高校生に伝えたいほんとうの情報科学

まず高校の「情報」の授業を忘れよう

情報科学というと、「情報の科学」という科目のことを思い出す人がいるかもしれません。でも、そういう人は少数でしょう。高校の課程に必履修の教科として「情報」が加わってから10年以上経っているのですが、いまだに中途半端な教科であり続けています。

当初は「情報A」「情報B」「情報C」の3科目があって、いずれかを履修することが求められていました。その後、指導要領が更新されて、いまでは「情報の科学」と「社会と情報」という2科目のどちらかを履修することが求められています。8割の高校では「社会と情報」を教えているそうですが、実は、大学に入って来た学生に聞くと、どちらを習ったかわからない、という答えが圧倒的です。

高校の情報の授業は、万人が身につけるべき情報リテラシーや情報技術の理解を目標として始まりましたが、歴史の新しい分野なので、まだ高校の教科としてきちんと根付いているとは言えません。コンピューターの普及期には使い方を身につけることが急務でしたが、普及をとげたいま、これからはさらにコンピューターというブラックボックスがどう作られ、どう活用できるのか、その背景にある考え方や理論へと、カリキュラムも高校の授業から大学の専門課程まで系統的に整えられるのが望ましく、いまはその過渡期にあるといえます。

もちろん、高校の教科「情報」を改善しようと努力している人々は私の周りにはたくさんいます。私もその一人かもしれません。とりあえず、そういう状況なので、高校の教科「情報」のことは忘れてください。これがまず言いたかったことです。

「計算」と「情報」の話

さて、情報科学とはどのような学問でしょうか。宇宙を理解するために3つの視点がある、ということを聞いたことがあるかもしれません。3つの視点とは、「物質」と「エネルギー」と「情報」です。物質は、分子、原子、さらに素粒子など、宇宙を形作る「もの」ですね。エネルギーについては、物理の授業で習ったでしょう。しかし、物質とエネルギーだけでは宇宙の現象を理解することはできません。それは明らかです。

たとえば生命現象はその典型です。どんな原始的な生物でも、何億年という長い年月の間、染色体に記録されている遺伝情報に対してさまざまな操作を行うことにより、環境に適応し、生存に有利な身体を持つことに成功してきました。生物が遺伝情報に対して行ってきた操作は、高度な情報処理であり「計算」です。進化そのものが計算であるという見方もできるでしょう。そして、そのような進化の結果として、人間という高度な情報処理能力、つまり知能を持つ生物が登場したわけです。

話はがらっと変わって、宇宙の全体を巨大な量子コンピューターとみなすこともできます。ちょうど手元に、『宇宙をプログラムする宇宙』という本があります。最初は怪しい本だと思ったのですが、実は量子情報に関する真面目なエッセイで、宇宙の全体が持つ計算能力を量子計算の観点から見積もっています。さらに量子情報によって相対論と素粒子論を統一する野望について書かれていますが、これはやや怪しいかもしれません。

また話はがらっと変わります。身の回りを見まわすと、情報を扱うガジェットがあふれていますね。これらはすべて、ひと昔前のコンピューターよりもはるかに能力の高いものです。いまや、これらのコンピューターが互いにつながり、人間のように「学習」するようになってきています。やがて、自動車の自動運転が現実のものになると予想されますが、それは、画像認識、機械学習、クラウドコンピューティング、並列処理、ニューラルネットワークなどなど、現在の情報技術の粋を集めて実現することになるはずです。

要するに、生物にせよ、宇宙にせよ、機械にせよ、情報の視点がなければ理解することはできないし、作ることも動かすこともできません。そして、情報科学はそのような情報を主役として扱う学問です。生物学でも物理学でも情報の概念は必要ですが、それはあくまで生命現象や物理現象を理解するための脇役にすぎません。それに対して、情報科学では情報を主役に据えます。情報科学とは何かと問われると、これ以上の説明はできないし、する必要もないような気がします。
そして、情報科学を専門に学ぶということは、主役としての情報を学んだ者になるということですね。是非、情報科学という学問があって、その専門家になる道が開いている、ということを心のどこかに留めておいてください。

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