国家及び社会の有為な形成者として必要な資質を養えない」ことが論理的に正しいことは認めているかと思います。
私から見ると、エビチリさんは「Aならば、Bであることに納得できる」という形の主張をもって直ちに「Aである」をも主張していると扱っているように感じますが、普通に考えれば、そのような論法が成立すると扱うのは詭弁でしかないように思います。だとしたら何か別の論法をもって上記のような結論を導いたのでしょうけれど、どのような論法をもってすれば導けるのかご教示いただけると幸いです。
>>153 夜更けさん
>いったん自分の頭の中で相手の意見を再構成し、それをもとにして議論した方が相手にとってはわかりやすくなるのではないですか。
相手の意見を再構成はしているのですけど、その際に議論の場において成立する解釈のみを模索しているわけです。相手を馬鹿であると決めつけたり、主張者自分にしか適用できない閉じた主張を述べていると想定すれば文脈的に整合するケースであっても、あいてその解釈を避けて、一般に適用可能な開いた主張を述べていると無理に解釈して臨まなければ、議論の場は議論の場ではなくなってしまうというのが私の主張です。なので、私が他者が提出した主張に反論する場合、往々にして(とくに閉じた主張に対しては、開いた主張であると無理に解釈するために)非常に無茶な解釈にもとづくものになるわけです。
>>155 夜更けさん
>前提P=朝鮮学校が「高等学校に類する課程を置くもの」である
>結論Q=朝鮮学校の無償化除外は「差別」である
>論理R=PならばQである
問題を見誤っているのではないでしょうか。差別の定義は
>>1の第2段落にある通りなので、「高等学校に類する課程を置くもの」であるかどうかではなく、なぜ「高等学校に類する課程を置くもの」でなければダメなのかの理由を政府が用意しているかどうかが問題になっているのだと思います。
握力が60kg以下の人が不採用になっても「差別」ではないのは、雇い主が「握力が60kgを超えていないと、重い荷物を短時間で大量に運べないため仕事にならない」という理由を用意しているからです。
>>158 quppaさん
>私から見ると、エビチリさんは「Aならば、Bであることに納得できる」という形の主張をもって直ちに「Aである」をも主張していると扱っているように感じます
AやBは、具体的になにを指すのでしょうか。
>>158 エビチリさん
>AやBは、具体的になにを指すのでしょうか。
私は
>>137において
>政府が「高校の教育でないならば国家及び社会の有為な形成者として必要な資質を養えない」と公式表明したら、
>(他の人はまだ政府は「差別なし」を確定させたと納得しないかもしないけれど)私自身は(政府が)「差別なし」を確定させたと納得する
と述べています。このことに基づいて、エビチリさんは
>>148において
>quppaさんは、「「差別なし」を確定させたと納得する」と書いているように、「高校の教育でないならば国家及び社会の有為な形成者として必要な資質を養えない」ことが論理的に正しいことは認めているかと思います。
と主張されています。
たとえば、私が意図していた主張はこれとは違いますが、もしも「A:(それをする際に政府は論理的に正しいことを認めざるを得ない根拠を当然用意するはずであるから)政府が「高校の教育でないならば国家及び社会の有為な形成者として必要な資質を養えない」と公式表明したら、B:私自身は「差別なし」を確定させたと納得する」と解釈されたのならば、私が「高校の教育でないならば国家及び社会の有為な形成者として必要な資質を養えない」ことが論理的に正しいことは認めていることを導くためには、「Aである」つまり「政府が「高校の教育でないならば国家及び社会の有為な形成者として必要な資質を養えない」と公式表明しているから、政府は論理的に正しいことを認めざるを得ない根拠を当然用意している(したがって、quppaも論理的に正しいことを認めざるを得ない)」を成立しているものと扱うくらいしかないのではないかと思ったわけです。他にも、詭弁を使えば様々な論法で私が「論理的に正しいことを認めている」を導くことはできると思います。
しかし、私には詭弁なしにその結論を導く論法は見出せませんでした。なので、どのような論法で導き得るのか尋ねているわけです。
>>162 quppaさん
申し訳ありませんが、quppaさんが何を言っているのか全然分かりません。
今問題になっているのは、私がどのような文章を書いたかではなく、quppaさんが私の書いた文章をどのように解釈したかです。
私の問いは、「「Aならば、Bであることに納得できる」という形の主張をもって直ちに「Aである」をも主張していると扱っているように感じます」の「AとBは具体的に何を指すのか?」です。ですので、
A:「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜」
B:「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜」
といった箇条書きで書いていただけますと理解がしやすいです。
>>163 エビチリさん
まずは私からの質問である、
>>どのような論法をもってすれば導けるのかご教示いただけると幸いです。
についてお答えいただけないでしょうか。
>>148 エビチリさん
>つまり、quppaさんの中では、
>無償化の対象外にすることは論理的に誤っている→じゃあ差別だ。
>無償化の対象外にすることは論理的に誤っていない→じゃあ差別じゃない。
>という単純な理屈になっていないと思われるのです。
>
>というのも、quppaさんの>>137の書き込み
********************************************
>政府が「高校の教育でないならば国家及び社会の有為な形成者として必要な資質を養えない」
>と公式表明したらという話でしょうか。もしそうならば、私自身は「差別なし」を確定させたと納得すると思います。
>よく断言できたものだと感心さえするかもしれません。もちろん、次の選挙で同じ政権に投票するかどうかは別の話ですけど。
********************************************
>政府が「高校の教育でないならば国家及び社会の有為な形成者として必要な資質を養えない」と公式表明し、
>朝鮮学校を無償化の対象外とすることに対し反発しているように思えるのです。
・・・中略・・・
>「朝鮮学校を無償化の対象外とするのは理屈の上では正しいが、そんなことをする政府はけしからん」
>とquppaさんは考えているのではないかと私は考えたのです。
なるほど! 確かにおっしゃる通りですね。quppaさんの書き込みを普通に読むと、普通にその通りに読み取れますね。
またその後のquppaさんの書き込みを読んでも、そのことを否定していないようですし。
あれだけこだわりポイントにはこだわるquppaさんがエビチリさんのいうことをそのままにしておくということは、
つまりその通りなんだと理解していいと思います。
するとquppaさんはこういうことを言っているって理解になりますね。 (quppaさんにならって私もA・Bを使ってみます)
A『
無償化の対象外にすることは論理的に誤っている』
→じゃあ差別だ。・・・日本政府はケシカラン。
B『
無償化の対象外にすることは論理的に誤っていない』
→じゃあ差別じゃない。・・・日本政府はケシカラン。
『
どちらにしても日本政府ケシカラン』・・・これでは確かに、論理的な話ではないですね。
エビチリさんが話を打ち切ろうとしたのも当然ですね。
まあ、quppaさんは
>>143でこんなことを言っていますが
>「朝鮮学校を無償化から除外することが、仮に、仮に論理的に間違っているとした場合、
>それにも関らず政府が「高校の教育でないならば国家及び社会の有為な形成者として必要な資質を養えない」
>というような価値観を公式表明したら、日本政府の現在の政権はまともな価値観を持っていないと
>有権者に判断される可能性があるため、軽々しくは公式表明しないであろう
>(つまり、軽々しくは「差別なし」を確定しないであろう)」
これは「除外が論理的に間違っている場合・・・つまり上のAの場合について言っていることになるので、エビチリさんが
>>148で述
べているBの内容については否定していないと受け止められます。
********************************************
さて、ではスレ立て人として、そろそろ「まとめ」の作成に入ります。
とりあえず意見の一致している点を載せ上げました。
これから順次、「意見が相違している点と、それぞれの主張する根拠」等を書いていきます。
まとめの形式は、一つelsewhereにお任せ下さい。
しかし、「あれ、これ忘れてね?」とかいうような指摘があれば、どんどんレスに書いていただきたいと思います。
エビチリさんに限らず、意見のある方はどしどしレスに書いていただければと思います。
なるほどと思えば取り入れていきます。
>>164 quppaさん
>>どのような論法をもってすれば導けるのかご教示いただけると幸いです。
いや、ですから、quppaさんは、私が何を導いたと考えているのかを聞いているのですが。
それが分からないと答えようがありません。
極端な話、
エビチリ「Xだと思います」
quppaさん「なぜYだと思うのですか?」
エビチリ「?」
という状態なんですよ。
それともこう書けばいいでしょうか。
quppaさん「質問です。なぜ○○になるのですか?」
エビチリ「すいません。質問の意味がちょっと分からないので、もう少し詳しく説明してくれませんか」
quppaさん「その前に、まず私の質問に答えてください」
エビチリ「いや、ですから……」
というわけで、まずは
>>163の通りに答えてください。
>>165 elsewhereさん
まとめ作業お疲れ様です。
個人的には、「意見の相違がない点」として、「朝鮮学校の日本におけるメリットはない」ことは載せてもいいかと思います。
もしかするとあるのかもしれませんが、今のところ出ていませんので。
>>165 elsewhereさん
>『どちらにしても日本政府ケシカラン』・・・これでは確かに、論理的な話ではないですね。
よく解らないのですけど、「どちらにしても日本政府ケシカラン」であるとなぜ論理的な話ではないのでしょうか。その辺りの論理が非常に疑問です。印象だけで主張しているのでないならば、論理的に説明してください。
>>166 エビチリさん
つまり、私はエビチリさんが
>>148において詭弁に基づいて
>quppaさんは、「「差別なし」を確定させたと納得する」と書いているように、「高校の教育でないならば国家及び社会の有為な形成者として必要な資質を養えない」ことが論理的に正しいことは認めているかと思います。
を主張しているのではないかと主張しているわけです。詭弁ではない論法でこれが導けることを示してくれれば済むだけの話ではないでしょうか。
>>169 quppaさん
一つ確認したいのですが、結局quppaさんは、「「Aならば、Bであることに納得できる」という形の主張をもって直ちに「Aである」をも主張していると扱っているように感じます」の「AとBは具体的に何を指すのか?」という私の質問に答えるつもりはないのですか?
>>167 エビチリさん
>個人的には、「意見の相違がない点」として、「朝鮮学校の日本におけるメリットはない」ことは載せてもいいかと思います。
それなら普通は「朝鮮学校の日本におけるメリットは明らかになってはいない」くらいの文言かと思います。
あと、「政府が高校(とそれに準じる学校)であることを無償化対象の基準にすえる理由は明らかになっていない」あたりも載せてもいいかと思います。
elsewhereさんが論理的に議論をしようとしていたのか、それとも多数派形成工作みたいな議論とは別のことをしようとしていたのか、そのあたりはきっと、どのように「まとめ」るかに浮き出て見えてくることになると思います。
>>170 エビチリさん
>一つ確認したいのですが、結局quppaさんは、「「Aならば、Bであることに納得できる」という形の主張をもって直ちに「Aである」をも主張していると扱っているように感じます」の「AとBは具体的に何を指すのか?」という私の質問に答えるつもりはないのですか?
答える理由が今一つ分からないわけです。エビチリさんが詭弁ではない論法を提出すれば、以降において私は同じ主張ができなくなるのですが、なぜ詭弁ではない論法を出し惜しみされるのでしょう。
>>171 quppaさん
>それなら普通は「朝鮮学校の日本におけるメリットは明らかになってはいない」くらいの文言かと思います。
より妥当なのは、「朝鮮学校のメリットは分かる人には分かるが、なぜかそれは公表されない」だと思います。
少なくとも、このスレの流れとしてはこれが妥当でしょう。
>あと、「政府が高校(とそれに準じる学校)であることを無償化対象の基準にすえる理由は明らかになっていない」あたりも載せてもいいかと思います。
高校無償化なのだから、高校が無償化の対象となるのは当たり前だと思うのですが。
高校無償化といっておきながら、大学や専門学校が無償化されたらそっちの方が驚きです。
>>172 quppaさん
>答える理由が今一つ分からないわけです。
私が何に答えていいのか分からないからです。
それともquppaさんは、回答者が質問者の質問の意味を理解してなくても、回答者は質問に回答すべきだと考えているのですか?
>>167 エビチリさん
載せました。
一つ提案です。
「朝鮮学校の日本におけるメリットはない」という言葉を、以下のようにしたら、より具体的でわかりやすいのではと思います。
『
朝鮮学校を無償化することによる、日本国民のメリットは無い』
「日本国民がいいかなー」「それともただ日本がいいかなー」といろいろ考えたのですが、朝鮮学校を無償化することにより、
朝鮮の人達には確かにメリットがあるので、敢えて日本国民という言葉を選んでみました。
エビチリさんが同意していただければ、『
朝鮮学校を無償化することによる、日本国民のメリットは無い』に書き換えます。
*************************************************
あと、これは書き込む人みなさんに対してですが、提案があればそれが誰の論であれ私は載せます。
ただ、これは当たり前ですが言われたまま機械的に載せるのではありません。
例えば、エビチリさんが提案し、私が載せ上げた
「朝鮮学校の日本におけるメリットはない」
は、エビチリさんが
>>129においてその主張を根拠をつけて主張し、現在のところそれに対する論理的な反論がないことから、載せ上げ
たものです。これについて論じ合っていたquppaさん自身も、メリットの有無を争っていたというよりは、
「それは『
公式発表されていない』」
という点から持論を展開していました。
メリットの有無はエビチリさんとは争わず、『
メリットが無いことについて公式発表が無い』ことが論旨となっています。
これが間違っていると主張する場合は、『
メリットは明らかではない』とする論がどこに書いてあるかを明示していただければもちろん
載せ上げます。
もしくは今からでもきちんと反論していただければ、記載欄を別な場所に移動します。
具体的には「現在議論されている論点」とかいう欄を考えています。
しかし、
>>137でquppaさんが書いているように
>だから、私はquppaさんに聞いているのです。朝鮮学校の日本におけるメリットはなにかと。
というエビチリさんの問いかけに対して
>答える必要はないというのが私の論法です。
という答えでは、有効な反論とは言えません。
まとめが終わってからの書き込みってルール違反じゃないですよね?
>>160 quppaさん (ここでは
>>157 elsewhereさんに対する回答ともさせていただきます。)
>
>問題を見誤っているのではないでしょうか。差別の定義は>>1の第2段落にある通りなので、「高等学校に類する課程を置くもの」であるかどうかではなく、なぜ「高等学校に類する課程を置くもの」でなければダメなのかの理由を政府が用意しているかどうかが問題になっているのだと思います。
えっと、私も(敢えて)問題を見誤っている一人なので、回答させてください。
何故、「高等学校に類する課程を置くもの」でなければならないか。
以下は、国際人権A規約の第13条の抜粋で、高等教育の漸進的無償化を定めた部分ですが、日本はA規約を1979 年に批准しながら、この第13 条2 項(c)については頑なに留保し続けています。(留保しているのはこの条項だけではないですが)
留保ってのは「全体としては条約を守りますが、この部分だけはそうはいきませんよ」ってことだと思います。
============================================
第13 条
1.この規約の締約国は、教育についてのすべての者の権利を認める。締約国は、教育が人格の完成
及び人格の尊厳についての意識の十分な発達を指向し並びに人権及び基本的自由の尊重を強化すべき
ことに同意する。更に、締約国は、教育が、すべての者に対し、自由な社会に効果的に参加すること、
諸国民の間及び人種的、種族的又は宗教的集団の間の理解、寛容及び友好を促進すること並びに平和
の維持のための国際連合の活動を助長することを可能にすべきことに同意する。
2.この規約の締約国は、1の権利の完全な実現を達成するため、次のことを認める。
(c) 高等教育は、すべての適当な方法により、特に、無償教育の漸進的な導入により、能力に応じ、
すべての者に対して均等に機会が与えられるものとすること。
============================================
留保の理由として、日本は既に
・機会は均等に与えられていること
・私立学校の占める割合が高いことこと
・奨学金制度を設けていること
などだそうです。条約批准国として留保する理由を外務省がこのように定期的に「言い訳」しています。
したがって、この『
国際人権A規約の第13条2項(c)の留保を外すため』というのが1点目の理由です。
この留保を外すためには、特定の学校だけではなく、幅広く「高等教育」を含まなければならないからです。
そして、どこかで高等教育であることの線引きが必要で、その線引きが「高等学校に類する課程を置くもの」だと思います。
何故、留保を外したいか?といえば、A規約に書かれたことに日本政府(我々国民)が同意できるからですね。
第13条2項(a)と(b)には初等教育と中等教育のことが述べられていますが、この条文には大学のことは触れられていません。
おそらく、第13条の1.に掲げられた
・教育が人格の完成及び人格の尊厳についての意識の十分な発達の指向させること
・教育によって、人権及び基本的自由の尊重を強化につながること
に同意でき、それに必要な教育というものが高等教育まで、ということでしょう。
また、教育を行うことで、教育を受けた人が
・自由な社会に効果的に参加すること
・諸国民の間及び人種的、種族的又は宗教的集団の間の理解、寛容及び友好を促進すること
・平和の維持のための国際連合の活動を助長すること
などが可能になっていくんだ。ということ言われていますが、こうしたことが高等教育までで可能になるということでしょう。
まあ、嫌な言い方をすれば、高校卒業時までで、『
教育による国際的に都合の良い人格形成は達成可能だ』ということですね。
何故、「高等学校に類する課程を置くもの」でなければならないか。
これに対する2点目の理由は法律に書かれた目的から導き出せます。
============================================
(目的)
第一条この法律は、公立高等学校について授業料を徴収しないこととするとともに、公立高等学校以外の
高等学校等の生徒等がその授業料に充てるために高等学校等就学支援金の支給を受けることができること
とすることにより、高等学校等における教育に係る経済的負担の軽減を図り、もって教育の機会均等に寄
与することを目的とする。
============================================
法律の目的には
「教育に係る(家庭の)経済的負担の軽減」と「教育の機会均等」
とが書かれています。
「高等学校に類する課程を置くもの」である学校にも関わらず、外国人学校等を無償化の対象外とすることで、その家庭の教育に係る経済的負担の軽減にならず、法律の目的が(一部)達成できないからです。
「日本の学校は門戸を閉じていないんだから機会は均等でしょ」という意見もあるでしょうが、私はその意見には同意できません。
外国人学校に通う方々諸事情が考慮されなさすぎて、温かみがないからです。
elsewhereさんへ
私は、法律の目的や制度の周知文書にも上記の国際人権A契約に書かれているような目的を明確に書くべきだと思っています。
そうすれば、朝鮮学校等の無償化除外が正当なものとして納得できます。
別でこんな条約があってそれに批准しているからと言われても、聞かなければ関係性もわかりませんし、制度設計者の恣意性を高めてしまいます。
>>157 elsewhereさん
>
>無償化法の3つ目の目的に記載されている「国際規約A規約」において、「人は平等」という概念は根本的な基礎として記載されています。
上にも書きましたが、追加です。
実際の法律には国際人権A契約のことは触れられていません。
したがって、その後に述べられている貴方の「法の下の平等」説は、逆に朝鮮学校の無償化対象とすべき論の説得力を強化するという皮肉な結果となってしまいます・・・。
>・お詫び
>ともあれ、この書き込みでも若干強い表現があるかと思いますが、責めるつもりはありません。
>が、気を悪くしたら申し訳ございません。
私の「立ち位置」と申しますか、私は朝鮮学校の無償化除外に反対しているわけではありませんので、それをご理解頂きたかっただけですので、この程度で気を悪くするような小さい器では無いつもりです。(笑)
quppaさんへ
少しお聞かせいただきたいのですが、私と貴方と『ほぼ』同意見だと感じています。
もしそうであると仮定すると、貴方の意見が他者に正しく理解されていないことに、何故か私がやるせない憤りのようなものを感じてしまうですが、私が貴方の意見を正しく理解しているかどうかも確信がないですし、この憤りを解消するために、私が解説するのもお門違いなので、
以下の点について、貴方のお考えを聞かせて欲しいです。
・貴方の意見と私の意見は同じ意見だと感じますか?ある程度似ていると感じますか?または全然違うと感じますか?
・貴方の意見は正しく他者に理解されていると思われていますか?(反論が多いのは正しく理解されたうえでの反論だと感じていますか?)
・正しく理解されていないと感じる場合、その理由はどこにあると思われますか?
・正しく理解されていないと感じる場合、正しく理解されたいと思っていますか?
>>173 エビチリさん
>より妥当なのは、「朝鮮学校のメリットは分かる人には分かるが、なぜかそれは公表されない」だと思います。
その表現だと、誰がなぜ公表すべきなのかが謎めいていると思います。たとえば、誰も握力が58kgであることのメリットを公表しなくても、雇い主が「握力が60kgを超えていないと、重い荷物を短時間で大量に運べないため仕事にならない」を公表していたら、握力が60kg以下の人を不採用とすることが「差別なし」であることには変わらないのではないでしょうか。
>高校無償化なのだから、高校が無償化の対象となるのは当たり前だと思うのですが。
握力60kg超えの人の採用なのだから、握力60kg以下の人が不採用になるのは当たり前なのだけれど、それが「差別なし」かどうかは、雇い主による「握力が60kgを超えていないと、重い荷物を短時間で大量に運べないため仕事にならない」のような理由の公表の有無に依存するというのが
>>1の第2段落における主張なのではないでしょうか。
>高校無償化といっておきながら、大学や専門学校が無償化されたらそっちの方が驚きです。
たしかに握力60kg以下の別の誰かが採用されたら、それは驚きでしょうけれど、そのことと握力60kg以下のある人を不採用にすることが「差別なし」かどうかは無関係ではないかと思います。
>私が何に答えていいのか分からないからです。
エビチリさんが
>>148において 主張されている
>quppaさんは、「「差別なし」を確定させたと納得する」と書いているように、「高校の教育でないならば国家及び社会の有為な形成者として必要な資質を養えない」ことが論理的に正しいことは認めているかと思います。
について、どのような論法でその結論が得られたのかということについてです。
>>175 一般人さん
>そして、どこかで高等教育であることの線引きが必要で、その線引きが「高等学校に類する課程を置くもの」だと思います。
で、その線引きが「差別なし」に行われていることを確定するためには、政府が「高等学校に類する課程を置くものでなければ、高等教育なんて出来やしない」との認識を公然と表明する必要があるのではないかと私は主張しているわけです。
1>>の第2段落によれば、「握力60kg超え」という線引きが「差別なし」に行われていることを確定するために、雇い主は「握力が60kgを超えていないと、重い荷物を短時間で大量に運べやしない」との認識を公然と表明しているわけです。
つまり、国際人権A規約の第13条にもとづく一般人さんの主張は、
>何故、「高等学校に類する課程を置くもの」でなければならないか。
についてではなく、なぜ「高等教育をしない学校」ではダメなのか?についての説明にしかなっていないのではないでしょうか。肝心の「高等学校に類する課程を置くものが提供する教育」と「高等教育」の同一性についての証明は含まれていないのではないでしょうか。
>「日本の学校は門戸を閉じていないんだから機会は均等でしょ」という意見もあるでしょうが、私はその意見には同意できません。
それはどなたが主張された意見でしょうか。少なくとも私の意見ではないように思うのですけど。
>>177 一般人さん
>もしそうであると仮定すると、貴方の意見が他者に正しく理解されていないことに、何故か私がやるせない憤りのようなものを感じてしまうですが、
議論に参加する建前上の目的は、自身の構築した論に対する反論の募集なのだから、正しく理解した人で反論のあるひとが反論をしたければすればいいだけのことです。
このスレッドの一連のやりとりの中で、私自身は、ある区別に関して「差別なんじゃね?」と議論の場において問うことが区別をしている人に対する圧力として働くメカニズムについて、私自身にとって納得のいく論理を構築することができたと考えています。現状では、私の論に対する有効な反論は提出されていないようです。私としては、有効な反論をいただければ、自身の論をより洗練されたものへと修正する機会が得られるという意味でとても有意義なことと思いますし、有効な反論をいただけなくても、それはそでれ問題はないと思っています。
私は、議論の場においては、合意形成は必要ないと思っています。重要なのは、有効な反論を交わすことによって、各自が各自の脳内における論をより洗練されたものへと修正していく過程にあるのではないかと考えています。
elsewhereさん
>意見の相違が無い(相違が収斂し、ほぼ同一の見解に落ち着いた)点
これって合意形成の場では「まとめ」として妥当かもしれませんけど、議論の場では、「現時点で有効な反論が提出されていない主張」とし、日付も明記すべきではないでしょうか。
>>178 quppaさん
>雇い主が「握力が60kgを超えていないと、重い荷物を短時間で大量に運べないため仕事にならない」を公表していたら、握力が60kg以下の人を不採用とすることが「差別なし」であることには変わらないのではないでしょうか。
公表したら差別なしになるのですか?
>握力60kg超えの人の採用なのだから、握力60kg以下の人が不採用になるのは当たり前なのだけれど、それが「差別なし」かどうかは、雇い主による「握力が60kgを超えていないと、重い荷物を短時間で大量に運べないため仕事にならない」のような理由の公表の有無に依存するというのが>>1の第2段落における主張なのではないでしょうか。
公表の必要性が、
>>1の第2段落のどこに書かれているのでしょうか。
具体的に抜き出してみてください。
というか、実際の社会においても、企業が公表する採用情報において、「どんな人材を求めているか」だけでなく、同時に「なぜその人材を求めているか」も公表しないと差別になるのですか?
具体的に、差別で訴えられた事例ってあります?
>たしかに握力60kg以下の別の誰かが採用されたら、それは驚きでしょうけれど、そのことと握力60kg以下のある人を不採用にすることが「差別なし」かどうかは無関係ではないかと思います。
ということは、入試というのは差別なんですか?
入試は、上位何名を合格とするとか、何点以上を合格とするという方式ですが、それすらも「差別なし」かどうかは無関係ではないと思うのですか?
>エビチリさんが>>148において 主張されている
>
>>quppaさんは、「「差別なし」を確定させたと納得する」と書いているように、「高校の教育でないならば国家及び社会の有為な形成者として必要な資質を養えない」ことが論理的に正しいことは認めているかと思います。
>
>について、どのような論法でその結論が得られたのかということについてです。
また論点がずれましたね。
quppaさんは、私が詭弁を弄している理由として、私が「「Aならば、Bであることに納得できる」という形の主張をもって直ちに「Aである」をも主張している」からだと主張されたわけですよね。
だから、私はAやBが何かを問うているのです。
なのに、quppaさんはAやBが何かについて説明しないまま、論点となっている「「Aならば、Bであることに納得できる」という形の主張をもって直ちに「Aである」をも主張している」から、また別の話に論点をずらしている。
これでは話がかみ合いません。
まず訂正です。
高等学校で教えるのは中等教育なんですね。(後期中等教育)
高等教育を行うのは大学等なんですね。
高等学校=高等教育だと勘違いしてました。
私の以前の主張は適当に読み替えていただけると助かります。
>>179 quppaさん
>
>>何故、「高等学校に類する課程を置くもの」でなければならないか。
>についてではなく、なぜ「高等教育をしない学校」ではダメなのか?についての説明にしかなっていないのではないでしょうか。肝心の「高等学校に類する課程を置くものが提供する教育」と「高等教育」の同一性についての証明は含まれていないのではないでしょうか。
ちょっと貴方のおっしゃる『
高等教育』の定義を教えてもらってよろしいですか?
(高等学校の話なので『
後期中等教育』の定義でも結構です)
>それはどなたが主張された意見でしょうか。少なくとも私の意見ではないように思うのですけど。
ご安心ください。貴方の意見ではありません。
(貴方の意見だとも書いてませんし、「一般論としてこういう意見もありますけどねぇ」という意味として聞き流してもらって結構です。)
>>174 elsewhereさん
>一つ提案です。
>「朝鮮学校の日本におけるメリットはない」という言葉を、以下のようにしたら、より具体的でわかりやすいのではと思います。
>
>『朝鮮学校を無償化することによる、日本国民のメリットは無い』
>
>「日本国民がいいかなー」「それともただ日本がいいかなー」といろいろ考えたのですが、朝鮮学校を無償化することにより、
>朝鮮の人達には確かにメリットがあるので、敢えて日本国民という言葉を選んでみました。
>
>エビチリさんが同意していただければ、『朝鮮学校を無償化することによる、日本国民のメリットは無い』に書き換えます。
数は少ないですが、恐らく朝鮮学校には日本国籍を有した、つまり日本国民がいるかと思います。
そうすると、朝鮮学校を無償化とする場合にメリットを享受する対象が「日本国民」であった場合、そうした日本国籍を有した者は該当することになります。
つまり、朝鮮学校を無償化することにより、わずかながら日本国民にメリットがあることになります。
私としては、日本国民という個人の問題ではなく、日本という大きな社会に対してメリットがあるかが重要だと考えております。
そもそも高校の無償化を実施する目的は、日本社会の担い手として活躍する人材を育成することです。
学校教育法的に言えば、「国家及び社会の有為な形成者」を育成することです。
つまり、学校に在籍する生徒及び家族にメリットがあるから高校無償化を実施するのではなく、あくまで高校を卒業した生徒が日本に対してメリットをもたらすからこそ、高校を無償化するのです。
そういった意味で、「日本国民にメリットがあるか」ではなく、「日本という社会に対してメリットがあるか」の方が適切だと思われます。
ところで、まとめの「差別であるとする意見」に、「日本人と同じ教育を受けると日本人になりすますことになる。だから差別だ。(
>>24) 」がありますが、これは差別の問題とは関係ないと思います。
現に、
>>24のすぐあとの
>>26において、ブルンジさんは「スレの主旨とあまりにも無関係だと思います」でBooを受けていますし。
そもそも、高校無償化において、日本人と同じ教育を受けろなどという強制は一切ありません。
>>182 エビチリさん
>公表したら差別なしになるのですか?
反論の形で、より真っ当な「差別なし」基準が提出されるのを待っているのですけど、現状では提出されていないということです。
雇い主が「握力が60kgを超えていないと、重い荷物を短時間で大量に運べやしない」との認識を公然と表明してもなお、「握力60kg超え」を基準にするのは差別であると主張する人はいるかもしれません。しかし、それならば、何をもって「差別なし」が確定すると定義できるのかと問うているわけです。
区別を実施する人が区別基準の背後にある価値観を表明しているかどうかは とりあえず明示的な基準となり得ます。それ以外に、合意形成のような場ではなく、議論の場において扱えるような明示的な基準として、いったいどのようなものを設置できるのか、案の提出を求めているわけです。
区別基準の背後にある価値観を表明することはリスクを伴います。価値観の異なる相手との断絶が生じる可能性があるからです。したがって、価値観の表明をもって「差別なし」と扱ったとしても、「差別なし」を安易に確定できる状況は生じません。一方、区別対象の基準さえ設ければ「差別なし」と扱うとするならば、「差別なし」は安易に確定できることになります。逆に、価値観の表明をもってしても「差別なし」と扱わなわず、他に「差別なし」を確定させる明示的な基準もないならば、どのようなケースにおいても「差別なのでは?」と問えることとなり、その問いからは安易な区別行為を抑止するための圧力が生じなくなってしまうように思います。
>というか、実際の社会においても、企業が公表する採用情報において、「どんな人材を求めているか」だけでなく、同時に「なぜその人材を求めているか」も公表しないと差別になるのですか?
「差別なのでは?」と問われたら、「基準を満たさない人を採用するとどのような問題が生じるのか」についての説明が求められていると捉えるのは自然なことではないでしょうか。
>ということは、入試というのは差別なんですか?
「差別なのでは?」と問われたときに、「上位何名以外を合格者として認めることは在学生のレベルの低下につながるから」など何らかの価値観表明をしなければ、はやり「差別なし」を確定させることはできないと思いますが、問われたときに表明してもそれほどリスクのある価値観とは言えないように思えます。だからこそ、誰もおおっぴらに問わないのではないでしょうか。
>quppaさんは、私が詭弁を弄している理由として、私が「「Aならば、Bであることに納得できる」という形の主張をもって直ちに「Aである」をも主張している」からだと主張されたわけですよね。
他にも様々な詭弁を用いれば同じ結論を導けるけれど、その中の一例を挙げただけなので、その一例がエビチリさんが用いた詭弁と違っていたとしても、エビチリさんが他の詭弁を用いていなかったことの証明にはなりません。だとしたら、なぜその一例にこだわるのでしょう。エビチリさんが詭弁なしで導ける論法を提出すれば、エビチリさんが何らかの詭弁を弄しているという私の主張は直ちに成立しなくなるのに、なぜ提出をもったいぶるのでしょうか。
>>184 エビチリさん
>そもそも高校の無償化を実施する目的は、日本社会の担い手として活躍する人材を育成することです。
ならば、朝鮮学校を無償化から除外する理由は「朝鮮学校の教育では、日本社会の担い手として活躍する人材を育成することができない」ということになりそうですけど、このことについては現時点では証明されていないのではないでしょうか。
将軍様を崇拝する教育を受けたり、キリストさまを崇拝する教育を受けたり、進化論を否定する教育を受けたり、様々な学校があるかと思いますけど、卒業生が必ずしも将軍様を崇拝したり、キリストさまを崇拝したり、進化論を否定するような人物になるとは限りません。だとしたら、いったいどのような論法で「育成することができない」ことを証明できるのでしょう。
少し不思議な感じにはなりますけど、
「朝鮮学校を無償化することによる、日本という社会に対してメリットはない(メリットがあるとは証明されていない)」
と同時に
「朝鮮学校を無償化することによる、日本という社会に対してメリットはある(メリットがないとは証明されていない)」
を併記するという案については、いかが思われるでしょう。
>>185 quppaさん
>>182の私の質問、「公表の必要性が、
>>1の第2段落のどこに書かれているのでしょうか。具体的に抜き出してみてください」に答えてください。
どうもquppaさんは、
>>1の差別の定義ではなく、自分自身の差別の定義に従って議論を進めているようです。
>他にも様々な詭弁を用いれば同じ結論を導けるけれど、その中の一例を挙げただけなので、その一例がエビチリさんが用いた詭弁と違っていたとしても、エビチリさんが他の詭弁を用いていなかったことの証明にはなりません。だとしたら、なぜその一例にこだわるのでしょう。
私が詭弁を使っているのは大前提なんですね。
「これこれの理由でそれは詭弁だ」というのが普通だと思うんですが、quppaさんの場合、「詭弁でないことを証明してみろ。できなければ詭弁だ」になるんですね。
quppaさんは、「私から見ると、エビチリさんは「Aならば、Bであることに納得できる」という形の主張をもって直ちに「Aである」をも主張していると扱っているように感じますが、普通に考えれば、そのような論法が成立すると扱うのは詭弁でしかないように思います」とおっしゃっていましたよね?
つまり、「Xの理由により、Yは詭弁である」という主張ですよね。
これに対して、「Xではない」、「Xだという認識は誤りである」といった反論をすれば、普通はYが詭弁でないことが示されるはずなんですよ。
「なぜその一例にこだわるのでしょう」とquppaさんはおっしゃいますけど、それは当たり前です。
その一例を理由に詭弁だと断じたのですから、その一例に反論すれば詭弁でないことが示されるからです。
なのに、quppaさんの言い分だと、「いや、もしかするとWの理由でYは詭弁かもしれない。Wについて反論してみろ」となってしまい、以下エンドレスです。
そもそも、「エビチリさんが何らかの詭弁を弄している」って一体なんなんでしょうか。
なんですか、「何らかの詭弁」って。
具体的に、「これこれの理由でそれは詭弁だ」というなら分かるんですが、「よく分からないけど多分詭弁を使っているのだろう」では、ただの言いがかりにしかなりませんよ。
結局、具体的な根拠はないのにかかわらず、quppaさんの中では私が詭弁を言っていることは決定事項なんですね。
>なぜ提出をもったいぶるのでしょうか。
何度も言っていますが、そもそも何を提出すればいいのか分からないのです。
quppaさんの方こそ、なぜ私の質問である「AとBは具体的に何を指すのか?」に答えないのでしょうか。
もったいぶっているのはquppaさんの方ですよ。
挙句、AとBの話が決着していないのに、「他の理由で詭弁かもしれない」とおっしゃっていますし。
何度も言っていますが、論点をずらさないでください。
>>187 エビチリさん
>どうもquppaさんは、>>1の差別の定義ではなく、自分自身の差別の定義に従って議論を進めているようです。
はたしてそうでしょうか。ならば、
>>1の差別の定義に基づくと、どのような条件を満たしたときに「差別なし」となるのでしょう。私としては一例を提出し、
>>1の差別の定義に基づくより適切な条件が反論として提出されるのを待っているわけですけど、今現在、明確な別条件の提出はなされていないように思います。
>私が詭弁を使っているのは大前提なんですね。
前提となっていたら、詭弁でない論法を提出せよなどとは要求しないのではないでしょうか。
>「これこれの理由でそれは詭弁だ」というのが普通だと思うんですが、
普通それは主張者から論法の提出があってからの話ではないでしょうか。主張者は自身の主張を導いた論法をいくらでも提出できるのだから、まずはその提出が先でしょう。
>quppaさんの場合、「詭弁でないことを証明してみろ。できなければ詭弁だ」になるんですね。
証明などする必要はないのではないでしょうか。自身の主張を導いた論法が詭弁でないと自身が判断すれば、それを提出すればいいだけのことだと思います。
>>184 エビチリさん
【まとめについて】
>私としては、日本国民という個人の問題ではなく、日本という大きな社会に対してメリットがあるかが重要だと考えております。
>そもそも高校の無償化を実施する目的は、日本社会の担い手として活躍する人材を育成することです。
>学校教育法的に言えば、「国家及び社会の有為な形成者」を育成することです。
>
>つまり、学校に在籍する生徒及び家族にメリットがあるから高校無償化を実施するのではなく、あくまで高校を卒業した生徒が
>日本に対してメリットをもたらすからこそ、高校を無償化するのです。
>そういった意味で、「日本国民にメリットがあるか」ではなく、「日本という社会に対してメリットがあるか」の方が適切・・・
確かにおっしゃる通りです。そのように変更しました。
>ところで、まとめの「差別であるとする意見」に、「日本人と同じ教育を受けると日本人になりすますことになる。だから差別だ。
>(>>24) 」がありますが、これは差別の問題とは関係ないと思います。
>現に、>>24のすぐあとの>>26において、ブルンジさんは「スレの主旨とあまりにも無関係だと思います」でBooを受けていますし。
>そもそも、高校無償化において、日本人と同じ教育を受けろなどという強制は一切ありません。
確かに。私もそう思います。いやもっと言って、ぶっちゃけ、
「全然関係ないじゃん。ちゃんとテーマに沿った、議論になる話しようよ」
と今も感じています。(だから私はその意見を無視しています。このサイトの方針に従って。)
しかし、これが
>>24を書いた人にすれば、大いに関係あるんでしょう。(どうしてそうなるのか説明が無いので私には理解できません
が)
しかしそうすると「差別であるとする(論じる価値のある)意見は無い」になるのかどうか・・・これについては悩みました。
正直、最初は赤字で「差別であるとする意見は無い」と一旦は書き、「いやいや、あるか無いかって言ったら、ある・・・あることは
あるな。自分の意見と違う意見であっても、無かったことにはできないな」と思い、
>>24を要約して載せ上げたのです。
私は「差別だ」「差別じゃない」「どちらかは未確定」という3つの意見を載せるにあたって、それぞれの派の意見をできるだけ簡潔
に要約して載せようと思っていました。
詳細な議論はレスで戦わせるとして、まとめ欄ではそれぞれの派が主張することの要点を記載しよう。そうすることによって、読み手
に各派の主張がわかりやすいようにしたいなと思っていたからです。
そんな風に記載することが、結果的に議論の交通整理の役割を果たし、議論をより深める役に立つのではないかと考えていたからで
す。
初めてこのスレッドをご覧になる人でも、(現在)200くらいあるレスの全てを読むまでもなく、「差別だ」派の主張が
『
日本人と同じ教育を受けると日本人になりすますことになる。だから差別だ。(>>24) 』
だけしか無いことがわかる・・・そのことによって、
『
む? なりすますと差別? 意味がわからないな』
とか
『
む? 当たり前じゃん。日本人になり済ますことになる・・・つまり差別だろ。どうしてそれがわかんないのかな』
とか思って議論に建設的に参加してくれることを意図しています。
もし、エビチリさんや私のように
「なりすます? 全然関係無いな」
と思う人ばかりなら、そのまま「差別だ派の意見は議論に値しない意見しか出ていない」ということを(言葉は悪いですが)晒しておけ
ばいいと考えているのです。
しかしあまりにも価値の無い意見を載せ続けておくのもどうか・・・そうも思います。「差別だとする意見」がまあ一つしかないこ
と、現在200近いスレの中で、
>>24と同じ立脚点に立って議論を展開している人が全然存在しないこと・・・これらから、「差別だと
する意見」の内容を現在のままではなく、どうしたら適切なのかもう少し考えてみます。
エビチリさんから何かアドバイスがあれば是非お願いします。
**********************************************************
>>175 一般人さん
>まとめが終わってからの書き込みってルール違反じゃないですよね?
ええ、もちろんどんどん意見を書き込んで下さい。上に書いたように、まとめは「結論」というよりは「交通整理」的な要素が多いと
私は考えています。というか、このスレッドではそのように使わせていただきます。
また、まとめそのものについての意見も、是非お願いします。「この意見忘れてね?」とか、なんでも結構です。
まとめの構造・・・その根本的なところはあまり変えるつもりはありませんが、各論者の意見を要約しているので、「こんな要約の方
がいいんじゃね?」とかは大歓迎です。
さて、一般人さんの反論がとてもいいものなので、議論の楽しさを堪能しているところです。
ところで一つ確認なのですが、私が
>>157に書いた「答え」の内、以下の部分についてはどのようにお考えでしょうか?
>つまり、無償化法には「国際規約A規約」と書いてあるが、仮にもしそんなことが書いてなくても、憲法の拘束を受ける以上、
>「人は平等ではない」などということを是とする教育を行う学校を、無償化法における「無償化対象校」に含めてはならない。
一般人さんが
>>176に
>実際の法律には国際人権A契約のことは触れられていません。
と書かれていたので、確認するとその通りでした。(e-govが更新されていたんですね)
が、私の論は「書かれていなくても〜」と続いています。
「憲法の拘束を受ける」
とする私の論(その根拠は外務省が公式サイトで全世界に向けて公言している内容)について、それを無視しても良いと言う論なのであ
れば、その論拠を示していただけたらと思って。
外務省の公式サイトに書いてある内容
***********************************************************
「個人の尊厳」を基調とする憲法は、第14条1項において、「すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分
又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」と規定して、法の下の平等を保障している。「法の下の平
等」は、立法府、行政府及び司法府のいずれをも拘束する原則であり、あらゆる国政の上で最大限尊重されなければならない。
***********************************************************
これが非常に強力な内容であることは誰もが認めるところだと思います。というか、これを無視できる法律は存在しないと私は考えて
います。何と言っても「最大限尊重」ですから、限度が仮に存在するにしても「最大」です。
ちょっと反論を書くにあたって、ここら辺を明確にしていただけたら書きやすいな、簡潔に書けるな、と感じているので。
>>189 elsewhereさん
>
>「憲法の拘束を受ける」
>とする私の論(その根拠は外務省が公式サイトで全世界に向けて公言している内容)について、それを無視しても良いと言う論なのであれば、その論拠を示していただけたらと思って。
えっと、私の意見は『
貴方の論理構成に飛躍がある』ということです。
まず、貴方の論を端的にまとめると
>全ての法律の根幹的基準となる憲法において、具体的には日本国憲法第14条1項において、『法の下の平等』は定められている。
>そうしてその『法の下の平等』は、立法府、行政府及び司法府のいずれをも拘束する原則であり、あらゆる国政の上で最大限尊重されなければならないとされています。
>無論、教育基本法や高校無償化法についても、この憲法の拘束を受けます。
>つまり、無償化法には「国際人権A規約」と書いてあるが、仮にもしそんなことが書いてなくても、憲法の拘束を受ける以上、「人は
>平等ではない」などということを是とする教育を行う学校を、無償化法における「無償化対象校」に含めてはならない。
ということだと思います。
無償化法についても、憲法の拘束を受けることについては同意します。(同意しない人はたぶんいないでしょう)
ただし、ここでいう「法の下の平等」とは、無償化法という法を定めたら、その無償化法の基準にしたがって平等に扱わなければいけませんよ。という意味です。(「平等でない法を定めたらいけませんよ」という意味もあるらしいです。)
こうした意味から「法の下の平等」の原則をもって、「人は平等ではない」などということを是とする教育を行う学校を、無償化法における「無償化対象校」に含めてはならない。ということにはならないのです。
ここに論理の飛躍があります。
逆に「人は平等ではない」とする教育を行う学校を無償化対象外とするならば、「法の下の平等」の原則にのっとり、その旨を法に明記しない限り、特定の学校を差別的に扱ってはならないということがいえるのです。
「各種学校のうち高等学校に類する課程を置くもの」を無償化対象とすると法で定めたのあれば、「各種学校のうち高等学校に類する課程を置くもの」である以上、そこで「人は平等ではない」とする教育を行っていようが、神やキリスト教を信じる教育をしていようが、基準にしたがって平等に扱わなければ「法の下の平等」の原則に反するのです。
「人は平等ではない」とする教育を行う学校を、無償化対象外とするならば、「日本の教育の根本にある「人は平等」という基本理念」を教えることが無償化の対象校とする基準である旨を法に明記しなければならないのです。
以下、蛇足です。
>上記外務省の公式サイトには、国際人権A規約について詳細を解説しているページがあり、そこに以下の文章があります。
若干、誤解されているように感じますので、ご指摘させていただくと、当該ページは「A規約について詳細を解説しているページ」ではありません。
貴方の引用した部分は、A規約に批准する国として、規約の遵守状況のようなもの規約委員会に報告した内容を掲載しているものです。
『
「法の下の平等」は、立法府、行政府及び司法府のいずれをも拘束する原則である』という点は、日本政府が規約委員会に対して、「うちの国には「法の下の平等」を定める憲法があって、立法府、行政府及び司法府のいずれをも拘束する原則として存在しているから、A規約の大部分は遵守されてますよ。ご安心くださいね。」ということを、冒頭に「一般的コメント」として述べているだけです。
(外務省の以下のページから見ていくとわかると思います)
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/kiyaku/index.html
※今回の議論で改めて色々と調べてみて、とても勉強になりました。ありがとうございます。(間違ってたらご指摘ください)
>>180 quppaさん
>
>議論に参加する建前上の目的は、自身の構築した論に対する反論の募集なのだから、正しく理解した人で反論のあるひとが反論をしたければすればいいだけのことです。
>私は、議論の場においては、合意形成は必要ないと思っています。重要なのは、有効な反論を交わすことによって、各自が各自の脳内における論をより洗練されたものへと修正していく過程にあるのではないかと考えています。
なるほど、貴方のお考えは理解しました。
あんな質問をした私の方が野暮でしたね。
>現状では、私の論に対する有効な反論は提出されていないようです。私としては、有効な反論をいただければ、自身の論をより洗練されたものへと修正する機会が得られるという意味でとても有意義なことと思います
「私の論」というのは
>>27 の以下の部分ですよね。
>朝鮮学校の無償化の対象からの除外が差別かどうかを検討するには、除外の理由が無償化実施の目的に合致しているかどうかを吟味する必要があるけれど、肝心の「朝鮮学校の除外の理由が合致するような無償化実施の筋の通る目的」が提出されていないという意味で、「差別はない」という主張のみが先走っている状況にあるという点を指摘しているわけです。
私の理解が正しければ、なるほど、貴方のおっしゃることは正論だと(私は)思います。しかも私の考え方にかなり近いです。
その後も、色々な方とのやりとりを経て、多少なりとも表現が変わったり、公表が必要だったり証明が必要だったりと相手の論に合わせて返答されてますが、終始一貫してる貴方の論の根基はここですよね?
であれば、法律には以下のように明確に目的が述べられています。(
>>175 でもこの点を2点目として述べていますが)
『
高等学校等における教育に係る経済的負担の軽減を図り、もって教育の機会均等に寄与することを目的とする』
上記の目的であれば、高等学校『
等』に支援すること自体が目的のようなものですから「朝鮮学校の無償化対象からの除外が差別かどうかを検討する」には、高等学校『
等』の定義に朝鮮学校が含まれるかを議論すれば済むことです。
>>179 でご指摘いただいた「高等学校に類する課程を置くものが提供する教育」と「後期中等教育」の同一性についての証明など必要ありません。
単純化しますと「A(高等学校)とB(高等学校に類するもの)を支援することを目的とした法律」なるものがあったとして、BにC(朝鮮学校)という組織を支援対象に含まないのが差別かどうかを議論する際に、AとBの同一性の証明には意味がありません。
(議論の過程で若干主張がこんがらがってはいませんか? もし証明が必要であることをさらに主張されるのであれば
>>179 にもご回答いただけると、証明できるかどうか頑張ってみます。)
>このスレッドの一連のやりとりの中で、私自身は、ある区別に関して「差別なんじゃね?」と議論の場において問うことが区別をしている人に対する圧力として働くメカニズムについて、私自身にとって納得のいく論理を構築することができたと考えています。
このスレでの具体例をあげると、スレ主が「朝鮮学校を無償化対象外とするのは区別」という主張に対して、貴方(又は私)などの「差別なんじゃね?」と主張した人物に対して圧力が働く「メカニズム」について、納得のいく論理が構築できたというわけですよね。
少なくとも、今のところ私に対しては「圧力」がかかっていると本人が認識していないのですが、それは一般化できる論理なのでしょうか?本件(朝鮮学校)以外の例にもあてはめられる論理なのでしょうか?
すごく興味があるので、ご面倒でなければ是非その構築できた「納得のいく論理」というのを詳しく教えていただければありがたいです。
>>188 quppaさん
>はたしてそうでしょうか。ならば、>>1の差別の定義に基づくと、どのような条件を満たしたときに「差別なし」となるのでしょう。
また論点がずれましたね。
いま問題にしているのは、quppaさんの差別に対する認識が
>>1の差別の定義に当てはまっているかどうかです。
もう一度聞きます。
「公表の必要性が、
>>1の第2段落のどこに書かれているのでしょうか。具体的に抜き出してみてください」
どうもquppaさんは何かと論点をずれる癖があるようなので、まずは論点をきっちり一つに絞りましょう。
まずは、上の質問に答えてください。
その他の質問は後に回します。
なお、当然ながら、この質問に答えない限り、まとめの「・「朝鮮学校に税金を投入することにメリットはない」と政府が宣言していないがゆえに、差別ではないと証明できていない。ゆえに差別である可能性は残っている。(
>>130) 」は消えることになります。
quppaさんがそう思うの自由ですが、きちんと論証されていないことは、まとめにのせるべきではないでしょう。
>>190 一般人さん
横ですが申し訳ありませんが、失礼します。
一つ質問があるのですが、一般人さんは、
「逆に「人は平等ではない」とする教育を行う学校を無償化対象外とするならば、「法の下の平等」の原則にのっとり、その旨を法に明記しない限り、特定の学校を差別的に扱ってはならないということがいえるのです。」
とおっしゃています。
とすると、大学を無償化しないのは差別になってしまうのでしょうか?
というのも、現在大学は無償化されていません。しかし、大学を無償化の対象外とすることは明記されていません。
となると、上の文章をそのまま適用すると、大学を無償化しないのは差別だということになってしまうのですが。
ちなみに、そもそも無償化対象外となる対象は規定されていません。
ということは、カルチャースクールだろうが、英会話学校だろうが、自動車学校だろうが、全部、無償化されないのは差別ということになってしまいます。
というわけで、一般人さんの主張は、次のうちどれでしょうか?
@朝鮮学校云々ではなく、無償化対象外の対象が明記されていないのに無償化の対象外とすることは差別である。
A「「人は平等ではない」とする教育を行う学校」のみは、無償化の対象外とすることを明記しなければならない。
B他の学校(及びそれに類する施設)はどうでもいいが、朝鮮学校だけは、もし無償化の対象外とするならそのように明記しなければならない。
Cその他
ミッション系の学校に於いてイエスは人として平等に扱われているのでしょうか。
>>192 エビチリさん
>また論点がずれましたね。
ぜんぜんずれてなんていないと思いますけど。
>いま問題にしているのは、quppaさんの差別に対する認識が>>1の差別の定義に当てはまっているかどうかです。
より当てはまっている定義がなければ、とりあえず提出された定義を用いない限り、議論は進まないわけです。なので、提出された定義が気に入らなければ、より当てはまる定義を提出すればいいだけのことです。それが議論を進展させる原動力になるわけです。
(もちろん、エビチリさんの目的が議論ではなく何か別のものであるならば、ある提案が完全に当てはまっているかどうかばかりを気にされるのも解らなくはありませんけど。)
>>195 quppaさん
>ぜんぜんずれてなんていないと思いますけど。
それはquppaさんの思い込みです。
>より当てはまっている定義がなければ、とりあえず提出された定義を用いない限り、議論は進まないわけです。
すでに定義は
>>1で提出されています。
その提出された定義をきちんとquppaさんが用いているかが論点になっているのです。
>なので、提出された定義が気に入らなければ、より当てはまる定義を提出すればいいだけのことです。
しかし、勝手に自分で定義を変更して議論を進めてはいけません。
ともあれ、結局明確な返答がないので、「・「朝鮮学校に税金を投入することにメリットはない」と政府が宣言していないがゆえに、差別ではないと証明できていない。ゆえに差別である可能性は残っている。(
>>130) 」という文面は、まとめとして不適切だと判断します。
もっとも、実際に削除するのはelsewhereさんなので、最終判断はelsewhereさんにおまかせしますが。
>>196 エビチリさん
「話題がずれている、いやずれていない」についてちょっと一言書きます。
>>ぜんぜんずれてなんていないと思いますけど。
>それはquppaさんの思い込みです。
う〜ん・・・私は『
エビチリさんの言う通り』と判断しました。quppaさんが「話題がずれていないとする根拠」を提出した場合には、
それに理が通っているかどうかを一考して改めて判断したいと思います。というか、私が判断するまでもなく、本当に話題がずれていな
い根拠に理が通っていたら、エビチリさんがきちんと対応していただけるものと確信しています。
「話題がずれていないとする根拠」の提出が無ければ、私にとってはこの話題は終わったものと考えます。
そうして、この話題を続けたい人はあまりいないと思いますが、これ以上、根拠も提出せずに「いやずれてないよ! いやずれてる
よ!」とやりたい人がもしいたら、別スレを立ててやって下さい。なぜなら、どちらであっても本来のテーマを掘り下げて考えること
に、あまり役に立つとは思えないからです。
【上記の判断に至った理由】
・『
理由が公表されなければすなわち差別だということが「>>1に書いてある」』という論を出したのがquppaさんであること。
・『
そんなことが>>1のどこに書いてあるのか?』というエビチリさんの問いに対して、言を左右して結局quppaさんが答えていないこ
と。
・言を左右して答えていない、つまり『
話題をずらしている』との指摘をエビチリさんから受けているのに、それに対するquppaさんの
回答が「ずれていない」という『
根拠も提示せずにただ言い張るだけ』というものであること。
私自身、管理人さんいうところのDQNになりたくないと考えています。しかしまるで満月の光を浴びたオオカミ男のように、変身しかけ
ている自分に気が付く時もあります。論拠を付けずにただ言い張るだけの書き込みを見ると、私も含めてみなさんがDQN化してしまいそ
うで、それが嫌なのです。(まあ、ぶっちゃけ真っ先に私がDQN化の誘惑に負けそうw)
議論というものは勝ち負けの話ではないので、
「論拠も無しに言い張るのはもうやめよう」
という私の考えは、みなさんきっと真摯に受け止めてくれるものと思います。
>ともあれ、結局明確な返答がないので、「・「朝鮮学校に税金を投入することにメリットはない」
>と政府が宣言していないがゆえに、差別ではないと証明できていない。ゆえに差別である可能性は残っている。(>>130) 」
>という文面は、まとめとして不適切だと判断します。
そうですね。「宣言しているかいないか」というところがこの方の意見の要点だと判断できるので、
>>105と
>>130は集約できますね。
私なりに集約してみます。多分、一通り読みなおした上でただ
>>130を消すことになろうかと思います。
が、なんといってもquppaさんの主張は(本人が理解してもらうことを求めていないこともあるのでしょうが)私にとってはとても理解し
にくいのでちょっと明日以降にさせていただきます。
「こんな風に要約すると適切じゃね?」
という意見があれば、誰であれアドバイスいただければ参考にさせていただきます。
私自身の立場からすると、今のところ「筋の通っていないナンセンスな主張」とは思いますが、quppaさんの主張の方が妥当だというこ
とも決してないとは言い切れないでしょう。(筋の通った説明がいただけていないので、このままでは理解できませんが)
もし(どぎつい表現で申し訳ないですが)ナンセンスな主張であればそのまま晒しておけばいいし、そうでなければなおのこと載せておい
た方がいいと考えるので、削除はせずに載せるは載せておきます。
>>193 エビチリさん
>横ですが申し訳ありませんが、失礼します。
う〜ん…私とelsewhereさんとのやり取りなので、互いに理解ができていることや、改めてわざわざ書かなくても共有できている事は説明を省いて記載しています。
なので、自ら「横ですが」と認識されているのであれば、二人のやりとりをさらっとは見てからご質問いただけると助かります。
といっても「過去スレ読め」だけでは不親切なので質問に回答します。
>とすると、大学を無償化しないのは差別になってしまうのでしょうか?
厳密に答えると「わかりません。」となります。
順を追って説明します。
>>1 の定義には、
>例えば握力は60kg以上の人間しか採用できない」というような合理的な理由に基づき、握力60kg以下の人間を不採用とする・・・というような事柄は差別ではないと考えています。
とあります。
quppaさんのご意見として
>握力60kg超えの人の採用なのだから、握力60kg以下の人が不採用になるのは当たり前なのだけれど、それが「差別なし」かどうかは、雇い主による「握力が60kgを超えていないと、重い荷物を短時間で大量に運べないため仕事にならない」のような理由の公表の有無に依存するというのが>>1の第2段落における主張なのではないでしょうか。
とあります。私はこの定義と意見を支持します。
上の定義と意見に合わせて書けば、
「高等学校等における教育に係る経済的負担の軽減を図り、もって教育の機会均等に寄与する」というを(合理的な)目的に基づき、高等学校と高等学校に類するものとを無償化する。
となります。
そこに、「『
この法律上において』朝鮮学校を無償化の対象としないのは差別だ」と主張する方が出てきたとします。
朝鮮学校が、高等学校か高等学校に類するものに該当すれば、それは差別となります。(法の下の平等に違反します。)
朝鮮学校が、高等学校か高等学校に類するものに該当しないのであれば、それは区別です。
他にも、自動車学校や塾などが、同じように「自動車学校と塾をこの法律上において無償化の対象としないのは差別だ」と主張した場合も同様で、自動車学校が、高等学校か高等学校に類するものに該当すれば差別、該当しなければ区別です。
次に、もっと根源的な意味で「差別だ」と主張する方が出てきたとします。
根源的な とは、例えば、大学や自動車学校、塾を無償化せず、高等学校、高等学校に類するものだけを無償化するのは差別だ。という主張です。この場合、「法律の制定」自体を差別だと主張されているわけですね。(上との違いはご理解いただけますか?)
この場合、高等学校か高等学校に類するものだけを無償化とする合理的な理由を政府は公表していません。
(何故なら、そのような主張はまだあまり主流ではないからです。)
したがって、高等学校か高等学校に類するものだけを無償化とすること、逆にいえば、大学や自動車学校、塾などを無償化しないことが差別かどうかは厳密には「わからない」となるわけです。
(ただ、私はその理由は国際人権A規約にあると勝手に推察してますので、自動車学校や塾などを無償化しないことは差別にはならないと考えてます。大学は若干事情が違ってて、A規約では無償化すべきとなってますので差別となる可能性がありますが、政府は大学を現時点で『
まだ』無償化できないことの合理的な理由を説明できていると思います。A規約でも無償化については「漸進的な導入」とありますし)
ただし、このスレで議論しているのは前述の話だと理解しています。
(quppaさんは、貴方との議論の過程で、前段の話から後段の話として、論点が移行されてきたように感じます。)
というわけで、私ので主張は、Cその他 でしょうか
まだご不明な点があれば、またご質問ください。
>>197 elsewhereさん
>私自身の立場からすると、今のところ「筋の通っていないナンセンスな主張」とは思いますが、quppaさんの主張の方が妥当だというこ
>とも決してないとは言い切れないでしょう。(筋の通った説明がいただけていないので、このままでは理解できませんが)
>もし(どぎつい表現で申し訳ないですが)ナンセンスな主張であればそのまま晒しておけばいいし、そうでなければなおのこと載せておい
>た方がいいと考えるので、削除はせずに載せるは載せておきます。
それではその方向で。
ところで、よくquppaさんが口にする「議論とは自身が構築した暫定的な結論に対する反論の募集」ってのは一体誰の言葉か気になって調べてみたんですけど、これはどうやらquppaさんのオリジナルのようですね。
「暫定的な結論」と「反論の募集」でググってみたところ(「反論の募集」は完全一致で)、quppaさん自身のものと思われるブログと、かの有名なkikulogがヒットしました。
安西先生も絶句するほどquppaさんは全く変わってないです。
>>198 一般人さん
>>横ですが申し訳ありませんが、失礼します。
>
>う〜ん…私とelsewhe
>eさんとのやり取りなので、互いに理解ができていることや、改めてわざわざ書かなくても共有できている事は説明を省いて記載しています。
>なので、自ら「横ですが」と認識されているのであれば、二人のやりとりをさらっとは見てからご質問いただけると助かります。
申し訳ありませんでした。
しかし、お二人のやりとりには目を通していましたが、お二人のやり取りにおいては、無償化対象外校をなぜ無償化対象外とするのかを公表しなければいけないかや、対象外校を明記すべきかどうかについては議論が交わされていないように思えたので、質問させていただきました。
もし私の見落としがあれば、改めて謝罪させていただきます。
さて、以降の一般人さんの書き込みについて、また何点か伺いたいと思います。
>>握力60kg超えの人の採用なのだから、握力60kg以下の人が不採用になるのは当たり前なのだけれど、それが「差別なし」かどうかは、雇い主による「握力が60kgを超えていないと、重い荷物を短時間で大量に運べないため仕事にならない」のような理由の公表の有無に依存するというのが>>1の第2段落における主張なのではないでしょうか。
>
>とあります。私はこの定義と意見を支持します。
quppaさんは答えてくれなかったのですが、理由を公表しなかったがために差別認定された事例って、具体的にどんなものがあるのでしょうか?
私は、そうした事例を知りません。
そのため、理由の公表は実際に差別認定される際には関係ないと思っているのです。
そして、もしそうした事例がないにもかかわらず、理由の公表が必要だと主張するのであれば、それはなぜかが疑問に思うのです。
>朝鮮学校が、高等学校か高等学校に類するものに該当すれば、それは差別となります。(法の下の平等に違反します。)
>朝鮮学校が、高等学校か高等学校に類するものに該当しないのであれば、それは区別です。
>他にも、自動車学校や塾などが、同じように「自動車学校と塾をこの法律上において無償化の対象としないのは差別だ」と主張した場合も同様で、自動車学校が、高等学校か高等学校に類するものに該当すれば差別、該当しなければ区別です。
つまり、大学は高等学校でも高等学校に類するものでもないため、大学を無償化の対象外とすることは明記されていなくてもそれは差別にならないということでしょうか。
>ただし、このスレで議論しているのは前述の話だと理解しています。
私もそう思います。
高校だけでなく、大学も(あるいは自動車学校やら専門学校なども)無償化すべきだというのは、それはそれで面白そうな議題にはなりますが、今回はひとまずおいておきましょう。
さて、一般人さんは、Cとお答えになりましたが、@ではないのですか?
というのも、一般人さんの「逆に「人は平等ではない」とする教育を行う学校を無償化対象外とするならば、「法の下の平等」の原則にのっとり、その旨を法に明記しない限り、特定の学校を差別的に扱ってはならないということがいえるのです」を読む限り、「学校Aを無償化の対象外とするなら、Aを無償化対象外とすると書いた上で無償化対象外としないと差別になる」と一般人さんは考えていられるのだと思っていたのです。
しかし、今回の「自動車学校が、高等学校か高等学校に類するものに該当すれば差別、該当しなければ区別です」を読む限り、いちいち無償化対象外校を法に明記しなくても、高等学校か高等学校に類するものに該当するか否かが分かれば、差別か区別かが分かるとおっしゃっているように思えます。
そしてまた、なぜ自動車学校は高等学校に類するものに該当しないのかを説明しなくてもよいと一般人さんは考えているようにも思えます。
この解釈は正しいでしょうか?
>>193 エビチリさん
>横ですが申し訳ありませんが、失礼します。
どうぞどうぞ。ここの議論は誰が読んでもいいもので、また誰が参加してもいいものです。
誰もが見れる掲示板で二人だけの議論をすることないです。
一般人さんと私が議論していることを追いかけた結果、意見を言いたくなったらいつでも参加して下さい。
ex.「ちょっと待って、今のelsewhereの意見、話をすり替えてるよ。一般人さんはそんな話ではなく、○○って話してるよ」
とか言う風に。
エビチリさんに限らず、誰でもどうぞ。
その意味で、私は
>>194のぬさんの書き込みに意見を言ってみます。
>ミッション系の学校に於いてイエスは人として平等に扱われているのでしょうか。
この質問だけでは、あなたの主張の内容がわかりません。基本的にはyes/no/“学校による”ので答えられる質問ですが、yesだったら
どうなのか? noだったらどうなのか? また第3の答えとして“学校による”という答えの場合はyesでもありnoでもあるわけで、そ
の場合はどうなるのか? そうしてその答えがそれがこのスレッドのテーマとどう関係してくるのか?
つまりあなたが何を言いたいのかがわからないのです。
「イエスキリストと、金正日を横に並べて例え話をしているのかな? でも多数の経営母体が存在するミッション系学校と、北朝鮮に
の単一的な支配を受けている朝鮮学校とは単純に並べることすらできないのに・・・」
と言う風に考え、結果私はあなたの言うことの意味がわかりません。勝手に想像したりすると誤解してしまいそうです。
ひょっとしたらぬさんにとっては自明のことかもしれないので、単に省いたのかなとも思います。
しかし私にとってはそれが自明ではないので、ここで聞きます。
『
その質問によってあなたが何を主張したいのかがわかりません。端的に何が言いたいのかをおっしゃってください』
例えば、「
>>194の質問に対する答えがyesだったら朝鮮学校の無償化除外は差別だ。何故なら○○だから。」とかいうふうに。
*****************************************************************
さて、
>>198の一般人さんの書き込みに質問があります。(
>>190の論への反論は準備中です。少々お待ち下さいねー)
>握力60kg超えの人の採用なのだから…理由の公表の有無に依存するというのが>>1の第2段落における主張なのではないでしょうか。
>とあります。私はこの定義と意見を支持します。
スレを立て、「差別の定義」を設定した人間して聞きますが、「理由の公表の有無に依存する」ということがどこから出てくるので
しょうか?
「ええ? そんなこと書いてたっけ?」
と、差別の定義を書いた私自身が驚きました。
私自身非常に疑問に思っていたところ、幸いにもエビチリさんが同様の疑問を持ち、
「そんなことが
>>1のどこに書いてあるのか?」
とquppaさんに聞いてくれました。
ところがご承知のとおり、quppaさんはこのスレッドにおいて「自分の主張を正しく理解してもらおう」という意図ははなから無く
(
>>177及び
>>180参照)、極言すれば「私の説明の質はどうでもいい、私の言うことを正しく理解できた人が反論したければすればいい
(言い換えるなら、『
私の言うことが分からないやつに説明などしない』)」という意図でもって参加している人(みたい)なので、どう
もこの主張についての根拠を述べる気持ちが無いように思えます。
繰り返し、繰り返し再三にわたって同様の質問をされていますが、言を左右して話をそらしてばかりです。
なので今、私はエビチリさんが
>>187で言っている
「どうもquppaさんは、
>>1の差別の定義ではなく、自分自身の差別の定義に従って議論を進めているようです。」
という意見と同じ見解に立っています。
そうしてもっと言うなら、
「自分自身の提案する差別の定義についても充分な説明をせず、詳細を尋ねられても答えないことによって、議論を混乱させている」
と考えています。
そうして一般人さん、
>>177に書いてある内容から拝察するに、
『
あなたも、elsewhereが上記のように考え、言うことが全くのいいがかりだとは考えないと思います』
一般人さんに質問するのはそれだからです。quppaさんと「かなり近い」意見を持ち、スレ立て人である私の定義を横に置いて、quppa
さんの差別の定義を「支持」する一般人さんであれば、何故その定義になるのかを私(達)にわかるように翻訳していただけるかもしれ
ないと考えているのです。
そうすることでおよそ200レスにも渡るquppaさんとのやりとりが、一気に
「なるほど!! quppaさんはこういうことを言っていたのか!!」
と理解可能なものになる可能性があると考えているのです。
一般人さん、「理由の公表の有無に依存する」ということが、
>>1のどこから出てくるのでしょうか?
****************************************************************
oh-! また書いているうちにエビチリさんの書き込みが増えていることに気が付きました。
もったいないのでこのまま投下しますが、エビチリさんの
>>199 >>200の書き込みは今から読みます。
>>196 エビチリさん
>すでに定義は>>1で提出されています。その提出された定義をきちんとquppaさんが用いているかが論点になっているのです。
で、きちんとした用い方として私が一案を提出したのに対して、今現在、これに代わるような用い方が提出されていないというのが私の主張なのですけど。
>しかし、勝手に自分で定義を変更して議論を進めてはいけません。
なので、よりきちんとした用い方が、どこに提出されているのかと尋ねているわけです。もちろん、いまから提出していただいても構いません。
>ともあれ、結局明確な返答がないので、「・「朝鮮学校に税金を投入することにメリットはない」と政府が宣言していないがゆえに、差別ではないと証明できていない。ゆえに差別である可能性は残っている。(>>130) 」という文面は、まとめとして不適切だと判断します。
その判断は議論の場における主張としては時期尚早でしょう。私の提案よりももっと適切な定義の用い方が提出されてからでも遅くはないように思います。
>>197 elsewhereさん
>・『そんなことが>>1のどこに書いてあるのか?』というエビチリさんの問いに対して、言を左右して結局quppaさんが答えていないこと。
私は「ならば
>>1には何が書いてあるのか?」と答えていますけど、エビチリさんこそが言を左右して結局答えていないのではないでしょうか。
>>1における「差別なし」定義についての私の解釈が間違っていて、しかし、他により適切な解釈もないのならば、
>>1は何も主張していないことになります。しかし、それでは議論は成立しません。したがって、エビチリさんが私の解釈が間違っていると主張される背後には、より適切な解釈が存在しなければなりません。それさえ提出されれば、私の解釈は直ちに無効となるし、議論は進展するし、いいことづくめではないでしょうか。しかし、エビチリさんはそれを提出しないわけです。なぜなのでしょう。
>>200 エビチリさん
えっとですね。
これは私が悪いのですが、文章を書くとき「一言一句誰が読んでも誤解のないように気をつけて書いていない」のです。
したがって、「文章の一部分だけを見ず、前後の文脈や全体を読んで、私がその文章全体で何を主張したかったのかを読み取って欲しいなぁ」というのが、正直な感想です。
で、ご質問の件ですが、
>「逆に「人は平等ではない」とする教育を行う学校を無償化対象外とするならば、「法の下の平等」の原則にのっとり、その旨を法に明記しない限り、特定の学校を差別的に扱ってはならないということがいえるのです
の部分ですが、読み返すと、おそらく「その旨」という言葉の使い方が悪かったのだと思います。(反省します。)
「その旨を明記」というのは「無償化対象外となる対象を明記」との意味ではありません。
elsewhereさんが「人は平等ではないとする教育を行う朝鮮学校は無償化の対象にはならない」と主張されているので、
そうであれば、「人は平等であるという教育を行う学校を対象とする」と明記しないと差別になります。と主張しているわけです。
>>201 elsewhereさん
>
>一般人さんに質問するのはそれだからです。quppaさんと「かなり近い」意見を持ち、スレ立て人である私の定義を横に置いて、quppaさんの差別の定義を「支持」する一般人さんであれば、何故その定義になるのかを私(達)にわかるように翻訳していただけるかもしれないと考えているのです。
>一般人さん、「理由の公表の有無に依存する」ということが、>>1のどこから出てくるのでしょうか?
翻訳ですか…ちょっと頑張ってみます。
あくまでも私の解釈ということでお願いします。(間違ってたらquppaさん訂正してくれるかな?)
>例えば握力は60kg以上の人間しか採用できない」というような合理的な理由に基づき、握力60kg以下の人間を不採用とする・・・というような事柄は差別ではないと考えています。
>>1 の定義を、単純化すると「合理的な理由があれば差別ではない」となります。
ということは、差別となるかならないかは「理由が合理的であるか合理的でないかによって決定される」ということになります。
では、理由が合理的であるかどうかはどうやって議論(決定)しますか?
理由が示されてなければ、理由が合理的がどうか判断できませんよね。
したがって、差別かどうかの議論や決定には、理由の公表が必要となります。
御二人は「公表」という言葉の意味にとらわれすぎているような気がします。
「提示」とか「説明」とかいう意味合いでとらえておけば良いのではないでしょうか。
>>205
にもうちょっと付け足します。
quppaさんの主張は単純化すると以下のとおりです。(たぶん)
>>1 の定義によると「合理的な理由があれば差別ではない」となる。
言い換えると「理由が合理的であるか合理的でないかによって差別か差別でないかが決定される」ということになる。
現段階で合理的な理由は提示(公表)されていない。
したがって、差別でないことが確定されていない。
以上です。これだけです。
彼は「差別である」とは主張していません。
ただし、
私は、
>>191 において、合理的な目的が提示されていると主張しました。まだ有効な反論はありません。
したがって、彼の言い方を借りれば、「現段階では合理的な目的は提示されている」と取り扱うことができます。
>>205 >>206 一般人さん
翻訳ありがとうございます。
「これは興味深い!!」
そう感じました。あなたは
>>206においてこのようにおっしゃっています。
>私は、>>191において、合理的な目的が提示されていると主張しました。
確かに、あなたは提示しています。そうして
>>191を確認すると、このような文章が書かれています。
>『高等学校等における教育に係る経済的負担の軽減を図り、もって教育の機会均等に寄与することを目的とする』
でもそれって、私が
>>34で書いた「目的」とほぼ同義なのではないでしょうか?
(当時は私が書いた
>>34の内容が、ネット上で手に入る最新の内容でした。文科省のサイトの内容が更新されたのは6月に入ってからで
す。そうして、更新されたからといって、内容が激変したという訳ではありませんでした。文科省の文書に関しては(第2版)と追加さ
れたのみで、目的欄のA規約についての記載もそのまま残っています。)
目的や理由についての議論をするにあたって、私が
>>34で示した内容は、一般人さんが
>>191及び
>>175に書いた内容と遜色無いはずで
す。ところがquppaさんは、その「目的」では不足のようです。
私が
>>34で目的を示した後も、quppaさんが「目的」について
>>55でまた
>国家は無償化の目的にどのようなものをおいているのか)と尋ねているわけです。
と聞き続けています。私の考える「目的」と一般人さんが考える「目的」とはまあ大筋おんなじものだと思いますが、
『
どうやらそれは、quppaさんの求めるものとは違うようです』
つまり、翻訳は間違っているのでしょうか?
もう少し詳細に見てみましょう。
>>34からその後の議論がまったくかみ合っていないことは一般人さんもごらんのとおりですね。
quppaさんは私が目的を示しているのに、目的を示していないと言い続けています。何度となくです。さらにその例をあげましょう。
>>47や
>>48では
>なぜ「後期中等教育をする学校を無償化するのではなく、高校だけを無償化」するのかについての筋の通る
>目的が不明瞭であるという点が問題になっているような気がします。
と聞いています。あれ? quppaさんが求めているのはちょっと違う「目的」なのかな? と思うのは自然なことでしょう。
そうしてエビチリさんとの「じゃあ目的って何?」論に泥沼のように入り込み、
>>80においてとうとうこのように聞いています。
>なんだかおっしゃっている意味がよく解りませんけれど、その目的とやらをもっているのならば、
>とにかくそれを出してみたらいいのではないでしょうか。
同じことを繰り返した上で、
「なんだかおっしゃっている意味がよく解りませんけど〜中略〜とにかくそれを出してみたらいいのではないでしょうか?」
私は落ち着くように頑張っていますが、人によっては『
彼が無意味な挑発を行っている』と判断されてもおかしくないと思います。
そもそも
>>34に私が出しているのに。それは一般人さんが
>>191に書いたものと(まあほぼ)同じなのに。
つまり、わたしやエビチリさんは既に一般人さんと同様の「目的」を提出し、そこから話を続けようとしているのに、どうしても
quppaさんが「まだ目的は提出されていない」と言い張っているわけですね。
そうして『
じゃあどんな目的が欲しいの? と聞かれた時に、その詳細について答えないことによって議論を混乱させている』わけで
す。脈絡もなく(論理構造が同じことを示しもせずに)募金の話を出したり(
>>50)、そのことがどう本題と関連するのか示していないと
指摘すると
>示すも何も、本題にどう関連するのかについて文脈的に筋の通る解釈は他にないように思いますけど。
などと言ってやはり示していません。
もし一般人さんが、本論と関連ない例えを示す人に対して「どうしてそれが関係するの?」と聞いたとして、その相手が
「関係はあきらかと思いますけど」
と言いっ放しで詳細な説明をしなければ、これは話にならないと思うのではないでしょうか? (いや思うに違いない)
>御二人は「公表」という言葉の意味にとらわれすぎているような気がします。
とのことですが、上記経緯を考えれば、私とエビチリさんが議論を建設的に進めようとすることから、言葉の意味に敏感になっていく
ことはご理解いただけると思います。
なんといっても、quppaさんという人は、「気がします」という言葉を「反論募集しています♪」という意味に使っている人ですから
(
>>80)。
しかも、そのことをあらかじめ断りもせずに。
言葉を『
自分一人にしか通じない意味で使う人』と議論する時に、言葉の意味にこだわるのはむしろ自然なことです。
******************************************************************
さて、少々脱線してしまってすみません。
まとめます。
私は、一般人さんが『
翻訳』してくれた内容を読んで、以下のように思いました。
「ええ? じゃあ
>>34に一所懸命書いたこととおんなじ?」
そうして、その翻訳が正しいかどうかに疑問を持っています。何故と言って、quppaさんは私の提出した目的を、もう明らかに「受け
入れていない」からです。
しかしまあ、だいたいわかりました。
私の「
>>34の目的」と一般人さんの「
>>175 >>191の目的」が(まあ大筋)同一であるという前提で、
翻訳が正しければ、quppaさんはしつこく既に答えられた質問を繰り返すことで議論を無用に混乱させる人。
翻訳が間違っていれば、quppaさんの考えることは未だわからず。
このような理解にたどり着きました。
(無論、この私の理解が間違っていたら遠慮なくご指摘ください。)
一般人さんは、私の「
>>34の目的」と一般人さんの「
>>175 >>191の目的」が(まあ大筋)同一であると思いますよね?
違う場合は是非ご指摘ください。論拠がある指摘であれば、私は間違いを修正することをためらいません。
*******************************************************************
補足
これは
>>206に限りませんが「理由」と「目的」が少々混乱して使われているような気がします。思い違いでしたらご指摘ください。
まあ私の書き込みでは「目的」で統一させていただきます。
>>207 elsewhereさん
>そうして、その翻訳が正しいかどうかに疑問を持っています。何故と言って、quppaさんは私の提出した目的を、もう明らかに「受け
>入れていない」からです。
>翻訳が正しければ、quppaさんはしつこく既に答えられた質問を繰り返すことで議論を無用に混乱させる人。
>翻訳が間違っていれば、quppaさんの考えることは未だわからず。
>このような理解にたどり着きました。
>(無論、この私の理解が間違っていたら遠慮なくご指摘ください。)
私は「無用に混乱させる人」とは思ってません。
>>198 をご覧ください。
・高校無償化という制度には差別的要素が無いことを前提に、当該制度で朝鮮学校が対象から除外されることについて差別的要素があるのかどうかを論点とする立場
と
・高校無償化という制度そのものに差別的要素がある可能性も含めて、朝鮮学校が無償化されないことについて差別的要素があるのかどうかを論点とする立場
との違いだと思ってます。
quppaさんは後者なのでしょう。
後者の立場をとる人には、法律上の目的は朝鮮学校が無償化されないことへの理由(目的)にはならないのです。
>>206 一般人さん
>私は、 >>191 において、合理的な目的が提示されていると主張しました。まだ有効な反論はありません。
ならば、反論いたしましょう。一般人さんの
>>191の
>『高等学校等における教育に係る経済的負担の軽減を図り、もって教育の機会均等に寄与することを目的とする』
は
>>1の第2段落においては「握力が60kgを超える被雇用者の充実を図り、もって事業の遂行に寄与することを目的とする」程度の意味合いしかなく、肝心の
>>「この仕事は重い荷物を短時間で大量に運ばなければならない。その為体力的な基準を設けている。
の部分、言い換えると「なぜ握力60kg以下は不採用という基準を設けるのかって?そのような人はこの事業を遂行するうえで必要な重い荷物を短時間で大量に運ぶという仕事をこなせないからだ」にあたる部分が欠けているのではないでしょうか。
つまり、もしも「教育の機会均等化」が目的であるならば、「(高等学校等以外であっても教育することができる学校であれば無償化による機会均等化の目的に適うという意味で)なぜ高等学校等以外の学校では教育することができないと言い切れるのか?」についての政府の公式見解が不明瞭であるという現時点において、「差別なし」と断定するのは早すぎるのではないかというのが私の主張です。
>>204 一般人さん
>そうであれば、「人は平等であるという教育を行う学校を対象とする」と明記しないと差別になります。と主張しているわけです。
なるほど。
つまり、対象とする学校を明記すれば差別にならないということでよろしいですか?
>>201 elsewhereさん
>>ミッション系の学校に於いてイエスは人として平等に扱われているのでしょうか。
>
>この質問だけでは、あなたの主張の内容がわかりません。基本的にはyes/no/“学校による”ので答えられる質問ですが、yesだったら
>どうなのか? noだったらどうなのか? また第3の答えとして“学校による”という答えの場合はyesでもありnoでもあるわけで、そ
>の場合はどうなるのか? そうしてその答えがそれがこのスレッドのテーマとどう関係してくるのか?
>つまりあなたが何を言いたいのかがわからないのです。
>
>「イエスキリストと、金正日を横に並べて例え話をしているのかな? でも多数の経営母体が存在するミッション系学校と、北朝鮮に
>の単一的な支配を受けている朝鮮学校とは単純に並べることすらできないのに・・・」
>と言う風に考え、結果私はあなたの言うことの意味がわかりません。勝手に想像したりすると誤解してしまいそうです。
>ひょっとしたらぬさんにとっては自明のことかもしれないので、単に省いたのかなとも思います。
>しかし私にとってはそれが自明ではないので、ここで聞きます。
>『その質問によってあなたが何を主張したいのかがわかりません。端的に何が言いたいのかをおっしゃってください』
>例えば、「>>194の質問に対する答えがyesだったら朝鮮学校の無償化除外は差別だ。何故なら○○だから。」とかいうふうに。
僕が問題にしたいのはNoの場合なので、「学校による」も含めた Noの場合の説明をします。
イエスを人として平等に扱わないということは「人は平等ではない」ということを是としていると言えると思います。
したがってelsewhereさんの
>>157の論により無償化法における「無償化対象校」に含めてはならないということです。
>「人は平等ではない」などということを是とする教育を行う学校を、無償化法における「無償化対象校」に含めてはならない。
簡単にまとめると、elsewhereさんの区別方法だと朝鮮学校の他にも無償化対象校から除外される学校がでてきてしまうけど
それでもいいの?ということです。
朝鮮学校とは何の関係もない話ですが、区別のガイドラインに関わる問題としてスレッドテーマにも関係していると考えています。
>>209 quppaさん
>
>の部分、言い換えると「なぜ握力60kg以下は不採用という基準を設けるのかって?そのような人はこの事業を遂行するうえで必要な重い荷物を短時間で大量に運ぶという仕事をこなせないからだ」にあたる部分が欠けているのではないでしょうか。
すみません。ちょっとわかりにくいので、2つの例を比較しやすいように単純化してみます。
行為
「企業の労働者雇用」
基準
「60kgの荷物を運べる人間であること」
理由
「60sの荷物を運びたいから」
行為
「政府の金銭的支援」
基準
「高等学校等であること」
理由
「高等学校等の教育の機会均等に役立てたいから」
貴方は前段を合理的な理由だが、後段の理由は合理的でないと主張しているのと同じです。(よね?)
上記の2つの例の違いはどこにあるのでしょうか?
何故、どの重さの荷物を運ぶのかを企業が選択する自由はあるのに、どの教育の機会を均等にするかを政府が選択する自由はないのでしょうか?
荷物に意思がないから?、政府が税金を徴収しているから?
すみません。限界です。誰か私の頭をスッキリさせる解説をお願いします・・・
上の話はとりあえず横に置いといて、もうひとつわからないことがあります。
貴方の主張がこの議論、「朝鮮学校の無償化除外が「差別」であるか?」という議論に何の関係があるのかということです。
例えば、貴方の主張を有意義なものであると受け入れ、政府の合理的な理由をなんとか見出したとします。
結果、高等学校等の無償化が「差別なし」と断定されます。
しかし、実際に朝鮮学校は無償化の対象とはなっていません。高等学校等の『
等』に朝鮮学校が入っていると政府に認められていないからです。
貴方の主張(疑問)に対する結論は、朝鮮学校の無償化対象除外を「差別」と主張する側と「非差別」と主張する側の両者に何の意味もありません。
逆に、政府の合理的な理由をどうしても見出せなかったとします。
結果、高等学校等の無償化が「差別あり」と断定されます。
しかし、高等学校等の『
等』に朝鮮学校が入っていると政府に認められていませんので、朝鮮学校以外の高等学校や高等専門学校への支援が差別であることが断定されたことになります。
貴方の主張(疑問)に対する結論は、朝鮮学校の無償化対象除外が「差別」と主張する側と「非差別」と主張する側の両者に何の意味もありません。
「除外」とはある範囲から除くことです。
ここでいう範囲とは「高等学校等」です。
朝鮮学校が高等学校等から除外されていることが差別かどうかを議論することが重要です。
「範囲」の設定に差別的要素があるかどうかは、端的にいって「スレ違い」だと思いますがいかがでしょうか?
>>212
quppaさんへ
>>212 の後半は忘れてください。考え違いでした。
高等学校等への無償化が合理的な理由により「差別なし」と断定できれば、逆説的に高等学校等以外(例えば朝鮮学校)が無償化対象外が「差別なし」であることが確定しますね。
>>212 一般人さん
>上記の2つの例の違いはどこにあるのでしょうか?
大きな違いがあります。
>>1の定義においては、理由に求められる能力「重い荷物を短時間で大量に運べる」が据えられ、一方、基準にはその能力の有無を判断する指標「握力が60kg超え」が据えられています。
この点から見るに、一般人さんの主張における
>基準
>「60kgの荷物を運べる人間であること」
は、求められる能力「60kgの荷物を運べる」の有無を判断する指標が与えられていないという意味で、基準になっていません。
一方、
>理由
>「高等学校等の教育の機会均等に役立てたいから」
は、求められる能力(つまり、その教育の機会を均等化することがもたらす効能)が据えられていないという意味で、理由になっていません。
>>214 quppaさん
>>基準
>>「60kgの荷物を運べる人間であること」
>は、求められる能力「60kgの荷物を運べる」の有無を判断する指標が与えられていないという意味で、基準になっていません。
すみません。良く意味がわかりません。
面接会場に60sの荷物置いて、「これが運べるかどうかが採用の基準でーす」
というのは基準になっていないのですか?
基準は必ず「指標」でなければならないという主張ですか?
>一方、
>>理由
>>「高等学校等の教育の機会均等に役立てたいから」
>は、求められる能力(つまり、その教育の機会を均等化することがもたらす効能)が据えられていないという意味で、理由になっていません。
こちらも良くわかりません。
>>212 の前段の例でも60sの荷物を運ぶことによる効能は据えられていませんが、理由にはなっているのですか?
>>211 ぬさん
横で、申し訳ありませんが、この問題について一言。
>elsewhereさんの区別方法だと朝鮮学校の他にも無償化対象校から除外される学校がでてきてしまうけど
それでもいいの?ということです。
いいのかもなにも、もともと私立学校は無償化対象校から除外されていますよ。
ミッション系以外の、宗教とは全く関係ない私立学校も無償化の対象外です。
理由は簡単です。私立学校は「公の支配」に服していないからです。
一条校であってもこれなんですから、一条校ですらない朝鮮学校が無償化の対象外となるのは当然のことです。
せっかくですので、公立学校無償化における私立学校の問題を簡単に説明しましょう。
まず、無償化以前から、私立学校は私学助成という形で国や都道府県から補助金をもらっていました。つまり、税金が使われていたのです。
しかしこのことは、憲法89条との合憲性が常に問題点として指摘されていました。
結論から言いますと、一応、学習指導要領を遵守していることや、採用される教員は全て教員免許を持っていることなどから、私立学校は公の支配を受けていると解釈されており、よって憲法89条に合憲であると判断されています。
また、教育基本法第六条では、「法律に定める学校は、公の性質を有する」と定められている他、同法第八条にも、「私立学校の有する公の性質及び学校教育において果たす重要な役割にかんがみ、国及び地方公共団体は、その自主性を尊重しつつ、助成その他の適当な方法によって私立学校教育の振興に努めなければならない」とあり、私立学校は一定の公の性質を持っており、助成金を払わなければならないとみなされるのが通例です。
しかし、当然ながら公立学校ほどには公の支配を受けてはいません。
例えばぬさんが指摘された問題に関して、教育基本法第十五条2には、「国及び地方公共団体が設置する学校は、特定の宗教のための宗教教育その他宗教的活動をしてはならない」とあります。
ついでに憲法第二十条3にも、「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない」とあります。
つまり、私立学校なら宗教教育をしてもいいけど、その分、公立学校に比べて公の支配を受けているとは言いがたいよね、となります。
ところで、教育基本法において、「○○ねばならない」は数多く出てきますが、このような「○○してはならない」という文面は2つしかありません。
一つは前述の宗教教育。もう一つは、政治教育です。
第十四条2には、「法律に定める学校は、特定の政党を支持し、又はこれに反対するための政治教育その他政治的活動をしてはならない」とあります。
つまり、なんらかの政治教育や政治的活動をする学校は、すでに法律に定める学校ですらないというわけです。
このスレの流れに即して言えば、朝鮮学校は学校じゃないんです。
つまりまとめますと、私立学校は、公立学校ほど公の支配を受けているわけじゃないけど、外国人学校に比べれば公の支配を受けている。よって、完全に無償化とはいえないが、ある程度の就学支援金を払う根拠はある、ということです。
逆に、私立学校を差し置いて朝鮮学校を無償化する理由は全くありません。
ですが、朝鮮学校の無償化を主張する人は、私立学校の無償化については何も言っていません。
これは、差別だから問題視しているのではなく、朝鮮学校が無償化されていないから問題視しているのだと思われます。
つまり、朝鮮学校さえ無償化されれば、他の学校が差別されていても全く気にしないということです。
だから、外国人学校を無償化しろとはいわず、朝鮮学校を無償化しろというのです。
私はそうした人間が、無償化させる建前として「差別は許さない」と主張することに非常に嫌悪感を覚えます。
>>215 一般人さん
>面接会場に60sの荷物置いて、「これが運べるかどうかが採用の基準でーす」というのは基準になっていないのですか?
「通常の業務において60kgの荷物を運べる」という能力有無の判断基準として「今これが運べる人間であること」を据えることは可能だと思います。しかし、「通常の業務において60kgの荷物を運べる人間であること」は基準にはなりません。
>60sの荷物を運ぶことによる効能は据えられていませんが、理由にはなっているのですか?
雇い主の事業内容次第ではないでしょうか。事業内容によってはより深く目的の提出が求められるケースもあるように思います。
しかし、少なくとも「今これが運べる」は目的にはなりません。基準はあくまでも基準であり、目的に直接含まれることはありません。「今これが運べる人間であること」基準によって判断されたのは、「今これが運べる」という能力の有無ではなく、「通常の業務において60kgの荷物を運べる」という能力の有無です。さもなければ、「通常の業務において60kgの荷物を運べる」という雇い主の事業内容に適う能力はあるけれど、たまたま「今これが運べる」という能力が発揮できなかったという人ではなぜダメなのか?について理由が問われることになるでしょう。
>>217 エビチリさん
>つまり、朝鮮学校さえ無償化されれば、他の学校が差別されていても全く気にしないということです。
当初からその論法はとても不思議に思っていたのですけど、普通、もしも朝鮮学校が無償化されるならば、それよりもまともな学校もすべて無償化されるはずであると考えるのが自然なのではないでしょうか。もしそうならなければ、そのときこそ「差別ではないか?」と疑問を提出すればいいだけのことのように思います。
>まず、無償化以前から、私立学校は私学助成という形で国や都道府県から補助金をもらっていました。つまり、税金が使われていたのです。
>しかしこのことは、憲法89条との合憲性が常に問題点として指摘されていました。
>結論から言いますと、一応、学習指導要領を遵守していることや、採用される教員は全て教員免許を持っていることなどから、私立学校は公の支配を受けていると解釈されており、よって憲法89条に合憲であると判断されています。
>
私立学校は公の支配を受けているのか。否である。
学校教育法を守っているだけのことである。
人事権もないし管理権も持っていないのだ。
だから公の支配にないと解釈すべきものである。
よって憲法89条に違反しているものである。
>また、教育基本法第六条では、「法律に定める学校は、公の性質を有する」と定められている他、同法第八条にも、「私立学校の有する公の性質及び学校教育において果たす重要な役割にかんがみ、国及び地方公共団体は、その自主性を尊重しつつ、助成その他の適当な方法によって私立学校教育の振興に努めなければならない」とあり、私立学校は一定の公の性質を持っており、助成金を払わなければならないとみなされるのが通例です。
>
公の性質を有するということと公の支配にあるということとは区別すべきことである。
よって助成金は脱法行為となる。
>しかし、当然ながら公立学校ほどには公の支配を受けてはいません。
公の支配に程度の問題があるのか。
一義性はないのか。
>例えばぬさんが指摘された問題に関して、教育基本法第十五条2には、「国及び地方公共団体が設置する学校は、特定の宗教のための宗教教育その他宗教的活動をしてはならない」とあります。
>ついでに憲法第二十条3にも、「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない」とあります。
>つまり、私立学校なら宗教教育をしてもいいけど、その分、公立学校に比べて公の支配を受けているとは言いがたいよね、となります。
>
私立学校は自由なのである。
国及び地方公共団体だけが制限されているのだ。
>ところで、教育基本法において、「○○ねばならない」は数多く出てきますが、このような「○○してはならない」という文面は2つしかありません。
>一つは前述の宗教教育。もう一つは、政治教育です。
>第十四条2には、「法律に定める学校は、特定の政党を支持し、又はこれに反対するための政治教育その他政治的活動をしてはならない」とあります。
>つまり、なんらかの政治教育や政治的活動をする学校は、すでに法律に定める学校ですらないというわけです。
>このスレの流れに即して言えば、朝鮮学校は学校じゃないんです。
>
宗教目的、政治目的は学校の目的範囲外ということである。
それに違反したとしてもそれで学校でなくなるということではないのだ。
されば朝鮮学校は学校であるのだ。
ただ違反があるということである。
その違反でもって処分できるか否かは別の問題である。
>つまりまとめますと、私立学校は、公立学校ほど公の支配を受けているわけじゃないけど、外国人学校に比べれば公の支配を受けている。よって、完全に無償化とはいえないが、ある程度の就学支援金を払う根拠はある、ということです。
>逆に、私立学校を差し置いて朝鮮学校を無償化する理由は全くありません。
>
学校に就学支援金を払うことは許されないと考えるものである。
個々の生徒に対して生活保護としての奨学金の支給が許されるだけであるのだ。
着眼点が相違しているべきである。
そうすることによってしか憲法の制限を越えることはできないのだ。
>ですが、朝鮮学校の無償化を主張する人は、私立学校の無償化については何も言っていません。
>これは、差別だから問題視しているのではなく、朝鮮学校が無償化されていないから問題視しているのだと思われます。
>つまり、朝鮮学校さえ無償化されれば、他の学校が差別されていても全く気にしないということです。
>だから、外国人学校を無償化しろとはいわず、朝鮮学校を無償化しろというのです。
>私はそうした人間が、無償化させる建前として「差別は許さない」と主張することに非常に嫌悪感を覚えます。
>>220 hiranosigeoさん
>私立学校は公の支配を受けているのか。否である。
公の支配にないというなら、以下の質問に答えてください。
1.なぜ私立学校のカリキュラムは学習指導要領に沿っていなければならないのか
2.なぜ使う教科書はなぜ国の検定を受けたものでなければならないのか
3.なぜ教員免許をもった教員でなければならないのか
4.なぜ教員の勤務状況や予算の使い道、生徒の指導要録などにおいて、都道府県の監査を受けなければならないのか
ちなみに、確か朝鮮学校は上記の全てを守っていないはずです。
>学校教育法を守っているだけのことである。
教育基本法も憲法も守っていますよ。
もちろん、学校教育法施行規則や学習指導要領などの、様々な教育法規にも従っていますよ。
>公の性質を有するということと公の支配にあるということとは区別すべきことである。
これは確かにそうですね。
ですが、仮に公の支配を受けていなくても、公の性質を持っている以上、国は助成をしなければならないのです。
……ということを、教育基本法は言っているわけです。
>公の支配に程度の問題があるのか。
そうですよ。
例えば一時期問題となった国歌・国旗の問題ですが、私立学校なら様々な式において国歌を歌わなくてもいいし、国旗を掲揚しなくてもOKです。ですが、公立学校ならダメです。
ついでに、宗教教育も私立学校ならOKですが、公立学校ならダメです。
つまり、公立学校は私立学校よりもやっちゃダメなこと、やらなくちゃいけないことが多いわけです。
それが、公の支配の程度問題です。
>宗教目的、政治目的は学校の目的範囲外ということである。
>それに違反したとしてもそれで学校でなくなるということではないのだ。
>されば朝鮮学校は学校であるのだ。
とりあえず、法における「学校」とはなにかを調べてみてください。
ヒントは「一条校」です。
>学校に就学支援金を払うことは許されないと考えるものである。
その根拠はなんでしょうか。
全体的に、hiranosigeoさんがどう思われるのかは分かりましたが、その根拠が全く書かれていません。
ここは議論をする場なので、個人的な「感想」ではなく、根拠を伴った「論理」を話していただければと思います。
>>211 ぬさん
>簡単にまとめると、elsewhereさんの区別方法だと朝鮮学校の他にも無償化対象校から除外される学校がでてきてしまうけど
>それでもいいの?ということです。
えー、それでもいいの? とのことですが、もちろんいいです。
『
基準に満たない学校が無償化されないことは差別ではない』という考え方なので、基準を満たさない学校は、それがミッション系だろ
うが、日本人しかいない学校だろうが、全て無償化から外されるべきです。
例えば自動車学校は無償化されませんが、それは差別ではありませんよね?(高校進学率よりも、運転免許所持率の方が高いかもと思え
る程、運転免許必須な世の中ですが、自動車学校を無償化する話にはなっていませんし)
また私はそもそものイエスキリストは人として平等に扱われているか? という問いには、yesと答えるので、あなたの論の前提になっ
ている、「みんなの答えはきっとnoだと思う」とは異なる結論となります。
(正確には、「学校によるが、ほとんどの学校はyesじゃないかと思う」です)
なぜyesと思うかですが、以下の通りです。比較対象としてベートーベンも入れときますね。
***********************************************************************
仮に以下のような評価があるとしましょう。
金正日は・・・・偉い
キリストは・・・偉い
ベートーベンは・偉い
偉いっていうのもなんか適当な言い方ですが、まあここではおおざっぱに偉いとしておきます。異なるのはこの後の部分です。
【朝鮮学校において】
1金正日を批判することは許されない
2金正日が唯一絶対である
3金正日以外の国家主席はあり得ない
【ミッション系の学校において】
1キリストを批判することは別に構わない
2キリストは多数ある宗教の聖人の一人に過ぎない
3仏陀を信じても良い
【△○音楽学校において】
1ベートーベンを批判することは別に構わない
2ベートーベンは多数の音楽家の一人に過ぎない
3シューベルトが最高と思っていても良い
***********************************************************************
まあ私が言いたいことは上記でだいたい分かってもらえると思うのですが、もし、仮に、ミッション系の学校の中で、
『
キリストは絶対神と同一である。彼を信じ、敬わず、他の神を信ずるものは許されない罪びとである』
このような学校があれば、これはあなたの言うところの「noの学校」でしょうなと思います。
この場合は当然、アサハラショウコウを絶対とするところのオウム真理教の学校と大差ないわけですから、無償化対象から外れてもらう
ことが適切と考えます。そうしてそれは差別ではなく、区別です。
ああ、
>>222を補足します。
要は、こういうことです。
*********************************
金正日であれ、キリストであれ、その人への批判を許すか許さないか?
ミッション系の学校でも、神その人の言葉とされる聖書の文言を批判することも許される・・・例えば「神はアダムの肋骨からイブを
作った」とする聖書の言葉を、「ナンセンス」と断じることはミッション系の学校でも別におかしくない。
ところが金正日の実施した「デノミ」を批判すると、銃殺刑が待っている。
(参考URL
http://b.hatena.ne.jp/entry/mainichi.jp/select/world/news/20100204ddm007030041000c.html1
北朝鮮:デノミ2カ月 食料価格高騰、闇両替が横行 不満封じ込め?市民を銃殺刑 - 毎日jp(毎日新聞) )
*********************************
上記のような事柄を総合的に判断すると、こうなります。
「ミッション系の学校ではキリストも人として普通に平等に扱われている。批判しても構わない人として扱われている。ところが、金正
日を絶対者として教えるところの朝鮮学校ではそうではない。金正日を批判することは許されておらず、一般市民とは別の、一段上の存
在として教えられている。」
だから、ミッション系の学校では、キリストも普通の人として教えられていると判断するわけです。
ただし、「あなたがNOと考えていること」そのものを否定するものではありません。それはそう考える人はいるのだろうなと思うだけで
す。そこを争う気はありません。(必要が出てくるまでは)
>>私立学校は公の支配を受けているのか。否である。
>公の支配にないというなら、以下の質問に答えてください。
>1.なぜ私立学校のカリキュラムは学習指導要領に沿っていなければならないのか
>2.なぜ使う教科書はなぜ国の検定を受けたものでなければならないのか
>3.なぜ教員免許をもった教員でなければならないのか
>4.なぜ教員の勤務状況や予算の使い道、生徒の指導要録などにおいて、都道府県の監査を受けなければならないのか
>ちなみに、確か朝鮮学校は上記の全てを守っていないはずです。
>
公の支配とは何か。
それは人事権と予算権財政権であろう。
学校法令を守っているだけでは公の支配とは言わない。
>>学校教育法を守っているだけのことである。
>教育基本法も憲法も守っていますよ。
>もちろん、学校教育法施行規則や学習指導要領などの、様々な教育法規にも従っていますよ。
>
>>公の性質を有するということと公の支配にあるということとは区別すべきことである。
>これは確かにそうですね。
>ですが、仮に公の支配を受けていなくても、公の性質を持っている以上、国は助成をしなければならないのです。
>……ということを、教育基本法は言っているわけです。
>
国の助成金は憲法89条で制限されている。
だから公の性質を持っていても金の支出ができない。
本当は公の性質はないのではないか。
単に家庭教育の延長である。
>>公の支配に程度の問題があるのか。
>そうですよ。
>例えば一時期問題となった国歌・国旗の問題ですが、私立学校なら様々な式において国歌を歌わなくてもいいし、国旗を掲揚しなくてもOKです。ですが、公立学校ならダメです。
>ついでに、宗教教育も私立学校ならOKですが、公立学校ならダメです。
>つまり、公立学校は私立学校よりもやっちゃダメなこと、やらなくちゃいけないことが多いわけです。
>それが、公の支配の程度問題です。
>
教育の内容は公私に関係がない。
内容の制限が程度問題なのか。否。
>>宗教目的、政治目的は学校の目的範囲外ということである。
>>それに違反したとしてもそれで学校でなくなるということではないのだ。
>>されば朝鮮学校は学校であるのだ。
>とりあえず、法における「学校」とはなにかを調べてみてください。
>ヒントは「一条校」です。
>
法律で学校と書いてあるところを読めばわかることである。
>>学校に就学支援金を払うことは許されないと考えるものである。
>その根拠はなんでしょうか。
>
その根拠は憲法89条である。
なんでこの規定ができたのか。
公の支配の学校が駄目だったからである。
そこから独立した学校が必要とされたからである。
そのためには公から金をもらわないことに限るのである。
公を良いものだと考えることを止めよう。
>全体的に、hi
>anosigeoさんがどう思われるのかは分かりましたが、その根拠が全く書かれていません。
>ここは議論をする場なので、個人的な「感想」ではなく、根拠を伴った「論理」を話していただければと思います。
個人的な感想に根拠がないか否かはすぐにわかることである。
>>224 hiranosigeoさん
>公の支配とは何か。
>それは人事権と予算権財政権であろう。
「であろう」とhiranosigeoさんが思うのは自由ですが、その根拠が書かれていない上、これはhiranosigeoさんの「感想」にしか過ぎません。
ちなみに、私が
>>216で書いた「私立学校は「公の支配」に服していないからです」の「公の支配」は、あくまで厳格な意味での「公の支配」です。
私立学校が受けている「公の支配」は、ゆるい支配と捉えられるでしょう。
>国の助成金は憲法89条で制限されている。
>だから公の性質を持っていても金の支出ができない。
できます。
なぜなら、合憲だと判断されているからです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%81%E5%AD%A6%E5%8A%A9%E6%88%90
ここの、政府見解や裁判例が参考になるでしょう。
>法律で学校と書いてあるところを読めばわかることである。
読んだ結果が、「朝鮮学校は学校であるのだ」ですか。
学校教育法第一条は、「この法律で、学校とは、幼稚園、小学校、中学校、高等学校、中等教育学校、特別支援学校、大学及び高等専門学校とする」です。
さて、朝鮮学校はこのうちどれに該当しますか?
>個人的な感想に根拠がないか否かはすぐにわかることである。
そうですね。
hiranosigeoさんが何も根拠を書いてないことは誰の目からも明らかだと思います。
とりあえず、これ以上はスレの内容とは外れるので、よほどhiranosigeoさんから説得力のある話が出てこない限り、この話はもうやめにします。
>>218 quppaさん
>
すみません。・・・やっぱり良くわかりません。
貴方の主張を自分の頭の中でうまく「一般化」(全体に通用させることが)できないのです。
合理的な理由が必要だ。というのと、その為に理由を公表(表明や説明)が必要だというところまではわかるのですが・・。
>しかし、「通常の業務において60kgの荷物を運べる人間であること」は基準にはなりません。
通常業務が、縦横30pの重さ60sの段ボールを向かって右側に50p平行に移動させることである場合、「縦横30pの重さ60sの段ボールを向かって右側に50p平行に移動させることができる人」という基準は成り立つと思います。
例えば、「75歳以上」といった客観的事実も基準とはなりえないのでしょうか。わざわざ「75歳以上であることを判断できる指標」に基準を変えなくても良いということです。(腰が45度曲がっているとか顔にしわが何本あるとか)
>>214
>>理由
>>「高等学校等の教育の機会均等に役立てたいから」
>は、求められる能力(つまり、その教育の機会を均等化することがもたらす効能)が据えられていないという意味で、理由になっていません。
>>218
>>60sの荷物を運ぶことによる効能は据えられていませんが、理由にはなっているのですか?
>雇い主の事業内容次第ではないでしょうか。事業内容によってはより深く目的の提出が求められるケースもあるように思います。
「効能」が必要かどうかはケースによって異なるようですので、こちらも一般化が難しく、理解しにくいところです。
結局、「何故、高等学校等の教育の機会を均等化する必要があるのか?」ということに、quppaさんが納得できないだけではないのですか?
「高等学校等の教育の機会を均等化するため」という理由だけでは、合理的であるとはいえない(又は合理的だと判断できない)というのが、quppaさんの意見なのではないですか?
「理由には○○が含まれてなければいけない」とか、「基準は○○でなければいけない」とかの貴方の主張は、一般化されたものではなく、貴方が納得するために必要なものではないのですか?
>>226 一般人さん
>通常業務が、縦横30pの重さ60sの段ボールを向かって右側に50p平行に移動させることである場合、「縦横30pの重さ60sの段ボールを向かって右側に50p平行に移動させることができる人」という基準は成り立つと思います。
正確に言えば成り立たないでしょう。「通常業務」=「縦横30pの重さ60sの段ボールを向かって右側に50p平行に移動させること」である場合、目的「通常業務ができる」は未来における能力に関する要求です。しかし、未来における能力なんて直接は知ることができないのだから、それの有無を判断する基準は、現在の状態に関する条件の形で設定せざるをえません。したがって、一般人さんのおっしゃる基準「縦横30pの重さ60sの段ボールを向かって右側に50p平行に移動させることができる人」は、厳密にはたとえば「今、縦横30pの重さ60sの段ボールを向かって右側に50p平行に移動させることができた人」のような基準であるはずです。そして、「今それができた人」以外は、実際の能力の有無とは無関係に、「通常業務ができる」という未来の能力をもたないと判断されてしまうわけです。
この意味で、厳密にいえば、目的には「今それができた」という基準に設置されている「現在の状態」に関する条件は含まれないし、基準には「通常業務ができる」という目的に設置されている「未来の能力」に関する要求は含まれません。
重要なのは、基準「今それができた人」は、目的「通常業務ができる」という未来の能力の有無を判断する必要性があるからこそ導入されたものであるという点です。つまり、因果関係があるわけです。
>「高等学校等の教育の機会を均等化するため」という理由だけでは、合理的であるとはいえない(又は合理的だと判断できない)というのが、quppaさんの意見なのではないですか?
そのとおりです。理由(つまり目的)に基準「高等学校等」が含まれているからです。本来その部分は、基準「高等学校等」が導入された原因としての、たとえば「卒業生が○○という能力をもつ」(←もちろん未来のことなので、これを判断するためには、基準として「高等学校等」みたいな現在の状態に関するものの導入が必要)というようなものが入るわけです。
しかし、現状において、国家が「高等学校等」以外の学校では「卒業生が○○という能力をもつ」ことはあり得ないと断言しているような○○は誰からも提出されていないのではないか?というのが私の意見です。
>>公の支配とは何か。
>>それは人事権と予算権財政権であろう。
>「であろう」とhi
>anosigeoさんが思うのは自由ですが、その根拠が書かれていない上、これはhi
>anosigeoさんの「感想」にしか過ぎません。
>ちなみに、私が>>216で書いた「私立学校は「公の支配」に服していないからです」の「公の支配」は、あくまで厳格な意味での「公の支配」です。
>私立学校が受けている「公の支配」は、ゆるい支配と捉えられるでしょう。
>
公の支配を理解していないことをさらしているのは誰か。
ゆるい支配などはインチキであること。
>>国の助成金は憲法89条で制限されている。
>>だから公の性質を持っていても金の支出ができない。
>できます。
>なぜなら、合憲だと判断されているからです。
>http://ja.wikipedia.o
>g/wiki/%E7%A7%81%E5%AD%A6%E5%8A%A9%E6%88%90
>ここの、政府見解や裁判例が参考になるでしょう。
>
これが間違いであることにきずかないだけのことである。
憲法の基本から考えないからそういう結果となるのだ。
憲法89条をどう読んでいるのかや。
公金支出が脱法行為であることがわかるのだ。
>>法律で学校と書いてあるところを読めばわかることである。
>読んだ結果が、「朝鮮学校は学校であるのだ」ですか。
>学校教育法第一条は、「この法律で、学校とは、幼稚園、小学校、中学校、高等学校、中等教育学校、特別支援学校、大学及び高等専門学校とする」です。
>さて、朝鮮学校はこのうちどれに該当しますか?
>
名前の形式の問題ではなくして内容をみればわかることである。
内容として何をしているのか。
違反だけをしているわけではない。
>>個人的な感想に根拠がないか否かはすぐにわかることである。
>そうですね。
>hi
>anosigeoさんが何も根拠を書いてないことは誰の目からも明らかだと思います。
>
自分で理解できないことについて他人を引用すべきではない。
自分の理解が及ばないだけのことであるのだ。
論争をする資格のない人を相手にしても生産的でないことは確かである。
>とりあえず、これ以上はスレの内容とは外れるので、よほどhi
>anosigeoさんから説得力のある話が出てこない限り、この話はもうやめにします。
自分だけは説得力があると思っているのかや。
>>208 一般人さん
>私は「無用に混乱させる人」とは思ってません。
>
>・高校無償化という制度には差別的要素が無いことを前提に、当該制度で朝鮮学校が対象から除外されることについて
>差別的要素があるのかどうかを論点とする立場と
>・高校無償化という制度そのものに差別的要素がある可能性も含めて、朝鮮学校が無償化されないことについて
>差別的要素があるのかどうかを論点とする立場との違いだと思ってます。
>
>quppaさんは後者なのでしょう。
>後者の立場をとる人には、法律上の目的は朝鮮学校が無償化されないことへの理由(目的)にはならないのです。
ふむむ・・・ちょっと確認の為に質問したいのですが・・・
>>198で一般人さんが書いている内容は、以下の通りです。
*************************************************
quppaさんのご意見として
握力60kg超えの人の採用なのだから、握力60kg以下の人が不採用になるのは当たり前なのだけれど、それが「差別なし」かどうかは、
雇い主による「握力が60kgを超えていないと、重い荷物を短時間で大量に運べないため仕事にならない」のような理由の公表の有無に
依存するというのが
>>1の第2段落における主張なのではないでしょうか。
とあります。私はこの定義と意見を支持します。
*************************************************
ここまでは一般人さんとquppaさんの意見は一致しているようですね。
上記を一般人さんなりに要約すると以下の文章になると書いていらっしゃいます。
*************************************************
「高等学校等における教育に係る経済的負担の軽減を図り、もって教育の機会均等に寄与する」という(合理的な)目的に基づき、高
等学校と高等学校に類するものとを無償化する。
となります。
*************************************************
ここまではお二人の意見が一致していると考えます。
この後、一般人さんは、問題の捉え方を2種類に分けて提示しています。
一般人さん自身の考え方として提示している捉え方
*************************************************
そこに、「『
この法律上において』朝鮮学校を無償化の対象としないのは差別だ」と主張する方が出てきたとします。
朝鮮学校が、高等学校か高等学校に類するものに該当すれば、それは差別となります。(法の下の平等に違反します。)
朝鮮学校が、高等学校か高等学校に類するものに該当しないのであれば、それは区別です。
他にも、自動車学校や塾などが、同じように「自動車学校と塾をこの法律上において無償化の対象としないのは差別だ」と主張した場
合も同様で、自動車学校が、高等学校か高等学校に類するものに該当すれば差別、該当しなければ区別です。
*************************************************
quppaさんが「だんだんこっちに傾いてきているように思う」とする捉え方
*************************************************
次に、もっと根源的な意味で「差別だ」と主張する方が出てきたとします。
根源的な とは、例えば、大学や自動車学校、塾を無償化せず、高等学校、高等学校に類するものだけを無償化するのは差別だ。とい
う主張です。この場合、「法律の制定」自体を差別だと主張されているわけですね。(上との違いはご理解いただけますか?)
*************************************************
そうして、一般人さんはこのように書いています。
>ただし、このスレで議論しているのは前述の話だと理解しています。
>(quppaさんは、貴方との議論の過程で、前段の話から後段の話として、論点が移行されてきたように感じます。)
これこそ、まさに私が言いたかったことです。前段の話と、後段の話は、別な切り口で問題を捉えています。
そうして、一般人さんの言う通り、quppaさんは当初前段の話をしていながら、問い詰められると違う話(後段の話)を始めるという、
極言すれば『
論点逸らし』を行っています。
奇しくもquppaさんは
>>227においてこのように言い始めています。
>現状において、国家が「高等学校等」以外の学校では「卒業生が○○という能力をもつ」ことはあり得ないと
>断言しているような○○は誰からも提出されていないのではないか?というのが私の意見です。
後段の話が、どうやってこの「卒業生が○○という能力をもつ」うんぬんの話につながるのか、私にはわかりませんし、傍目にも一般
人さんにそれが伝わっているとは思えません。
その意味において、一般人さんが
>>212において嘆いている気持ちが私にもよくわかります。
>すみません。限界です。誰か私の頭をスッキリさせる解説をお願いします・・・
quppaさんは「議論を無用に混乱させる人ではない」と一般人さんがおっしゃるのですからそれはそうなのかなとも思いますが、
『
翻訳はうまくいっていない。そうしてそれは一般人さんのせいではない』と私は考えています。いかがでしょうか?
***************************************************
さて、続いて本題です。
私の「
>>34の目的」と一般人さんの「
>>175 >>191の目的」が(まあ大筋)同一であるという認識に同意しますか?
これがyesならば、次の論点に移るのが容易なので、確認したいのです。
>>227 quppaさん
>重要なのは、基準「今それができた人」は、目的「通常業務ができる」という未来の能力の有無を判断する必要性があるからこそ導入されたものであるという点です。つまり、因果関係があるわけです。
やっと貴方の言いたいことが理解できました。何回も説明させてしまってすみませんでした。
私が出した「縦横30pの・・・」の例は、基準と目的の表現(書きぶり)は同じなだけで、判断基準と目的とでは、適用する場所というか時間軸というか、うまく表現できないですけど、中身みたいなものが違うということですね。
そういう意味では、
基準:「60kgの荷物を運べる人間であること」 理由:「60sの荷物を運びたいから」
も、理由は業務での話で、基準は普段の生活での話だと解釈すると一応成立はしますよね?
quppaさんのご説明では、
基準:「60kgのダンベルを持ち上げることができる人間であること」 理由:「60sの荷物を運びたいから」
は成立すると思うのですが、これの表現の仕方を変えたものが上の例だと思ってもらえればわかりやすいでしょう。
さらにいうと、
基準:「高等学校等であること」 理由:「高等学校等の教育の機会均等に役立てたいから」
も厳密にいえば成立していて
理由の「高等学校等の教育」というものを、「教育の中身を表現するための言葉」としてとらえれば、理由として成立してます。
わかりにくいかもしれませんが、「高等学校等が『
行っている』教育」という意味です。
その場合、別に高等学校等でなくても、高等学校等の行っている教育と同じ教育を行っていれば、目的を達成するための支援先として候補には入るというわけです。
で、何が言いたいかというと、
quppaさんが納得できない理由は「理由(つまり目的)に基準「高等学校等」が含まれているから」ではなく、
目的そのものが納得がいかないのと、目的を達成するために設定された基準に納得がいかないということだということです。
>>1の定義でいえば
何故、「重い荷物を短時間で大量に運ぶ」必要があるのか?
何故、「握力が60s超え」てなければ「重い荷物を短時間で大量に運ぶ」ことができないのか?
と問うているのと同じことではないですか?
>>229 elsewhereさん
>
>そうして、一般人さんの言う通り、quppaさんは当初前段の話をしていながら、問い詰められると違う話(後段の話)を始めるという、
>極言すれば『論点逸らし』を行っています。
すみません。
それ書いたころはそう思ってたのですが、いまquppaさんとのやりとりでその認識は誤っていたことに気がつきました、
>quppaさんは「議論を無用に混乱させる人ではない」と一般人さんがおっしゃるのですからそれはそうなのかなとも思いますが、
>『翻訳はうまくいっていない。そうしてそれは一般人さんのせいではない』と私は考えています。いかがでしょうか?
いま、quppaさんの意見を理解するために頑張っています。
かなり整理ができてきたと思っているのですが、それはたぶん議論している当事者である私だけなのでしょうね・・
>***************************************************
>さて、続いて本題です。
>
>私の「>>34の目的」と一般人さんの「>>175 >>191の目的」が(まあ大筋)同一であるという認識に同意しますか?
>これがyesならば、次の論点に移るのが容易なので、確認したいのです。
この流れは
>>190 への反論をお待ちしている状態だと認識しています。
>>230 一般人さん
>基準:「高等学校等であること」 理由:「高等学校等の教育の機会均等に役立てたいから」も厳密にいえば成立していて、理由の「高等学校等の教育」というものを、「教育の中身を表現するための言葉」としてとらえれば、理由として成立してます。
そこなんです、気持ち悪いのは。その論法では、たとえば雇用において基準:「朝鮮人でないこと」理由:「朝鮮人でない人を雇いたいから」も成立してしまいます。理由の「朝鮮人でない」というものを「雇いたい人物の中身を表現するための言葉」としてとらえればよいからです。この論法の問題点は、理由に「雇用したい」の基準として「朝鮮人でないこと」がどのように適うのかについて何ら説明していないということにあります。
同じ意味で、
>理由:「高等学校等の教育の機会均等に役立てたいから」
は理由としては成立していなくて、実際に求められているのは「どのような能力を得る機会を均等に与えたいがために、高等学校等という基準を設けたのか」についての理由ということになります。
そして、この理由を説明するためには、結局のところ、「高等学校等に就学すれば○○という能力が備わるけど、それ以外の学校に就学しても同じ○○という能力は備わり得ない」における○○みたいなものを明らかにし、「経済的な事情があるなしによらず○○という能力を得る機会を均等に与えたいから」とするくらいしかないのではないでしょうか。
しかし、現在のところその○○は誰からも提出されていないというのが私の主張です。
>>190 一般人さん
>無償化法についても、憲法の拘束を受けることについては同意します。(同意しない人はたぶんいないでしょう)
>ただし、ここでいう「法の下の平等」とは、無償化法という法を定めたら、
>その無償化法の基準にしたがって平等に扱わなければいけませんよ。という意味です。
>(「平等でない法を定めたらいけませんよ」という意味もあるらしいです。)
>
>こうした意味から「法の下の平等」の原則をもって、「人は平等ではない」などということを是とする教育を行う学校を、
>無償化法における「無償化対象校」に含めてはならない。ということにはならないのです。
>ここに論理の飛躍があります。
>
>逆に「人は平等ではない」とする教育を行う学校を無償化対象外とするならば、「法の下の平等」の原則にのっとり、
>その旨を法に明記しない限り、特定の学校を差別的に扱ってはならないということがいえるのです。
>
>「各種学校のうち高等学校に類する課程を置くもの」を無償化対象とすると法で定めたのあれば、
>「各種学校のうち高等学校に類する課程を置くもの」である以上、そこで「人は平等ではない」とする教育を行っていようが、
>神やキリスト教を信じる教育をしていようが、基準にしたがって平等に扱わなければ「法の下の平等」の原則に反するのです。
>「人は平等ではない」とする教育を行う学校を、無償化対象外とするならば、
>「日本の教育の根本にある「人は平等」という基本理念」を教えることが無償化の対象校とする基準である旨を
>法に明記しなければならないのです。
誤りがあるので指摘します。最後の部分
>「人は平等ではない」とする教育を行う学校を、無償化対象外とするならば、
>「日本の教育の根本にある「人は平等」という基本理念」を教えることが無償化の対象校とする基準である旨を
>法に明記しなければならないのです。
これが誤りです。法律に明記する必要はありません。以下にその理由について説明します。
これは
>>157にも書いたことですが、「いずれをも拘束する原則」という強い言葉を私が解釈するところでは、以下のような風になりま
す。
「法律は憲法の許す範囲の中で作られる。14条の例でいうのであれば、どのような法律であれ、法律を作る際にはすべからく「法の下の
平等」という原則に従って作らなくてはならない。直接であれ間接であれ、人は不平等とすることに加担する法律を作ってはならな
い。また、既に存在し、あるいはこれから作成するあらゆる法律のあらゆる部分にいちいち「法の下の平等」について書く必要はない。
冗長だからだ。憲法に記載することそのものが、それを「全ての法律にこれを適用する」という意味であるのだから。」
この私の理解が間違っているのであれば、どこが間違っているか、ご指摘ください。
***********************************
2点目
>>175に、このように書かれていますが・・・
>「日本の学校は門戸を閉じていないんだから機会は均等でしょ」という意見もあるでしょうが、私はその意見には同意できません。
>外国人学校に通う方々諸事情が考慮されなさすぎて、温かみがないからです。
これは私の
>>1に書いた最初の論点に対する反論かなと思います。
「高校程度の教育を無償で受けたければ、単に日本の公立高校に入学すれば良いのです。日本人とおんなじです。ドイツ人でもアメリカ
人でも朝鮮人でも、同一料金(0円)で同一内容の教育です。それは平等であって『
朝鮮人ゆえの差別ではありません』」
これに反対する理由として「諸事情」というものを挙げられていますが、「諸事情」とはなんでしょうか?
初期のブルンジさんも「国際的面と歴史的面」から反対と論を張り、それって何? と聞かれてまともに答えることができなかったの
で、一般人さんなら言えるのかな、と思うのです。
これはこれは! 一般人さんのおかげでquppaさんと議論ができるような気がしてきました。
一般人さんだけに負担をお願いするのも気が引けるので、ちょっと私も頑張ってみましょう。
>>232の最後の部分に、quppaさんはこのように書かれています。
>しかし、現在のところその○○は誰からも提出されていないというのが私の主張です。
話のわかりやすさの為に、その○○を『
カリキュラムA』と仮の名前を付けます。
さらに単純化の為に、そのカリキュラムAの中身を『
九九が1の段から9の段まで、各段1分以内に暗唱できること』とします。
また、ご存知の方も多いと思いますが、インドでは九九が「もっと多くの段(例えば99×99とか)」まであるそうですね。
(参考URL
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%9D%E4%B9%9D )
こちらをの方、つまり99×99までを(各段10分以内に)暗唱できることを『
カリキュラムB』とします。
このスレッドのテーマは「朝鮮学校の無償化除外は差別か否か」なので、このテーマにつながる話をしていただいているのでしょう。
ところで日本の高校(等)が、共通のカリキュラム基準として、(上記仮定の内の)カリキュラムAを取ろうが、カリキュラムBを取ろうが、
それ以外の何か(例えば「カリキュラムAにプラスして人は平等と教える」)を取ろうが、それは日本が日本なりの理由で決めればいいの
であって、はっきりいうと『
任意』であると考えています。
上記を踏まえて、以下のことを私は主張します。
************************************************
1【日本の高校学校(等)のカリキュラムと朝鮮学校(高等部)のカリキュラムが同一であった場合】
『
カリキュラムの内容は問題にはなりません』
同じカリキュラムなのに、どうして同じグループに入れないのか? それは差別では? という話になるのであって、カリキュラム
(○○)の中身がどのようなものであるかには関連がありません。
(あくまで無償化対象校とするか否か、という切り口で考えた場合。)
2【日本の高校学校(等)のカリキュラムと朝鮮学校(高等部)のカリキュラムが異なっている場合】
もし、日本の学校のカリキュラムと異なるカリキュラムを実施する学校があれば、そのカリキュラムの中身は問題になってくるでしょ
う。例えば、『
日本の高校(等)とは異なり数学と国語を全く教えない』となればこれは無償化対象から外れても差別ではない。また同様
に、「金正日は現人神」とか「天皇は超越神」とか「人間は約6000年前にアダムとイブから生まれた」とか「信仰を捨てた者をアサハラ
ショウコウがポアする(殺す)ことは悪いことではない」とか教えればこれもやはり無償化対象から外れても差別ではない。
「朝鮮学校であるがゆえに除外」とするのではなく、合理的な基準に従って「基準に満たない学校を除外する」というのであれば、
それは差別ではない。
************************************************
さて、
>>1にはこう書かれています。
「『
能力に差はないが、朝鮮人だから就職面接において採用しない』というようなことを差別とします」
これをこう言い変えましょう。
『
教育内容には差は無いが、朝鮮学校は朝鮮学校であるがゆえに無償化しない』
これがその通りに法律に書かれていれば、それは「差別的な内容を含む法律」でしょう。
では
『
教育内容に差があれば、その内容に応じて無償化されない学校が出てくる』
こうなると、これは差別ではありません。
そうして、まとめにも書かれている通り、
「・朝鮮学校が日本が定める「高校」としての基準の教育に満たないこと」
については今ところ違う意見は出ていません。quppaさんでさえ、
>>117においてそれを認めています。
日本が定める「高校(等)」としての教育水準に達していないのであれば、それが無償化されないことは差別ではありません。
>>234 elsewhereさん
面白くなってきました。
>『教育内容に差があれば、その内容に応じて無償化されない学校が出てくる』
>こうなると、これは差別ではありません。
その「差」の設定が思いのままにできてしまうのならば、差別だって出来てしまうというのが私の意見です。だからこそ、その「差」の設定の意図、つまり、
>>232にも述べましたけど、
「高等学校等に就学すれば○○という能力が備わるけど、それ以外の学校に就学しても同じ○○という能力は備わり得ない」における○○(たとえば「社会の発展に貢献できる」)みたいなもの
の提出が求められるわけです。
>>232 quppaさん
quppaさんの意見を論理っぽく整理してみました。
(ちなみに私は倫理学にはまったくの素人です。単なる夜更けさんのマネごとですので、論理構成がおかしいかもしれません。)
===========================
命題:朝鮮学校の無償化除外は差別であるか?
前提1:「高等学校等以外の学校に朝鮮学校は含まれる」
前提2:「高等学校等の無償化が差別であれば、高等学校等以外の学校の無償化除外は差別である」
前提3:「区別の根拠が合理的であれば差別ではない」
前提4:「高等学校等を無償化する根拠が合理的でない」
結果1:前提4、前提3から「高等学校等の無償化は差別である」
結果2:結果1、前提2から「高等学校等以外の学校の無償化除外は差別である」
結論:結果2、前提1から「朝鮮学校の無償化除外は差別である」※
※議論において、「朝鮮学校の無償化除外は差別であるか?」への意見は
最終的には「朝鮮学校の無償化除外は差別である」か「朝鮮学校の無償化
除外は差別でない」のどちらかでなければなりません。
===========================
とまあこんな感じですかね。
前提(公理)として一致してないのは「前提4」ですね。
合理的であるためには、どうすれば良いか。quppaさんは
>>232 で以下のように主張しています。
>そして、この理由を説明するためには、結局のところ、「高等学校等に就学すれば○○という能力が備わるけど、それ以外の学校に就学しても同じ○○という能力は備わり得ない」における○○みたいなものを明らかにし、「経済的な事情があるなしによらず○○という能力を得る機会を均等に与えたいから」とするくらいしかないのではないでしょうか。
しかし、これに答えたとしても、次に「何故、○○という能力を得る機会を均等に与えたいのか?」が明確でなければ
根拠が合理的だとはいえないという論が成り立ちます。
「○○という能力を得る機会を均等に与えれば、我が国が○○という成果を得ることができるから」と答えても、
「何故、我が国が○○という成果を得なければいけないのか?」と問うことが可能です。
何をもって合理的な根拠とするかの公理を設定しなければ、価値判断の不毛な議論を重ねることになりそうです。
合理的な根拠の公理って設定できるのかな・・?
>>233 elsewhereさん
>「法律は憲法の許す範囲の中で作られる。14条の例でいうのであれば、どのような法律であれ、法律を作る際にはすべからく「法の下の平等」という原則に従って作らなくてはならない。
ここから
>直接であれ間接であれ、人は不平等とすることに加担する法律を作ってはならない。
ここへいくのに論理の飛躍があります。
「法の下の平等」という原則は、法律を作ったら、その法律の定めにしたがって平等に扱わなければいけませんよ。
という意味です。
以下、wikiのコピペです。(wikiが必ずしも正しいと主張するつもりはないですが、ご参考までに)
『
法の下の平等(ほうのもとのびょうどう)とは、国民1人1人が国家との法的権利・義務の関係において等しく扱われなければならないという憲法上の原則のことである。』
憲法における平等原則
法の下の平等の意義
法の下の平等は、平等原則として国民一人一人への平等な取り扱いを国家に対して要求したものである。もっとも、法の下の平等の意味については、その文言と関連していくつかの問題がある。
「法の下」の意義
憲法上の「法の下」という文言は、法適用の平等のみを意味するとも考えられるが(法適用平等説・立法者非拘束説)、一般的には法内容も平等であることを意味すると考えられている(法内容平等説・立法者拘束説)。
「平等」の意義
憲法上の「平等」という文言は、原則として形式的平等・相対的平等を意味すると考えられている。もっとも、現実に存在する不平等を解消するためには形式的平等を謳うのみでは不十分であり、実質的平等をも重視する方向へ推移している。
平等権
法の下の平等には平等原則だけでなく平等を権利として主張すること(平等権)も保障する趣旨なのか問題になるが、平等権として権利性を認めるのが通説であり、判例もそれを認めている。
>>233 elsewhereさん
>
>>「日本の学校は門戸を閉じていないんだから機会は均等でしょ」という意見もあるでしょうが、私はその意見には同意できません。
>>外国人学校に通う方々諸事情が考慮されなさすぎて、温かみがないからです。
>
>これは私の>>1に書いた最初の論点に対する反論かなと思います。
>「高校程度の教育を無償で受けたければ、単に日本の公立高校に入学すれば良いのです。日本人とおんなじです。ドイツ人でもアメリカ
>人でも朝鮮人でも、同一料金(0円)で同一内容の教育です。それは平等であって『朝鮮人ゆえの差別ではありません』」
>
>これに反対する理由として「諸事情」というものを挙げられていますが、「諸事情」とはなんでしょうか?
>初期のブルンジさんも「国際的面と歴史的面」から反対と論を張り、それって何? と聞かれてまともに答えることができなかったの
>で、一般人さんなら言えるのかな、と思うのです。
すみません。そこはスルーして欲しかったところです。
何故なら、そこは「私の感情的な意見」だからです。
「諸事情が考慮されなさすぎて、温かみがないから」を読めばおわかりいただけるように全く論理的ではありません。
ただ、朝鮮学校に限らず、外国人学校がたくさんあるのは、言語の問題でそう簡単に日本の公立学校には入学できないという事情があるからだと思うんです。
例えば、自分が親の事情とかでアメリカにでもいかされて、「機会は均等に用意してあるよ」といわれて区別されるとちょっと悲しいなぁと思うということです。
別に国際的とか歴史的とかを考慮して出た意見ではありません。
>>235 quppaさん
>>『教育内容に差があれば、その内容に応じて無償化されない学校が出てくる』
>>こうなると、これは差別ではありません。
>
>その「差」の設定が思いのままにできてしまうのならば、差別だって出来てしまうというのが私の意見です。
>だからこそ、その「差」の設定の意図、つまり、>>232にも述べましたけど、
>
>「高等学校等に就学すれば○○という能力が備わるけど、それ以外の学校に就学しても同じ○○という能力は備わり得ない」
>における○○(たとえば「社会の発展に貢献できる」)みたいなものの提出が求められるわけです。
うーん・・・私としては「差の設定をいじる? いやいや、まず第一にいじれないし、差別なんてできないと思うけどなー」と考えてい
ます。以下のように。
*****************************************************
【教育レベルをグラフ化したもの】
↓この印から左が無償化対象。右が無償化対象外
↓
高水準−−−−+−−−−−+−−−−−−−−−−−+−−−−−−−−−−−−−低水準
↑日本の学校の水準 ↑朝鮮学校の水準
☆←ここから・・・・・ここまでが【差】・・・・・→★
*****************************************************
私の中で上記グラフを思い浮かべながら考えていたのは、日本の学校の水準や、朝鮮学校の水準をいじくらずに、無償化対象の基準を左
右にスライドさせて、いわば「朝鮮学校よりも左に移す」ことをおっしゃっているのかな、とか想像していました。
ところが、quppaさんは「差を思いのままに設定する」とおっしゃっています。これは、どういうことを意味しているのでしょうか?
私は「差」というのを、「☆←ここから・・ここまでが【差】・・・→★」と考えていました。
この「差」は動かせないものと思っていました。
急に日本の学校の水準を上げることも下げることもできないし、それをいうなら朝鮮学校の水準を上げることも下げることもできないと
考えていました。当然、quppaさんのおっしゃる「差の設定を思いのままに」ということが、どういうことかが理解できないわけです。
すみませんが、「差の設定を思いのままに動かす」とはどのようなことを意味するのでしょうか?
>>236 一般人さん
>※議論において、「朝鮮学校の無償化除外は差別であるか?」への意見は最終的には「朝鮮学校の無償化除外は差別である」か「朝鮮学校の無償化除外は差別でない」のどちらかでなければなりません。
議論の場ではなく、意思決定の場であるならそれでもいいかもしれませんが、議論の場においてはそうとは限らないように思います。
たとえば、議論の場においてある人が、「2079608051741は素数ではない。なぜなら、54789367×37953に等しいからだ」と主張したとしましょう。これに反論するためには、「2079608051741は素数である。」と主張しなければならないのでしょうか。そうではなくて、「54789367×37953=2079420845751だから、2079608051741が素数でないとは現状では言えていない」という主張は許されると考えるのが自然ではないでしょうか。
つまり、議論の場においては、「Aである」と主張する人は「証明者」であり、それに対する反論は、通常「Aではない」ではなく、「Aであるとは現状では言えていない」という「検証者」の立場からのものになるはずです。もちろん、別の人が「Aではない」と「証明者」の立場で主張をした場合に、同じ「検証者」が「Aでないとは現状では言えていない」との反論を提出することもまったく問題ありません。
>しかし、これに答えたとしても、次に「何故、○○という能力を得る機会を均等に与えたいのか?」が明確でなければ根拠が合理的だとはいえないという論が成り立ちます。
とりあえず、「○○という能力」の部分が「高等学校等によってなされる教育によって習得される能力」のような意味的に循環が生じるようなものである否かが、厳密にチェックされることと思います。この意味で、まずは、循環の生じないような○○が提出されているかどうかという点が重要ではないでしょうか。
>>239 elsewhereさん
>ところが、quppaさんは「差を思いのままに設定する」とおっしゃっています。これは、どういうことを意味しているのでしょうか?
つまり、「日本の学校の水準」を決める際に「朝鮮学校」が外れるような水準を故意に選ぶということも可能なわけで、だからこそ、そうではないことを証明するためには、「日本の学校の水準」あるいは「高等学校等」の基準を定めた際の理念、つまり、
>>235に述べた
>「高等学校等に就学すれば○○という能力が備わるけど、それ以外の学校に就学しても同じ○○という能力は備わり得ない」における○○(たとえば「社会の発展に貢献できる」)みたいなもの
の提出が必要ではないのかということです。
>>238 一般人さん
>すみません。そこはスルーして欲しかったところです。
>何故なら、そこは「私の感情的な意見」だからです。
>「諸事情が考慮されなさすぎて、温かみがないから」を読めばおわかりいただけるように全く論理的ではありません。
>
>ただ、朝鮮学校に限らず、外国人学校がたくさんあるのは、言語の問題でそう簡単に日本の公立学校には
>入学できないという事情があるからだと思うんです。
>例えば、自分が親の事情とかでアメリカにでもいかされて、「機会は均等に用意してあるよ」といわれて区別されると
>ちょっと悲しいなぁと思うということです。
>別に国際的とか歴史的とかを考慮して出た意見ではありません。
なるほど、論理的な一般人さんでも、たまにはあるんですね、感情的な意見。私も感情は人一倍ある方なので、逆に興味深く感じまし
た。しかし、自ら取り下げたと受け止められるので、ではスルーします。
あ・・・うーん・・・ということは、私の
>>1の一つ目の論にはみなさん同意していただいている、という認識でいいのでしょうか?
つまり『
教育の機会における差別はない。教育の機会は日本の公立高校によって確保されている』という認識で一致して…いますよね?
であれば、まとめに載せ上げるべきかな、と思うので。
自分自身の意見でちょいとおこがましいかなとも思ったりもしますが。
しかし『
日本の高校学校(等)の卒業生と同程度の学力を得る機会』は平等に保障されているという、私の認識に異論がある人はいないと
いうことで・・・・。
*******************************
あとこれは余談ですが、○○府の教■△○○委▽会に直接電話してみました。(いわゆる電凸ですねw)
おおざっぱな話の流れをいいますと以下の通りです。
特定を避けるため、原意を変えない範囲で一部改変(or伏せ字に)している部分があります。
担当者さーん、これ読んでも怒らないでねー!! (´・ω・)(・ω・`)ネー
「朝鮮学校では、教師に「日本の教員資格を取ること」を義務付けてはいないんですか?」
「えー、まあー、○○府として朝鮮学校の教師に、日本の教員資格を取ることを禁止はしていませんが、義務付けてもいません」
「というと、教員資格を持たずに教育している人がいる可能性がある?」
「可能性があるか無いかについて、申し上げる立場ではないので、お答えしかねます」
「知らない、と?」
「知らない・・・というか、私どもの管轄下にある学校ではないので・・・つまりー、まあ私学なんですよ、ねぇ、ただの」
「なるほど。法律的にはそこらのなんとかパソコンスクールと同様の扱いってことですよね?」
「そうそう、そういうことです。そこで行われることに私どもは・・・関わらないというか・・・」
「そちらは○○府下の教育について少なからぬ監督責任を負っているところですよね? そこが預かり知らぬところということは…」
「いやいや、あずかり知らぬ、というか、まあ、そういう学校だ、ということです」
「どういう学校ってことなんですか?」
「つまり・・・私学です」
「ふむ・・・なるほど、わかりました。ありがとうございます」
「いえいえどうもどうも」
他にも色々話しましたが、印象に残った部分はこんな感じでした。
エビチリさんの
>>221の教員資格に関する部分や朝鮮学校は公の支配を受けていないあたりの書き込みを、一部裏付ける情報を得たので
その旨書き込みます。といって、録音などはしていないので、○ちゃんねる風に「zipでくれ」とか「うpも無しに○○とな?!」と言わ
れても対応できません(たまには冗談を言わせて下さい)
結構ねぇ・・・私は確認したがりなんですよ。このスレの私の主張も、憲法関連は近しい弁護士事務所に確認したりしてます。
>>エビチリさん
>>elsewhereさん
1つ例を挙げてみます。
各種学校のうち、文部科学大臣が指定する団体に所属する学校です。
無償化の対象校です。
WASCというアメリカの団体の認定を受けているそうです。
クリスチャン・アカデミー・イン・ジャパン
http://caj.or.jp/whoweare/filingcabinet/Philosophy_of_Education-J.pdf
(PDFファイルの教育理念です)
お二人の論じた基準だと対象外になると思うのですがいかがでしょうか。
>>223 elsewhereさん
>金正日であれ、キリストであれ、その人への批判を許すか許さないか?
これは人として平等に扱っているかどうかとは関係ないと思います。
例えばelsewhereさんがあるクラスに転入してきたとします。
そのクラスでは生徒Aに対して学校ぐるみのいじめが発生しているとします。
ここでelsewhereさんにいじめの批判を許す許さないが、学校の生徒Aに対する
人としての平等性を左右するなどということがあるのでしょうか。
たぶんelsewhereさんは
「人は平等として扱わない」→「平等を教育しない(不平等を教える)」
の教育しているかいないかも含めた話をしているのだと思います。
※違ったらご指摘ください。
だとしたらミッションスクールは平等を教育しているのかどうかが論点に
なるのだと思います。
>>243 ぬさん
>お二人の論じた基準だと対象外になると思うのですがいかがでしょうか。
申し訳ありませんが、なぜそう考えるのかを書いていただけますか。
できれば、私が書いた文章をレス番つきで引用していただけるとありがたいです。
もしかすると、私の書いたこととelsewhereさんの書いたことを混同してしまっている可能性があるので。
ところで一つ確認したいことがあります。
>無償化の対象校です
とありますが、これは本当ですか?
就学支援金の対象ではなく?
>>240 quppaさん
少し言い方がまずかったですかね。
議論において、「朝鮮学校の無償化除外は差別であるか?」の『
論点』はあくまでも『
差別であるかないか』です。
(そういう意味で「最終的には」という言い方をしました。)
それが意思決定の場であろうと議論の場であろうと同じことです。
>たとえば、議論の場においてある人が、「2079608051741は素数ではない。なぜなら、54789367×37953に等しいからだ」と主張したとしましょう。これに反論するためには、「2079608051741は素数である。」と主張しなければならないのでしょうか。そうではなくて、「54789367×37953=2079420845751だから、2079608051741が素数でないとは現状では言えていない」という主張は許されると考えるのが自然ではないでしょうか。
たしかにそういった主張はあり得るでしょう。しかも議論においてそういった主張はとても重要なものです。
しかし、それはあくまでも議論の過程に過ぎません。
「2079608051741は素数ではない。」か「素数である」かを論じるために、「素数ではない」とする論拠として提示されたものが正しいかどうかを確認する作業、すなわち議論の通過点でしかありません。
『
「素数である」か「素数ではない」かを論じるのが議論である。というのが私の主張です。』
結果的に、素数であるかないかの論理的な立証ができなかった、要するに、「素数ではないともあるともいえない」との結論に至ることは、現実の議論では大いにあり得ますが、あくまでも論じるのは(論じたいのは)『
素数であるかないか』なのです。
>つまり、議論の場においては、「Aである」と主張する人は「証明者」であり、それに対する反論は、通常「Aではない」ではなく、「Aであるとは現状では言えていない」という「検証者」の立場からのものになるはずです。もちろん、別の人が「Aではない」と「証明者」の立場で主張をした場合に、同じ「検証者」が「Aでないとは現状では言えていない」との反論を提出することもまったく問題ありません。
そういう主張は当然ありです。しかも議論にとってそういった主張はとても重要なものです。
しかし、厳密にいえばそれは『
反論』ではありません。
反論とは文字通り『
反対の論』ですので、「素数である」の反論は「素数ではない」です。
quppaさんの主張は、「素数ではない」の論拠が正しいかどうかを確認(検証)している、又は「素数ではない」と主張する側に対して「貴方の論拠は成り立っていませんよ」と忠告しているだけなのです。
「素数である」か「素数でない」かを論点とする議論には直接的には参加していないのです。
第三者的な立場からただ問題提起をしているに過ぎず、『
素数であるかないかを論点とする議論に対しては、自らの意見を何ら表明していない』のです。
ここからはやや感情的な意見というか、私の感想になりますので、聞き流してもらっても結構です。
他のスレでもそうなのですが、quppaさんの主張は「検証」「忠告」といった内容の意見が多く、「○○とは言えないのでは?」といった意味合いの主張が多く感じられます。
「○○である」か「○○ではない」を論点とする議論に対して、論点に対する自らの意見は表明せず、議論を建設的に進めようとする意図もあまり見られず、ただ単に「検証者」「忠告者」としての立場からで、論点に対して意見を表明した者の論拠を崩すことだけを目的に議論しているようにも感じます。
先ほども言いましたが、「検証者」としての意見は議論においてとても重要だとは思っていますが、ただ私のような感想が、人によって「議論を混乱させている」と感じるのかも知れません。
あと、議論の相手が、「自分の意見を聞いた後、こちらの意見を支持してくれるだろうか」「本当にこの説明で相手が理解できるだろうか」という視点に欠けているとも感じます。
私はquppaさんを評価していますので、すごく勿体無いと思っています。
まあ、私に評価されたからどうだって話ですし・・・人によって「議論のスタイル」といったようなものもあるでしょうから、これ以上は何も言いません。
>>しかし、これに答えたとしても、次に「何故、○○という能力を得る機会を均等に与えたいのか?」が明確でなければ根拠が合理的だとはいえないという論が成り立ちます。
>
>とりあえず、「○○という能力」の部分が「高等学校等によってなされる教育によって習得される能力」のような意味的に循環が生じるようなものである否かが、厳密にチェックされることと思います。この意味で、まずは、循環の生じないような○○が提出されているかどうかという点が重要ではないでしょうか。
えっと、上記を「合理的な根拠の公理として設定するかどうか」についての議論は、他の人にお任せします。
元々私は、『
高等学校等の無償化が差別であるかないか』を論点とする議論をするつもりはありません。
「朝鮮学校の無償化除外は差別であるか」を論点とする議論に注力します。
>>245 一般人さん
>『「素数である」か「素数ではない」かを論じるのが議論である。というのが私の主張です。』
私はそうは思いません。「素数である」あるいは「素数ではない」と証明したと主張し反論の募集をする者が現れて初めて議論が開始されるのであって、それ以外には、議論は生じ得ません。
意思決定の手段として議論を用いる場合においても同じことです。意思決定には、印象操作や根回しなど、議論とは相容れない有用な手段も多数存在するため、議論と名乗るためには、それらを排除し、議論の流儀を厳密に保つ必要があります。
>結果的に、素数であるかないかの論理的な立証ができなかった、要するに、「素数ではないともあるともいえない」との結論に至ることは、現実の議論では大いにあり得ますが、あくまでも論じるのは(論じたいのは)『素数であるかないか』なのです。
背後に意思決定という目的をもっている人はそうでしょうけれど、それとは無関係に、議論とは反論の募集であって、「素数である」との証明が提出されれば、募集されるのは「素数ではない」の証明ではなくて、提出された「素数である」の証明における不備の指摘です。「素数ではない」との証明が提出された場合にも、募集されるのは、提出された証明における不備の指摘です。
>反論とは文字通り『反対の論』ですので、「素数である」の反論は「素数ではない」です。
意志決定ではないのだから、議論における主張は「素数であると証明した」(あるいは「素数でないと証明した」)であり、その反論は「素数であるとはまだ証明されていない」(あるいは「素数でないとはまだ証明されていない」)です。
意志決定に主張「素数である」が正しいことの証明は必要ありませんが、議論においては主張「素数である」が正しいことの証明は必要です。そして、反論は、主張「素数である」そのものに対するのもではなく、提出された証明に対するものになります。そして、その反論が成立したときに、暫定的に主張「素数である」は無効となります。
>quppaさんの主張は、「素数ではない」の論拠が正しいかどうかを確認(検証)している、又は「素数ではない」と主張する側に対して「貴方の論拠は成り立っていませんよ」と忠告しているだけなのです。
それが議論の場において提出された主張に対するまっとうな反論というものです。意思決定の場であるなら、話は別のものとなるでしょう。
>第三者的な立場からただ問題提起をしているに過ぎず、『素数であるかないかを論点とする議論に対しては、自らの意見を何ら表明していない』のです。
意思決定の場であるならば、それに参加するためには自らの意見を表明する必要があるかもしれません。しかし、議論の場においては、主張はあくまでも反論の募集であって、反論をする際に自らの意見の表明は必要ありません。もしかして、そのあたりを混同されているのではないでしょうか。
>「朝鮮学校の無償化除外は差別であるか」を論点とする議論に注力します。
つまり、それは「差別的な基準が設定されているか」を議論することに他ならないと思うのですけど?
>>237 一般人さん
ちょっと遠回りかもしれませんが、法律の条文から少し離れて、例え話をしますね。
***********************************************************************
例えばインド人がインドにおいてカースト制度をもって「人は平等ではない」とするインド人社会を営み、インド国内の学校において
同じ教育を行っていても、そこには(すぐには)文句はつけません。それは他国のやり方を認めているからです。
そうして、インド人が日本に住み、日本にインド式の「カースト制度を教育する」学校を運営し始めたとしましょう。
例えば「最下層のカーストに属する生徒は、あらゆる雑務をこなさなければならないし、教育の内容もヒンディー語と日本語のみ。数
学や物理や化学は教えない。それらの高度な教育は、最上層のカーストのみ。最下層のカーストに属する生徒と、最上層に属する属す
る生徒は、同じ教室では学ばず、カーストごとに別の教室で教育する。」
このような学校を運営したとしても、それでも日本は別に文句をいいません。
朝鮮人が大好きな言い方を選べば、「民族のアイデンティティを認めて」いるからです。
ところで日本で高校無償化が始まったことによって、日本にあるインド人学校も「無償化対象になりたいな。でもヒンディー語と日本
語しか教えてない生徒もいるし・・・そうだ! カリキュラムだけは、全生徒に日本のカリキュラムと同等のものを教えよう。ついで
にいうと日本人の生徒も少数なら受け入れるが最下層のカーストね。」としたとします。
すると最下層のカーストも、学力においてだけは最上層のカーストの生徒と同じものが得られるわけです。
しかし『
異なるカーストが同じ教室で学ぶなんてないっしょ。同じ人間じゃないし』と、カースト毎に教室を分け続けたとします。
仮に一般人さんのおっしゃる通り、『
単なる学力を養成するカリキュラムだけが問題』なのであれば、この学校は無償化対象として認
められるでしょう。あなたの主張を、ここでは仮に正しいとして話を進めます。
さて、この学校の最下層のカーストのインド人生徒なりが、『
カーストによる教室分けは差別だ。日本国憲法違反だ』として訴え出た
らどうなるのでしょう?
インド人学校側は『
これはインドのやり方だ。それに教育カリキュラムに差は無い。それは差別ではない』といって、カーストによる
クラス分けを止める気が全くない場合、最終的には日本国内での裁判になり、そうして結末は
『
カーストによる教室分けは差別だから止めなさい』
という判決が出るかと思います。
『
何故なら法の下の平等を謳った憲法に違反しているから』
という理由がつくと思います。
***********************************************************************
上記たとえ話は、単に私の頭の中のロジックに従って組み立てられたものですから、私は妥当な話だと思っています。
そうして最下段の部分
「最下層のカーストの生徒が、カーストによる教室分けは差別だ、と訴えたら、おそらくその訴えは認められるだろう」
これも私は大きな必然性のある、言うなら妥当な話だと思っています。
『
そうして、カーストによるクラス分けが差別だとして禁止される理由は、それが憲法14条に違反しているからだ』
となると私は思っています。
憲法14条に違反していると認定され、「差別を止めなさい」と命令を受けた学校が、もし差別を止めなかったら、最終的には無償化対
象校としての資格を失うでしょう。これも私が思っていることです。
つまり、具体的には上記のような流れで、
『
無償化法に書いてなくても憲法による拘束を受ける。人は平等では無いと教える学校は、無償化対象としてはならない』
と考えているのです。
法律解釈論でいくと、話がややこしくなると思い、上記例え話をしてみました。
いかがでしょうか? 上記たとえ話は、一般人さんが解釈すると違う結末になりますか?
「身分制度によるクラス分けは妥当。それは差別ではない」となるでしょうか?
カーストによるクラス分けは妥当だし、もしそれを禁止したければ、
『
カースト(身分)によるクラス分けを行う学校は無償化対象としない、と、無償化法に明記しなければならない』
とおっしゃるでしょうか? いやそんなことは無いだろうと思いながらこれを書いたのですが…。
***********************************************************************
余談。
えー…別に、私はどちらかに肩入れするということはないように気を付けていますが…
私も『
高等学校等の無償化が差別であるかないか』を論点とする議論をするつもりはありません。
「朝鮮学校の無償化除外は差別であるか」を論点とする議論に注力します。
何故といって、それがこのスレッドのテーマですから。他のテーマで話をしたい人がもし居たら、それは別にスレッドを立ててそこで
やって下さいと思います。
一般人さんとは意見が違いますが、違うからこそでしょうか、素晴らしい議論が成立している感じが私には凄くします。
>>244 エビチリさん
>ところで一つ確認したいことがあります。
>>無償化の対象校です
>とありますが、これは本当ですか?
>就学支援金の対象ではなく?
あ、すいません。そこは無償化法と解釈してください。
・・・・。
嘘です。
ごめんなさい。
完全に僕の勘違いでした。
ああああ恥ずかしい!
ずっと「各種学校のうち高等学校に類する課程を置くもの」を無償化の
対象と思ってました。
>>お二人の論じた基準だと対象外になると思うのですがいかがでしょうか。
>申し訳ありませんが、なぜそう考えるのかを書いていただけますか。
>できれば、私が書いた文章をレス番つきで引用していただけるとありがたいです。
>もしかすると、私の書いたこととelsewhereさんの書いたことを混同してしまっている可能性があるので。
自らの恥を掘り返す覚悟で説明させていただくと
>>216の私立学校も私立高校として、
無償化法第1章第2条第1項の高等学校等の内の高等学校ということで、各種学校とは
別カテゴリの話と捉えていました。
そして勘違いの下、
>例えばぬさんが指摘された問題に関して、教育基本法第十五条2には、「国及び地方公共団体が設置する学校は、特定の宗教のための宗教教育その他宗教的活動をしては
ならない」とあります。
>ついでに憲法第二十条3にも、「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない」とあります。
この部分から「各種学校のうち高等学校に類する課程を置くもの」もインターナショナルスクールと
ミッションスクールを分けて考えなければならないのではと思いました。
全ては僕の勘違いから生じたこと。
>>243は気にしないでください。
>>223 elsewhereさん
せっかくちゃんとレスを頂いたのに申し訳ないのですが、
>>249に詳細を書いた通り
僕の勘違いからの指摘でした。
>>243もスルーして下さい。
すいません。
>>1
>差別というものの定義を「根拠のない区別」とし、例えば「能力に差はないが、朝鮮人だから就職面接において採用しない」というようなことを差別とします。
つまり、「輩出する卒業生の能力には差はないが、高等学校等の基準を満たしていない学校だから無償化しない」というようなことを差別と定義しているのでしょうか。
もしそうだとしたら、朝鮮学校の無償化除外が「差別」かどうかについては、朝鮮学校が高等学校等の条件を満たすかどうかが論点なのではなく、朝鮮学校と高等学校等における卒業生の能力の差の有無についてこそが論点であるような気がします。
>>247 elsewhereさん
以下は二つの法律の条文の抜粋です。
貴方の主張が正しいのであれば、何故このような条文が存在するのでしょうか?
例えば、結婚差別などもそうですが、人種を理由にお見合いを断った場合は、憲法違反でしょうか?
===========================================
労働基準法
(均等待遇)
第3条 使用者は、労働者の国籍、信条又は社会的身分を理由として、賃金、労働時間その他の労働条件について、差別的取扱をしてはならない。
男女雇用機会均等法
(性別を理由とする差別の禁止)
第五条 事業主は、労働者の募集及び採用について、その性別にかかわりなく均等な機会を与えなければならない。
第六条 事業主は、次に掲げる事項について、労働者の性別を理由として、差別的取扱いをしてはならない。
一 労働者の配置(業務の配分及び権限の付与を含む。)、昇進、降格及び教育訓練
二 住宅資金の貸付けその他これに準ずる福利厚生の措置であつて厚生労働省令で定めるもの
三 労働者の職種及び雇用形態の変更
四 退職の勧奨、定年及び解雇並びに労働契約の更新
===========================================
わかりやすいように少し事例を紹介します。
国籍を理由に賃貸住宅への入居を断る例で訴訟になるケースが結構ありまして、代表的な2つの事例を紹介します。
まず、「大阪入居差別事件」です。
この事例では、不法行為の成否についても争われ、当該争点に対する大阪地裁の判決では
『
各基本的人権の保障規定は、対公権力関係の規範であって、私人相互間の法律関係に直接適用されるわけではない。』
また、『
国際人権規約の各規定が国内的効力を有する法源として機能するのは、国ないし地方行政機関がその趣旨に沿った立法行政上の措置を取るべきことを要請する面にとどまり、私人相互間に直接作用するものではないものと解される。』
とし、憲法の人権規定及び国際人権規約の適用を完全に否定しています。
ただし、この裁判では、原告が契約成立を信頼した(手付金を支払っていた)にも関わらず、合理的な理由なく契約締結を拒否したことが『
信義誠実の原則』に反するとし、『
民法の不法行為責任』に基づき、被告に慰謝料を求め、原告の請求を一部認めるかたちとなりました。そして同様の事例で「京都入居差別事件」が似たような判決が下されています。
もうひとつの事例は、elsewhereさんの主張の根拠を強化する例です。
結構有名な判例で「尼崎入居差別事件」と呼ばれるものです。
この裁判の神戸地裁尼崎支部の一審判決では、
家主は「韓国籍であることを理由に入居拒否した」と認定し、『
国籍を理由として賃貸契約の締結を拒否するものといえるから何ら合理性を有しないものとして、憲法14条1項の禁止する差別に当たるといえる不合理な差別であって社会的に許容しえる限度を超えているというべきである。』とし、続く大阪高裁の二審判決でも一審判決を追認しました。
この例は、外国籍を理由とする入居拒否について、憲法14条を根拠に原告の損害賠償請求を認めた画期的な判決として当時大変持てはやされました。
私とelsewhereさんの見解の違いは、つまるところ上のどちらの判例を支持するか?ということだと思います。
私は、大阪と京都の判例を支持します。理由は、論理的にも筋が通っているし、納得できるからです。
また、下の事例は、当時市民団体系の方々から「画期的な判決だ」と持てはやされるほどでしたので、elsewhereさんが思っておられるほど主流で当たり前な考え方ではなかったことが推測されます。
また、「憲法第14条1項に違反する」ではなく「憲法第14条1項の趣旨に反する不合理な差別であって、社会的に許容される限度を超えている。」という表現、「趣旨に反する」「社会的に許容される限度を超えている」といった部分に、裁判官も頑張って判決文を書いたんだろうなぁと推測される跡が見え隠れしています。
蛇足ですが、私、国籍を理由に賃貸住宅への入居を拒否する行為を肯定するわけではありません。
それを咎めるのであれば、労働基準法や男女雇用機会均等法のように、借地借家法にでも差別的扱いを禁止する旨を定めるべきだと考えます。
>>246 quppaさん
この議論も面白そうなので議論の仕方スレででも続きをやりませんか?
ここでは明らかにスレ違いなので・・・
ここが議論をするスレッドであることを信じて、もう一度書いておきます。
>>1において、「差別」の定義は、
>差別というものの定義を「根拠のない区別」とし、例えば「能力に差はないが、朝鮮人だから就職面接において採用しない」というようなことを差別とします。
と与えられています。つまり、
「『
事業への貢献ができる労働能力』に差はないが、『
朝鮮人ではない』という基準を満たしていないのだから就職面接において採用しない」
が差別ならば、
「『
日本社会への貢献ができる卒業生の輩出能力』に差はないが、『
高等学校等である』という基準を満たしていないのだから無償化しない」
も差別となるでしょう。
このスレッドでは、はたしてこの指摘に対してきちんと反論がなされているでしょうか。
>>254 quppaさん
>「『日本社会への貢献ができる卒業生の輩出能力』に差はないが、『高等学校等である』という基準を満たしていないのだから無償化しない」
>
>も差別となるでしょう。
つまりあなたはこう言いたいのですね。
「大学や大学院、ロースクールなども無償化すべきだ」と。
しかしそれは本スレの議題とは全く別の話になるので、別スレを立てたらどうですか?
>>255 エビチリさん
>「大学や大学院、ロースクールなども無償化すべきだ」と。
私はそれらの学校が無償化されないことについて「差別なのでは?」との意見を聞いたことがありませんけど、ほとんどの人が、それらの学校と高等学校等において日本社会への貢献できる卒業生の輩出能力に「区別に値するだけの差」があると感じているからなのではないでしょうか。
一方、朝鮮学校と高等学校等については「区別に値するだけの差」がないと感じる人がいるからこそ、「差別なのでは?」との意見が存在しているような気がします。
>しかしそれは本スレの議題とは全く別の話になるので、別スレを立てたらどうですか?
上に書いた意味で、なぜエビチリさんがわざわざ、大学や大学院やロースクールといった無関係なものを導入されたのか非常に疑問です。無関係なものを自ら導入して、それを根拠にスレの議題と無関係との結論を導くというのは、いったい何を意図されてのことなのでしょうか。
>>256 quppaさん
>ほとんどの人が、それらの学校と高等学校等において日本社会への貢献できる卒業生の輩出能力に「区別に値するだけの差」があると感じているからなのではないでしょうか。
つまり、「日本社会への貢献できる卒業生の輩出能力」が高すぎてもダメということですか?
>上に書いた意味で、なぜエビチリさんがわざわざ、大学や大学院やロースクールといった無関係なものを導入されたのか非常に疑問です。無関係なものを自ら導入して、それを根拠にスレの議題と無関係との結論を導くというのは、いったい何を意図されてのことなのでしょうか。
大学とかって、「『
高等学校等である』という基準を満たしていない」ですよね。
なのになんで無関係なんですか?
>>257 エビチリさん
>つまり、「日本社会への貢献できる卒業生の輩出能力」が高すぎてもダメということですか?
「ダメ」とはどのようなことを尋ねられているのでしょうか。
>大学とかって、「『高等学校等である』という基準を満たしていない」ですよね。
>なのになんで無関係なんですか?
このスレでは、朝鮮学校が高等学校等と比較して「能力に差がない」のに高等学校などではない「から」無償化「しない」という形になっている可能性を否定できるかどうかが論点なので、「大学とかが高等学校等と比較して」という話題は、それこそ別スレッドでということになるように思いますが。
>>258 quppaさん
>「ダメ」とはどのようなことを尋ねられているのでしょうか。
無償化に値しないのかということです。
>>大学とかって、「『高等学校等である』という基準を満たしていない」ですよね。
>>なのになんで無関係なんですか?
>
>このスレでは、朝鮮学校が高等学校等と比較して「能力に差がない」のに高等学校などではない「から」無償化「しない」という形になっている可能性を否定できるかどうかが論点なので、「大学とかが高等学校等と比較して」という話題は、それこそ別スレッドでということになるように思いますが。
「能力に差がない」ことは証明されていないのに、それを前提で話されても困ります。
それと、なぜquppaさんの言い分がスレ違いかと言いますと、このスレは大前提として、「高校無償化法案」を認めています。
あくまで、「無償化するのは高校だけ」です。能力云々の前に、高校であることが無償化の大前提です。
ですので、もし朝鮮学校も無償化すべきだと論じるならば、「朝鮮学校も高校に含めるべきである」ことを示せばいいんです(正確には、「高等学校に類する課程を置くもの」ですが)。
これなら、現行の無償化法案を認めた上で、朝鮮学校を無償化できることになります。
ところがquppaさんはそうせずに、朝鮮学校が高校ではないことを認めてしまっているんですよね。
その上で、「朝鮮学校は高校じゃないけど無償化しろ」と主張している。
これはつまり、高校無償化という法律そのものを認めないことになります。
もっと言えば、「高校だけを無償化するのは差別である」と主張していることになります。
だからスレ違いなのです。
現行の「無償化法案」を認めるか認めないかは大きな分岐点であり、このスレではそれを認める立場にあります。
だからこそ、一般人さんは
>>245で、「元々私は、『
高等学校等の無償化が差別であるかないか』を論点とする議論をするつもりはありません」とおっしゃっているのです。
ところで、「「『
日本社会への貢献ができる卒業生の輩出能力』に差はないが、『
高等学校等である』という基準を満たしていない」学校は、大学や大学院などいくらでもありますよね。
なのに、この理屈で朝鮮学校だけを無償化しろというのなら、それこそ差別になりますよね。
quppaさんは、その差別は気にならないんですか?
気にならないから、大学や大学院は無関係などと言えるのでしょうが。
>>259 エビチリさん
>無償化に値しないのかということです。
そこに興味があるのならば、別スレでもたれられればよろしいかと。
>「能力に差がない」ことは証明されていないのに、それを前提で話されても困ります。
「朝鮮人だから採用しない」という雇い主は、「差別でない」と主張するためには、「朝鮮人以外は事業に貢献する労働能力があるが、朝鮮人にはその能力がない」との価値観を公然と主張する必要があります。「能力に差がない」を証明するのは、雇い主によるその価値観の表明の後でも遅くはありません。
>それと、なぜquppaさんの言い分がスレ違いかと言いますと、このスレは大前提として、「高校無償化法案」を認めています。
その法案の存在は事実です。それが何か?
>あくまで、「無償化するのは高校だけ」です。能力云々の前に、高校であることが無償化の大前提です。
もちろん、雇い主が「採用するのは朝鮮人だけ」と決めれば、朝鮮人でないことが採用の大前提です。
>ですので、もし朝鮮学校も無償化すべきだと論じるならば、「朝鮮学校も高校に含めるべきである」ことを示せばいいんです(正確には、「高等学校に類する課程を置くもの」ですが)。
なので、朝鮮人であるある人物も採用すべきだと論じるならば、「その人物も朝鮮人でないものと扱うべきである」こと(言いかえると、雇い主が設定している「朝鮮人以外」の基準を別のものに変えるべきであること、つまり、基準が差別的であること)を示せばいいわけで、それって、「この人物は朝鮮人にもかかわらず朝鮮人以外と同程度に事業に貢献する労働能力をもっているように思えるけれど、本当に、朝鮮人以外は事業に貢献する能力があるが、朝鮮人にはその能力がないと言い切れるの?」と尋ねれば十分なわけです。もちろん、雇い主が「差別しても構わない」という価値観の持ち主ならば、話は別ですけど。
>これなら、現行の無償化法案を認めた上で、朝鮮学校を無償化できることになります。
もちろん、採用基準が是正されれば、朝鮮人であるある人物も採用できることになります。しかし、雇い主が「差別しても構わない」という価値観の持ち主ならば、採用基準が是正されることもなければ、その人物が採用されることもないでしょう。
>ところがquppaさんはそうせずに、朝鮮学校が高校ではないことを認めてしまっているんですよね。
朝鮮人であるある人物も、朝鮮人であることは変えようがありません。
>その上で、「朝鮮学校は高校じゃないけど無償化しろ」と主張している。
「その人物は朝鮮人だけれど採用しろ」と主張して、何か問題でもあるのでしょうか。
>もっと言えば、「高校だけを無償化するのは差別である」と主張していることになります。
ん?「朝鮮人以外だけを採用するのは差別である」との主張は
>>1の定義
>差別というものの定義を「根拠のない区別」とし、例えば「能力に差はないが、朝鮮人だから就職面接において採用しない」というようなことを差別とします。
に何ら矛盾していないように思えますが?
>だからスレ違いなのです。
矛盾点を指摘することなしに、そのような主張をしていることこそが、スレ違いなのではないでしょうか。
>現行の「無償化法案」を認めるか認めないかは大きな分岐点であり、このスレではそれを認める立場にあります。
雇い主が「朝鮮人以外を採用する」と決めてしまえば、その決定の存在そのものは認めるほかないけれど、そのことと、その決定が「差別なし」に行われたかどうかは別の話です。
>だからこそ、一般人さんは>>245で、「元々私は、『高等学校等の無償化が差別であるかないか』を論点とする議論をするつもりはありません」とおっしゃっているのです。
「差別」に関して
>>1で与えられた定義のもとで議論をするつもりがないのならば、去ればいいだけのことです。
>ところで、「「『日本社会への貢献ができる卒業生の輩出能力』に差はないが、『高等学校等である』という基準を満たしていない」学校は、大学や大学院などいくらでもありますよね。
>なのに、この理屈で朝鮮学校だけを無償化しろというのなら、それこそ差別になりますよね。
何度もいいますが、私にはエビチリさんのその論法がよく解らないわけです。
朝鮮人のある人物が採用されるように基準が是正されたならば、その是正された基準を満たす人物は、たとえその人物でなくてもだれでも採用されます。朝鮮人で別の人物に関して似たような議論が起こることもあるでしょう。そして、是正された基準は互いに異なるものとなる可能性もあります。しかし、それらは別の議論であって、同時にする必要はありません。もしも大学や大学院が差別されていると感じる人がいれば、そのことに関する議論は自然に発生することでしょう。ただそれだけのことと思います。
>>260 quppaさん
>「差別」に関して>>1で与えられた定義のもとで議論をするつもりがないのならば、去ればいいだけのことです。
では伺いましょう。
>「朝鮮人だから採用しない」という雇い主は、「差別でない」と主張するためには、「朝鮮人以外は事業に貢献する労働能力があるが、朝鮮人にはその能力がない」との価値観を公然と主張する必要があります。
これは、
>>1のどこに書いてあるのでしょうか。
仮にもご自分から「
>>1で与えられた定義のもとで議論をするつもりがないのならば、去ればいい」とおっしゃたのですから、もしquppaさんのおっしゃる差別の定義、すなわち、「差別でないと主張するためには、価値観を公然と主張する必要がある」が
>>1で与えられた定義にないのなら、このスレからquppaさんは去るのですよね。
>>252 一般人さん
【論点1】
>貴方の主張が正しいのであれば、何故このような条文が存在するのでしょうか?
何故このような条文が存在するのか? 私の考えは、「特別にどうしても明示したかったから」です。
まずもって、憲法14条1項そのものがそうですよね?
「すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差
別されない」
単に『
すべて国民は、法の下に平等である』とだけ書けばそれで済むところを、わざわざ8つの項目を挙げています。特別に明示した
かったからです。「8つの項目以外は差別には関係無い」と言っているのではなく、『
いろいろあるけど、例えばこの8つね』という意
味です。憲法がそうである以上、それより下位の法律にも、そのようなことはあってもおかしくないです。
(人によっては「この8つが特に重要」という人もいますが。しかし「8つだけしかない」という人は皆無です)
労働基準法のように、わざわざ明示したければしてもいい。逆に、借地借家法のように、わざわざ書かなくてもいい。しかし14条の拘束
を受けることは同じであって、14条に違反していたら、裁かれる(こともある)。
(詳細な最高裁判所の見解は、下記※注1参照)
そこで改めて確認します。
>>247で私が提示した「カースト制によるクラス分けを行う学校の例え話」について、あなたは以下のどの意見になるのでしょうか?
1.身分制度によるクラス分けは妥当。それは差別ではない。
2.身分制度によるクラス分けは、無償化法に「身分制度によるクラス分けを行う学校は無償化対象としない」と書かれているか否かに
依存する。憲法に書かれているかいないかは関連がない。つまり、無償化法は憲法より上位に位置する。
3.身分制度によるクラス分けは、差別。
4.その他(ご自由な見解をお書き下さい)
【論点2】
賃貸住宅への入居を断り、裁判になった例を3例出していただきましたが、これは全て「私人 対 私人」の話ですね。
その意味で、一般人さんが引用した
>『各基本的人権の保障規定は、対公権力関係の規範であって、私人相互間の法律関係に直接適用されるわけではない。』
という考え方には、私も同意するものです。
しかし、無償化法を定めたのは私人ではなく立法の府です。この定めに従って無償化手続きを行うところが行政ですよね。これに対して
「差別ではないか? 差別無くやってよ」という主張、これは、ズバリ民(私人)からの「立法行政に対する差別の訴え」ですよね?
私人対私人の事例は、この場の議論とはちょっと外れていると考えます。
【※注1】
憲法14条1項は,法の下の平等を定めており,この規定は,事柄の性質に即応した合理的な根拠に基づくものでない限り,法的な差別
的取扱いを禁止する趣旨であると解すべきこと(最高裁昭和37年(オ)第1472号同39年5月27日大法廷判決・民集18巻4号
676頁,最高裁昭和45年(あ)第1310号同48年4月4日大法廷判決・刑集27巻3号265頁等)。
*******************************************************************
【余談】
>>259 エビチリさん
私は、論にならない論を並べたい人がいれば、並べればいいと思っています。その論がおかしなものであれば、このスレッドを訪れてく
れている読者諸賢にはそのことはよくわかってくれていると思います。
一般人さんの尽力によって、一旦は私も「これはなにかあるかな」と思ってみましたが、そこには見るべきものは何もありませんでし
た。
そこで、論を磨き合う相手として信頼できるエビチリさんに私は話しかけます。
このサイトの趣旨に則り、本題に戻って話し合いましょう。とりあえず、まとめを少し更新したので、ご覧ください。
もし修正した方がいい点があれば、是非ご指摘ください。
>>250 ぬさん
おー、私自身、恥ずかしい間違いをこのスレッドでいっぱいしていますw
中でも一般人さんに
>>147で指摘された時は、身悶えして苦しんだものですヽ(`Д´)ノウワアアアン
そのほかにもあちこちで顔を真っ赤にして恥ずかしい思いをしています。
なので今後とも、「あれ? おかしくね?」と気になる点があれば、遠慮なくご指摘くださいー(〃▽〃)
>>261 エビチリさん
>これは、>>1のどこに書いてあるのでしょうか。
つまり、
>>1によれば、「差別をしても構わない」との価値観をもたない雇い主が「差別なのでは?」と問われたら、「差別なし」を主張するためには、「朝鮮人以外と朝鮮人とでは(事業に貢献する労働)能力に差がある」ことを証明する必要があります。
しかし、雇い主側がいくら証明を提出したとしても、「その証明で本当に証明したことになっているのか?」との疑問が提出されれば、(「差別をしても構わない」との価値観をもたないがゆえに)そのことについての証明も提出する必要が生じ、その証明を提出しても、また「その証明で本当に証明したことになっているのか?」との疑問が提出されれば、、と切りがありません。
この状況を打開するためには、「朝鮮人以外と朝鮮人とで(事業に貢献する労働)能力に差はある(もし差がないと主張する人がいるのならば、その結論を導くことのできる論法を提出できるはずだ。出せるものなら出してみろ)」との価値観を表明するのと引き換えに証明者としての役割を回避し、検証者としての立ち位置をとるくらいしかないのでは?というのが私の解釈なわけです。
もちろん、価値観の表明という方法以外に、「その証明で本当に証明したことになっているのか?」との疑問に永遠に証明を提出し続けなければならない状況を打開するための他の方法が誰かから提出されれば、その方法のもとに
>>1の定義を解釈する必要があるのかもしれません。しかし、その方法はまだ誰からも提出されていないのではないか?というのが私の主張です。
まとめにある「意見の相違が無い(or当初は相違があっても、それが収斂し、ほぼ同一の見解に落ち着いた)点」において反論なしに無視されている論点を、
>>1における「差別」の定義
>差別というものの定義を「根拠のない区別」とし、例えば「能力に差はないが、朝鮮人だから就職面接において採用しない」というようなことを差別とします。
に対応付けて、まとめておきたいと思います。
>教育の機会における差別はない。教育の機会は日本の公立高校によって確保されている。
「就職の機会における差別はない。就職の機会は日本人への帰化によって確保されている」との主張のもとに「朝鮮人だから不採用」とすることは、
>>1で定義されている「差別なし」の概念に本当に適うのか?
>朝鮮学校が日本が定める「高校」としての基準の教育に満たないこと
「ある人物が雇い主が定めた「朝鮮人以外」としての基準の人物に満たない」のが事実であったとして、その事実と「その人物をその基準のもとに不採用とすること」が「差別なし」か否かという論点と間に、いったいどのような関係があるのか?
もしも関係がないのならば、その事実をあえて挙げたとしても、印象操作的な効果くらいしか得られないのではないか?(もちろん、議論をしているのではなく、多数派形成等を意図しているのならば、その効果は重要なのでしょうけれど)
>朝鮮学校を無償化することによる、日本社会のメリットは無い。
「朝鮮人を採用することによる、雇い主の事業におけるメリットは無い」は、いったい誰が主張しているのか?
少なくとも雇い主がそれを主張したのでなければ、雇い主における差別的意図の存在を否定したことにはならないのではないか?
>>262 elsewhereさん
>私は、論にならない論を並べたい人がいれば、並べればいいと思っています。その論がおかしなものであれば、このスレッドを訪れてく
>れている読者諸賢にはそのことはよくわかってくれていると思います。
>一般人さんの尽力によって、一旦は私も「これはなにかあるかな」と思ってみましたが、そこには見るべきものは何もありませんでし
>た。
>そこで、論を磨き合う相手として信頼できるエビチリさんに私は話しかけます。
>このサイトの趣旨に則り、本題に戻って話し合いましょう。とりあえず、まとめを少し更新したので、ご覧ください。
>もし修正した方がいい点があれば、是非ご指摘ください。
そうですね。いい加減本題に則った話をしましょう。
まとめに関して気になった点は、「現在議論されている主な論点」です。
『
憲法14条1項において、人は平等ということが保障されているが、その憲法のもとで、「人は不平等である(金正日は現人神)」という教育を行う朝鮮学校を無償化の対象とすることが許されるか?』という問いについてですが、これは、憲法ではなく学習指導要領を見るべきだと考えます。
なぜかといいますと、各種学校である外国人学校を無償化対象とする場合には、「高等学校の課程に類する課程を置くもの」に該当していることが示されなければなりません。
では、そもそも「高等学校の課程」とはなんでしょうか。それは、学習指導要領に規定されています。
この学習指導要領に即したカリキュラムを組む学校が、いわゆる一条校として認定される、すなわち、高校扱いされるわけです。
つまり、学習指導要領を守っていることが、高等学校の課程に即していることを担保するわけです。
よって、各外国人学校が「高等学校の課程に類する課程を置くもの」に該当するかどうかを見極めるためには、学習指導要領と照らし合わせて、概ね学習指導要領の規準と合致していることを確認すればよいのです。
ようやく本題に入ります。
朝鮮学校の教育方針は、「高等学校学習指導要領 第1章 総則」の、「道徳教育は,教育基本法及び学校教育法に定められた教育の根本精神に基づき,人間尊重の精神と生命に対する畏敬の念を家庭,学校,その他社会における具体的な生活の中に生かし,豊かな心をもち,個性豊かな文化の創造と民主的な社会及び国家の発展に努め,進んで平和的な国際社会に貢献し未来を拓く主体性のある日本人を育成するため,その基盤としての道徳性を養うことを目標とする。」に抵触していると考えられます。
これは非常に大きな問題です。必修科目である「情報」をやらないとか、そんなレベルではありません。
高校として目指すべき大枠そのものに反しているのです。これでは、「高等学校の課程に類する課程を置くもの」に該当するとはとてもいえません。
よって、「無償化法には、「対象校は「人は平等と教える学校だけ」という条文は存在しない。であれば、人は不平等と教える学校であっても、無償化から除外してはならない」という意見は無意味だと私は主張します。
対象校は「人は平等と教える学校だけ」という条文は存在しませんが、代わりに、「高等学校の課程に類する課程を置くもの」と明記されています。
つまり、朝鮮学校を無償化するためには、「高等学校の課程に類する課程を置くもの」であることが証明されなければなりませんが、それは今のところされていません。
むしろ、上記のように、「高等学校の課程に類する課程を置くもの」ではないことが示されています。
この主張に対し適切な反論がなければ、「現在議論されている主な論点」の内容を削除した上で、上記の議論の大枠を「差別ではないとする意見」に加えていただければと思います。
面白いことになってきたように思います。
>>262 elsewhereさん
の
>私は、論にならない論を並べたい人がいれば、並べればいいと思っています。その論がおかしなものであれば、このスレッドを訪れてくれている読者諸賢にはそのことはよくわかってくれていると思います。
これってもはや議論の流儀ではないですね。論がおかしなものであれば、いくらでも反論できるわけで、多数派が解ってくれればいいというのは、合意形成や意思決定などの過程においてよく見られるような議論とは相容れない姿勢の一つだと思います。
>>266 エビチリさん
の
>そうですね。いい加減本題に則った話をしましょう。
についても、おそらくその本題とやらは、
>>1に定義されている「差別」の定義とは別の「差別」についてのことなのでしょう。ならば、「差別」をきちんと定義し直せばいいのに、それもしないというのは「看板に偽りあり」の状況になっているように思えます。
はたして政治問題を扱うこのスレッドが議論の形を維持できるのかどうか、なかなかに見物だと思います。
>>262 elsewhereさん
>
>憲法14条1項は,法の下の平等を定めており,この規定は,事柄の性質に即応した合理的な根拠に基づくものでない限り,法的な差別的取扱いを禁止する趣旨であると解すべきこと(最高裁昭和37年(オ)第1472号同39年5月27日大法廷判決・民集18巻4号676頁,最高裁昭和45年(あ)第1310号同48年4月4日大法廷判決・刑集27巻3号265頁等)。
ここにハッキリ書いてあるじゃないですか、「法的な差別的取扱いを禁止する趣旨であると解すべき」と
といってもここの解釈が違うでしょうねぇ。
ひとつ質問です。
例えばですが、私に子供がいたとします。私は子供に外国人を差別するよう教えています。
私に子ども手当を支給するのは憲法違反ですか?
>>268 一般人さん
>>憲法14条1項は,法の下の平等を定めており,この規定は,事柄の性質に即応した合理的な根拠に基づくものでない限り,
>>法的な差別的取扱いを禁止する趣旨であると解すべきこと(最高裁昭和37年(オ)第1472号同39年5月27日大法廷判決・
>>民集18巻4号676頁,最高裁昭和45年(あ)第1310号同48年4月4日大法廷判決・刑集27巻3号265頁等)。
>
>ここにハッキリ書いてあるじゃないですか、「法的な差別的取扱いを禁止する趣旨であると解すべき」と
>といってもここの解釈が違うでしょうねぇ。
>
>ひとつ質問です。
>例えばですが、私に子供がいたとします。私は子供に外国人を差別するよう教えています。
>私に子ども手当を支給するのは憲法違反ですか?
ふむ…おっしゃることもよくわかります。解釈が違うのでしょうねぇ。
それに、質問頂いた「私に子ども手当を支給するのは憲法違反ですか?」これは私の答えは「憲法違反じゃない」です。
何故憲法違反じゃないか? う〜ん…ここまで考えて、あなたのおっしゃることにも一理あるように思い始めました。
するとあなたのおっしゃることが正しいのかな…?
これは、私も謙虚に「自分の解釈が正しいのか?」を再考してみる必要があると考えました。しばらく時間を頂けますか?
やはり私の中で「当然」とされていることで、しかもそれなりの根拠があると思っていることなので、仮に、万が一、もしかすると間
違っているとしてそれを認識し理解するのには少し時間が必要です。
(一般人さん自身に判例を挙げていただいたように、どちらの見解にも、根拠となる判例がありますから)
熟考した結果、やはり「いや私の解釈でいいのでは?」となる可能性もありますが、しかし今はとにかく少々時間をいただきます。目安
としては、週末まで6日間はじっくり考えてみようと思っています。(長くてスミマセン)
また、よろしければ一般人さんも、私の解釈について一考いただけますか?
特に
>>262で4つのケースを例示しましたが、私の考えるところ、一般人さんの主張をそのまま採用すると、2番目の「無償化法は憲法の
上位に位置する法律」となるように思うのです。(一般人さんの答えが2番になるだろうというのは単なる私の想像ですが)
おそらく、「2番? そんなわけないよ。論拠はこれだよ」と考えていらっしゃって、あえて答えるに値せず、と判断されたのだろう
と想像していますが、それを示していただけると、私の理解も容易になるように思うので。
(もちろん、必ず考えよ! 必ず答えよ! 等と言う訳ではありません。それは一般人さんの自由です。)
********************************************************************
さて、また一方、エビチリさんから実に鋭い意見(
>>266)が出されています。私と一般人さんのやりとりそのものを、根っこからひっく
り返すような意見で、正直私はこちらの内容にも「う〜ん…その通りだなぁ〜…」と唸ってしまいました。
一般人さんも、エビチリさんの意見には一目置かざるを得ないのではと思います。
さて、
>>266を読んでの私自身の意見ですが…エビチリさん、これは参りました! おっしゃる通りですとしか今は言えません。
私自身が頑張って主張してきた「無償化してもらいたかったら人は平等って教えてね」という意見が、今はかすんでしまってます。私の
主張が正しくても正しくなくても、結果がどちらであれ、エビチリさんの論の方が根本的なところで重要な点を突いていると考えます。
その意味で、私は自分の論を一旦引っ込め、エビチリさんの論に同意するものです。
(もちろん、この書き込みの上半分に書き込んだように、考え続けることはしますが)
とにかくエビチリさんの主張をまとめに載せますね。
私なりに
>>266から抜粋して記載しましたが、細かいニュアンスなどに修正点があれば、ご指摘お願いします。
そうして、一般人さんとの「憲法および法律解釈論」が落ち着き次第、「現在議論されている主な論点」から削除することを検討しま
す。それまでしばらくは、念のため残しておきますね。
まとめにあえて
>朝鮮学校が日本が定める「高校」としての基準の教育に満たないこと
が挙げられている点から見て、おそらく、まとめを書いている人の中では「差別」の定義は
>>1の
>差別というものの定義を「根拠のない区別」とし、例えば「能力に差はないが、朝鮮人だから就職面接において採用しない」というようなことを差別とします。
ではなく、
「雇い主が所定の手続きのもとに「朝鮮人以外」との採用基準を設置しさえすれば、(たとえ能力に差がなかろうが)朝鮮人を採用しなくても差別ではないが、朝鮮人はでない人を朝鮮人だからという理由で採用しないというのは差別」
みたいなものが採用されていてるのではないでしょうか。それなら話は通じるけれど、
>>1の定義のもとでの議論にはなっていないのかもしれません。
もしそういうことならば、「看板に偽りあり」という点は気になりますけど、論理の流れとしては納得です。
>>269 elsewhereさん
>また、よろしければ一般人さんも、私の解釈について一考いただけますか?
>特に>>262で4つのケースを例示しましたが、私の考えるところ、一般人さんの主張をそのまま採用すると、2番目の「無償化法は憲法の
>上位に位置する法律」となるように思うのです。(一般人さんの答えが2番になるだろうというのは単なる私の想像ですが)
> おそらく、「2番? そんなわけないよ。論拠はこれだよ」と考えていらっしゃって、あえて答えるに値せず、と判断されたのだろう
>と想像していますが、それを示していただけると、私の理解も容易になるように思うので。
>>262
>2.身分制度によるクラス分けは、無償化法に「身分制度によるクラス分けを行う学校は無償化対象としない」と書かれているか否かに依存する。憲法に書かれているかいないかは関連がない。つまり、無償化法は憲法より上位に位置する。
「身分制度によるクラス分けを行う学校は無償化対象としない」という表現にはこだわりませんが、そのことがわかるように基準として法令に定められている必要があります。
そのことは『
法律が憲法より上位に位置する』ことにはなりません。(正直、私には何故そうなると貴方が考えるのか理解できません。)
何故なら、憲法14条は政府側の「法的な差別的取扱いを禁止する趣旨であると解すべき」であり、差別する私人の支援を禁止するための条項ではないからです。
『
政府が差別をすること』と『
政府が差別する私人を支援すること』とは同じではありません。
政府が差別することを禁じたからといって、政府が差別する私人を支援することを禁じたことにはなりません。
この二つは意味も行為も異なります。
政府が差別することを禁じられているから、政府が差別する私人を支援することも禁じていると考えるのは拡大解釈です。
>>270 quppaさん
>「雇い主が所定の手続きのもとに「朝鮮人以外」との採用基準を設置しさえすれば、(たとえ能力に差がなかろうが)朝鮮人を採用しなくても差別ではないが、朝鮮人はでない人を朝鮮人だからという理由で採用しないというのは差別」
>
>みたいなものが採用されていてるのではないでしょうか。それなら話は通じるけれど、>>1の定義のもとでの議論にはなっていないのかもしれません。
>
>もしそういうことならば、「看板に偽りあり」という点は気になりますけど、論理の流れとしては納得です。
う〜ん・・・議論する上で「公理」を設定するのは妥当な行為です。
「高等学校等を無償化することは差別ではない」という公理を設定し、「高等学校等の範囲から朝鮮学校を除外すること」について議論するのは、全くおかしい行為ではありません。
むしろ、朝鮮学校のことについてわざわざ名指しで取り上げて議論しようというときに、高等学校等を無償化することの是非を議論する必要性の方が私には感じられません。
『
高等学校等以外』には、朝鮮学校だけじゃなく、自動車学校や英会話スクールや、家庭教師まで含まれていることになりますし、『
以外』ですからまさしく、高等学校等以外のすべての有償によるサービスを行う機関が含まれています。
>>272 一般人さん
>「高等学校等を無償化することは差別ではない」という公理を設定し、「高等学校等の範囲から朝鮮学校を除外すること」について議論するのは、全くおかしい行為ではありません。
おかしくはないけれど、「看板に偽りあり」な状況であることには変わりありません。
つまり、「朝鮮人を不採用とすることは差別ではない」という公理を設定し、「朝鮮人の範囲から(能力に差がないかもしれない)Aさん(という朝鮮人)を除外しないこと」を議論したとしても、
>>1の定義
>差別というものの定義を「根拠のない区別」とし、例えば「能力に差はないが、朝鮮人だから就職面接において採用しない」というようなことを差別とします。
のもとで議論したことにはならないのではないでしょうか。
>むしろ、朝鮮学校のことについてわざわざ名指しで取り上げて議論しようというときに、高等学校等を無償化することの是非を議論する必要性の方が私には感じられません。
Aさんは朝鮮人という属性をもっているのだから、(能力に差がないかもしれない)Aさんを名指しで取り上げて議論しようというときに、朝鮮人を不採用とすることの是非を議論する必要性は大いにあるように思います。
>『高等学校等以外』には、朝鮮学校だけじゃなく、自動車学校や英会話スクールや、家庭教師まで含まれていることになりますし、『以外』ですからまさしく、高等学校等以外のすべての有償によるサービスを行う機関が含まれています。
同じ朝鮮人という属性をもつBさんがいたとして、Bさんが能力に差がないかもしれないと誰も思わなければ、Bさんを名指しで取り上げるような議論は生じないのではないでしょうか。
つまり、同じ朝鮮人であっても、能力に差がない人は「朝鮮人は不採用」という基準によって差別を受けているし、差がある人は差別を受けていないのであって、だからこそ、朝鮮人全体ではなく朝鮮人という属性をもつある個人が名指しで取り上げられて議論されることに何ら不自然な点はないように思います。
>>271 一般人さん
>『政府が差別をすること』と『政府が差別する私人を支援すること』とは同じではありません。
>政府が差別することを禁じたからといって、政府が差別する私人を支援することを禁じたことにはなりません。
>この二つは意味も行為も異なります。
>政府が差別することを禁じられているから、政府が差別する私人を支援することも禁じていると考えるのは拡大解釈です。
ふむー…いやおっしゃることも一理ありますねぇ。
なるほど! ではその考えに私も改めましょう! 私の考え方より、あなたの考えの方が論理が通っていますからね。
そうしてまとめの「現在議論されている主な論点」を消しましょう。
いや非常に勉強になりました。ありがとうございます。
************************************************************
さて、しかしそれにしても
>>266でエビチリさんが主張してる内容はいかがお考えでしょうか?
一般人さんの主張に沿った、実に明快な内容と私は考えているのですが…。
「書いてないとダメ」
という一般人さんの主張がそのまま正しいとした上で
「書いてあるよ。それはここだよ」
という主張だと考えています。
>>274 elsewhereさん
>さて、しかしそれにしても>>266でエビチリさんが主張してる内容はいかがお考えでしょうか?
>一般人さんの主張に沿った、実に明快な内容と私は考えているのですが…。
正直、私が一回目の発言をしたとき、この意見がまず最初に出てくるだろうと思っていました。
要するに「高等学校の課程に類する課程=学習指導要領で定められている後期中等教育課程」というご意見ですね。
そして、朝鮮学校は学習指導要領に従っていないというご意見ですね。
その意見が論理的に正しいとするには、現在、文部科学省令で指定されている各種学校はすべて学習指導要領に従っているということが必要です。
私は、省令で指定された学校の実態を知りませんが、果たして本当にそうでしょうか?
学習指導要領は公立学校は法令上従う義務があるとされていますが、私立高等学校では、その義務はなく実際には従っていない学校があると聞きます。各種学校である省令で指定された学校が本当に学習指導要領に従っているのでしょうか
朝鮮学校が無償化の対象になっていないことよりも高等学校等就学支援金制度の対象に
なっていないことの方が差別っぽい気がするのですがこちらはどうでもいいのでしょうか。
同じカテゴリである他の各種学校の外国人学校が含まれているのに朝鮮学校が含まれていない
ので、朝鮮学校を主体として差別を論じるのにはこちらの方が適当だと思います。
厳密に言えばスレ違いのテーマかもしれませんが。
>>275 一般人さん
>その意見が論理的に正しいとするには、現在、文部科学省令で指定されている各種学校は
>すべて学習指導要領に従っているということが必要です。
む? 何故そのような話になるのかわかりません。
各種学校には、○○自動車学校や○○編物学院、○○珠算学校など、学習指導要綱など関係無い学校も含まれています。
多種多様な各種学校の内、ごく一部の学校、つまり「高等学校の課程に類する課程を置くもの」を無償化するという基準です。
なので、
>各種学校である省令で指定された学校が本当に学習指導要領に従っているのでしょうか
と問いかけられても、「いいえ、従っていません。ほとんどの学校は」という答えになります。
そうして、
>各種学校はすべて学習指導要領に従っているということが必要です。
とはなりません。
あまりに当たり前な(と思える)話なので、じっくり考えてしまいました。
もし、私がなにか勘違いをしていたら、ご指摘ください。
しかしもし私が勘違いをしていないとするなら、上記指摘をもって一般人さんの主張は誤っているといえます。
**************************************************************************
あと、これは確認ですが、
>>275で書かれている内容を読むと、どうも一般人さんは
「朝鮮学校は学習指導要領に従っていない」
と考えているのでしょうか?
私は「従っていない」と考えていますし、エビチリさんもそのように主張しています。
しかしあなたは
「全部の各種学校がきちんと守っているの?」という論法を選択しているので、
「朝鮮学校は学習指導要領に従っているかいないか」という点では争いがないのかを確認したく思ったのです。
**************************************************************************
むーん・・・やはりどうしても気になります。
「すべて学習指導要領に従っているということが必要」???
「各種学校である省令で指定された学校が本当に学習指導要領に従っているのでしょうか」???
どうも例えは悪いかもしれませんが、以下のような趣旨の疑問なのでしょうか?
例え話
スピード違反で捕まったドライバーが
「ちょっとのスピード違反はみんなしてるじゃないか! なんでオレだけ捕まえるんだ? 不公平だ!」
このような趣旨の疑問なのでしょうか?
もしそうだとしたら、(スミマセン! 言葉は悪いですが)ずいぶん幼稚な論理といえます。
実は「そんなはずない・・・そんなことを一般人さんがいうはずない・・・」とずいぶん考えたのです。
しかし、どうもそう読み取れてしかたがないもので。
失礼なことをいうつもりはないのですが、そう読み取れてしまいますよ。
しかし、もし私の思い違いや早とちりでしたら深くお詫び申し上げます。
ちょっと議論の趣旨とは外れるので、スレ違いになるかもしれません。
もしそうであるなら、適当に流していただければ結構です。
また、比較的最近のカキコミとまとめにしか目を通していないので、既出かもしれません。
私は、某大学の経済学部で経済学(ミクロ経済学などを中心とする、理論系のことを中心に)を勉強している学生なのですが、経済学部としての観点からの疑問を呈させていただきますと、
そもそも、「差別」であるとして、何が問題なのでしょうか?
政府の最終的な目的は、国民の効用を最大化することです(現実には、政治家は票を集めて自分が当選することにより、効用を得ているので、政治家の効用最大化問題と政府の効用最大化問題は異なる可能性がありますが)。
「公立学校の無償化」は、「公立学校の教育を無償化する」→「国の教育水準を上げる」→「国の人的資本の水準を上げる」→「国内総生産(GDP)を上げる」=「国内総所得(GDP)を上げる」→「所得の増加関数である効用を上げる」というロジックの元に行われたのではないでしょうか。
つまり、政府の判断では、「公立学校の教育の無償化による人的資本の増加→GDP増加→効用増加の影響は、負担増→効用減少よりも大きい、ゆえに公立学校を無償化する」ということではないでしょうか?当然ながら、公立学校を無償化することに対する批判は、「負担増のほうが影響が大きいだろう、そんなことをすると国民の効用は低下する!」ということに尽きるのではないでしょうか(この議論においてはどうでもいいですが、私はどちらかといえば後者の立場です)。
朝鮮学校の無償化除外も、同じような議論の下に進められるべきではないでしょうか。
つまり、「朝鮮学校を無償化することにより、国民の効用が上がるなら無償化するべき。上がらないなら除外するべき」ということであり、「朝鮮学校を無償化から除外するのは差別だから、無償化するべき。差別でないから、除外のままでOK」というような議論ではない、ということです。(そもそもの議論のテーマが「朝鮮学校の無償化除外は差別であるか?」なので、差別であるかないかを議論しているのだ、ということは理解していますが、一応このことを指摘しておきたいな、と思ったもので。)
まとめを見たところ、朝鮮学校の無償化は日本の社会に対するメリットがない、という合意ができているみたいですね。その内容を少し読ませていただいたのですが、私の主張に当てはめて直せば、『朝鮮学校の無償化は人的資本の増加をもたらさない』というように翻訳できるように思います。
でも、これだけでは「朝鮮学校の無償化は日本の社会に対するメリットがない」とは言い難いですよね。なぜなら、仮にブロッコリーが嫌いな人がいたとして、ブロッコリーを食べることにより、不効用が発生するような場合でも、「そのブロッコリーを食べなければ殺す!」と言われればブロッコリーを食べます。『機会費用』の考え方です。
具体的には、「日本政府は外国人に対して差別をしている!」と思われることによって、国際社会の評判を落とす→外交的に不利になることにより、経済が停滞、不効用の発生 などが考えられますね。これは、無償化をすれば避けられた費用の発生です。
もちろん、逆も考えられます。朝鮮学校の無償化をすれば、「日本政府は、人間が平等である、と規定した日本国憲法を無視するのか!」というような批判を浴び、憲法に対する信用度が低下することによって、経済が停滞することも考えられます。
政策は、純粋にこういうことを加味し、その政策を施行することによるNPV(Net Present Value 正味現在価値)がプラス、あるいは排他的ないくつかの政策であれば、NPVが最大となるような政策の組み合わせの1つであるときに、実施するべきではないでしょうか。
このような考え方の下では、「「差別」か「差別でない」か」もっと一般的な議論で言えば、「「正しい」か「正しくない」か」などは、究極的な政策施行の是非を問う判断基準とはならないのではないでしょうか?
・・・・・・と、経済学部な私は考えているのですが、基本的に立法や行政、司法をやっているような方々は大体法学部で、だいたい「「正しい」か「正しくない」か」で議論をしているように思います。反響があればスレ立てをしても良いのですが、ひとまず、よろしければ朝鮮学校の無償化に関してレスポンスをいただければな、と思います。
>>276 ぬさん
いまさらですが、私は以下の二つの制度を「高校無償化」と表現しています。
文科省的にも同じような表現を用いていますので、別に問題ないかと思ってます。
公立高校無償化・高等学校等就学支援金
>>278
>「公立学校の無償化」は、「公立学校の教育を無償化する」→「国の教育水準を上げる」→「国の人的資本の水準を上げる」→「国内総生産(GDP)を上げる」=「国内総所得(GDP)を上げる」→「所得の増加関数である効用を上げる」というロジックの元に行われたのではないでしょうか。
このロジックだと、端的に「高校の義務教育化」になると思います。
高校進学自体は、あくまでも個人の自由であるため、やはり「機会均等」、
つまり、高校進学が家庭の経済状況に左右されないようにする、というのが、
「無償化」の主な目的なのだと思います。
そういう意味では、朝鮮学校を無償化は疑問です。
外国籍の方でも公立高校を受験し、合格すれば通うことができるのですからね。
(同様の理由で、私立の差額補助も必要ないと考えます)
>>281 保冷所さん
>
>>「公立学校の無償化」は、「公立学校の教育を無償化する」→「国の教育水準を上げる」→「国の人的資本の水準を上げる」→「国内総生産(GDP)を上げる」=「国内総所得(GDP)を上げる」→「所得の増加関数である効用を上げる」というロジックの元に行われたのではないでしょうか。
>
>このロジックだと、端的に「高校の義務教育化」になると思います。
>高校進学自体は、あくまでも個人の自由であるため、やはり「機会均等」、
>つまり、高校進学が家庭の経済状況に左右されないようにする、というのが、
>「無償化」の主な目的なのだと思います。
いえ、「高校の義務教育化」も、教育水準の向上、人的資本の向上の手段ではあるのですが、「高校の無償化」も教育水準の向上、人的資本の向上が目的であると言えると思います。
Aさんが高校へ行くか、高校へ行かないかという問題を考えます。
高校へ行くと、その人の人的資本の水準が向上し、高校卒業後は、中学卒業後、そのまま働くよりも多くのお金を稼ぐことができると仮定します。また、高校へ進学することにより、大学へ進学するなど、様々な選択肢を取ることが可能になります。不確実な要素も多いですが、まとめて「高校卒業後の期待CF(キャッシュフロー)の現在価値」としましょう。しかし、高校へ行くことにより、高校へ通う3年間は働くことができないため、「中卒で働けば3年分のお金が稼げたのに」という機会費用が発生します。こちらを、「中卒就職時の期待CFの現在価値」とします。
仮定より、「高校卒業後の期待CF」>「中卒就職時の期待CF」です(現在価値をつけなかったのは、時間選好度によっては逆転する可能性があるからです。つまり、今日1万円もらうのと、来年1億円もらうのとでは、今日1万円をもらうほうが良い、という人が存在する、ということですね)。
この場合、Aさんが高校へ通う条件は、
「高校卒業後の期待CFの現在価値」>「中卒就職時の期待CFの現在価値」+「高校にかかるコスト」
ですね。
ここで、高校が無償化されたとすると、条件は
「高校卒業後の期待CFの現在価値」>「中卒就職時の期待CFの現在価値」
となるので、高校に進学する人は増えることになります。
したがって、国の人的資本の水準は向上することになります。
経済的に困窮しているせいで高校に行かない、という人は、「高校にかかるコスト」が非常に大きい、ということですね(信用力がない=資金調達にかかるコストが非常に大きい、それこそ闇金とかから借りてくるしかない人もいるでしょう)。
・・・・・・まあ、民主党が高校を無償化したのは、単に政党の利得(得票)を考えたからで、エージェンシー問題が起こっただけ、という風にしか思えませんが。
>
>そういう意味では、朝鮮学校を無償化は疑問です。
>外国籍の方でも公立高校を受験し、合格すれば通うことができるのですからね。
>(同様の理由で、私立の差額補助も必要ないと考えます)
>>282
>いえ、「高校の義務教育化」も、教育水準の向上、人的資本の向上の手段ではあるのですが、「高校の無償化」も教育水準の向上、人的資本の向上が目的であると言えると思います。
そのような目的があることは、私も否定はしません。
ただ、それが「主たる」目的であるのなら、制度的には「高校の義務教育化」になるだろう、ということです。
>Aさんが高校へ行くか、高校へ行かないかという問題を考えます。
Aさんが高校へ行くか行かないかを決めるのはAさん本人の自由です。
つまり、いくら国がお金をかけて「教育水準の向上」「人的資本の向上」を図ろうとしても、
Aさんに高校に行く気がなければ、それで終わりです。
>経済的に困窮しているせいで高校に行かない、という人は、「高校にかかるコスト」が非常に大きい、ということですね
これは、コストがネックで高校進学という選択肢が排除される、ということだと思います。
話がズレますが、この点については、奨学金制度の充実拡充の方が、進学の自由という観点からも、
教育水準の向上、人的資本の向上という観点からも、費用対効果が高いと思うのですが・・・
>>283 保冷所さん
>>いえ、「高校の義務教育化」も、教育水準の向上、人的資本の向上の手段ではあるのですが、「高校の無償化」も教育水準の向上、人的資本の向上が目的であると言えると思います。
>
>そのような目的があることは、私も否定はしません。
>ただ、それが「主たる」目的であるのなら、制度的には「高校の義務教育化」になるだろう、ということです。
いえ、必ずしもそうとは言い切れないかと思います。
というのは、高校へ行くことによる人的資本の向上率(要するに、頭を使った仕事に向いているか、という適性ですね)が、人に割り振られていると仮定すると、「高校の義務教育化」では、社会的に望ましくない高校進学を生み出してしまう可能性があるからです。具体的には、高校へ3年間行っても何も身につかず、卒業後の待遇も中卒と同じ、という人は、中学校3年間余計に働いた方が、高校に通うコストもかからないため、社会的にも、本人からしても望ましい、というわけです。
一方、「高校進学の無償化」であれば、本人からすれば「高校へ通うことのコスト」はゼロになるものの、中卒で3年余分に働くことによる利得の機会費用は残るので、高校へ行くことによる人的資本の向上率があまりにも低い人は、中卒で働くことを選択します。こちらのほうが、本人からしても、社会的にも望ましい状態です。
>
>>Aさんが高校へ行くか、高校へ行かないかという問題を考えます。
>
>Aさんが高校へ行くか行かないかを決めるのはAさん本人の自由です。
>つまり、いくら国がお金をかけて「教育水準の向上」「人的資本の向上」を図ろうとしても、
>Aさんに高校に行く気がなければ、それで終わりです。
んー、これはAさんが合理的な人間だと仮定しての分析ですね。
つまり、リンゴとミカンがあって、どちらか1つを食べて良い、と言われたときに、人間が好きなほう(食べることによる効用が大きい方)を選択する、という、経済学では最も基礎的な仮定をおいているだけです。もう少しこのモデルに近づけるなら、「今1万円もらえるのと、来年2万円もらえるのと、どっちがいい?」と聞かれて、1万円を選ぶか、2万円を選ぶか。そういうことですね。
そういう観点から分析すれば、Aさんが高校へ行くのはどういうときか?と言われれば、
「高校へ行くことにより、得られる効用」>「中卒で働くことにより、得られる効用」
が成り立つときなわけですね。
それの中身を分解して不等式で示したのが、上の式です。「高校へ行きたい」「高校へ行きたくない」という単純な好みも、現実には関わってくるかと思いますが、それは金銭的な利得に還元できないので、ひとまず抜いてあります。
単純に、Aさんが「高校へ行った方が得か、中卒で働いた方が得か」ということを考え、進学を決める、ということです。
そして、「高校の無償化」を行った際には、「高校に行った方が得」という人が増えるよね、そうすると、社会的に見て、人的資本が増えるよね、ということを、単純なモデルを使って確かめた、ということです。
>
>>経済的に困窮しているせいで高校に行かない、という人は、「高校にかかるコスト」が非常に大きい、ということですね
>
>これは、コストがネックで高校進学という選択肢が排除される、ということだと思います。
そうですね。高校の学費は同じだとしても、「高校にかかるコスト」というのは、人によって必ずしも同じではありません。
でも、よほどの状況でもない限り、「高校へ行く」ことは不可能ではないわけです。例えば、高校の学費が年間100万円かかるとしても、年収200万円の家庭でも高校へ通うことは不可能ではありません。もっと極端な話、学費が年間1000万円でも、べらぼうな高利でお金を借りて来るだとか、資産を処分するだとかの方法で行けなくはないわけですね(本当にどうあがいても無理、という状況ならば、高校にかかるコストは∞ということになります。つまり、高校へ行けば億万長者となれる未来が待っている人間であったとしても、中卒で働いたほうが利得が大きい状態です)。
ただ、そんなことをするよりは、中卒で働いた方がはるかに利得が大きい。なぜなら、そういう人たちは、「高校にかかるコスト」が非常に大きいからです。そういう状況を表しています。
コストが大きいからといって、高校進学という選択肢が必ずしも排除されるというわけではないですね。単に、中卒が有利となりやすいだけです。(むしろ、選択肢として排除されるよりもずっと前の段階で、中卒有利の分岐点がやってきます)
>話がズレますが、この点については、奨学金制度の充実拡充の方が、進学の自由という観点からも、
>教育水準の向上、人的資本の向上という観点からも、費用対効果が高いと思うのですが・・・
これには全面的に賛成です。
私は別に「高校進学の無償化」がそれほど優れた制度だとは思っていません。
というのは、本当にある人が高校へ行くことにより、人的資本が蓄積され、社会にとってメリットがある、という状況となるためには、
「高校に通うことによる、人的資本の向上による利得の上昇分」>「高校(教育)にかかるコスト」+「高校在学3年分の労働の減少」
という条件が成り立っていなければなりません。
ところが、高校無償化は、「高校にかかるコスト」を国が肩代わりしてしまうので、単に
「高校に通うことによる、人的資本の向上による利得の上昇分(給料アップ)」>「高校在学3年分の労働の減少(機会費用)」
が成り立っているだけで、高校に通ってしまうんですね。
結果的に、社会的に見て高校に行かないほうが望ましい人たちが、国の補助金により、高校に行ってしまっている、という状況が発生してしまうわけです。
奨学金による、資金の流動性の上昇による解決は、このゆがみを生み出さないので、より望ましいと思います。
>>279 一般人さん
>私がいった文部科学省令で指定されている各種学校とは高校無償化の対象として指定された学校のことを指しています。
>具体的にはこれです。
>
>http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/mushouka/1292286.htm
>http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/mushouka/__icsFiles/afieldfile/2010/06/25/1295109_1.pdf
>
ええ、確認してみました。対象校一覧だと判断しましたが、これらの学校が『
全て学習指導要領に従っているということが必要』とは
私は考えません。
それは
>>277で『
スピード違反をしたドライバーのクレーム』の例え話の通りです。
『
ルールを守ってないやつはオレの他にもいるじゃないか! だからオレもルールに従う必要は無い!』
という主張は誤りだと考えているのです。
「全ての学校が守っている必要がある」とする一般人さんの意見の趣旨を私はこのように受け止めています。
いかがでしょうか? 私が勘違いしているんでしょうか?
*********************************************
【まとめについて】
一般人さんの
>>275の意見をまとめに載せ上げました。
私なりに、補足and要約して載せ上げましたので、こまかなニュアンスの錯誤等がありましたらご指摘ください。指摘に従って訂正いた
します。
また、quppaさんがアカウント停止処分を受けたようですので、quppaさんの意見(
>>105の要約 )をまとめから削除します。
スレ主として個人的には『
議論の体をなしていない』と感じていたのですが、単に私の理解力が足りないだけの可能性を考え、
敢えて残していたものです。
(quppaさんは言葉遣いだけは実に丁寧だったこともありますから)
しかし、アカウントが削除され、しかもそれは単なる「礼儀がなっていない」という内容ではないとなると、
私の考えていた
『
論理的な主張ができず、言っていることが議論の体をなしていない。しかも、再三に渡って議論を無意味に混乱させている』
ということが、ある程度裏付けられたといえるでしょう。
よって、quppaさんのアカウント停止に歩調を合わせ、まとめに載せ上げる価値無しとして削除します。
無論、同じ趣旨の主張があれば、その人の名前で改めて載せ上げます。是非わかりやすい議論をお願いいたします。
なお、次の点に注意願います。
『
kappaさんが同様の趣旨の主張をしてきたとしても、今後は対応いたしません』
その理由は、kappaさんがquppaさんと同一人物だからです。
http://www.yamcha.jp/ymc/DSC_sure.html?bbsid=1&sureid=153&l=1-9999#msg1_153_146
【kappaさんの書き込み内容】
>(quppaアカウントがなぜか停止されたので、別アカウントをとりました。
>これまで同様、誰かから提出された主張が私が脳内で構築した論と衝突した場合に、
>妥協なしに反論をするスタンスで行きますので、このアカウントも停止されたならば、
>ここは議論をする場ではなく妥協しつつ当たり障りのない会話を楽しむことを主目的とした場であったと考え、去ることにします。)
このような振る舞いは、このサイトの趣旨の根幹を否定するものと考えるからです。
一方、万一の為に削除前のまとめも保存しておき、いつでも元に戻せるようにはしておきます。
quppaさん(kappaさん)の主張をまとめから削除することそのものに問題を感じる方がいれば、
指摘していただきますようお願いいたします。ご当人以外からの指摘であれば、内容を確認して対応します。
>>285 elsewhereさん
ちょっと整理します。
私が一番最初の発言
>>106 で記した以下の部分については同意いただいたものと認識しています。
===========================================================
私が注目するのは「専修学校・各種学校のうち高等学校に類する課程を置くものとして文部科学省令で定めるもの」の部分です。
ここが朝鮮学校が無償化されるかどうかの基準である。そして朝鮮学校は「各種学校」に該当する。
これが「前提」です。
そして、基準に合致しているにも関わらず無償化の対象外とすると「差別」、基準に合致していないならば「区別」である。
あとは朝鮮学校が「高等学校に類する課程を置くもの」であるかどうかが論点となる。
ここまではよろしいでしょうか?
===========================================================
私が一貫して持っている疑問は、「各種学校のうち高等学校の課程に類する課程」とは具体的にどういうことを指すのか。
具体的に、各種学校が、「高等学校の課程に類する課程を置くもの」として認められるにはどういう条件をクリアすれば良いのか。
そして朝鮮学校はこの条件をクリアしているのかどうか。
ということです。
当初、貴方は「人は平等と教えていること」を条件として提示されましたが、結論的にその条件は「各種学校のうち高等学校の課程に類する課程を置くもの」として認められるための条件ではないことで見解が一致したものと認識しています。
次に貴方から、エビチリ氏の論を借りた形で「学習指導要領に従っていること」が「各種学校のうち高等学校の課程に類する課程を置くもの」として認められる条件であるとの提示を受けました。
ですから私は
>>275 でこう問いかけました。
「各種学校のうち高等学校の課程に類する課程を置くものとして文部科学省令で定めるもの」=「無償化対象として指定された各種学校」は全て「学習指導要領」に従っているんでしょうか? と・・・
何故なら、無償化の対象として指定された各種学校は「高等学校の課程に類する課程を置くもの」として認められたわけですから、「高等学校の課程に類する課程を置くもの」が「学習指導要領に従っているもの」と同じ意味であれば、当然、無償化の対象として指定された各種学校は、学習指導要領に従っているものとして認められたということになります。
もし、学習指導要領に従っていないものが、無償化の対象として指定されているのであれば、「学習指導要領に従っていること」が「各種学校のうち高等学校の課程に類する課程を置くもの」であるとの主張が誤りであることが判明するわけです。
逆に、無償化の対象として指定されている各種学校が、すべて学習指導要領に従っていれば、この主張を強化する強固な裏付けとなるわけです。
論理展開的にはこんな感じです。
===========================================================
1.「各種学校のうち高等学校の課程に類する課程を置くもの」=「学習指導要領に従っているもの」
2.「各種学校のうち高等学校の課程に類する課程を置くものとして文部科学省令で定めるもの」=「学習指導要領に従っているものとして文部科学省令で定めるもの」
3.「文部科学省令で定めるもの」=「学習指導要領に従っているもの」
疑問点:3.は本当にそうなっていますか?
===========================================================
これに対する貴方の返事が以下のとおりです。
>ええ、確認してみました。対象校一覧だと判断しましたが、これらの学校が『全て学習指導要領に従っているということが必要』とは私は考えません。
えっと、正直、なんて返答して良いのか困惑しています。
もう一度、お尋ねします。
「各種学校のうち高等学校の課程に類する課程を置くもの」とは「学習指導要領に従っているもの」という主張と同時に、
「文部科学省令で定めるもの」として対象校一覧に掲げられた各種学校は、必ずしも『
全て学習指導要領に従っているということが必要』ではない。と主張されているという理解でよろしいですか?。
ちなみに、スピード違反の例は、主張を類推するための例としての体をなしていないと私は感じます(あまりのも条件が異なり過ぎていて類推になっていない)が、よければスピード違反の例が何故、対象校一覧に掲げられた各種学校は、必ずしも『
全て学習指導要領に従っているということが必要』ではない。という主張に結びつくのかもう少しご説明ください。
>【まとめについて】
>
>一般人さんの>>275の意見をまとめに載せ上げました。
>私なりに、補足and要約して載せ上げましたので、こまかなニュアンスの錯誤等がありましたらご指摘ください。指摘に従って訂正いたします。
『・何故、「日本の教育の根本にある「人は平等」という基本理念」を教えることが無償化の対象とするか否かの
判断基準となるのか? それに明らかになっていない以上、差別無しとは言い切れない。(
>>147)』
は前述のとおり見解が一致しましたので、既に論点となっていません。削除すべきかと思います。
『
・無償化の対象となるには「高等学校の課程に類する課程を置くもの」に該当していることが必要という点には同意する。』
これには同意しましたが、
『
また「高等学校の課程」とは、学習指導要領に以下の通り規定されている内容を守ることであることにも同意する。』
ここには同意していませんので削除すべきかと存じます。(同意した発言ってありましたっけ?)
『
しかし、無償化対象となった学校全てがそれを遵守しているかどうかが不明である。全ての学校が従っていることが必要なのに、不明である以上、正しいとは言えない。ゆえに差別であるか否かは未確定。(>>275)』
ここは今まさに議論している段階ですので、まだ「まとめる」段階ではないと思います。したがって削除すべきかと思います。
蛇足ですが
quppaさんの意見自体はとても重要なものだと私は認識しております。
ただ、惜しむらくは、スレ主が議論したい論点よりも、やや広い視点からの論点を持ち出しており、スレ主とは「公理」が異なったものだったと私は感じています。ただし、彼の提示した論点は、「朝鮮学校の無償化除外は差別であるか」を包含した論点でもあり、彼の論点は「朝鮮学校を無償化除外は差別であるか」の結論よりも、さらに深いところで「公理」に対して疑問を投げかけたものだと思います。さらにいうと「公理が異なります」という意見は、相手の主張を否定していることにはなりませんので、私はquppaさんの主張自体は否定していません。
もう少しいうと、自らの主張を「相手に伝えようとする努力に欠けていた」点と、「相手が理解できないのは相手側に問題がある」という認識にも問題があったのではと思います。(アカウント停止の原因はこちらの二つにあったんでしょう。何度booを受けても改善の様子はなく、停止後についても議論の相手方に原因があるとの認識から抜け出ていないようですし。。。)
>>284
>というのは、高校へ行くことによる人的資本の向上率(要するに、頭を使った仕事に向いているか、という適性ですね)が、人に割り振られていると仮定すると、「高校の義務教育化」では、社会的に望ましくない高校進学を生み出してしまう可能性があるからです。
逆も考えられますよね。
本来「頭を使った仕事に向いている」人が、進学を望まないのならば、
人的資本の向上という観点では損失となります。
>んー、これはAさんが合理的な人間だと仮定しての分析ですね。
>「高校へ行くことにより、得られる効用」>「中卒で働くことにより、得られる効用」
Aさんが合理的な人間であれば、「やればできる(効用が得られる)なら、やる」と考えるでしょう。
しかし、「やればできるのに、やらない」人も往々にしているわけで、
国家レベルでの人的資本の向上を主たる目的として制度設計をするならば、
Aさんの意思とは無関係に、高校に進学させるのが合理的だと思います。
>コストが大きいからといって、高校進学という選択肢が必ずしも排除されるというわけではないですね。
確かにそうなんですが、学費を気にせず進学という選択ができるという意味では、
進学する自由を実質的に保障するという観点から考えるべきかと・・・
>ただ、そんなことをするよりは、中卒で働いた方がはるかに利得が大きい。
国家レベルでの人的資本の増加を図るのならば、個人ではなく国家全体での損得が問題なのですから、
中卒で働いた方が利益が大きい人が高校に進学することによる損失は、
進学した方が利益が大きい人を進学させるためのコストと考えられるのではないでしょうか。
>>286 一般人さん
>私が一番最初の発言 >>106 で記した以下の部分については同意いただいたものと認識しています。
>===========================================================
>私が注目するのは「専修学校・各種学校のうち高等学校に類する課程を置くものとして文部科学省令で定めるもの」の部分です。
>ここが朝鮮学校が無償化されるかどうかの基準である。そして朝鮮学校は「各種学校」に該当する。
>これが「前提」です。
>そして、基準に合致しているにも関わらず無償化の対象外とすると「差別」、基準に合致していないならば「区別」である。
>あとは朝鮮学校が「高等学校に類する課程を置くもの」であるかどうかが論点となる。
>ここまではよろしいでしょうか?
>===========================================================
ええ、それについては私も
>>113にて認めた通り、全く同意しております。
>私が一貫して持っている疑問は、「各種学校のうち高等学校の課程に類する課程」とは具体的にどういうことを指すのか。
>具体的に、各種学校が、「高等学校の課程に類する課程を置くもの」として認められるにはどういう条件をクリアすれば良いのか。
>そして朝鮮学校はこの条件をクリアしているのかどうか。
>ということです。
>
>当初、貴方は「人は平等と教えていること」を条件として提示されましたが、結論的にその条件は「各種学校のうち高等学校の
>課程に類する課程を置くもの」として認められるための条件ではないことで見解が一致したものと認識しています。
>
>次に貴方から、エビチリ氏の論を借りた形で「学習指導要領に従っていること」が「各種学校のうち高等学校の課程に類する課程を
>置くもの」として認められる条件であるとの提示を受けました。
ここまで、おっしゃる通りです。何も相違点はございません。
>ですから私は >>275 でこう問いかけました。
>「各種学校のうち高等学校の課程に類する課程を置くものとして文部科学省令で定めるもの」=「無償化対象として指定された
>各種学校」は全て「学習指導要領」に従っているんでしょうか? と・・・
ここからがやはり、意見が異なるところでしょう。それについて、もう少し私の見解を述べさせていただきます。
【何故、『
全て学習指導要領に従っているということが必要ではない』か?】
***********************************************************************************
私はまず、ルールを破るものがいたとしても、そのことから直ちに「ルールが無効である」とは考えておりません。
ルールが定められたとしても、それを様々な理由で破る存在はありうるでしょう。
このことを示す意味で、私は『
スピード違反を行うドライバーの例え話』を持ち出しました。
制限速度が決められた時に、やはりそれを破るドライバーはいるだろう。しかしながら、だからといって制限速度の意味が無くなると
は考えないということを、例え話として出したのです。
制限速度は守らなくてはならないし、たとえ制限速度無視の車が同時に100台走っている中で、たった一台自分の車だけが捕まった
としても、それは受け入れなければならない。他の車が制限速度を破っているからといって、自分も守らなくてもいいとはならない。
『
このような考えを背景において、「制限速度」を「無償化法の条文」と同一視し、「ルールそのもの」の象徴としたのです。』
そうして、
「速度違反を行いながら、捕まっていないドライバー」を「無償化対象に含まれながら、しかし無償化法の条文を守っていない学校」
と同一視し、「ルールを守らないもの」の象徴としたのです。
つまり、
「仮にルールを守らないものがいたからとしても、ルールはルールだ。無償化法の制限に引っ掛かる学校は、無償化対象から排除され
る。仮に、そこをごまかして潜り込む学校が存在したとしても、だからといって制限無しになるとは言えない」
こう主張するのです。
以上のように、スピード違反のドライバーの例えが、どのように本題に結び付くのかを示しました(つもりです)。
補足として、私はお示しいただいた無償化対象校リストの中に「学習指導要領に従っていない学校がある」とは考えておりません。
『
学習指導要綱に従っていない学校があるというのであれば、それを主張する側が何らかの根拠を示さないとならない』
と考えています。
その理由は、一般人さんでしたらいわずもがなだと思いますので、ここでは割愛しますが、必要であれば問いただして下さい。
説明いたします。
ともあれ、今、議論は面白いところに差し掛かっていると判断しております。
意見の分かれるポイントですので、ひょっとするとまだお互いに誤解や思い込み、言い足りていない部分があるかも知れません。
ここは根気強くお互いの意見を戦わせてみたいと考えております。どうか
「このわからずやめ!」
等と思わず、気長にお付き合いいただきたいとお願いするものです。
私は自分の意見がおかしいことに気付けば、それを修正することを拒んだりはしないつもりでいますし、
そのことはこのスレッドの中で、既に何度か示していると思っていますから。
***********************************************************************************
【まとめについて】
まとめについて、修正点の指摘をいただき、ありがとうございました。
ご指摘通り修正させていただきました。ご確認ください。
万一、意図と異なる部分がございましたら、改めてご指摘をお願いいたします。
速やかに対応いたします。
なお、
>『しかし、無償化対象となった学校全てがそれを遵守しているかどうかが不明である。
>全ての学校が従っていることが必要なのに、不明である以上、正しいとは言えない。ゆえに差別であるか否かは未確定。(>>275)』
>
>ここは今まさに議論している段階ですので、まだ「まとめる」段階ではないと思います。したがって削除すべきかと思います。
ここの部分は一部書き換えるのみとしておきます。何故かを説明いたします。
私はこのまとめを書くにあたって、3通りある意見をそれぞれ「できるだけそのまま、しかし要約して」書くことを意図しました。
ひょっとすると最後まで意見が合致することがないかもしれない、それぞれの立場からの主張を、意見が合っていないまま、そのまま
記載することにしよう。そうすることによって、議論に途中から入ってくる方々も、現在300に届こうかという長いスレッド全てを読
まなくても、ある程度内容を把握し、議論に建設的に参加しやすくなるのではないか、そう考えているのです。
テーマ「○○は■■か?」
論者Aの主張「○○が■■と言うためにはAという条件を満たすことが必要だ」
論者Bの主張「○○が■■と言うためにはAという条件を満たすことが必要ではない。Bという条件で充分だ」
論者Aの主張「Bと言う条件では充分ではない。何故なら▼▼だからだ」
論者Bの主張「Bと言う条件でも充分である。何故なら△△だからだ」
このような議論をしているとするなら、その論者A及び論者Bの意見をそのまま載せ上げ、その下の「現在の主な論点」の欄に
「○○が■■と言うためにはBという条件でも充分か否か?」
と記載する…このようなことを考えているのです。
私はあなたの主張を( 今のところは )誤っていると考えています。しかし、私の主張の方が誤っているかもしれません。実際、私はこ
まスレッドで間違いを何度か主張し、のちにそれを修正せざるを得ませんでしたから。
このスレッドにおけるまとめは、その両方の意見を( 正誤の同意が得られる前でも )載せ上げておき、とかく掴みにくくなりがちな、
お互いの論点を明確にする助けとしたいと考えているのです。
『
いやいやそれだったら、こう書いてよ』
ということもあるでしょう。もし、そのような要請があれば、是非その文案をご提示ください。
上記の考え方はありますが、しかし、できるだけそのまま載せ上げるように致します。
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蛇足に触れるなんてもっと蛇足ですが…以下は私の感情の話なので、読み流していただければ幸いです。
quppaさんの意見を理解していらっしゃるようすの一般人さんが、quppaさんの意見を否定しないことは理解できます。
しかしながら、quppaさん自身は「自論が一般人さんには理解されている」とは考えていなかったようですが。
とまれ、重要な点はたった一つです。
自らの主張を「相手に伝えようとする努力に欠けていた」点とか「相手が理解できないのは相手側に問題があるという認識」とかは、
もちろん大きな問題点ではありますが、本当に重要だった点はそこではないと私は考えています。
ごくシンプルに言いましょう。彼の主張の重要性とか、広い視点とかいうことも大事ですが、quppaさんのアカウントが停止させられ
た理由は、彼がまさしく、このサイトの管理者様が『
排除対象とするところのDQNだった』ことに尽きるでしょう。
『
だから排除された』のです。
私もここで管理人様の言葉を借りて、敢えて言いましょう。
「時間の無駄でした」
私の言わんとするところは、特別な人で無くとも普通の人ならば、ごくシンプルに「ああ、わかるよ」と言っていただけるでしょう。
…まあしかし、このようにハッキリ言いきっておいてなんですが、私はこのことをもっと深く考えなければならないとも思います。
みずからの身を振り返り、戒めとしなければならないと考えます。
「時間の無駄だった」…「いや、無駄ではない。それをきちんと考えれば」…矛盾する考えが私の中に二つながらあります。
彼は何故排除されたのか?
何故「何故排除されたか」を理解できなかったのか?
スレ違いの話ではありますが、しかしこのようなスレッドを立てることもまた不可能でしょう。
語りえぬ話として、私の心の中で自問自答するしかないのかなとも思います。
>>288 elsewhereさん
>私はまず、ルールを破るものがいたとしても、そのことから直ちに「ルールが無効である」とは考えておりません。
>ルールが定められたとしても、それを様々な理由で破る存在はありうるでしょう。
私たちはいま、「学習指導要領に従う」ことが「ルール」であるかどうかを議論していたはずです
したがって
>補足として、私はお示しいただいた無償化対象校リストの中に「学習指導要領に従っていない学校がある」とは考えておりません。
私の主張への反論としては上記で十分です。
残念ながら、私には各種学校のうち無償化対象とされた学校が「学習指導要領に従っている」ことを確認する術がありません。
『無償化対象校リストの中の各種学校は、学習指導要領に従っている学校である」というのであれば、学習指導要領に従うことが、高等学校の課程に類する課程を置く学校として認められる条件であるという主張は説得力があると思います。
「学習指導要領に従うことが、高等学校の課程に類する課程を置く学校として認められる条件である」という『
前提』を置けば、朝鮮学校を高校無償化対象から除外するのは差別ではないという主張に同意します。
>『いやいやそれだったら、こう書いてよ』
>ということもあるでしょう。もし、そのような要請があれば、是非その文案をご提示ください。
>上記の考え方はありますが、しかし、できるだけそのまま載せ上げるように致します。
では以下のように修正願います。
『
無償化の対象となるには「高等学校の課程に類する課程を置くもの」に該当していることが必要という点には同意する。』
『
しかし、「高等学校の課程に類する課程を置くもの」として認められる具体的な条件が明示されていない』
『
「高等学校の課程に類する課程を置く」とは、「学習指導要領に規定されている内容を守ること」であるという主張については、そのことを証明する根拠が示されていない。』
『
上記主張が正しいとされるには、最低でも、既に無償化対象となった各種学校は、学習指導要領に規定されている内容を遵守している(と認められた)ことが証明されなければならない。』
『
ゆえに差別であるか否かは未確定。』
>>287 保冷所さん
>>というのは、高校へ行くことによる人的資本の向上率(要するに、頭を使った仕事に向いているか、という適性ですね)が、人に割り振られていると仮定すると、「高校の義務教育化」では、社会的に望ましくない高校進学を生み出してしまう可能性があるからです。
>
>逆も考えられますよね。
>本来「頭を使った仕事に向いている」人が、進学を望まないのならば、
>人的資本の向上という観点では損失となります。
「高校へ行く」ということに対する、好き嫌い的な不効用が一般的にきわめて大きいものならば、この批判は妥当かもしれません。しかし、このような好みをひとまず無視する(完全に無視する必要はありません。好みの分布に合わせて、適切な位置に「高校に通うコスト」を調整してやる、ということで大丈夫です)とすると、『
「頭に使った仕事に向いている」人は、進学を望みます』。なぜなら、自分の人的資本が向上することにより、自分の人的資本が向上し、将来得られる給料が高くなるからです。
>
>>んー、これはAさんが合理的な人間だと仮定しての分析ですね。
>>「高校へ行くことにより、得られる効用」>「中卒で働くことにより、得られる効用」
>
>Aさんが合理的な人間であれば、「やればできる(効用が得られる)なら、やる」と考えるでしょう。
>しかし、「やればできるのに、やらない」人も往々にしているわけで、
>国家レベルでの人的資本の向上を主たる目的として制度設計をするならば、
>Aさんの意思とは無関係に、高校に進学させるのが合理的だと思います。
うーん。この批判はよくわかりません。
効用が大きければ、そちらを選択するというのは前提ですので・・・・・・(これはそもそも効用ってそういうもの、という定義ですから)。
Aさんの意思とは無関係に、高校に進学させるのが合理的というのは必ずしも正しくないかと思いますが・・・・・・。
というのは、Aさんの意思決定がこの高校進学のプロセスの中に組み込まれることにより、Aさんが自分自身にとっての効用の比較をするため、社会とAさんの効用関数がより近いモノになる、ということです。
つまり、上でも説明しましたが、
「Aさんは高校に行ったほうが良い(頭が良い)」→「Aさんは高校に行く」
「Aさんは高校に行かないほうが良い(頭が良くない)」→「Aさんは高校に行かない」
という一番望ましい結果は、Aさんの能力を知らない社会ではなしえないわけです。テストを行えばいいって?・・・・・・・・・まあ、現実はそれに近い状態ですよねw現行制度は、Aさんによる「高校へ行きたい」という希望による、能力の自己申告と、社会的に望ましいかどうかを検証する入学試験の2本立てですね。
>
>>コストが大きいからといって、高校進学という選択肢が必ずしも排除されるというわけではないですね。
>
>確かにそうなんですが、学費を気にせず進学という選択ができるという意味では、
>進学する自由を実質的に保障するという観点から考えるべきかと・・・
社会にとっては、『
学費を用意できないから進学できない!かわいそう!』という温情から高校進学を援助するべきではありません。
『
頭の良い人間がお金がないせいで進学できていない!もったいない!』こういう観点から、高校進学、大学進学の援助は成されるべきではないか?と私は思います(この場合、頭がよい人間というのは、一握りの天才のことではなく、中卒で働くよりは高校に行ったほうが社会的に望ましい、というレベルの、非常にたくさんいる階層以上の人たちです。もちろんその中に天才も含まれているのですが・・・・・)。
>
>>ただ、そんなことをするよりは、中卒で働いた方がはるかに利得が大きい。
>
>国家レベルでの人的資本の増加を図るのならば、個人ではなく国家全体での損得が問題なのですから、
>中卒で働いた方が利益が大きい人が高校に進学することによる損失は、
>進学した方が利益が大きい人を進学させるためのコストと考えられるのではないでしょうか。
私が主張したいのは、下手な方法で高校進学の援助を行うと、コスト(学費援助)のほうが、利益(人的資本の向上)よりも大きくなってしまうよ、ということです。
>>290
「頭の良い人間」の定義はひとまずさて置くとして、制度設計云々以前の考え方に違いがあったようですね。
>しかし、このような好みをひとまず無視する(略)とすると、『「頭に使った仕事に向いている」人は、進学を望みます』。
>なぜなら、自分の人的資本が向上することにより、自分の人的資本が向上し、将来得られる給料が高くなるからです。
himagineさんは「頭の良い人」は「合理的な選択をする」という前提に立っていますよね?
私の前提は、「頭の良い人」でも「合理的な選択をするとは限らない」(若いときは特に)です。
対象とする人間像が違えば、制度設計の考え方が違ってくるのも当然ですね。
>社会にとっては、『学費を用意できないから進学できない!かわいそう!』という温情から高校進学を援助するべきではありません。
これは私もそう思います。
安易な高校無償化は「とりあえず高校に行く」的な発想を助長し、高等教育のレベルを下げてしまうでしょう。
これでは本末転倒です。
>>280 一般人さん
>いまさらですが、私は以下の二つの制度を「高校無償化」と表現しています。
>文科省的にも同じような表現を用いていますので、別に問題ないかと思ってます。
>
>公立高校無償化・高等学校等就学支援金
おお。
すると僕の
>>211の書き込みなんかもそんなに的外れではなかったと言えそうです。
よかった。
ということでelsewhereさんに再度質問してみたいと思います。
>>288 elsewhereさん
>『学習指導要綱に従っていない学校があるというのであれば、それを主張する側が何らかの根拠を示さないとならない』
クリスチャン・アカデミー・イン・ジャパン
http://caj.or.jp/whoweare/filingcabinet/Philosophy_of_Education-J.pdf
(PDFファイルの教育理念です)
僕はこちらの学校は学習指導要領に即しているとは思いません。
根拠は教育理念です。
elsewhereさんはどう思いますか?
>>291 保冷所さん
>「頭の良い人間」の定義はひとまずさて置くとして、制度設計云々以前の考え方に違いがあったようですね。
すみません、厳密性を欠く表現でしたが、「社会的に見て高校へ行くべき人」、つまり、「その人が高校に行くことによってかかるコストや、中卒で働く機会費用よりも、高校へ行って人的資本を増加させることによる、1人当たりGDPが増加する分のほうが大きい人」(収益>費用、という感じです)を「頭が良い人」、そうでない人を「頭が悪い人」と表記させていただきました。
>
>>しかし、このような好みをひとまず無視する(略)とすると、『「頭に使った仕事に向いている」人は、進学を望みます』。
>>なぜなら、自分の人的資本が向上することにより、自分の人的資本が向上し、将来得られる給料が高くなるからです。
>
>himagineさんは「頭の良い人」は「合理的な選択をする」という前提に立っていますよね?
>私の前提は、「頭の良い人」でも「合理的な選択をするとは限らない」(若いときは特に)です。
>対象とする人間像が違えば、制度設計の考え方が違ってくるのも当然ですね。
>
「頭が良い人」も、「頭が悪い人」も「(ある程度)合理的な選択をする」という前提です。
つまり、リンゴとミカンがあって、リンゴのほうが食べたければリンゴを選択する、というレベルの合理性を仮定しています。
人間の認識能力には限界がありますから、必ずしも高校進学と中卒就職のいずれが自分にとって有利か、正確な判断ができない場合がある、というのは正しいと思います。
しかしながら、制度設計的に考えれば、これもまた、人権云々から離れていくような考え方ですが、端数は切り捨てても構わないのではないでしょうか?
つまり、『
高校進学と中卒就職のいずれを選択するべきか微妙な、「頭の良い人」と「頭の悪い人」の境界付近に位置する、低所得が理由で高校進学できない人は、無理に進学させる必要がない』ということです(なぜなら、ギリギリ「頭の良い人」を確実に進学させようとすると、多数の「頭の悪い人」を進学させることになり、収益よりも費用のほうが大きくなってしまうから)。
このように考えると、高校の義務教育化は、高校の無償化よりも、より多くの「頭の悪い人」を高校進学させてしまうことになりますから、人的資本の向上を目的とした場合でも、高校の無償化を政策的に選択する場合は起こりえるのではないでしょうか。
>>社会にとっては、『学費を用意できないから進学できない!かわいそう!』という温情から高校進学を援助するべきではありません。
>
>これは私もそう思います。
>安易な高校無償化は「とりあえず高校に行く」的な発想を助長し、高等教育のレベルを下げてしまうでしょう。
>これでは本末転倒です。
そうですね。
高校無償化により、高等教育のレベルが下がるということは、今までは考慮しませんでしたが、そのようなことが起こるとすれば、重大な影響ですね。
>>293
>端数は切り捨てても構わないのではないでしょうか?
もちろん、そういう考え方もできると思います。
制度設計で考えるらな、無駄を切り捨てるために有益な部分もあきらめるか、
有益な部分を生かすために、無駄を許容するか、ということになるでしょう。
むろん、オール・オア・ナッシングではなくて程度の問題なのですが・・・
これは、国の予算を使って人的資本の向上を図るという点で、
私の勝手なイメージで言えば、米ソが科学技術開発競争をしていた時代の両国の教育制度みたい感じで、
格差を許容して競争の中で才能を見出すか、格差を排除して平等の中で才能を見出していくか、
どちらも最終的には「トップ・エリート」をいかに育ているか、というところに行き着くのですけど、
制度の考え方としては、両方あるだろうと・・・
頂を高くして裾野を引っ張るか、裾野を広げて頂を高くするか、
前者は奨学金制度の充実、後者は義務教育化、私の中ではそういうイメージなんですよ。
高等教育というのは、義務教育を終えたものがさらなる能力向上を目指すものですが、
日本の高校は受験を前提にしていますから、そこには選択と競争という基本原理が存在している。
にもかかわらず「無償化」をするというのは、人的資本の向上を図るという意味では、
相容れないとまではいいませんが、制度的には、裾野を広げた割には頂が低いという、
中途半端なものになると思うのです。
結局「平等を教えること」と「平等に扱うこと」の違いをうやむやにしたまま終わったんですね。
>>266 エビチリさん
>よって、各外国人学校が「高等学校の課程に類する課程を置くもの」に該当するかどうかを見極めるためには、学習指導要領と照らし合わせて、概ね学習指導要領の規準
と合致していることを確認すればよいのです。
個人的に少し消化不良になってしまった感があるので、もう少々おつきあいいただけますでしょうか。
エビチリさんは僕の
>>292のレスをどのように考えますか?
>>296 ぬさん
>エビチリさんは僕の>>292のレスをどのように考えますか?
まさかまたこのスレに書き込みをすることになるとは思いませんでした。
ですが、せっかくご指名いただけたので、おつきあいさせていただきます。
さて、まず確認したいのですが、クリスチャン・アカデミー・イン・ジャパンの教育理念のどの文面が、
学習指導要領のどの文面に即していないと考えているのでしょうか。
久しぶりに書き込みます。
ずいぶんと間が開いてしまい、議論に参加していただいた方々、ご覧頂いていた方々には申し訳ありませんでした。
(
>>288でまとめを編集してたら例によってこのサイトの不具合? かなんかで書き込めなくなって、「しばらくまた待ちかー」と
思った時に、なんだか気が抜けてしまって…ひょっとするとquppaさんがいなくなったことが、私にとってはとても大きかったのかも
しれないなと思いました。「ああ、そうか。あれは全部、無駄だったんだな」と思うと、すこーし燃え尽きたような気がしたんで…飲茶
さんが「論コミとは」に書かれている
「>もうなんかみんなどうでもよくなって、そこで議論が止まってしまう。」というのは、本当なんですね。少なくとも私は、
しばらくこの話がどうでも良いような気になっていました。
一般人さんが
>>289で書かれている内容を読むと、私の意見とほぼ合致していたので「論をぶつけ合う相手が居なくなってしまった」と
思えたのも、気が抜けた一因かなと思います。
が、やはり自分自身の考えていたこと…このスレッドのテーマについては、本当に「どうでもよく」はならないようです。あれから約
1ヶ月…また議論したい気持ちがむくむくと湧きあがってきました。
さっそく本題に入りたいと思います。
>>289 一般人さん
まず新しく書き直した「まとめ」についてはこれでよいと受け止めさせていただきます。
また、
>残念ながら、私には各種学校のうち無償化対象とされた学校が「学習指導要領に従っている」ことを確認する術がありません。
>『無償化対象校リストの中の各種学校は、学習指導要領に従っている学校である」というのであれば、学習指導要領に従うことが、
>高等学校の課程に類する課程を置く学校として認められる条件であるという主張は説得力があると思います。
>「学習指導要領に従うことが、高等学校の課程に類する課程を置く学校として認められる条件である」という『前提』を置けば、
>朝鮮学校を高校無償化対象から除外するのは差別ではないという主張に同意します。
この書き込みから、私はあなたの見解が以下の通りであると受け止めました。
『
学習指導要領に従うことが、高等学校の課程に類する課程を置く学校として認められる条件である、これが前提なら』
『
朝鮮学校を高校無償化対象から除外するのは差別ではない』
そうして、私は『
学習指導要領に従うことが、高等学校の課程に類する課程を置く学校として認められる条件』だと考えていますので、
あなたと私の間では、根本的な考え方に違いはないとわかりました。同意していただきまして、ありがとうございます。
***************************************************************
>>292 ぬさんへ
ご指摘のクリスチャン・アカデミー・イン・ジャパンについて、私は以下のように考えています。
「教育内容を確認する必要がある。確認の上、個人崇拝・個人の絶対化やそれに類する教育を行っているようであれば、
無償化対象とするべきではない。」
この学校が、生徒に信教の自由を認め、キリストへの批判を許しているのであれば、(いや神自身への批判や無神論でさえ認めているの
であれば)、別に無償化対象にしてもいいのではないかと考えます。
そうして、もし「キリストへの帰依を行わなければ入学すら許さない」とか「就学期間中に別の宗教を信じるようになれば、退学」とす
るのであれば、これは無償化対象校であってはならないと考えます。今現在、この学校は無償化対象校のようですが、もしキリスト教徒
しか生徒になれないのであれば、それは『
制度のスキを突いてごまかして無償化された学校』であると私は考えます。
それは私が朝鮮学校に対して次のように考えているのと同じです。
「金正日を神聖化し、絶対化し、神格化する教育を止め、彼は独裁者で犯罪者であると教え、日本の高校と同じように学習指導要領に
従って教育を始めれば、無償化しなければならない。そうしなければ差別だ」
このように考えております。いかがでしょうか?
ニュースみてないのか。
>>297 エビチリさん
>まさかまたこのスレに書き込みをすることになるとは思いませんでした。
>ですが、せっかくご指名いただけたので、おつきあいさせていただきます。
ありがとうございます。
>さて、まず確認したいのですが、クリスチャン・アカデミー・イン・ジャパンの教育理念のどの文面が、
>学習指導要領のどの文面に即していないと考えているのでしょうか。
目的
学習指導要領
・生徒の人間として調和のとれた育成を目指し,
・生徒に生きる力をはぐくむことを目指し,
CAJ
・生徒が生涯、神を愛し、神のみこころに従い、神の創造された世界を管理し、元の姿に回復させる責任を
担うことができるように整えさせること
・生徒が神の恵みと真理を知り、神の栄光を現すために神のかたちに創造された人間としての自分の存在を
受け入れ、神より与えられた可能性を発展させ、成長すること
学習指導要領は自ら学び自ら考える力などの「生きる力」をはぐくむことを目指しているのに対し、CAJの
教育理念では神の国を実現し神の栄光を現すための成長を目指しています。
根拠
学習指導要領
・法令及びこの章以下に示すところに従い,
・道徳教育は,教育基本法及び学校教育法に定められた教育の根本精神に基づき,
CAJ
・神
・聖書的見解
・キリスト教的見解
学習指導要領、CAJ教育理念ではそれぞれその内容を制定するに当たるための背景となる根拠が異なっています。
カリキュラム
学習指導要領
・学習指導要領
CAJ
・アメリカの教育基準に合わせた教育プログラム
それぞれ採用するカリキュラムが異なります。
目的、根拠、手段と全てが全く違う物のように思います。
>>300 ぬさん
なるほど。学習指導要領に即しているとは思わないというぬさんの考えは分かりました。
では次に、結局このことからぬさんは何を主張したいのでしょうか。
恐らくぬさんは、「CAJは学習指導要領に即していない。よって、○○だ」と主張されたいのだと思います。
そしてそれこそが、真の議論のポイントになるかと思います。
>>298 elsewhereさん
>ご指摘のクリスチャン・アカデミー・イン・ジャパンについて、私は以下のように考えています。
>「教育内容を確認する必要がある。確認の上、個人崇拝・個人の絶対化やそれに類する教育を行っているようであれば、
>無償化対象とするべきではない。」
>
>この学校が、生徒に信教の自由を認め、キリストへの批判を許しているのであれば、(いや神自身への批判や無神論でさえ認めているの
>であれば)、別に無償化対象にしてもいいのではないかと考えます。
>
>そうして、もし「キリストへの帰依を行わなければ入学すら許さない」とか「就学期間中に別の宗教を信じるようになれば、退学」とす
>るのであれば、これは無償化対象校であってはならないと考えます。今現在、この学校は無償化対象校のようですが、もしキリスト教徒
>しか生徒になれないのであれば、それは『制度のスキを突いてごまかして無償化された学校』であると私は考えます。
CAJではキリスト教教育を子供に受けさせたいと願っているその他の家族にも門戸は開かれているようです。
キリストへの批判が許されるかはわかりません。
でも、キリスト教教育を受けたいと言ってきた生徒にキリスト教を批判する権利はないと思うし、学校が批判を禁止した
としてもそれは正当な行為だと思います。
>それは私が朝鮮学校に対して次のように考えているのと同じです。
>「金正日を神聖化し、絶対化し、神格化する教育を止め、彼は独裁者で犯罪者であると教え、日本の高校と同じように学習指導要領に
>従って教育を始めれば、無償化しなければならない。そうしなければ差別だ」
上記の一文には3つの要素が含まれているように思います。
僕なりにまとめると「個人崇拝」「テロの容認」「学習指導要領」です。
CAJはイエスを神と、人生の主としています。
また僕は
>>300のエビチリさんへのレスでCAJは学習指導要領に即していないという見解を示しました。
個人崇拝、学習指導要領の点では朝鮮学校もCAJも大して変わらないと僕は思っています。
ちょっとうまくまとまらないのでいったんここまでにさせていただきます。
>>302 ぬさん
いえいえ、どうぞゆっくり考えてください。各人が自分の都合の良い時に読み、また書けるというのがネット掲示板の強みの一つですか
ら。かく言う私自身も、なんだか気分が乗らない程度の理由で2カ月ほど間をあけましたしね。
さて、もう少し私の考えを述べようと思います。私はこのように考えています。
『
朝鮮学校を無償化対象とするべきかどうかは、少なくとも学習指導要領に従っているかどうかで判断すべき』
もっと言うならこう考えています。
『
そのジャッジにCAJは関係無い』
実は正直申し上げると、私はぬさんがCAJを持ち出してくることによって何を言いたいのかがよくわからないのです。
(理解力が無くて申し訳ないです! どこがどうわからないと感じるのか、その理由を説明します)
仮に、これはあくまで仮にの話ですが…
CAJがもし学習指導要領に従っているのであれば、無償化されて当然。
CAJがもし学習指導要領に従っていないのであれば、無償化されることはおかしいが、
『
だからといって、同じように学習指導要領に従っていない朝鮮学校を無償化しろというのは話が違う』
このように考えているのです。
>>288で私は『
スピード違反を行うドライバーの例え話』を使ってこの考え方を説明しました。
仮に、万一、そんなことは無いと思いますが万万が一、学習指導要領に従っていないのにもかかわらず、そこを無理やりごまかして無償
化対象に潜り込んでいる学校があったとしても、それはその卑怯な学校を排除せよという話になるだけであって、朝鮮学校も入れろ、そ
うしなければ差別だー、などと話にはならないです。
つまり、CAJの話は朝鮮学校とどのように関連してくるのでしょうか?
学習指導要領に従っていなかったとしても、その事とこのスレッドのテーマ「朝鮮学校を無償化から除外することは差別か否か?」とは
関連がないのに。(少なくとも、私はそう考えています)
ここら辺を明確にしていただけると私も話がしやすいなと感じています。
もし、私の以下の質問に答えることで、あなたの考えがまとまりやすくなるのであれば、是非答えてみてください。
前提:仮に(あくまで仮にですよ)、CAJが学習指導要領に従っていないとするなら…その時ぬさんは
『
CAJが学習指導要領に従っていないのに無償化対象になっている以上、朝鮮学校も学習指導要領に関係無く無償化されるべきだ』
と主張するのでしょうか?
答えはYesかNoで答えられますが、「何故なら○○だから」と、その論拠も付けていただけると助かります。
>>エビチリさん
>>elsewhereさん
お二人のレスに共通する話題として僕の意図を説明します。
僕はCAJをある命題の反例として取り上げました。
反例の存在はその命題を否定します。
1:各種学校は学習指導要領に概ね即していることが高等学校の課程に類する課程を置くものとして
無償化法に適用される条件である
2:朝鮮学校は学習指導要領に即していないため無償化法に適用されず区別される
3:朝鮮学校が無償化法に適用されないのは区別であるため差別ではない
僕はCAJが命題1の反例として成立すると考えました。
つまり学習指導要領に即しているかいないかは無償化法適用の基準にはならないということです。
命題1が否定されたため命題2が成り立たず、命題3もまた成り立たないと言えるのではないかと
いうことです。
実際には数学のように何もかもはっきりしているということは少ないと思います。
なので僕が何かを主張したいというよりは、CAJから導きだされる結論について何らかの説明を
受けたいというのが意図です。
僕の解釈の間違いや論理的におかしな部分などあったらその指摘も含めてです。
ここまで説明したら安心して答えられると思うのでお二人に聞いてみます。
CAJは学習指導要領に概ね即していると言えるでしょうか。
>>303 elsewhereさん
CAJと朝鮮学校の関係は上記に記した通りです。
僕はelsewhereさんのいうスピード違反を行うドライバーの例え話は適当だとは思いません。
少し改変させていただくと、スピード違反で捕まった二人のドライバーのうちの一人を逃がす
という状態だと思います。
残されたドライバーは「俺も放せ」と主張することもできるかもしれませんが、まず何故あちらを
逃がしたのか理由を求めることは道理にかなっていると思います。
>前提:仮に(あくまで仮にですよ)、CAJが学習指導要領に従っていないとするなら…その時ぬさんは
>『CAJが学習指導要領に従っていないのに無償化対象になっている以上、朝鮮学校も学習指導要領に
>関係無く無償化されるべきだ』
>と主張するのでしょうか?
>答えはYesかNoで答えられますが、「何故なら○○だから」と、その論拠も付けていただけると
>助かります。
Noです。
理由は、僕はCAJを出すことによって特に何かを主張したいという訳ではないからです。
その前に説明を求めているのです。
>>304 ぬさん
ふむ…念のために確認したいのですが、このスレッドのテーマは『
朝鮮学校の無償化除外は「差別」か否か?』です。
つまり、各論者の主張は、全て(最終的には)このテーマに結び付いてこないとならないと私は考えています。
例えばぬさん、あなたが訊きたいことを全て訊き、言いたいことを全て言った最後の最後に、次の文章のどれかで締めくくることが
できるものでなければならないと考えています。
1.…上記により、朝鮮学校の無償化除外は、差別である。
2.…上記により、朝鮮学校の無償化除外は、差別ではない。
3.…上記により、朝鮮学校の無償化除外は、差別であるとも差別でないとも、どちらとも言えない。(立場によって異なる等の意味)
あなたは、
>>304の書き込みを、次の言葉で締めくくっています。
『
僕はCAJを出すことによって特に何かを主張したいという訳ではない』
これは気を悪くしないで聞いていただきたいのですが、あなたはみずから、
『
私はスレ違いの話をしています』
とおっしゃっていると私には思えます。何故と言って、あなたは朝鮮学校の無償化除外が差別か否かにつながる話をしているのではな
く、『
CAJから導きだされる結論について何らかの説明を受けたいというのが意図』だと明確に主張していますから。
私は、あなたの話とこのスレッドのテーマとの関連が良くつかめないから、関連を明確にしてほしいと要望したつもりでした。
そうしたところ、
「この話で何かを主張したいわけではない」
このように答えられると、私としては答える必要性をあまり感じなくなってしまいます。
「何かを主張したいわけではない? 関係無い話であれば、別のスレッドを立てて、そこで話をすることがふさわしいはず」
と、今、私は考えています。
(勿論、こう書いたからと言って、別にあなたを攻撃しているわけではありません。あなたの話題がこのスレッドのテーマに関係しない
としか思えないので、そこについてなんとしても理解したいという思いでこのように書いているのです。そんな心配はいらないと思いま
すが、しかし万一の為に申し上げます。この書き込みであなたが気を悪くしないでくださるようお願いします)
これは大事なポイントですからまとめます。
1.スレ違いの話をしているのでしたら、誠に恐れ入りますが、他のスレッドをお立て下さい。私も必ずそちらに参加します。
2.スレ違いの話ではない、とおっしゃる場合は、あなたの話がどのようにスレッドのテーマに関連するのかを明確にしてください。
どうかお願いいたします。
>>304 ぬさん
えっと…
>>306を書いてから、またあなたの
>>304をずっと読み返していて、私(elsewhere)が、
「これは、ひょっとしてテーマとの関連性を述べているのかもしれないな、と考えたことをきちんと書いておかないといけないな」
と思い返しました。
あなたは
>>304の真ん中あたりにおいて
>CAJと朝鮮学校の関係は上記に記した通りです。
と書いているので、あなたは命題1から3の基礎である命題1に反例があるので、その後の命題2から3はなりたたないとおっしゃって
いるのかなと、考えました。
つまり、私なりの表現に直すと、以下のようなことを主張しているのだろうと仮定して話を進めてみることにします。
命題1がなりたたないので、その後の命題2・命題3も成り立たない。
ゆえに朝鮮学校の無償化除外は差別である。
とすると、あなたの主張は、『
朝鮮学校の無償化除外は差別である』となります。
上記の私の解釈が間違っていたら、どう間違っていて、正しくはどう解釈するべきなのかをご教示ください。
上記の私の解釈が正しいのであれば、そう教えていただければそれに対する反論の用意があります。
*****************************************************
(しかし上記私の解釈が正しい場合は、私の
>>303の質問に対する答えは「yes・無償化されるべきだと主張する」となるはずなのになぁ
…と、多少混乱しています。)
>>298 elsewhereさん
>
>まず新しく書き直した「まとめ」についてはこれでよいと受け止めさせていただきます。
>また、
>
>>『無償化対象校リストの中の各種学校は、学習指導要領に従っている学校である」というのであれば、学習指導要領に従うことが、
>>高等学校の課程に類する課程を置く学校として認められる条件であるという主張は説得力があると思います。
>>「学習指導要領に従うことが、高等学校の課程に類する課程を置く学校として認められる条件である」という『前提』を置けば、
>>朝鮮学校を高校無償化対象から除外するのは差別ではないという主張に同意します。
>
>この書き込みから、私はあなたの見解が以下の通りであると受け止めました。
>『学習指導要領に従うことが、高等学校の課程に類する課程を置く学校として認められる条件である、これが前提なら』
>『朝鮮学校を高校無償化対象から除外するのは差別ではない』
>
>そうして、私は『学習指導要領に従うことが、高等学校の課程に類する課程を置く学校として認められる条件』だと考えていますので、あなたと私の間では、根本的な考え方に違いはないとわかりました。同意していただきまして、ありがとうございます。
お久し振りです。ご無沙汰しております。
さて、上記ですが、「前提が成立すれば」という「前提」付きですので、お忘れなく。
そして、この度、ぬさんからその前提を覆す反例としてCAJの例が示されました。
貴方はその反例に対し『
CAJは制度のスキを突いてごまかして無償化された学校である』との見解を示しています。
貴方が、そう考える根拠は何ですか?
この見解が正しいのであれば、素人がネットで少し検索しただけでわかるような学校の指導方針を、文科省が気がつかずに騙されたこととなります。
本来、無償化の対象と成り得ない学校を、文科省が無償化の対象としてしまったと考える根拠は何ですか?
「何故なら・・・だから」との論拠をお示しいただきたい。
>>308 一般人さん
本当にお久しぶりです!
私たちには意見の合うところと合わないところがありますが、それでこそ議論として実りあるものになろうかと思います。
是非今後も有意義な議論をしたいと願っておりますので、よろしくお付き合いください。
さて、ちょっと整理しますね。
私がエビチリさんの論を借りる形で『
差別ではない』という意見を論じさせていただいていますが、
ここに一般人さんは『
前提が成り立てば差別ではないことに同意する』と、歩み寄っていただいているところと受け止めています。
そうしてこのたび、一般人さんも、ぬさんの論を借りる形で『
差別だ or 差別かどうかは未確定』とする意見を出された状態と受け止
めました。以下はその前提で論じます。
2点に分けて反論をいたします。
***********************************************************************
【反論1.CAJは論点にはなり得ません】(こちらの方が重要な反論です)
その根拠について以下の通り説明します。
まず、基準に則って朝鮮学校が無償化対象から外された時に、
『
無償化対象として認可された学校の中に、どうみても基準に外れた学校を見つけた。だから、“俺たちも認可しなければ差別”』
とはならないということです。
その理由については、既に
>>288『
スピード違反をしたドライバーの例え話』で説明しました。
これには反論がありました。
>>304での、ぬさんからいただいたものです。
「適切な例えではない。適切な例えはスピード違反で捕まった二人のドライバーのうちの一人を逃がすという状態だと思います」
しかし私はぬさんのこの反論には根拠が明示されていないと考えています。
私は、私なりの例え話をした時に、一般人さんに以下のような反論をいただきました。(
>>286で頂いた反論ですね)
「スピード違反の例は、主張を類推するための例としての体をなしていない(あまりにも条件が異なり過ぎていて類推になっていな
い)」
そこで私は
>>288でそれがどのように例え話として適切かを説明いたしました。
一般人さんも、一旦はそれを認めていただいていると認識しています。
ところでその後、ぬさんから『
その例え話は適切ではなく、私の例え話が適切だ』との主張をいただきました。
しかしその話には、根拠の提示がありませんでした。ぬさんはおそらく、自明だと思ったので敢えて省いたのでしょうが、
私にとっては自明ではありません。
『○○ではなく△△だ。何故なら■■だからだ」
ある主張を通したいと思ったら、■■の部分が必要不可欠ですが、ぬさんの主張
『elsewhereの例え話は不適切だ。私の例え話の方が適切だ」
には『
何故なら■■だからだ』の部分が欠けています。ゆえに私は納得していません。
私の例え話とぬさんの例え話のどこが異なっており、何故ぬさんの例え話の方が適切かを示していただければ、私も理解しやすくな
り、議論も前に進みやすいかと思います。
上記をもって、私はCAJは論点にはなり得ないことを示しました。(論点になるためには何が必要かも明示しました)
【反論2】
こちらの反論は、上記の反論が破られたとした場合に必要になってくるものと考えています。
その意味で枝葉の問題であって、本筋の論ではありません。
そうして、上記の反論がどのように破られるかに依存する部分もあるので、あまり重要な反論ではありません。
しかし、あらかじめ何かが言えるようであれば、それは言っておこうと思い、書くものです。
以下に書く反論2は、上記反論1が(仮に破られるとして、その仮定が成立したとして)どのように破られるかによって
変化する可能性があると言う意味です。(まあ読まなくてもいいってことですね)
さて、一般人さんは
>>308においてCAJを『
私の論の前提を崩す反例』として上げ、そうして私の主張を以下の通りと書いていらっしゃ
います。
>貴方はその反例に対し『CAJは制度のスキを突いてごまかして無償化された学校である』との見解を示しています。
>貴方が、そう考える根拠は何ですか?
私は、この『
隙をついてごまかして無償化された学校である』との見解を、ただ突然しているのではありません。
それをぬさんに対して主張したのは
>>298ですが、その主張には、いくつかの『
前提』がセットになっていたことにご注意ください。
『
教育内容を確認した上で』(実は私は教育内容は文科省が確認していると思っていますが…)
『
もし「キリストへの帰依を行わなければ入学すら許さない」とか』
『
「就学期間中に別の宗教を信じるようになれば、退学」とするのであれば、』
『
もしキリスト教徒しか生徒になれないのであれば、』
これらのif(前提)を満たすのであれば、その場合には
『
それは『制度のスキを突いてごまかして無償化された学校』であると私は考えます』
と主張したのです。
つまり、私の主張、というか見解は多くのif(前提)を・・・・・・・・・
うーむ…やはり、私の反論1がどのように破られるかに依存するので、これ以上考えるのは敢えて止めます。
一般人さんの
>>308の最後の問いに答えたくてここまで書いたのですが、今まで書いた内容から、私が
>>308の最後の質問に
答えるには未だ準備が整っていないことがご理解いただけると思います。
私の未熟さをどうかお許しください。
そうしてまず反論1『
CAJは関係無い』について考えていただきますよう、お願いいたします。
もし認めていただければ、反論2は不要となり、一般人さんとの議論は『
>>289で話題になっていた「前提」を共有できるか?』に
移ってくるかと思うのです。
そちらの方が私には有意義と感じられるので、是非その方向でお考えいただければと思います。
>>309 elsewhereさん
>
>私は、私なりの例え話をした時に、一般人さんに以下のような反論をいただきました。(>>286で頂いた反論ですね)
>「スピード違反の例は、主張を類推するための例としての体をなしていない(あまりにも条件が異なり過ぎていて類推になっていな
>い)」
>そこで私は>>288でそれがどのように例え話として適切かを説明いたしました。
>一般人さんも、一旦はそれを認めていただいていると認識しています。
いいえ
全く認めていません。
貴方のスピード違反の事例は、あくまでも無償化の対象の基準が「学習指導要領に従っていること」が前提になっています。
いま、無償化対象の基準が何かを議論しているとき、議論の命題を貴方が勝手に前提に置き換えて議論を進めている状況です。
スピード違反の事例は、既に違反の基準が明確です。したがって、違反を見逃された(警察が見つけられなかった)人が存在するからといって、違反の基準を疑う必要はありません。
ただ、ここではいまその基準が何なのかを議論しているため、(貴方が提示した)基準に該当していないにもかかわらず対象となっている者が存在する場合は、「これが基準だ」と主張する者(貴方)への反例となります。
でなければ、いま対象となっている全ての学校が、貴方の提示する基準に該当してなかったとして、「それは不正だ」という論が成立してしまいます。
これでは議論になりません。
私もぬさんもそこを指摘しています。
早く気が付いてください。
>>310 一般人さん
これは失礼しました。誤解してしまっていたようです。
ではまず私と一般人さんの間でどのような差異があるのかを明確にするところから始めてみたいと思います。
まず一般人さんは、以下のように
>>310に書かれています。
>いま、無償化対象の基準が何かを議論しているとき、議論の命題を貴方が勝手に前提に置き換えて議論を進めている状況です。
私はあなたと『
無償化対象の基準が何か』を議論しているとは考えていませんでした。
これは私の思い違いだということですので、あなたの考える『
無償化対象の基準』をお示しください。
>>312 エビチリさん
>
>ハで初めて「高等学校の課程に類する課程」という言葉が出てきます。
法律第2条第1号第5項に出てきますよ。
施行規則第1条にも出てきます。
>>311 elsewhereさん
>
>私はあなたと『無償化対象の基準が何か』を議論しているとは考えていませんでした。
>これは私の思い違いだということですので、あなたの考える『無償化対象の基準』をお示しください。
ぬさんが既に
>>305でリンクを貼ってくれています。
ここに掲載されているのが基準です。文科省が公表しているので議論の余地はないでしょう。
基準の内容を簡単に言えば「学習指導要領に『
概ね』合致していると確認できること」です。(報道ではこういう表現が多いです)
この『
概ね』が曲者です。
詳細は
>>305のリンク先にありますが、私が一番最初に
>>106でした発言を覚えてますでしょうか。
この『
概ね』は、私の最初の発言にイメージとしてはかなり近いものです。
以下に該当部分を引用します。
>>106
>私は「課程」という単語からは、「どのような教科・科目をどれほどの時間数をかけて学習するのか」というイメージを持っています。言い換えれば「最低限クリアしなければならない教育レベルのボーダーライン」というイメージです。
>>305のリンク先にある基準には、上記のほか、教師のレベルや学校設備と面積、運営と情報公開も基準となっています。
しかし、「思想」は基準になっていません。また完全に合致することも求められていません。ここが重要なポイントです。
エビチリさんや貴方は、部分的や思想的な点で学習指導要領に合致していないことを対象外の根拠としていましたが、それは誤りです。
さらにいうと、朝鮮学校はもうすぐ無償化の対象となります。
学習指導要領に『
概ね』合致していると確認できたそうです。(ニュースでやってました。)
今まで対象にしてなかったのは、基準に該当していなかったのではなく、差別していたわけでもなく、朝鮮学校から情報が提示されずに確認できなかったからだそうです。(文科省記者会見より)
私が議論からフェードアウトしたのは、この議論にもう結論が出たと感じたからです。
この議論は、朝鮮学校が無償化の対象外であるからこそ成立する議論です。
もうひとつの理由は、少し言いにくいのですが、貴方の『
結論ありきの論理展開』にやや嫌気がさしてきたからです。
差別かどうかを議論したいのではなく、「差別ではない」ということを相手に納得させたいだけなのだと感じてきたからです。
そのため、貴方の論理展開がどんどん稚拙になってきたと感じました。
稚拙な論理を否定するのに労力ばかりを費やすことに疲れてきたのです。
スピード違反の例を否定しようとした時に、そう感じて途中で反論するのをやめてしまいました。その為、私が納得していると誤解させてしまったのでしょう。
>>147でも言いましたが、改めて言っておきます。
私は朝鮮学校の無償化には反対です。高等学校の無償化にも反対です。
なので、このような法律自体に反対です。
ただ、法律ができた以上は、法律に従って平等に扱わなければならないと思ってます。
>>314 一般人さん
これは厳しいご指摘をいただきました。耳が痛いです。
>貴方の『結論ありきの論理展開』にやや嫌気がさしてきたからです。
なかなか言いにくいことを書かせてしまうことになって申し訳ありません。
私自身にはそのようなつもりがなかったことはもちろんですが、しかし実際にあなたがそのように感じたのであれば、
これは虚心に耳を傾ける必要があるでしょう。率直に受け止め、今後の戒めといたします。
ちょうど…という訳でもありませんが、
>>311で私は自分の主張を論ずるより、むしろあなたの主張をきちんと聞き直してみようと思っ
たところでした。その為に、一通りこのスレッドに目を通しなおし、自分の論を書き連ねることは止めて、そうして改めてあなたの主張
の軸を確認しようとするところから始めようとしていたのでした。
もし、不快であるとか、単に気が向かないとか理由は別に無いとかでも結構です。相手にする価値がないと思えば私の質問は無視してい
ただければと思います。
今、あなたは朝鮮学校が無償化されるとの認識に立っていらっしゃると思いますが、それは、差別ではなく、平等に扱われるようになっ
たと受け止めていますか?
>>313 一般人さん
>法律第2条第1号第5項に出てきますよ。
>施行規則第1条にも出てきます。
施行規則第1条は見落としていました。
ありがとうございます。
そうなると、
>>312は、「高等学校の課程に類する課程」は具体的にイロハの三つがあり、CAJはロに該当するから学習指導要領に即しているかは関係なく、朝鮮学校はイ・ロに該当するから学習指導要領が関係する、ということになりますね。
それと横ですが、
>>314の「学習指導要領に『
概ね』合致していると確認できたそうです」とのことですが、具体的に何が確認できたのですか? また、誰が確認したのですか?
法的な見方ばかり出てくるのですが(日本国政府の対応の話だから当然だ)、外国人学校の側から見たらどうなんでしょう。
というのは、具体的な条文はともかく、法が意図しているのは、本来「日本国の教育方針に従うなら金を出す」ってことですよね。外国人学校の設立意図にもよりますが、居住国のシステムに関わらず本国に準じた教育を施したい、と言うことであれば、むしろ助成などありがた迷惑ではないかと思うのですが。
もっとも日本国政府の側が、国益なんか微塵も気にせずばらまくことばかり考えているようなので、体裁だけ整えれば助成金かっぱぎ放題になりそうなのが、気になります。
>>315 elsewhereさん
>
>今、あなたは朝鮮学校が無償化されるとの認識に立っていらっしゃると思いますが、それは、差別ではなく、平等に扱われるようになったと受け止めていますか?
基準に従えば、無償化するのが法的に平等だと思います。
>>317 ぐりゅんさん
>というのは、具体的な条文はともかく、法が意図しているのは、本来「日本国の教育方針に従うなら金を出す」ってことですよね。
法第1条の目的のどの部分を指しておっしゃっているのでしょうか?
法にそのような意図があるとする根拠をお聞かせください。
>>318 一般人さん
>ソースは産経新聞です。
>http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100827-00000133-san-soci
私が聞きたいのは、具体的内容です。
この記事を読む限りでは、ただ単に文科省が「日本の高校教育課程に類する」と判断したことだけしか分かりません。
私が知りたいのは、朝鮮学校ではどのような教育課程で授業を行っており、どのような内容の教科書を使い、そしてそれがどの程度日本の学習指導要領に合致しているかです。
例えば
>>314で一般人さんは、「教師のレベルや学校設備と面積、運営と情報公開も基準となっています」とおっしゃいましたが、朝鮮学校の教師のレベルってどの程度のものなのでしょうか? また、情報公開はされているのですか?
ソースの記事には、「学校運営の透明化確保などの条件をつけることも検討されている」と書かれているように、現時点では透明化されていないように思えるのですが。
恐らく一般人さんは、こうした朝鮮学校の具体的事情に詳しいと思われます。だからこそ、文科省の「日本の高校教育課程に類する」という判断に納得されたのだと思います。
ですので、私にもその「日本の高校教育課程に類する」と判断するに足る情報を教えてほしいと思います。
>>319 一般人さん
>基準に従えば、無償化するのが法的に平等だと思います。
なるほどです。
ではこう解釈してもよいでしょうか?
『
まとめ欄に書いてある一般人さんの意見は、“(無償化から除外したら)差別である”という欄に移すことが適切』
>>321 エビチリさん
>
>>ソースは産経新聞です。
>>http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100827-00000133-san-soci
>
>私が聞きたいのは、具体的内容です。
>この記事を読む限りでは、ただ単に文科省が「日本の高校教育課程に類する」と判断したことだけしか分かりません。
>私が知りたいのは、朝鮮学校ではどのような教育課程で授業を行っており、どのような内容の教科書を使い、そしてそれがどの程度日本の学習指導要領に合致しているかです。
>例えば>>314で一般人さんは、「教師のレベルや学校設備と面積、運営と情報公開も基準となっています」とおっしゃいましたが、朝鮮学校の教師のレベルってどの程度のものなのでしょうか? また、情報公開はされているのですか?
>ソースの記事には、「学校運営の透明化確保などの条件をつけることも検討されている」と書かれているように、現時点では透明化されていないように思えるのですが。
>
>恐らく一般人さんは、こうした朝鮮学校の具体的事情に詳しいと思われます。だからこそ、文科省の「日本の高校教育課程に類する」という判断に納得されたのだと思います。
>ですので、私にもその「日本の高校教育課程に類する」と判断するに足る情報を教えてほしいと思います。
>
無茶苦茶言うなぁ・・
すいません。以後お相手できないと思います。
>>323 一般人さん
横からすみません。
ちょっと「おや?」と思ったのですが、あなたは
>>314で
>さらにいうと、朝鮮学校はもうすぐ無償化の対象となります。
と書いていますが、これはまだ結論が出ていないですよね?
一般人さん自身が
>>318で
>私の見解ですが、おそらく対象になると思います。ニュースからそういう流れを感じる
と書いていますし。あなたは感じているかもしれませんが、私は感じていません。
なんといっても
>>111においてnaturaさんが全く逆のことを言っておりますし、そのソースを求められたときに
naturaさんは可能性が大きいからそう判断したと書いています。(
>>125)
一般人さんも『
そう感じる』だけですよね?
その後の、というかいつもの民主政権の迷走ぶりを考えると、まだどちらに決まったものでもないと私は考えています。
一般人さん自身が引き合いにだした記事そのものにも、
『
しかし、運営体制や思想教育などについて批判が強まっていることなどから、適用の決定は保留した状態になっているという。』
『
「適用条件満たす」の判断は、その方針を受けたものだが、批判もあって方針を転換し、早急な適用判断を避けているもようだ』
とあります。
上記を踏まえると、エビチリさんが具体的な点を確認するのは当たり前ですよ。例えば思想教育一つとっても、それついてはどうなるのか?
まさにここに引っ掛かっているから、無償化については進められない状態になっているということです。
>>307 elsewhereさん
>命題1がなりたたないので、その後の命題2・命題3も成り立たない。
>ゆえに朝鮮学校の無償化除外は差別である。
違います。
「差別ではない」とする理由が成り立たないので強いて言えば「差別ではないとは言えない」です。
それと、CAJがこのスレッドとどのような関係にあるのかは以下のエビチリさんへのレスで決着がつくと思います。
>>309 elsewhereさん
例え話はイメージの共有くらいに捉えるのが無難だと思います。
>>312 エビチリさん
>今問題となっている朝鮮学校は、イにもロにも該当していません。
>よって、ハに該当するかが焦点となります。
>ハで初めて「高等学校の課程に類する課程」という言葉が出てきます。
>そして私は「高等学校の課程に類する課程」を客観的に判断する指針は学習指導要領であると主張したわけです。
>
>というわけでして、CAJに関しては、ぬさんのおっしゃる「学指導要領に即しているかいないかは無償化法適用の基準にはならない」は完全に正しいといえます。
>ですが、そのことはスレタイとは全く関係ない話です。
僕が反例として提出したCAJはエビチリさんに説明を要求しました。
CAJがなければ必要なかったかもしれない説明を、CAJがあることによって差別ではないとする理由に追加して
しなければならなくなった。
これがCAJとこのスレッドとの関係です。
いずれまとめの差別ではないとする理由にも書かれるべきだと思います。
そしてその説明がなされた今、もはや関係なくなりました。
ただしそれまではCAJが反例として存在し、このスレッドとも関係があったということは理解していただきたいと思います。
まあ必要な手続きだったくらいでも構わないです。
以上の説明で大体同意いただけましたら、いよいよ施行規則第一条第一項第二号ハの「高等学校の課程に類する課程を置くもの」
とはなにか、学習指導要領とどのような関係にあるのかに突入したいと思います。
>>323 一般人さん
>無茶苦茶言うなぁ・・
>すいません。以後お相手できないと思います。
私も無茶だと思いますよ。だって、「学習指導要領に概ね沿っているから朝鮮学校を無償化するよ。え? 具体的にどう沿っているのかって? それは秘密」で、納得しろと言われているんですから。
これで納得する人って、一体どんな人なんでしょうね。
一般人さんは、
>>314で「『
結論ありきの論理展開』にやや嫌気がさしてきた」とおっしゃっていますが、私から言わせれば、この説明で納得する方がよほど結論ありきです。
そもそも、「文科省がやっていることは全て正しい」なんて前提はおかしいわけですよね。
だから、朝鮮学校が無償化の対象にならなかったときに、「それって差別じゃないの?」という疑問が生じるし、それについて議論する必要がある。
これは自然なことです。
同様に、朝鮮学校が無償化の対象になろうとしているときにも、「無償化の対象としていいの?」という疑問が生じるのは当然ですし、それについて議論する必要がある。
なのに今回については、「文科省がそう言っているから」で議論が終わろうとしている。
これは不自然なことです。まさにダブル・スタンダードです。
分かりやすく書くとこうです。
before
文科省「朝鮮学校は無償化の対象にしないよ」
一般人さん「なぜ? きちんと朝鮮学校の教育課程を調べ、学習指導要領と合致しないと判断したのか? 「人は平等である」と教えなくても、それだけで無償化の対象外とするのは差別ではないか? 今の状態では無償化対象基準から明確に外れているとは言いがたい。もっと議論をすべきだ」
after
文科省「朝鮮学校を無償化の対象とするよ」
一般人さん「納得しました」
「朝鮮学校がなぜ無償化の対象としてふさわしいか」の説明を求められ、それに対する返答が「無茶」であるということは、それはつまり「朝鮮学校を無償化の対象とすることは無茶」だと言っている様なものです。
多分一般人さんも、気づいているのでしょう。
朝鮮学校を無償化の対象とする根拠が全く公表されておらず、説得力が皆無なことに。
だから議論を続けられない。
「文科省がそう言っているから」などの、いわゆる権威による正当化は、哲学とは完全に真逆の態度です。
大切なのは、「上はそういっているけど、本当にそれで正しいのか?」と疑う心です。
「朝鮮学校を無償化の対象としないのは差別ではないのか?」という問いは、まさにそういう心から発せられた問いだったと思うのですが、違うのでしょうかね。
根本的な前提なんだが、
「日本国が朝鮮学校にとる『べき』対応」(べき論)というのを
「日本政府の役割(機能)」という概念から纏めていくべきなんじゃないの。
その上で「日本政府はかくある『べき』だから、朝鮮学校は無償化(する/しない)『べき』だ」というようにしないと
いつまでたっても結論なんか出ないような。
軽く読んだけど文部科学省の見解やら、CAJやらと……。
問題に対しての根本的な争点はそこにはない気がするんだけどなぁ。
>>326 エビチリさん
>
>同様に、朝鮮学校が無償化の対象になろうとしているときにも、「無償化の対象としていいの?」という疑問が生じるのは当然ですし、それについて議論する必要がある。
>なのに今回については、「文科省がそう言っているから」で議論が終わろうとしている。
>これは不自然なことです。まさにダブル・スタンダードです。
なるほど。
私が間違っていました。エビチリさんのおっしゃることはもっともです。
反射的に書き込んでしまったことを反省しています。
なので、もう少し私のスタンスを説明し、何故「無茶」だと申し上げたのか説明します。
>文科省「朝鮮学校は無償化の対象にしないよ」
>一般人さん「なぜ? きちんと朝鮮学校の教育課程を調べ、学習指導要領と合致しないと判断したのか? 「人は平等である」と教えなくても、それだけで無償化の対象外とするのは差別ではないか? 今の状態では無償化対象基準から明確に外れているとは言いがたい。もっと議論をすべきだ」
私がこれまで書き込んできた主張と、上記の記述とはかなり意味が異なります。
私は
「朝鮮学校は○○の基準に合致していないので、無償化の対象外とするのは区別であって差別ではない。」
という主張に対して、
「ちょっと待った。無償化対象の基準って○○じゃなくて△△じゃないですか?」
と言い続けてきただけです。
(○○は「人は平等」の流れのelsewhereさんの主張や、エビチリさんの「学習指導要領完全合致」だと思ってください。そして△△は「学習指導要領に概ね合致すること」だと思ってください。)
ここにきてようやく、△△が基準であることをエビチリさんにもご理解いただけたところだと思ってます。
(私に
>>326の説明を求めてきたということは、私がこれまで一貫して主張してきた「△△が基準である」ということには納得いただけたものだと理解しています。)
>「朝鮮学校がなぜ無償化の対象としてふさわしいか」の説明を求められ、それに対する返答が「無茶」であるということは、それはつまり「朝鮮学校を無償化の対象とすることは無茶」だと言っている様なものです。
>多分一般人さんも、気づいているのでしょう。
私が無茶だと申し上げたのは、私が結論を持っていることを勝手に前提にして、その前提のもとで私に説明を求められたことに対してです。
私が主張し、ようやく皆様に納得いただいた「基準」に朝鮮学校が該当するかどうかを議論すること自体を無茶だと言ったわけではございません。
私自身は、政府が専門家会議まで作って出した結論を疑う必要はないと感じていますが、この先、エビチリさんが私に求めた説明について、このスレで議論されることは、私にとってむしろ歓迎する流れです。
ただ、申し訳ないですが、私は、それを説明できるほど朝鮮学校の事情に詳しくないですし、実態も全然知りませんので、私からは説明できません。
>>324 vitamizerさん
おっしゃる通りです。
私がそう感じるだけです。結論はまだです。
私が一時的にこの議論から遠ざかった理由として、私の感じたことを述べただけですので、ここの事実関係を議論するつもりも必要もありません。
誤解を招く言い方をして申し訳ありません。
>>322 elsewhereさん
>
>>基準に従えば、無償化するのが法的に平等だと思います。
>
>なるほどです。
>ではこう解釈してもよいでしょうか?
>
>『まとめ欄に書いてある一般人さんの意見は、“(無償化から除外したら)差別である”という欄に移すことが適切』
私のスタンスをもう一度整理します。
>>328にも書きましたが、私の当初の主張は
>>106にもあるとおり、貴方が主張されていた無償化対象基準(人は平等とか憲法のくだり)を否定することでした。
その否定は成功し、貴方にも納得いただけました。
次に、新たな基準として学習指導要領に完全に沿っていること という基準がエビチリさんの主張を借りた形で提示されました。
文科省の発表で、その基準の否定にも成功しました。(でいいですよね?)
いま、ようやく無償化対象基準が、当初から私が主張していたとおり、思想的なものは関係なく、外形的なカリキュラム等で判断するということにご理解いただけたと思います。
私は基準に合致すれば朝鮮学校は無償化の対象とすべきだし、合致しなければ無償化の対象外とすべきだと思います。(当たり前ですが・・)
では、その外形的なカリキュラム等の基準に朝鮮学校が合致するのか?
次に議論すべきはこの点です。
私が自分で確認したわけではないですが、ニュースによると朝鮮学校が無償化の対象となる方向で議論されているらしいので、おそらく基準に合致しているのだと思います。
もし、基準に合致していれば、無償化するのは当然です。それが法の下の平等です。
>>330 一般人さん
>私のスタンスをもう一度整理します。
> >>328にも書きましたが、私の当初の主張は>>106にもあるとおり、貴方が主張されていた無償化対象基準
>(人は平等とか憲法のくだり)を否定することでした。
>その否定は成功し、貴方にも納得いただけました。
そうですね。おっしゃる通りです。
>次に、新たな基準として学習指導要領に完全に沿っていること という基準がエビチリさんの主張を借りた形で提示されました。
>文科省の発表で、その基準の否定にも成功しました。(でいいですよね?)
ここは「いいえ」と答えます。
>いま、ようやく無償化対象基準が、当初から私が主張していたとおり、思想的なものは関係なく、
>外形的なカリキュラム等で判断するということにご理解いただけたと思います。
いいえ、私はそれが『
未だ根拠が示されていない主張だ』と考えています。
あなたはまだ、エビチリさんの「根拠を問う質問」に答えていません。それは
>>321の以下の部分です。
>恐らく一般人さんは、こうした朝鮮学校の具体的事情に詳しいと思われます。
>だからこそ、文科省の「日本の高校教育課程に類する」という判断に納得されたのだと思います。
>ですので、私にもその「日本の高校教育課程に類する」と判断するに足る情報を教えてほしいと思います。
エビチリさんの質問は、非常に明快かつ核心に触れる質問です。
(ところで私が質問した『
まとめ欄の一般人さんの意見、場所を移しましょうか?』という質問そのものに直接は答えていただいていま
せんが、今のところ『
そのままでいいよ』という風に考えていらっしゃると解釈し、そのままにしておきます。また、ぬさんの意見も取
り込みたいと思いますが、もう少しぬさんの主張が明確になってからそれをしたいと考えています)
******************************************************************
>>325 ぬさん
ふむ…CAJがどのように関係してくるのか(すみません!)私にはまだ理解できていない部分もあると感じています。
しかし、この件についてぬさんも『
最終的には関係無い』ということに同意していただいているようですので、私たちの結論は同じです
ね。
『
結論は同じでも途中で通る道が違うことについて、私自身が納得できるか』はとりあえず置かせていただきます。そこにいちいちこだ
わっても、有益な議論にもならないですしね。
ぬさんの「先に進もうよ」という提案に同意します。
(エビチリさんも最後書かれているように「ですが、そのことはスレタイとは全く関係ない話です」ということですしね)
もし「いやいやそこ大事だから! elsewhereがそこ理解してないなら先進めないよ」ということでしたらおっしゃってください。
>>331 elsewhereさん
>
>>次に、新たな基準として学習指導要領に完全に沿っていること という基準がエビチリさんの主張を借りた形で提示されました。
>>文科省の発表で、その基準の否定にも成功しました。(でいいですよね?)
>
>ここは「いいえ」と答えます。
>
>>いま、ようやく無償化対象基準が、当初から私が主張していたとおり、思想的なものは関係なく、
>>外形的なカリキュラム等で判断するということにご理解いただけたと思います。
>
>いいえ、私はそれが『未だ根拠が示されていない主張だ』と考えています。
>あなたはまだ、エビチリさんの「根拠を問う質問」に答えていません。それは>>321の以下の部分です。
「いいえ」となる根拠は「
>>321のエビチリさんの質問に答えていないから」ということでよろしいですか?
であれば、それは根拠になっていません。
エビチリさんの質問は、朝鮮学校が基準に該当するための根拠です。
そこに答えようと答えまいと文科省の発表である外形的なカリキュラムが基準である事実は変わりません。
私の主張の根拠は
>>305でぬさんがリンクを貼ってくれた文科省の発表です。
文科省の発表はエビチリさんの質問に答えようと答えまいと変わりません。
>(ところで私が質問した『まとめ欄の一般人さんの意見、場所を移しましょうか?』という質問そのものに直接は答えていただいていませんが、今のところ『そのままでいいよ』という風に考えていらっしゃると解釈し、そのままにしておきます。また、ぬさんの意見も取り込みたいと思いますが、もう少しぬさんの主張が明確になってからそれをしたいと考えています)
すみません。「場所を移す」の意味が良く分かりませんので答えられません。
とりあえず、貴方が上で「いいえ」と答えた部分の同意が得られるまでは、今のままで良いと思ってます。
>>331 elsewhereさん
文科省が発表した「高等学校の課程に類する課程」として満たすべき「基準」を以下に貼りつけておきます。
以下の基準に従っていれば、学習指導要領に「概ね」合致していることとなります。
これが、思想的なものは関係なく、外形的なカリキュラム等で判断する という私の主張の根拠です。
基準の項目(案)
(教育課程等)
○ 修業年限が原則として3年以上であること。
○ 授業時数は、学科ごとに、一年間にわたり800時間以上であること。
○ 一の授業科目について同時に授業を行う生徒数が40人以下であること。ただし、特別の事由があり、かつ、教育上の支障のない場合は、この限りでない。
○ 中学校又はそれに準ずる学校等を卒業した者に対し、中学校又はそれに準ずる学校における教育の基礎の上に、心身の発達に応じて、高度な普通教育に類する教育を施すにふさわしい授業科目を開設していること。
(教員)
○ 置かなければならない教員の数は、次の表に定める生徒数の区分に応じ、それぞれ定める教員数以上であること。
この教員の数の半数以上は、専任の教員(常勤の校長が教員を兼ねる場合にあっては、当該校長を含む。)でなければならない。ただし、専任の教員数は、3人を下ることができない。
<表割愛>
○ 教員は、次のいずれかに該当する者であって、教職に関する専門的教育を受け、その担当する教育に関し、専門的な知識等を有する者であること。
一専修学校設置基準(昭和51年文部省令第2号)第19条第1号から第4号の規定のいずれかに該当する者
二専修学校設置基準第19条第5号の規定に該当する者として、次のいずれかに該当する者
(イ) 各種学校で高等学校卒業程度以上を入学資格とするものを卒業した後、関連業務に従事した者で、当該各種学校の修業年限と関連業務従事期間とを通算して4年以上となる者
(ロ) 外国の学校、学校教育法以外の法律に基づく教育施設、又は設備及び編成に関して専修学校若しくは各種学校に準ずる教育施設等を卒業した者であって、専修学校設置基準第19条第2号から第4号までの規定の各号に相当する修業年限、業務従事期間又は資格を有する者
(ハ) その担当する教育に関し、法令に基づく大学卒業程度の免許若しくは資格等を取得した者又は短期大学卒業程度の免許若しくは資格等を取得した者で取得後2年以上関連業務に従事した者若しくは、高等学校卒業程度の免許若しくは資格等を取得した者で取得後4年以上関連業務に従事した者
(ニ) 大学、短期大学又は高等専門学校の助手の資格のある者
(施設・設備)
○ 校舎等を保有するに必要な面積の校地を備えていること。この校地のほか、目的に応じ、運動場その他必要な施設の用地を備えていること。
○ 校舎には、目的、生徒数又は課程に応じ、教室、教員室、事務室その他必要な附帯施設を備えていること。校舎には、この施設のほか、なるべく図書室、保健室等を備えるものとする。
○ 校舎の面積は、次の表に定める生徒数の区分に応じ、それぞれ定める面積以上であること。ただし、地域の実態その他により特別の事情があり、かつ、教育上支障がない場合は、この限りでない。
<表割愛>
○ 目的、生徒数又は課程に応じ、必要な種類及び数の機械、器具、標本、図書その他の設備を備えていること。
>>328 一般人さん
>私がこれまで書き込んできた主張と、上記の記述とはかなり意味が異なります。
>私は
>「朝鮮学校は○○の基準に合致していないので、無償化の対象外とするのは区別であって差別ではない。」
>という主張に対して、
>「ちょっと待った。無償化対象の基準って○○じゃなくて△△じゃないですか?」
>と言い続けてきただけです。
>(○○は「人は平等」の流れのelsewhe
>eさんの主張や、エビチリさんの「学習指導要領完全合致」だと思ってください。そして△△は「学習指導要領に概ね合致すること」だと思ってください。)
ところで、私は無償化対象の基準が「学習指導要領完全合致」だと主張したことってありましたっけ?
ありましたら、レス番を教えて頂けますと助かります。
ちなみに私は
>>266で、「各外国人学校が「高等学校の課程に類する課程を置くもの」に該当するかどうかを見極めるためには、学習指導要領と照らし合わせて、概ね学習指導要領の規準と合致していることを確認すればよいのです。」と主張しています。
きちんと、『
概ね』という言葉を使っています。
つまり、私は文科省が無償化対象の基準を明示する前からすでに正しい基準を見抜いていたことになります。
しかし一般人さんは
>>275で、「その意見が論理的に正しいとするには、現在、文部科学省令で指定されている各種学校はすべて学習指導要領に従っているということが必要です。」と、学習指導要領が「高等学校の課程に類する課程を置くもの」の条件であることに同意していないかのような発言をしています。
「無償化対象の基準って「学習指導要領完全合致」じゃなくて「学習指導要領に概ね合致すること」じゃないですか?」などという主張ではありません。
また、このような発言をするということは、あたかも朝鮮学校が学習指導要領に準拠していないことを認めているかのように思えます。
現に一般人さんは
>>289で、「「学習指導要領に従うことが、高等学校の課程に類する課程を置く学校として認められる条件である」という『
前提』を置けば、朝鮮学校を高校無償化対象から除外するのは差別ではないという主張に同意します。」と発言しています。
つまり一般人さんは、
@学習指導要領が「高等学校の課程に類する課程を置くもの」の条件であることに同意していない
A朝鮮学校は学習指導要領に従っていないと考えている
ところが、いざ文科省が「「高等学校の課程に類する課程を置くもの」の条件は学習指導要領で、朝鮮学校は学習指導要領に概ね一致しているから無償化する」と言ったら、それをあっさり受け入れています。
以前の一般人さんの考えである@Aの両方と全く逆なのに。
これは一体どういうことですか?
ご自分の考えはどこにいったのですか?
ご自分では朝鮮学校は学習指導要領に従っていないと考えているのに、全く説明のない文科省の「朝鮮学校は学習指導要領に概ね従っている」発言を聞いてそれをあっさり受け入れるとはどういう了見ですか?
これでは、やはり一般人さんは結論ありきの議論をしていたとしか思えません。単に、「朝鮮学校を無償化の対象外とすることは差別だ」と主張できる論理を探してるだけです。
私は、一貫して学習指導要領が「高等学校の課程に類する課程を置くもの」の条件であることを前提に議論しているのに、一般人さんは文科省の発表を境にガラリと意見を180°変えて議論しています。
まして、「政府が専門家会議まで作って出した結論を疑う必要はないと感じています」などという、思考停止ともとれる発言までされています。
断言します。
一般人さんは完全に結論ありきの議論をしています。
自分に都合のいい論理に乗っかっているだけです。
論理的正当性などどうでもよく、とにかく朝鮮学校無償化を正当化する論理を欲しているだけです。
>>334 エビチリさん
>
>ところで、私は無償化対象の基準が「学習指導要領完全合致」だと主張したことってありましたっけ?
>ありましたら、レス番を教えて頂けますと助かります。
>>266で、総則に抵触=アウト という帰結を導き出していたため、何か一つ学習指導要領に抵触するとダメだと主張しているのだと思いました。
元々「概ね」という概念でお話されていたのは気が付きませんでした。
>しかし一般人さんは>>275で、「その意見が論理的に正しいとするには、現在、文部科学省令で指定されている各種学校はすべて学習指導要領に従っているということが必要です。」と、学習指導要領が「高等学校の課程に類する課程を置くもの」の条件であることに同意していないかのような発言をしています。
>>266で、総則に抵触=アウト という帰結を導き出していたため、「学習指導要領に従う=学習指導要領の1部分にでも抵触していないこと」という意味で、
>>275の発言をしています。
>また、このような発言をするということは、あたかも朝鮮学校が学習指導要領に準拠していないことを認めているかのように思えます。
>現に一般人さんは>>289で、「「学習指導要領に従うことが、高等学校の課程に類する課程を置く学校として認められる条件である」という『前提』を置けば、朝鮮学校を高校無償化対象から除外するのは差別ではないという主張に同意します。」と発言しています。
>つまり一般人さんは、
>@学習指導要領が「高等学校の課程に類する課程を置くもの」の条件であることに同意していない
>A朝鮮学校は学習指導要領に従っていないと考えている
>>266で、総則に抵触=アウト という帰結を導き出していたため、「学習指導要領に従う=学習指導要領の1部分にでも抵触していないこと」という意味において、上記条件@に同意していません。
また、同じ意味で、A朝鮮学校は学習指導要領に従っていない と認めています。
>ところが、いざ文科省が「「高等学校の課程に類する課程を置くもの」の条件は学習指導要領で、朝鮮学校は学習指導要領に概ね一致しているから無償化する」と言ったら、それをあっさり受け入れています。
>以前の一般人さんの考えである@Aの両方と全く逆なのに。
>これは一体どういうことですか?
>ご自分の考えはどこにいったのですか?
>ご自分では朝鮮学校は学習指導要領に従っていないと考えているのに、全く説明のない文科省の「朝鮮学校は学習指導要領に概ね従っている」発言を聞いてそれをあっさり受け入れるとはどういう了見ですか?
単に、過去の発言から貴方が類推した「私の考え」は誤っているということです。
「一般人さんは○○と発言したから△△と考えているはずだ」と主張されても、「違います」としか言いようがないのですが、そんな議論に興味はありません。
ただ、「概ね」といっても、とらえ方は色々あります。とりあえず、
>>266で、朝鮮学校が総則に抵触しているから無償化除外は差別ではない。とする貴方の論は否定されたということでよろしいでしょうか?
まとめにも書かれているので、この点について明確にしたいと思います。
まとめを修正しました。(今更な部分ですが)
『
差別であるとする意見』に記載されている内容を削除し、『
差別であるとする意見は無い』としました。
【消した内容】
>・日本人と同じ教育を受けると日本人になりすますことになる。だから差別だ。(>>24)
当初は、その方がいいかなと思って敢えて残しておいたのですが…
消した理由は、まずこの意見についてスレッドテーマとの関連性が示されていないこと( つまり論点外れ )と、
ある程度長い間様子を見ていても、この意見が全く取り合われず、誰からも相手にされていないこと(議論に寄与せず、無いも同然)。
この2点から、削除の判断をしました。
>>184でエビチリさんに「無くてもいいのでは?」と指摘いただいてから、ずいぶん考えたのですが、最終的に確かにその通りだなと考
え直しました。
エビチリさん、今更で申し訳ありません。ご指摘ありがとうございました。
(無論、それはおかしいと考える人は改めてそう主張していただければ、内容に応じて載せ上げ直しを考えます)
さて、ちょっとここらで初めて、まとめを活用してみたいのですが、『
差別ではない』という意見は以下の通りとなっています。
**********************************************************
各種学校である外国人学校を無償化対象とする場合には、「高等学校の課程に類する課程を置くもの」に該当していることが必要。
(無償化法の条文に記載有)
「高等学校の課程」とは、学習指導要領に以下の通り規定されている。
「【高等学校学習指導要領 第1章 総則】道徳教育は,教育基本法及び学校教育法に定められた教育の根本精神に基づき,
人間尊重の精神と生命に対する畏敬の念を家庭,学校,その他社会における具体的な生活の中に生かし,
豊かな心をもち,個性豊かな文化の創造と民主的な社会及び国家の発展に努め,
進んで平和的な国際社会に貢献し未来を拓く主体性のある日本人を育成するため,その基盤としての道徳性を養うことを目標とする。」
朝鮮学校の教育方針は、この規定に抵触している。
上記ゆえに朝鮮学校を無償化から除外することは差別ではない。(
>>266)
**********************************************************
>>266を確認すると、確かにエビチリさんはこう書いていますね。
>概ね学習指導要領の規準と合致していることを確認すればよい
そうして更にこう書いています。
>朝鮮学校を無償化するためには、「高等学校の課程に類する課程を置くもの」であることが証明されなければなりませんが、
>それは今のところされていません。
>むしろ、上記のように、「高等学校の課程に類する課程を置くもの」ではないことが示されています。
私は今ここまできて、上記に対する反論で、きちんとした根拠に基づいたものはないと考えています。無論、思い違いであればご指摘く
ださい。
あ、一つだけ、ぬさんが
>>325で予告してくれていますね。
>「高等学校の課程に類する課程を置くもの」はなにか、学習指導要領とどのような関係にあるのかに突入したいと思います。
無論、ぬさんに限らず誰であれ意見を書き込んでいただければ嬉しいです。
>>336 elsewhereさん
>
>私は今ここまできて、上記に対する反論で、きちんとした根拠に基づいたものはないと考えています。無論、思い違いであればご指摘ください。
「学習指導要領の総則に従っていなければならない」とする根拠を教えてください。
ここまでの議論で、この点が削除されないことが全く理解できません。
ぬさんのCAJの指摘や文科省の発表、私の発言などはスレ主であるelsewhereさんに全然ご理解いただけていないのでしょうか・・・。
私は、学習指導要領の総則に従うことが無償化対象の基準でないことは、明確にきちんとした根拠で反論されているとの理解です。
>>337 一般人さん
エビチリさんは
>>316で、一般人さんにこのように聞きました。
> >>314の「学習指導要領に『概ね』合致していると確認できたそうです」とのことですが、具体的に何が確認できたのですか?
>また、誰が確認したのですか?
これは非常に重要な質問です。何故ならば、一般人さん自身が認めているように、エビチリさんと(その論を借りる形での)私の主張
は、まさに『
朝鮮学校の無償化には、朝鮮学校の教育内容が、学習指導要領に“概ね”合致していると確認できることが必要』だとい
うものなのですから。
「それが確認できた」
というのですからその内容を問うことは、論の根幹にかかわる重要な質問です。
ところが、これに対する一般人さんの回答は以下の通りでした。(
>>323)
************* 【やりとり1】 ****************
>無茶苦茶言うなぁ・・
>すいません。以後お相手できないと思います。
ずいぶん思い切った言明だと思ったのですが、これはエビチリさんの
>>326の反論により、一般人さん自身も、
その誤りを認めざるを得ませんでした。(
>>328)
>なるほど。
>私が間違っていました。エビチリさんのおっしゃることはもっともです。
*********************************************
回答を拒んだことが間違いであることを認めたのであれば、普通であれば改めて最初の問いに回答をするものです。
ところが、またも一般人さんはそれをしないまま、以下のように主張しています。(
>>328)
************* 【やりとり2】 ****************
>私は
>「朝鮮学校は○○の基準に合致していないので、無償化の対象外とするのは区別であって差別ではない。」
>という主張に対して、
>「ちょっと待った。無償化対象の基準って○○じゃなくて△△じゃないですか?」
>と言い続けてきただけです。
>(○○は「人は平等」の流れのelsewhereさんの主張や、エビチリさんの「学習指導要領完全合致」だと思ってください。
>そして△△は「学習指導要領に概ね合致すること」だと思ってください。)
エビチリさんは元々、「概ね一致」と言っているのに、一般人さんは
「エビチリさんの“完全合致が必要”に反論する。“概ね一致”が正しい」
と言い始めたわけです。
*********************************************
当然、
>>334でその点をエビチリさんに指摘され、一般人さんは
>>335で自分の方が誤っていたと認めています。
ここで普通であれば( わかりますよね? )『
改めて最初の問いに回答をするものです。』
ところがまたしても、一般人さんはそれをしないまま、以下のように主張し始めました。(
>>335)
>「概ね」といっても、とらえ方は色々あります。
>とりあえず、>>266で、朝鮮学校が総則に抵触しているから無償化除外は差別ではない。とする貴方の論は否定されたということで
>よろしいでしょうか?
…この流れでどうして一般人さんが、『
エビチリさんの論は否定された』と考えるのかが理解できません。
エビチリさんに倣って、私もお二人のやりとりを簡素化してみました。
エビチリさん「概ね合致していることが必要」
一般人さん 「それは間違いだ。完全合致など必要ない。概ね一致していれば良い」
エビチリさん「それでいいですよ。完全合致だなんて私は始めから言っていません。概ね一致していればいいです」
一般人さん 『
概ねといっても捉え方は色々。とりあえず、あなたの論は否定されたということでよろしいでしょうか?』
とりあえずあなたの論は否定されたということでって…これはちょっと無理があるでしょう。
上記のやりとりからは敢えて外しましたが、一般人さん、あなたはエビチリさんの
>>314の質問に答えた方がいいですよ。
>>316から今までのエビチリさんと一般人さんのやりとりを概観すると、一般人さんはエビチリさんから投げかけられた、一番最初
の、核心を突く重要な質問に未だ答えていない状態となっていることがお分かりいただけるでしょう。
これは全く、私の感情の話なのですが、私は自分が一般人さんのことを尊敬していることを、これまで隠そうとしてきませんでした。
ちょうど、エビチリさんを尊敬するように。
しかしその上で、こういう言葉を使うのは大変申し訳ないのですが、言わざるを得ません。
『
重要な質問を受けると、一般人さんは言を左右して答えようとしない』
『
本題の部分で反論できないから、隅っこの部分に次々に話題を移していくだけ』
>>314で、大変言いにくいことを( それでも私の為に必要だからと考えてくれたのでしょう )私に率直に述べてくれた一般人さんだか
らこそ、私もこのように率直に述べます。その真意は、一般人さんならばこそ、わかっていただけるものと確信しています。
********************************************
ちなみに、
>>337で聞かれている
>「学習指導要領の総則に従っていなければならない」とする根拠
については、まとめに記載されている通りです。
「高等学校の課程に類する課程を置くもの」を判断する基準として「高等学校学習指導要領」は関係無いとか当てはまらないとか、と
にかくそういうことを誰かが言い始めたら私は驚くでしょう。
そうして逆にこう質問するでしょう。
「どうしてそれが関係無いって思うの? その根拠は?」
>>338 elsewhereさん
>
>上記のやりとりからは敢えて外しましたが、一般人さん、あなたはエビチリさんの>>314の質問に答えた方がいいですよ。
> >>316から今までのエビチリさんと一般人さんのやりとりを概観すると、一般人さんはエビチリさんから投げかけられた、一番最初
>の、核心を突く重要な質問に未だ答えていない状態となっていることがお分かりいただけるでしょう。
たしかに私はエビチリさんの重要な質問に答えることができていません。そこは認めます。
したがって、朝鮮学校が無償化の対象となることを証明できていません。そこも認めます。
なので、私は、朝鮮学校が無償化の対象であるとする主張は取り下げます。
(自分なりにもう少し調べなおします。文科省の発表や新聞発表を鵜呑みにしているとの指摘がありましたし、たしかにエビチリさんのそういったご指摘はごもっともなので)
上記とは別の議論をさせてください。少し整理します。
外国人学校などの各種学校が無償化の対象となるには「高等学校等の課程に類する課程を置くもの」であることが必要です。
「高等学校等の課程に類する課程を置くもの」とは言い換えれば「学習指導要領に概ね従っているもの」であるが必要です。
(ここまではたぶん同意いただけるでしょう。)
「高等学校等の課程に類する課程を置くもの」として、言い換えれば「学習指導要領に概ね従っているもの」であることして認められるには、具体的な細かい基準があります。
それが
>>333です。
(まず、ここに同意できますか?同意できなければその根拠を聞かせてください。)
上記を踏まえてもう一度質問します。
>>333の基準のどの部分から「学習指導要領の総則に従っていることが必要」と主張されるのですか?
その根拠をお聞かせください。
>>339 一般人さん
ちょっと半期決算の後始末で忙しくて返事が遅れてすみませんでした。
さて、ご質問をいただいていますので、回答いたします。
>外国人学校などの各種学校が無償化の対象となるには「高等学校等の課程に類する課程を置くもの」であることが必要です。
>「高等学校等の課程に類する課程を置くもの」とは言い換えれば「学習指導要領に概ね従っているもの」であるが必要です。
>(ここまではたぶん同意いただけるでしょう。)
はい、ここには同意します。
>「高等学校等の課程に類する課程を置くもの」として、言い換えれば「学習指導要領に概ね従っているもの」
>であることして認められるには、具体的な細かい基準があります。
>それが>>333です。
>(まず、ここに同意できますか?同意できなければその根拠を聞かせてください。)
ここについては、同意できません。その根拠を以下に書きます。
まず、一般人さんは
>>333に書かれていることが、あたかも決定事項であり、その基準に従って無償化というものを考えなければなら
ないと主張しているように(少なくとも私には)感じられますが、実際はそうではありません。
一般人さん自身が引用した
>>333の冒頭に「基準の項目(案)」と書かれているように、これはあくまで『
(案)』です。
検討会からの「こんな基準で考えたらいいと私達は考えますのでその旨報告します」との報告書に記載された案です。
そこに重要なファクターが欠け落ちていたら、それが差別(逆差別)につながっていないかと考え、議論することが大事だと言うこと
は、良くお分かりでしょう。
(エビチリさんの「一般人さんは文科省の発表や新聞発表を鵜呑みにしている」との批判をもっともだと認めていらっしゃいますから)
もっと明確にするなら、『
案』から『
政府決定事項』に格上げされたとしても、そこに差別(or逆差別)があれば、それをはっきりさせ
る議論をする姿勢が大切です。(あー、差別と逆差別は、結局同義語ですね。まあ、わかりやすさの為に書き直さずに置きますが)
そうして、
>>333に何が欠けていると私が考えているかは以下の通りです。
『
高等学校学習指導要領の総則について触れていない』
私は、
「高等学校等の課程として、高等学校学習指導要領がある」
ということから、
「高等学校等の課程に類する課程を置くものとしては、高等学校学習指導要領に類する指導内容でなければならないだろうな」
と考えています。
例えば学習指導要領との若干の差異があるにせよ、以下の程度であれば、容認されうると思います。(たとえばの話です)
「英語ネイティブの生徒を対象としてる学校だから、もともと英語はペラペラだ。だから日本の高等学校とは違い、本当に高度な内容
だけやればいい」
という方針の学校があり、その結果、『
日本の高等学校学習指導要領には(例えば)26単位必要なところを、15単位で済ませる』という
方針の学校があったとしても、「それはまあ、いいんじゃない? 日本の学校の半分くらいしかやってないけど、日本の教育が求める
水準を充分クリアするなら」と考えます。
私は「概ね合致」という言葉をそういう意味にとらえています。
しかし朝鮮学校の教育方針は、エビチリさんが
>>266で示したように「高等学校学習指導要領 第1章 総則」から大きく逸脱していま
す。ここにエビチリさんの言葉を引用しましょう。
>朝鮮学校の教育方針は、「高等学校学習指導要領 第1章 総則」の、
>「道徳教育は,教育基本法及び学校教育法に定められた教育の根本精神に基づき,
>人間尊重の精神と生命に対する畏敬の念を家庭,学校,その他社会における具体的な生活の中に生かし,
>豊かな心をもち,個性豊かな文化の創造と民主的な社会及び国家の発展に努め,
>進んで平和的な国際社会に貢献し未来を拓く主体性のある日本人を育成するため,
>その基盤としての道徳性を養うことを目標とする。」に抵触していると考えられます。
>これは非常に大きな問題です。必修科目である「情報」をやらないとか、そんなレベルではありません。
>高校として目指すべき大枠そのものに反しているのです。
>これでは、「高等学校の課程に類する課程を置くもの」に該当するとはとてもいえません。
全く、私もエビチリさんの意見に同意します。朝鮮学校の教育方針は、日本が高等学校学習指導要領に定め、その目標とするところの
根幹に抵触しています。ゆえに、朝鮮学校を無償化対象に入れないことは、『
差別ではありません。』
一般人さんは、どうお考えになりますか?
******************************************************
あと、まとめの現在の主な論点を修正しました。誰でも結構です。意見があれば是非レスにお書き下さい。
また、これは確認ですが、
>私は、朝鮮学校が無償化の対象であるとする主張は取り下げます。
と一般人さんが書かれていらっしゃいますので、一般人さんの欄も修正する必要を感じています。
以下に文案を考えました。私の捉え違いや、修正案がありましたら、是非お願いします。
・無償化の対象となるには「高等学校の課程に類する課程を置くもの」に該当していることが必要という点には同意する。
「高等学校の課程に類する課程を置くもの」とは、学習指導要領に規定されている内容を“概ね”守ることにも同意する。
しかし政府の検討会議の報告には、「高等学校学習指導要領の総則に従うべき」との内容は書かれていない。
ゆえに、朝鮮学校が高等学校学習指導要領の総則に従っていないとしても、無償化対象から外すべきかどうかは未確定。
ゆえに差別であるか否かは未確定。(
>>275及び
>>339)
特に何もなければ、上記文言に修正いたします。
(ちょっと思ったのですが、一般人さんは今まで、「差別かどうかは未確定」という主張ではなく、どうも「差別だ」という主張をし
ていらっしゃったように感じてます。
>>339で、取り下げますと書いていらっしゃいますし。まあ私の感じた印象に過ぎませんが。)
>>329 一般人さん
回答ありがとうございます。ちなみに、
>>333の、ここのところはどうなんでしょうか?
○ 中学校又はそれに準ずる学校等を卒業した者に対し、中学校又はそれに準ずる学校における教育の基礎の上に、心身の発達に応じて、高度な普通教育に類する教育を施すにふさわしい授業科目を開設していること。
無償化の対象となる学校が、どのような「教育の基礎」を前提としているかが明示されています。
朝鮮学校の中学校は、まずこの基礎を満たしていません。
また、朝鮮学校の高等学校は「高度な普通教育に類する教育を施すにふさわしい授業科目を開設」していません。
それはこのスレのまとめの、意見の相違が無い点に書いてあります。
>>340 elsewhereさん
>
>>「高等学校等の課程に類する課程を置くもの」として、言い換えれば「学習指導要領に概ね従っているもの」
>>であることして認められるには、具体的な細かい基準があります。
>>それが>>333です。
>>(まず、ここに同意できますか?同意できなければその根拠を聞かせてください。)
>
>ここについては、同意できません。
同意できない理由は、「まだ決定事項ではないから」ということですね。了解しました。
では「決定事項」となるまで保留としましょう。
>そうして、>>333に何が欠けていると私が考えているかは以下の通りです。
>『高等学校学習指導要領の総則について触れていない』
えっと、議題を変更するということですか?
上記の主張は、「高校無償化の対象を決める基準はどうあるべきか」、「高校無償化の対象とする学校はどのようなものであるべきか」といった論点となっています。
このスレは「朝鮮学校の無償化除外は「差別」であるか?」だったはずです。
ですから私は2回目のレスで以下のように申し上げました。
========================================
>>147
ちなみに、私は、実際に規定上で区別であることが明確になったとしても、道徳、正義といった根源的な観点から差別ではないことが明確になるわけではないと考えています。ただ、道徳、正義といった根源的な観点から差別かどうかの結論は出ないですし、結論を出すために議論しているわけではないので、とりあえず今回は最初に前提として確認したとおり「規定上でそれなりの論理でもって区別していれば差別ではない」という前提で話を進めてます。
========================================
政府が規定上でどう決定しようが、「あるべき論」で議論すべきとおっしゃるなら、貴方と私の考え方の方向性は同じです
私は何度か申し上げているとおり、朝鮮学校の無償化には反対ですし、高校無償化自体に反対であることから、この論点で貴方と議論するほど相違点はございません。
>全く、私もエビチリさんの意見に同意します。朝鮮学校の教育方針は、日本が高等学校学習指導要領に定め、その目標とするところの根幹に抵触しています。ゆえに、朝鮮学校を無償化対象に入れないことは、『差別ではありません。』
>一般人さんは、どうお考えになりますか?
上記でも申し上げたとおり、私はここでの議論で「差別」とは、「根拠のない区別」と定義付けており、「規定上でそれなりの論理でもって区別していれば差別ではない」という前提(公理)で話をしています。(ここは貴方と合意できていると思っていました。)
個々人の「あるべき論」を元に差別かどうかを決めるのであれば、それは個人の考え方ひとつで「差別である」とも「差別でない」とも結論付けることが可能でしょう。(貴方のように「規定をこうすべきだ」と主張すれば良いのですから)
したがって、現段階では(まだ案なので)、「差別ではない」ことの根拠として、朝鮮学校が総則に抵触すること持ち出すのは適切ではない(根拠になっていない。)と考えます。
ちなみに、総則には「平和的な国際社会に貢献し未来を拓く主体性のある『
日本人』を育成するため,その基盤としての道徳性を養うことを目標とする。」とあります。『
日本人を育成するため』とあるので総則に抵触したらOUTな場合、外国人学校は全て対象外ですね。
あと、まとめの部分は以下のように修正しておいてください。
・無償化の対象となるには「高等学校の課程に類する課程を置くもの」に該当していることが必要という点には同意する。
「高等学校の課程に類する課程を置くもの」とは、学習指導要領に規定されている内容を“概ね”守ることにも同意する。
しかし政府の検討会議の報告にある基準(案)には、「高等学校学習指導要領の総則」に関する記述はない。
ゆえに、朝鮮学校が高等学校学習指導要領の総則に従っていないことが「差別ではない」ことの根拠とはならない。
>>341 vitamizerさん
>
>また、朝鮮学校の高等学校は「高度な普通教育に類する教育を施すにふさわしい授業科目を開設」していません。
>それはこのスレのまとめの、意見の相違が無い点に書いてあります。
どこにでしょうか?
>>343 一般人さん
>どこにでしょうか?
・朝鮮学校が日本が定める「高校」としての基準の教育に満たないこと。
の欄ですね。
>>333に挙げられている項目のうち、以下を満たしていないです。
○ 中学校又はそれに準ずる学校等を卒業した者に対し、中学校又はそれに準ずる学校における教育の基礎の上に心身の発達に応じて、高度な普通教育に類する教育を施すにふさわしい授業科目を開設していること。
もし高度な普通教育に類する教育を施すにふさわしい授業科目を開設している、私はそれを知っているというのなら、一般人さんは自分で再三言っている「私は朝鮮学校の事情に詳しくない」をみずから否定することになります。たとえば
>>328の最後に書いてある文章をみずから否定することになります。
>>344 vitamizerさん
>
>・朝鮮学校が日本が定める「高校」としての基準の教育に満たないこと。
>の欄ですね。
>
> >>333に挙げられている項目のうち、以下を満たしていないです。
>
>○ 中学校又はそれに準ずる学校等を卒業した者に対し、中学校又はそれに準ずる学校における教育の基礎の上に心身の発達に応じて、高度な普通教育に類する教育を施すにふさわしい授業科目を開設していること。
>
そこの欄には、「具体的にはカリキュラムの不足ではなく、北朝鮮の独裁体制やテロ支援・拉致による金正日の犯罪を是とする
教育、情報統制による誤った歴史認識等があるゆえに、日本の推進する教育機関として容認できる範疇を大きく踏み外していること。」とあります。
したがって、まとめの欄に書かれている、高校としての基準に満たない根拠は授業科目の問題ではないということです。
一方、
>>333の基準(案)は授業科目に関することです。
貴方の主張は、「朝鮮学校が高度な普通教育に類する教育を施すにふさわしい授業科目を開設していない」ということでしょうか。
もしそういった主張であれば、その根拠にこのスレの「まとめ欄」を持ってくるのは根拠として弱いと思われます。
何故なら、まとめ欄はこのスレ上で誰からも異論が出ていないので、議論の参加者間で合意が取れていると整理されているに過ぎないからです。
何か違った形でその主張の根拠を示していただけるとありがたいです。
ちょっと時間が開いてしまいよくわからなくなってきてしまったので、ここらで自分の考えを書いてみます。
僕は「高等学校の課程に類する課程を置くもの」とは日本が認める機関が高等学校と同じ扱いをすることが
約束された学校のことだと思います。
この日本が認める機関とは施行規則第1条1項では日本です。
施行規則第1条2項(イ)では当該外国です。
施行規則第1条2項(ロ)では指定の教育団体です。
では施行規則第1条2項(ハ)では何者が考えられるのでしょうか。
それは当該外国以外の国であると考えています。
したがって朝鮮学校は、北朝鮮以外の国家で高等学校と同等の扱いを保障されていることが示されていない
ので無償化法に適用されないことは差別ではないというのが僕の意見です。
「高等学校の課程に類する課程を置くもの」を学習指導要領に概ね合致することと考えると、(イ)または
(ロ)ではそれが適用されないことが記されていないとなりません。
反例;CAJ
一般人さんの言うように外国人学校が外形的な判断のみで区別されるならば、(イ)または(ロ)という項目
は必要ない筈です。
ということでこれが法文から導きだされた最も矛盾のない解釈だと思っています。
>>346 ぬさん
>僕は「高等学校の課程に類する課程を置くもの」とは日本が認める機関が高等学校と同じ扱いをすることが
>約束された学校のことだと思います。
何故、そう思われますか?
まず、その根拠を提示してください。
>では施行規則第1条2項(ハ)では何者が考えられるのでしょうか。
>それは当該外国以外の国であると考えています。
何故、そう思われますか?
まず、その根拠を提示してください。
参考までに施行規則をコピペします。
=================================================
(参考)
○公立高等学校に係る授業料の不徴収及び高等学校等就学支援金の支給に関する法律施行規則(抄)
第一条(略)各種学校のうち高等学校の課程に類する課程を置くものとして文部科学省令で定めるものは、次の各号に掲げるものとする。
一 専修学校の高等課程
二 各種学校であって、我が国に居住する外国人を専ら対象とするもののうち、次に掲げるもの
(イ) 高等学校に対応する外国の学校の課程と同等の課程を有するものとして当該外国の学校教育制度において位置付けられたものであって、文部科学大臣が指定したもの
(ロ) イに掲げるもののほか、その教育活動等について、文部科学大臣が指定する団体の認定を受けたものであって、文部科学大臣が指定したもの
(ハ) イ及びロに掲げるもののほか、文部科学大臣が定めるところにより、高等学校の課程に類する課程を置くものと認められるものとして、文部科学大臣が指定したもの
=================================================
私には、イロハのどの場合であっても「文部科学大臣が指定」したものが「高等学校の課程に類する課程を置くもの」であると認められたのだと読めます。
例え「高等学校に対応する外国の学校の課程と同等の課程を有するものとして当該外国の学校教育制度において位置付けられたもの」であっても、文部科学大臣が「高等学校の課程に類する課程を置くもの」として指定しなければ対象外です。
「その教育活動等について、文部科学大臣が指定する団体の認定を受けたもの」であっても文部科学大臣が「高等学校の課程に類する課程を置くもの」として指定しなければ対象外です。
私にはそう読めます。
要するに、「当該外国の学校教育制度において位置付けられたもの」や「文部科学大臣が指定する団体の認定を受けたもの」であることは文部科学大臣が「高等学校の課程に類する課程を置くもの」として指定する判断基準であるという解釈です。
イとロは判断基準を他の基準に委ねたといった感じでしょうか。
ただ、イとロに該当しなくても「高等学校の課程に類する課程を置く」各種学校が世の中に存在することから、別途ハを設けたのだと解釈しています。
そういった意味でハの基準をいま作成しようとしているところなのだと思ってます。
>>347 一般人さん
>
>>僕は「高等学校の課程に類する課程を置くもの」とは日本が認める機関が高等学校と同じ扱いをすることが
>>約束された学校のことだと思います。
>
>何故、そう思われますか?
>まず、その根拠を提示してください。
無償化法では教育の具体的内容については記述がありません。
そのため、制度的な担保を持ってのみ課程の判断を為し得ます。
日本がその役割を担うことも考えられると思います。
専修学校の高等課程では学校教育法がそれに当たるのだと思います。
>>では施行規則第1条2項(ハ)では何者が考えられるのでしょうか。
>>それは当該外国以外の国であると考えています。
>
>何故、そう思われますか?
>まず、その根拠を提示してください。
当該外国の教育制度が認められているのならば、その国の教育制度が他国の課程を担保することもその国次第で
可能だと思います。
当該外国以外には当然日本も含まれます。
>私には、イロハのどの場合であっても「文部科学大臣が指定」したものが「高等学校の課程に類する課程を置くもの」であると認められたのだと読めます。
>例え「高等学校に対応する外国の学校の課程と同等の課程を有するものとして当該外国の学校教育制度において位置付けられたもの」であっても、文部科学大臣が「高等
学校の課程に類する課程を置くもの」として指定しなければ対象外です。
>「その教育活動等について、文部科学大臣が指定する団体の認定を受けたもの」であっても文部科学大臣が「高等学校の課程に類する課程を置くもの」として指定しなけ
れば対象外です。
>私にはそう読めます。
ここまでは同意です。
例えば外形的な判断から大きく外れている場合などは、制度的な担保があろうと文部科学大臣は指定することが
できないということもあり得ると思います。
>要するに、「当該外国の学校教育制度において位置付けられたもの」や「文部科学大臣が指定する団体の認定を受けたもの」であることは文部科学大臣が「高等学校の課
程に類する課程を置くもの」として指定する判断基準であるという解釈です。
>イとロは判断基準を他の基準に委ねたといった感じでしょうか。
>ただ、イとロに該当しなくても「高等学校の課程に類する課程を置く」各種学校が世の中に存在することから、別途ハを設けたのだと解釈しています。
>
>そういった意味でハの基準をいま作成しようとしているところなのだと思ってます。
基準ができる前にそのような学校が存在するとどうして言えるのでしょうか。
その基準はなんなのでしょうか。
>>348 ぬさん
貴方
>>346で言いたかったことがわかったような気がします。
その上で質問です。
>当該外国の教育制度が認められているのならば、その国の教育制度が他国の課程を担保することもその国次第で
>可能だと思います。
では、朝鮮学校を韓国が韓国の教育制度で位置づけられたものであると認めたと仮定します。
貴方のおっしゃる「その国の教育制度が他国の課程を担保する」状態です。
この場合、無償化の対象となる根拠は(イ)ですか(ハ)ですか?
あと質問への回答です。
>基準ができる前にそのような学校が存在するとどうして言えるのでしょうか。
別に言えても言えなくてもどちらでも問題ありません。
現段階で設けた基準に該当する学校が、「必ず存在しなければならない又は存在することを確認していなければならない」ということはありません。
>その基準はなんなのでしょうか。
行政には「通達」とか「運用基準」というものがあります。
法令(法律、政令、省令)で明確に定めていない細かい基準を、担当者が変わっても判断がブレないように内部で定めておくためのものです。
法令ではないため、相手方に(申請しろとか届出しろとかといった)義務を負わせることはできませんが、判断の基準を内部で定めておくということは普通に行われています。
ただし、ここまで世間で揉めている高校無償化の対象の基準なので、法令上で明確に定めるべきだ といった指摘はあるかも知れませんが、それはまた別問題です。
>>348 ぬさん
あと、ここと
>無償化法では教育の具体的内容については記述がありません。
>そのため、制度的な担保を持ってのみ課程の判断を為し得ます。
ここ
>例えば外形的な判断から大きく外れている場合などは、制度的な担保があろうと文部科学大臣は指定することが
>できないということもあり得ると思います。
矛盾してませんか?
>>349 一般人さん
>
>貴方>>346で言いたかったことがわかったような気がします。
>その上で質問です。
>
>>当該外国の教育制度が認められているのならば、その国の教育制度が他国の課程を担保することもその国次第で
>>可能だと思います。
>
>では、朝鮮学校を韓国が韓国の教育制度で位置づけられたものであると認めたと仮定します。
>貴方のおっしゃる「その国の教育制度が他国の課程を担保する」状態です。
>この場合、無償化の対象となる根拠は(イ)ですか(ハ)ですか?
朝鮮学校の当該外国は北朝鮮です。
なので(ハ)だと思います。
>>350 一般人さん
>
>あと、ここと
>
>>無償化法では教育の具体的内容については記述がありません。
>>そのため、制度的な担保を持ってのみ課程の判断を為し得ます。
>
>ここ
>
>>例えば外形的な判断から大きく外れている場合などは、制度的な担保があろうと文部科学大臣は指定することが
>>できないということもあり得ると思います。
>
>
>矛盾してませんか?
「高等学校の課程に類する課程を置くもの」は、世界中の高校も含まれます。
「高等学校の課程に類する課程を置くものとして文部科学省令で定めるもの」は、課程以外の基準も勘案されるのだと
思います。
>>351 ぬさん
>>
>>貴方>>346で言いたかったことがわかったような気がします。
>>その上で質問です。
>>
>>
>>では、朝鮮学校を韓国が韓国の教育制度で位置づけられたものであると認めたと仮定します。
>>貴方のおっしゃる「その国の教育制度が他国の課程を担保する」状態です。
>>この場合、無償化の対象となる根拠は(イ)ですか(ハ)ですか?
>
>朝鮮学校の当該外国は北朝鮮です。
>なので(ハ)だと思います。
>
(イ)の「外国」という単語を私が提示した韓国の場合に置き換えてカッコ書きで書くとこうなります。
(イ) 高等学校に対応する外国(韓国)の学校の課程と同等の課程を有するものとして当該外国(韓国)の学校教育制度において位置付けられたものであって、文部科学大臣が指定したもの
従って、私が提示した仮定では(イ)になります。
そもそも当該外国の学校という定義付けはかなり難しいと思いますよ。
例えば、イギリス人が代表者で、アメリカで習う高等学校の内容を、ドイツ人の先生が教えている学校で、生徒はみんな日本人の場合、当該外国はどこになりますか?
>>352 一般人さん
>>
>>朝鮮学校の当該外国は北朝鮮です。
>>なので(ハ)だと思います。
>>
>
>(イ)の「外国」という単語を私が提示した韓国の場合に置き換えてカッコ書きで書くとこうなります。
>
>(イ) 高等学校に対応する外国(韓国)の学校の課程と同等の課程を有するものとして当該外国(韓国)の学校教育制度において位置付けられたものであって、文部科
学大臣が指定したもの
>
>
>従って、私が提示した仮定では(イ)になります。
>
>そもそも当該外国の学校という定義付けはかなり難しいと思いますよ。
>例えば、イギリス人が代表者で、アメリカで習う高等学校の内容を、ドイツ人の先生が教えている学校で、生徒はみんな日本人の場合、当該外国はどこになりますか?
おお。
確かにその通りですね。
まあその学校に聞いてみるのが一番簡単だと思います。
>>353 ぬさん
>確かにその通りですね。
では
>>346の解釈は誤りということですね。
>では施行規則第1条2項(ハ)では何者が考えられるのでしょうか。
>それは当該外国以外の国であると考えています。
そもそもこういう解釈をするのであれば。表現の仕方は色々あると思いますが、ハの記載ぶりを
(ハ) 高等学校に対応する外国の学校の課程と同等の課程を有するものとして『
自国以外の外国』の学校教育制度において位置付けられたものであって、文部科学大臣が指定したもの
のように、そう解釈できるように書けばいいのです。
>>346は、拡大解釈、勝手な解釈です。
上記の点が正しいとすれば、(ハ)の解釈につながる
>僕は「高等学校の課程に類する課程を置くもの」とは日本が認める機関が高等学校と同じ扱いをすることが
>約束された学校のことだと思います。
も誤りとなります。
したがって、当該解釈から導き出された下の意見も成立しなくなります。
>したがって朝鮮学校は、北朝鮮以外の国家で高等学校と同等の扱いを保障されていることが示されていない
>ので無償化法に適用されないことは差別ではないというのが僕の意見です。
あらためて、ぬさんの意見をお伺いできればと思います。
>>354 一般人さん
>
>>確かにその通りですね。
>
>では>>346の解釈は誤りということですね。
曖昧な書き方をしてしまって申し訳ないのですが、僕が同意したのは当該外国の学校という
定義付けが難しいという部分です。
それが何故僕の論の否定に繋がるのかがわかりません。
当該外国の定義はその国と学校との間で片付けておいてもらう話で、日本はそこに関与する
必要はないと思いと思います。
>>では施行規則第1条2項(ハ)では何者が考えられるのでしょうか。
>>それは当該外国以外の国であると考えています。
>
>そもそもこういう解釈をするのであれば。表現の仕方は色々あると思いますが、ハの記載ぶりを
>(ハ) 高等学校に対応する外国の学校の課程と同等の課程を有するものとして『自国以外の外国』の学校教育制度において位置付けられたものであって、文部科学大臣
が指定したもの
>のように、そう解釈できるように書けばいいのです。
>
>
>上記の点が正しいとすれば、(ハ)の解釈につながる
この上記の点とは何を指すのでしょうか。
>>僕は「高等学校の課程に類する課程を置くもの」とは日本が認める機関が高等学校と同じ扱いをすることが
>>約束された学校のことだと思います。
>
>も誤りとなります。
>したがって、当該解釈から導き出された下の意見も成立しなくなります。
>
>>したがって朝鮮学校は、北朝鮮以外の国家で高等学校と同等の扱いを保障されていることが示されていない
>>ので無償化法に適用されないことは差別ではないというのが僕の意見です。
>
>あらためて、ぬさんの意見をお伺いできればと思います。
>>355 ぬさん
>この上記の点とは何を指すのでしょうか。
ぬさんの解釈が誤っているという点です。
>僕が同意したのは当該外国の学校という定義付けが難しいという部分です。
>それが何故僕の論の否定に繋がるのかがわかりません。
解釈が誤っている点には同意していないということですね。了解しました。
それでは私とぬさんの論点は
>>346のぬさんの解釈が誤っているか誤ってないかとなります。
では続けましょう
私が注目しているのは以下の部分です。
>では施行規則第1条2項(ハ)では何者が考えられるのでしょうか。
>それは当該外国以外の国であると考えています。
まず確認です。
ここは簡単に書けば「A国の学校をB国が認めた場合」という解釈でよろしいですよね。
現実的にあり得るとは思いませんが、例えばアメリカの学校をドイツの教育制度が認めた場合などを指しているということでよろしいですよね。
ぬさんの
>>346の論を否定する根拠を二つ示しましょう。
まずひとつめ。
私はぬさんがおっしゃるようなケースの場合、(イ)に該当すると主張しました。
(イ)の文章中に外国は1国しか出てきません。(イ)の解釈上『
外国』と『
当該学国』は同じ国を指しています。
要するに、施行規則上で学校の国籍には触れられておらず、どこの国籍の学校であろうと、日本以外の外国が認めた場合は(イ)になるということです。(したがって学校の国籍など定義付けする必要も判断する必要もありません)
これが正しければ、ぬさんの解釈での(ハ)に該当する案件が存在しなくなります。
これを否定する論をお聞かせください。
ふたつめは(ハ)の記載ぶりです。
念のため、(ハ)を引用しておきます。
=================================================
(ハ) イ及びロに掲げるもののほか、文部科学大臣が定めるところにより、高等学校の課程に類する課程を置くものと認められるものとして、文部科学大臣が指定したもの
=================================================
この規定上にぬさんの解釈が正しいとする記載が全く見当たりません。
この文章のどこをどう読めば、ぬさんの解釈となるのか解説をお願いします。
最初に私はそう解釈する根拠をお聞きしました。
貴方は以下のように答えました。
>当該外国の教育制度が認められているのならば、その国の教育制度が他国の課程を担保することもその国次第で可能だと思います。
>当該外国以外には当然日本も含まれます。
正直全く根拠になっていません。(可能だからで根拠になりますか?)
改めて問います。
貴方がそう解釈する根拠はなんですか?上の解説と含めてお聞かせください。
>>356 一般人さん
当該外国の解釈は僕が間違っていました。
(ハ)に何者が相当するかも不明ということに訂正させてください。
しかしいずれにしろ「高等学校の課程に類する課程を置くもの」は無償化法以外により
担保される必要があるということは変わりません。